我が流儀の源はストラヴィンスキー
2020 JAN 27 22:22:34 pm by 東 賢太郎
ストラヴィンスキーの門をくぐったことで我がクラシック遍歴は始まった。ベートーベンの第九交響曲より詩篇交響曲の方が歌えるという時期が長くあり、頭の中のライブラリーの分量ではモーツァルト作品に並ぶかもしれない。こういう聴き方を音楽の先生はきっと推奨しないのだろうが、これでいいのだということをストラヴィンスキーが語ったある言葉で得心した。音楽に限ったことでなく、人生全般、生き方そのものに関わる言葉としてだ。
それはこの本にある。弟子で指揮者のロバート・クラフトが師匠との日々を日記形式で綴ったドキュメントだ。
質問者「いったい現代音楽とは何でしょうか」
I・S「いわゆる現代音楽は私にはどうでもいいのです。私の様式が現代的かどうかですか。私の様式は私の様式で、ただそれだけです」
これを読んで背筋に電気が走った。何もわかってない子供だから、ストラヴィンスキーは男として格好いいとシンプルに惚れこんでしまった。
高校生あたりから漠然と「格好いい人生を送りたい」という稚気に満ちた願望があった。何になりたいでもなく、自分なりに格好いいと想像する姿、それが、
「あっしにゃあ関りのねえこって・・・」
だった。これは当時流行っていた木枯し紋次郎のニヒルな名セリフである。それとストラヴィンスキーと何の関係があるんだ?それは脳内でこうつながる。
「現代音楽?あっしにゃあ関りのねえこって・・・」
他人が何をしているかなんて俺にゃぜんぜん関係ないぜ。そうだよな、世間体を気にしたり、八方美人で人に関わってたりしたら春の祭典は書けねえ。そう思った。中村敦夫は今風なイケメンではない。泥臭い。そういう顔じゃないとあのハードボイルド、ニヒリズムは出ない。誰が見ても素敵、カッコいいを目指しちゃいけない、そういう顔つきからは格好いいものは出てこないんじゃないか。
ストラヴィンスキーは音楽の渡世人だった。作風が転々としてカメレオンなんて揶揄もされた。しかしどれも彼の様式なのだ。もし三大バレエみたいな曲を一生書いてたら、それはそれで更なる金字塔を打ち建てたには違いない。しかし渡世人は安住しないのだ。誰にも世話にならず面倒かけず、風の吹くまま気の向くまま、どうせこの世にゃ俺ひとり・・・。彼の顔もタダものじゃない。
春の祭典は聴衆を暴徒に変え、警官隊まで出動させた。音だけの力で。これが音で人の心を動かす作曲を商売とする者にどれほどの脅威か。格好いいとはこういうことなのである。それほどの革命的な創造をしながら、しかし、彼は次々と違う響きに関心を寄せていく。成功なんかポイっと捨てちまって、どんなに求められても二度とそこには戻ってこない。うわべだけのカッコよさを求めて生きてるような薄っぺらな男にそんなことは逆立ちしてもできない。書く音楽以前に、自身が勇気に満ちたプログレッシブな人間なのだ。渡世の道は花園かもしれないが無間地獄かもしれない。地獄であっても、もがいて這い出せればそれが幸福だ。何が幸いするかわからないから世の中は面白い。こんな格好いい人生があろうかと思う。僕にとって、一つの成功に安住する人はすべからく、つまらない人だ。
若い時にこうして電気が走ると一生痕跡が残る。これ以来、僕の生きる流儀はだんだんこういうものに収れんしていった。
・興味ないことはしない
・空気を読まない
・群れない
・人と同じことはしない
・つまらないことに1秒も使わない
この道に言い訳は落ちていない。結果がすべてであって、結果を出すための工夫を死に物狂いでするしかない。こうして僕はスナイパー主義になり、結果は出さないが懸命に群れて、周囲の空気を率先して読んで、人と違うことは積極的に避け、興味ないことを忠犬みたいに黙々とする「満員電車のっちまえ族」とは決定的に袂を分かつ人生を送ることになった。
75才のストラヴィンスキーがロバート・クラフトと対談しているビデオがある。
弟子の質問に師匠が答えていく図式だが、テレビのドキュメンタリー番組だからやらせっぽさ満点だ。ロバートはド真面目なインテリ青年で質問は台本通りであるのがバレバレだが、ストラヴィンスキーは母国語でない英語で喜々として答えている。しかし本音を言わず大人の会話に終始しているのはこの録画が後世に残ると知っているからだろう。曲をスタジオ録音する際に安全運転になるのと似て、表面づらはあまり面白くない。
そこで、まことに僭越ではあるが、愚生が時にチラッと垣間見えるストラヴィンスキーの笑み、表情の変化、語彙の選び方などを手掛かりとして、大先生の本音をこっそり盗み取って注釈してみたいと思う(英語が聞き取りにくくひょっとしてヒアリング・ミスがあるかもしれない。そんなアホなという部分は切にご訂正、ご笑納をお願いしたい)。
ではご覧いただきたい。
TVカメラ用のポーズをつけ、ピアノに向かって作曲中を装う彼は精一杯の演技でカメラの脇に待機していたロバートを呼び入れる。音符を書き込む姿はエンジニアのように見える。別室は建築士の事務所みたいだ。色鉛筆まで動員して几帳面に書きこまれた彼の巨大なスコアは設計図を髣髴とさせるが、そのイメージにフィットする。
ストラヴィンスキーはこんな事を言ってる。以下、注はすべて筆者による。
8才で始めたピアノで音階練習をしていて、音階というものは誰かが発明したのだと考え、それならば自分が創ってもいいだろうとオリジナルの音階を作った。14才でピアノを習った19才の女性教師が好きになってしまった(注1)。やがて師匠、友人となるリムスキー・コルサコフの弟子に和声法、対位法を習ったが死ぬほど退屈で(注2)、師匠に君は音楽院には行かずに自習しろと言われた(注3)。
注1・old maidは俗語でセクシャルに意味深。母親にバレた。
注2・この教師は知識はあるが音楽知らずのただの馬鹿と本音はナメ切っている
注3・耐えられなかったのは和声法で、対位法は関心あったと決然と言う。彼は古典を研究し、形式論理を重んじ、論理の進化で作風を転々とした。退屈で済ますわけにはいかず、あえて繕ったコメントと感じる。
初めて会ったディアギレフはオスカー・ワイルド(注4)みたいな男で、とても優雅でシックで敷居がお高く、微笑みながらやさしく肩を叩いてキミの庇護者だよとにおわせるスタイルの人だった(注5)。ディアギレフは火の鳥の契約をする前にショパンのオーケストレーションをしてくれと頼んできた。春の祭典の初演のスキャンダルを彼は(興業としては)喜んだが、それを巻きおこしたのは私の音楽であって彼のバレエではなかったから嫉妬もしていた。
注4・アイルランド出身の作家。ここでは「ホモの性癖が過ぎて投獄され梅毒で死んだあいつ」という意味で引用されていると思われる。ディアギレフもその道で著名。
注5・ディアギレフとの縁で功成り名を遂げたものの、彼のニヤリとした表情には「あの食わせ者にはやられたよ」感が満載で、それ以上の関係を感じないでもない。ディアギレフは貴族で海千山千の起業家だ、10才下の若造をおだてて手玉に取るのはわけなかっただろう。
私が指揮台に登るのは、どの指揮者よりも聴衆をうならせることができるからだ。私の父は当代一流の、あのシャリアピンに比肩される歌手である。私は偉大な解釈者の息子であり、彼の強烈な劇的表現の才能を受け継いで指揮をしている(注6)。
