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カテゴリー: ______ストラヴィンスキー

モーツァルト「魔笛」断章 (私が最初のパミーナよ!)

2016 MAY 18 0:00:35 am by 東 賢太郎

 

「僕が無駄口をたたいたすべての女性と結婚しなければならないのだとしたら、僕は200人もの妻を持たなければならないでしょう」

(ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト)

 

すばらしい。孔子にきかせて論語に入れてほしかった。これは親父にお前は女に軽いだらしないと叱責され、彼一流の知的なレトリックで反論したことばで別に200人オンナがいたわけではないのですが、なんでもよかった数字が100でなく200になる豪快なところが実に大物でいいですねえ。舛添都知事は見習った方がいい。アウトプット・パワーがない普通の男はせいぜい20だろうなあ、それでも立派に同じ意味だし。

モーツァルトの女性関係は こんな本ができてしまうぐらいでした。

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「苦悩と困窮のなかで早世した薄幸の天才」なんて像は後世の狂信的なファンが「そうでなくっちゃこの私の偶像(アイドル)にふさわしくない」と祭り上げたもの、自分がかわいいための像です。彼は貴族を得意客としていた、つまりそういう自意識とプライドのかたまりみたいな種族の人間をこそ音楽でうならせる達人であり、彼らからカネを無心する営業の天才でもありました。

実の彼はというと、弟子は客である貴族の令嬢や奥方であって、浮名の連続。そういうセレブ女にとって、ダンナが称賛するオペラのヒットメーカーでピアノの超絶技巧的名手でカネばらいもよく、如才ないジョークを飛ばせてバクチ好きのちょいワル男は魅力があったのでしょう。風采はあがらないがカラオケとギターの並外れた腕前でモテてしまうプレイボーイに近かったと思います。

そんなモーツァルトの女性のうちで僕が特にかわいそうと思う人が二人います。

一人目はマグダレーナ・ホーフデーメルです。

モーツァルトが死んだ日から5日目のウィーンで猟奇的な事件がありました。最高裁書記官ホーフデーメルが(モーツァルトの子?を)妊娠中の妻を殺害しようと企て、剃刀で妻の顔と頸に切りつけ、そのあとで自殺したのです。死ななかった彼女は出産したが、「その子ヨーハン・アレクサンダー・フランツがヨーハン・ヴォルフガング・アマデーウスの名とフランツ・ホーフデーメルの名とを持っているのは、はなはだ意味深長である」(アインシュタイン『モーツァルトーその人間と作品』浅井真男訳、白水社、p.109)。

そして二人目が、今回の主役、アンナ・ゴットリープです。

魔笛のパミーナのアリア「ああ、私にはわかる、消え失せてしまったことが」  (Ach, ich fühl’s, es ist verschwunden)はアンナに書かれた曲でした。

350px-AnnaGottliebColorDetailまじめなタミーノに話しかけても口をきいてくれない。「しゃべるな」という試練の最中なので仕方ないのですがパミーナはそれを知らない。そこで愛想をつかされたと思い歌うのがこのアリアなのです。魔笛の中では唯一、シリアスで悲痛な感情のこもったト短調の音楽です。

パミーナ役を17才で初演したソプラノがアンナ・ゴットリープ(左、Anna Gottlieb、1774-1856)でした。フィガロのバルバリーナ役の初演も12才でしており、モーツァルトのお気に入りでカノジョだったともいわれます。本当にそうだったのか生涯独身で、彼の死後すぐにウィーンを去ってしまいました。

その後レオポルドシュタットの劇場で歌いますがナポレオン戦争で休場してからは声が衰え、最後は老け役となって舞台を去ります。年金がもらえず生活は困窮しますが、彼女が「最初のパミーナ」だと知った新聞がキャンペーンを張って資金を集め1842年にザルツブルグで行われたモーツァルト像の除幕式に参加しました。そこに現れた彼女は周囲に「私が最初のパミーナよ!」とまるで歌劇場の聴衆に告げるかのように、モーツァルトと同様の称賛を受けてしかるべきであるかのように叫んだと記録されています。82才でウィーンで亡くなった彼女は、モーツァルトと同じ墓地に埋葬されたのです。

このビデオは僕の好きなルチア・ポップです。彼女はパミーナがあってますね。夜の女王はどこかコロラトゥーラの軽さがないのであのテンポなんでしょう。ただピッチの正確さにあんなに微細な神経の通ったものはなく、だからクレンペラーが起用したのではないか。彼は軽快にすいすい歌うが音程があぶないという夜の女王は許し難かったのだろうと思います(そうならば全く同感)。

このアリアはト短調ですが、ロマン派に近接するほど豊かな和声がつけられているのにお気づきでしょうか。それが表す悲痛で繊細な感情の襞(ひだ)はこのオペラでは例外的なもので、至高の名アリアと思います。

パミーナという役の設定は、

夜の女王の娘でもザラストロの娘でもあり、タミーノの救出する相手であり許婚であり、モノスタトスが狙う女であり、パパゲーノと愛らしいデュエットがあり、剣で自殺しようとして童子に止められたり、タミーノと火と水の儀式をくぐり抜けたりするお姫様

というものです。夜の女王とザラストロがオペラ・セリア的、超人的であり、タミーノは優等生であまり生身を感じず、3人の侍女と童子は天界の非人間的存在である。女性で庶民派代表のパパゲーナは老婆姿と最後のパパパとやや出番が少なくパパゲーノの片割れ的存在。そうなるとパパゲーノとモノスタトスの人間くささが目立ちますが、女性で唯一生身の存在がパミーナと言ってよいでしょう。

モーツァルトはお気に入りだったアンナ・ゴットリープに大サービスでいい歌をたくさん書いているのであり、そういう流儀が彼のオペラ作法だった。体に合わせて服を仕立てるようにですね。おそらくこのト短調のアリアはその白眉だったし、気合を入れて書いた、そしてアンナも入魂の表情で歌ったに違いない。「私が最初のパミーナよ!」という叫びは、そうでなくては出なかったと思うのです。本当にかわいそうな女性です。

ただどうしてこれがト短調なのか?Gmは特別な調だったのだという説が根強くあります。僕はそうではなく、こういう質のリッチな和声の音楽を書くのにGmがよかった、それも絶対的なピッチがというより(当時、基本ピッチはいい加減だったでしょう)メカニックな「運指が」ということではないかと考えます。作曲過程の発想と運指の関係であり、転調へのいざないというか、白鍵ばかりのイ短調とまったく同じということもないように想像するのです。

どうしてそんなことを思うかというとこのアリアのピアノ伴奏パートを弾くと、う~んという和声が出てくるからなのです。イ短調だったらこれあったのかな、という指の動きで。それは楽譜のsein, so wird Ruh’…….のところ、左手がcis、d、esと動きますが(ビデオの3分55秒から)esのところのes-a-cis-gの和声が問題のそれです。

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これはA7のコードのドミナントのeを半音下げたもの(第6小節にも一度現れています)。この和音は耳に残ります。どこかで聞いたことがあるぞ・・・・(こういう音の記憶を看過できない習性が僕にはございます)。

これです。みなさんよくご存じのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調の第1楽章、オーケストラによる第2主題を切々とこう奏でる、それの青枠の和音をご覧ください。

tchaikovskyPC1-2des-f-b-f-gですがD♭7のコードのドミナントのasを半音下げたもの。つまりパミーナのアリアの和音を短3度平行移動したものです。

このユジャ・ワンの演奏ビデオ(どうでもいいが、最も重要な出だしで関係ないトロンボーンがアップになって笑えます。ホルンなんですけどね)、6分43秒からが上の楽譜になります。よ~くお聴きください。

いや、しかし、まだあるぞ、もっとすごいのが・・・・。

ストラヴィンスキー「火の鳥」です!

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どこかおわかりでしょう。「子守歌」の直前のブリッジ部分です。青枠部分の音の構成要素はb-es-f-aの転回形なのです。B7のコードのドミナントのasを半音下げたもの、つまりパミーナのアリアの和音を長2度平行移動したものです。

このビデオの15分34秒からが青枠です。

何の話をしてるのかわからなくなってきました。そうかモーツァルトでした、魔笛でしたね・・・。このチャイコフスキーもストラヴィンスキーも、どこか暗めで切々とした情念、なにものかの呪縛、そしてあきらめきれない哀惜の念みたいなものを訴える場面で問題の和音が使われているように思うのです。

この悪魔の増4度をふくむ和音は今の僕らの耳にはなんでもないがハイドンまではなかったのかもしれないし、あっても希少だったでしょう。上記のsein, so wird Ruh’…….のところ、時が止まってしまうような、いったんナポリの6度(A♭)に行っておいてGm、DときてGmに収まるかと思いきやA#に!。そこから始まる「死だけが私を苦しみから救う」への和声のおそるべき混沌!!

