Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______メンデルスゾーン

オーディオ電源は落とすなかれ

2016 MAY 1 1:01:59 am by 東 賢太郎

26日から30日までプレゼンがたてこんで休む間がなく、寝不足でもありストレスもあり頭がナッツ状態でした。

ところで土曜日に、KW氏を拙宅にお呼びして打ち合わせした折、少し音楽でも聞きましょうとなって本当に久しぶりに地下でCDをかけたのですが、彼が好きというカーペンターズのSACDの美音が心にしみてしまいました。彼はこういう音は初めてだったようで、僕のほうはあまりに久しぶりであって、ふたりして感動したわけです。

ところが、仕事に気がとられていたのかそこで入れたオーディオの電源を、そのまま落とし忘れてしまいました。まる一日たって、さっき地下室へ下りてそれに気がつきました。せっかくだし、なにか音に変化があるか聴いてみたいと思い立ちましたが、困ったことに今日はさらに疲労困憊していて、こういう時は音楽さえのどを通らなくなります。CD棚を端から端まで眺めましたが何一つ食欲がおきません。

374ふと、床に積んであった未聴のディスクの山が目に入りました。その一番上がこれだったのです。酷いもんでもう1、2年は買ったまま封も切らずに放置していたと思われます。昔、オーディオを教えてくれた友人にハイエンドは電源を切るなと教わっていたこともあり、また、ホヴランドのストラトゥスは「切らないのが望ましいが電気代を気にする人もいるので仕方なく入力スイッチを2段階にした」という製作者のコメントを読んだ記憶もあったから、それなら録音の良いSACDでオーケストラを聴いてみようという気になりました。特に意味もなくこのPentatoneレーベルのメンデルスゾーン4番(C・デイヴィス/ボストンSO)を鳴らしてみたのです。

これが衝撃でした。まったりしたアナログ的な弦、鮮明に音楽的に鳴る管、締まってブーミーにならない見事な低音、質感のあるティンパニ、すべてのパッセージが生き生きと脈動し、楽器の定位ははっきり感じられるではないですか!原盤は76年録音ですからフィリップスのアナログ全盛期で、ボストン・シンフォニーホールの最上の席に座っているかのようで、かつてこのシステムからこういう音はしなかった。

まったく何気なくかけたのですが、こういう音の前では疲れなど跡形もなく吹っ飛びます。演奏も大変良ろしいのです。偶然から宝物のディスクが見つかり幸運でした。ほぼ居眠りしていた脳ミソが一気に覚醒し、日付は変わりましたが本稿を書く気力がみなぎったのです。

良い音、良い音楽はクスリです。

 
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クルト・マズアの訃報

2015 DEC 21 1:01:46 am by 東 賢太郎

クルト・マズアさんが亡くなった。クラシックに熱中しはじめた高校時代におなじみの懐かしい名前だ。アズマの反対だけどスペルはMasuaで、ドイツ語ではSを濁ってズと読むことを初めて知った。クラスのクラシック仲間がふざけて僕をケント・マズアと呼んだが、さっき調べたら氏の息子さんはケン・マズアさんだった。

mazua1だからというわけじゃないが、彼のベートーベン交響曲第5番、9番(右)は僕が最初に買った記念すべき第九のレコードとなった。だからこれで第九を記憶したことになる。なぜこれにしたかは覚えてない。ひょっとしてライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(以下LGO)に興味があったかもしれないが、2枚組で3600円と少し安かったのが真相という気もする。

mazur感想は記録がなく不明だが、音は気に入ったと思われる。というのは第九を買った75年12月22日の4日後に同じマズア・LGOのシューマン交響曲第4番を購入しているからだ(右)。大学に入った75年はドイツ音楽を貪欲に吸収していた。5月病を克服した6月に買ったジョージ・セルの1,3番のLPでシューマンを覚え、4番にチャレンジしようと7月に買った同じLGOのコンヴィチュニー盤があまりピンとこなかったのだ。それはフォンタナ・レーベルの詰めこみすぎた冴えない録音のせいだったのだが・・・。ということはシューマン4番もマズアにお世話になったのだろう。

マズアはドイツ人にしてはモーツァルト、シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、R・シュトラウス、マーラーのイメージがないのが不思議だ。モーツァルトはシュミットとのP協全集はまあまあ、ブルックナーは4番を持っているがいまひとつだ。東独のオケ事情、レコード会社との契約事情があったかと思われる。

mazurそこで期待したのがブラームスだ。76年録音。ロンドンで盤質の最高に良い79年プレスの蘭フィリップス盤で全集(右)を入手できたのはよかったが、演奏がさっぱりでがっくりきたことだけをよく覚えている。4曲とも目録に記しているレーティングは「無印」だ。当時はまだ耳が子どもで激情型、劇場型のブラームスにくびったけだったからこの反応は仕方ない。とくに音質については当時持っていた安物のオーディオ装置の限界だったのだろうと思う。今年の4月現在の装置で聴きかえしてこう書いているからだ。

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(9)

mazua2ところでここに「フランクフルトでフィデリオを聴いたが、まさにこの音だった」と書いたが記憶違いだった。プログラム(左)を探したところ、1988年10月3日にロイヤル・フェスティバルホールであり、しかもオケはロンドン・フィルであったので訂正したい。ケント公エドワードご来臨コンサートで英国国歌が演奏されたようだが記憶にない。当時のロンドンでドイツ人指揮者というとテンシュテット、ヨッフム、サバリッシュぐらいでカラヤンが来たのが事件だった。そこに登場したマズアはきっと神々しく見えたんだろう、響きも重くドイツ流ですっかりドイツのファイルにメモリーが飛んでしまっていたようだ。この4年後に言葉もできないのに憧れのドイツに住めたのが今となっては信じ難い。

この記憶はこっちと混線したようだ。

ブルックナー交響曲第7番ホ長調

94年8月28日、フランクフルトのアルテ・オーパー。これがマズア/LGOの生の音だったがこれよりもフィデリオの方がインパクトがあった。

マズアの録音で良いのはメンデルスゾーンとシューマンのSym全集だ。これはLGOというゆかりのオケに負うところもあるが低重心の重厚なサウンドで楽しめる。ブラームスもそうだが、細かいこと抜きにドイツの音に浸ろうという向きにはいい。ベートーベンSym全集はマズアの楽譜バージョン選択の是非と解釈の出来不出来があるが現代にこういうアプローチと音響はもう望めない。一聴の価値がある。

なにせLGOはモーツァルトやベートーベンの存命中からあるオーケストラなのであり、メンデルスゾーンは楽長だったのだ。61才までシェフとして君臨したコンヴィチュニーに比べ70年に43才で就任したマズアはメンゲルベルクと比較されたハイティンクと同じ境遇だったろうと推察する。若僧の「カブキ者」の解釈などオケが素直にのむはずもないのであって、正攻法でのぞむ。それが伝統だという唯一の許されたマーケティング。だからそこには当時のドイツ古典もの演奏の良識が詰まっているのである。

意外にいいのがチャイコフスキーSym全集で、カラヤン盤よりドイツ色濃厚のオケでやるとこうなるのかと目からうろこの名演だ。悲愴はすばらしく1-3番がちゃんと交響曲になっているのも括目だ。ドイツで買ったCDだがとびきり満足度が高い。そしてもうひとつ強力おすすめなのがブルッフSym全集で、シューマン2番の第1楽章などその例なのだが、LGOの内声部にわたって素朴で滋味あふれる音響が完璧に音楽にマッチして、特に最高である3番はこれでないと聴く気がしない。

エミール・ギレリス、ソビエト国立響のベートーベンP協全集は1番の稿に書いたとおりギレリスを聴く演奏ではあるが時々かけてしまう。お好きな方も多いだろう、不思議な磁力のある演奏だ。76年ごろのライブでこれがリアルタイムでFMで流れ、それをカセットに録って擦り切れるほど聴いていた自分がなつかしい。以上。ニューヨークに移ってからの録音が出てこないのは怠慢で聞いていないだけだ。

こうして振り返ると僕のドイツものレパートリー・ビルディングはLGO時代のマズアさんの演奏に大きく依存していたことがわかる。師のひとりといえる。初めて買った第九は、彼との出会いでもあった。75年12月22日のことだったが、それって明日じゃないか。40年も前のだけど。