注6・指揮者としての自分を血筋で正当化している。作曲者なのだから解釈の正統性をなぜ謳わないのか不思議だが、彼はスイスに亡命したため1917年の十月革命で財産を没収され、ロシアがベルン条約加盟国でなかったためにパリでのロシア・バレエ団からのギャラ支払も拒否されてディアギレフと争っていた。だから三大バレエは人気を博したものの彼にはあまり印税をもたらさず生活は困窮した。すでにアンセルメ、モントゥーら著名指揮者のレパートリーとなっており、彼はチャレンジャーだったから血筋まで持ち出す心理になったのだろう。このインタビューはコロンビア・レコードが彼の自作自演盤を市場に出し始めたころに行われたから、彼は売上に敏感だったろう。ただ、結果としてレコードは売れて彼は「生きたレジェンド」になり、米国作曲作詞出版家協会(ASCAP)が彼の印税のランクを上げたため収入が3万5千ドルから7桁に近い6桁台に急上昇して大枚をつかんだ。
私が自作を指揮をすると専門の指揮者たちが怒るが、その理由は私の音楽(の解釈)についてではない、収入が減るからだ。競争(を仕掛けられた)と思うのだ。『ショパン』の稼ぎより『ルービンシュタインのショパン』の稼ぎの方が多くなくてはいけないのだよ、わかるだろう?(注7)まあ彼は友人だから悪くは言えないがね(注8)。
注7:俺の曲にただ乗りして稼ぐ奴らは許せんという意味。三大バレエは花のパリで初演から話題を巻き起こして興業的に当たっていたのだから、若くて金のない彼に「チクショー損した」感が大きかったのは当然だ。彼は創作過程について詳しいコメントを残していないが、想像するに三大バレエの時期はロシア革命、亡命、裏切りと重なる彼のトラウマでもあるだろう。
注8:ルービンシュタインに「ペトルーシュカからの三章」を書いて献呈しているための弁解。作曲家は経済的に不毛だったペトルーシュカを金にでき、ピアニストは『ルービンシュタインのストラヴィンスキー』を手に入れられるグッド・ディールだったとにおわせる。
演奏家は、トランペットならその奏者が、私のイマジネーション(注9)のとおりの音を出さなくてはいけない。音のイマジネーションを分かり易くするためにクラフトマンシップについて説明してください(注10)。(クラフトマンは)物を作る人だ。その物は独創的(発明的)でないといけないが(注11)。
注9:ロバートに「アゴン」のスコアの変拍子をひとしきり解説して見せた後、ストラヴィンスキーが創造の核心に触れだした。ロバートには「それはどこからどのように来るのですか?」と質問してほしかった。
注10:ところがロバートは(たぶん台本を消化するため)この一見もっともらしいが実はくだらない質問にすり替えてしまった。
注11:別の場所では、演奏家は作曲家が創った鐘を鳴らす鐘突き人だ、鐘は突けばちゃんと鳴るように創られていると述べている。質問の脈絡が不明のためストラヴィンスキーは鐘はそう造られるべきと苦し紛れに答えているわけだが、誠にもったいない機会損失であった。
彼(注12)はその知識を自己流儀で獲得していたが、音楽というものを習得してなかった。とても優れた耳と記憶力を持ってはいたがね、ロバート、君のようにね、でも君は作曲家じゃないが、彼は作曲家だ(注13)。
注12:前述の初めて和声法、対位法を習ったリムスキー・コルサコフの弟子。
注13:これを言うストラヴィンスキーは、自分はパフォーマーではなく創造者だ、作曲家は演奏家より上だという強いプライドを漂わせている。2日後に「アゴン」を指揮するロバートはその言葉に反応を見せない。パフォーマーに徹したことで評価されたのだろうが、世間の評価はピエール・ブーレーズが上だった。
音楽は音を聞くだけではアブストラクト(抽象)であり、振動を感じなくてはわからない。音楽は音のリアライゼーション(具現化)であり、それは人の心の働きである(注14)。哲学者ショーペンハウエルは「音楽はそれ自体が宇宙である」と言っている(注15)。
注14:鉛筆をくわえてその先をピアノにくっつけ、ベートーベンは耳が聞こえないからこうしていたと実演しているが、言いたかったのはこれだろう。アブストラクトでないものが彼にイマジネーションとして心の働きを喚起し、音として “聞こえて” おり、それを書きとるのがリアライゼーションと筆者は理解した。別なインタビューで彼は「最高の作品とはまさに妊娠している母親のように、心と耳で感じられるものだ」と語っている。
注15:ショーペンハウエルの音楽論の部分を書きとっている。彼が全編読んでいたかは不明。8才でオリジナルの音階を創造しようとしたストラヴィンスキーの心の作用は万物の根源に向かうという意味ですぐれて哲学的、科学的であるが、前掲書によると、死生観などは呪術的でもある。
以上。
ここでストラヴィンスキーが本当にやりたかったわけではないであろうパフォーマーの仕事ぶりを見てみよう。1959年にN響を指揮した火の鳥である。選曲も管弦楽法も聞きなれぬバージョンの組曲であり、その差異により、彼が著作権を持って課金できているはずのものだ。終曲のおしまい、ロ長調になる部分のぶつ切れは彼がそりが合わなくなっていたアンセルメ(彼はフル・ノート延ばす)へのプロテストかと感じないでもない。
ストラヴィンスキー夫妻とロバートはこの年行われた皇太子ご成婚にかけて来日し、兼高かおるが同行して京都、大阪、箱根、鎌倉、日光を旅した行程が詳細にロバートの上掲書に記されているが、ストラヴィンスキーのために2回のリハーサルをつけたこと以外は5月1日のこの演奏会にはまったく言及がない。彼らの意識の中ではその程度のものだったのだろう。
上掲ビデオのNBC番組については、ロバートの上掲書に記述がある。6月12,13日で、その5日あとが巨匠の75才の誕生日だった。
最晩年のロバート・クラフト(October 20, 1923 – November 10, 2015)が1971年にヴェニスで執り行われたストラヴィンスキーの葬儀の思い出を語っている。最後の一言に衝撃を受けた、まさに感動的だ。
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僕が聴いた名演奏家たち(マリス・ヤンソンス)
2019 DEC 8 16:16:45 pm by 東 賢太郎
マリス・ヤンソンスの訃報を出先で知った。彼はたしかムラヴィンスキー、カラヤンの弟子であったと記憶する。我々世代は先生の方を巨匠と認識していたものだからヤンソンスは必然的に小僧のイメージであり、僕はあんまり積極的に聴いていない。欧州にいたころひょっとして聴いた気もするが、はっきり覚えているのはサントリーホールでピッツバーグ響を率いたベートーベン7番とチャイコフスキー5番ぐらいだ。ヤンソンスは団員に敬意を持たれており、大音量を駆使した壮麗な演奏で首席指揮者だった同響寄りの演奏だった印象だ。少し早めにホールに入ったつもりが団員のほとんどがすでに舞台でウォームアップに余念なく緊張感すら漂っていた。2002年とまだ日本に帰ってきて間がなかった僕はこれが米国人のプロフェッショナリズムだと息子に教え、懐かしみ、感動した覚えがある。ということは、帰国以来すでにたくさんきいていた日本のプロオケのプロフェッショナリズムの欠如、生真面目で正確ではあるがおざなりの役所みたいなお仕事ぶりに幻滅、辟易していた裏返しであろう。さらに、前の席にいた米国人と思しき白人父子が演奏中にぺちゃくちゃうるさく、たしかに米国にクラスはないが階層の天地の差は実は大きいものだ。この2曲はこういう層が多くやってきてしまうことを知り、以来もう行かないことにしている。
