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カテゴリー: ______ショスタコーヴィチ

ハチャトリアン ピアノ協奏曲変ニ長調 作品38

2024 MAR 14 2:02:31 am by 東 賢太郎

これも我が愛聴曲である。美味というよりも強めのエキゾティックな香辛料が鼻腔にまとわりついて離れないように、知ってしまうとなしでいられなくなるという性質の音楽だ。そしてこの曲は時代の響きを今に伝えてもいる。生まれたのが激動の1936年であることはとても意味深い。まず、どんな時代だったかを振り返るところから始めてみよう。

ドイツでナチ党が政権を獲得し、国際連盟を脱退した(1933年)。ベルサイユ体制打破の狼煙が上がり、日本は日独伊防共協定を結ぶ(1937年)。ところがドイツはポーランドとの不可侵条約を破棄し、8月23日に共産国ソ連と不可侵条約を締結して世界を驚愕させ、9月1日にポーランドに侵攻して第2次世界大戦がはじまる(1939年)。独ソにポーランド分割秘密議定書という裏契約があったからである。

ここで日独伊防共協定は大義を喪失、日独外相はソ連を加えた4か国による対米同盟を望んでいたが失敗する。バルカン半島やフィンランドを巡って独ソ関係が悪化したからで、6月22日にドイツ軍は不可侵条約を破棄してソ連へ侵攻し、12月8日に日本は真珠湾攻撃によって米国から宣戦布告を受ける(1941年)。そしてソ連は日ソ中立条約(1941年)の破棄を通告して日本に対して宣戦布告を行うのである(1945年)。

皆さんは以上の歴史から何を読み取られるだろうか?太字にしたのがヒントだ。僕の答えは「人間は裏切る」である。だからこそ、そうさせないための約束である「契約」というものがある。国家の契約である条約や協定がこれほど短期間に盛大に破られているのをみて、それでも人間を信じましょうなんて気持ちは僕は持てないが、性善説で語る歴史家はこれを「狂気の時代」とする。おそらく、想像だが、いま岸田政権はこういうことを考えている。奇襲だろうが偽旗を掲げようが汚かろうが何だろうが、不意討ちで騙すのが最も有効な戦略である。

裏切りを時代のせいにできるのは平時の精神だ。世界史で平時はほとんどない。戦後79年の平和から「日本は民主国家だ」「法治国家だ」「日米安保で安全だ」と盲信する。それは強者の都合でどうにでも捻じ曲げられると知る者は長いものに巻かれる。日本は諺がそれを奨励する国だ。教訓は諺ではなく生々しい歴史の現実からのみ得られる。一度裏切る者は何度でも裏切る。これは常に正しい。僕はそういう人には関わらない。

1936年はスターリンの大粛清が本格的にはじまった年だ。ヒトラーとかわらぬ未曾有の残虐行為をしていたとはいえ、ソ連をドイツが引き込む可能性があったためそれを阻止することは対独戦線で連合する英米仏にとって死活問題だった。そこで、スターリンがグルジア(ジョージア)人であり、ハチャトリアンがアルメニア人であることが注目される。アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア3国はソビエト連邦に併合されるまでは「ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国」であり、併合が1936年であり、その年にピアノ協奏曲変ニ長調 作品38は作曲されたのである。

僕はそのことと、同曲の演奏に英米演奏家が力を注いだのは無縁でないと考えている。英国初演は1940年4月13日、ロンドンのクイーンズ・ホールでモウラ・リンパニーが、米国は1942年、ニューヨークのジュリアード音楽院で行われ、ウイリアム・カぺルが看板レパートリーにして有名になった。1938年10-11月録音のフルトヴェングラーの悲愴交響曲の稿で「僕はこの悲愴はソ連に向けた目くらましのリップサービスとしてスターリンをだます国家的目的にフルトヴェングラーが妥協し、対独宣戦布告前の英国EMIに録音させたものだと考えている」と書いたが同様のことだ。

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(5)

音楽に政治は関係ないだろうという人は長いものに気がつかずに巻かれる人だ。レナード・バーンスタインはショスタコーヴィチの交響曲第6番について『作曲された1939年にドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まったが、独ソ不可侵条約により、ドイツはポーランドのソ連領には侵攻しなかった。「我が国は平和だ。」という偽善を表しているのが、第2楽章、第3楽章である』と、そうでない視点から述べている。彼がピアノがうまいだけでない真のインテレクチュアルだったことがわかる。世に迎合した音楽家の演奏は心に刺さらない。

ハチャトリアンが英米の連合国側につくという国家的目的に添って作曲したかどうかは不明だが、モスクワ音楽院卒業作品(交響曲第1番、1935)に次ぐ大作であり、ソ連を代表するD.オイストラフ(vn) 、L.オボーリン(pf) 、S.クヌシェヴィツキー(vc)に協奏曲を書けばスターリンのプロパンガンダ(国威発揚)にもなるぐらいの意識はあったのではないかと想像したくなる。レコードという新興メディアの巨大市場である英米は作品がロシアの外で評価されるには重要だった。米国は偉大な田舎であり、エキゾティズムは関心をひく要素ゆえ民族音楽の引用は常套手段だ。彼のヴァイオリン協奏曲第2楽章にコーカサス民謡があることを前稿で指摘したが、ピアノ協奏曲ではさらに濃厚だ。

ベレゾフスキー(pf)アルメニア国立交響楽団

音楽について少々書こう。スコアがないので楽譜を引用できないが、第1楽章第1主題は粗野で跳躍するようなシンコペーションのリズムを持つが、その結尾でトランペットと木管が吹く哀調ある旋律( es—ges / f / as / es—)が非常に耳に残る(ビデオの1分22秒)。これは素材として展開しないどころか、出てくるのはここだけなものだから、殺気だった雑踏の中で美女とすれ違ったがふりかえるともういない、まさにそんな感じなのである。ところが、終楽章の終わりにいたって、忘れ去っていたこれが主題の再現とともに不意に現れる!(27分20秒)。この設計はブラームスのクラリネット五重奏曲、ヤナーチェクのシンフォニエッタなど珍しくはなくいずれも感動を残すのだが、美女の再来となるとそれはそれでユニークだ。いつ聴いても感動する。旋律名は不明だが、この舞曲の伴奏の中にひっそりと聞こえている。

お気づきの方もおられようが、この旋律はショスタコーヴィチの交響曲第12番第1楽章の冒頭に第1主題として出てくる。12番は「レーニン交響曲」(1961年)でありハチャトリアンも「レーニンを偲ぶ頌歌」(1948年)を書いており、どちらもうわべのボルシェビキ賛歌だが関連があるのかもしれない。

次は第1楽章カデンツァの前でバス・クラリネットがソロで吹く息の長い旋律のタララーという ”結尾3音符” に注目いただきたい。これは第2楽章第1主題(イ短調、半音階上昇が悩ましいほどエロティックだ)がイ長調で結ばれる部分にも現れ、どなたでもわかるだろう。一度聞いたら耳にこびりついて離れぬほどの妖しいインパクトであり、同楽章のカデンツでは強奏される。youtubeで探してみたところウズンダラ(Uzundara)という踊りに出てくることがわかった。

ペルシャの影響が色濃い雰囲気のメロディー(旋法)である。ザカフカースはロシア語で「カフカス地方の向こう側」という意味で、ロシアから見てカフカース山脈の南側一帯を指す。長くオスマン帝国とイランの諸王朝(サファヴィー朝・カージャール朝)とが領有をめぐって争う係争地であったのだから人種も文化も相当に混血していないはずがなかろう。民俗的なものに噓はない。だからこそ僕はこの地域の底知れぬ魅力に惹きこまれているのだ。ちなみに第2楽章第1主題の半音階上昇はストラヴィンスキーの「火の鳥の嘆願」を想起させる。

ガイーヌに引用しているので間違いないだろう。

Flexatone

第2楽章に使われるフレクサトーンなる不思議な楽器がある。ミュージカル・ソー(Musical saw)に近い音で、同曲ではそれを代用することもカットしてしまうこともあるがあったほうが断然いい。ただでさえセクシーな旋律が妖しさ満載になるが、暗い処で一人で聞くとちょっと怖いかもしれない。

