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メンデルスゾーン 「歌の翼に」作品34-2

2020 NOV 2 1:01:18 am by 東 賢太郎

なにかについて言葉にしてみることが批評のはじまりだ。初めてフィレンツェのウフィツィ美術館でサンドロ・ボッティチェッリの “ヴィーナスの誕生” を眼前にしたとき、なにやら言葉を吐いたのだろうか。

いまその記憶にセリフをつけるならば、きっと「!」だったと思う。想像よりずいぶんと大きく感じたこの絵にいまだって言葉はない。それでも15世紀以来数えきれない多くの人がこれの前に立ちすくみ、感きわまってああでもないこうでもないと膨大な量の言葉を吐き、書き連ねてきただろうとは思う。批評とはそのすべてのことであり、その総量が充分に多いことが芸術と呼ばれるもののおおよその定義ではないか。

「美しい」(beautiful、schön、bell、beau、美丽)は人々が批評として発する言葉の内でも、最もポピュラーで原初的なものだ。「美しいに基準はない」、「人の感じ方に絶対はない。”モナ・リザ” だろうがムンクの “叫び” だろうが美しいと思うなら美しいのだ」という新自由主義的精神にあふれる批評に誰も反論する権利はないが、そのことは子供が画いた犬の絵を「かわいい」とほめてあげるのと同次元で「美しい」が使われることを教えるのである。

音楽においても「美しい旋律」という表現は往々にして名曲を十把ひとからげに包み込む2円のコンビニ袋みたいなものとなる。即物的な音の並びである旋律が美しいかどうかは、満月は美しいが月の表面はあばただらけであるように、ひとえに人の心の作用である。そして音は演奏者が発してはじめて心に作用するのだ。子供が発表会でたどたどしく弾けると「おじょうずね」となり、上級になってはじめて「美しい」が出る。同じ楽譜なのにそういう事が起こるなら美しいのは楽譜(旋律)ではなく発した音という事になる。

このことを僕はカーチス音楽院の講義でチェリビダッケに教わった。美しい楽音と美しい旋律はちがう。記譜された音列は美の種ではあるが、正しく演奏されないと発芽しない。種がなければ発芽もない。彼はまず哲学者であり、次に音づくりのマニアックな実務家であり、本質は音と旋律の狭間にスピリチャルなものを感知できる宗教家であり、その立場はニュートンを批判したゲーテの「色彩論」に近い。日本では2番目の側面が多く語られるが、哲学者、宗教家の方が重く、音楽に対峙するその思想、姿勢は実に正鵠を得ていたと感じる。僕自身も無意識にそう感じていたが彼がピアノを弾きながら具体的に示してくれてより強くそう考えるようになった。

僕の中では美しい旋律を書いた横綱は2人しかいない。東がシューベルト、西がメンデルスゾーンだ。美しい旋律を作る才能は有る者にしか無い。JSバッハ、ハイドン、ベートーベン、ブラームスの作曲上の形式論理と主題労作は努力で学習でき継承もされるが、旋律美だけはそのどちらもままならない。馬鹿馬鹿しいほど陳腐な主題をエンジニアのように精巧に加工、展開させ、複雑な対位法やフーガであたかも弁証法の如き展開をする。その効果は美旋律だけでは到達不能な高みに至ったことは百も承知だが、それでも、美旋律が書けないからそっちに走ったという観が去ることはない。

どんなジャンルであろうとおよそ作曲家にとって、人を酔わせる美しい旋律を書くのは願望ではないか。近現代にその試みが放棄されるのは井戸が枯れたから、つまり音列の順列組合せの可能性が枯渇したからでシェーンベルクもヨハン・シュトラウスのワルツが好きだった。旋律というのはつまるところ歌であり、歌曲の王シューベルトは順当な所だが、メンデルスゾーンも歌曲を書かなかった月はないほど歌の人だったことはあまり知られていないように思う。

本稿は僕がいつ耳にしても虜になり、心が根っこから揺さぶられ、何度もくりかえし聴きたくなり、そうするうちにどんなにつらい事も悩みもやんわりと溶解して消えていくというたった3分の美旋律がテーマだ。メンデルスゾーンの「歌の翼に」(Das Flügeln des Gesanges)である。「6つのリート 」作品34の第2曲で、おそらくどなたも音楽の授業でおなじみだろう。

1.おことわり

エリー・アメリンクの美声で気持ちよくなったところで白けることをおことわりしなければならないが、この歌は男性が歌わないといけない。それはハインリヒ・ハイネ(1797 – 1856)による歌詞を見れば一目瞭然である。

歌の翼で
愛しい人よ、私はきみを運ぶ。
ガンジス川の流れのかなたへ
そこは美しいところと私は知っている。

そこに赤い花咲く園があり、
静かな月の光のもとで、
スイレンの花が待つ、
きみを愛する妹として。

スミレは微笑んで、仲良くし、
星を見上げている。
バラはお互いに匂い、
密かに妖精の話をする。

無邪気で利口な小鹿は、
寄ってきて、聞こうとする。
遠いところでは、聞こえている、
聖なる流れの波の音が。

そこに座ろうよ、
しゅろの木の下に。
そして愛と安らぎにひたって、
楽しい夢を見るよ。 

(ドイツ語)

Auf Flügeln des Gesanges,
Herzliebchen, trag’ ich dich fort,
Fort nach den Fluren des Ganges,
Dort weiß ich den schönsten Ort.

Dort liegt ein rotblühender Garten
Im stillen Mondenschein;
Die Lotosblumen erwarten
Ihr trautes Schwesterlein.Die Veilchen kichern und kosen,
Und schaun nach den Sternen empor;
Heimlich erzählen die Rosen
Sich duftende Märchen ins Ohr.

Es hüpfen herbei und lauschen
Die frommen, klugen Gazell’n;
Und in der Ferne rauschen
Des heiligen Stromes Well’n.

Dort wollen wir niedersinken
Unter dem Palmenbaum,
Und Liebe und Ruhe trinken,
Und träumen seligen Traum.

これは男がカノジョを桃源郷への逃避行に誘う歌なのだ。この詩を吟味して聴くようになると、主人公が女性では筋違いとなってしまう。

それがどうした。アメリンク、いいじゃないか、かたいこと言うなよ、お前は差別主義者かとおっしゃる方はここで本稿は閉じていただきたい。僕のスタンスは、クラシック音楽はあくまで古典芸能だという事に尽きる。未来のアメリカ合衆国で黒人大統領が魔笛の上演を禁止しても仕方ないし、「いとしのエリー」を八代亜紀が歌ってもいいじゃないかという風に流れない所にポップスとの違いがあって、その頑固さで古典という文化が守られ継承されて行く、そのことが人類の未来にとって非常に重要だと考えていることをおことわりしたい。

2.ハイネの詩の真意

ハインリヒ・ハイネ

恋人と夢の中で遠くへ飛び、赤い花の咲くガンジスの楽園に遊ぶ。飛行機で自由に世界を飛んでいる我々には何やら楽しげなバカンスにしか聞こえないが、これが書かれたのは馬車の時代だ。ガンジス川などどこにあるか空想すら及ばぬおとぎの国、異郷である。なぜハイネの心はそんな所まで飛んで行ったのだろう?

「歌の翼に」はハイネが1827年に発表した『歌の本』(Buch der Liederにある。メンデルスゾーンはその2年後の1829年に英国旅行をしてスコットランド交響曲を着想したが、それには彼のファミリーのプロテスタントへの改宗と自身の内に秘めた信仰との相克が深く関わっている(メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」)。

それは同じドイツ系ユダヤ人のハイネの問題でもあったのだ。wikipediaのこの記述でわかる。

1825年6月、ユダヤ教からプロテスタントに改宗、ゲッティンゲン近郊ハイリゲンシュタットで洗礼を受け、クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネとなる。この改宗は家族に伝えないまま行なわれており、両親が改宗を知ったのはずっと後になってのことだった。

ハイネは織物商の父、宮廷付き銀行家一門の母をもつ富裕層の子だ。この点でやはり富裕な銀行家の子であるメンデルスゾーンとまったく同じ境遇だ。そして、少年時代のハイネは「ハリー」というイギリス風の名前やユダヤ人の出自のために周囲のからかいの対象となり、メンデルスゾーン家はファミリーでキリスト教への改宗をしたにもかかわらず謂れなき迫害を受け続けた。つまり、ずばり書けば、二人は差別され、いじめられて育ったのだ。ハイネが夢想し、メンデルスゾーンが音楽で共鳴を宣言したのは、日本語の余計なニュアンスが混在する愚をあえて犯すが「いじめられる現実からの逃避」だったと僕は考えている。

ハイネが法学士として卒業したゲッティンゲン大学は第2次世界大戦で英独がケンブリッジとゲッティンゲンをお互いに爆撃しない紳士協定を結んでいたドイツの名門だ。そんなトップクラスのインテリの称号を得ても、彼はユダヤ教からプロテスタントへ改宗という人生を変える決断をした。しかも親には内緒で。この事実を知っても、平和ボケで宗教オンチの我々日本人にはまだぴんと来ない。僕もドイツに住んで初めてこの問題の根深さを知ったが、こういう温床がハイネの時代に厳然と存在したから百年後にナチス党が出現してしまったことをお伝えすれば賢明な皆様にはおわかりいただけるだろう。

すなわち、「歌の翼で」は恋する青年の精神の逃避行なのだ。ハイネは桃源郷に飛んでいこうよと想像の歌で恋人を誘うが歌は書かなかった。それを音楽で実現したのが12歳年下のメンデルスゾーンだった。二人の心は信仰との相克という深みで共振していたが、恋人に行動を促すいかにも楽しげな  “「行こう」(第1節)、「座ろう」(第5節)” にはさまる “楽園の情景描写(第2~4節)” は言葉としてはちっとも悲しげでない。ところがメンデルスゾーンはその描写部分に “そうなった境遇の悲しさ” を切々と吐露して見せるのだ。だから第1,3,5節が長調、第2,4節が短調になる。この曲が胸をしめつける悲しさを秘めているのは短調の部分だというのはほとんどの方が共感されようが、そこの歌詞とのギャップは少々奇異ではないだろうか。

3.身分が低かった音楽家

同志なのになぜだろう?ハイネの悲しみは徹頭徹尾、隠喩的である。それを明示しない詩という形式で表現する。大哲学者ヘーゲルの教えまで受けた当代最高峰のインテリの節度かもしれないし、そうした密やかな表現の方が世間に浸透して結局は強く訴求すると考えたかもしれない。しかし、ギャップを顧みず短調部分をあえて挿入したメンデルスゾーンはそう考えず、むしろ音楽という情感にダイレクトにアプローチできるメディアでそれを大衆にもわかる形で主張しようとしたということだ。二人の間には法学士と音楽家の身分の違いがあった。シューマン、チャイコフスキー 、ストラヴィンスキーの親が息子を音楽家でなく法学士にしたがったことでもそれは伺える。モーツァルトは料理人と同じテーブルで食事させられたと父に憤慨したが、百年たっても社会通念として音楽家の地位は一貫して低かったのだからメンデルスゾーンの時代は推して知るべしだ。ユダヤ問題とはまた別個の話である。

ゲーテの親もそのくちで息子をライプツィヒ大学の法学部に入れ、息子は弁護士になった。しかし大成したのは文学の道であり、出世作の「若きウェルテルの悩み」でヨーロッパ中に名が轟き、愛読者だったナポレオン1世に謁見して感動させている。エロイカの表紙を破ったベートーベンと何たる差であろう。それどころか君主カール・アウグスト公に気に入られヴァイマル公国の宰相にまでなってしまうゲーテの出世ぶりを見るにつけ、才能で劣ることはなかったウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの扱われ方は何だったのかと思うのだ。しかしそれが音楽家だった。現代までその痕跡は残り、英米系のケンブリッジ、ハーバードで音楽専攻はできるが、ドイツの影響下で明治政府が作った東京大学は文学部は作ったが音楽教育は専門大学に委ねた。

メンデルスゾーンがハイネの隠喩に飽き足らず短調楽節を挿入したのはユダヤ問題に加えて音楽家の社会的地位でも底辺にあることへの不満があったと見ていいのではないか。最終的に彼はライプツィヒ音楽院を創設したが、その才能の大きさに比して微々たる名誉だったと思わざるを得ない。「歌の翼に」はハイネの隠喩的アプローチに、まさに音楽という翼をつけた楽曲だ。しかしメンデルスゾーンの思いは強かったが、彼自身もあざとく尖った表現や先進的な技法を弄する趣味の人ではなく、中庸を保ったバランスを崩さない保守的な部類に属する作曲家だった。シューベルトが歌曲を芸術の域に高めた(前述の”批評の総量”において)のに対し、彼が音楽史の進展にこの分野で加えたものは多くないといってもアンフェアではないと思われる。しかし、そうであっても、彼は美しい旋律を書いたのだ。それ以上に何が必要だろう?