アンナ・ゴットリープはモーツァルトに大変なものを書かせてしまった女性、人類の歴史に名を刻んだ女性であります。

モーツァルト「魔笛」断章(モノスタトスの連体止め)

 

 

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プロコフィエフ 交響曲第2番ニ短調作品40

2016 MAY 4 18:18:05 pm by 東 賢太郎

米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑銘に「Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.(自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る。)」とあるそうだ。以前ここにバレエ・リュス(ロシアバレエ団)のセルゲイ・ディアギレフについて書いた( ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」)が、実業家としては彼は天賦の才ある成功者だったが、当初志した音楽家としてはカーネギーの言葉があてはまるのではないか。

240px-Serge_Koussevitzkyところが、自身も音楽家(指揮者)として名を残しながら自分より賢き者を近づける術を知った者がいた。こちらもロシア人のセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951、左)である。音楽家の息子でコントラバスの名手であり、ボリショイ劇場で弾いていた。彼がラッキーだったのは2番目の奥さんが富豪(茶の貿易商)の娘だったことだ。彼女は結婚記念として「カレにオーケストラを買ってあげて」と父にせがんだ。

「逆タマ」の財力で彼は巨匠指揮者アルトゥール・二キシュの博打の負けを払ってやって指揮を教わり、なんとベルリン・フィルを雇って(!)演奏会を指揮し(ラフマニノフの第2協奏曲のソリストは作曲者だった)、祖国へ帰って出版社を創ってオーナーとなりラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ストラヴィンスキーの版権を得て楽譜を売った。

ロシア革命後は新政府を嫌って1920年に亡命し、パリで自身が主催する演奏会「コンセール・クーセヴィツキー」を立ち上げる。これは1929年まで続いたが、その間に初演されたれた曲がストラヴィンスキーの「管楽器のための交響曲」(1921)、ムソルグスキー「展覧会の絵」のラヴェル編曲版(1922)、オネゲル「パシフィック231」(1924)、プロコフィエフ交響曲第2番(1925)、コープランド「ピアノ協奏曲」(1927)であった。

クーセヴィツキーは1924年にボストン交響楽団(BSO)常任指揮者となる(パリには夏だけ行った)。バルトーク「管弦楽のための協奏曲」、ブリテン「ピーター・グライムズ」、コープランド交響曲第3番、メシアン「トゥーランガリラ交響曲」クーセヴィツキー財団が委嘱して書かせ、BSOの50周年記念として委嘱したのはストラヴィンスキー詩編交響曲、オネゲル交響曲第1番、プロコフィエフ交響曲第4番、ルーセル交響曲第3番、ハンソン交響曲第2番だ。クーセヴィツキーはこれだけの名曲の「父親」である。

自分より賢き者を近づける術はカネだったのか?そうかもしれない。BSOの前任者ピエール・モントゥーも弟子のレナード・バーンスタインも、名曲の世界初演をしたり自分で名曲を書いたりはしたが他人に書かせることはなかったからだ。しかし、彼が財力にあかせて「管弦楽のための協奏曲」や「トゥーランガリラ交響曲」を書かせたといって批判する人はいない。

img20090818221755388もう一つ、僕として聴けなければ困っていた曲が表題だ。パリにでてきたプロコフィエフ(左)だが、当時は6人組が新しいモードを創って人気であり、彼の作品は理解されなかった。よ~しそれなら見ておれよ、奴らより前衛的な「鉄と鋼でできた」交響曲を書いてやろうとリベンジ精神で書いたのが交響曲第2番だ。パリジャンを驚嘆させた「春の祭典」騒動はその10年ほど前だ、もちろん念頭にあっただろう。

芸術はパトロンが必要だが、モチベーションも命だ。天から音符が降ってきて・・・などという神話はうそだ。それで曲を書いたと吐露した作曲家などいない。バッハもヘンデルもハイドンもモーツァルトもベートーベンも、みな現世的で人間くさい「何か」のために曲を書いたのだ。お勤め、命令、売名、就職活動、生活費、女などだ、そしてそこに何らかの形而上学的、精神的付加価値があったとするなら、ことさらにお追従の必要性が高い場合においては曲がさらに輝きを増したというぐらいのことはいえそうだ。

クーセヴィツキーはカネがあったが、その使い方がうまかった。BSOの50周年なる口実で名誉という18,19世紀にはなかったエサも撒くなど、作曲家のモチベーターとして天賦の営業センスがあったといえる。そういう天才は99%のケースではカネを作ることに浪費されるが、冒頭のカーネギーは寄付をしたりカーネギー・ホールを造るなど使うことにも意を尽くした1%側の人だった。そしてクーセヴィツキーは嫁と一緒にカネも得て、それを使うだけに天才を使った稀有の人になった。

しかしその彼にとっても、刺激してやるモチベーションが「リベンジ精神」というのは稀有のケースだったのではあるまいか。プロコフィエフは速筆でピアノの達人でもあり、ピアノなしでも頭の中で交響曲が書けたという点でモーツァルトを思わせる。どちらも後世に明確な後継者が残らない、技法に依存度の高くないような個性で音楽をさらさらと書いた。しかしこの第2交響曲は力瘤が入っている。異国の地で勝負に燃えた33才。モーツァルトがフィガロにこめた力瘤のようなオーラを僕は感じる。

攻撃的な響きに満ちた2番の初演はパリの聴衆の冷たい反応しか引き起こさなかった。暴動すらなく、専門家の評判も悪く、ほめたのはプーランクだけだった。ここがディアギレフとクーセヴィツキーのモノの差だったかもしれないが、曲がそこまで不出来ということはない。力瘤の仮面の下で非常に独創的な和声、リズム、対位法が予想外の展開をくり広げる。これが当たらなかったから、あの第3交響曲という2番の美質をさらに研ぎ澄ました名曲が生まれた。しかしその萌芽のほうだって、春の木々の新芽のように強い生命力があり、不可思議な響きの宝庫だ。

プロコフィエフはロシア革命のときに27才だった。アメリカに逃げようと思った。モスクワからシベリア鉄道で大陸を横断し、海を渡って敦賀港に上陸した。日本に来た最初の大作曲家はプロコフィエフだ。サンフランシスコへ渡航する船を待つ約2か月の間、日本各地を見物して着想した楽想が交響曲の2,3番、ピアノ協奏曲の3番に使われたとされる。2番は第2楽章の静かな主題がそれだ。クラリネットと弦のゆったりした波にのってオーボエが切々と歌う。シベリウスの6番の寂寞とした世界を思い浮かべるが、これが6回変奏されて不協和音を叩きつけ、最後に回帰するのが実に美しい。

僕は3番の次に2番をよく聴く。秀才がワルになろうと暴走族のまねごとをしたみたいな部分がかえっていい答案だなあ秀才だなあと感嘆させてしまうあたりが面白い。第1楽章は全編がほぼそれだが、これでも喰らえとわざとぶつけた感じのする2度、9度の陰でぞくぞくするコード進行が耳をとらえて離さない。こんな音楽は他にない。これがたまらないのだ。小澤/ベルリンPOだと見事に浮き彫りになっている。何という格好よさ!!

これを何度聴いたことか、これはラテン的音楽ではないがこの小澤さんの演奏のクリアネスは凄い純度である。そのたびに僕は本質的にロマン派のテンペラメントではない、恋に恋するみたいな人間とは180°かけ離れていて、100km先まで透視できるヴィジョンを愛するラテン気質に親和性があるのかなと思う。小澤さんはロマン派もとてもうまいが、この2番の合い方は半端でなくラテン親和性をお持ちでないかと察する。

 

小澤征爾 / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

zaP2_G1937665Wこの全集は小澤さんがBPOを振って打ち立てた金字塔である。上述に加えて第2楽章の透明感と細部のしなやかな生命力も素晴らしく、2番の挑戦的な暴力性がここまで整理され純化されていいのかというのが唯一ありえる批判と思う。それは若かりし頃にシカゴSOを振った春の祭典に同じことが言えるが、僕はあれが好きであり、したがってこれも好きだ。BPOの機能性あってのことだが、このピッチの良さ、見通しの良さ、バランス感は指揮者の耳と才能なくしてあり得ない。日本人で他の誰がこんなことができるだろう。

 

ジャン・マルティノン / フランス国立管弦楽団

CDX-5054 (1)これぞラテン感覚の2番である。マルティノンはラヴェルもドビッシーもロシア音楽も明晰だ。不協和音も濁らない。印象派というと、春はあけぼの、やうやう白くなり行く・・・の世界と思いがちだがぜんぜん違うということがこの2番のアプローチでわかる。第2楽章テーマはその感性だからこその蠱惑的なポエジーがたまらない。管楽器は機能的に磨かれフランス色はあまり強くないが、弦も含めて音程と軽やかなフレージングが見事で、きわめてハイレベルな演奏が良い音で聴ける。

 

ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー / モスクワ放送交響楽団

738ごりごりした低弦と派手な金管、打楽器が鳴り響くロシア軍の行軍みたいな第1楽章はまことに威圧的で、2番の趣旨にはかなっている。そういうのは好みでないが、救いはロジェストヴェンスキーの縦線重視の譜読みだ。和音を叩きつけまるでストラヴィンスキーだがこの強靭なタッチはフランス系では絶対に出ない味である。第2楽章のデリカシーはいまひとつだが変奏の激烈さがあってこそテーマの回帰の静けさは心にしみる。

読響定期 エマニュエル・パユとカラビッツを聴く

 

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クラシック徒然草-舞台のヤバい!は面白い?-(追記あり)

2015 DEC 2 1:01:29 am by 東 賢太郎

僕は人様にご披露する芸などなにもありませんが、証券マンというのは売るものが目に見えないので言葉だけで食ってる人種ですから落語家に近いかもしれません。特にスピーチでひな壇に登ったりするとそういう気がします。

立場上、「ようなもの」まで入れるとスピーチは数えきれないほどやりました。起債調印式、仲人、現法社長あいさつ、大学講義、クリスマスパーティ、部店長会議、転勤、就任、退任、日本人学校運動会、ゴルフコンペから他愛ないテーブルスピーチなどなど。

僕は原稿を読まない主義です。あると棒読みになりそうで怖い。だから100人集めて1時間しゃべった時もなし。英語でもなし。時計を見ながら30分なら30分でぴったり終ります。原稿の事前丸暗記でもなくて全編アドリブで、たくさんやって体で覚えた相場カン?です。

一度冷や汗をかいたことがあります。関西の某大学で90分講義をしたときのこと、「証券市場論」をやっていて「ところで・・・」と雑談で脱線しました。毎度のことで、ちょっと笑わせて目を覚まさせた程度の頃合いで本論に戻るのですが、この時は戻ろうとしたら「脱線箇所」がどこだったか忘れてしまったのです。

なんとか切り抜けたものの、頭が真っ白で動転。べつに二日酔いでも予習不足でもなく、この経験をしてからですね、暗譜で弾くコンサートのソリストやオペラ歌手を尊敬するようになったのは。楽譜を覚えたことをではありません、誰にでも起こり得る「ヤバい、忘れちゃった!」の恐怖にうち勝って日々生きておられることをです。

誰にでも起こる?例えば、ストラヴィンスキーは自作のピアノ協奏曲の第2楽章の出だしを忘れてしまい指揮者が歌ってみせて思い出した。自分の曲をですよ。岩城宏之の著書によると彼はピクチャーメモリーがあったらしく現代曲でも暗譜でしたが、頭の中の譜めくりが1ページ飛んで春の祭典を振り違えて止まってしまったそうです。記憶力の良し悪しだけというわけでもないようですね。