ヤンソンスが先生の域になっていたのは恥ずかしながらyoutubeで知った(ブラームス2番の稿参照)。それよりずっと前にCDを買って、何の感慨もなく音源コレクションカードに *印をひとつ付けていたのはオスロ・フィルとの春の祭典だ。この評価は初聴でのもので最高が*3つであるが、後で評価が変わったケースは少ない。写真は同曲の3枚目のカードで、もう10年以上前にCDを買うのはやめているから最後期だ。ご覧の通りヤンソンス盤とアルバート盤は*があり他は無印だ。この時点でもうこの曲は隅々まで知り尽くしてfed up(食傷)気味なのは否めず、にもかかわらず*が付いたヤンソンスは特筆していい。聴き返してみたが、いけにえの踊りで大太鼓、ティンパニの改変があるが*評価は納得だ。ついでにカードの2,3枚目もご覧に入れるが1972年からの春の祭典購入史であり、ほぼ自分のクラシック没入史、あんまり意味なく浪人をしてしまい完璧にヒマだった頃に小遣いをためてはこの曲を買いスコア解析に没頭していた自分史でもある。
彼の指揮のレクチャーのビデオがあって、学生の棒を止めて「音楽に合わせて振っちゃだめだよ、きみがほんの少し先にいかなくちゃ、リードする気持ちでね」とユーモアを交えてやさしく指導してる。これ、あたりまえのようだが凄いことを言ってると思う。何であれ、集団をリードするってそういうことだ。
この写真、すばらしい。指揮者ってカッコいいなあと思う。
ヤンソンスさんを小僧と書いてしまったのは僕もジジイである証明だ。ブラームス4曲を聴きたかった。ご冥福を心からお祈りしたい。
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N響B定期・春の祭典を聴く
2019 FEB 21 0:00:31 am by 東 賢太郎
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ。最初のファゴットのハ音の異様な長さからいやな予感がしたが、徹頭徹尾そうであった。指揮者は何か他人と違ったことをやりたかったのだろうが大きく勘違いの方向でそれをした。ドンシャリの体育会色満載でデリカシーも神秘性のかけらもなし。ブーレーズを聴いて育った身として、こんなものが同じ作品とすら言い難く怒りすら覚える。
バスクラ、チューバはどうでもいい部分まで野放図なフォルテに聞こえ、ということはつまり、この演奏は全曲にわたって p (ピアノ)というものがなく、全管楽器が百家争鳴、コンクールで張り切ったブラバンみたいに鳴っているということである。ひとこと、うるさい。50年この曲を聴いてきたが第2部の序奏のバスドラがドロドロの部分でトランペットをあんなに強く吹くのを耳にしたのは寡聞にして初体験である(スコアの pp は何だ?)。練習番号87の神秘的なフラジオレットや第2ヴァイオリンなど驚くべきことにまるっきり聞こえない。こんなひどい演奏は知らない。スコアは「弱音器付」とある。要するに現実として、付けたら聞こえるはずのない音量で木管が鳴っていたということであって、従って、理屈からしておかしいのだ。生贄の踊りの2+3拍子はお口当たり良く丸まってスタイリッシュにポップ化している。はるかにましなカラヤンのですらダメ出ししたストラヴィンスキーは絶対に許さないだろう。指揮者は体操競技の「G難度」「H難度」をクリアしてどうだと拍手喝采を狙ったに違いない。そう思っていたら何でもない練習番号155でピッコロトランペットが落っこちてしまう。誰もが唖然だったろうが、ここまでくると馬鹿らしくて見てもいられない。暴風雨が轟音とともに通り過ぎ、終わった後には見事に何も残らない。同じN響でも2016年のヴェデルニコフのは良かった。読響を振ったロジェストヴェンスキーはもっと良かった。指揮者のモノが違う。日本の聴衆をなめるのもいい加減にしてほしいが爆演の割に拍手は少なめで、良識を感じた。
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ストラヴィンスキー「3楽章の交響曲」
2018 SEP 20 1:01:49 am by 東 賢太郎
ストラヴィンスキーはカメレオンといわれる。長年そう思っていましたが、あの3大バレエ流儀の曲がもう出てこなかった聴き手の欲求不満がこもった揶揄とすればもっともです。それほどあの3曲は劇的に素晴らしい。いや、路線変更なかりせば10大バレエができたかもしれないが、どんな形式にせよあれは彼の才能が20代でスパークした瞬間を記録したブロマイドのようなもので残りの7つは30代の顔を映したもの、つまり結婚、プルチネルラ、きつね、兵士、ミューズ風のものが続いたに違いない。我々はそれを手にしているのだからそれがストラヴィンスキーなのであって、最近はむしろ変転できたことが彼の才能だったと信じるようになりました。
彼の家系はポーランドの貴族でリトアニアに領地がありましたが没落しています。マリインスキー劇場で歌う高名なバス歌手の3男としてペテルブルグ近郊で生まれ、サンクトペテルブルク大学法学部の学友の父リムスキー=コルサコフの個人授業を受けたことが音楽的基盤となりましたが、火の鳥に師の残照はあっても春の祭典に至るともう見えません。その20代の10年間の音楽のプログレスは驚異的で、並行して法学部で学位も得ているように、創造力ばかりが強調して伝わりますがそれ以前に格別の学習能力があったと思われます。彼の父の蔵書は図書館並みの20万冊であり、その血をひいてその家に育ったわけです。
作風変化の”カメレオン”には2つの世界大戦の影響を看過できません。バレエ・リュスの公演は第1次大戦で妨げられて収入が途切れ、終戦後はフランスを転々としますが1945年にアメリカに移住して市民権を得ます。ナチズムゆえ居所をアメリカに移した音楽家は多いですが、彼は土地も作品の版権も失いフランスでの人気も失せた経済的動機が大きく伝記を読む限りあまり悲愴感がない。宗教もカソリックに改宗したし、蜜月だったディアギレフは不仲になったがお墓は一緒でベニスのサン・ミケーレ島にあるという、まさに変転の人生であったわけで作風だけのという話ではありません。
米国人になって書いた最初の作品が『3楽章の交響曲』でした。新天地を賛美するわけでも希望に燃えて見せたわけでもなく、まず書いたのが戦争交響曲だったことは作風変化にそれがもたらした影響を物語ります。第1楽章は日本軍の中国での焦土作戦、第3楽章はドイツ軍のガチョウ足行進と連合軍の破竹の成功というドキュメンタリー・フィルムを見たことにインスピレーションを得たとストラヴィンスキーが語っており、第2楽章は映画音楽として構想された(実現せず)楽想が使われています。戦争と映画。時代の影を色濃く宿している作品ということで彼自身がこれを「戦争交響曲」と呼んだのです。
冒頭、ト長調音階を駆け上りますがオクターヴを半音通り越した短9度(a♭)で着地します。音程としてはブルックナー9番の終楽章冒頭の短9度跳躍を想起させますが、急速な主題のいきなりのパンチはモーツァルトのパリ交響曲冒頭ばりでもあり不安定な印象は倍加しています。非常に面白いスコアで作曲時が63才。いま僕がその年です。30才の作品を思い出せとなっても難しいと思うのですが、彼はここで有難くも春の祭典ばりの短3度ティンパニ、複調、変拍子を復活させてくれています。