 

こちらで音が聴ける。

Flexaton / Musical saw in Khachaturian’s piano concerto – Katharina Micada | Singende Säge (singende-saege.com)

 

同曲の録音で惹かれるものが2つあるのでご紹介する。

ミンドゥル・カッツ(pf) / エドリアン・ボールト / ロンドン・フィル

第1楽章をベレゾフスキーと比べていただきたい。同じ曲と思えるだろうか?全編を抒情が彩り、「美女」はオーボエが吹きトランペットは(入っているかもしれないが)聞こえない。ボールトのオケも威圧的でなく詩情に力点を置く。ソロの部分も野卑にならず格調があり、ロシアを西欧化した、いわばフランス印象派寄りの感触とさえ感じる。そういう曲なのかという問いには答えにくいが、こういう曲でもあったということだ。猫という名のMindru Katzはルーマニアのブカレスト生まれのユダヤ系である。我が年代のファンには廉価盤のイメージがあろうが、作曲家エネスクが神童と認めたピアニストで僕の評価は高い。

 

ヤーコフ・フリエール(pf)/ キリル・コンドラシン / モスクワ・フィル

1963年の本家メロディア録音。音はクリア。フリエールは1936年にウィーンで行われた国際コンクールに出場して優勝したピアニスト(2位はエミール・ギレリス)で技巧の切れ味が素晴らしい。カデンツァの不協和音を渾身の強打で鳴らしつつこれほど濁らず綺麗にきこえる演奏はない。モスクワ・フィルの音圧は往時のdeepなロシアで、フレクサトーンはメロディーの幻妖を余すところなく鳴らし、コンドラシンの楽想のグリップは誠に強靭である。これが作曲家の発想した音の代弁なのではないか。カッツ盤は例外的にこの楽曲のソフィスティスケーションに成功しているが、純音楽的アプローチを指向しフレクサトーンも割愛するなど民族色を後退させるアプローチは中途半端に終わるとまったく興覚めだ。この演奏は著名でないがレファレンス級である。

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ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 変ロ短調「バビ・ヤール」

2019 OCT 10 13:13:12 pm by 東 賢太郎

屋久島で助けた若いイスラエル人にもらったペンダントを自室の壁に掛けている。あれはもう5年前になるのか。羊に見えるが、ヘブライ語の “H” をかたどったユダヤのお守りだそうで、どうして H なのかは思い出せないが、「これはあなたを幸福にします」と真剣なまなざしでいった彼女の顔と言葉は忘れない。

キエフを占領したナチス・ドイツ親衛隊が、2日間で33,771人の女子供を問わないユダヤ人と、ウクライナ人・共産党員・ジプシー・ロマらを虐殺したのが、ウクライナ(キエフ)にあるバビ・ヤール峡谷であった。どういうきっかけだったか、だいぶ前にこの写真を見たときの衝撃は失せようがない。人間が犯したあらゆる罪でも最も悪魔に近い、鬼畜でも済まない、鬼だって畜生だってこんな卑劣、残酷なことはしない、呪って地獄に落とすべき所業だ。

1992年にドイツに赴任した。正直のところあまりうれしくなかった。フランクフルトの街のそこかしこでドイツ語を聞いた時に、まず心に浮かんだのは、これがモーツァルトのしゃべっていた言葉かということでもあったが、ナチスもそうかという暗澹たる気持ちのほうが多めだったのを思い出す。家を借りることに決めたケーニヒシュタインは、たまたまユダヤ人の街だった。ドイツ人には申し訳ないが、その文化、音楽は言うに及ばず哲学、思想、自然科学、法学において最も尊敬に値する国ではあるのだけれど、2年半住んで良い思い出をたくさんいただいたのだけれども、それでもどうしても「それ」だけは意識から消せないまま現在に至っていることを告白しなくてはならない。これだけドイツ音楽を愛し、それなしには人生成り立たないほどなのに、このアンビヴァレント(ambivalent)な相克は僕を内面で引き裂いている。

ナチスのホロコースト犠牲者は600万人とされるが、スターリン時代のソビエト共産党による国民、党員の粛清者は少なく見積もっても2000万人といわれる。ユートピアは死体の上に築かれるものらしい。その体制下に作曲家として生きたショスタコーヴィチがそのひとりにならなかったのは作品を見る限り奇跡としか思えないが、彼には音楽を書くと同等以上のインテリジェンスがあった。交響曲でいえば5番から本音を巧妙に封じ込める作法に転じ、時に大衆にもわかるほど明快に共産党への社会主義礼賛を装って、しかしアイロニーとシニシズムの煙幕の裏で鋭い批判と反逆の目を光らせる。表向きの迎合はスターリン死後の11,12番で犬にもわかる域まで振れ、その反動がいよいよまごうことなき “言葉” を伴った音楽で、本音の暴露と思われて仕方ない体裁で世に問われたのが第13番である。

13番は1962年、僕が小2の時の作品だ。まさにコンテンポラリーだが、最も舞台にかかることの少ないひとつだ。当然のこととして政府が監視、干渉し、Mov1の歌詞書き直しを命じ、初演を委嘱されたムラヴィンスキーが理由は定かではないが逃げ、コンドラシンが振った。劇場の聴衆は熱狂をもって支持した。海外初演はオーマンディーが振った(歌詞はオリジナルで)。フィラデルフィアの楽屋で「日本が大好き」と言ってくれた彼もユダヤ系米国人だ。まず彼の録音を聴いたが、よくわからなかった。僕はまだ若かった。今になって悟ったことだが、「バビ・ヤールに記念碑はない」と始まるこの曲は、世界の聴衆の脳裏にそれを建立して刻み付ける試みであり、エフゲニー・エフトゥシェンコの詩に託して語った作曲家自身の墓碑銘であると思う。

バス独唱とバス合唱は暗く重い。Mov1の曲想も沈鬱である。Mov2は一転、悪魔のブルレスケだ。Mov3「商店で」女たちは耐える、Mov4「恐怖」恐怖は死んでも偽善や虚偽がはびこる新たな恐怖がやってくる、Mov5「出世」私は出世しないのを、自分の出世とするのだ!音楽は旋律があり無調ではないが、鼻歌になるものでもない。4番でモダニズムに向かおうとしていたショスタコーヴィチがもし違う国で活躍できたなら13番目の交響曲はどうなったか、誰も知る由はないが、彼がどんなに不本意であったとしてもこれはあるべきひとつの帰結であり、彼の生きる意志と精神の戦いのドラマとして聴き手の心を痛烈に揺さぶる。Mov4まで、聴衆は尋常でない重みの暗黒と悲痛と諧謔と嘲笑を潜り抜け、Mov5に至って初めて運命の重力から解放される。Vn、Vaソロの天国の花園と鳥のさえずりがなんと救いに聞こえることか。チェレスタとベルが黄泉の国の扉を開け、全曲は静かに幕を閉じる。くどいほどの隠喩に満ちた怒りのメッセージと、田園交響曲から連綿と続く救済のメッセージの交差は現代の眼で見れば何ら新奇ではないが、彼ほどの人間がこんな手法に閉じ込めねばならなかった「なにものか」の重さは痛切だということが、それをもってわかる。ぜひ、上掲の写真をもういちど御覧いただければと思う。

昨日は初めてライブを聴いて、この交響曲は「理解」しようと思っても難しいのだと気づいた。エフトゥシェンコの詩は平明で、そこで起こっていたことを推察させるには充分だ。それをショスタコーヴィチが題材としてなぜ選び取ったかもである。「なにものか」を「時代の空気」と書くのはあまりに軽薄で情けないが、それを彼はこういう音楽に託したという意味での空気(アトモスフィア)ではあリ、彼の境遇ではそれを呼吸せずに生きることは能わなかった。アートは芸術家の心の奥底にある何らかの五感、感覚を通した衝動が生むものだとすれば、ここでの衝動は特異だ。しかし、それは、モーツァルトが危険を冒して書いた「フィガロの結婚」に比定できないでもなく、聴くものに「何かを読み取ってくれ!」という強いメッセージを包含しているように思う。ただ、ショスタコーヴィチのほうは、読み取るも何もあまりにあっけらかんとあからさまであって、彼ほどの頭脳を持った男にして何がそんなことをさせたのかの方を読み取りたくなってしまうという点で、13番は特異な音楽であると思う。