心からご冥福をお祈りしたい。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

(こちらをどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

ベートーベンピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」
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僕が聴いた名演奏家たち(サー・コリン・デービス)

2015 JAN 10 0:00:11 am by 東 賢太郎

コリン・デービスの名はずいぶん早くから知っていた。それは名盤といわれていたアルトゥール・グリュミオーやイングリット・ヘブラーのモーツァルトの協奏曲の伴奏者としてだ。リパッティのグリーグ協奏曲を伴奏したアルチェオ・ガリエラやミケランジェリのラヴェルト長調のエットーレ・グラチスもそうだが、超大物とレコードを作るとどうしても小物の伴奏屋みたいなイメージができて損してしまう。

それを大幅に覆したのが僕が大学時代に出てきた春の祭典ハイドンの交響曲集だ。どちらもACO。何という素晴らしさか!演奏も格別だったが、さらにこれを聴いてコンセルトヘボウの音響に恋心が芽生えたことも大きい。いてもたってもいられず、後年になってついにそこへ行ってえいやっと指揮台に登って写真まで撮ってしまう。その情熱は今もいささかも衰えを知らない。

彼は最晩年のインタビューで「指揮者になる連中はパワフルだ」と語っている。これをきいて、子供のころ、男が憧れる3大職業は会社社長、オーケストラの指揮者、プロ野球の監督だったのを思い出した。ところが「でも、実は指揮にパワーなんていらない。音楽への何にも勝る情熱と楽団員への愛情があれば良いのだ」ともいっている。これは彼の音楽をよくあらわした言葉だと思う。

サー・コリンが一昨年の4月に亡くなった時、何か書こうと思って書けずにきてしまったのは、ロンドンに6年もいたのに驚くほど彼を聴いていないのに気がついたからだ。彼が晩年にLSOとライブ録音した一連のCDを聴いていちばん興味を持っていた指揮者だったのに・・・。youtubeにあるニューヨーク・フィルとのシベリウス3番のライブを聴いてみて欲しい。こんな演奏が生で聴けていたら!

僕がクラシック覚えたてのころ彼のお決まりの評価は「英国風の中庸を得た中堅指揮者」だ。当時、「中庸」は二流、「中堅」はどうでもいい指揮者の体の良い代名詞みたいなものだった。それはむしろほめている方で、ドイツ音楽ではまともな評価をされずほぼ無視に近かったように思う。若い頃のすり込みというのは怖い。2年の米国生活でドイツ音楽に飢えていた僕があえて英国人指揮者を聴こうというインセンティブはぜんぜんなかった、それがロンドンで彼を聴かなかった理由だ。

それを改める機会はあった。93年11月9日、フランクフルトのアルテ・オーパーでのドレスデンSKを振ったベートーベンの第1交響曲ベルリオーズの幻想だ。憧れのDSK、しかも幻想はACOとの名録音がある。しかし不幸なことに演奏は月並みで、オケの音も期待したあの昔の音でなかったことから失望感の方が勝っていた。これで彼への関心は失せてしまったのだ。もうひとつ98年5月にロンドンのバービカンでLSOとブラームスのドッペルを聴いているが、メインのプロが何だったかすら忘れてしまっているのだからお手上げだ。ご縁がなかったとしかしようがない。

davisしかし彼の録音には愛情のあるものがある。まずLSOを振ったモーツァルト。ヘレン・ドナートらとの「戴冠ミサ」K.317、テ・カナワとのエクスルターデなどが入ったphilips盤(右)である。このLPで知ったキリエK341の印象が痛烈であった。後にアラン・タイソンの研究で 1787年12月〜89年2月の作曲という説が出て我が意を得た。ミュンヘン時代の作品という説は間違いだろう。

5969523僕のデービスのベスト盤はこれだ。ACOとのハイドン交響曲第82,83番である。もし「素晴らしいオーケストラ演奏」のベスト10をあげろといわれたら彼のハイドン(ロンドンセットは全曲ある)は全部が候補だが、中でもこれだ。なんという自発性と有機性をそなえた見事なアンサンブルか。音が芳醇なワインのアロマのように名ホールに広がる様は聞き惚れるしかない。こういう天下の名盤が廃盤とはあきれるばかりだが、これをアプリシエートできない聴き手の責任でもあるのだ。

16668gこのハイドンと同様のタッチで描いたバイエルン放送SOとのメンデルスゾーン(交響曲3,4,5番と真夏の夜の夢序曲)も非常に素晴らしい。オーケストラの上質な柔軟性を活かして快適なテンポとバランスで鳴らすのが一見無個性だが、ではほかにこんな演奏があるかというとなかなかない。昔に「中庸」とされていたものは実は確固たる彼の個性であることがわかる。5番がこういう演奏で聴くとワーグナーのパルシファルにこだましているのが聞き取れる。

51BSnT5oJxL__SX425_シューベルトの交響曲全集で僕が最も気に入っているのはホルスト・シュタインだが後半がやや落ちる。全部のクオリティでいうならこれだ。DSKがあのライブは何だったんだというぐらい馥郁たる音で鳴っており1-3番に不可欠の整然とした弦のアーティキュレーションもさすが。僕は彼のベートーベン、ブラームス全集を特に楽しむ者ではないが、こういう地味なレパートリーで名演を成してくれるパッションには敬意を表したい。4番ハ短調にDSKの弦の魅力をみる。

41AQABHVRZL春の祭典、ペトルーシュカだけではない、この火の鳥もACOの音の木質な特性とホールトーンをうまくとらえたもので強く印象に残っている。この3大バレエこそ彼が中庸でも中堅でもないことを示したメルクマール的録音であり、数ある名演の中でも特別な地位で燦然と輝きを保っている。 オケの棒に対する反応の良さは驚異的で「火の鳥の踊り」から「火の鳥の嘆願」にかけてはうまさと気品を併せ持つ稀有の管弦楽演奏がきける。泥臭さには欠けるがハイセンスな名品。

51k8eFkIMIL__SX425_ブラームスのピアノ協奏曲第2番、ピアノはゲルハルト・オピッツである。1番はいまひとつだが2番はピアノのスケールが大きくオケがコクのある音で対峙しつつがっちりと骨格を支えている。オピッツはラインガウ音楽祭でベートーベンのソナタを聴いたがドイツものを骨っぽく聞かせるのが今どき貴重だ。この2番も過去の名演に比べてほぼ遜色がない。ヘブラーやグリュミオーのモーツァルトもそうだがデービスはソリストの個性をとらえるのがうまい。録音がいいのも魅力。

 

あとどうしてもふたつ。 ヘンデル メサイアより「ハレルヤ」(Handel, Hallelujah) に引用した彼のヘンデル「メサイア」は彼のヘンデルに対する敬意に満ちた骨太で威厳のあるもので愛聴している。そしてLSOとのエルガー「エニグマ変奏曲」も忘れるわけにはいかない代表盤である。

(こちらへどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

エルガー「エニグマ変奏曲」の謎

 

 

 

 

 

 

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クリストファー・ホグウッドの訃報(追記あり)

2014 OCT 4 2:02:01 am by 東 賢太郎

LP時代の末期である80年代初頭にホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団のモーツァルト交響曲全集がオワゾリールというレーベルから出てきて、世の耳目を集めたのは古い音楽ファンならご記憶と思う。当時、モーツァルトに入れ込んでいた僕は大変関心を持ったのだが、いかんせん金がなくて買えなかった。そりゃそうだ、CDに焼き直しても19枚もあるのだ。というのはモーツァルトは41曲と習っていたのがなんと71曲!もあるためであって、交響曲という概念の洗い直しによる拡大された概念での選曲がなされているからだった。

hogwoodこれを初めて入手したのはペンシルヴァニア大学在学中のことで、第31,35,38、39,40,41番と、リンツを除く有名曲が3本のカセットテープに入ったボックスであった(左)。貧困だった当時にして大投資であり、やっと手にしたことがよほど嬉しかったとみえてMay30,1983という日付と、Sam Goodyと買った店の名前まで記してある。安いCDボックスをまとめ買いできたりyoutubeで無料で聴けてしまうのが当たり前になった今、有難い世の中になったと思う反面、こういう入手の喜びというものが薄れてしまったことは新しい録音をきくことの重みまで取り去ってしまったようで少し複雑な気持ちである。