そんな人たちの次元ではないのですが、やっぱり何百人の前に立つといくら慣れても緊張はします。あがるのはいけません。あがり症だったシベリウスはウィーン・フィルのヴァイオリン入団試験に落ちてます。僕の場合、原稿ではなく見ているのは時計であって、しゃべりながら先を考えてます。あと5分か、ではあれをしゃべろう、なんて。そういう人間は予習しすぎがよくないかなと思いつき、やめてみたらうまくいくようになりました。

コンサートで目撃した「ヤバい!」はいろいろあります。ピアニストのアルフレート・ブレンデルが展覧会の絵である部分が終わらずくりかえしたり、リストの第2協奏曲で腕を振り上げたらメガネがひっかかって客席まで飛んでしまい(彼のレンズは厚そうだから)はらはらしたこと(ちゃんと弾ききった)。ロンドンでラフマニノフ第2協奏曲の第2楽章冒頭部でクラリネットのソロが1小節早く入ってしまい指揮者グローヴズが身を挺して乗り切ったこと。

マゼールの第九(ロンドン)第2楽章でティンパニソロの1拍たたき違いでオケ凍る、同じくマゼール(バイエルン放送響)でティンパニのバチがヴァイオリンの端まで飛ぶ、モスクワ放送SOの春の祭典(香港)でティンパニが「ああ勘違い」の強烈な一撃を思いっきりぶちかましてオケは粉みじんに空中分解という身も凍る事件もありました。

フランクフルト歌劇場(マイスタージンガー)では上演中に巨大なセットがメリメリと音を発して倒れかけ、歌手より多い裏方が舞台に総出演。なんとかもとに押し戻すと演奏そっちのけで喝采。ベルリン国立歌劇場(同曲)では某有名歌手が歌詞を忘れしどろもどろの口パクになって(彼はこれでも有名だったらしい)、ややだるかった演奏に一興を添えました。

忘れちゃったでもヤバい!でもないのですが最高傑作は、どこだったかな(たしかダルムシュタット)で、トスカがえらい太めだなと思ってたら、皆さんそうだったんですね、クライマックスの自殺シーンで飛び込んだ瞬間ドスンと轟音?がとどろいて満場がこらえきれず失笑。悲劇が一転して喜劇になりましたが、まあ彼女の身を挺した熱演にカーテンコールはあったかいもんでした。

面白いけどやってるほうは必死ですよね。失礼しました。

(追記)

何といっても抜群に面白いのはこのビデオでしょう。マゼールの春の祭典の稿に書きましたがURLが違っていたのでここに再録します。

「前回、ティンパニのミスの話を書いた。しかしあんなものは可愛いものであり、春の祭典の演奏がどれほど難しいかということまでを教えてくれる映像がある。ズビン・メータ指揮ローマ放送交響楽団の69年のライブである。これだけいい加減な春の祭典というのも希少である。笑ってはいけない。前半だけでも、トランペットが一音符遅れて入りちゃんと吹ききる、フルートが一小節ずれてちゃんと吹ききる、クラのトリルが抜ける、ティンパニが間違ってドカン、オーボエが一小節早い・・・少なくとも5か所の尋常でない「事故」がある。後半もペットが落っこち、ティンパニはズレまくる。圧巻はコーダに入る所でティンパニが一小節飛ばして入り、気がついて立て直したつもりがひきつづき間違った音をバンバン叩き続けるためついにアンサンブルが崩壊。止まりかけの緊急事態となるがホルンと木管が何とかつないでティンパニは落ちたまま終わる。歌劇場ではミスに情け容赦のないローマの聴衆がブーのひとつもなく大喝采、スタンディング・オベーション。なんとも微笑ましい。」

驚くべきことにローマの聴衆でこの事件に気づいた人は会場にひとりもいないようだ。そして、この演奏会があった同じ1969年に、あの歴史的なブーレーズ/クリーブランドO.の春の祭典が録音されるのです。メータには大変申しわけないが同じ指揮者と称しても別種の人間としか思えないが事故をよく収集して終わらせたという評価はできるかもしれません。いずれにせよこのVTRは何かのジョークでなければ彼の名誉のために消された方がよろしいでしょう。

 

 

 

 

 

 

ドビッシー 「3つの夜想曲」(Trois Nocturnes)

2015 JUL 8 8:08:18 am by 東 賢太郎

僕は70年代のブーレーズのLPでいろんな曲を初めて知り、耳を鍛えられた者なので良くも悪くも影響を受けていますが、その後者の方がこれです。この曲が好きな方は多いでしょう。クラウディオ・アバドはこれが振りたくて指揮者になったとききます。

しかし、僕はだめなのです。どうも真剣になれない。「海」(第1楽章)と「牧神」はシンセでMIDI録音するほどはまりましたが、これはまったくその気なしです。随所に好きな、というか好きになっていておかしくない和声や音響はあるんですが。

IMG_8832cそれはおそらくブーレーズの演奏(右がLP)がつまらなかったせいと思います。彼も万能ではなくて、牧神もポエジーに乏しくていまひとつですが「夜想曲」はさらにそのマイナスが出ていて、音に色気、霊感がないのです。

ちなみに「遊戯」の冒頭部分などお聴きなってください、春の祭典の最初の数ページに匹敵する素晴らしさです。倍音まで完璧に調和するピッチ、精巧な楽器のバランス、神経の研ぎ澄まされたフレージング、聴く側まで息をひそめるしかない緊張感!

こんなに「そそる」音楽が出てくる録音はそうあるものではなく、これを今どき多くなっているライブ録音CDと比べるならプロ写真家の式典写真と素人のスマホ写真ぐらいの差があります。それと比較してこの「夜想曲」は同じ指揮者とオケ(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)とは信じがたい。

録音プロデューサーが海、牧神、祭典とは別人でテクニカルな理由もあるかもしれません。とにかくブーレーズを神と崇め、LPはどれも微細なノイズまで耳を凝らして聴かされてしまっていた当時の僕が何回聴いてもそういうことだったので、そこには何か峻厳たる理由が横たわっていたに違いなく、本稿はその関心から書いています。

「夜想曲」の着想はペレアスを書いている1893-4年ごろと考えられています。第3曲シレーヌ (Sirènes)にヴォカリース(母音唱法)の女声合唱があるなどその一端を伺えます。これはラヴェル(ダフニス)、ホルスト(惑星の海王星)などに影響したでしょう。

最も驚くべきは第2曲祭 (Fêtes)の中間部でppのトランペット3本を導入する低弦のピッチカート、ハープとティンパニがpppでおごそかな行進のリズムを刻む部分です。

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これは春の祭典の「祖先の儀式」(楽譜下)になったに違いないと僕は思います。

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こういう想像を喚起するだけでも「夜想曲」に秘められた作曲者の天才の刻印とその影響ははかりしれませんが、同時期の作曲でそれが最も認められるペレアスのスコアと比べるとこれは若書きの観が否めません。ぺレアスと同次元に達している管弦楽曲は「海」であると僕は確信します。

ということですが、全部ブーレーズに責任があるわけではなく僕自身が夜想曲のスコアからマジカルなものを見いだせていないということでもあります。いいと思うのはシレーヌの最期の数小節ぐらいです。主だった録音は持っていますし実演も聴いていますが、どうしても自分の中からは冷淡な反応しか得られない。

こちらはラヴェルによる二台ピアノ編曲で、僕はこっちの方が好奇心をそそられ満足感が高いです。

(補遺、15 June17)

そのブーレーズCBS盤です。これも発売当時の世評は高かった。僕の趣味の問題かもしれず、皆様のお耳でご検証を。

音響的にゴージャスで耳にやさしいのはシャルル・デュトワ/モントリオール響の録音でしょう。これが世に出た80年代初期、ちょうどLPからCDに切り替わる時期でクラシックのリスナーにとっては革命期でした。CD+デジタル録音というメディアにまだ一部は懐疑的だった世評も、このデュトワの見事な音彩とDeccaの技術によるアナログ的感触は批判しきれなかったと記憶します。

ドビッシーというのはラヴェルに比べてフランスの管と親和性が希薄で、ロシアはさすがに抵抗があるがドイツ、中欧のオケでもいいものがあります。クリュイタンス/パリ音楽院管やミュンシュ/パリ管の艶っぽい管に彩られたラヴェルを信奉する人たちからもドビッシーでそういう主張はあまりききません。ベルナルト・ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管(ACO)のこれはその好例で、名ホールの絶妙のアコースティックが見事にとらえられ、ほの暗い音彩で最高にデリケートで詩的な管弦楽演奏が楽しめます。ノクターンの夜の質感はフレンチの管でなくACOの方に分があると僕は感じます。技術的にも音楽性も最高水準にあり、ハイティンクという指揮者の資質には瞠目するばかりです。ちなみにこれの発売当初(1979年ごろ)、日本の音楽評論家は彼を手堅いだけの凡庸な中堅指揮者と半ば無視していたのでした。

(補遺、17 June17)

ヨーゼフ&ロジーナ・レヴィーン(pf)

モスクワ音楽院ピアノ科の金メダリストはアントン・ルービンシュタインからの伝統の系譜、ロシア・ピアニズムの真の後継者です。このご夫妻は両者がそれであり、僕にとってレジーナのショパンP協1番はあらゆる録音でベストです。これはラヴェル編曲の「祭り」で黄金のデュオの音彩は見事の一言に尽きます。

(参考)

ドビッシー 交響詩 「海」

ストラヴィンスキー バレエ音楽 「春の祭典」

 

 

 

 

 

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ストラヴィンスキー バレエ音楽 「火の鳥」

2015 MAR 5 0:00:12 am by 東 賢太郎

僕がこの曲を母の一言で知ったひょんな経緯はこれに書きました。

ストラヴィンスキー好き

このアンセルメ盤「火の鳥」ブーレーズ盤「春の祭典」を買った高校1年が自分の音楽史の真の元年といってよく、のちに肩の故障で思うようにいかなくなった野球をあきらめようという契機になり、それならついでに受験も頑張ってみようかなという気にもなったという、ひとえに人生の導師のような存在です。