娑婆に戻ろう。きのうはCSファイナル初戦の巨人・阪神と迷った自分がいた。クラシック音楽と野球とどっちが大事なんだという問いに答えるのが僕ほど難儀だという人はほとんど存在しないのではないかというのが長年日本国に暮らして経験的に得た結論だ。犬好きと猫好きは違うが、両立することもある。しかし、こっちは、平明な水準ならともかく、そういう人は見たことがない。所詮は道楽の話だ、どうでもいいとも思うが、僕はそういうことを仔細に観察する手の人間であって、もはやリトマス試験紙になるかと思うほどに両者の人種までが違うと結論するしかないし、酸性でもアルカリ性でもある自分というものがわからなくなる。

これが5番や7番だったら確実に東京ドームに現れていたからけっこう微妙な裁定になるが、13番はなかなか機会がなく抗し難かった。まずハイドンを前菜にしたのは正解で、結果として、13番の重さを中和してくれたように思う。94番、何度聴いても良い曲だなあ、最近はますますハイドンに惹かれている。Mov1の提示部でVaに現れる、まさにハイドン様にひれ伏す瞬間である対旋律をテミルカーノフは2度とも指示して浮きだたせた。もうこれだけで先生わかってるね、さすがだねだ。

彼は13番初稿を作曲家の前で振っているが、コンテンポラリーをオリジナルな形で聴いておくのは大事だ。こうして何度も上演を重ねて、解釈は固まっていくから、千年の単位で物を見るなら我々はそのきわめて初期の過程をwitnessしたことになる。音楽が表すものが美ではなく、怒りである。音楽はそういうものをも伝えることができるという稀なる体験だった。

 

指揮=ユーリ・テミルカーノフ
バス=ピョートル・ミグノフ
男声合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=冨平恭平)

ハイドン:交響曲第94番 ト長調「驚愕」
ショスタコーヴィチ:交響曲第13番 変ロ短調「バビ・ヤール」

(サントリーホール)

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N響定期を聴く(ショスタコーヴィチ 交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」)

2017 SEP 18 13:13:52 pm by 東 賢太郎

パーヴォ・ヤルヴィ / N響のこれが土曜日の18時にあって、14時試合開始の広島カープが優勝しそうなものだからそのままTVにかじりつくか迷った。結局ショスタコーヴィチに操を尽くして出かけたら楽勝と思ったカープは最下位ヤクルトに逆転負けを喫していて、逆の選択をしていたら痛恨になるところだった。

7番レニングラードはベートーベンにおける7番の位置づけだと思う。彼はマーラーに習って番号を意識していて、死にたくないので9番は軽めに書いて15番まで生き延びた。ベートーベン7番はどうも苦手でライブで心から良いと思ったのはヨッフムとサヴァリッシュと山田一雄ぐらいだが、レニングラードも同様路線の音楽で生まれ故郷の市民を鼓舞しようと書いた。このブログに書いた部分は繰り返さない。

読響定期を聴く(モーツァルトとショスタコーヴィチ)

ショスタコーヴィチはスターリン政権に反抗したり忖度(ソンタク)したり面従腹背したりの複雑な人で、レニングラード市民戦では従軍志願までしているから親祖国(亡命しない)、反ナチ(もちろん)、反スターリン(言えない)の3つの座標軸上でいつも最適解を模索した(余儀なくされた)作曲家だった。プロとして目指す道は4番が示唆していて、しかしスコアが散逸してしまったことが象徴するほどその路線は約束されていないものだったのだ。気の毒でならない。

4番の発表を断念して書いた5番は1-3楽章が面従腹背、終楽章がソンタクという分裂症気味な作品になってしまったが、全曲のコンセプトごと見事にソンタクというまとまりのある作品が7番である。軍人の低脳ぶりを馬鹿にしまくった「戦争の主題」、それをナチに向けたと偽装してスターリンにも向けていたという解釈が出てきているがそれは不明だ。もしそうだったなら上出来だ、なんといってもスターリン賞1席を受賞してしまうのだから。彼は作曲中にその候補に挙がっていることを意識もしていた。

バルトークはプリミティブにわざと書いたその主題にいったんは驚きライバルでもあったから皮肉って自作に引用したが、だんだん高潮して弦合奏になるとルール違反の並行和音の伴奏が付いてくる。戦争にルールはないわけで、こういう含意がプリミティブな頭脳から出るはずがないこれは偽装だと確信しんだろう。息子ペーテルは同じ戦争の被害者として反ナチについて共感もあったと著書に記しているが反スターリンだったかもしれない。ショスタコーヴィチがメリー・ウィドウを引用した可能性は否定できないが、バルトークがそうしたとする説は誤りと彼は書いている。

この日のN響はヤルヴィが連れてきたミュンヘン・フィルのコンマス、ヘルシュコヴィチが非常にうまく、合奏でも彼の音が際立って聴こえたほどで(これはおかしなこと、他がそろってないか楽器なのか音量なのか)、とにかくもう格が違う。なぜヤルヴィがわざわざ呼んできたかわかる。それでも第1ヴァイオリン群としては普段よりもずっと良い音を奏でたのであって、弱音のユニゾンの美しさは絶品であった。ヤルヴィの意図は遂げられたと納得すると同時に、コンマスがいかに影響力が絶大かを確信した。

ということで聴かせどころは弦が多い、というより、弦が弱いとブラバンの曲のようになってしまう7番を存分に賞味させていただいた。

マーラーの墓碑銘

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43(読響・カスプシクの名演を聴く)

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マーラーの墓碑銘

2017 SEP 10 12:12:03 pm by 東 賢太郎

「私の墓を訪ねてくれる人なら私が何者だったか知っているし、そうでない人に知ってもらう必要はない」と語ったグスタフ・マーラーの墓石(右)には名前しか刻まれていない。作品が語っているし、わからない者は必要ないということだ。去る者追わずの姿勢でも「やがて私の時代が来る」と宣言した堂々たる自信は畏敬に値する。

冒頭の言葉の墓をブログに置き換えて死にたいものだと思う。昨今、一日にのべ 2,000人ものご訪問をいただくようになってきてしまい、普通はなにか気の利いたサービス精神でも働かせるのだろうが僕にエンターテイナーの才能はない。何者か知っている方々だけが楽しんでくださればそれ以上は不要だ。

マーラーがスコアに「足音をたてるな」と書いたぐらい、僕は部下への指示が細かくてしつこかったと思う。理由は信用してないからだから言わない。しないと何をすべきかわからない人にはなぜかを説明するが、そういう人は得てしてそうしてもわからない。より平易にと親切心で比喩を使うと、主題転換の方に気を取られてますますわからなくなる。よって面倒なので、自分でやることになる。

マーラーを聴くと、そこまで僕を信用しませんか?それって、そこまでするほど重要なことでしたっけとなる。そして部下も僕をそう嫌ってるんだろうなと自省の念すら押し付けられて辟易し、音楽会が楽しくもなんともなくなってしまうのだ。ボヘミアンを自称したコンプレックスを断ち切ってウィーンの楽長まで昇りつめたエネルギーの放射と自信はすさまじいが、灰汁(あく)を伴う。

ショスタコーヴィチはマーラーの灰汁を彼自身のシニシズムと混ぜ合わせてスターリン将軍様に見せる仮面に仕立ててしまった賢人である。革命後の1920年代より一貫して第一線に立ち続けることができた芸術家は彼以外にほとんどいない。招かれざる個性だったがその陰に隠れた怒りのくどさも格段で、仮面がだんだん主題にすらなる。交響曲第13番は「バビヤールには墓碑銘がない」と始まるが、「私の交響曲は墓碑銘である」と語ったショスタコーヴィチの墓には「DSCH音型」(自分の名の音名)の墓碑銘がある。