新古典主義と評される枠内に留まり、祭典にはないピアノとハープが主役にはなりますが、この作品は僕にとってそのDNAを継いだ曲として稀有の価値を持っており、記憶してしまってからはその代用品としてワークしております。外を歩いていると時に歩調に合わせて不意に元祖の「生贄の踊り」のコーダのティンパニの変拍子が頭に響いてきて、それが始まってしまうと終わりの強烈な一発まで心中でエア演奏しないと気が済まないのですが、それが『3楽章の交響曲』第1楽章のこの部分であることもままあります。
ここのカッコよさ!ピアノの閃光がまるで弦チェレ第2楽章中間部ですが、ピッチカートとアルコ応対する弦セクションは4分音符を3223、3223、322、3223、3322・・・と分割する変拍子で祭典と同様リズム細胞の組み合わせになっていきます。このリズムはストラヴィンスキー以外の何物でもない。リズム、リズム!彼の本質はリズムです。「生贄の踊り」の悪辣な興奮はあの極限までエロティックな変拍子にこれしかないという短3度音程がまるで神が配剤した麻薬のようにふりかけてあるからに違いなく、それと同じものがこの曲のスコアの随所に潜んでいます。
短3度、複調、変拍子(変アクセント)への偏愛。彼は89才まで生きましたが、たしかに古典に帰ったと思うと12音にはまったり、僕も一時そう思っていたように節操なく見えるのです。しかし今はこう感じます。彼の根幹(本能的音楽嗜好)は揺ぎ無く一定であった。ただし常人離れした好奇心、猜疑心そして学習能力が常にその場の行動を駆り立ててしまう。ココ・シャネルら複数の女性にふらふらしたようにですね。しかしその性向こそが、お互いに似ていない3大バレエを同時に着想させた。彼自身が「複調」的な人物であり変拍子のように人生を歩んだと。それを後世の我々がどう評価しようと書いたスコアの前には微塵もなく吹き飛んでしまうのです。
このビデオはエーリヒ・ラインスドルフがクリーヴランド管弦楽団に客演した際の1984年のライブ録音で、フィラデルフィアの自宅でFM放送をカセットテープに録音したものです。ラインスドルフはフィラデルフィア管弦楽団で春の祭典をやりましたが非常に面白かった。楽譜の読み方、パーセプションがオンリーワンのラインスドルフ節であり、ぎくしゃくした腕の振りで明確に振り分ける。リズムに明敏。凄いプロです。彼は火の鳥でもペトルーシュカでもなく、祭典と3楽章です。ここでもそれが目に浮かびます。
(ついでながら、これが彼の春の祭典)
これはyoutubeから。この演奏は支持できますね、指揮者オケも存じませんが女性が戦争交響曲を振ろうという心意気がいいですね。奏者も良くついて行ってます。
ハンス・ウエルナー・ヘンツェ / ローマ放送交響楽団
これもyoutubeで拾いました。作曲家ヘンツェの指揮によるライブであり、イタリアの放送オケはへたくそな演奏が多いものだから何ら期待せず聴きましたが、意に反し、なんだこれは?という素晴らしい演奏です。完全にヘンツェの手の内に入っておりリズムへの反応が見事なうえに音色は非常にカラフル。これだけピアノが聞こえる録音はなくスコアリーディングに最適で何度でも聴きたい。これは入手したいですねえ。
ピエール・ブーレーズ / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
BPOの技量に拠るところ大とはいえ、これだけ整ったアンサンブルを他に求めるのは難しいというレベルの演奏。このコンビのダフニスと管楽器のための交響曲を94年にベルリンで聴きましたが、ライブであれほどの完璧な音響というものは経験がなく、この演奏にもそれを思い出します。ただDGの春の祭典にも言えますが、隙のない絶世の美女の肖像画という印象で悪辣さや危なさに欠け、ニューヨークフィルとCBSでやっておいて欲しかった。野球のたとえで申しわけありませんが、これは単にスピードが160kmでる投手という感じであって、140kmなのにもっと凄みある球を放ってぜんぜん打てない投手はいるよということです。
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ストラヴィンスキー「春の祭典」の聴き比べ(その2)
2018 JUN 8 1:01:48 am by 東 賢太郎
ネコは解毒なのか時々雑草を食べて悪いものを吐き出すが、僕にとって「春の祭典」はそういうものだ。精神の解毒にこれほど手軽な薬はない。高3で野球を辞めてさあ受験だとなったが、運動ロスになりしっくりこない。そこで勉強に向けて気分高揚させてくれた向精神薬がこの曲だった。
後にアメリカへ行ってみてウォール・ストリートは、とくに切った張ったの勝負に明け暮れるトレーダー系の人間は、けっこう薬漬けでヤバいらしいことを知った。頭をシャープに保つためらしいが、幸いそんな危ない橋を渡らずとも僕には春の祭典がある。朝にこれをガンガン聴く。30分ちょっと。じわじわと脳に血流が増す。それで臨戦態勢オッケーである。
ロンドン時代は早朝出勤なので車で通ったが、朝のカセットは祭典とベートーベンの運命だった。大音量でドドーンと鳴らし、同乗者はのけぞったが戦闘準備だからやめるわけにいかない。英国での生活はストラヴィンスキーとベートーベンが支えていたといえる。
高校時代に戻る。何度も書いたが、この曲の初体験はブーレーズだ。あれにあのタイミングで出会わなかったらその後の人生はきっと違っていた。しかし彼のアプローチは怜悧でミクロ視点型で、脳トレにはいいが受験の軍艦マーチ役には不適である。そこでそれを務めたのが小澤征爾とシカゴ交響楽団のいけてるバージョンだった。
小澤盤は購入した4枚目の祭典のレコードだ。マルケヴィッチ、メータの次である。メータはちょっと軽いと思ったがこれは一発で気に入った。まるでロックじゃないか。いけいけどんどんの気分になって受験は全部受かると思ったが東大はあっさり落ちた。
いま聴きなおすと、そんなこんなの甘酸っぱいものがこみあげてくる青春のアルバムだ。青春といったって野球部だ、長髪のフォークの皆さんの仲間入りする柄じゃない。そこで一気にこんな変な曲に行っちゃったら女の子との話題なんか皆無。もてた記憶はぜんぜんなしだ。
その先が駿台だ。女っ気はさらになく、むしろ競争相手としてどうしても勝てなかったある女性(駿台で有名人)を意識していた。唯一のチャンスは公開模試で数学が満点で全国7番の時だったがあちらは2番だった。某省に入られたのでそれが理由で官僚にリスペクトを持つようになったという絶大な方だ。
その頃のとりとめもない記憶が小澤盤から蘇る。当時日本人がシカゴ交響楽団を振るなど事件だ。それなのにオケが本気になってるばかりかティンパニが聞きなれぬ版で小澤色全開である。後に留学して思い知ったことだが、駿台の彼女もそうだが、人の凄さは自分が戦った経験を通じてわかる。
当時、ステレオ録音のテクノロジー進化が目覚ましく、大編成の近代音楽やマーラーは高解像かつ高ダイナミックレンジ再生のプレゼンの素材として制作側にも顧客側にも人気が出つつある時期だった。エスニックものである春の祭典はRCAの小澤(東洋人、CSO)で1968年、Deccaのメータ(インド人、LAPO)で69年8月、それに対抗してCBSは69年にクリーヴランド管の首席客演指揮者で本丸のフランス人であるブーレーズを満を持してぶつけることになったのだろう。