コタニの売り場のお兄さんに言われた「組曲より全曲版がいいよ」という教えを順守してアンセルメ盤を全部覚えてしまい、しばらく組曲版の方を知りませんでした。それを初めて耳にした時の衝撃は忘れません。なんじゃこりゃ?もう全然別な曲であり、オーケストラが妙でフィーナーレに変なホルンのグリッサンドが鳴るに至ってはディズニーの漫画かよという感じです。

しかしもっとも怒りを覚えたのは、大好きなところである「火の鳥の嘆願」がばっさりと切り捨てられていることでした。これです。

firebird

ここのゾクゾクするエロティックな和声はどうだろう!ドビッシー風なんだけども火の鳥にしかないたまらない色香!寝ても覚めても四六時中これが頭の中で鳴るほど惚れ込んでしまい、以来ずっとストラヴィンスキーはもちろん、誰のであれこういう音のする音楽を探し求めてきましたが、ひとつもありません。弾ける方はこの楽譜だけでも鳴らして3小節目の「火の鳥和声」を味わってみて下さい。

これはもう音の魔法なんです。僕はバレエには皆目無関心で観たことがなく、火の鳥がなにをどう嘆願しているか知りませんが、この音の動きを目をつぶって追っているだけで恍惚として法悦の境地をさまよっており、たのむから舞台でドタバタと余計な雑音やほこりをたてんでほしいと願ってしまうのです(バレリーナのかた、すみません・・・)。

これを書いたストラヴィンスキー、そして組曲でこれを捨てたストラヴィンスキー、どっちが本物なんだろうとさんざん迷うことになりました。

魔法はいくらでもあります。まず、冒頭の「導入部」は低弦の不気味なユニゾンで幕をあけます。それにファゴットの低音の和音がからむ部分の雰囲気は一気に我々を魔法の園に引き入れますが、これは森の洞窟を暗示するワーグナーの楽劇ニーベルンゲンの指輪の第2日(3曲目)である「ジークフリート」の幕あけの「序奏」そっくりです。「カッチェイの死」の2小節も「ジークフリート」の第2幕序奏にホルンの重奏で出てくる音型、和声にそっくりです。

感心するのは「王女たちのロンド」のバスのピッチカートの後です。3小節目でアルトがd♮になる、こんな簡素な譜面でたったそれだけなのに、ほのかにサブドミナントのあの希望の灯りがさしこむところ!彼がやたら音の洪水みたいな騒然たる曲で有名と思ったら大間違い、こんな繊細な和声感覚があるからああいうものでも人を魅了できるのです。

firebird1

ところがです。これは作曲者によるピアノ版なのですが、8小節目のf#は全曲版にはなく、ここはファゴットとヴィオラがeを鳴らしています。音まで変えているというのはどうかと思います。あんな素晴らしいスコアを書いておきながらこんないい加減なことがどうしてできるのか神経を疑う。またしてもわからなくなります。

この後に出てくる「魔法のカリヨン」、ここのスコアは春の祭典の先駆けであり、幻想交響曲の第5楽章の妖気を孕んだ傑出した部分です。アンセルメ盤のここの異界の音響のおどろおどろしさはききものです。ところがこれも組曲版はあえなくカット、ひどいものです。ひとことで言ってしまえば、組曲版はいくつか種類がありますが、全曲版の版権が認められない米国で印税稼ぎするためにあえて差異を作りだした改悪版なのです。

特に最も演奏頻度の高い1919年版というのは魔王カッチェイの宮殿にたちこめていた邪悪な霧や火の鳥の魔法の痺れるようなオーラは消し飛び、ディズニーランドのBGMみたいにド派手で子供受けするショーピースになってしまった無残なカリカチュアです。これがプログラムにのっているコンサートは昭和の食堂にあった日の丸が立ってる「お子様ランチ」を思い出し、足を運ぶ意欲が一気に萎えます。正直のところ、なくてもいい楽譜と思います。

むかし音楽誌に「全曲版は冗長なので1919年版が良い」などと書いている人がいて、評論家のあまりのレベルに低さに絶句しました。しかしそういう輩が出かねないぐらい作曲者本人が米国での版権目当てに、要は金儲けのために混乱を生んでいる部分もあるのです。やっぱりこれはドビッシーだなと思う和声は多いし、「魔王カッチェイの踊り」は師匠リムスキー・コルサコフの歌劇「ムラダ」の「悪魔のロンド」とムソルグスキーの「禿山の一夜」の影響が明白なことは禿山のピアノバージョンを聴けばすぐわかります。彼自身、習作に近いと認識していたかもしれず、この曲に深い愛情があったかというとやや疑問のようにも思います。

友人であり作品へのアドバイザーでもあったアンセルメはスコアにあれこれ意見していました。その結果、やがて解釈のちがいから喧嘩して口をきかない中になりました。N響に来演したビデオがありますが、フィナーレの4分の7拍子をザクザク切って全曲版のスコアと程遠いものになっています。この辺にも愛情不足を感じてしまいます。かたや、やはりN響を振ったアンセルメはずっと自然です。喧嘩の影響だったんでしょうか。

さて、この曲の魔法の極点はフィナーレにやってきます。

カッチェイが死ぬと15パートに分割した嬰ニ短調の弱音器付の弦の和音が上昇、そしてトレモロで徐々に霧が晴れるように下降して、ラファエロの絵のような神々しい空気を作ります。ホルンが牧歌的なロ長調の主題を歌う。悪の消滅、そして感謝。ここは田園交響曲の終楽章、嵐の後の神への感謝のムードそのものです。

天使の導きのようなハープのグリッサンドがその歌をヴァイオリンに渡すと、コントラバスがそっと基音のシを添え、ハープのハーモニクスが天への階段を一歩一歩登るようにやさしく歌を支えていきます。そして空からの一条の光のようなフルートがさしこむと、音楽はゆっくりと大団円に向います。

スコアのこの1頁のこの世のものとも思えぬ神々しい響きはあらゆるクラシック音楽のうちでも絶美のものというしかなく、いかなる言葉も無力、無価値です。それをここにお示しして皆さんで味わっていただくしかございません。

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そしてここから 4分の7拍子の歓喜の円舞がロ長調からハ長調へと高潮し、もういちどロ長調に半音下に戻すところのティンパニとチューバの f# の一発!これをアンセルメは渾身の力でズーンとやりますが、これに何度しびれたことか。半音ずれるだけの転調がこの1発で正当化されてしまう天才の一撃!そして2コーラス目に入るところの h の一撃!

この半音下にずれる転調は、僕のブログを読んでいただいている方は思い出されるでしょう。そう、ボロディンの交響曲第2番の第2楽章トリオに稀有な例があるのです。ストラヴィンスキーがそこから発想したかどうかわかりませんがあれを知らなかったということは考えられません。ただ火の鳥の方は背景の和声の事後的な正当化は何もなくf#のドスンでいわば暴力的にロ長調におさまってしまう。とてもストラヴィンスキー的ではありますが。

この曲の演奏は何回、何種類きいたか記憶にもありませんが、実演で感動したのはゲンナジー・ロジェストヴェンスキーが東京芸術劇場で読響とやったものです。拍手が延々と鳴りやまず、指揮者が指揮台のスコアを手に取って高く掲げ、聴衆と一緒にそれを讃えたのも感動的でした。

もうひとつは95年3月30日にフランクフルトのアルテ・オーパーできいたヴァレリー・ゲルギエフ / キロフ管弦楽団で、ドイツの家に遊びに来ていた母と行った演奏会でした。フィラデルフィア、ロンドン、フランクフルト、チューリヒと言葉もわからないのによく一人で何度も訪ねて来てくれたものです。そのたびに好きな音楽会にたくさん連れて行きましたが、母の一言で知ることになった火の鳥をいっしょにきけたというのも幸せでした。実は今日、母が手術をして、うまくいって先ほど家に戻ったところで、だいぶ前に書き溜めていた縁のある火の鳥を投稿させていただこうということに致しました。

全曲をそのゲルギエフの演奏で。

 

この曲を知っている方も知らない方も、僕が母とコタニのお兄さんのおかげで買うことになったエルネスト・アンセルメの最後の録音(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振ったDecca盤)をお聴きになられることを心よりお薦めします。作曲者とひと時代を共有したアンセルメが丹精をこめ、いっさい性急なテンポをとらずにスコアの隅々にまで光を当ててすべての美を描ききった演奏であり、オーケストラが見事にそれを具現しているという文化遺産級の録音であります。

唯一の対抗馬としてピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団のCBS盤をあげますが、こちらも指揮者の眼光紙背に徹する空前絶後の名演です。オーケストラのつややかな音響とそれのブレンドによる光彩陸離たる音色美はいまだに並ぶものはなく、当時のブーレーズの音のテクスチュアを分解整理する高度に知的な能力に圧倒されるしかありません。自分もそうでしたが、アンセルメ盤で耳を作ってからこれを聴かれるという順番が理想的かと存じます。

ブーレーズのフィナーレです。

 

(補遺)

下のビデオを聴くと「f#のドスンでいわば暴力的にロ長調におさまってしまう」部分からをストラヴィンスキーは一音一音をスタッカートで演奏している。来日した折のN響とのビデオも同じであって、それが作曲家の意図だったことは明白だ。現代の指揮者でそうやる人がいないのはどういう経緯があったのか不思議である。

ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」

 

(こちらへどうぞ)

 

僕が聴いた名演奏家たち(ピエール・ブーレーズ追悼)

読響定期 グザヴィエ・ロト を聴く

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

ボロディン 交響曲第2番ロ短調

ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち(サー・コリン・デービス)

2015 JAN 10 0:00:11 am by 東 賢太郎

コリン・デービスの名はずいぶん早くから知っていた。それは名盤といわれていたアルトゥール・グリュミオーやイングリット・ヘブラーのモーツァルトの協奏曲の伴奏者としてだ。リパッティのグリーグ協奏曲を伴奏したアルチェオ・ガリエラやミケランジェリのラヴェルト長調のエットーレ・グラチスもそうだが、超大物とレコードを作るとどうしても小物の伴奏屋みたいなイメージができて損してしまう。

それを大幅に覆したのが僕が大学時代に出てきた春の祭典ハイドンの交響曲集だ。どちらもACO。何という素晴らしさか!演奏も格別だったが、さらにこれを聴いてコンセルトヘボウの音響に恋心が芽生えたことも大きい。いてもたってもいられず、後年になってついにそこへ行ってえいやっと指揮台に登って写真まで撮ってしまう。その情熱は今もいささかも衰えを知らない。

彼は最晩年のインタビューで「指揮者になる連中はパワフルだ」と語っている。これをきいて、子供のころ、男が憧れる3大職業は会社社長、オーケストラの指揮者、プロ野球の監督だったのを思い出した。ところが「でも、実は指揮にパワーなんていらない。音楽への何にも勝る情熱と楽団員への愛情があれば良いのだ」ともいっている。これは彼の音楽をよくあらわした言葉だと思う。

サー・コリンが一昨年の4月に亡くなった時、何か書こうと思って書けずにきてしまったのは、ロンドンに6年もいたのに驚くほど彼を聴いていないのに気がついたからだ。彼が晩年にLSOとライブ録音した一連のCDを聴いていちばん興味を持っていた指揮者だったのに・・・。youtubeにあるニューヨーク・フィルとのシベリウス3番のライブを聴いてみて欲しい。こんな演奏が生で聴けていたら!