僕は自分の音楽史の起源にある下のブログを書いていて、ネルソン・リドルのスコアに偶然かどうかDSCH音型があるのに気づいた(hが半音低いが)。

アンタッチャブルのテーマ(1959)The Untouchables Theme 1959

こういう、人生になんら影響のないことに気が行って、気になって眠れなくなるのをこだわり性格という。こだわりには人それぞれの勘所があって万事にこだわる人はまずない。芸術家はすべからくそれであって、そうでない人の作品にこだわりの人を吸引する力などあるはずがない。

例えば僕は猫好きだが子猫はつまらないし毛長の洋ものは犬ほど嫌いだから猫好きクラブなど論外である。生来の鉄道好きだが、勘所は線路と車輪のみでそれ以外なんら関心がないから今流の鉄オタとは遠い。原鉄道模型博物館に感動してこのブログを書いたのはわけがある。

原鉄道模型博物館(Splendid Hara Railway Museum in Yokohama)

車輪のフランジへのこだわりは書いた通りだが、書いてないのは「音」だ。線路と車輪は普通は安価で錆びず持ちがいいステンレスで済ますが継ぎ目を車輪が通過するカタンカタンの音が軽い。原信太郎氏は原音にこだわって鉄を使っているのである。そんなことは普通の客は気にしないし気づきもしないだろうが、僕のような客は気にするのだ。

バルトークの息子ペーテルが書いた「父・バルトーク」(右)に「なぜレールの継ぎ目で音がするの?」とカタンカタンのわけを質問したくだりがあって、父は線路と車輪を横から見た絵を描いて(これが実に精密だ!)、音の鳴る原理を克明に息子に説明しているのである。原信太郎氏はこれを見たかどうか、もし見たなら同胞の絆と膝を打ったに違いない。僕はバルトーク氏も原氏も直接存じ上げないが、心の奥底のこだわりの共振によってそれを確信できる。上掲ブログはあえてそう書かなかったが、それが2014年、3年半前の僕だ。いま書くとしたらぜんぜん違うものができていただろう。

原氏のこだわりの類のものを見ると、大方の日本人はこれぞ匠の技だ、我が国のモノづくりの原点だとなりがちだ。そうは思わない。ヨーロッパに11年半住んでいて、精巧な建築物、構造物、彫刻、絵画、天文時計などジャンルに数限りないこだわりの物凄さをたくさん見たからだ。クラシックと呼ばれる音楽もその最たるもののひとつだ。僕は洋物好きではない、精巧好きであって、それは地球上で実にヨーロッパに遍在しているにすぎないのである。

さて、マーラーの墓から始まって僕のブログはレールの継ぎ目の話にまで飛んでしまう。計画はなく、書きながらその時の思いつきを打ち込んでいるだけだ。アンタッチャブルは出るわ猫は出るわで常人の作文とも思われないが、こういう部分、つまり主題の脈絡なさ唐突さ、遠くに旅立つ転調のようなものがマーラーにはある。そして僕は、それが嫌だからショスタコーヴィチは好きでもマーラーは嫌いなのである。

 

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43(読響・カスプシクの名演を聴く)

マーラー 交響曲第8番 変ホ長調

 

 

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ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43(読響・カスプシクの名演を聴く)

2017 SEP 8 1:01:27 am by 東 賢太郎

2017年9月 6日(水) 19:00 東京芸術劇場
指揮=ヤツェク・カスプシク
ヴァイオリン=ギドン・クレーメル

ヴァインベルク:ヴァイオリン協奏曲 ト短調 作品67 (日本初演)
ショスタコーヴィチ:交響曲 第4番 ハ短調 作品43

 

紀尾井町のオフィスで火急の案件が電話で飛びこんできて、没頭していたら19:00の開演に間に合いそうもないことに気がついた。焦ってタクシーに飛び乗って電話の続きだ。「10分前あたりに着きそうです」なんて言われてやれやれと思ったら間抜けなことに「サントリーホール」と運転手さんに指示しており、完全にそう思い込んでいたのを降りてから気がついた。まいったぞ、またタクシーで池袋へ急行だ。しかしよかった、4番は間に合った。

4番は134人の大編成の難曲でなかなか聴けない。家の装置で大音量で再生してもピンとこない箇所が数々あり、そこがどう鳴るべきかずっと気になっていた意中の音楽である。東京芸術劇場のアコースティックはこの大管弦楽には好適で、前から6列目だったがほぼマストーンと分厚い管楽器の混濁がなく、第1楽章の弦のプレストによるフガートの明晰さも圧倒的だった。総じて、非常に素晴らしい演奏で指揮のカスプシク、読響に心から敬意を表したい。

4番をショスタコーヴィチは1番と考えていたふしがある(1-3は習作だと)。マーラー1番の引用が各所にあるのはそのためだろうか。第1楽章のカッコーはすぐわかるが第3楽章冒頭は巨人・第3楽章であり、コントラバスが執拗に繰り返すドシドソラシドは巨人・第2楽章でありどきっとする。木管の原色的な裸の音や金管・打楽器のソリステッィックな剥き出しの用法など全曲にわたって管弦楽法は大いにマーラー的だ。

1936年1月から2月にかけてオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が「プラウダ批判」にあいショスタコーヴィチは4番の初演を見合わせた。プラウダ批判とはソ連共産党 中央委員会機関紙『プラウダ』による、プレスの体裁を纏った「将軍様」スターリンの検閲機関である。いまの北朝鮮を想像すればいい。ということはこの曲には将軍様のご機嫌を損ねて自身や家族の命を危うくする何物かがこめられていたはずだ。その何物かは隠喩であって賢明な聴衆には伝わるが愚鈍な政府はわからないと思慮したのが、情勢が変化して意外にそうではないという危惧が作曲家の心に警鐘を鳴らし始めたと考えるのが筋だろう。

ではそれは何か?私見だが、巨人は自己の作曲の第1幕の、そして第3楽章の終結はスターリン圧政による「死」の暗示ではないだろうか。虐殺の死臭漂う中での皮肉な門出。運命への怒り、哄笑とシニカルな抗議。プラウダ批判の後、政府関係者が懺悔して罪を償えとしつこく説得したが拒絶した結末がこのスコアになっていると僕は思う。引用されるカルメンの闘牛士も魔笛のパパゲーノも、お考えいただきたい、女の死であり道化の首つり自殺の暗示なのではないか。将軍様を「死神の道化」にしたものだ。彼は忖度して作品を曲げることはしなかったが、そのかわり、演奏を撤回した。芸術家としての矜持を僕は称賛したい。それはあたかもフィガロの結婚を書いたモーツァルトに重なるものとして。

何よりの死の暗示は第3楽章の終結、全曲のコーダとなるチェレスタの部分である。カスプシクの含蓄ある指揮によって、僕はここのコントラバスとティンパニの心臓が脈動するような音型がチャイコフスキーの悲愴交響曲の終楽章コーダから来ていることを確信した。その直前、金管のファンファーレが強烈な打楽器の炸裂で飛散する部分で死を象徴する楽器であるタムタム(銅鑼)の一撃があることも悲愴と同じである。それはチャイコフスキーの死を飾る音楽であった。自身のデビュー交響曲を死で飾る境遇を彼は音楽の常識ある人だけにわかる隠喩でこう表現したのではないか。

そして、さらに4番の終結部ではマーラー9番の悲痛なヴァイオリンの高域による終結が模倣される。マーラーは悲愴の低音域による死を高音に置換しているが、ショスタコーヴィチはここで両者を複合してメッセージをより強固とし、より天国的で透明だが死体のように冷たくもあるチェレスタによる昇天で自己を開放している。この終結を導く主調のハ短調に交差するシ・ラ・ド(バスクラ)、ソ・ド・ファ#(トランペット)の陰にレがひっそりと響き、悲愴の「ロ短調」が半音下の複調で亡霊のように浮かび上がるのを聴くと僕はいつもぞっとする。トランペットはツァラトゥストラを模しており、そのハ長調対ロ長調の隠喩である凝りようはおそるべしだ。最後のチェレスタの、雲の上に浮上する、ハ短調とは不協和なラ、レが魂の天界への望まざる飛翔のように感じられる。