4.だから重要な短調部分の解釈

「歌の翼に」は旋律があまりに美しいために女声や種々の楽器でも奏されることになった。良い演奏なら何の問題もないが、そうでもないのが99%だ。そうやって人工甘味料だけのスイーツというかトロフィーワイフ的な女性(昔は**美人といった)というか、そういうものが人気を博する軽薄な時代がやってくるのはいささかも歓迎しない。わかりやすい編曲でクラシックが好きになってくれればというが、わかりやすいクラシックで入門した人が気に入ったのは曲ではなくわかりやすかったことである。わかりやすさを目的として作曲された曲がクラシックと呼ばれることは永遠にない。

「歌の翼に」はオーソドックスに演奏してもわかりやすさは損なわない天下の名曲だ。ト長調の明るい曲想が第2楽節(そこに赤い花咲く園があり・・)で不意に短調になるところの気分の翳りは一度聴いたら忘れない。旅行に行くよとついさっきまで浮き浮き喜んでいた人が急にわけもなく落ち込んでしまったような感じで、ここの不思議感、予想もしなかった哀愁こそが魅力の源泉だ。この感情の段差は偶然ではない、メンデルスゾーンは意図的にそうしている。なぜなら、短調になる第2楽節は平行調の(ある意味、当たり前の)ホ短調ではなく、ト長調がニ長調に落ち着いたところでいきなり同名短調(ニ短調)に飛ぶからである。この転調は印象的というか、オレンジ色の景色がグレーに変わるほど僕にはショッキングだ。まるで黄泉の国でもあるかのような未知のガンジスへ二人は逃げる。なぜ?悲しく苦しい現実をメルヘンに投影した瞬間だ。

4.ほとんどの演奏の欠陥

楽譜を見ると、第2、4楽節冒頭に p と書いてあり(①)、伴奏のバスのレがオクターブ低くなっている。自筆譜ではないので後世の補筆かもしれないことは鑑みるとしても、少なくともメンデルスゾーンが意図した音色のイメージが浮かんでこないだろうか?さらに音楽はg-f#-e-d#-f#-e-d-cのバスラインに乗ってさらに憂愁を深めたホ短調へと旅をし、ここをクレッシェンドしろ(②)と指示している。強調して聞き手の印象に刻むべき部分なのだ。ここに情感をこめられると恋人は不安になって一緒に行ってくれないだろう。そこで何事もなかったかのように自然にト長調に戻すと、すぐに「第2節の歌詞の後半」をそのままくり返して、「でも ”そこ” はいい所なんだよ」と明るい印象を重ねて見せる。このわずか数十秒の展開に「劇」がこめられていながら、天衣無縫で何らの作為も感知できない天才的な部分なのだ。

ところが、みなさんyoutubeで聞いてみていただきたいが、ほとんどの演奏は①、②を無視している。リストのピアノ編曲も落としている。そうなれば全曲がのっぺりと平板になり、逃避行の悲しみは雲散霧消してしまう。それでも旋律美だけで聞けてしまうから横行したのだろう。その短調部分こそがこの曲の白眉であり、核心であり、メンデルスゾーンの訴求したいメッセージがこめられているのであり、同時に、音楽的にも驚くべき場面転換が何らの不自然さも聞き手に感知させぬまま白昼堂々と行われてしまうという、音楽にセンシティブな者には黙って聞き過ごすことなどあり得ない箇所なのだ。僕にとってボッティチェッリの “ヴィーナスの誕生” を見たに等しいその瞬間を、すいすいと何も考えずにやりすごしてしまう演奏家の不感症ぶりは信じ難い。美しいはおろか「おじょうずね」の域である。

5.いくつかの演奏について

要するに、この曲はポップス化してお口当たりだけいいように甘味料を施して、あるいは歌手の音域や声質や肺活量の都合で歌いやすいように加工されているのだ。アメリンクの歌をご紹介したのは、彼女のきれいな声のためではなく、楽譜の指示を守ったとまではいえないがささやかながら意識はしてくれているからである。テンポとイントネーションも含め、女声版として選ぶなら僕はこれがベストである。

指示をほぼ完璧に遵守し、詩の意味まで明確なドイツ語のディクションで伝えてくるのがフィッシャー・ディースカウ盤である。短調部分が何たるかを理解していると確信できる唯一の演奏だ。伴奏ピアノは大指揮者ウォルフガング・サヴァリッシュで、短調部分の色調をほのかに変えてバスラインはクリアに出しているのはさすがだ。

という事でこれをお薦めしたいのだが、まったく個人的な趣味で申し訳ないがどうも僕はフィッシャー・ディースカウが苦手だ。細部に至るまで楽譜の読みが深く文句のつけようもない立派な歌であるが、そこまで説明してもらわなくてもいいよというくどさを感じてしまう。それを演じるにはこの遅いテンポが選択されのだろうし、詩をロマンティックに解釈すればそうなろうが、僕は時代として古典派に接近したテンポ感が欲しい。ピアノフォルテでこれだと遅すぎるように思うという理由もある。サヴァリッシュがどう思ったかは関心があるが、あくまで主役に合わせたということかもしれない。

昭和の日本でドイツリートに評価の高かったエリザベート・シュヴァルツコップ。この人も理解しようと頑張ったが、同じく趣味の問題でだめだった。楽譜の指示は無視で全体に平板になってしまう。その分、全曲にわたる細かな表情やレガートで聴かせるが僕の感覚では振付が過ぎてオペラアリアに聞こえる。短調部分、フィッシャー・ディースカウはブレス2回で歌っている。4回なのは女性だと仕方ないのかもしれないが、2回が正しいと考える(ちなみにアメリンクは2回、正確には2度目後半は息がもたず3回)。流れるように一筆書きで歌わせたいから作曲家はあえて強弱の方に細心の指示をつけていると解釈するからだ。短調部分挿入による気分の暗転はメンデルスゾーンの詩の流れへの加工だが、それは転調と強弱で充分に伝わる自負があり、詩の一言一句を明示的に叙述して欲しくなかったのではと思う。

昨年亡くなったペーター・シュライヤーは好きなテナーだがこの歌は短調部分に何も特別には感じておらず(指示も無視)、遅めのテンポで「楽曲全体としてトラウム(夢)」というまとめ方だ。既述のようにそうではない(ハイネとメンデルスゾーンの共作ではない)のであって大家の解釈として残念である。曲頭にはAndante tranquillo.と標示され夢見るように pp で閉じてゆくが、短調部分の音楽上のドラマはメンデルスゾーンのアイデアであって、そうであるがゆえに、ドラマを無用に騒がしくせず p でひっそりと始め、それでも主張は伝えるためクレッシェンドし、楽曲の最後のTraumにミの音をあてて完全な終止感は浮揚させたまま鎮静する(tranquillo)ように消えている。

解釈という概念のないポップス系はみんな全曲ひとまとめの「美しい夢でした」「気持ちよかったでしょ?」だし僕にとってはどうでもいいが、耳にこびりついたこの人の美声だとタミーノがパミーナの絵姿に恋い焦がれて歌うあの歌に聞こえてしまうこともあり、リートは難しいとため息をつくしかない。ただ美しければいいという方には好かれるだろう。

マックス・リヒテック(1910-92)はスイスのテナー。指示は①は無視でブレスの切り方も変則であり、僕の批評精神と矛盾するばかりだがこれを挙げたのはまず何よりテンポがいいからだ。この曲がロマン派風にこねくり回されポップスに転化する予感すらない時代の歌い方を髣髴させ、声質が明るく軽いのも好みだ。着流しのいなせな若衆という風情で、これでこそ短調の意味がくっきりと浮かび出る。これを書いたメンデルスゾーンは25才だったのだ。彼のピアノで演奏されたのはこんな感じだったかと想像してしまう。小林秀雄が「走る悲しみ」と評したのがモーツァルトなら僕は賛同しないが、この曲なら合点である。

チェロ版。この演奏が指示(①,②)を理想的に聞かせてくれる。あくまで器楽としての感興しかないが、そうであるがゆえかこうあらねばならないという解釈に至っている。しかし歌手でこう歌っている人はいない。謎だ。

できればテナーかバスの方と僕のピアノ伴奏でやってみたい。それほど好きな曲だ。

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メンデルスゾーン 交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」

2020 SEP 29 1:01:55 am by 東 賢太郎

秋になるとききたくなる名品のひとつがメンデルスゾーンのスコットランド交響曲です。我が国では彼というと真夏の夜の夢、フィンガルの洞窟、2つの交響曲(イタリア、スコットランド)が浮かび、絵まで画くものだから音の風景画家のように見られます。絶対音楽の方が上等だと信じていた僕も長らくそうでした。しかし、コロナ禍で外出に不自由し、遅く始まった夏があっけなく秋になっていた今年になって、彼の交響曲第3番がえらく心にしみるのです。秋にふさわしい曲だなあとは思ってましたが、なんだか今年は特別だ。ずっと頭の中で鳴りつづけ、異例の年のストレスを食ってくれてる感じがします。こういうものが単なる風景画であろうはずはない。それが本稿になっています。

マル島のベン・モア山(by メンデルスゾーン)

自作を指揮するためにロンドンを訪れた彼がエジンバラへ足をのばしたのはバッハのマタイ受難曲をライプツィヒで蘇演して評判を得た年(1829年)のことでした。デビュー公演は大成功でした。ヘンデル、ハイドンとドイツで実績のある音楽家は市民に人気があるためザロモンのような興行師に需要があり、フィルハーモニック協会の委嘱で第9交響曲を書いたベートーベンが2年前に亡くなったばかりであることを考えるとロンドンの音楽界が弱冠20才で前途洋々の青年にそそいだ視線は熱いものがあったでしょう。彼もその英国を愛して人生に計10回の訪英をすることにはなりますが、この時、友人の外交官カール・クリンゲマンといっしょに息ぬきのスコットランドに観光旅行に行ってしまったようにあんまり熱は感じないのです。

ウイリアム・シェークスピア(1564 – 1616)