それにしてもブーレーズ以前にこの手の内に入った快演は凄い。批判的に見れば変拍子がわかりやすく整理されすぎ、玄人の耳を捉える細部もないが、小澤の意図は一貫してストラヴィンスキーの革命的なリズムとビートを生命力をもって描ききることにある。原始の宗教儀式にリズムの数的秩序があることをブーレーズは論文で明らかにしたが、小澤は彼より早く、より分かりやすい方法でそれを音で体感させた。第1部の終曲、第2部いけにえの踊りがこんな形でハイドンやベートーベンのアレグロみたいに鳴ったケースはないだろう。
この演奏がブーレーズCBS盤の地位をおびやかすことはないだろう。しかしこれを書いたストラヴィンスキーも30才前後であり、この曲だけは大家が振ればいいというものではない。海千山千のシカゴ響メンバーが33才の若い「気」に当たって、もぎたてのレモンのような感性に戻って成し遂げてしまった一期一会の記録である。
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ストラヴィンスキー「春の祭典」の聴き比べ(その1)
2018 MAY 27 22:22:14 pm by 東 賢太郎
ハンス・スワロフスキー / 南ドイツフィルハーモニー
所有しているのはイタリア盤で1981年とあるが録音データは不明。Süddeutsche PhilharmonieはPiltzレーベルを作ったAlfred Scholzなるドイツ人が東西統合後に東独放送局の未発表音源を買い集めて売るときの幽霊オケのようである。これが本当にスワロフスキーの指揮か確信はないが、では誰なんだろう。そう思うほど指揮もオケの技術も破綻がない。第1部序奏の最初のホルンががファゴットにズレなく合ってしまっているが、指揮は縦を揃えることに執心し強靭なリズムでソリッドにまとめた演奏。録音に加工がなければ60年代あたりの水準か。それでこれは相当なレベル、現代のコンサートホールで十分に通用する。
アンドレス・カルデネス / カーネギーメロン・フィルハーモニック
米国アイビーリーグの名門校、カーネギーメロン大学の音楽学部管弦楽団の演奏である。細部はいろいろあるがすばらしい、ぜひお聴きいただきたい。オケの楽器を何かというなら僕は断然これのティンパニを叩きたい。ティンパノ・ピッコロを叩く第2(女性の方)もやりたい。
ティンパニ・パート
中国の貴陽交響楽団 Guiyang Symphony Orchestraのティンパニストがyoutebeにupしたもの。面白い。
オトマール・スイトナー / ドレスデン・シュターツカペレ
おそらく最も「音楽的」な春の祭典である。DSKが予想外に健闘しておりまったく破綻はない。スイトナーはオケの美質をそのまま生かし衝撃音に至るまで木質の素材の良さがわかる。金管が威嚇的にならず和音が美しい。ホール(ルカ教会か)の残響を意識した間のとり方、マイクが打楽器に近接しティンパニの音程が明確なことなども古典音楽の下敷きを感じさせ興味が尽きない。いけにえの踊りはテンポが遅いわけでなくリズムも明確だが興奮を伴わない。不思議な表現だ。
ボーダン・ヴォディチコ / ポーランド放送交響楽団
広い世界にはこの曲のマニアがたくさんいて珍しい演奏を探している。youtubeは宝庫だが著作権者のクレームが来るので商業用録音をupするのはなかなか難しく有名な録音が意外に聴けない方に属する曲だ。無視していくつか貼ったところ課金していないからか無視?されているのかなにも来ないがいつ消されるかはわからない。Bohdan Wodiczkoという指揮者は全く知らない。オケもほぼ記憶になく、それが旧東欧圏で1967年にこれを録音したのは画期的だ。オーボエ、ホルン、ティンパニのミスなどが修正されずピッチが高いが、傷が生々しいのが僕などはかえって愛おしく、出品者が言うほどひどい演奏ではない。第1部序奏のイングリッシュホルンの音色はそそる。E♭クラリネットの奇矯なスタッカートとアクセント!奇怪な鳥が鳴くアマゾンの原生林にいる風情が大変に素晴らしい。Rareであることは納得、座布団10枚クラスだ。
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音楽にはツボがある
2017 AUG 27 13:13:45 pm by 東 賢太郎
音楽を聴いて感動するとはどういうことか?これをもう50年近く考えてきたように思う。空気振動という無機質なものから有機的なものを感じるのは不思議で仕方ない。それをいうなら味だって舌の上の無機質な化学現象だ、同じではないかと思われるかもしれないが、味は食材を選別する生きるための知覚だ。動物だって感じてる。しかし音楽は生きるためには不要で、人間だけが知覚できるのだ。
感動は「こころ」で生じる。というより、脳のどこで生じたかわからないので「こころ」という場所をつくって納得している。それは自分自身の有様だから見えない。自分とは鏡に映った顔のことであって、世界でただ一人、自分の顔を直接見ることができない人間は自分なのだ。夏目漱石が円覚寺に止宿して管長釈宗演老師に与えられた公案「父母未生以前本来の面目」を雑誌で読んではたと膝を打ったのは、そうか、こころは鏡に映らないが、自分が空っぽになれば見えるかもしれないと思ったからだ。
ところが困ったことに、空になるには僕の場合「音楽に入ってしまう」のがベストの方法なのだ。なんのことない、音楽に響く自分のこころの有様は音楽を聴くとよくわかるぞというどうどうめぐりになってしまうのである。そこで、先祖から授かった心の空間には生まれながらに響きやすい「ある特定の波長」があり、それに共振する音楽だけが深く入ってくる、どうもそう考えるしかなさそうだと思い至った。
どうしてそれがプリセットされてるのか、生存に関わる何のためにか、それはわからない。神はサイコロを振らない(アインシュタイン)なら何か意味があるかもしれないが、未だ人のこころの深奥の闇だ。闇にサーチライトをあてて何も見えないなら、響いてくる空気振動のほうから攻めてみようというのは科学的な態度ではないかと考える。しかも、こころを共振させるエネルギーを与える側は空気分子、つまり即物的な物体だから分析可能である。
高校1年のときそこまで考えたわけではないが、1年分の小遣いほど高かった「春の祭典」のスコアを神保町の輸入書籍店で買った。そして、穴のあくほど、興味ある部分を「調査」した。音楽学者のするアナリーゼの真似事ではない。あれは誰の何の役に立つのかいまだにわからないからまったく興味がない。僕のは物理学者が物質を原子に解体して原子核、電子という物質の最小単位を見つけ、もっと解体できるのではと疑ってさらに小さな単位である陽子と中性子を発見し、陽子・中性子はもっと分解できないかと調べるのによほど近い。
習ったこともないピアノに触りだしたはそこからだ。理由はただ一つ、ラボラトリーの実験器具として必要だったからだ。たとえば「何だこの怪しい音は?」と思った「春の祭典」第2部の冒頭はこころが共振するのを感知した「ツボ」であった。オーケストラスコアは複雑でわからなかったが、ピアノに落とすとこれだけのことだった。なんと便利だろう!