どこといって悲しい短調の旋律やストーリーがあるわけでもないのに、演奏が終わると心は何処からかやってきた重たい悲嘆に満ちていて、涙がこぼれ、僕は拍手は控えてただただこうべをたれて合掌していた。何という素晴らしい音楽だろう。4番はショスタコーヴィチの最高傑作である。1-3番を習作と見れば、仮面をつけていない彼の唯一の交響曲でもある。僕が5番は聴くが、第3楽章までしか聴かない理由を分かってくださる方はおられるだろうか?終楽章はモランボン楽団の行進曲なのである。スターリンは死んだが、彼はもう4番の世界に戻ることはできなかった。そして、最後と悟った15番に、4番の精神を受け継いだあの不可思議な終結を持つ引用に満ちた謎の交響曲を書いたのである。

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調 作品47

ショスタコーヴィチ 交響曲第11番ト短調「1905年」作品103

この曲の真実を抉り出した演奏はこれをおいてない。ショスタコーヴィチは親友だった(と思っていた)ムラヴィンスキーに初演を依頼したが断られる。理由は不明だが危険を察して逃げたとしたら親友は策士でもあったのだろう。コンドラシンが初演を引き受けたことに隠された思想的共鳴があったかどうかも不明であるが、後に西側に出たことからもその可能性があると思料する。初演したモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の楽想の咀嚼と共感は深く、未聴のかたはまずこれで全曲を覚えることをおすすめする。

 

「知られざるロシア・アバンギャルドの遺産」100年前を振り返る

バーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」再論

 

 

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読響定期 エマニュエル・パユとカラビッツを聴く

2016 MAY 25 1:01:22 am by 東 賢太郎

指揮=キリル・カラビッツ
フルート=エマニュエル・パユ

プロコフィエフ:交響的絵画「夢」作品6
ハチャトゥリアン:フルート協奏曲
プロコフィエフ:交響曲第5番 変ロ長調 作品100

(サントリーホール)

ウクライナの新鋭指揮者カラビッツは今年40才、ボーンマス響の首席である。父はイワン・カラビッツ(作曲家)。「ショスタコーヴィチの交響曲第11番のおかげで私はオーケストラを愛するようになりました」と述べ「この交響曲こそが私を指揮者にしてくれた」とも言っている。「11,2才のころ第2楽章のフガートの部分を何千回も聴いていた」(しかも僕がイチオシのコンドラシンのLPで)とも。

そういう人がいたのか!とてもうれしい。11番が好きなことでは人後に落ちない僕として非常に興味ある人だ。   ショスタコーヴィチ 交響曲第11番ト短調「1905年」作品103

プロコフィエフを得意としているらしく、作品6は初めて聴いたが面白い。ハチャトゥリアン、これはヴァイオリンとは別な曲だ(オケパートは一緒だが)。パユの技量には圧倒された。音の大きさ、中音の滑らかさ、高音の空気を切り裂く鋭さ、リズム感、キレ、どれをとっても。しかし彼はフルーティストである前に音楽家だ。楽器がそれというだけ。アンコールの武満もよかった。

5番。文句なし。すばらしい。ソヒエフ(N響)もほめたが、あれはバランス型、類まれな運動神経型の好演だった。今日は音楽に奔流のうねりが見え、オケのドライブが見事。プロコフィエフの音楽は重い部分でも「湿度」が上がらずあっさり流れてしまう演奏が多いが、カラビッツのffは起伏があって重量感があり、速い部分は軽くなる。湿度がある。これはできそうでできない、才能だ。ショスタコ11番とCDのプロコフィエフ交響曲全集はぜひ聴きたい。

 

N響 トゥガン・ソヒエフを聴く(1月21日追記あり)

 

 

 

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ショスタコーヴィチ「タヒチ・トロット(二人でお茶を)」作品16

2015 MAR 3 1:01:01 am by 東 賢太郎

「タヒチ・トロット」(Tea for Two、二人でお茶を)は懐かしい。この原曲はブロードウェイ・ミュージカルの作曲家ヴィンセント・ユーマンスがNo, No, Nanette(ノウ、ノウ、ナネット)という作品の挿入歌として作って大ヒットした。

このコメディーの筋はなかなか面白い。金持ちの娘ナネットはブロードウェイの舞台に立ちたい。そこに2万5千ドル出せば恋人のトニーが曲を書いてキミを主演女優にするよという話が来る。そこでナネットは遺産管財人の弁護士に2万5千ドルを出すようかけ合うが、遺産は伯父さんが1929年の大恐慌ですってしまっていて実はもうない。弁護士はそこで「48時間キミがYesを言わなかったら出そう」という賭けにでる。何をきかれても No, No といい続けたナネットはそれで誤解を招いて大騒動になりトニーを取るか芝居を取るかになってあきらめ、めでたしめでたしというあらすじだ。

しかし作曲されたのは1925年だから大恐慌のくだりはあとづけなんだろう。Tea for Twoは曲が先にできていて、それにとりあえず作詞家が歌詞を即興でつけて、後で直そうと言っていたら結局そのままになってしまったそうだし、上演しながら作っていくというスタイルだった。ちなみに19世紀ヴィクトリア朝の英国で紳士が淑女を午後のお茶に誘い”Tea for two“と注文 するのがプロポーズするサインだったそうで、和訳の「二人でお茶を」はちょっと変だ。「紅茶ふたつ!」だ。

「48時間、Noを言い続ける」というのをぱくったのだろうか、ショスタコーヴィチの交響曲第1番を初演した指揮者のニコライ・マルコが自宅で彼にこれを聞かせ、「キミが1時間以内に記憶だけでこの曲を編曲することはできない(つまりNo)に100ルーブル賭けよう」と勝負を挑んだ。そうしたら22才のショスタコーヴィチはそれを45分(40分説もあり)で管弦楽スコアにしてしまい、賭けに勝ったとされる(作り話という説もあるが)。1927年のことだ。

これをどこで覚えたのか、僕は記憶がないが、ショスタコーヴィチのを聴く前に知っていたことは間違いない。ジャズ、ポップシンガーなど数えきれないほどの人がフィーチャーしているから確証はないが、このドリス・デイの歌がそうだったかな?という感じだ。

変ニ長調が長3度上のヘ長調に転調するのも斬新だが、いきなりサブドミナントで入るのがとてもおしゃれだ。こういうのはおかたいドイツ音楽じゃない、フランスのシャンソンの家系という感じで大好きだ。

ショスタコーヴィチがこれをちょいちょいと編曲したのがこれだ。こっちは変イ長調だ。気に入ったのか「タヒチ・トロット」という別名にして堂々と作品番号までつけている。今だったらコンプライアンス問題になってるな、大らかな時代だったんだ。

(こちらへどうぞ)

ボロディン 交響曲第2番ロ短調

ハイドン 交響曲第92番ト長調「オックスフォード」

ラザレフのショスタコーヴィチ交響曲第11番を聴く

 

 

 

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ショスタコーヴィチ 交響曲第11番ト短調「1905年」作品103

2015 FEB 17 1:01:23 am by 東 賢太郎

250px-Dmitri1ヒットラーにしてもスターリンにしても国威発揚に音楽を使った。ムッソリーニにそういう話はないのはオペラでは戦闘モードが萎えてしまうからか。その点、ドイツ、ロシアの音楽はその適性があったのだろう。

スターリンはショスタコーヴィチ(1906-75)にベートーベンのような交響曲第9番を期待していた。1945年、おりしも第2次大戦は有利な戦局であり、その「第9」は5月の戦争終結記念式典に演奏されるかのタイミングで作曲が進み政府の期待も盛り上がった。しかしなぜか完成は遅れて8月となり、さらに困ったことに、壮大な交響曲ではなく軽妙洒脱な軽いタッチの曲だったのである。