それはカントにも影響を残した有名なユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーンの孫であり、富豪の銀行家の息子という超セレブだったから他の作曲家と違う、金にも名誉にも欲が薄かったのだと説明されてしまうのが普通なのですが、それだけでしょうか。彼のスコットランド観光はそれなりの目的があったのではないでしょうか。僕は彼が若くして文学に造詣が深く、10代でシェークスピアの「真夏の夜の夢」を題材に作曲していたことに鍵があるのではないかと見ます。ユダヤ人であり最も忌み嫌われた金貸しの息子であるという人生は、現代のセレブのボンボンとは比較にならない重たい十字架を背負ったものではなかったかという推察に至るのです。

まさにこの旅の直前、ライプツィヒでバッハのマタイ受難曲を編曲、蘇演した折に「世界で最も偉大なキリスト教音楽をユダヤ人が復興させた」と評され、対して彼は「キリスト教徒の最も偉大な音楽を世界に蘇らせるには、俳優とユダヤ人の息子が必要だったということになりますね」と答えたことに逆説的なヒントを見ます。一家はプロテスタントに改宗しており彼はルーテル教会で洗礼を受け敬虔なキリスト教徒として育ちましたが、ユダヤ教からキリスト教に改宗した意味合いがある「バルトルディ」という名前を嫌いました。マタイ蘇演という大貢献をしてもキリスト教徒に認められない失望、自身がユダヤ人という誇りを持っていたというアンビバレントな深層心理が十字架だったのではないでしょうか

エリザベス1世(1533- 1603)

「ユダヤ人の金貸し」。誰もが思い浮かべる名はシャイロックでしょう。シェークスピアはヘンリー8世の次女エリザベス1世の時代に活躍しました。侍医だったユダヤ系ポルトガル人のロデリゴ・ロペスが1594年に女王の毒殺を図ったかどで処刑された「ロペス事件」は『ヴェニスの商人』に投影され、シャイロックのモデルはロペスと言われています。国家統一事業の完成を目指すスペインは「カトリックによる宗教統一」を成就させるためにユダヤ人追放に乗り出し、キリスト教に改宗した「隠れユダヤ人狩り」が始まります。彼らはポルトガルに逃れ、カトリック、スペインと敵対するヘンリー8世が隠れユダヤ人を「王室の奉仕者」として積極的に雇用したのに乗じて英国に流れます。その出世頭がロペスだったのです。

メンデルスゾーンはユダヤの出自を公言しましたが、ファミリーは隠れユダヤ人として生きることを志向していました。彼は女王エリザベス1世のイングランドにどんな感情を持っていたでしょう。ロペス事件は実は濡れ衣で、スペインに対する英国民の敵愾心を煽り立てるために宮廷内の主戦派によって捏造され、そこに古来より英国にあったユダヤ人排斥思想がスパイスとして乗せられた。だからロペスだったのだという説は真偽不明のようですが、『ヴェニスの商人』はシェークスピアがその不条理に反駁しユダヤ人の思いを代弁するために書いたという別の説の方は、事件の2年後に書かれたのだから可能性はあるのではないでしょうか。メンデルスゾーンが少年時代からシェークスピアにシンパシーを持ち「真夏の世の夢」を書いてもおかしくないと思うのです。

メアリー・ステュアート(1542 – 1587)

さて、そのエリザベス1世が処刑したのがスコットランド女王のメアリー・ステュアートです。1587年でした。前者はヘンリー8世の娘、後者はヘンリー8世の姉の孫という血を血で洗う権力闘争です。発端はメアリーが秘書ダヴィド・リッチオを間男にし、怒った王が彼を宮殿内で惨殺したことです。ところがその後に王も不審死を遂げ、メアリーは殺害の首謀者と噂された男と結婚したために国民から不人気となりイングランドに亡命しますが、イングランドの王位継承権を口にする。それがまずかったのです。ところで、文学素人の素朴な疑問ですが、こんなに刺激的な事件をどうしてシェークスピアは戯曲にしなかったのだろう。書けなかったのでしょうか、事が大きすぎて。その7年後にロペス事件が起こります。

リッチオの殺害

メンデルスゾーンは初めてのエジンバラで「何もかもいかめしく頑健で、街は半ば薄煙か霧の中のようだ」、「(バグパイプの音楽は)悪名高い野卑で調子はずれのクズである」と書いています。あんまり気に入っていない。私見では、そんな彼が目的を持って訪問し、インスパイアされたのはスコットランド女王メアリー・ステュアートが居城としたホリールード宮殿であり、彼女の凄惨な運命であり、死刑を執行したエリザベス1世であり、自ら十字架を背負う隠れユダヤ人の問題だったロペス事件であり、それをオブラートに包んで世に問うた『ヴェニスの商人』、つまり、シェークスピアだったのだと思います。彼はホリールード宮殿で、秘書ダヴィド・リッチオが57か所のめった刺しで惨殺された部屋を訪れています。

リッチオが殺されたメアリーの寝室

そして、彼はホリールード宮殿の隣りにある寺院の廃墟にたたずみます。「すべてが壊れ、崩れかかり、明るい空が光っている。今日この古い寺院で私はスコットランド交響曲の冒頭を思いついていた」と、後に交響曲の出だしのテーマとなる10小節を書き留めた。

その場所がここでありました。

この交響曲を着想した翌年に彼はイタリアを訪れて作曲を続けますが、「スコットランドの霧がかかった雰囲気を想起するのが難しい」と中断し、完成に13年を要しました。その間に書いたのが第4番のイタリア交響曲ですが、これも改定を重ね、特に終楽章は気に入らず書き直す計画のまま亡くなりました。それが現行版です。想像になりますが、長調で始まり同主短調で終わるのがどうかという問題提起が心にあったのではないでしょうか。

一方、完成させた最後の交響曲である3番のスコットランドも、曲想のまま進めば終楽章はイ短調で終わるのが自然に思うのです。ところが、彼は最後を締めくくる部分にまったく新しい素材としてイ長調のエピソードをコーダとして入れています。若い頃に初めて聴いた時から、僕はこの終結がどうにもしっくりきませんでした。

後に歴史を勉強し直して、本稿に縷々書いてきたことを学び、最後は彼の心の十字架に思い当たりました。その彼ならば、このハッピーエンドはあり得ないと思うのです。

つまり、僕の心の矛盾を解くにはこう考えるしかない。20才の迷える心を持った青年だった彼は短調で終わらせたろうが、33才になってライプツィヒ音楽院まで創設しようという大御所になった、ユダヤ人であることなどものともせずに生きて行けるようになった彼は聴衆を喜ばせることを考えたということです。メンデルスゾーンは7度目のイギリス訪問を果たした1842年にロンドンで初演し、バッキンガム宮殿でヴィクトリア女王に謁見した際にこの曲を女王に献呈する許可を得ました。献辞付きの楽譜が翌1843年に出版されています。イ長調部分は英国王室への敬意を表す「エンブレム」だったと僕は考えるのです。

だいぶ後になって、恐らく同じことを考えた指揮者がいることを知りました。やはりユダヤ人のオットー・クレンペラーです。彼がフィルハーモニア管を振った幻想味と重量感のあるEMI盤を僕はずっと愛聴していますが、イ長調部分の聞きなれない遅さはmaestosoではあってもallegro assaiではありません。このテンポは、僕と同じことを感じている彼が苦渋の解決策として採ったものと思います。

さらに後になって、驚いたことに、クレンペラーは別な演奏で、問題のイ長調部分をばっさり切り捨ててイ短調で静かに終わらせていることを知りました。これを皆さんはどう考えるでしょうか?

僕は基本的に演奏家によるスコア改変には否定的です。改変どころか切ってしまうというのはもはや編曲であります。しかし、僕はこのことを知ってクレンペラーに心からの深い敬意を感じるのです。彼はスコアを、表面づらの音符だけでなく、作曲者の心の背景を奥底まで読み取っていると思います。イ長調をクレンペラー並みに遅めのテンポを取ったのはコンヴィチュニーです。これも慧眼と思う演奏です。しかし、ほとんどの指揮者はいよいよコーダだとばかりにそれより3割も速いテンポで疾走し、ひどいのになるとミュンシュのように最後にアッチェレランドまでする。

困るのは、これを挿入した作曲家の意図からすればカラヤンやミュンシュを一刀両断にはできないことです。だからクレンペラーは切ってしまった。作曲家が書いたわけではないが、彼のイマジネーションで20才の「初版」を作ったのです。まあやりすぎです。でも気持ちは100%わかる。涙が出るほど感動してます。もちろん付け焼刃の思い付きではありません、メンデルスゾーンに対する深い愛情です。ユダヤ人の十字架を知る者の。彼亡き後、こんなことができる指揮者がどこにいるでしょう?

その演奏、バイエルン放送交響楽団を1969年に振ったものです。

もうひとつ、僕が好きなのはペーター・マークです。彼がロンドン響を振ったDecca盤は長らく人気を保っていますが、若い頃で少し熱がありすぎる。ややクールに暗い部分にも意を用いたマドリッド交響楽団との演奏は中々です。コーダのイ長調も、ぎりぎり速くないテンポで抑えており指揮者の良識が感じられますね。ヘンリー8世、エリザベス1世に敵対したスペインのオーケストラの人たちが3番をどういう気持で演奏したのか?音楽はヨーロッパの歴史の一断面です。面白いものだと思います。

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鈴木雅明/読響のメンデルスゾーンに感動

2018 OCT 28 10:10:46 am by 東 賢太郎

指揮=鈴木 雅明
ソプラノ=リディア・トイシャー
テノール=櫻田 亮
合唱=RIAS室内合唱団

J.M.クラウス:教会のためのシンフォニア ニ長調 VB146
モーツァルト:交響曲 第39番 変ホ長調 K.543
メンデルスゾーン:オラトリオ「キリスト」 作品97
メンデルスゾーン:詩篇第42番「鹿が谷の水を慕うように」 作品42

 

仕事の準備等で忙しくあまり眠れていない。だから読響は行くかどうか迷った(居眠りでは申し訳ないし)。結局行くには行ったが前半はだめ。意識が飛んでしまう。39番はモダンオケでピッチの恐怖はなかったもののアンティーク解釈は好きでない。ブリュッヘンのライブを聴いたが、読響もほぼ同サイズの編成でティンパニの位置まで同じだった。僕が39番の真価を初めて知ったのはフリッチャイ盤だ。あれがおふくろの味なんだから、ほんとうはこうなのよと言われてもどうしようもない。

睡魔に参ってしまい、15分の休憩でセイジョーイシイに駆けこんで高濃度カテキンのお茶を買って一気飲みした。カフェインぬきだったらなんのこっちゃと思ったがどうやら入ってたんだろう、目はパッチリしてきてひと安心。ぎりぎりで席に戻る。すると今度はトイレが心配になってくるという塩梅で、コンサートひとつにこんなに苦労するようになった。もうバイロイトなんてありえねえやと思いつつ指揮者の登場を待つ。

メンデルスゾーンの宗教曲というとエリヤが忘れ難い。フランクフルトの部下にドイツ人 H 氏がいて、博士だったのでDr.(ドクトル )Hと呼んでいたが、年上だった彼はクラシックが博学、博識だった。僕はほぼ無知に等しかった宗教音楽を彼に習った。エリヤを聞けといわれアルテ・オーパーに一緒に行ったのがきっかけだ。神々しい音楽だった。ドクトルぬきにキリスト教徒でない僕がバッハ、ヘンデルを含めて宗教音楽をいっぱしにわかるなんてどう考えても無理だった。

後半は楽しみだった。そして報われた。鈴木 雅明さんはバッハを何枚か持っていてみんな良かったが実演は初めてだ。なんとドイツ人が敬服してついて行っているぞ。僕にはわかる。そんな簡単な人たちじゃないのだ。ソプラノのリディア・トイシャーは美声だ(美人だしフィガロのスザンナを歌うビデオがyoutubeにあるが全曲聴きたくなる)。櫻田 亮のテノールも見事だ。眠気などすでにおさらばだった。そしてなによりRIAS室内合唱団!うまい、最高!