僕がクラシック覚えたてのころ彼のお決まりの評価は「英国風の中庸を得た中堅指揮者」だ。当時、「中庸」は二流、「中堅」はどうでもいい指揮者の体の良い代名詞みたいなものだった。それはむしろほめている方で、ドイツ音楽ではまともな評価をされずほぼ無視に近かったように思う。若い頃のすり込みというのは怖い。2年の米国生活でドイツ音楽に飢えていた僕があえて英国人指揮者を聴こうというインセンティブはぜんぜんなかった、それがロンドンで彼を聴かなかった理由だ。

それを改める機会はあった。93年11月9日、フランクフルトのアルテ・オーパーでのドレスデンSKを振ったベートーベンの第1交響曲ベルリオーズの幻想だ。憧れのDSK、しかも幻想はACOとの名録音がある。しかし不幸なことに演奏は月並みで、オケの音も期待したあの昔の音でなかったことから失望感の方が勝っていた。これで彼への関心は失せてしまったのだ。もうひとつ98年5月にロンドンのバービカンでLSOとブラームスのドッペルを聴いているが、メインのプロが何だったかすら忘れてしまっているのだからお手上げだ。ご縁がなかったとしかしようがない。

davisしかし彼の録音には愛情のあるものがある。まずLSOを振ったモーツァルト。ヘレン・ドナートらとの「戴冠ミサ」K.317、テ・カナワとのエクスルターデなどが入ったphilips盤(右)である。このLPで知ったキリエK341の印象が痛烈であった。後にアラン・タイソンの研究で 1787年12月〜89年2月の作曲という説が出て我が意を得た。ミュンヘン時代の作品という説は間違いだろう。

5969523僕のデービスのベスト盤はこれだ。ACOとのハイドン交響曲第82,83番である。もし「素晴らしいオーケストラ演奏」のベスト10をあげろといわれたら彼のハイドン(ロンドンセットは全曲ある)は全部が候補だが、中でもこれだ。なんという自発性と有機性をそなえた見事なアンサンブルか。音が芳醇なワインのアロマのように名ホールに広がる様は聞き惚れるしかない。こういう天下の名盤が廃盤とはあきれるばかりだが、これをアプリシエートできない聴き手の責任でもあるのだ。

16668gこのハイドンと同様のタッチで描いたバイエルン放送SOとのメンデルスゾーン(交響曲3,4,5番と真夏の夜の夢序曲)も非常に素晴らしい。オーケストラの上質な柔軟性を活かして快適なテンポとバランスで鳴らすのが一見無個性だが、ではほかにこんな演奏があるかというとなかなかない。昔に「中庸」とされていたものは実は確固たる彼の個性であることがわかる。5番がこういう演奏で聴くとワーグナーのパルシファルにこだましているのが聞き取れる。

51BSnT5oJxL__SX425_シューベルトの交響曲全集で僕が最も気に入っているのはホルスト・シュタインだが後半がやや落ちる。全部のクオリティでいうならこれだ。DSKがあのライブは何だったんだというぐらい馥郁たる音で鳴っており1-3番に不可欠の整然とした弦のアーティキュレーションもさすが。僕は彼のベートーベン、ブラームス全集を特に楽しむ者ではないが、こういう地味なレパートリーで名演を成してくれるパッションには敬意を表したい。4番ハ短調にDSKの弦の魅力をみる。

41AQABHVRZL春の祭典、ペトルーシュカだけではない、この火の鳥もACOの音の木質な特性とホールトーンをうまくとらえたもので強く印象に残っている。この3大バレエこそ彼が中庸でも中堅でもないことを示したメルクマール的録音であり、数ある名演の中でも特別な地位で燦然と輝きを保っている。 オケの棒に対する反応の良さは驚異的で「火の鳥の踊り」から「火の鳥の嘆願」にかけてはうまさと気品を併せ持つ稀有の管弦楽演奏がきける。泥臭さには欠けるがハイセンスな名品。

51k8eFkIMIL__SX425_ブラームスのピアノ協奏曲第2番、ピアノはゲルハルト・オピッツである。1番はいまひとつだが2番はピアノのスケールが大きくオケがコクのある音で対峙しつつがっちりと骨格を支えている。オピッツはラインガウ音楽祭でベートーベンのソナタを聴いたがドイツものを骨っぽく聞かせるのが今どき貴重だ。この2番も過去の名演に比べてほぼ遜色がない。ヘブラーやグリュミオーのモーツァルトもそうだがデービスはソリストの個性をとらえるのがうまい。録音がいいのも魅力。

 

あとどうしてもふたつ。 ヘンデル メサイアより「ハレルヤ」(Handel, Hallelujah) に引用した彼のヘンデル「メサイア」は彼のヘンデルに対する敬意に満ちた骨太で威厳のあるもので愛聴している。そしてLSOとのエルガー「エニグマ変奏曲」も忘れるわけにはいかない代表盤である。

(こちらへどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

エルガー「エニグマ変奏曲」の謎

 

 

 

 

 

 

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ストラヴィンスキー バレエ・カンタータ 「結婚」

2014 NOV 3 0:00:25 am by 東 賢太郎

ストラヴィンスキーの最高傑作として春の祭典と並んで挙げたいのはこの曲です。今はどちらか選べと言われれば断然この「結婚」になります。

ストラヴィンスキーは1910年にザンクト・ペテルブルグからスイスに移って10年の間、レマン湖の北側のモントルー、クララン、モルジュに住み火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典、結婚、兵士の物語、プルチネルラなどの代表作を書きました。新古典主義の作風に移行する前のこの10年にスイスの風光明媚な地でロシア色の強い作品を次々生んだというのも面白いものです。それはバレエ・リュスを通してパリの市場でその需要が強かったからだと思われます。

野村スイス本社はチューリヒにあって、僕は96-7年にチューリヒ湖畔のクスナハトに住みましたが、ジュネーヴ支店長も兼任していたためレマン湖もよく行きました。モントルーはジャズ・フェスティバルで有名ですがそのメイン会場名がストラヴィンスキー・オーディトリウムです。クラランには「春の祭典通り」(Rue-du-Sacre-du-Printemps)まであるのです。ラヴェルもそのあたりに住んでいてダフニスをストラヴィンスキーに聞かせたはずです。

692824_186_zそれはどんな所か?この写真のような所です。モントルーのやや西にあるヴェヴェイ(Vevey)はチャップリン、ヘップバーンが晩年に住み、世界的食品会社ネスレが本社を置いていますが丘の上にあるホテル・ミラドール(Mirador、それが右の写真)は僕がスイスで家族で泊まったうちでも3本の指にはいるもの。眼下にレマン湖、その向こうに雪をかぶったアルプスが望める絶景で、天皇陛下もお茶をされたという名ホテルです。今はケンピンスキー系列になったようですが、ぜひ一度宿泊されることをお薦めします。

ここで書かれ1923年にバレエ・リュスによりパリで初演された「結婚」は当初は大オーケストラで書くことを想定されました。そうならなかったのは、曲想からして春の祭典の二番煎じになってしまうからではないでしょうか。シンプルな民謡風旋律と複雑な変拍子、結尾のh音の鐘(ベル)とアンティーク・シンバルが鳴る部分の印象的なピアノのリズムが春の祭典の「生贄の踊り」のティンパニのリズムで短3度を含むなど、両曲の血縁関係は明白です。

結局、4台のピアノ、打楽器アンサンブル、4人の独唱、混成四部合唱という変則的なものに落ち着きましたが、それが非常に成功したと思います。特に声の強烈なインパクトは大オーケストラだと埋もれてしまったでしょう。家には図書館並みの20万冊もの蔵書を持っていたストラヴィンスキーの父はマリンスキー劇場のバス歌手でした。そのためでしょう、彼の声楽書法の自然さと巧みさはあまり指摘されませんが僕はこの作品でそれを強く感じます。それが春の祭典を上回る魅力なのです。

初めて聴くとわかりにくく聞こえるのですが、歌のメロディーは全音階的できわめて単純で土くさい民謡調です。数回聞けば誰でもすぐ覚えられますから第一印象で敬遠しないように願います。この土俗的なハレの場が変拍子がいりくんだ乱れ打ちの打楽器で高潮していく様はまったくもって春の祭典の分身であり、ピアノも打楽器としてその祭りに組み込まれます。祭典の4台ピアノ版に打楽器と歌を加えた感じといったら最も近いでしょう。

「結婚」とはロシアの農民の婚礼のようですが描写音楽ではないと作曲者は述べています。春の祭典が生贄という死の儀式であり、結婚は誕生の儀式である。この曲は前者を作曲中でその初演の前年である1912年に着想されています。両者がペアの音楽と考えてよろしいのではないでしょうか。何とも蠱惑と興奮に満ち満ちた音楽であり、決して有名ではありませんが僕は世紀の大名曲と確信しております。