肩すかしを食らい、自身を揶揄されたと解したスターリンは激怒し、ジダーノフ批判(中央委員会による前衛芸術の検閲統制)によってショスタコーヴィチは窮地に追いやられたとどこにも書いてある。窮地?そんな甘いものじゃない。ボスの怒りがバックにあるのだからジダーノフは何の言いがかりをつけてでも簡単に彼を殺すことができたということである。

僕がショスタコーヴィチの音楽の論評にいつも違和感を覚えるのはこの殺される恐怖にフォーカスの甘いものばかりだからだ。音楽をやったり愛したり研究したりする人々が権力闘争に疎いのかどうか僕は知らないが、会社の昇進、ポスト争い程度の話であれ大組織の中は血みどろの戦いなのである。他人に生殺与奪権を握られると怖い。まして生命の危険となれば、ソクラテスのような人間でもない限り泰然とできるほうがよほど不思議である。ピアノばかり弾いて育った彼がそんな生き地獄に耐性を持ち合わせていたとはとても思い難い。

フルシチョフのスターリン批判にこういう記述がある。

「1934年の第17回党大会で選出された中央委員・同候補139名のうち98名が処刑された。党大会の代議員全体1,966名のうち1,108名が同様の運命をたどった。彼らに科せられた反革命の罪状は、その大半が濡れ衣であった」

スターリンに「NO」を言うことは、すなわち「死」を意味したのである。34年にこれを目の当たりにした彼が翌年書いたのが問題作となった交響曲第4番であり、その初演は差し止めとなって2年後の37年に書かれたのがあの第5番なのである。濡れ衣であろうが何であろうが血の雨は簡単に降ったという彼の恐怖と正面から向き合わずに5番をどうのこうのと論評しても仕方ない。

「知られざるロシア・アバンギャルドの遺産」100年前を振り返る

ここに書いた先輩世代の非業の画家たちに比べ、同世代のムラヴィンスキー(1903-88)や息子世代のロストロポーヴィチ(1927-2007)らは世渡りをうまくやってポスト・スターリン世代の英雄になった。しかし彼ら演奏家は他人の作品を音にして聴く者を喜ばすエンターテイナーである。自分を喜ばそうとする者を普通は処刑などしない。しかしその作品のほう、つまり真実のステートメントを発しないと芸術家として生きていけない、畢竟、自分自身をさらけ出す運命にある画家や作曲家の「恐怖」は度合いが違ったと考える方が自然な視点と思う。

そのふたりだけでなく多くの演奏家たちが後世になって「ショスタコーヴィチの真実」を語ったり弁護したり主張したりしている。彼らの演奏がスタンダードとされ、その言葉が現代の論評のテキストの一角をになっている。しかし命をかけて自画像を公表している本人からすれば、安全な所にいた人たちがエールを送ってくれたところでスタンドの応援団みたいなものだったろう。外野席か内野席かの違いぐらいはあったかもしれないが、グラウンドで戦っている人にとっては同じことだ。同時代人のムラヴィンスキーは問題含みの4、9、13、14番だけは巧みに逃げて振らなかった。非難するのではない、彼だって殺されないために必死だったということだ。

だからそれから8年間もショスタコーヴィチは交響曲を書かなかった。そして1953年、ついにスターリンが死んだ。その年に満を持して発表した交響曲第10番はそれなりの大交響曲となり自信作でもあった。ところがこれまた賛否両論を巻き起こしてしまうのである。作曲中に宿敵は死んだ。自身の名を暗号化した「DSCH音形」が前半は現れず後半になって頻出する。それが隠蔽された彼なりの喜びであったかどうかはともかく、それがばれてそう解釈されてしまったかもしれない。ポスト・スターリン政権はそれを口実に自分を殺すかもしれない。

暗号化。これはシューマンが愛妻の名を織り込んだのとやっている行為は同じだが、そんなメルヘン世界とはほど遠い。メルヘンに見えるものがあったとすれば推理小説作家が犯人を見抜かれないようにちりばめるひっかけ(ミスディレクション)の類だと解釈してそう人が悪いと思われる道理もないだろう。なにせ本音を見抜かれたら待っているのは「粛清」なのである

しかし必ず後世が本音を発見してくれる。その時は自分も安全な所、つまりお墓のなかだ。ヴォルコフの証言にある「交響曲は私の墓碑銘である」という彼の言葉なるものは交響曲はダイイング・メッセージだよということであって、ヴォルコフの嘘であったとしてもそれなりに迫真性を感ずるものだ。

彼がその10番騒動の4年後に書いた第11番ト短調「1905年」作品103はソビエト連邦の最高栄誉である「レーニン賞」を与えられているのは注目されるべき事実である。その4年後にやはりロシア革命を題材として作曲された第12番はなんと「レーニン交響曲」とタイトルを付す計画であった。これは56年になされたニキータ・フルシチョフによる前掲のスターリン批判に呼応したものであることは疑いないだろう。そこで西欧は体制プロパガンダに堕落したとして作曲家の評価を下げてしまうのである。

第11番はロシアの共産主義運動の発端をなし、1917年のロシア革命のルーツともなった1905年の血の日曜日事件を描いた曲である。首都サンクトペテルブルグで行われた労働者によるロマノフ朝皇宮への平和的な請願行進に対して政府軍が発砲、数千人といわれる死傷者を出した惨事である。

余談だがこの事件は1月9日で、同年9月5日にロシアは日本との戦争に負ける。そして1917年のロシア革命でロマノフ朝は崩壊、第1次大戦に参戦はしたがドイツにこっぴどくやられる。それはそうだ、このとおり本丸がそれどころではなかったのだ。これはやはり日本に負けた清国が1911年に辛亥革命で崩壊したのとほぼ軌を一にする。日本は2つの共産主義大国を生む誘因となったといえる。

さらに余談になるが、先週ベラルーシでウクライナ停戦調停に出てきたロシア、ドイツ、フランスこそ、日清戦争の戦後処理で遼東半島の日本への割譲にいちゃもんをつけてきた(三国干渉)連中なのである。我々にはウクライナは遠いが、彼らにとって極東は近いのだ。我々はロシア史をもっと知る必要があるだろう。

交響曲第11番に戻る。この曲は無抵抗のまま殺された労働者への鎮魂とも、革命讃美の政権プロパガンダともいわれる。正反対の解釈であり両立はしない。ショスタコーヴィチの政治的立ち位置は当然ながら隠蔽されているのでどっちかという判断は誰もできない。

この曲のアトモスフェアを喚起する力は非常に大きい。第1楽章がハープと弦でそっと始まった刹那、冬のペテルブルク王宮前が忽然と眼前に現れる。こんなめざましい効果のある開始はなかなか思い当たらない。マーラーの1番の高いa音がピンと張った空気を漂わせるのが近いがあちらは清澄な森だ。こちらは血の匂いがする。

バルトークのピアノ協奏曲第2番第2楽章を思わせる静寂な神秘感があたりを覆うが、それは無慈悲で非人間的なもののメルクマールとして背景を支配しており、そこに低音のフルート重奏による聖歌のような虚ろな長調の旋律がぽっかり浮き出る。ふと人間的なものに出会った効果は絶大だが、深い悲しみをたたえているのが心に刺さる。

ミュートしたトランペット・ソロが遠くから響く。これは軍楽隊の合図のトランペットを即座に想起するが、吹いているメロディーは高音で半音階で徘徊する。これに僕はいつもチャイコフスキー4番の第1楽章で第1主題の現れる直前の所を思い出す。やがてやって来る凄惨な運命を暗示しているのも4番と似る。