鈴木さんの指揮は人柄まで見て取れる気がする。音楽に奉仕する魂が音楽家の共感を呼んでいると感じた。聴く方だってそうだった。マリア・ジョアオ・ピリスのリサイタルを聴いて自分が何に感動して涙まで流しているのかわからない。音楽を聴いてそういうことは、長い記憶をたどってもあまりないと書いたが、鈴木さんのメンデルスゾーンに同じことを記すことになろうとは、行くかやめるかなどと迷っていたぐらいなのだから想像だにしなかった。

心の底から突き上げてくる感動。わけもなく涙が止まらなくなった。歌われた言葉ではない(なにせ読んでもいない)、音楽の力、歌の力としか考えられない。ドクトルHはメンデルスゾーンがナチスのせいでいまだに正当な評価を得られていない理由を説いた。ドイツでユダヤ人問題を正面から論じるのは現代でも重たいことなのだが、彼も僕も金融証券界という、あえてアーリア人的視界に立つならばユダヤ的業界の住人であった。だからだろう、彼とはミュンヘンのオクトーバーフェストでビアホールで乾杯しながらそんなことを話しても平気だった。

金貸しは非道、金利を徴収するのは肉を切り取ることという世で富裕な銀行家の息子だったメンデルスゾーンはキリスト教に改宗した。しかし彼が生きるためにアイデンティティまで売ったとは思えない。彼は深いバッハ信仰がありルター派になったが心のルーツはユダヤ教徒であり、旧約・新約両方の聖書に出てくる聖人エリヤを描いたのは深いわけがある。ドクトルHは熱かった。ナチスは同盟軍と教わっていた僕は、アンネ・フランクがフランクフルトから逃げて隠遁したアムステルダムの家を見て深く同情はしたが、彼のメンデルスゾーン講話でいよいよ憎むようになった。

そのような知識も信仰もなくとも、メンデルスゾーンの音楽は訴求力があると思う。彼の音楽は、今流に中国語でいうなら全球的であって、大方の聖書も読んでいない日本人がバッハのマタイ受難曲をあるべき姿として理解するのは至難であったとしても、エリヤは自然に耳から共感できる。今回の曲目、未完に終わったが完成していればエリヤ、聖パウロと並んで三大オラトリオを形成したはずであるオラトリオ「キリスト」作品97もそうだった。そうだ、キリストはユダヤ人なのだ。信仰はないのに涙があふれ出てくる。ドイツの保守本流の音楽でしかこういうことは起きないことを僕は知っている。どうしてかは知らないけれど。

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オーディオ電源は落とすなかれ

2016 MAY 1 1:01:59 am by 東 賢太郎

26日から30日までプレゼンがたてこんで休む間がなく、寝不足でもありストレスもあり頭がナッツ状態でした。

ところで土曜日に、KW氏を拙宅にお呼びして打ち合わせした折、少し音楽でも聞きましょうとなって本当に久しぶりに地下でCDをかけたのですが、彼が好きというカーペンターズのSACDの美音が心にしみてしまいました。彼はこういう音は初めてだったようで、僕のほうはあまりに久しぶりであって、ふたりして感動したわけです。

ところが、仕事に気がとられていたのかそこで入れたオーディオの電源を、そのまま落とし忘れてしまいました。まる一日たって、さっき地下室へ下りてそれに気がつきました。せっかくだし、なにか音に変化があるか聴いてみたいと思い立ちましたが、困ったことに今日はさらに疲労困憊していて、こういう時は音楽さえのどを通らなくなります。CD棚を端から端まで眺めましたが何一つ食欲がおきません。

374ふと、床に積んであった未聴のディスクの山が目に入りました。その一番上がこれだったのです。酷いもんでもう1、2年は買ったまま封も切らずに放置していたと思われます。昔、オーディオを教えてくれた友人にハイエンドは電源を切るなと教わっていたこともあり、また、ホヴランドのストラトゥスは「切らないのが望ましいが電気代を気にする人もいるので仕方なく入力スイッチを2段階にした」という製作者のコメントを読んだ記憶もあったから、それなら録音の良いSACDでオーケストラを聴いてみようという気になりました。特に意味もなくこのPentatoneレーベルのメンデルスゾーン4番(C・デイヴィス/ボストンSO)を鳴らしてみたのです。

これが衝撃でした。まったりしたアナログ的な弦、鮮明に音楽的に鳴る管、締まってブーミーにならない見事な低音、質感のあるティンパニ、すべてのパッセージが生き生きと脈動し、楽器の定位ははっきり感じられるではないですか!原盤は76年録音ですからフィリップスのアナログ全盛期で、ボストン・シンフォニーホールの最上の席に座っているかのようで、かつてこのシステムからこういう音はしなかった。

まったく何気なくかけたのですが、こういう音の前では疲れなど跡形もなく吹っ飛びます。演奏も大変良ろしいのです。偶然から宝物のディスクが見つかり幸運でした。ほぼ居眠りしていた脳ミソが一気に覚醒し、日付は変わりましたが本稿を書く気力がみなぎったのです。

良い音、良い音楽はクスリです。

 
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クルト・マズアの訃報

2015 DEC 21 1:01:46 am by 東 賢太郎

クルト・マズアさんが亡くなった。クラシックに熱中しはじめた高校時代におなじみの懐かしい名前だ。アズマの反対だけどスペルはMasuaで、ドイツ語ではSを濁ってズと読むことを初めて知った。クラスのクラシック仲間がふざけて僕をケント・マズアと呼んだが、さっき調べたら氏の息子さんはケン・マズアさんだった。

mazua1だからというわけじゃないが、彼のベートーベン交響曲第5番、9番(右)は僕が最初に買った記念すべき第九のレコードとなった。だからこれで第九を記憶したことになる。なぜこれにしたかは覚えてない。ひょっとしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(以下LGO)に興味があったかもしれないが、2枚組で3600円と少し安かったのが真相という気もする。

mazur感想は記録がなく不明だが、音は気に入ったと思われる。というのは第九を買った75年12月22日の4日後に同じマズア・LGOのシューマン交響曲第4番を購入しているからだ(右)。大学に入った75年はドイツ音楽を貪欲に吸収していた。5月病を克服した6月に買ったジョージ・セルの1,3番のLPでシューマンを覚え、4番にチャレンジしようと7月に買った同じLGOのコンヴィチュニー盤があまりピンとこなかったのだ。それはフォンタナ・レーベルの詰めこみすぎた冴えない録音のせいだったのだが・・・。ということはシューマン4番もマズアにお世話になったのだろう。

マズアはドイツ人にしてはモーツァルト、シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、R・シュトラウス、マーラーのイメージがないのが不思議だ。モーツァルトはシュミットとのP協全集はまあまあ、ブルックナーは4番を持っているがいまひとつだ。東独のオケ事情、レコード会社との契約事情があったかと思われる。

mazurそこで期待したのがブラームスだ。76年録音。ロンドンで盤質の最高に良い79年プレスの蘭フィリップス盤で全集(右)を入手できたのはよかったが、演奏がさっぱりでがっくりきたことだけをよく覚えている。4曲とも目録に記しているレーティングは「無印」だ。当時はまだ耳が子どもで激情型、劇場型のブラームスにくびったけだったからこの反応は仕方ない。とくに音質については当時持っていた安物のオーディオ装置の限界だったのだろうと思う。今年の4月現在の装置で聴きかえしてこう書いているからだ。

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(9)

mazua2ところでここに「フランクフルトでフィデリオを聴いたが、まさにこの音だった」と書いたが記憶違いだった。プログラム(左)を探したところ、1988年10月3日にロイヤル・フェスティバルホールであり、しかもオケはロンドン・フィルであったので訂正したい。ケント公エドワードご来臨コンサートで英国国歌が演奏されたようだが記憶にない。当時のロンドンでドイツ人指揮者というとテンシュテット、ヨッフム、サバリッシュぐらいでカラヤンが来たのが事件だった。そこに登場したマズアはきっと神々しく見えたんだろう、響きも重くドイツ流ですっかりドイツのファイルにメモリーが飛んでしまっていたようだ。この4年後に言葉もできないのに憧れのドイツに住めたのが今となっては信じ難い。

この記憶はこっちと混線したようだ。

ブルックナー交響曲第7番ホ長調

94年8月28日、フランクフルトのアルテ・オーパー。これがマズア/LGOの生の音だったがこれよりもフィデリオの方がインパクトがあった。

マズアの録音で良いのはメンデルスゾーンとシューマンのSym全集だ。これはLGOというゆかりのオケに負うところもあるが低重心の重厚なサウンドで楽しめる。ブラームスもそうだが、細かいこと抜きにドイツの音に浸ろうという向きにはいい。ベートーベンSym全集はマズアの楽譜バージョン選択の是非と解釈の出来不出来があるが現代にこういうアプローチと音響はもう望めない。一聴の価値がある。

なにせLGOはモーツァルトやベートーベンの存命中からあるオーケストラなのであり、メンデルスゾーンは楽長だったのだ。61才までシェフとして君臨したコンヴィチュニーに比べ70年に43才で就任したマズアはメンゲルベルクと比較されたハイティンクと同じ境遇だったろうと推察する。若僧の「カブキ者」の解釈などオケが素直にのむはずもないのであって、正攻法でのぞむ。それが伝統だという唯一の許されたマーケティング。だからそこには当時のドイツ古典もの演奏の良識が詰まっているのである。

意外にいいのがチャイコフスキーSym全集で、カラヤン盤よりドイツ色濃厚のオケでやるとこうなるのかと目からうろこの名演だ。悲愴はすばらしく1-3番がちゃんと交響曲になっているのも括目だ。ドイツで買ったCDだがとびきり満足度が高い。そしてもうひとつ強力おすすめなのがブルッフSym全集で、シューマン2番の第1楽章などその例なのだが、LGOの内声部にわたって素朴で滋味あふれる音響が完璧に音楽にマッチして、特に最高である3番はこれでないと聴く気がしない。

エミール・ギレリス、ソビエト国立響のベートーベンP協全集は1番の稿に書いたとおりギレリスを聴く演奏ではあるが時々かけてしまう。お好きな方も多いだろう、不思議な磁力のある演奏だ。76年ごろのライブでこれがリアルタイムでFMで流れ、それをカセットに録って擦り切れるほど聴いていた自分がなつかしい。以上。ニューヨークに移ってからの録音が出てこないのは怠慢で聞いていないだけだ。

こうして振り返ると僕のドイツものレパートリー・ビルディングはLGO時代のマズアさんの演奏に大きく依存していたことがわかる。師のひとりといえる。初めて買った第九は、彼との出会いでもあった。75年12月22日のことだったが、それって明日じゃないか。40年も前のだけど。

心からご冥福をお祈りしたい。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

(こちらをどうぞ)

ベートーベンピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち(サー・コリン・デービス)

2015 JAN 10 0:00:11 am by 東 賢太郎

コリン・デービスの名はずいぶん早くから知っていた。それは名盤といわれていたアルトゥール・グリュミオーやイングリット・ヘブラーのモーツァルトの協奏曲の伴奏者としてだ。リパッティのグリーグ協奏曲を伴奏したアルチェオ・ガリエラやミケランジェリのラヴェルト長調のエットーレ・グラチスもそうだが、超大物とレコードを作るとどうしても小物の伴奏屋みたいなイメージができて損してしまう。

それを大幅に覆したのが僕が大学時代に出てきた春の祭典ハイドンの交響曲集だ。どちらもACO。何という素晴らしさか!演奏も格別だったが、さらにこれを聴いてコンセルトヘボウの音響に恋心が芽生えたことも大きい。いてもたってもいられず、後年になってついにそこへ行ってえいやっと指揮台に登って写真まで撮ってしまう。その情熱は今もいささかも衰えを知らない。

彼は最晩年のインタビューで「指揮者になる連中はパワフルだ」と語っている。これをきいて、子供のころ、男が憧れる3大職業は会社社長、オーケストラの指揮者、プロ野球の監督だったのを思い出した。ところが「でも、実は指揮にパワーなんていらない。音楽への何にも勝る情熱と楽団員への愛情があれば良いのだ」ともいっている。これは彼の音楽をよくあらわした言葉だと思う。

サー・コリンが一昨年の4月に亡くなった時、何か書こうと思って書けずにきてしまったのは、ロンドンに6年もいたのに驚くほど彼を聴いていないのに気がついたからだ。彼が晩年にLSOとライブ録音した一連のCDを聴いていちばん興味を持っていた指揮者だったのに・・・。youtubeにあるニューヨーク・フィルとのシベリウス3番のライブを聴いてみて欲しい。こんな演奏が生で聴けていたら!