この「ツボ」が自分のこころを掻き立てるのは強力なレシピである「複調」というものの作用あるでことを知った。しかし両親がこんな音楽を聴いていたことはなく、複調を楽しんでいた形跡は皆無だ。ということは、僕の共振は、まさしく両親が生まれる前に由来があるということになるではないか。ここで禅僧の説く「父母未生以前本来の面目」が出てくるのだ。
そして、これが大事なことだが、前回ベルクのソナタの稿で書いた演奏者との超認識的な共感はほとんどが「こころ」にプリセットされた「ツボ」でおこるのである。逆に言うなら、ツボで何も感じてない演奏家は別の惑星の人であって、時間もお金も費消するクラシック音楽でそういう人の演奏に付き合うのはコストパフォーマンスが悪いという結論になる。僕の好みというものは、意識下でのことではあるが、万事そういうプロセスを経てできているということがだんだんわかってきた。深奥の闇にサーチライトがあたってきたのだ。
それなしにどのレコードがいいかと議論するのも時間の費消だ。カネはかからないから暇な人だけに許される大衆娯楽である。皆さん「自動車」といって、唯一絶対の自動車はないから知っているのは実はトヨタでありベンツなのだ。同様に皆さんの「第九」とはカラヤンなりフルトヴェングラーのものだ。ベンツしか知らない人にトヨタの良さを説いても無駄なように、第九はフルトヴェングラーと思い込んでいる人にカラヤンはいいよと言っても難しいだろう。つまり方法論なき批評は白猫、黒猫どっちが好きかと同じであって、大の男がまじめにやるものとは思わない。
具体的にお示しする。第2部冒頭の譜面をどう音化するかはその人の問題だ。楽譜通り淡々とやってもいいが、この部分になみなみならぬ関心と感応度を示し、「こころがふるえている」という特別なメッセージをこめてくる人だっている。僕はピエール・ブーレーズがここの裏でひっそりと鳴るグラン・カッサの皮の張りを緩め、ティンパニとは明確に区別のつくボワンとした音色でやや強めにドロドロドロ・・・とやる、それを聴いて背筋に電流が走ったのを忘れない。
音でお聴きいただきたい、これは高1の時に買って衝撃を受けたそのLPからとった。この後にカセット、米国盤LP、CD2種、SACDなど出たものは片っ端から比べたが、このLPを上回るものはない。譜面の部分は16分53秒からだ。
ブーレーズのこころがこの複調部分で振動し、それを伝えるべくオケの音を操作し、その物理的波長が空であった僕のこころに入り、その空間の固有の波長に共振した、だから僕は電流を感じた、という風に理解できる。
それは僕も彼も、共振する波長をこころの少なくとも一部分に共有していることの証左だろうという推論が合理的に成立するのであって、それだけで彼の指揮したもの、作曲したものは全部聴いてみようというモチベーションに発展する。結果的にそれは正しくて、ブーレーズの指揮したバルトーク、ラヴェル、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルクによって僕はさらなる未知の領域へきわめて短時間のうちに一気に辿り着くことができた。僕にとってブーレーズは数学で満点が取れるようにしてくれた駿台の根岸先生みたいなものだ。この春の祭典が嫌いだ、カラヤンの方が好きだ(何らかの確たる理由で)という方もいるだろう。それは先祖伝来のこころの波長が違うのだから必然のことで、そういう方はカラヤンのレコードをどんどん聞けばいいだけだ。
ブラームスの第2交響曲、シューマンのライン交響曲、ラヴェルのダフニスとクロエ、シューマンのピアノ協奏曲など、ブログで演奏につきあれこれ書いた曲はラボラトリーでさんざんピアノ実験済みでチェックポイントが確立していて、例えばブラ2の最後でアッチェレランドする指揮者はブログで全員ばっさり切り捨てている。曲の波長を感知する重要箇所であり、そこをそうしてしまう人の波長には微塵も共振しないからだ。ちなみに、されると一日不愉快だから、ブラ2のライブは絶対にいかない。
こころの波長は十人十色だ、僕の好き嫌いは無視していただきたい。お示ししたいのは結論ではない、プロセスだ。こう鑑賞していくとクラシックは簡単ですよというケーススタディだ。「誰の第九がいいですか?」の類がいただく質問の最上位だ。「それはあなたしか知りません」がお答えで逆に「第九はなぜ好きですか?」「どこがジーンときますか?」と尋ねる。「あそこです」。これが返ってくれば完璧だ。僕になどきかず、ご自分で探すことができる。
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メシアン「8つの前奏曲」と「おお、聖なる饗宴よ」
2017 FEB 2 11:11:07 am by 東 賢太郎
僕がメシアンに興味を持ったのは音と色彩の共感覚への関心からです。以前にブラームスのクラリネット・クインテットの稿で書いたものですが、
「僕の色覚が他の人と共有されていないのであくまで自分が知っている色としての話になるが、レ(D)の音(これをブラームスのヴァイオリン協奏曲の出だしの音と覚えている)はオレンジ色、 ミ♭(E♭)の音(これをシューマンのラインの始めの音と覚えている)は青緑色のような気がする。こういうのを共感覚と呼ぶらしいが、12音のうちこの2音しかないからそういうものではないだろう。ただニ長調、変ホ長調にはその色がついて見える。 ニ長調の並行調であるロ短調を主調とするこの五重奏曲はクラリネットの質感(クオリア、これも赤色系の暖色だ)によってオレンジ色が増幅されて感じる。それがこの曲特有の粘着質のコード・プログレッションのクオリアを増幅して、こちらの気分と体調によっては誠に強い効果を及ぼしてくる。第2楽章はところどころで鳥肌が立っては消え、平静な鑑賞ということがかなわないことがある」
ということがあって、僕はこの五重奏を名曲と思いながらどこか敬遠してしまっているのです。「コード・プログレッションのクオリア」というのは非常に強い心理作用があって、正月に整理していた書庫から大昔に自分で作曲した楽譜が出てきて、書いたことも完全に忘れていたのを弾いてみると「強い作用」がある。そういう、ある意味客観的に、まったく恥ずかしい話なのですが和声の化学変化の発見メモとして自画自賛の心理になっています。
メシアンが子供のころクリスマスにもらったドビッシーの「ペレアスとメリザンド」のスコアをボロボロになるまで読み込んだのは有名ですが、このスコアは僕も尋常ならざる何ものかを感じており、このビデオでメシアンはオペラ冒頭主題を二カ所弾いて最初を「灰色がかった紫」、二つ目は「青みがかったオレンジ」といっています。貴重な証言です。