部屋でこれに耳を澄ましてみて、しかし、そう気に入ったわけではなかった。いかにオーセンティシティを謳われようと、ピッチの低さと共にこの古楽器オケの薄いヴァイオリンの音に抵抗があり、今でもその趣味はそのまま変わらない。やはり僕はベームのウィーンフィルやスイトナーのドレスデン・シュターツカペレの奏でる芳醇な弦への恋情が消えないのだ。

子供のころのモーツァルトはいいヴァイオリンの音を喩えて「バターのよう」と言っている。それはウィーンフィルみたいな音ではあってもホグウッドのオケの音じゃないのではと僕は解釈している。博物館に飾ってある楽器で弾くのは確かにオーセンティックな態度だが、出てくる音もそうとは限らない。

このモーツァルトは80年あたりから急速に広がる古楽器演奏ブームの開祖的存在であって、上述の交響曲の新分類法とともに楽器の選択と奏法の新奇さでも旧世界に殴り込みをかけた新機軸という気概がある。それはブリティッシュ・ミュージアムに結実している英国人の博物学精神の音楽版を観るようであり、知的刺激には富むものの、音楽的価値は同じく古楽器を駆使しながらヒューマニスティックな感興に富んだオランダ人フランツ・ブリュッヘンの演奏にはるか及ばないと思う(彼も亡くなったが)。

hogwood1それでも当全集に対する関心は消えず、ロンドン赴任時代にCDで欠けていたリンツを含む3枚組をこれも大枚はたいて買った。はたして音楽の印象は変わることなく、これ以後継続して購入する意志は失せた。ただ、これの良かったのは分厚い解説書の充実だ。英文をむさぼり読み、モーツァルトの管弦楽曲に関する最新の知見を得ることができたのは後々に非常に役に立つことになる。

ピッチの低さをのぞけば比較的いいと思っている第31番KV 297 、いわゆるパリ交響曲をお聴きいただきたい。

ホグウッドは後年、フルオーケストラを振ってロマン派までレパートリーに入れており、いくつか良いものがある。そのなかでもデンマークの作曲家ニルス・ゲーゼの交響曲集(デンマーク国立交響楽団)はとても味わいがある。

長年イギリスに住んでいて、とうとうホグウッドを聞く機会はなかったんじゃないだろうか、たぶん(仔細には覚えていないコンサートもたくさんあるが・・・)。結局、このモーツァルト全集のイメージが強かったんだろう。

 

(追記)

今日TVでやったN響との追悼、ストラヴィンスキー「プルチネルラ」は素晴らしかった。きびきびした音楽のアンサンブルをまとめる手腕に脱帽。

(補遺)

メンデルスゾーン ヴァイオリン・ソナタヘ短調 作品4

ヤープ・シュレーダー(Vn)/ クリストファー・ホグウッド(fp)

R-7332378-1439114343-8279_jpegシューベルトのソナタと組んだLPをロンドンで買った。英国人の古楽器への愛情は執念すら感じるが、これは夜長にそれとなく楽しめる。ホグウッドのフォルテピアノの音が典雅で好ましいからだが、指揮者の余技ではなくこれがもともと本業だから音楽性が高い。メンデルスゾーン16才の曲だが、彼の室内楽にはヘ短調が多い。書かなかったモーツァルトを意識してのことだろうか。

 

 

(こちらもどうぞ)

モーツァルト「ピアノと管楽のための五重奏曲」変ホ長調K.452

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

 

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メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64

2014 APR 13 18:18:45 pm by 東 賢太郎

たとえばメンデルスゾーンの協奏曲では、ホ短調のスケールを音の粒をそろえて弾けなければなりません。この協奏曲の第一楽章の三連符のパッセージをうまく弾けている演奏をめったに聴いたことはありません。

-ルッジェーロ・リッチ(千歳八郎著『大ヴァイオリニストがあなたに伝えたいこと』)

 

ヴァイオリン協奏曲の最高の名曲をあげよといわれたら、さんざん迷ってこれにすると思います。モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウスをさしおいてです。それほどメンデルスゾーンは天衣無縫、完全無欠の美を誇る女王のような存在であり、もう何百回耳にしたかわかりませんが死ぬまで聴き続けて飽きる気が一切しない最右翼に位置する音楽であります。つまり無人島の一枚の候補ということになります。

そういう曲ですから、チャイコフスキーやシベリウスを弾かない人はいてもこれを弾かないヴァイオリニストというのはちょっと考えられません。これが出だしの独奏の楽譜です。弦のさざ波とピッチカートにのって独奏が有名な節を歌います。

メンデルスゾーン

これは簡単に聞こえますが、実は持っている29種類の演奏のうち満足できるのはあまりありません。ハイフェッツのような天才でもピッチも感性も合わず、この節を弾く人になりきれていない印象があります。音程がだめな人、最初のタータがタ、タになる人、後半でリズムが甘くなる人、オケに先走る人。これをうまく演奏するのは至難の業ということがわかりますし、それが曲頭に準備もなく出てくるのだから。

書かれたのはベートーベンの死後16年たった1844年ですが編成はベートーベンと変わらず、いやバス・パートがチェロ、コントラバスに分離していないですからむしろモーツァルトまで後退しているといっていいでしょう。ところが、パガニーニばりのソロの名技と拮抗する終楽章の木管などリムスキー・コルサコフのお手本になったかと思わせるほど目覚ましいものであり、それでいながら、終楽章をソリストの見せ場にするあまり曲想が1,2楽章に比べて安っぽくなるという協奏曲のトラップにはまっていない。そうして、また同じ言葉を使わざるを得ないのですが、それでいながら、全曲が終わった瞬間の感動の大きさと興奮は圧倒的なもので、これでブラヴォーが飛ばなければよほど技術に問題があったということでしょう。驚くべきクオリティの音楽であります。

第1楽章の第2主題。ト長調の主和音を3オクターヴ下ってソロがヴァイオリンの最低音のg(ソ)の開放弦を長く伸ばします。この長のばし音で静寂の中に持続性と緊張感を作る方法は第2楽章の入りにも現れますが、ベートーベンの皇帝協奏曲から来たものです。この太くて良く鳴る音にフルートとクラリネットが乗った混ざり具合は前回書いたスメタナ「モルダウ」の入りの部分(そこはヴィオラですが)を思わせる「良く響く」楽器の組合せの発明といえましょう。「真夏の夜の夢」にも素晴らしい例がたくさんありますが、メンデルスゾーンは音色の化学者としても一流です。

そして古典の衣装に盛りこまれたロマン派につながる和声の流れ。下の楽譜は第2楽章と終楽章を結ぶブリッジですが、ピアノの弾ける人はヴァイオリンを歌いながらこの伴奏を弾いてご自分で味わってごらんなさい。赤枠の部分のたった2つの和音!ヴィオラのe(ミ)!滋味にあふれたこの譜面をいま読んで、心に音が鳴って、そして僕はもう涙を流している。

2メンデル

saitou以前のブログにこの曲はフランクフルト近郊のバート・ゾーデンで書かれ、我が家は1年間その隣り村に住んでいたことを書きました。左は旧友の斉藤さんが6月に行って撮ってきて下さった、その時メンデルスゾーンが滞在してこれを書いた家の写真です。僕は毎日、この前を車で通勤していました。楽譜のブリッジ部分はここの空気の匂いがします。赤枠のような音はそういう風に、触れれば壊れるほどデリケートにやってもらいたいのです。

 

ヘンリック・シェリング / アンタル・ドラティ / ロンドン交響楽団

41E4P2MV5PL冒頭ソロの素晴らしさで僕はシェリングを最高位に置きます。禁欲的で清楚でありながら感情がぎっしり詰まった嫋(たお)やかな歌いまわしはバッハ、ベートーベンを得意としたシェリングにしかできない味なのです。きりりと引きしまっていて第3楽章でソロと見事な競奏をきかせるドラティの伴奏ゆえにこの旧盤を上にします。ドラティは幸いなことに晩年にロンドンでブラームスを聴くことができましたが本当に良い指揮者で独欧系の音楽をもっと録音で残してほしかったものです。その第1楽章です。