僕がクラシック覚えたてのころ彼のお決まりの評価は「英国風の中庸を得た中堅指揮者」だ。当時、「中庸」は二流、「中堅」はどうでもいい指揮者の体の良い代名詞みたいなものだった。それはむしろほめている方で、ドイツ音楽ではまともな評価をされずほぼ無視に近かったように思う。若い頃のすり込みというのは怖い。2年の米国生活でドイツ音楽に飢えていた僕があえて英国人指揮者を聴こうというインセンティブはぜんぜんなかった、それがロンドンで彼を聴かなかった理由だ。

それを改める機会はあった。93年11月9日、フランクフルトのアルテ・オーパーでのドレスデンSKを振ったベートーベンの第1交響曲ベルリオーズの幻想だ。憧れのDSK、しかも幻想はACOとの名録音がある。しかし不幸なことに演奏は月並みで、オケの音も期待したあの昔の音でなかったことから失望感の方が勝っていた。これで彼への関心は失せてしまったのだ。もうひとつ98年5月にロンドンのバービカンでLSOとブラームスのドッペルを聴いているが、メインのプロが何だったかすら忘れてしまっているのだからお手上げだ。ご縁がなかったとしかしようがない。

davisしかし彼の録音には愛情のあるものがある。まずLSOを振ったモーツァルト。ヘレン・ドナートらとの「戴冠ミサ」K.317、テ・カナワとのエクスルターデなどが入ったphilips盤(右)である。このLPで知ったキリエK341の印象が痛烈であった。後にアラン・タイソンの研究で 1787年12月〜89年2月の作曲という説が出て我が意を得た。ミュンヘン時代の作品という説は間違いだろう。

5969523僕のデービスのベスト盤はこれだ。ACOとのハイドン交響曲第82,83番である。もし「素晴らしいオーケストラ演奏」のベスト10をあげろといわれたら彼のハイドン(ロンドンセットは全曲ある)は全部が候補だが、中でもこれだ。なんという自発性と有機性をそなえた見事なアンサンブルか。音が芳醇なワインのアロマのように名ホールに広がる様は聞き惚れるしかない。こういう天下の名盤が廃盤とはあきれるばかりだが、これをアプリシエートできない聴き手の責任でもあるのだ。

16668gこのハイドンと同様のタッチで描いたバイエルン放送SOとのメンデルスゾーン(交響曲3,4,5番と真夏の夜の夢序曲)も非常に素晴らしい。オーケストラの上質な柔軟性を活かして快適なテンポとバランスで鳴らすのが一見無個性だが、ではほかにこんな演奏があるかというとなかなかない。昔に「中庸」とされていたものは実は確固たる彼の個性であることがわかる。5番がこういう演奏で聴くとワーグナーのパルシファルにこだましているのが聞き取れる。

51BSnT5oJxL__SX425_シューベルトの交響曲全集で僕が最も気に入っているのはホルスト・シュタインだが後半がやや落ちる。全部のクオリティでいうならこれだ。DSKがあのライブは何だったんだというぐらい馥郁たる音で鳴っており1-3番に不可欠の整然とした弦のアーティキュレーションもさすが。僕は彼のベートーベン、ブラームス全集を特に楽しむ者ではないが、こういう地味なレパートリーで名演を成してくれるパッションには敬意を表したい。4番ハ短調にDSKの弦の魅力をみる。

41AQABHVRZL春の祭典、ペトルーシュカだけではない、この火の鳥もACOの音の木質な特性とホールトーンをうまくとらえたもので強く印象に残っている。この3大バレエこそ彼が中庸でも中堅でもないことを示したメルクマール的録音であり、数ある名演の中でも特別な地位で燦然と輝きを保っている。 オケの棒に対する反応の良さは驚異的で「火の鳥の踊り」から「火の鳥の嘆願」にかけてはうまさと気品を併せ持つ稀有の管弦楽演奏がきける。泥臭さには欠けるがハイセンスな名品。

51k8eFkIMIL__SX425_ブラームスのピアノ協奏曲第2番、ピアノはゲルハルト・オピッツである。1番はいまひとつだが2番はピアノのスケールが大きくオケがコクのある音で対峙しつつがっちりと骨格を支えている。オピッツはラインガウ音楽祭でベートーベンのソナタを聴いたがドイツものを骨っぽく聞かせるのが今どき貴重だ。この2番も過去の名演に比べてほぼ遜色がない。ヘブラーやグリュミオーのモーツァルトもそうだがデービスはソリストの個性をとらえるのがうまい。録音がいいのも魅力。

 

あとどうしてもふたつ。 ヘンデル メサイアより「ハレルヤ」(Handel, Hallelujah) に引用した彼のヘンデル「メサイア」は彼のヘンデルに対する敬意に満ちた骨太で威厳のあるもので愛聴している。そしてLSOとのエルガー「エニグマ変奏曲」も忘れるわけにはいかない代表盤である。

(こちらへどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

エルガー「エニグマ変奏曲」の謎

 

 

 

 

 

 

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クリストファー・ホグウッドの訃報(追記あり)

2014 OCT 4 2:02:01 am by 東 賢太郎

LP時代の末期である80年代初頭にホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団のモーツァルト交響曲全集がオワゾリールというレーベルから出てきて、世の耳目を集めたのは古い音楽ファンならご記憶と思う。当時、モーツァルトに入れ込んでいた僕は大変関心を持ったのだが、いかんせん金がなくて買えなかった。そりゃそうだ、CDに焼き直しても19枚もあるのだ。というのはモーツァルトは41曲と習っていたのがなんと71曲!もあるためであって、交響曲という概念の洗い直しによる拡大された概念での選曲がなされているからだった。

hogwoodこれを初めて入手したのはペンシルヴァニア大学在学中のことで、第31,35,38、39,40,41番と、リンツを除く有名曲が3本のカセットテープに入ったボックスであった(左)。貧困だった当時にして大投資であり、やっと手にしたことがよほど嬉しかったとみえてMay30,1983という日付と、Sam Goodyと買った店の名前まで記してある。安いCDボックスをまとめ買いできたりyoutubeで無料で聴けてしまうのが当たり前になった今、有難い世の中になったと思う反面、こういう入手の喜びというものが薄れてしまったことは新しい録音をきくことの重みまで取り去ってしまったようで少し複雑な気持ちである。

部屋でこれに耳を澄ましてみて、しかし、そう気に入ったわけではなかった。いかにオーセンティシティを謳われようと、ピッチの低さと共にこの古楽器オケの薄いヴァイオリンの音に抵抗があり、今でもその趣味はそのまま変わらない。やはり僕はベームのウィーンフィルやスイトナーのドレスデン・シュターツカペレの奏でる芳醇な弦への恋情が消えないのだ。

子供のころのモーツァルトはいいヴァイオリンの音を喩えて「バターのよう」と言っている。それはウィーンフィルみたいな音ではあってもホグウッドのオケの音じゃないのではと僕は解釈している。博物館に飾ってある楽器で弾くのは確かにオーセンティックな態度だが、出てくる音もそうとは限らない。

このモーツァルトは80年あたりから急速に広がる古楽器演奏ブームの開祖的存在であって、上述の交響曲の新分類法とともに楽器の選択と奏法の新奇さでも旧世界に殴り込みをかけた新機軸という気概がある。それはブリティッシュ・ミュージアムに結実している英国人の博物学精神の音楽版を観るようであり、知的刺激には富むものの、音楽的価値は同じく古楽器を駆使しながらヒューマニスティックな感興に富んだオランダ人フランツ・ブリュッヘンの演奏にはるか及ばないと思う(彼も亡くなったが)。

hogwood1それでも当全集に対する関心は消えず、ロンドン赴任時代にCDで欠けていたリンツを含む3枚組をこれも大枚はたいて買った。はたして音楽の印象は変わることなく、これ以後継続して購入する意志は失せた。ただ、これの良かったのは分厚い解説書の充実だ。英文をむさぼり読み、モーツァルトの管弦楽曲に関する最新の知見を得ることができたのは後々に非常に役に立つことになる。

ピッチの低さをのぞけば比較的いいと思っている第31番KV 297 、いわゆるパリ交響曲をお聴きいただきたい。

ホグウッドは後年、フルオーケストラを振ってロマン派までレパートリーに入れており、いくつか良いものがある。そのなかでもデンマークの作曲家ニルス・ゲーゼの交響曲集(デンマーク国立交響楽団)はとても味わいがある。

長年イギリスに住んでいて、とうとうホグウッドを聞く機会はなかったんじゃないだろうか、たぶん(仔細には覚えていないコンサートもたくさんあるが・・・)。結局、このモーツァルト全集のイメージが強かったんだろう。

 

(追記)

今日TVでやったN響との追悼、ストラヴィンスキー「プルチネルラ」は素晴らしかった。きびきびした音楽のアンサンブルをまとめる手腕に脱帽。

(補遺)

メンデルスゾーン ヴァイオリン・ソナタヘ短調 作品4

ヤープ・シュレーダー(Vn)/ クリストファー・ホグウッド(fp)

R-7332378-1439114343-8279_jpegシューベルトのソナタと組んだLPをロンドンで買った。英国人の古楽器への愛情は執念すら感じるが、これは夜長にそれとなく楽しめる。ホグウッドのフォルテピアノの音が典雅で好ましいからだが、指揮者の余技ではなくこれがもともと本業だから音楽性が高い。メンデルスゾーン16才の曲だが、彼の室内楽にはヘ短調が多い。書かなかったモーツァルトを意識してのことだろうか。

 

 

(こちらもどうぞ)

モーツァルト「ピアノと管楽のための五重奏曲」変ホ長調K.452

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

 

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メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64

2014 APR 13 18:18:45 pm by 東 賢太郎

たとえばメンデルスゾーンの協奏曲では、ホ短調のスケールを音の粒をそろえて弾けなければなりません。この協奏曲の第一楽章の三連符のパッセージをうまく弾けている演奏をめったに聴いたことはありません。

-ルッジェーロ・リッチ(千歳八郎著『大ヴァイオリニストがあなたに伝えたいこと』)

 