その証拠といってはなんですが、春の祭典の色が濃厚とはいえ、自作のペトルーシュカも彷彿とさせ、後に書かれるオルフのカルミナ・ブラーナ、バルトークの弦チェレ、レスピーギの「ローマの祭り」もこれなくして書かれなかったかと思わせます。逆にシェーンベルグの「月に憑かれたピエロ」を聴いたストラヴィンスキーが「日本の3つの抒情詩」を書き、ラヴェルが「マダガスカル島人の歌」を書きました。かように20世紀初頭は各作曲家が個性を多様に競い合い影響を及ぼし合う時代だったように思いますが、この曲は多方面に遺伝子を残していると信じます。

noces大学時代にニューヨークで買ったピエール・ブーレーズ指揮パリ国立歌劇場メンバーによるLPがあまりに衝撃的で脳天に焼きついており、「結婚」というとこれになってしまうのも春の祭典と同じです。ここでブーレーズが聴かせる鮮烈な音!土俗的ではないが原色的な歌、精密でパンチのある打楽器アンサンブル、音程が明確なティンパニ、知的だが熱い音楽である65年のこの録音に春の祭典CBS盤への血脈がはっきりと感じられます。このLPはB面にプリバウトキ、猫の子守歌、4つの歌、4つのロシアの歌が入っていて、これがまた歌も伴奏楽器群もブーレーズの面目躍如である細密的音色美にあふれていて聴くたびに体も精神も興奮します。これは天下の名盤であり、一人でも多くの方に聴いていただきたいと思います。

41NJ4XKGQPL次にロンドンで買ったバーンスタイン指揮イギリス・バッハ音楽祭打楽器アンサンブルにアルゲリッチ、ツィマーマン、カツァリスのピアノという豪華顔ぶれによるDG盤でした。わりあいしずしずと始まりますが、だんだん音楽が熱してきてリズムの爆発的饗宴となります。この演奏のリズムの現代的な格好よさはこれまたとてつもない魅力で、バーンスタインは春の祭典よりこっちの方に向いています。動物的とさえいえるしなやかな運動神経を感じさせるセクシーな快演であります。ソプラノのアニー・モーリーは艶のある声質で好ましい。アメリカ人ですがロシア語のテクストをよく歌っています。

もうひとつyoutubeでこういうのを見つけました。これは上の2つと対照的に田舎の土俗性丸出しの土臭さ。大変面白いですね。癖になりそうです。

(こちらへどうぞ)

僕が聴いた名演奏家たち(ピエール・ブーレーズ追悼)

ストラヴィンスキー バレエ音楽 「春の祭典」

シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」

ダリウス・ミヨー 「男とその欲望」(L’homme et son désir)作品48

 

 

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クラシック徒然草-トゥガン・ソヒエフの春の祭典-

2014 OCT 20 11:11:05 am by 東 賢太郎

ブログで既報のとおりN響とのプロコフィエフの5番が名演だったトゥガン・ソヒエフは気になっている指揮者である。来年2月に手兵トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団を率いて来日するというのでさっそくチケットを予約した。

一回実演をきいただけではまだ真価は良くはわからない。そういう場合、僕にはレファレンスになる曲がいくつか存在するが、春の祭典はその格好のもの。火の鳥(1919年版)と一緒に入ったCDを購入して聴いてみた。

特に奇をてらったものではない。春のロンドや生贄の踊りのテンポはやや速めに取るなど若々しさがあるがオーソドックスな範囲であり、若さよりは安定感を感じる。実演で見た指揮ぶり、音楽の先を常に読みオケをコントロールする勘の良さと運動神経がここでも感じられる。第1部序奏部の木管アンサンブルの精度と質感はなかなかであり、この部分にキレとみずみずしさがないと聴く気がしぼむが、うまくクリアしている。ただそれ以降は期待があっただけにやや残念である。

71UWJ6pwEuL__SL1500_こういう曲の録音の場合、どこまでが指揮者でどこまでがエンジニア等の趣味なのか不明だが、まずは肝心のティンパニが良く聞こえないのがまったくいただけない。ティンパニとバスドラムの音色の区別、アルト・フルート、バス・トランペット、バスクラリネットのパートと音色への配慮がぜんぜんない。もうそれだけで僕としては大きく減点である。ポリシーの問題に過ぎないが少なくとも結果がそうなっていない以上、ソヒエフという人もそういうことを注視する指揮者ではなさそうだ。火の鳥の方も、王女たちのロンドのオーボエを甘目に吹かせるなど、いただけない。数ある名演に比べるとフィナーレの霊感にも欠けている。

これはエンジニアの問題だが、2階席のやや奥目に座っている感じで音を録っていること自体、この曲のディテールを知的に解析しようとするよりはマスとして快演を演出しようという大衆お子様路線のように思われる。そういう演奏は掃いて捨てるほど存在するのであり、そこで比べるならトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団というオケは音色美も技術も見劣りする。難しいスコアをスマートに整理整頓して聴かせる能力は高いがなん百回も聴いている人間を納得させ屈服させる域には達しておらず二曲とも100点満点で40点ぐらいの出来というところだろう。ブーレーズのCBS盤とは比べる域にもなく、大人と子供の差だ。

僕としてはブーレーズのCBS盤をレファレンスにするしかないが、こうやって普通の演奏録音をきくたびにその凄さをかみしめるという結果になってしまう。それはブーレーズ自身ですら二度と太刀打ちすることあたわず、もはや演奏そのものが「作品」と化していることにおいてビートルズのSgt.PeppersやAbbey Roadと同質の存在という観がある。演奏というよりひとつの現象だ。ビートルズがそれらをステージで実演できないように、ブーレーズ盤もコンサートホールで再現することはできない。

音を分光器にかけたような驚くべき音彩、整然とうごめくあやしい生命体のようなリズム、知性と狂気が表裏となった儀式が執り行われているあぶない空気、そこではピエール・ブーレーズという天才の発する強烈なオーラが時間を厳格に支配しており、聴く者は金縛りになってすべての微細な音にまで耳を侵食されるしかないのである。

春の祭典がそういう演奏を得たことは我々聴く者にとっては幸運なことだったが他の指揮者にとっては不幸なことだった。だからどれを聴いても分が悪いのは仕方がない。このソヒエフ盤が特に悪いというわけでははない。彼に期待がある分だけ点が辛くなったかもしれず初めて聴く方はこれでも曲の魅力はわかるだろう。

最後に一般論として書いておきたいが、ブーレーズのCBS盤を聴く意味というのはスコアをなぞっただけの演奏というものが音楽的にどれだけ底が浅く稚拙なものかを示してくれることでもある。99%がそういう演奏であるのだから、世の中で春の祭典を知っているという方々もそういう稚拙な像を覚え込んでいるかもしれないということだ。

あのスコアにこれほどの情報量が詰まっていようとはストラヴィンスキーですら知らなかったかもしれない。譜面を読む天才が宝物をたくさん掘り当てていることにびっくりするという経験は面白いものだ。他人のスコアを再現する天才というものが在り得るのだ。ストラヴィンスキーが好きか嫌いかはともかく、演奏というものに関わり、あるいは関心のある方はお聴きになることをお薦めしたい。

 

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ソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団をきく

N響 トゥガン・ソヒエフを聴く(1月21日追記あり)

 

 

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ベルリオーズ 「幻想交響曲」 作品14

2014 JUL 28 14:14:41 pm by 東 賢太郎

220px-Henrietta_Smithsonほれた女にふられるならまだいいが、無視されるのは堪え難いというのは男性諸氏は共感できるのではないか。まだ無名だった24歳のベルリオーズは、パリのオデオン座でイギリスから来たシェイクスピア劇団の舞台に接し、ハムレットのオフィーリアを演じたアイルランド人の女優、ハリエット・スミッソン(左)に夢中になってしまった。熱烈なラブレターを出すがしかし彼女は意に介さず、面会すらもできない。激しい嫉妬にさいなまれた彼はやがて彼女に憎しみを抱いてゆくことになる。

間もなく劇団はパリを去ってしまい、ハリエットをあきらめた彼はマリー・モークというピアニストと婚約した。ところが、踏んだりけったりとはこのことで、ローマ賞の栄冠に輝いてイタリア留学に行くとすぐに、モークの母から娘を別な男に嫁がせることにしたという手紙が届く。怒ったベルリオーズはパリに引き返し女中に変装してモーク母子を殺害して自殺しようと企んだ。婦人服一式、ピストル、自殺用の毒薬を買い馬車にまで乗ったのだから本気だった。幸いにして途中(ニース)で思いとどまったが彼は危ないところだった。

しかし、この事件の前に、彼はすでに殺人を犯し、自殺していた。

それは1830年にできたこの曲の中でのことである(幻想交響曲)。恋に深く絶望し阿片を吸った芸術家の物語だが、その芸術家は彼自身である。彼はおそらくハリエットを殺しており死刑になる。ギロチンで切られた彼の首がころがる。化け物になったハリエットが彼の葬儀に現れ奇っ怪な踊りをくりひろげる。これと同じことがモークの件で現実になる所だったわけだ。ベルリオーズが本当に阿片を吸ったかどうかはわからない。阿片は17世紀は医薬品とされ、19世紀にはイギリス、フランスなどで医薬用外で大流行し、詩人キーツのように常用した文化人がいた。ピストルと毒薬を買って殺人を企図したベルリオーズが服用したとしてもおかしくない。

そう思ってしまうほど幻想交響曲はぶっ飛んだ曲であり、「幻想」(fantastique、空想、夢幻)とはよく名づけたものだ。これが交響曲という古典的な入れ物に収まっていることが、かろうじてベートーベンの死後2年目にできた曲なのだと信じさせてくれる唯一の手掛かりだ。逆にその2年間にベルリオーズは入れ物以外をすべて粉々にぶち壊し、それでいてただ新奇なだけでなくスタンダードとして長く聴かれる曲に仕立て上げた。そういう音楽を探せと言われて、僕は幻想と春の祭典以外に思い浮かぶものはない。高校時代、この2つの音楽は寝ても覚めても頭の中で鳴りまくっていて受験会場で困った。