ヘンリック・シェリング / ベルナルト・ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

1163000417こちらは76年盤です。冒頭の素晴らしさは旧盤と甲乙つけがたく、こちらのほうが大家の風格がありテンポもゆっくり目です。楽譜にない装飾音も旧盤と同じです。とにかくシェリングの音程に対する潔癖さと控えめなロマンをただよわせた歌の美しさはただただ素晴らしく、作曲家に対してと同様の心からの敬意を表するしかありません。ハイティンクもそのアプローチに協調して、終楽章はむやみなあおり方はしません。芸人のようなソリストが興奮をそそるのとは対極で、作品そのものがくれる感動をじっくり楽しむ大人の演奏です。

 

ユリア・フィッシャー/ イヴァン・フィッシャー / ヨーロッパ室内管弦楽団

冒頭ソロでシェリング盤に対抗できるのはこれだけです。トータルに見ても最高の名演の一つであり、この曲のヴァイオリン演奏としてはシェリングの金メダルに僅差の銀と思います。この演奏についてはこのブログに書いてありますのでくり返しませんが、ぜひ広く聴いていただきたいと思います。ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流

 

ミシェル・オークレール / ロベルト・ワーグナー / インスブルック交響楽団

200x200_P2_G1260048W1943年に19歳でロン・ティボー・コンクールに優勝し、早々に左手の故障で引退したフランスの元天才少女の39歳での演奏です。技術で押すタイプではなく併録のチャイコフスキーの細部はかなりいい加減な部分もあるのですが、それにもかかわらず不思議な魅力があり捨てがたい逸品です。細身の音でしとやかに楚々と開始して、歌いまわしと音色にクールな気品と色香がある。オケの伴奏はまったくマイナーな楽団と指揮者とですがこれがドイツの田舎色があってけっして悪くなく、終楽章コーダのライブさながらの興奮は実に素晴らしいものです。

ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ / ジェラード・シュウォーツ / ニューヨーク室内交響楽団

41GQCRVBVYL__SL500_AA300_ローマ生まれの女流です。冒頭は大きなヴィヴラートでごまかされた感じですが、第2主題の入りをこんなにテンポを落とす人もなく、この曲のロマン派寄りのアプローチとして聞かせます。第2楽章の感情移入は男では恥ずかしくてここまでできないのではという没入ぶりであり、終楽章では一転して男顔負けの立ち回りとなります。じゃじゃ馬っぽい演奏ですがこれをライブで聴いたら彼女に一本負けしたに違いなく、上記ブリッジ部分などもよく感じていてこの曲の抒情的な部分の良さがよくわかるでしょう。

トランペットも吹く彼女がTVショーで第3楽章をピアノ伴奏で弾いています。ちょっと荒っぽいがこのエネルギーには圧倒されます。これが協奏曲でなくヴァイオリンソナタであってもトップを争う名曲だったなあと発見があります。

 

ウォルフガング・シュナイダーハン / フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン放送交響楽団

49880057771191915年ウィーン生まれで5歳で公開演奏をした神童だったシュナイダーハンは後にウィーン・フィルのコンサートマスターになります。だからというわけではないが音程に細かい気配り、フレージングには慎ましさがあり、冒頭の折り目正しい歌は正統派中の正統派でありましょう。ソネンバーグがロマン派寄りの現代歌舞伎ならこちらは古典です。ただ、地味なだけかというと決してそうではなく、第2楽章の芳醇な歌の高揚などウィーン・フィルの弦を聞くようでもあり、フリッチャイのオケがそのテーストに見事に同期している。まさしく素晴らしいヴァイオリン協奏曲演奏であります。

 

 

ブラームス 交響曲第3番ヘ長調 作品90

 

メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

 

 

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メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

2013 NOV 10 18:18:15 pm by 東 賢太郎

音楽による地中海めぐり、次はいよいよイタリア編に入りましょう。

ついこの前のことです。南イタリアはアマルフィの風景を描いた油絵を気にいって、何の気なく買いました。そうしたらさっきこの水彩画をネットで発見してびっくりしました。

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なんと同じ海ではないですか。これを描いた画家は22歳のフェリックス・メンデルスゾーンです。交響曲第4番「イタリア」は彼が22~24歳にかけて書いた傑作です。まさにこの水彩画を描くことになったイタリア旅行の直後であり、この曲の冒頭はこの景色から生まれたかもしれないと僕はいま想像をかきたてられているのです。

o0420042010150431900メンデルスゾーンに与えられた人生はたったの38年でした。モーツァルト36年、ビゼー37年と、僕が人類史上、早熟の3大奇跡とあおぐ3人はほぼ同じ年で亡くなっています。右は 13歳のフェリックス・メンデルスゾーンの肖像画で、このまま少女マンガの主人公ですね。このころ紹介された文豪ゲーテは彼の才能に驚嘆し、2週間毎日彼のピアノを聴き続けたそうです。17歳で書いた弦楽八重奏曲変ホ長調」と「序曲《真夏の夜の夢》」は現代のコンサートレパートリーの常連です。後者に続く「結婚行進曲」を聞いたことがないという人はまずいないでしょう。

fannyhensel

フェリックスにはファニー(右)というお姉ちゃんがいて(これもモーツァルトのナンネルと似る)、彼女も13歳で父の誕生日プレゼントにJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集・第一集」の24の前奏曲とフーガをすべて暗譜で演奏したとありますから、もう頭がくらくらするぐらいものすごい頭脳です。オペラ「ファウスト」で高名なフランスの作曲家シャルル・グノーがファニーの弾くバッハに感嘆し、彼女の足元にまろび伏してアダージョを弾いて欲しいと願ったというおそるべき逸話まで残しています。彼女の長男の名前はバッハ、ベートーベン、弟にちなんでゼバスティアン・ルートヴィヒ・フェリックスでした。

フェリックスは15歳のクリスマスプレゼントに母方の祖母からJ.S.バッハの「マタイ受難曲」の筆写スコアをもらいます。すごいおばあちゃんがいたものです。それもそのはず、2人がどういうお家の子かというと、父アブラハムは大金持ちの銀行オーナー、祖父モーゼスは高名な哲学者でした。父は「私はかつては父の息子として知られていたが、今では息子の父親として知られている」と有名な言葉を残しています。

Felix_Mendelssohn-620x360フェリックス(右)はおばあちゃんにもらったバッハのマタイを20歳で蘇演し、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督に26歳で就任、発見されたシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」を30歳で初演しました。また、指揮棒を使ってオーケストラの指揮を始めた創始者は彼です。

僕が音楽史、音楽界で最大級の悲劇と感じるひとつが、このメンデルスゾーンの業績のいわれのない低評価です。嘘だと思われたら書店や図書館へ行って彼やファニーの伝記や論文や研究書の類を探されたらいい。如何に少ないか分かるはずです。これは国際的な「いじめ」と言って何ら過言ではありません。ベートーベンとワーグナーをつなぐだけの、音楽史に貢献のない「中継ぎ」と見るなどがその例です。彼らはその驚異的な能力や業績に比して不当なほどに歴史から抹殺されていると言ってもいいのです

その背景には音楽創造の人類史というものが何らかの内在的な原理によって自律的に進化(evolve)するというとてもドイツ的、哲学的な史観が色濃く感じられます。その進化プロセスがアーリア人の頭脳によって駆動されるとまで音楽史は言わないが、その論理の存在そのものが音楽史の本家本元であるイタリア人への対抗軸の創設であり、従ってイタリア人が進化貢献の担い手リストから巧妙に排除される中、そこにユダヤ人メンデルスゾーンが入り込む余地は元来限られていたと思われます。このドイツ史観に洗脳された我が国の音楽教育が、バッハ-ヘンデル-ハイドン-モーツァルト-ベートーベンであるとして「evolutionの系譜」を暗記させるのを覚えておられますでしょうか。