ヴァイオリン協奏曲の最高の名曲をあげよといわれたら、さんざん迷ってこれにすると思います。モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウスをさしおいてです。それほどメンデルスゾーンは天衣無縫、完全無欠の美を誇る女王のような存在であり、もう何百回耳にしたかわかりませんが死ぬまで聴き続けて飽きる気が一切しない最右翼に位置する音楽であります。つまり無人島の一枚の候補ということになります。

そういう曲ですから、チャイコフスキーやシベリウスを弾かない人はいてもこれを弾かないヴァイオリニストというのはちょっと考えられません。これが出だしの独奏の楽譜です。弦のさざ波とピッチカートにのって独奏が有名な節を歌います。

メンデルスゾーン

これは簡単に聞こえますが、実は持っている29種類の演奏のうち満足できるのはあまりありません。ハイフェッツのような天才でもピッチも感性も合わず、この節を弾く人になりきれていない印象があります。音程がだめな人、最初のタータがタ、タになる人、後半でリズムが甘くなる人、オケに先走る人。これをうまく演奏するのは至難の業ということがわかりますし、それが曲頭に準備もなく出てくるのだから。

書かれたのはベートーベンの死後16年たった1844年ですが編成はベートーベンと変わらず、いやバス・パートがチェロ、コントラバスに分離していないですからむしろモーツァルトまで後退しているといっていいでしょう。ところが、パガニーニばりのソロの名技と拮抗する終楽章の木管などリムスキー・コルサコフのお手本になったかと思わせるほど目覚ましいものであり、それでいながら、終楽章をソリストの見せ場にするあまり曲想が1,2楽章に比べて安っぽくなるという協奏曲のトラップにはまっていない。そうして、また同じ言葉を使わざるを得ないのですが、それでいながら、全曲が終わった瞬間の感動の大きさと興奮は圧倒的なもので、これでブラヴォーが飛ばなければよほど技術に問題があったということでしょう。驚くべきクオリティの音楽であります。

第1楽章の第2主題。ト長調の主和音を3オクターヴ下ってソロがヴァイオリンの最低音のg(ソ)の開放弦を長く伸ばします。この長のばし音で静寂の中に持続性と緊張感を作る方法は第2楽章の入りにも現れますが、ベートーベンの皇帝協奏曲から来たものです。この太くて良く鳴る音にフルートとクラリネットが乗った混ざり具合は前回書いたスメタナ「モルダウ」の入りの部分(そこはヴィオラですが)を思わせる「良く響く」楽器の組合せの発明といえましょう。「真夏の夜の夢」にも素晴らしい例がたくさんありますが、メンデルスゾーンは音色の化学者としても一流です。

そして古典の衣装に盛りこまれたロマン派につながる和声の流れ。下の楽譜は第2楽章と終楽章を結ぶブリッジですが、ピアノの弾ける人はヴァイオリンを歌いながらこの伴奏を弾いてご自分で味わってごらんなさい。赤枠の部分のたった2つの和音!ヴィオラのe(ミ)!滋味にあふれたこの譜面をいま読んで、心に音が鳴って、そして僕はもう涙を流している。

2メンデル

saitou以前のブログにこの曲はフランクフルト近郊のバート・ゾーデンで書かれ、我が家は1年間その隣り村に住んでいたことを書きました。左は旧友の斉藤さんが6月に行って撮ってきて下さった、その時メンデルスゾーンが滞在してこれを書いた家の写真です。僕は毎日、この前を車で通勤していました。楽譜のブリッジ部分はここの空気の匂いがします。赤枠のような音はそういう風に、触れれば壊れるほどデリケートにやってもらいたいのです。

 

ヘンリック・シェリング / アンタル・ドラティ / ロンドン交響楽団

41E4P2MV5PL冒頭ソロの素晴らしさで僕はシェリングを最高位に置きます。禁欲的で清楚でありながら感情がぎっしり詰まった嫋(たお)やかな歌いまわしはバッハ、ベートーベンを得意としたシェリングにしかできない味なのです。きりりと引きしまっていて第3楽章でソロと見事な競奏をきかせるドラティの伴奏ゆえにこの旧盤を上にします。ドラティは幸いなことに晩年にロンドンでブラームスを聴くことができましたが本当に良い指揮者で独欧系の音楽をもっと録音で残してほしかったものです。その第1楽章です。

ヘンリック・シェリング / ベルナルト・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

1163000417こちらは76年盤です。冒頭の素晴らしさは旧盤と甲乙つけがたく、こちらのほうが大家の風格がありテンポもゆっくり目です。楽譜にない装飾音も旧盤と同じです。とにかくシェリングの音程に対する潔癖さと控えめなロマンをただよわせた歌の美しさはただただ素晴らしく、作曲家に対してと同様の心からの敬意を表するしかありません。ハイティンクもそのアプローチに協調して、終楽章はむやみなあおり方はしません。芸人のようなソリストが興奮をそそるのとは対極で、作品そのものがくれる感動をじっくり楽しむ大人の演奏です。

 

ユリア・フィッシャー/ イヴァン・フィッシャー / ヨーロッパ室内管弦楽団

冒頭ソロでシェリング盤に対抗できるのはこれだけです。トータルに見ても最高の名演の一つであり、この曲のヴァイオリン演奏としてはシェリングの金メダルに僅差の銀と思います。この演奏についてはこのブログに書いてありますのでくり返しませんが、ぜひ広く聴いていただきたいと思います。ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流

 

ミシェル・オークレール / ロベルト・ワーグナー / インスブルック交響楽団

200x200_P2_G1260048W1943年に19歳でロン・ティボー・コンクールに優勝し、早々に左手の故障で引退したフランスの元天才少女の39歳での演奏です。技術で押すタイプではなく併録のチャイコフスキーの細部はかなりいい加減な部分もあるのですが、それにもかかわらず不思議な魅力があり捨てがたい逸品です。細身の音でしとやかに楚々と開始して、歌いまわしと音色にクールな気品と色香がある。オケの伴奏はまったくマイナーな楽団と指揮者とですがこれがドイツの田舎色があってけっして悪くなく、終楽章コーダのライブさながらの興奮は実に素晴らしいものです。

 

ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ / ジェラード・シュウォーツ / ニューヨーク室内交響楽団

41GQCRVBVYL__SL500_AA300_ローマ生まれの女流です。冒頭は大きなヴィヴラートでごまかされた感じですが、第2主題の入りをこんなにテンポを落とす人もなく、この曲のロマン派寄りのアプローチとして聞かせます。第2楽章の感情移入は男では恥ずかしくてここまでできないのではという没入ぶりであり、終楽章では一転して男顔負けの立ち回りとなります。じゃじゃ馬っぽい演奏ですがこれをライブで聴いたら彼女に一本負けしたに違いなく、上記ブリッジ部分などもよく感じていてこの曲の抒情的な部分の良さがよくわかるでしょう。

トランペットも吹く彼女がTVショーで第3楽章をピアノ伴奏で弾いています。ちょっと荒っぽいがこのエネルギーには圧倒されます。これが協奏曲でなくヴァイオリンソナタであってもトップを争う名曲だったなあと発見があります。

 

ウォルフガング・シュナイダーハン / フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン放送交響楽団

49880057771191915年ウィーン生まれで5歳で公開演奏をした神童だったシュナイダーハンは後にウィーン・フィルのコンサートマスターになります。だからというわけではないが音程に細かい気配り、フレージングには慎ましさがあり、冒頭の折り目正しい歌は正統派中の正統派でありましょう。ソネンバーグがロマン派寄りの現代歌舞伎ならこちらは古典です。ただ、地味なだけかというと決してそうではなく、第2楽章の芳醇な歌の高揚などウィーン・フィルの弦を聞くようでもあり、フリッチャイのオケがそのテーストに見事に同期している。まさしく素晴らしいヴァイオリン協奏曲演奏であります。

 

ブラームス 交響曲第3番ヘ長調 作品90

 

メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

 

 

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メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

2013 NOV 10 18:18:15 pm by 東 賢太郎

音楽による地中海めぐり、次はいよいよイタリア編に入りましょう。

ついこの前のことです。南イタリアはアマルフィの風景を描いた油絵を気にいって、何の気なく買いました。そうしたらさっきこの水彩画をネットで発見してびっくりしました。

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なんと同じ海ではないですか。これを描いた画家は22歳のフェリックス・メンデルスゾーンです。交響曲第4番「イタリア」は彼が22~24歳にかけて書いた傑作です。まさにこの水彩画を描くことになったイタリア旅行の直後であり、この曲の冒頭はこの景色から生まれたかもしれないと僕はいま想像をかきたてられているのです。

o0420042010150431900メンデルスゾーンに与えられた人生はたったの38年でした。モーツァルト36年、ビゼー37年と、僕が人類史上、早熟の3大奇跡とあおぐ3人はほぼ同じ年で亡くなっています。右は 13歳のフェリックス・メンデルスゾーンの肖像画で、このまま少女マンガの主人公ですね。このころ紹介された文豪ゲーテは彼の才能に驚嘆し、2週間毎日彼のピアノを聴き続けたそうです。17歳で書いた弦楽八重奏曲変ホ長調」と「序曲《真夏の夜の夢》」は現代のコンサートレパートリーの常連です。後者に続く「結婚行進曲」を聞いたことがないという人はまずいないでしょう。

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フェリックスにはファニー(右)というお姉ちゃんがいて(これもモーツァルトのナンネルと似る)、彼女も13歳で父の誕生日プレゼントにJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集・第一集」の24の前奏曲とフーガをすべて暗譜で演奏したとありますから、もう頭がくらくらするぐらいものすごい頭脳です。オペラ「ファウスト」で高名なフランスの作曲家シャルル・グノーがファニーの弾くバッハに感嘆し、彼女の足元にまろび伏してアダージョを弾いて欲しいと願ったというおそるべき逸話まで残しています。彼女の長男の名前はバッハ、ベートーベン、弟にちなんでゼバスティアン・ルートヴィヒ・フェリックスでした。

フェリックスは15歳のクリスマスプレゼントに母方の祖母からJ.S.バッハの「マタイ受難曲」の筆写スコアをもらいます。すごいおばあちゃんがいたものです。それもそのはず、2人がどういうお家の子かというと、父アブラハムは大金持ちの銀行オーナー、祖父モーゼスは高名な哲学者でした。父は「私はかつては父の息子として知られていたが、今では息子の父親として知られている」と有名な言葉を残しています。

Felix_Mendelssohn-620x360フェリックス(右)はおばあちゃんにもらったバッハのマタイを20歳で蘇演し、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督に26歳で就任、発見されたシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」を30歳で初演しました。また、指揮棒を使ってオーケストラの指揮を始めた創始者は彼です。

僕が音楽史、音楽界で最大級の悲劇と感じるひとつが、このメンデルスゾーンの業績のいわれのない低評価です。嘘だと思われたら書店や図書館へ行って彼やファニーの伝記や論文や研究書の類を探されたらいい。如何に少ないか分かるはずです。これは国際的な「いじめ」と言って何ら過言ではありません。ベートーベンとワーグナーをつなぐだけの、音楽史に貢献のない「中継ぎ」と見るなどがその例です。彼らはその驚異的な能力や業績に比して不当なほどに歴史から抹殺されていると言ってもいいのです