この曲のスコアを眺めることは喜びの宝庫である。これと春の祭典の相似は多い。第5楽章の冒頭の怪しげなムードは第2部の冒頭であり、お化けになったハリエットのEsクラリネットは第1部序奏で叫び声をあげる。練習番号68の後打ちの大太鼓のドスンドスンなどそのものだ。第4楽章のティンパニ・アンサンブル(最高音のファは祭典ではシに上がる)なくして祭典が書かれようか。第4楽章のファゴットソロ(同50)の最高音はラであり、これが祭典の冒頭ソロではレに上がる。第3楽章のコールアングレがそれに続くソロを思わせる。「賢者の行進」は「怒りの日と魔女のロンド」(同81)だ。第5楽章のスコアは一見して春の祭典と見まがうほどで僕にはわくわくの連続だ。

この交響曲の第1楽章と第3楽章は、まことにサイケデリックな音楽である。第1楽章「夢、情熱」の序奏部ハ短調の第1ヴァイオリンのパートをご覧いただきたい。弱音器をつけpからffへの大きな振幅のある、しかし4回もフェルマータで分断される主題は悩める若者の不安な声である。交響曲の開始としては異例であり、さらにベートーベンの第九のような自問自答が行われる。gensou1

感情が赤の部分へ向けてふくらんでfに登りつめると、チェロが5度で心臓の高鳴りのような音を入れる。そこで若者は同じ問いかけを2回する。青の部分、コントラバスがピッチカートでそれに答える。1度目はppでやさしく、2度目はfで決然と。まるでオペラであり、ワーグナーにこだまするものの萌芽を見る思いだ。

若者は納得し(弱音器を外す)、音楽は変イの音ただひとつになる。それがト音に自信こめたようにfで半音下がると、ハ長調でPiu mosso.となり若者は束の間の元気を取り戻す。この、まるで夢から覚めていきなり雑踏ではしゃいでいるような唐突で非現実的な場面転換、そこに至る2小節の混沌とした感じは、まったく筆者の主観であるが、レノン・マッカートニーがドラッグをやって書いた後期アルバムみたいだ。両者にそういう共通の遠因があったかどうかはともかく、常人の思いつく範疇をはるかに超え去ったぶっ飛んだ楽想である。

この後、弦による冒頭の不安な楽想と木管によるPiu mossoの楽想が混ざり、心臓高鳴りの動機で中断すると、再び第1ヴァイオリンと低弦の問答になる。ここでの木管の後打ちリズムはこの曲全体にわたって出現し、ざわざわした不安定な感情をあおる。やがて弦5部がそのリズムに引っぱられてシンコペートする。これが第2のサイケデリックな混沌だ。ここから長い長い低弦の変イ音にのっかって変ニ長調(4度上、明るい未来)になり、しばし夢の中に遊ぶ。フルート、クラリネットの和音にpppの第1ヴァイオリンとpのホルン・ソロがからむデリケートなこの部分の管弦楽法の斬新さはものすごい!これはリムスキー・コルサコフを経てストラヴィンスキーに遺伝し、火の鳥の、そして春の祭典のいくつかのページを強く連想させるものである。

この変イ音のバスが半音上がり、a、f、g、cというモーツァルトが偏愛した古典的進行を経てハ長調が用意される。ここからハリエットのイデー・フィックス(固定楽想)である第1主題がやっと出てきて提示部となる。つまりそこまでの色々は序奏部なのだ。この第1主題、フルートと第1ヴァイオリンが奏でるソードソーミミファーミミレードドーシである。山型をしている。ファが頂上だが、ミミファーと半音ずり上がる情熱と狂気の盛り上げは随所に出てくる。第2主題はフルートとクラリネットで出るがどこか影が薄い。しかしこの気分が第3楽章で支配的になる大事な主題だ。これはすぐに激した弦の上昇で断ち切られffのトゥッティを経て今度は深い谷型のパッセージが現れる。すべてが目まぐるしく、落ち着くという瞬間もない。ここからの数ページは、やはり感情が激して落ち着く間もないチャイコフスキーの悲愴の第1楽章展開部を想起させる。

展開部ではさらに凄いことが起こる。練習番号16からオーボエが主導する数ページの面妖な和声はまったく驚嘆すべきものだ。第381小節から記してみると、A、B♭m、B♭、Bm、B、Cm、C、C#m、C#、Csus4、C、Bsus4、B、B♭sus4、B♭、Bm、B、Cm、C、C#m、C#、Dm、D、D#m・・・・なんだこれは?何かが狂っている。和声の三半規管がふらふらになり、熱病みたいにうなされる。古典派ではまったくもってありえないコードプログレッションである。ベルリオーズは正式にピアノを習っておらず、彼の楽器はギターとフルートだった。この和声連結はピアノよりギター的だ。それが不自然でなく熱病になってしまう。チャイコフスキーは同じようなものを4番の第1楽章で「ピアノ的」に書いた。それをバーンスタインがyoung peoples’でピアノを弾いてやっている。

ところで、ハリエットは第4楽章でギロチンに首を乗せると幻影が脳裏に現れてあの世である終楽章でお化けになることになっているが、僕は異説を唱えたい。最初から殺されていて、全部がお化けだ。第1楽章の熱病部分に続くffのハリエット主題はG7が呼び覚ますが、そこでイヒヒヒヒと魔女の笑いが聞こえ終楽章の空飛ぶ妖怪の姿になっている。そこからもう一度ややしおらしくなって出てくるが、それに興奮して騒いだ彼の首がギロチンで落ちるピッチカートの予告だってもうここに聞こえているではないか。しかしそれはコーダの、この曲で初めてかつ唯一の讃美歌のような宗教的安らぎでいったん浄化される。だからとても印象に残るのだ。本当に天才的な曲だ!このC→Fm(Fではなく)→Cはワーグナーが長大な楽劇を閉じて聴衆の心に平安をもたらす常套手段となるが、ここにお手本があった。この第1楽章に勝るとも劣らないぶっ飛んだ第3楽章について書き出すとさすがに長くなる。別稿にしよう。

第2楽章「舞踏会」。ここの和声Am、F、D7、F#7、F#、Bm、G・・・も聞き手に胸騒ぎを引き起こす。スコアはハープ4台を要求しているが、この楽器が交響曲に登場してくるのがベートーベンをぶっ壊している。第3楽章のコールアングレ、終楽章の鐘、コルネット、オフィクレイドもそうだ。ティンパニ奏者は2人で4つを叩きコーダで2人のソロで合奏!になる。ラ♭、シ♭、ド、ファという不思議な和音を叩くがこのピッチがちゃんと聴こえた経験はない。同様に第4楽章の冒頭でコントラバスのピッチカートが4パートの分奏(!)でト短調の主和音を弾くが、これもピッチはわからない。これは春の祭典の最後のコントラバス(選ばれた乙女の死を示す暗号?)のレ・ミ・ラ・レ(dead!)の和音を思い出す。

この交響曲の初演指揮を委ねられたのはベルリオーズの友人であったフランソワ・アブネックであった。彼についてはこのブログに書いた。

ベートーベン第9初演の謎を解く

幻想交響曲はハリエットという女性への狂おしい思いが誘因となり、シュークスピアに触発されたものだが、音楽的には彼がパリで聴いたアブネック指揮のベートーベンの交響曲演奏に触発されたものである。ベートーベンの音楽が絶対音楽としてドイツロマン派の始祖となったことは言うまでもないが、もう一方で、ベルリオーズ、リスト、ワーグナーを経て標題音楽にも子孫を脈々と残し、20世紀に至って春の祭典やトゥーランガリラ交響曲を産んだことは特筆したい。そのビッグバンの起点が交響曲第3番エロイカであり、そこから生まれたアダムとイヴ、5番と6番である。このことは僕の西洋音楽史観の基本であり、ご関心があれば3,5,6番それぞれのブログをお読み下さい(カテゴリー⇒クラシック音楽⇒ベートーベンと入れば出てきます)。

最後に一言。男にこういう奇跡をおこさせてしまう女性の力というものはすごい。我がことを考えても男は女に支配されているとつくづく思う。そういえばモーツァルトもアロイジア・ウェーバーにふられた。彼が本当にブレークするのはそれを乗り越えてからだ。彼はアロイジアの妹コンスタンツェを選んだ。姉の名はマニアしか知らないだろうが天才の妻になった妹は歴史の表舞台に名を残した。しかしベルリオーズの方は後日談がある。幻想の作曲から2年して再度パリを訪れたハリエットはローマ留学から帰ったベルリオーズ主催の演奏会に行く。そこで幻想交響曲を聞き、そのヒロインが自分であることに気づく。感動した彼女は結局ベルリオーズと結ばれた。彼女の方は大作曲家の妻という名声ばかりか、天下の名曲の主題として永遠に残った。

 

シャルル・ミュンシュ / パリ管弦楽団

406僕はEMIのスタジオ録音でこの曲を知ったしそれは嫌いではない。ただし彼の演奏はかなりデフォルメがあり細部はアバウト、良くいえば一筆書きの勢いを魅力とする。それが好きない人にはたまらないだろうということで、どうせならその最たるものでこれを挙げる。鐘の音がスタジオ盤と同じでどこか安心する。幻想のスコアを眺めていると、書かれた記号にどこまで真実があるのかどうもわからない。そのまま音化して非常につまらなくなったブーレーズ盤がそれを物語る。これがベストとは思わないが、面白く鳴らすしかないならこれもありということ。フルトヴェングラーの運命の幻想版という感じだ。EMI盤と両方そろえて悔いはないだろう。

 

ジェームズ・コンロン/  フランス国立管弦楽団

gensouこの曲はフランスのオケで聴きたいという気持ちがいつもある。マルティノンもいいが、これがなかなか美しい。LP(右、フランスErato盤)の音のみずみずしさは絶品で愛聴している。演奏もややソフトフォーカスでどぎつさがないのは好みである(音楽が充分にどぎついのだから)。パリのコンサートで普通にやっている演奏という日常感がたまらなくいい。料亭メシに飽きたらこのお茶漬けさらさらが恋しい。終楽章のハリエットですら妖怪ではなく人間の女性という感じだからこんなの幻想ではないという声もありそうだが。