青緑色の変ホ長調の曲を僕は異常に好きであり、モーツァルトが39番をニ長調で書いていたらどうだったろうと思いますが、恐らくそういう理由で半音低い古楽器のオレンジの39番は忌避しているわけで、同じ評価はしなかったかなと思います。ブリュッヘンは同曲の尊敬できる解釈者でしたが、それが理由で実演をあんまり集中して聞けなかったのが残念でした。
「トゥーランガリラ」、「彼方の閃光」になぜ妖しい魅力を感じるかというと色彩の嵐を感じるからです。前者の生々しいライブをロンドンで聴いて「脳に電極をさしこまれて色を見る感じ」とつぶやき、先輩が「おい、こわいな」と漏らしたのを覚えています。そうとしか表現できない感覚があって、そういう音楽はメシアン以外にいまだに出会っていないのです。
彼の発想の根源にドビッシーがあるのが興味深い。プレリュードⅠ・Ⅱ巻は万華鏡のような色彩の嵐ですが、その脈絡でメシアンを聴く、つまり三和音の耳を断ち切って空虚な頭で色だけを追うとだんだん違う世界が見えてきます。少々の慣れはいるのですが、とにかく聴き込めばいい。ここへ至ると豊穣な果実が得られるのは驚くばかりです。
ブーレーズはメシアンの弟子でその色彩を受け継ぎますがルネ・レイボヴィッツが指揮したシェーンベルクの木管五重奏曲作品26を聴いて衝撃をうけセリーに入っていきます。両者が合体してル・マルトー・サン・メートルができた。アフリカ、ガムラン、日本のスパイスが混入するのもドビッシー、メシアンの末裔ゆえですが高等数学をやった感性で独自の異界の色彩へと進みます。
末裔が出たのは彼らの色彩を技法化するメソドロジーに普遍性があったからです。それをお示しするのが以下の若書きの2作品であります。
メシアンがプレリュードのスコアからくみ取った色彩、彼が受け取った「強い作用」の痕跡はまずこの20才の作である「ピアノのための8つの前奏曲」に残っています。第1曲にはペレアスが聞こえるのが興味深い。
もうひとつ、ドビッシー夜想曲に「楽器」として女声が使用されるように声のクオリアは両者の和声表現に好適に思えますが、代表作にそれほどは使われなかったのも面白い点です。ドビッシーの歌曲とペレアスは音韻(フランス語)と一体化した独自のものですが彼自身それ以上は踏み込まずシェーンベルグがピエロで画期的な新領域を開きました。
メシアンがペレアスの詩的コンテクスト、音韻にどこまで反応したかはフランス語がわからない僕には不明ですが、オルガンを楽器とした点で違う道を行った彼には声はピアノ、打楽器と同様に単色の楽器であり、神性の領域ではむしろ不要だったと推察しております。
29才の作である「おお、聖なる饗宴よ」(1937)はドビッシー「シャルル・ドルレアンの3つの歌」の豊饒な和声の世界がエコーしてきこえます。メシアンの和声感覚の個性が声だときわだって感知できるのは非常に興味深く思います。
この2作はパリで進化した「色彩の系譜」の原点に当たるものとして注目しております。ここからセリー、偶然性等の技法の進化に囚われず色彩を極める作法が出なかったのは不思議なことです。それだけメシアンの天才が抜きんでていたということでしょうが、キリスト教の神の法則の支配に必ずしも服さない日本人、たとえば武満がそれに近かったでしょうが、その系譜が栄える可能性を十分感じます。まだ美しい音楽がそれで書けそうな気がするからです。
(ご参考)
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N響定期 「春の祭典」と「花火」に驚嘆
2016 OCT 16 1:01:10 am by 東 賢太郎
なぜ驚嘆したのか?は少々のストーリーがございます。
昨日、SMCメンバーである作曲家の唐澤宏毅氏が拙宅に来てくれました。氏は高校からオケ部(ヴィオラ)であり、音楽への情熱がそのままプロの道に続いて大活躍されているのはうらやましい限りです。演奏会でストラヴィンスキーの交響曲第1番をやったら面白かったそうで、我が家で「春の祭典」をぜひききたいというリクエストがあったのです。おたがい時間が合わず、たまたまこの日になりました。
氏は僕を「おじさん」と呼んでいて、僕のほうはひろきクンであります。というのは氏はウチの子供たちと同年代ですが、親のフランクフルト駐在が重なっていて、小学校もいっしょで両家を行き来して遊んでいた坊やだったのです。みんなまだ幼稚園か1年生ぐらいだったかな。そこで生まれた長男は1,2才の赤ん坊だったから、遅れてイタリア料理屋に現れるとびっくりでした。
みんなでわいわい食事を終えて(僕は酔っぱらって)家に戻り、さっそくピアノを弾き音楽の話に没入です。このところ滅茶苦茶いそがしく神経がすり減っていて音楽という気分でもなくなっていたのであり難かったですね。これが始まるともう仕事は忘れてます。
10時を回ってましたが地下というのはありがたく、まずはビル・エヴァンスのサンデイ・アット・ザ・ヴィレッジバンガードから(これがいいんです)。そしていよいよ大音量で春の祭典(こういう場合、MTトーマス/BSOが定番)。最初は「生贄の踊り」だけ。どう、いいだろ、はじめからいく?となって当然のごとくやっぱり全曲で。あとはアンセルメのダッタン人、ツィマーマンのショパン(バラード1番)、カーペンターズのSACD(ここにいたると当方もピアノでセッション参加)。
そうしてついでに僕がシンセ演奏したバルトークの管弦楽のための協奏曲の第5楽章も。「いい出来でしょ?」と自画自賛には「すごいオタクですね」とのご評価?をいただきます。彼のプロ仕様のPCは容量も何百倍だしシンセの楽器音源の種類もすごく音色も完全にテーラーメード、僕の石器時代のMIDIプログラムを最新鋭のモデルにアップロードできるか?死活問題なので「やってみましょう」とのご返答は何より心強い。
しかしいろんな人がここで音をきいて遊びましたが彼ほど(今日はもう眠れませんと)感動した人はひとりもいませんね。あのまま夜明けまで行けましたね。やっぱり作曲家だ。こんなに喜んでいただければこっちも本望というもの、よかったです。近くに引っ越してくるそうで、この地下室はスタジオ代わりに使っていいよということに。
無名だったストラヴィンスキーがディアギレフに見いだされたのは「花火」という4分で終わる曲だったんだ、それで火の鳥を頼まれて、ほぼ同時にペトルーシュカと春の祭典もできたんだよ。彼は27才だったんだ。「そうですか、おれ27ですよ、いま。やばいすね」「そうさ、やれやれ、おもいっきり」こんな会話があって、こっちもエネルギーをもらい、ガスが満タンになって夜中におひらきとなったのです。
そして翌日のきょう、N響定期に出かけて行って曲は何かな(毎度のごとく、事前には知らない)とプログラムを開くと、これがなんと「春の祭典」と「花火」だ!もう運命の冗談としか思えない。