ヒトラーがそこまで考えていたかどうかはともかく、彼はアンチ・セミティズム、アンチ・メンデルスゾーンのリヒャルト・ワーグナーをご贔屓にし、ナチスが政権を取ると不幸なことにそのアンチは全ドイツに拡散しました。国民的な抹殺の始まりです。その結果として、例えば1936年、英国人トマス・ビーチャムがロンドン・フィルの楽団員と共にライプツィヒのメンデルスゾーンの記念碑に花環を捧げようと訪れた時、彼らはそれが粉々に打ち砕かれ、銅像は無くなっているのを見たそうです。ユダヤ人演奏家が欧州から米国に大挙して亡命したのがよくわかります。

しかしメンデルスゾーンのケースはナチスのせいばかりではないでしょう。なぜならマーラーもユダヤ人ですがそんな目にはあっていません。 これは僕の推察ですが、富裕層の生まれで楽な人生を歩んだというイメージが「いじめ」のもう一つの源泉のような気がするのです。大作曲家伝説は王侯貴族や国家体制の権力、権威に才能だけで立ち向かう一介の騎士というスタイルでなければならないのです。銀のスプーンをくわえて生まれた少年が天才でもあったなど許さなかったのではないでしょうか。無視してあえなく死なせてしまった騎士が天才であったことにあとで気づいた支配階級が懺悔(ざんげ)として美化した要素がモーツァルト伝説にはたくさん含まれていると僕は考えますが、彼が貴族の子であってもそれが起きたかといわれれば、懐疑的です。

フランス革命、ナポレオンの登場から間もないヨーロッパにそういう下剋上美化のような精神風土があったのは容易に想像できます。しかしそれはユニバーサルなものではなく多分にキリスト教徒のものであり、一神教が異教徒を排除する原理と自然に融和するものだったのではないでしょうか。その原理は原爆投下で大勢の非戦闘員まで亡きものにする行為を平然と正当化できる、我々仏教徒の理解をはるかに超えるものなのです。キリスト教徒の平民に富裕層はいなかったろうから、銀のスプーンへの攻撃の矛先が貴族階級だけでなくフェリックスの父親が不幸にもその象徴でもある富裕なユダヤ人に向かいました。

フェリックスは運の悪い時期に生まれた といえばそれまででしょう。問題はそれが現在に至るまで歴史の評価として定着してしまっていることなのです。音楽に限りませんが、アートというものは人間の理性の産物です。食うこととセックスすることしか考えない動物と人間とを明確に区別できるのは理性の存在で、それこそが人間の尊厳の源です。フェリックスやファニーという人間に実際に接した、ゲーテやグノーら銅像が建つほどの芸術家が彼らをどう評価したかという史実をどうして重視しないのでしょう。ドイツの音楽学者やナチ党員の銅像は一体どこに建っているのでしょう。

音楽という芸術を差別という人間の最も後ろ暗く品性の卑しい行為で汚すことに僕は全面的な拒絶、Vetoを叩きつけたいのです。フェリックスの産み出した奇跡のような音楽にあえて耳を塞ぎ人為的な政治や宗教の相克の生贄に供そうというのは、人間が人間である所以である理性と尊厳の否定に他なりません。そういう行為を平然と行う者たちは自らがそれを欠く輩である、つまり人間未満の存在でしかないということを証明していると僕は思うのです。本稿を読まれる方々には、ぜひ虚心坦懐に彼の音楽に耳をかたむけ、人類の遺産と称される物の価値がいかに人間の浅知恵で操作されているものかを自らの理性によってご判断いただきたいと願ってやみません。

 

イタリア交響曲は彼自身の命名ではありませんが 、彼がアマルフィにも立ち寄ったイタリア旅行の印象に基づいて書かれたものであることは明らかです。誰もが一度でも聴いたら忘れない第1楽章の出だし!軽やかな木管のリズムに乗ってヴァイオリンが歌う、はじけるような歓喜に満ち満ちたあのメロディー(楽譜)。あなたは一瞬にして陽光降りそそぐアマルフィの海岸で青い空と紺碧の地中海を見るのです。もう一度冒頭の彼の水彩画をご覧ください。

italy

この「入り」のシンプルにして強烈なインパクトはモーツァルトの交響曲第40番ト短調を想起させる、僕の知る唯一の音楽です。この曲に革新的な部分があるとすると、イ長調で始まりますが終楽章はイ短調で終わることです。短調開始であっても長調終止が普通だった当時、短調→短調でもきわめて異例なことでした。それをわざわざ長調で始めて(しかも非常に明るく)というのは異例中の異例でありました。

彼はこの曲を自分ではあまり評価しておらず、改訂を重ねながら亡くなりました。だから最後の交響曲「スコットランド」が3番であり、出版順でこれが4番となったのです。第4楽章プレストはローマ付近の民衆に流行した舞曲サルタレロのこのような「タッタタタタ、タッタタタタ」というリズムを背景に書かれていますが、指揮者トスカニーニは「イタリア人としては異議がある」と語ったそうです。

mov4 italy

このリズムですが、これはリムスキー・コルサコフの交響組曲「シェラザード」のやはり急速で進む第4楽章の伴奏にそっくりな形で現れます。 

sheherazade mov4

1分18秒からのリズムです。譜面は1分23秒からです。このシェラザード、第1楽章開始部での木管の和音も「真夏の夜の夢」そのものです。誰が彼の音楽をどう評価しようと、後世の作曲家がどれだけメンデルスゾーンを知り、研究し、影響を受けたかがこの一例からも分かります。

それは彼のインスピレーション、霊感というものがひときわ群を抜いていたからで、あの真夏の夜の夢の「スケルツォ」のもつ妖精の舞いを見るようなポエジーは、あとにも先にも彼以外の人間の手からは生れ出たことのない独創的なものです。また先の結婚行進曲。C、Am6、B7、Em、F、Gという奥ゆかしい和声進行にのって進む音楽が新郎新婦の晴れやかで心の浮き立つような、それでいて適度に厳粛な、まさに結婚式というシチュエーションにどれほどふさわしいか、言葉にするのも野暮ですね。

それではイタリア交響曲の僕の好きな演奏を4つだけご紹介しましょう。

 

ロリン・マゼール/ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

736(1)見事なテンポでさっそうと鳴るオケ。はじけるリズム。青い海と空を風がよぎるイタリアの風光を封じ込めたような第1楽章の理想的な姿です。終楽章の熱さ、緩徐楽章の絶妙の木管のニュアンス。弱冠30歳だったマゼールに共感したベルリンフィルが自発性と一糸乱れぬアンサンブルをもって応じているのに驚きます。弦の腰の重さはドイツ流ですが、色彩的な管楽器をスマートに配していて野暮ったくならないセンスは天性のものでしょう。録音も良好であり、中年以降のマゼールに偏見がある人(僕もその一人)も虚心に聴いていただきたい名演です。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団 (54年2月26-28日)

41PY9RX27DL._SL500_AA300_これでこの曲を覚えた人が多いのでは(僕もそうです)。第1楽章の陽光降りそそぐ乾いた空気。からりと晴れた突き抜けるような青空。これぞイタリアです。オケの強靭なリズム 、明瞭なアクセントとカンタービレが圧倒的。素晴らしい!言うことなしでございます。しかし速めの第2楽章はポルタメントまでかけて歌いまくるが音程がアバウトで、厳格なトスカニーニらしからぬ部分もあります。第3楽章も管楽器の表情と遠近感はいいが弦が雑ですね。終楽章はこの不世出のコンビしか成しえないパッションとインパクトに打ちのめされますが、トータルでの評価が難しい演奏です。彼は5番を買っていてこの曲はあまり評価しないコメントを残していますが最晩年のこの録音はどういうスタンスで録ったのか。ともあれこの曲のスタンダードとして不動の位置にある名録音としてご一聴されることをお薦めします。

(補遺・3月6日)

italia1トスカニーニは54年4月4日の公演中(タンホイザー序曲)記憶が飛んで指揮棒が止まり、その日を境に2度と舞台に現れず引退しました。この録音はその直前のものだったというストーリーがあります(レコードは引退後に発売)。上掲写真のCDは同じ音源のリマスター盤でロンドンで(おそらく)85年に買ったのは右の写真のものです。これは僕の1万枚のCD在庫の記念すべき最初の数枚の一つであり、トスカニーニにはおしまいのものが僕にとってはじまりになった。ジャケットを眺めるだけで懐かしさがあふれます。子孫に売られないように写真を載せておきます。