その背景には音楽創造の人類史というものが何らかの内在的な原理によって自律的に進化(evolve)するというとてもドイツ的、哲学的な史観が色濃く感じられます。その進化プロセスがアーリア人の頭脳によって駆動されるとまで音楽史は言わないが、その論理の存在そのものが音楽史の本家本元であるイタリア人への対抗軸の創設であり、従ってイタリア人が進化貢献の担い手リストから巧妙に排除される中、そこにユダヤ人メンデルスゾーンが入り込む余地は元来限られていたと思われます。このドイツ史観に洗脳された我が国の音楽教育が、バッハ-ヘンデル-ハイドン-モーツァルト-ベートーベンであるとして「evolutionの系譜」を暗記させるのを覚えておられますでしょうか。

ヒトラーがそこまで考えていたかどうかはともかく、彼はアンチ・セミティズム、アンチ・メンデルスゾーンのリヒャルト・ワーグナーをご贔屓にし、ナチスが政権を取ると不幸なことにそのアンチは全ドイツに拡散しました。国民的な抹殺の始まりです。その結果として、例えば1936年、英国人トマス・ビーチャムがロンドン・フィルの楽団員と共にライプツィヒのメンデルスゾーンの記念碑に花環を捧げようと訪れた時、彼らはそれが粉々に打ち砕かれ、銅像は無くなっているのを見たそうです。ユダヤ人演奏家が欧州から米国に大挙して亡命したのがよくわかります。

しかしメンデルスゾーンのケースはナチスのせいばかりではないでしょう。なぜならマーラーもユダヤ人ですがそんな目にはあっていません。 これは僕の推察ですが、富裕層の生まれで楽な人生を歩んだというイメージが「いじめ」のもう一つの源泉のような気がするのです。大作曲家伝説は王侯貴族や国家体制の権力、権威に才能だけで立ち向かう一介の騎士というスタイルでなければならないのです。銀のスプーンをくわえて生まれた少年が天才でもあったなど許さなかったのではないでしょうか。無視してあえなく死なせてしまった騎士が天才であったことにあとで気づいた支配階級が懺悔(ざんげ)として美化した要素がモーツァルト伝説にはたくさん含まれていると僕は考えますが、彼が貴族の子であってもそれが起きたかといわれれば、懐疑的です。

フランス革命、ナポレオンの登場から間もないヨーロッパにそういう下剋上美化のような精神風土があったのは容易に想像できます。しかしそれはユニバーサルなものではなく多分にキリスト教徒のものであり、一神教が異教徒を排除する原理と自然に融和するものだったのではないでしょうか。その原理は原爆投下で大勢の非戦闘員まで亡きものにする行為を平然と正当化できる、我々仏教徒の理解をはるかに超えるものなのです。キリスト教徒の平民に富裕層はいなかったろうから、銀のスプーンへの攻撃の矛先が貴族階級だけでなくフェリックスの父親が不幸にもその象徴でもある富裕なユダヤ人に向かいました。

フェリックスは運の悪い時期に生まれた といえばそれまででしょう。問題はそれが現在に至るまで歴史の評価として定着してしまっていることなのです。音楽に限りませんが、アートというものは人間の理性の産物です。食うこととセックスすることしか考えない動物と人間とを明確に区別できるのは理性の存在で、それこそが人間の尊厳の源です。フェリックスやファニーという人間に実際に接した、ゲーテやグノーら銅像が建つほどの芸術家が彼らをどう評価したかという史実をどうして重視しないのでしょう。ドイツの音楽学者やナチ党員の銅像は一体どこに建っているのでしょう。

音楽という芸術を差別という人間の最も後ろ暗く品性の卑しい行為で汚すことに僕は全面的な拒絶、Vetoを叩きつけたいのです。フェリックスの産み出した奇跡のような音楽にあえて耳を塞ぎ人為的な政治や宗教の相克の生贄に供そうというのは、人間が人間である所以である理性と尊厳の否定に他なりません。そういう行為を平然と行う者たちは自らがそれを欠く輩である、つまり人間未満の存在でしかないということを証明していると僕は思うのです。本稿を読まれる方々には、ぜひ虚心坦懐に彼の音楽に耳をかたむけ、人類の遺産と称される物の価値がいかに人間の浅知恵で操作されているものかを自らの理性によってご判断いただきたいと願ってやみません。

 

イタリア交響曲は彼自身の命名ではありませんが 、彼がアマルフィにも立ち寄ったイタリア旅行の印象に基づいて書かれたものであることは明らかです。誰もが一度でも聴いたら忘れない第1楽章の出だし!軽やかな木管のリズムに乗ってヴァイオリンが歌う、はじけるような歓喜に満ち満ちたあのメロディー(楽譜)。あなたは一瞬にして陽光降りそそぐアマルフィの海岸で青い空と紺碧の地中海を見るのです。もう一度冒頭の彼の水彩画をご覧ください。

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この「入り」のシンプルにして強烈なインパクトはモーツァルトの交響曲第40番ト短調を想起させる、僕の知る唯一の音楽です。この曲に革新的な部分があるとすると、イ長調で始まりますが終楽章はイ短調で終わることです。短調開始であっても長調終止が普通だった当時、短調→短調でもきわめて異例なことでした。それをわざわざ長調で始めて(しかも非常に明るく)というのは異例中の異例でありました。

彼はこの曲を自分ではあまり評価しておらず、改訂を重ねながら亡くなりました。だから最後の交響曲「スコットランド」が3番であり、出版順でこれが4番となったのです。第4楽章プレストはローマ付近の民衆に流行した舞曲サルタレロのこのような「タッタタタタ、タッタタタタ」というリズムを背景に書かれていますが、指揮者トスカニーニは「イタリア人としては異議がある」と語ったそうです。

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このリズムですが、これはリムスキー・コルサコフの交響組曲「シェラザード」のやはり急速で進む第4楽章の伴奏にそっくりな形で現れます。 

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1分18秒からのリズムです。譜面は1分23秒からです。このシェラザード、第1楽章開始部での木管の和音も「真夏の夜の夢」そのものです。誰が彼の音楽をどう評価しようと、後世の作曲家がどれだけメンデルスゾーンを知り、研究し、影響を受けたかがこの一例からも分かります。

それは彼のインスピレーション、霊感というものがひときわ群を抜いていたからで、あの真夏の夜の夢の「スケルツォ」のもつ妖精の舞いを見るようなポエジーは、あとにも先にも彼以外の人間の手からは生れ出たことのない独創的なものです。また先の結婚行進曲。C、Am6、B7、Em、F、Gという奥ゆかしい和声進行にのって進む音楽が新郎新婦の晴れやかで心の浮き立つような、それでいて適度に厳粛な、まさに結婚式というシチュエーションにどれほどふさわしいか、言葉にするのも野暮ですね。

それではイタリア交響曲の僕の好きな演奏を4つだけご紹介しましょう。

 

ロリン・マゼール/ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

736(1)見事なテンポでさっそうと鳴るオケ。はじけるリズム。青い海と空を風がよぎるイタリアの風光を封じ込めたような第1楽章の理想的な姿です。終楽章の熱さ、緩徐楽章の絶妙の木管のニュアンス。弱冠30歳だったマゼールに共感したベルリンフィルが自発性と一糸乱れぬアンサンブルをもって応じているのに驚きます。弦の腰の重さはドイツ流ですが、色彩的な管楽器をスマートに配していて野暮ったくならないセンスは天性のものでしょう。録音も良好であり、中年以降のマゼールに偏見がある人(僕もその一人)も虚心に聴いていただきたい名演です。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団 (54年2月26-28日)

41PY9RX27DL._SL500_AA300_これでこの曲を覚えた人が多いのでは(僕もそうです)。第1楽章の陽光降りそそぐ乾いた空気。からりと晴れた突き抜けるような青空。これぞイタリアです。オケの強靭なリズム 、明瞭なアクセントとカンタービレが圧倒的。素晴らしい!言うことなしでございます。しかし速めの第2楽章はポルタメントまでかけて歌いまくるが音程がアバウトで、厳格なトスカニーニらしからぬ部分もあります。第3楽章も管楽器の表情と遠近感はいいが弦が雑ですね。終楽章はこの不世出のコンビしか成しえないパッションとインパクトに打ちのめされますが、トータルでの評価が難しい演奏です。彼は5番を買っていてこの曲はあまり評価しないコメントを残していますが最晩年のこの録音はどういうスタンスで録ったのか。ともあれこの曲のスタンダードとして不動の位置にある名録音としてご一聴されることをお薦めします。

(補遺・3月6日)

italia1トスカニーニは54年4月4日の公演中(タンホイザー序曲)記憶が飛んで指揮棒が止まり、その日を境に2度と舞台に現れず引退しました。この録音はその直前のものだったというストーリーがあります(レコードは引退後に発売)。上掲写真のCDは同じ音源のリマスター盤でロンドンで(おそらく)85年に買ったのは右の写真のものです。これは僕の1万枚のCD在庫の記念すべき最初の数枚の一つであり、トスカニーニにはおしまいのものが僕にとってはじまりになった。ジャケットを眺めるだけで懐かしさがあふれます。子孫に売られないように写真を載せておきます。

 

コリン・デービス / バイエルン放送交響楽団

デービスイタリアデービス 純ドイツ的なイタリア交響曲です。この重量感あるオケの音のまま立派なブラームスができます。この曲がドイツ人の音楽だということを感じるという意味で最右翼の演奏であり、オケの音楽性の素晴らしさ、指揮の安定感は抜群。コリン・デービスは今年亡くなった英国の名指揮者ですが、なぜか日本では中庸な指揮者という意味不明のイメージが定着しており、この録音も話題になったことはまったく記憶にありません。こういう奇をてらわず筋金の通った演奏こそ欧州トップランクオケのコンサートで日常的に聴かれるものであり、これは本当に音楽のわかる人に宝物になるCDと断言いたします。交響曲第5番も最高級の演奏であります。こういう本物の良さを広めない日本の評論家たちの価値基準がいったい何なのか、僕は疑うばかりです。

 

ジュゼッペ・シノ―ポリ / フィルハーモニア管弦楽団

519XT81ftoL._SL500_AA300_やや遅めの第1楽章。終結へのむけての翳りを含んだ夕映えのような情景など実に印象的です。やはり遅い第2楽章も祈りの感情をたたえ、どこかシューマンへのエコーが聞こえます。第3楽章はさらに遅く、さらに一歩ロマン派に近接し、ブラームスへ続く脈絡の解釈といえましょう(中間部のホルンの扱い方など)。こういう表現を聴くとメンデルスゾーンが単なる穏健なつなぎの存在という説が見当違いであることが分かるのです。終楽章はティンパニを強打して徐々に加熱してきますが能天気な狂乱に至ることはなく、天気はからりとは晴れない。ユニークなイタリアです。

(補遺、2月29日)

ベルナルト・ハイティンク /  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

italiaトスカニーニの稿で「これで曲を覚えた」と書いたが、正確には大学時代たぶん80年に買ったこれとサヴァリッシュ/ウィーンSOの2枚のLPがこの曲の入門だった。ロンドンへ行ってトスカニーニにはまってしまい、いきおいイタリアも彼のが刷り込まれた結果だ。ところが今になってこれをきいてみるといい。何の変哲もない正攻法。しかし音楽の純粋な美しさだけを心に届けてくれる。それは漫然と表面を整えて演奏しているわけではないことは第1楽章で細心の神経が使われているヴァイオリンのpのフレージングひとつをとっても明白だ。B面の第1番も好演で、こういう演奏はいつまででも聴いていたい。ハイティンクの演奏はどれもそういう印象があるが、ACOという名オーケストラに全面的に依拠していたわけではなくLPOでもそういう音楽になる証明がこれだ。1番の見事な弦のアンサンブルは往時のDSKのそれを思わせ、ドイツの伝統の中で練磨された秘技がロンドンのオケによって具現化されているのは驚くばかりである。ハイティンクはその真正の後継者なのであり、それあってこそ若くしてACOがシェフに抜擢したことがうかがえる。