いや、ときどき僕はこういう不思議なことがあるんです。新世界や未完成じゃないんです、花火なんて超マイナーで何年に一度もやらん曲で、僕といえども実演は50年聴いてきて初めてです。びっくりでした。ひろきクンは大物になれるぞ。動画のほうもぜひいっしょにやろう。
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クラシック徒然草―レイボヴィッツの春の祭典―
2016 OCT 5 19:19:08 pm by 東 賢太郎
故ネヴィル・マリナーのバッハ、モーツァルトが「おふくろの味」と書いたが、もっとひろく、クラシック音楽全体のそれはというとやっぱりこれ、ピエール・ブーレーズの春の祭典CBS盤であり、お固く言うならこの曲の「イデア」である。
それがストラヴィンスキーのイデアかどうかは不明なので「完璧」という言葉は使えないが、この1929年の自演を聴くと彼はやりたかったこと(つまりこの演奏)をほぼ正確にスコアに記号として書いている(細かく言えば大太鼓がティンパニだったりはあるが)。
とするとブーレーズCBS盤はそのスコア情報のテンポやダイナミクスをより「彼なりの高次元」にリファインしたものとは言えるように思う。
この「彼なりの高次元にリファイン」するという行為は、すべての解釈者(演奏家)が直面する難題だ。バイエルを弾く子供でも音にする以上は自分のテンポや強弱で「解釈」はしていることになる。かように演奏家は常にフィルターとなっているのである。
ピアニストのホルヘ・ボレが「自己流解釈者」との自分への批判に対して「作曲家の創造行為への敬意を払いつつ、彼の全作品を深く学んだうえで、自分のフィルターを通じて咀嚼し演奏する表現者」を是としているが、僕はこの意見に賛成だ。
問題は「彼の全作品を深く学んだうえで」が欠落するケースが甚だ多いというだけのことだ。彼の交響曲やカルテットをまだ知らないA子ちゃんが発表会で弾いた月光ソナタが至高の名演と評されることは、音楽は好みに過ぎないというリベラルな立場からは別に構わないことだろうが、そう評価する人の音楽的素養の問題としては議論されうるだろう。
音楽を語るという行為に商業的価値があると僕は思わないが、ソムリエや口うるさいグルメの存在がワインや料理人の質を高めるような作用を演奏行為に及ぼすのだという意見には賛成である。そして、ときにワインや料理の方が一歩進んで客の舌にチャレンジしてくることだってある。
ブーレーズの感性でリファインされた春の祭典はその一例であり、驚いた客の方が百万もの言語を費やしてその味の新しさを評価、論考したものだ。その末席に高校生の僕もいたのであり、味を言葉に置換する方法を覚えた。あらゆる文化や芸術はこうして言語によっても伝承される。それを包括した次元で演奏は評価されるが、その言葉は評価する人間の評価として吟味され、言語の伝承のほうのクオリティも担保されていくのである。
ではリファインをストラヴィンスキー自身が強くNOと評価したら、そのことはどう評価されるべきなのだろう?カラヤンの64年盤でそれがおきたのは有名だ。この手慣れた如くに滑らかな展開は現代では違和感がないと感じられる方が多いのではないかと思うが、作曲家は気に入らなかった。それがバイアスとなってこの演奏を評価しない人が多いが、そんなことはないこれはうまく弾けた演奏のひとつだ。生贄の踊りの金管に耳慣れない和音があるが、カラヤンでない人が現代のコンサートホールでこれを聞かせれば大層な名演と喝采されることは想像に難くない。
この曲の創造主に音楽的素養の議論をふっかけるのは粗暴というものだ。版権、印税の問題でもめた影響を指摘する人もいるが、きのうソナーHPに書いた広島カープ球団の内幕みたいに表舞台には見えないものはどんな世界にもある。演奏頻度は高くなかった64年当時(ブーレーズ盤の5年前)に演奏者が手慣れていることは考え難く、カラヤンの譜読み力とベルリンPOの技術がいかに高次元にあったかに驚いた方が妥当な態度だろう。ストラヴィンスキーは想定もしていなかった「手慣れ感」「美しすぎ」に抵抗を覚えたのではなかろうか。いまはこのレベルが当たり前とするなら、演奏解釈というものはそれ自体が「進化」するという命題の勝利と考えるのがいいのだろうか。
ブーレーズの演奏解釈がどこから進化してきたか?CBS盤にはお手本があると書いたら天下のブーレーズを冒涜したことになるだろうか?
僕の憶測にすぎないが、彼の師匠であるルネ・レイボヴィッツが1960年にロンドン・フェスティバル管弦楽団という実態不明のオケを振ってCheskyレーベルに録音したものを聴いて、僕はそう結論せざるを得ない気持ちになった。これは、驚くほど、コンセプトがブーレーズ盤に似ているのである。
以下、CDを聞き直しながら書き取ったメモをそのままのせる(青字、比較対象は記憶にあるブーレーズCBS盤である)。
序奏、ホルンのdがシンクロしてしまっている。心もちブーレーズより遅いが演奏のコンセプトはそっくりである。木管合奏としてミクロに視点を当てながら全体は嵐の前の静かさと緊張があり倍音に富む。
若い娘たちの踊りのテンポはほぼ同じだ。そっくり。
誘拐はやや遅いが管弦のバランスはこれまたそっくりだ。春のロンドは極少し遅いがバスドラの活かし方が同じ。シンバル、銅鑼はかなりおとなしい。
敵対遊戯 ごく少し遅いがティンパニの出し方が似ている。ホルンの和音による旋律的部分もそっくり。大地の踊りはテンポほぼ同じ。
第2部序奏、心もち遅いがシェーンベルグっぽい、似ている。トランペット交差、音が半音高い、アクセントがつくところは全く違う。これはスコアからは変だ。
アルトフルート奏者はいつも遊びが過ぎて気になる。生贄の踊り、ティンパニが違う。オケが乱れる、かなりへた。最後のティンパニが一発余計に鳴る。
ブーレーズより速い部分は一つもない。
祭典フリークの方はじっくりお聴きいただきたい。
この解釈をさらにリファインして高性能のクリーブランド管に教え込んだのがCBS盤だというのが僕の仮説だ。レイボヴィッツはクールで通している生贄の踊りが終結に向けて一糸乱れぬまま加熱するなど、アンサンブルの精度へのこだわりはブーレーズの専売特許ではある。祭典フリークの方しかご関心はわかないかもしれないが・・・。
(追補)1963年6月5日、カナダ放送交響楽団を振ったもの。第2部序奏のあと現れる2本のトランペットによる主題提示で第2トランペットの第2音が半音高いのを除くとCBS盤のテンポ、コンセプトに近い(ほぼ同じ)。ここからそれまで変化がなくレイボヴィッツ盤の3年後に解釈が確立していたことがわかる。
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