第2楽章には1951年作曲の自作、無伴奏混声合唱曲「革命詩人による10の詩」作品88の第6曲「1月9日」が使われる。これだ。

この女声にまたカール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」(1936年)の一節が聞こえてしまう。とんでもない、あれは「生」の、はたまた「性」の音楽だろう?でも聞こえるのだ。もっといえば第3楽章の最後に連打される最後の審判のようなトランペットとティンパニ、あれはホルストの惑星の「火星」(1916年)そのものだ。どちらもこの11番(1957年)よりはずっと前の曲だ。

この曲の第2楽章ほど群衆を銃撃で殺戮するシーンをリアルに描いた音楽はないだろう。銃撃が止んで急にあたりを支配する静寂はまことに残虐であり、映画音楽にすれば客を圧倒するリアリティに満ちている。セミョン・ビシュコフがBPOを振った素晴らしい演奏でこの楽章(15分23秒~)の銃撃部分をお聴きいただきたい。

あまりに生々しくて放送禁止になるかというレベルであり、撃っている方が「官軍」かというとロマノフ朝の軍なのだから微妙である。軍を含む政治体制をボルシェビキが乗っ取ったと見れば官軍ではある。レーニン賞が出ているのだから政権はそう解釈したに違いない。しかしこの残忍な楽章をはさみこんでいる静謐な第1,3楽章は、革命歌の引用というミスディレクションの迷彩の中で深い祈りの響きをたたえている。

私見では第4楽章は存在そのものが迷彩であり、この交響曲は第4番で犯したミスの補修であった第5番のレプリースであろう。

ロシア革命を賛美する。それはレーニンの肯定であり、レーニンが切ろうとして果たせなかったスターリンの否定であり、尊い革命への契機を提供した労働者たちへの鎮魂にもなるのである。そして何より、それが彼の身の安全を永年保証する護符になったことは言うまでもない。

ところがまだ裏がある。第4楽章の冒頭主題は革命歌「圧政者らよ、激怒せよ」である。交響曲の主題でこれほど無教養で野蛮であり、よって共産党独裁政権のテーマソングとして好適なものは類例がない。あえて同格をひとつあげよといわれれば5番終楽章の主題ということに相成ろう。それを意図して使っているショスタコーヴィチの計略を感じる。政府を嘲弄し、「体制翼賛になりすます偽計」の裏に入れ子構造の偽計を凝らしている。この手口は5番と同じだ。

では果たして、真実が体制翼賛でないなら「無抵抗のまま殺された労働者への鎮魂」なのだろうか。僕はどうもそんな単純なものではないような気がしてならない。

この曲に一貫して感じる作曲家の視線は「血の日曜日事件」を過ぎ去った歴史として眺めるものだ。血のにおいの残る広場に立って慟哭するという姿とは遠い。これを映画音楽と見下す人がいるが、それは言い過ぎだが大きく的外れではない。あえていうなら「ローマ三部作」でのレスピーギの視線が近いだろう。

第4楽章はひとしきりの銃撃と大暴れが続くと、粗暴なドラの一発で静かになりイングリッシュホルンが切々と慕情を歌う。この楽章のチープな戦場劇画風の雰囲気は三部作のうちで最も品格を欠く「ローマの祭り」そのものだ。彼は半世紀前の虐殺事件をコロッセウムでライオンと死闘した剣闘士を見るような目で眺めている。

この11番と、同じく表面は体制翼賛にきこえる12番は、10番騒動の始末と同時に本当に書きたかった13番「バビヤール」へつなぐための2本立ての間奏曲でもあった。13番は今話題のウクライナにいたユダヤ人をナチスが虐殺した事件を主題にし、ソ連にもある反ユダヤ主義を浮き彫りにする問題作である。12番の翌年に書かれたが、彼が2年連続で交響曲を発表したことはこれを除いて一度もない。そして案の定、13番は初演にかけてまたまた大問題を発生させるのである。

ちなみにやはり切れ者であったバルトークが管弦楽のための協奏曲で7番の第1楽章主題をパロディーにしている。対抗心とされ僕もそう信じていたが、米国に亡命して自由の身にはなったがアメリカンに囲まれ決して幸せではなかったバルトークは、7番の愚鈍な主題をあそこに挿入したショスタコーヴィチに何らかの共感もあったかもしれないと最近は思うようになっている。交響曲第13番第2楽章にはバルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」第3楽章の旋律が引用返しされている。

ではそういう窮地にいなければ彼は何を書いたんだろう?

思い出すのは佐村河内のゴーストライター 新垣隆氏の言葉だ。調性音楽なんて書いたら業界から締め出されてもう生きていけません、だから実をいうと楽しんで書きましたと彼は言った。ショスタコーヴィチは「体制翼賛派である自分」という別人のゴーストライターとして、自分の墓碑銘である交響曲を最後はそれなりに楽しんで書いたのではないだろうか?死ぬまで嘘をばれずにつけば、あなたはそういう人として埋葬されるのだ。

ああいうことでもなければ書かなかった調性のある交響曲を作曲した新垣隆氏。同じくそういうことでもなければ書かれなかったショスタコーヴィチの5番や11番。彼が最後に書いた15番などは他人の作品の引用とパロディーだらけで、いまもってどういう曲なのかつかみかねる。その謎の仮面こそ彼が終生仕方なくつきとおした嘘の象徴ではないか。墓碑銘としてこんなに格好のものはないだろう?彼にそう問いかけられているような気がする。

録音については僕は10種類ぐらいしか知らない。この作曲家に関しては楽譜までひもといて探究してみようという微細な関心はあまりおきないからだ。そう思ってネットを見たら大勢のショスタコファンのかたが多くの演奏を語り、熱いメッセージを書き込んでおられる。日本のクラシックの聴き手は懐が深い。僕はコンドラシン、ハイティンク、バルシャイを好んでいるが色々な意見と聴き方がある。ぜひそちらをご覧いただきたい。

 

キリル・コンドラシン/ モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

すべてを見抜いているような深みのある第1,3楽章、震撼するほど鮮烈な虐殺シーンを描ききる第2楽章、一度聴いたら忘れない演奏でコンドラシン(1914-81)は墓碑銘を読み取っていたのだろうと思う。「プラウダ」批判で発表できなかった交響曲第4番を25年後に、そして2大問題作のもうひとつ13番を62年に初演し(ムラヴィンスキーは逃げた)、結局西側に亡命したがその3年後にアムステルダムで客死した。すぐにKGBに暗殺されたのではないかと噂がたった。そんな曲を書いた方が殺されなかったのが不思議である。

 

(こちらへどうぞ)

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43(読響・カスプシクの名演を聴く)

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調 作品47

 

 

 

 

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N響 パーヴォ・ヤルヴィを聴く

2015 FEB 15 1:01:27 am by 東 賢太郎

9月からN響主席になるパーヴォ・ヤルヴィの指揮でシベリウスVn協(庄司紗矢香)とシショスタコーヴィチ交響曲第5番であった。

庄司紗矢香は僕自身こんなにほめていて( 庄司紗矢香のヴァイオリン)、ライブで聞くのは初めてで期待があった。一方シベリウスは僕にとってこういう曲であって( シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47)、さてどうなるかというところだった。そこに書いた通り「女性がG線のヴィヴラート豊かにぐいぐい迫ってくるみたいなタイプの演奏はまったく苦手」であるのだが、意外にもそうでないのはほっとした。

結論を言うとちょっと残念。そこに書いた欠点の方は健在であったが美質の方が消えている。あのブラームスを弾いていた彼女にしてはぜんぜん音楽に入れておらずどこかかみ合わない。ヤルヴィの指揮はオケのパースペクティブが明確で風通しが良いのが長所だが、この曲では木管が裸で聴こえたり急な起伏が分裂症気味に聞こえ、第1楽章はただでさえ分裂気味なスコアがそのまま鳴っている感じで庄司の音楽性とマッチしてない。それが原因だったのだろうか。

第2楽章はまだ若いのだろう、あのワーグナー和音の前のモノローグは何なのか彼女は知らないかもしれない。これは良い演奏を聴きすぎている。美点を書いておくとG線までエッジのはっきりした大きな音で鳴っており、ツボにさえハマれば聴衆を圧倒する力のあるヴァイオリニストということはわかった。