 

ペーター・マーク / マドリッド交響楽団

71IM9FV7iQL__SX425_2006年にJALのファイナンスのロードショーでニューヨークに行った際に買ってきたCDだ。マーク(1919-2001)というとメンデルスゾーンとモーツァルトというイメージが僕の世代にはあるのでは。プラハ交響曲、ぺイエとのクラリネット協奏曲で僕は曲になじんだし、スコットランドは87年ごろロンドンで買ったベルンSOのCDに魅かれた。この97年、最晩年のマドリッド響との4番は好きだ。ラテン的な透明感で歌いながら要所で木管を浮かび上がらせティンパニを強打する彫の深い表現は実に味わいがある。マークはスイス人だが出身地のザンクト・ガレンは僕の住んだチューリヒの東でオーストリアに近い完全なドイツ語圏だ。彼のしなやかな感性が独墺系の音楽に生きたのもむべなるかなだが、この晩年のメンデルスゾーンはドイツ語のメンデルスゾーンがラテン語圏のオーケストラの音で具現化されまことに良いものだ。いま聴きかえして強いインパクトを覚えた。

<参考 交響曲第3番イ短調「スコットランド」作品56>

ペーター・マーク / 東京都交響楽団

56093年、僕がフランクフルトに住んでいる時にこういう演奏会が東京で行われていたというのは残念と思うほど、この演奏は素晴らしい。彼が十八番としたのは4番よりドイツ音楽の骨格をもった3番であり、ザンクト・ガレンがアイルランドの修道士ガルスによる街だというと考えすぎかもしれないがまったく無縁とも言い切れない気がする。ロンドン響、ベルン響、マドリッド響と3種の名演奏を全部持っておりどれもそれぞれに良いが、この都響との演奏はライブでオケとの波長が合ったのだろう、どれよりも高揚と興奮を与えてくれる。都響の気迫もびりびり伝わり、まぎれもなくスコットランド交響曲の最高の名演のひとつ。これを会場で聴いた方は幸運だ。世界に広く聴かれて欲しい。

 

ピアノ4手、芸大学生の演奏。たいへん素晴らしい。

 

 

(ご参考)

シューベルト交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」

クルト・マズアの訃報

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64

 

ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流

2013 APR 28 23:23:28 pm by 東 賢太郎

目下、僕が気になっているヴァイオリニストが3人います。ユリア・フィッシャー(Julia Fischer、ドイツ)、イザべル・ファウスト( Isabelle Faust,、ドイツ)、ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn、アメリカ)です。何故かぜんぶ女性です。ハーンはエルガーのコンチェルト(CD)で、ファウストは去年N響で聴いたプロコフィエフの1番でノックアウトされました。

今日は3人のひとり、ユリア・フィッシャーを聴いていただきたいと思います。この人はどうしてもライブを聴いてみたい。まず、メンデルスゾーンです。

彼女が「大好きな曲を弾いて幸せ!」と言わんばかりにオケにアイコンタクトしているのにお気づきでしょうか。オケ(特に木管奏者)が それを受けて、音楽する(Musizieren)喜びを音にして投げ返す。奏者の間を音と一緒に飛び交う「幸せ!」こそ、作曲家への最大の敬意でなくしてなんでしょう。楽譜から感じ取ったスピリットを皆が共有、交感しあっています。室内楽ならまだしも、大勢でやるコンチェルトでこういうのはあまりない。彼女の精神的影響力は尋常でなく、この人はあまり類のないすぐれたミュージシャンであると思います。

しかし、それだけかというとそうではない。そこに僕は感心しています。彼女はたぶんすばらしく理知的な女性で、自分の出している音をシビアに吟味している。まず自分に厳しい人だろうと思います。それはプロなんだから当然と思われるかもしれませんが、僕の聴く限り、普通の演奏家はさっと流してしまうとか、厳密に意識がそこに集中していないとか、少なくともそう感じる部分がどこかあるのです。経過的なパッセージでそういうことがおきても、聴く方もあまり気には留めません。

普通の演奏家どころかオイストラフやスターンだってライブだとそれが結構あります。人間のやることですから、常にパーフェクトということははないのですが、しかし商品化して繰り返して聴かれる録音の場合は問題です。そこでいざ録音となると今度は安全運転に意識が行ってしまい、演奏にパッションがなくなる人が、これも多いのです。ハイフェッツなみの技術があれば弾きとばしてもほつれは見えないかもしれませんが、そういう場合、弦楽器というのは特に音程が僕にはとても気になることが多いのです。先日某CDショップへ行くと自分のCDのプロモーションで男性ヴァイオリニストがパガニーニを弾いていました。曲芸のような曲であるのはまあいいとして、音程の悪いのには閉口して鳥肌が立ち、なかなか終わってくれないので諦めてその日は家に帰りました。

それは極端な経験でしたが、大まかに言いますと、世の中の弦楽器の録音は、パッションか音程のどっちかに不満があるケースが非常に多いのです。上記の名手ヒラリー・ハーンもメンデルスゾーンのライブがyou tubeで聴けます。比べてください。良い演奏ですが、僕の基準ではパッションが勝って音程が少しだけ甘い。技術的に下手なのではありません。彼女のメンタリティーというか、どこに重きを置くかということです。こういうことを一般に演奏の「解釈」と言いますが、それはハーンの解釈なのであって、優劣ではありません。それを聴き手のひとりとして、僕が自分に合う、自分のメンタリティーからして好ましいと思うかどうかということです。

結論として、僕のメンタリティーは、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトという題材においては、ハーンよりもユリア・フィッシャーに近いものがあるということなのです。僕はなにも演奏は完璧でなくてはならないと言っているわけではありません。そうではなく、そういう微細な部分に演奏家の性格、心のあり方、音楽観などが見えるわけです。「身なりは靴で見られる」とよく言いますが、ちょっとした経過的パッセージは弾きとばしておいて朗々とした歌で勝負するというようなメンタリティーの演奏家は、すべてのジャンルで僕はあまり好きでありません。

ユリア・フィッシャーを「まず自分に厳しい人だろう」と僕が想像している根拠はまず音程です。彼女は音程の甘さをヴィヴラートでごまかそうというアバウトな弾き方を拒絶しています。音程というのは、要はドレミファ・・・です。ピアノにこの問題は存在しませんが、それ以外の楽器には、ミの取り方という大問題があります。ハ長調のミはホ長調ならドです。ピアノでは同じ鍵盤でも、純正調で和音が変化していくと微妙に違う音に弾かなくてはなりません。ヴァイオリンが主役となる音楽。協奏曲なら、チャイコフスキー冒頭、メンデルスゾーン第2楽章、ブラームス第3楽章はぜんぶ出だしの音がミです。タイスの瞑想曲もそうです。ミをきれいに取ることがヴァイオリン音楽の華であり、命だということがおわかりでしょうか。

ユリアの音程への厳しさは自然に他の奏者たちに伝播して、オーケストラまで素晴らしい音程で鳴っています。耳のいい人たち、音楽が大好きな人たちの集団ですから、いいものが聴こえてくればいい音で返す。そういう音楽家の本能が掻き立てられているように感じます。こういうことは僕は室内楽の演奏、たとえばスメタナ四重奏団のモーツァルトやジュリアード四重奏団のバルトークなどで経験したことはあっても、ずっと大きな合奏体であるコンチェルトという場では、実に珍しいことだと感じるのです。

次はチャイコフスキーです。今日初めて聴き、驚きました。すばらしい技巧とデリカシー!ここでも彼女は作曲家の言いたいことに敏感に反応し、それがオケに伝播している様を感じ取ることができます。指揮のクライツベルグがそれに充分に共感し、コクのある音響でオケをユリアと同じ方向に導いています。録音も良く、これは同曲トップを争う名演CDといえるのではないでしょうか。

ユリアは現在30歳。21世紀前半、世界を代表するヴァイオリニストになることはまず間違いないでしょう。彼女の室内楽というのはすごく関心があります。カルテットをつくれば最右翼級になる資質という意味でも同世代のヴァイオリニストで群を抜いているし、その気になれば指揮者だってあり得るでしょう。

さて、ここまで書いてyou tubeを見ていると、さらにびっくりするものを見つけました。これです。

なんとユリアさん、ヴァイオリンを置いてグリーグのピアノ協奏曲を弾いちゃってます!これも立派なものです。ちょっとのミスはご愛嬌。彼女がこの曲を愛していることがハートでわかります。僕も愛してますから。そう、これはヴァイオリンじゃあ弾けないよね。ただ、クリティカルに見れば、指揮者がだめなせいが大きいですが、彼女は欲求不満がたまったかもしれません。

日本ハムの大谷くんの「二刀流」はどうなるかわかりませんが、彼女のは堂々と世界に通用してしまいそうです。おそるべき才能に脱帽!

(追記)

彼女のインタビューをきいて、最も尊敬するヴァイオリニストはダビッド・オイストラフであるということを知りました。僕にとって彼は音程が圧倒的に素晴らししい人であり、やはり最も好きなヴァイオリニストの一人であることはこれでお分かりいただけるでしょう。

クラシック徒然草-ヴァイオリン・コンチェルトの魅惑-

また、このブログでたまたま二人のCDをトップに並べておりますが偶然ではなかったかもしれません。

ハチャトリアン ヴァイオリン協奏曲ニ短調

やはりインタビューでユリアのお父さんが数学者と知りました。読みかえすと僕はこの3年前のブログに「理知的な女性で、自分の出している音をシビアに吟味している。まず自分に厳しい人だろう」と書いてますが、やはり後で知ったことですがアンセルメ、ブーレーズと僕がひとめぼれして影響を受けた演奏家が数学に関係ある人というのは何かあるのかと感じます。

 

(追記、3月14日)

バッハの音楽というのは楽曲解釈という次元において好き嫌いが生じにくいと思う。少なくとも、僕には生じない。ソロの曲はもちろんだが、管弦楽組曲のような音楽において、オーケストラ曲なのだから楽器のバランスとか強弱のコントラストとか、ベートーベンやブラームスだったら気になる物事が演奏の是非のファクターとして認識されていないことに自分で気づく。

それは楽曲の方が宇宙の調和の如くに、あまりに完璧に書かれていて、もちろんベートーベンがそうではないということではないが、誰にも真似られないバッハ的な完成度という意味において、演奏家がエモーションや個性というもので色付けを行う余地が随分と限られているからのように思う。

バッハの時代、調律は現代と違った。違ったから平均律(ほんとうはwell tempered、程よい具合に調律されたという意味)という名前の音楽ができた。バッハがヴァイオリンやチェロの単旋律で宇宙の広がりのような音楽を発想し書き留めたのは、調律(音律)そのものに宇宙の調和の原理を見届けていたからだ、とそれを聴いていつも僕は感じる。

「ユリアの音程への厳しさ」について散々書いたが、バッハの小宇宙を描ききるのにこれほど必要とされるものはない。楽曲解釈ではない、彼の楽譜にはその手がかりとなるものは何も書かれておらず、何が正解かを知る者もいない。厳密に正確な音階と、調性に応じたピッチの取り方と、我々の時代が伝統的と感じる明確なフレージングと、それ以外に音楽の生死を決する要素の何があげられるだろうか。

これは耳を研ぎ澄ませて味わうことできる演奏だ。

 

クラシック徒然草-ユリア・フィッシャーのCD試聴記-

 

 

 

(こちらもどうぞ)

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グリーグ ピアノ協奏曲イ短調 作品16

 

 

 

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