 

コリン・デービス / バイエルン放送交響楽団

デービスイタリアデービス 純ドイツ的なイタリア交響曲です。この重量感あるオケの音のまま立派なブラームスができます。この曲がドイツ人の音楽だということを感じるという意味で最右翼の演奏であり、オケの音楽性の素晴らしさ、指揮の安定感は抜群。コリン・デービスは今年亡くなった英国の名指揮者ですが、なぜか日本では中庸な指揮者という意味不明のイメージが定着しており、この録音も話題になったことはまったく記憶にありません。こういう奇をてらわず筋金の通った演奏こそ欧州トップランクオケのコンサートで日常的に聴かれるものであり、これは本当に音楽のわかる人に宝物になるCDと断言いたします。交響曲第5番も最高級の演奏であります。こういう本物の良さを広めない日本の評論家たちの価値基準がいったい何なのか、僕は疑うばかりです。

 

ジュゼッペ・シノ―ポリ / フィルハーモニア管弦楽団

519XT81ftoL._SL500_AA300_やや遅めの第1楽章。終結へのむけての翳りを含んだ夕映えのような情景など実に印象的です。やはり遅い第2楽章も祈りの感情をたたえ、どこかシューマンへのエコーが聞こえます。第3楽章はさらに遅く、さらに一歩ロマン派に近接し、ブラームスへ続く脈絡の解釈といえましょう(中間部のホルンの扱い方など)。こういう表現を聴くとメンデルスゾーンが単なる穏健なつなぎの存在という説が見当違いであることが分かるのです。終楽章はティンパニを強打して徐々に加熱してきますが能天気な狂乱に至ることはなく、天気はからりとは晴れない。ユニークなイタリアです。

(補遺、2月29日)

ベルナルト・ハイティンク /  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

italiaトスカニーニの稿で「これで曲を覚えた」と書いたが、正確には大学時代たぶん80年に買ったこれとサヴァリッシュ/ウィーンSOの2枚のLPがこの曲の入門だった。ロンドンへ行ってトスカニーニにはまってしまい、いきおいイタリアも彼のが刷り込まれた結果だ。ところが今になってこれをきいてみるといい。何の変哲もない正攻法。しかし音楽の純粋な美しさだけを心に届けてくれる。それは漫然と表面を整えて演奏しているわけではないことは第1楽章で細心の神経が使われているヴァイオリンのpのフレージングひとつをとっても明白だ。B面の第1番も好演で、こういう演奏はいつまででも聴いていたい。ハイティンクの演奏はどれもそういう印象があるが、ACOという名オーケストラに全面的に依拠していたわけではなくLPOでもそういう音楽になる証明がこれだ。1番の見事な弦のアンサンブルは往時のDSKのそれを思わせ、ドイツの伝統の中で練磨された秘技がロンドンのオケによって具現化されているのは驚くばかりである。ハイティンクはその真正の後継者なのであり、それあってこそ若くしてACOがシェフに抜擢したことがうかがえる。

 

ペーター・マーク / マドリッド交響楽団

71IM9FV7iQL__SX425_2006年にJALのファイナンスのロードショーでニューヨークに行った際に買ってきたCDだ。マーク(1919-2001)というとメンデルスゾーンとモーツァルトというイメージが僕の世代にはあるのでは。プラハ交響曲、ぺイエとのクラリネット協奏曲で僕は曲になじんだし、スコットランドは87年ごろロンドンで買ったベルンSOのCDに魅かれた。この97年、最晩年のマドリッド響との4番は好きだ。ラテン的な透明感で歌いながら要所で木管を浮かび上がらせティンパニを強打する彫の深い表現は実に味わいがある。マークはスイス人だが出身地のザンクト・ガレンは僕の住んだチューリヒの東でオーストリアに近い完全なドイツ語圏だ。彼のしなやかな感性が独墺系の音楽に生きたのもむべなるかなだが、この晩年のメンデルスゾーンはドイツ語のメンデルスゾーンがラテン語圏のオーケストラの音で具現化されまことに良いものだ。いま聴きかえして強いインパクトを覚えた。

<参考 交響曲第3番イ短調「スコットランド」作品56>

ペーター・マーク / 東京都交響楽団

56093年、僕がフランクフルトに住んでいる時にこういう演奏会が東京で行われていたというのは残念と思うほど、この演奏は素晴らしい。彼が十八番としたのは4番よりドイツ音楽の骨格をもった3番であり、ザンクト・ガレンがアイルランドの修道士ガルスによる街だというと考えすぎかもしれないがまったく無縁とも言い切れない気がする。ロンドン響、ベルン響、マドリッド響と3種の名演奏を全部持っておりどれもそれぞれに良いが、この都響との演奏はライブでオケとの波長が合ったのだろう、どれよりも高揚と興奮を与えてくれる。都響の気迫もびりびり伝わり、まぎれもなくスコットランド交響曲の最高の名演のひとつ。これを会場で聴いた方は幸運だ。世界に広く聴かれて欲しい。

 

ピアノ4手、芸大学生の演奏。たいへん素晴らしい。

 

 

(ご参考)

シューベルト交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」

クルト・マズアの訃報

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64

 

ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流

2013 APR 28 23:23:28 pm by 東 賢太郎

目下、僕が気になっているヴァイオリニストが3人います。ユリア・フィッシャー(Julia Fischer、ドイツ)、イザべル・ファウスト( Isabelle Faust,、ドイツ)、ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn、アメリカ)です。何故かぜんぶ女性です。ハーンはエルガーのコンチェルト(CD)で、ファウストは去年N響で聴いたプロコフィエフの1番でノックアウトされました。

今日は3人のひとり、ユリア・フィッシャーを聴いていただきたいと思います。この人はどうしてもライブを聴いてみたい。まず、メンデルスゾーンです。

彼女が「大好きな曲を弾いて幸せ!」と言わんばかりにオケにアイコンタクトしているのにお気づきでしょうか。オケ(特に木管奏者)が それを受けて、音楽する(Musizieren)喜びを音にして投げ返す。奏者の間を音と一緒に飛び交う「幸せ!」こそ、作曲家への最大の敬意でなくしてなんでしょう。楽譜から感じ取ったスピリットを皆が共有、交感しあっています。室内楽ならまだしも、大勢でやるコンチェルトでこういうのはあまりない。彼女の精神的影響力は尋常でなく、この人はあまり類のないすぐれたミュージシャンであると思います。

しかし、それだけかというとそうではない。そこに僕は感心しています。彼女はたぶんすばらしく理知的な女性で、自分の出している音をシビアに吟味している。まず自分に厳しい人だろうと思います。それはプロなんだから当然と思われるかもしれませんが、僕の聴く限り、普通の演奏家はさっと流してしまうとか、厳密に意識がそこに集中していないとか、少なくともそう感じる部分がどこかあるのです。経過的なパッセージでそういうことがおきても、聴く方もあまり気には留めません。

普通の演奏家どころかオイストラフやスターンだってライブだとそれが結構あります。人間のやることですから、常にパーフェクトということははないのですが、しかし商品化して繰り返して聴かれる録音の場合は問題です。そこでいざ録音となると今度は安全運転に意識が行ってしまい、演奏にパッションがなくなる人が、これも多いのです。ハイフェッツなみの技術があれば弾きとばしてもほつれは見えないかもしれませんが、そういう場合、弦楽器というのは特に音程が僕にはとても気になることが多いのです。先日某CDショップへ行くと自分のCDのプロモーションで男性ヴァイオリニストがパガニーニを弾いていました。曲芸のような曲であるのはまあいいとして、音程の悪いのには閉口して鳥肌が立ち、なかなか終わってくれないので諦めてその日は家に帰りました。

それは極端な経験でしたが、大まかに言いますと、世の中の弦楽器の録音は、パッションか音程のどっちかに不満があるケースが非常に多いのです。上記の名手ヒラリー・ハーンもメンデルスゾーンのライブがyou tubeで聴けます。比べてください。良い演奏ですが、僕の基準ではパッションが勝って音程が少しだけ甘い。技術的に下手なのではありません。彼女のメンタリティーというか、どこに重きを置くかということです。こういうことを一般に演奏の「解釈」と言いますが、それはハーンの解釈なのであって、優劣ではありません。それを聴き手のひとりとして、僕が自分に合う、自分のメンタリティーからして好ましいと思うかどうかということです。