ショスタコーヴィチは良かった。僕は5番とはこういうスタンスで付きあってきた(  ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調 作品47)。解説を読むとベンディツキーという人による作曲家が熱愛したエレーナにまつわる「愛と死」のテーマ、カルメンからの引用について触れられている。注意して耳を傾けたがどこがハバネラなのか全く不明であった。15番の例もあるからそうなのかもしれないが僕はこの曲に女の影など聞かない。あるのは重く湿って不気味にリズミックな軍靴の響きへの絶望的な恐怖だ。

プラウダ批判の恐怖がなければ彼は4番を発表してこのような平明な調性音楽を書くことはなかっただろう。その恐怖の対象がいかに凶暴で理性を逸脱した野獣のものだったか、それは平民はおろかロマノフ王家全員惨殺のむごたらしさを見ればわかる。この5番に隠された自我の屈折はそれに目をつぶってはわからないと思う。

今日の第3楽章は最高のもののひとつ。(第1楽章も好演だったがコーダの最も大事なppのところで大きな咳やセロファンのシャラシャラが入ってしまった)。第2楽章のチェロの激しいアタックはマーラー演奏の影響を感じる。終楽章はスネアドラムが軍靴の響きを告げて冒頭主題が回帰してからあんまりテンポが変わらない。これは非常に納得である。

コーダはムラヴィンスキーに似るがやや速く、彼が微妙に減速するところもそのまま行く。大太鼓が入ってからはほとんどの人が減速するがそれもしないのはスヴェトラーノフに近い。このやり方は葬列を思わせるが戦車の行軍でもあり、作曲家の意図だったかどうかはともかく重量級のインパクトがある。バーンスタインやショルティのように快速で入って2回も大減速をする安芝居は勘弁してほしい。

N響をこういう風に鳴らす指揮者は少ない。だいたいが功成り名を遂げたおじいちゃんを呼んでくるわけで、あと何年生きてますかという老人の棒に憧れの欧州への畏敬をこめてついていけば首にならないという公務員みたいなオケだ。一人の音楽監督が強大な人事権でばっさりということがない。あらゆる業界、そんなので世界一流になれるほど世界は甘くない。悪く言えば名曲アルバムのオケみたいになりかねない。ヤルヴィは全権を渡してリードさせればいい仕事をしそうな面構えだ。

ところでN響はコンマスも替わるらしい。誰であってもいいが客としてはただひとつ、ヴァイオリンセクションがいい音を出せる人にしていただきたい。なお今春から読響定期も聴いてみることにした。

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「知られざるロシア・アバンギャルドの遺産」100年前を振り返る

2015 JAN 31 2:02:02 am by 東 賢太郎

「スターリン弾圧を生き延びた名画」という副題の番組。革命後のロシアで行われた暴挙は人間の残虐さと無知蒙昧をさらけだしたが、テロリズムのニュースのさなか、100年たった今も人は変わっていないことに暗澹たる思いがある。

イオセブ・ジュガシヴィリ(通称ヨシフ・スターリン)の所業は今のロシア人はどう評価しているのか。ウラジーミル・ウリヤノフ(通称ウラジーミル・レーニン)なる物理学者の子がひいたレールの上をグルジアの靴職人の子スターリンが爆走した。シベリアに抑留され銀行強盗と殺戮を重ね、ロシア革命という天下取りのプロセスはどこか三国志の曹操を思わせる。

しかし100年前はまがりなりにも政権の正統性に神でも民衆でもなくイデオロギーが関与する余地があったことは注目に値する。神と暴力とメディアによる大衆扇動よりはずっと知性の裏付けがある。しかし知性も殺戮の道具になれば同じことだ。チャーチルは「ロシア人にとって最大の不幸はレーニンが生まれたことだった。そして二番目の不幸は彼が死んだことだった」といった。

Uz_Tansykbayev_CrimsonAutumn
面白かった。中央アジア・ウズベキスタンのオアシスの町ヌクスの美術館にあるイーゴリー・サヴィツキー(1915~1984)が集めた数千点のロシア・アバンギャルドの絵画の話である。スターリンによる芸術へのテロリズム。僕は音楽の側面しか見ておらず絵は無知だが、暴挙で消されかけサヴィツキーの情熱によってヌクスで命脈を保った1910-30年頃の絵のパワーは素人目にも圧倒的だ。

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このクルジンの「資本家」のインパクトは今も強烈だ。資本主義に生きる自分を描かれたような気がする。クルジンはクレムリンを爆破しろと酔って叫んだかどで逮捕され、シベリアの強制収容所送りとなった。

 

 

 

 

ルイセンコの「雄牛」。凄い絵だ。痛烈な体制批判のメタファーと考えられている。一目見たら一生忘れない、ムンクの「叫び」(1893年)のパンチ力である。この画家の生涯についてはつまびらかになっていないというのが時代の暴虐だ。

 

 

 

ストラヴィンスキー、シャガール、カンディンスキーら革命でロシアを出た人たちの芸術を僕らはよく知っているが、彼らの革新性にはこうした「巣」があったことは知られていない。ストラヴィンスキーの何にも拘束されず何にも似ていない三大バレエは、このアヴァンギャルド精神とパリのベルエポックが交わった子供だったのではないか。プロコフィエフの乾いたモダニズムは「西側の資本主義支配層の堕落した前衛主義」に聞こえないぎりぎりの選択だったのではないか。

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この「巣」を総じて「ロシア・アバンギャルド」と呼ぶ。アバンギャルドはフランス軍の前衛部隊のこと(英語だとヴァンガード)だが、転じて先進的な芸術運動をさすようになった言葉だ。「何物にも屈せず、何物も模倣せず」をテーゼとする。これらの画家たちはカンバスの表の面に体制を欺く当たり障りない風景画や労働讃美の絵などを描き、裏面に自分のステートメントを吐露した真実の絵を描いて「何物にも屈せず」の精神を守っR_Smirnov_Buddhaたそうで、それを「二枚舌」と呼んでいる。これはショスタコーヴィチを思い出して面白い。「ヴォルコフの証言」なる真偽不詳の本が出版され第5交響曲の終楽章コーダをどう演奏するかの論争があった。ハイティンクやロストロポーヴィチがその意を汲んだテンポでやったが、あれは偽書だからムラヴィンスキーのテンポが正しいのだという風な議論だったように記憶する。僕の立場は違う。「証言」が偽書であろうとなかろうと、皮相的な終楽章はあの4番を書いた作曲家の「二枚舌」にしか聞こえない。スコアの裏面に真実のステートメントをこめた楽譜が書いてない以上、コーダのテンポなど解決策でもなんでもなく、あの楽章は演奏しないという手段しかないと思う。同じ意味で僕は7番はあまり聴く気がしない。

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調 作品47

「何物にも屈せず、何物も模倣せず」。このテーゼはなんて心に響くのだろう。別にアバンギャルドという言葉を知って生きてきたわけではないが、このテーゼはささやかながら僕個人が子供時代から常にそうありたいと願ってきた生き方そのものを鉄骨のような堅牢さで解き明かしたもののような気がしてならない。若い頃のピエール・ブーレーズがそうだったし、彼の録音が自分の精神の奥深いところで共鳴したのはそういうことだったのかもしれないと思う。

僕は芸術家ではないが、ビジネスをゼロから構築していくのはアートに通じるものがある。その過程がなにより好きであって、うまくいくかいかないかは結果だ。これから何年そんな楽しいことが許されるのかなと思うと心もとないが、心身健康である限り思い切りアバンギャルドでいこうと、ロシアの無名画家たちの絵に勇気をもらった。

有名であったり無名であったりすることの真相はこんなに不条理なものだし、そういうことをひきおこす人生という劇だって、いくら頑張った所でどうにもつかみどころのないものだ。だったらアバンギャルドするのが痛快で面白い。屈して、模倣して、大過がない、そんな人生ならやらないほうがましだ、改めてそう思う。

 

ベラスケス『鏡のヴィーナス』

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43(読響・カスプシクの名演を聴く)

 

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