 

オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団

4118SYQZ5PL__SL500_AA300_ロンドン時代にLPで聴き、まず第一に音が良いと思った。音質ではない。音の鳴らし具合である。この曲のハーモニーが尖ることなく「ちゃんと」鳴っている。だからモーツァルトやベートーベンみたいに音楽的に聞こえる。簡単なようだがこんな演奏はざらにはない。第2楽章にコルネットが入る改訂版をなぜ選んだかは不明だが、彼なりに彼の眼力でスコアを見据えていておざなりにスコアをなぞった演奏ではない。ご自身かなりぶっ飛んだ方であられたクレンペラーの波長が音楽と共振している。第4楽章の細部から入念に組み立ててリズムが浮わつかない凄味。終楽章もスコアのからくりを全部見通したうえで音自体に最大の効果をあげさせるアプローチである。こういうプロフェッショナルな指揮は心から敬意を覚える。

 

(補遺、2月29日)

ダニエル・バレンボイム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

51iMEuehZVLベルリン・イエス・キリスト教会の広大な空間を感じる音場で、オーケストラが残響と音のブレンドを自ら楽しむように気持ちよく弾き、良く鳴っていることに関して屈指の録音である。音を聞くだけでも最高の快感が得られる。第1楽章は提示部をくり返し、コーダは加速する。第2楽章はワルツらしくない。第3楽章の雷鳴は超弩級で、どうせ聴こえない音程より音量を採ったのか。第4楽章のティンパニの高いf がきれいに聞こえるのが心地よい。終楽章コーダは最も凄まじい演奏のひとつである。たしかBPOのCBSデビュー録音で、僕は89年にロンドンで中古で安いので買っただけだが、バレンボイムの振幅の大きい表現にBPOが自発性をもって乗っていて感銘を受けたのを昨日のように覚えている。ライブだったら打ちのめされたろう。彼はつまらない演奏も多いが、時にこういうことをやるから面白い。

 

(補遺、2018年8月25日)

ポール・パレー / デトロイト交響楽団

第2楽章の快速で乾燥したアンサンブルはパレーの面目躍如。これだけ内声部が浮き彫りに聞こえるのも珍しい。第3楽章も室内楽で、田園交響曲の末裔の音を感知させる面白さだ。ティンパニの音程が最もよくわかる録音かもしれない。指揮台にマイクを置いたかのようなMercuryのアメリカンなHiFi概念は鑑賞の一形態を作った。終楽章の細密な音響は刺激的でさえある。パレーは木管による妖怪のグリッサンドをせず常時楷書的だが、それをせずともスコアは十分に妖怪的なのであり、僕は彼のザッハリッヒ(sachlich)な解釈の支持者だ。

 

 

クラシック徒然草―ミュンシュのシューマン1番―

 

 

 

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ストラヴィンスキー バレエ音楽 「春の祭典」

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

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ストラヴィンスキー「春の祭典」(マゼール追悼)

2014 JUL 21 13:13:17 pm by 東 賢太郎

rite写真のマゼール / ウィーン・フィル盤は僕が買った10枚目の春の祭典LP(英Decca盤)である。大学2年の1976年12月18日のことだった。その前の9枚はというと順番に、①ブーレーズ(CBS日本盤)②マルケヴィッチ③メータ(LAPO)④小澤⑤ショルティ⑥ブーレーズ(ORTF)⑦バーンスタイン⑧アバド⑨ブーレーズ(①の米国盤)であった。①購入は72年だからこの曲とは42年の付合いになる。

読者にはどうでもいいことで申しわけないが「自分史」として書いておくと、この後も⑪ドラティ(ミネアポリス)⑫ハイティンク⑬スヴェトラノフ⑭デイヴィス(カセット)⑮M.T.トーマス⑯カラヤン⑰グーセンス⑱ホーレンシュタイン⑲M.T.トーマス(pf連弾)⑳ムーティ㉑ラインスドルフと来て、アメリカでは㉒ストコフスキー、カセットで㉓メータ(NYPO)㉔スクロヴァチェフスキー、そしてロンドンで㉕デュトワ㉖アタミアン(pf)㉗マータ㉘フリッチャイ㉙オッテルロー㉚ドラティ(DSO)㉛アンセルメ㉜ストラヴィンスキー㉝モントゥー㉞コシュラー㉟スワロフスキーとなる。以下CD時代に入り、それを加えると87になる。いずれその各々につきコメントを試み、最近増えているらしい「祭典フリーク」の方々の一興と成そう。

こうして書いてみると、この異演盤購入記録は正に半世紀にわたる自分史であり、こういうことをすることもそのデータをいちいち微細に記録・分類・管理していることも、僕が何者かをこれ以上雄弁に物語るものはないという気がしてくる。しかし春の祭典だってもう最近の新譜を聞きまくる冒険心はない。異演盤収集は30歳代で「終わったこと」だ。だからこれは僕の若気の至りの記録でもある。恋愛やはしか・風疹のたぐいであって、還暦になって金も閑もあるぞさあという性質のものではない。

ワインのムートンなどを年代順に収集して、当たり年ではない故にレア物のカンチャン(足りない年)を何十万円も払って買う人がいるが、僕はそういう「コレクター」ではない。コレクターは収集が目的であってワインテースターとはちがう。僕はテースターであって、聴きたいから買った結果が積もり積もってこうなっただけである。また、テースターというと温度、湿度はもちろんグラスのまわし方の微細な角度と回数にまで凝りまくる人がいるが、音楽鑑賞ではそれがオーディオマニアである。僕はそれでもなく、あえていえばソムリエに近いと思う。

思えばこれは小学校時分に近所の子と勝負してメンコを大量に保有していたことの延長である。メンコは友達の持っていた伊賀の影丸の丸メンを狙って日夜投法を研究した。どうしてかというとメンコの絵はへたくそで影丸らしくない。ところがその丸メンだけは結構リアル感があり、どうしても欲しかったのだ。そうして遂に入手したそれを日夜眺めては勝利の余韻に浸った。①のブーレーズのCBS盤などは今やそれに近い。カセットまで入れて6種類持っており、どれも微妙に音が違っていてどれをかけてもワクワクする。宝物である。そうしてもうひとつぐらいこういうのがあるだろうと探して探して87になってしまった。結局、ひとつもないということがわかったが。

さて、そのマゼール盤だが、ウィーン・フィル(以下VPO)初の春の祭典ということで発売当時大いに話題になったのを昨日のように思い出す。75年録音、76年発売だから早々に買ったことになる。カネのなかった当時、あえて高額のイギリス盤に投資したのはVPOの音を入念に聴きたかったからだ。ところがVPOはオーボエ、トランペットがややたどたどしいものの充分うまく、「オボコさ」を期待したのに裏切られた気もした。それでも、第1部はこってりした木質の響きがソフィエンザールの残響に溶け込み、金ピカに飛び出さない金管、皮革で音程の明瞭なティンパニが実に奥ゆかしく、料理でいえば「いいダシが出ているぞ」とうれしくなった。

ところが「春のロンド」のブラスの咆哮のテンポがガクッと落ちてがっかりする。ダシがいいんだからこういう余計なアクを出さずにやれよと。そしてとうとう極めつけの第2部のティンパニ11連打だ。ここに至るともう許しがたい。これを褒めている評論家もいるが、こんなものは曲の本質に何の関係もない三文芝居である。何かデフォルメしないと個性の刻印ができないのは一流アーティストとはいえない。この頃から90年代にかけて、マゼールは才気が先走ってそう評されて仕方ない音楽をやっていたと思う。だから実演にもあまり感動しなかったのだろう。

しかし、シベリウス4番の稿の論旨に戻るが、細部に注意を払うとやはりVPOの奏者は祭典に慣れていない。「生贄の踊り」のトランペットなど音符をちゃんと吹けてすらいない。そういうオケなのに11連打以降の生気ある音楽、リズムのシャープさ、エッジの立て方、マスの質量感の出し方など凄いなあと思う。彼の棒がそうでなくてはこういう音は出ない。半端でない理性と運動神経がオケの「おぼこさ」を中和していることに気づく。全体にたちこめるピッと張りつめた緊張感はVPOを本気にさせている証拠だ。ネコにチンチンをさせている観なきにしもあらずだが、良くも悪くもこのオケにこういう芸をさせることができる米国人は彼以外に誰もいないし、今後も出ないのではないだろうか。

前回、ティンパニのミスの話を書いた。しかしあんなものは可愛いものであり、春の祭典の演奏がどれほど難しいかということまでを教えてくれる映像がある。ズビン・メータ指揮ローマ放送交響楽団の69年のライブである。

これだけいい加減な春の祭典というのも希少である。笑ってはいけない。前半だけでも、トランペットが一音符遅れて入りちゃんと吹ききる、フルートが一小節ずれてちゃんと吹ききる、クラのトリルが抜ける、ティンパニが一拍早い、オーボエが一小節早い・・・少なくとも5か所の尋常でない「事故」がある。後半もペットが落っこち、ティンパニはズレまくる。圧巻はコーダに入る所でティンパニが一小節飛ばして入り、気がついて立て直したつもりがひきつづき間違った音をバンバン叩き続けるためついにアンサンブルが崩壊。止まりかけの緊急事態となるがホルンと木管が何とかつないでティンパニは落ちたまま終わる。歌劇場ではミスに情け容赦のないローマの聴衆がブーのひとつもなく大喝采、スタンディング・オベーション。なんとも微笑ましい。

若きメータは格好はいいが、まるでダンサーが指揮しているようだ。これと同じ69年に①を録音したブーレーズとはまったく別な人というしかない。このローマのオケは決して二流というわけではないが、イタリアオペラにこんな変拍子は出てこないのだからもっと練習で鍛えて緻密な指揮をするべきだった。同じくピットのオケで変拍子に慣れていないVPOを完ぺきに調教したマゼールは、やはりすごいと思う。

 

 

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