結論として、僕のメンタリティーは、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトという題材においては、ハーンよりもユリア・フィッシャーに近いものがあるということなのです。僕はなにも演奏は完璧でなくてはならないと言っているわけではありません。そうではなく、そういう微細な部分に演奏家の性格、心のあり方、音楽観などが見えるわけです。「身なりは靴で見られる」とよく言いますが、ちょっとした経過的パッセージは弾きとばしておいて朗々とした歌で勝負するというようなメンタリティーの演奏家は、すべてのジャンルで僕はあまり好きでありません。

ユリア・フィッシャーを「まず自分に厳しい人だろう」と僕が想像している根拠はまず音程です。彼女は音程の甘さをヴィヴラートでごまかそうというアバウトな弾き方を拒絶しています。音程というのは、要はドレミファ・・・です。ピアノにこの問題は存在しませんが、それ以外の楽器には、ミの取り方という大問題があります。ハ長調のミはホ長調ならドです。ピアノでは同じ鍵盤でも、純正調で和音が変化していくと微妙に違う音に弾かなくてはなりません。ヴァイオリンが主役となる音楽。協奏曲なら、チャイコフスキー冒頭、メンデルスゾーン第2楽章、ブラームス第3楽章はぜんぶ出だしの音がミです。タイスの瞑想曲もそうです。ミをきれいに取ることがヴァイオリン音楽の華であり、命だということがおわかりでしょうか。

ユリアの音程への厳しさは自然に他の奏者たちに伝播して、オーケストラまで素晴らしい音程で鳴っています。耳のいい人たち、音楽が大好きな人たちの集団ですから、いいものが聴こえてくればいい音で返す。そういう音楽家の本能が掻き立てられているように感じます。こういうことは僕は室内楽の演奏、たとえばスメタナ四重奏団のモーツァルトやジュリアード四重奏団のバルトークなどで経験したことはあっても、ずっと大きな合奏体であるコンチェルトという場では、実に珍しいことだと感じるのです。

次はチャイコフスキーです。今日初めて聴き、驚きました。すばらしい技巧とデリカシー!ここでも彼女は作曲家の言いたいことに敏感に反応し、それがオケに伝播している様を感じ取ることができます。指揮のクライツベルグがそれに充分に共感し、コクのある音響でオケをユリアと同じ方向に導いています。録音も良く、これは同曲トップを争う名演CDといえるのではないでしょうか。

ユリアは現在30歳。21世紀前半、世界を代表するヴァイオリニストになることはまず間違いないでしょう。彼女の室内楽というのはすごく関心があります。カルテットをつくれば最右翼級になる資質という意味でも同世代のヴァイオリニストで群を抜いているし、その気になれば指揮者だってあり得るでしょう。

さて、ここまで書いてyou tubeを見ていると、さらにびっくりするものを見つけました。これです。

なんとユリアさん、ヴァイオリンを置いてグリーグのピアノ協奏曲を弾いちゃってます!これも立派なものです。ちょっとのミスはご愛嬌。彼女がこの曲を愛していることがハートでわかります。僕も愛してますから。そう、これはヴァイオリンじゃあ弾けないよね。ただ、クリティカルに見れば、指揮者がだめなせいが大きいですが、彼女は欲求不満がたまったかもしれません。

日本ハムの大谷くんの「二刀流」はどうなるかわかりませんが、彼女のは堂々と世界に通用してしまいそうです。おそるべき才能に脱帽!

(追記)

彼女のインタビューをきいて、最も尊敬するヴァイオリニストはダビッド・オイストラフであるということを知りました。僕にとって彼は音程が圧倒的に素晴らししい人であり、やはり最も好きなヴァイオリニストの一人であることはこれでお分かりいただけるでしょう。

クラシック徒然草-ヴァイオリン・コンチェルトの魅惑-

また、このブログでたまたま二人のCDをトップに並べておりますが偶然ではなかったかもしれません。

ハチャトリアン ヴァイオリン協奏曲ニ短調

やはりインタビューでユリアのお父さんが数学者と知りました。読みかえすと僕はこの3年前のブログに「理知的な女性で、自分の出している音をシビアに吟味している。まず自分に厳しい人だろう」と書いてますが、やはり後で知ったことですがアンセルメ、ブーレーズと僕がひとめぼれして影響を受けた演奏家が数学に関係ある人というのは何かあるのかと感じます。

 

(追記、3月14日)

バッハの音楽というのは楽曲解釈という次元において好き嫌いが生じにくいと思う。少なくとも、僕には生じない。ソロの曲はもちろんだが、管弦楽組曲のような音楽において、オーケストラ曲なのだから楽器のバランスとか強弱のコントラストとか、ベートーベンやブラームスだったら気になる物事が演奏の是非のファクターとして認識されていないことに自分で気づく。

それは楽曲の方が宇宙の調和の如くに、あまりに完璧に書かれていて、もちろんベートーベンがそうではないということではないが、誰にも真似られないバッハ的な完成度という意味において、演奏家がエモーションや個性というもので色付けを行う余地が随分と限られているからのように思う。

バッハの時代、調律は現代と違った。違ったから平均律(ほんとうはwell tempered、程よい具合に調律されたという意味)という名前の音楽ができた。バッハがヴァイオリンやチェロの単旋律で宇宙の広がりのような音楽を発想し書き留めたのは、調律(音律)そのものに宇宙の調和の原理を見届けていたからだ、とそれを聴いていつも僕は感じる。

「ユリアの音程への厳しさ」について散々書いたが、バッハの小宇宙を描ききるのにこれほど必要とされるものはない。楽曲解釈ではない、彼の楽譜にはその手がかりとなるものは何も書かれておらず、何が正解かを知る者もいない。厳密に正確な音階と、調性に応じたピッチの取り方と、我々の時代が伝統的と感じる明確なフレージングと、それ以外に音楽の生死を決する要素の何があげられるだろうか。

これは耳を研ぎ澄ませて味わうことできる演奏だ。

 

クラシック徒然草-ユリア・フィッシャーのCD試聴記-

 

 

 

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グリーグ ピアノ協奏曲イ短調 作品16

 

 

 

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クラシック徒然草-ユージン・オーマンディーの右手-

2012 OCT 20 0:00:33 am by 東 賢太郎

「チャイコフスキーの交響曲第5番、バルトークの管弦楽のための協奏曲、ガーシュインのパリのアメリカ人とラプソディー・イン・ブルー、コダーイのハーリヤーノシュ、シベリウスの交響曲第2番、サンサーンスの交響曲第3番、メンデルスゾーン・チャイコフスキーのバイオリン協奏曲」

以上の名曲を僕はオーマンディー/フィラデルフィア管弦楽団のレコードによって初めて聴き、耳に刻み込みました。高校時代のことです。10年のちにそのフィラデルフィアに留学し、2年間この名門オケを定期会員として聴くということになり、不思議なご縁を感じざるをえません。そのオケに42年君臨したのが、ユージン・オーマンディーさんです。

はじめは名前も知らず、誰のユージンだ?ぐらいに思っていました。あとになって、友人だったかどうかはともかく、シベリウス、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチ、バルトークなど大作曲家との交流があったことを知りました。また、「ファンタジア」や「オーケストラの少女」で有名な大指揮者ストコフスキーの後任であり、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ゼルキン、アラウ、ロストロポーヴィチ、スターン、オイストラフなど音楽史を飾るソリストと競演した、20世紀を代表する大指揮者のひとりです (写真はSony Classical Originalsより、左・オーマンディー、右・ショスタコーヴィチ)。

僕がフィラデルフィア管弦楽団の定期会員だった1982-84年はリッカルド・ムーティーに常任指揮者のポストを譲ったあとで、すでにご高齢だったオーマンディーさんは定期に数度しか現れませんでした。もう一回指揮予定があったのですが、たしかベートーベンの田園とシベリウスの5番だったか、ドタキャンになりました。残念でなりませんでした。しかし、その理由は、その1回だけ実現した演奏会の終演後に知ることとなりました。

その演奏会、プログラムは前半がチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、後半が交響曲第5番。あいだにインターミッション(休憩)が入ります。前半も後半もオケが鳴りきった立派な演奏で、このコンビがチャイコフスキーを長年オハコにしてきた様子がよくわかりました。ただ、休憩が終わっても後半がなかなか始まらず、30分以上遅れてしまったことがどこか気になっていました。

証券マンの図々しさで、僕はいろいろな演奏会で終演後の楽屋に侵入しています。この時ももちろんです。係員の女性に止められましたが、

「どうしてもマエストロに会いたいのです。日本で彼のレコードで5番を覚えたので。」

などと随分身勝手なことをいうと、そこはアメリカ人の懐の深さで 「そうですか、それはいい機会ですね。ではどうぞ (OK,come in ! )  」 となりました。このとき、歩きながら彼女が開演が遅れた理由をこっそり教えてくれました。

「でも先生も困ったもんですわ。今日はコンチェルトが終わると、それで終わりと勘違いして家に帰っちゃうんですもの」

なるほどそうだったんですか。でも先生、後半の5番の指揮は完ぺきでしたね。すべてのフレージングやポルタメントが、そうこれこれ、とうなずくほど僕の耳にこびりついている、まさにあなたのものでした。チェロの前の最前列から見させていただいたかくしゃくとした指揮姿、忘れることはありません。

おそらくこれが最後からン回目ぐらいの指揮だったでしょう。先生が亡くなったのはその2年後の1985年でした。

楽屋で先生は奥さんとご一緒で、突然の闖入者も意に介さず上機嫌。オー、よく来たなという感じでした。「僕は日本が大好きなんだよ。みんな優しいし、ごはんもおいしいしね。」 とお茶目で元気いっぱい。僕と握手した時間の5倍は僕の家内の手をしっかり握っていました。そのかたわらから僕は「先生のレコードで・・・・」、 これはあまり聞こえておられなかったようです。サインをもらって満足してしまいました。ああ、もっと話を聞いておけばよかった・・・・。

先生の右手はコロッとしていて肉厚で、西洋人としては小さめでした。今でも感触をはっきりと覚えています。

この写真を見ると、すごい、俺はシベリウスやラフマニノフと握手したんだ!

 

 

 

 

いや、AKB握手会になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

(こちらをどうぞ)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

クラシック徒然草-フィラデルフィア管弦楽団の思い出-

 

 

 

 

クラシック徒然草-僕の音楽史-

2012 SEP 14 14:14:33 pm by 東 賢太郎

僕の一番古い記憶は、親父のSPレコードを庭石に落として割ってしまったことです。2歳だったようです。中から新聞紙 ? が出てきたのを覚えています。ぐるぐる回るレコードが大好きでした。溝の中に小さな人がはいっていて音を出していると思っていました。

これが昂じたのか、僕はクラシック音楽にハマった人生を歩むこととなりました。作曲や演奏の才がないことは後で悟りましたから聴くだけです。就職した証券会社では、大阪の社員寮に送ったはずの1000枚以上のLPレコードが誤って支店に配送されてしまい、入社早々大騒ぎになったこともありました。

転勤族だったので国内外で24回も引っ越しをしました。そのたびにLP、テープと5000枚以上あるCD、オーディオ、ピアノ、チェロ、楽譜がいつも我が家の荷物の半分以上でした。この分量はクラシックが僕の57年の人生に占めてきた重みの分量も示しているようです。

僕がお世話になった証券業界では僕は変り種でしょう。この業界は オペラのスポンサーはしても社員オーケストラをもつような風土とはもっとも遠い世界の一つです。それでも僕が楽しくやってこれたのはひとえに海外族だったからです。アメリカ、イギリス、ドイツ、スイスに駐在した13年半に、僕はもう2度と考えられないほどの濃くて深い音楽体験をさせてもらいました。

そういうとやれ「カラヤンを聴いた」「バイロイトへ行った」という手の話に思われそうですが、そうではありません。僕はそういうことにあまり関心がなく、書かれた音符のほうに関心がある人間です。たとえば、同じ夜空の月を見て「美しい」とめでるタイプの人と「あれは物体だ」と見るタイプの人がいます。僕は完全に後者のほうです。文学でなく数学のほうが好き。文系なのに古文漢文チンプンカンプンというタイプでした。

高校時代はストラビンスキーの春の祭典、バルトークの弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽(通称、弦チェレ)みたいなものにはまっていました。特に春の祭典は高2のころ1万円の大枚をはたいてスコア(オーケストラ総譜)を買い、穴のあくほど眺めました。この曲は実に不思議な呪術的な音響に満ちていて、それがどういう和音なのか楽器の重ね方なのかリズムなのか、全部を自分で解析しないと気がすまなかったのです。

弦チェレの方は、第3楽章です。ちょっとお化けでも出そうなムードですね。フリッツ・ライナーの指揮するレコードで、チェレスタが入ってくる部分。この世のものとは思えない玄妙かつ宇宙的な音響。なぜかこの演奏だけなんですが。敬愛するピエール・ブーレーズも含めてほかのは全部だめです。これもスコアの解析対象となります。

時が流れて、僕はフランクフルトに住みました。その家はメンデルスゾーンのお姉さん(ファニー)の家の隣り村にありました。そう知っていたわけではなく、たまたま住んだらそうだったのですが。彼はそこでホ短調のバイオリン協奏曲を書きました。あの丘陵地の空気、特に彼がそれを書いた夏の空気をすって生きていると、どうしてああいう第2楽章ができたのかわかる感じがします。あそこを避暑地に選んだ彼と、その場所が何となく気に入った僕の魂が深いところで交感して体にジーンと沁みてくるような感覚。うまく言えませんが、かつてそんなことを味わったことはなかったのです。

こういう感覚は、大好きで毎週末行っていたヴイ―スバーデンという町でもありました。ブラームスの交響曲第3番です。もういいおっさんだった彼はここに住んでいた若い女性歌手に恋してしまい、ここでこの曲を書きました。彼としては異例に甘めの第3楽章はその賜物でしょうが、むしろそれ以外の部分でもこの町の雰囲気と曲調が不思議と同じ霊感を感じさせるのです。この交響曲はこのヴイ―スバーデンとマインツの間を流れるライン川にも深く関係しています。

シューマンの交響曲第3番とワーグナーのニュルンベルグの名歌手第1幕への前奏曲。この2曲はそのライン川そのものです。すみません。どういう意味かというのは行って見て感じてもらうしかありません。このシューマンの名作は後世にライン交響曲と呼ばれるようになりました。シンフォニーのあだ名ピッタリ賞コンテストがあったらダントツ1位がこれです。

名歌手は全部ライン川で書かれたわけではありません。でもあのハ長調の輝かしい前奏曲はヴイ―スバーデン・ビープリヒというライン川べりで書かれたのです。ワーグナーの家は水面にちかく、滔々と悠々と流れるラインが自分の庭になったような錯覚すらあります。太陽がまぶしい秋の朝、目覚めて窓を開けると眼前に滔々と流れるライン川、そこにバスの効いたあの曲が流れる。僕の理想の光景です。

こういう経験をして、僕はだんだんとお月様を見て「美しい」と思う感性も身についてきました。物体だ、という感性が消えたわけではなく、少しはバランスのとれた大人のリスナーに成長できたということでしょうか。基本的にはロマンチストなので、ボエームやカルメンを涙なしに聴き終えたことはないし、ラフマニノフの第2交響曲を甘ったるい駄作だなどとは全く思いません。

しかしメンデルスゾーンのジーンとした感じは、涙が出るとか甘いとかそういう次元の話ではありません。泣くというのは作曲家が仕掛けた作戦にまんまとはまっているということです。そうではなく、作曲家がそういう作戦を練る前の舞台裏で、一緒に昼飯を食ったというイメージなのです。どうも話が霊媒師みたいになってきました。

ところで今、心を奪われているのがラヴェルです。音楽を書く手管、仕掛けのうまさという意味でこの人は最右翼です。もちろん、どの作曲家も聴き手を感動させようと苦労し、手練手管を尽くしています。そうでないように思われているモーツァルトの手管はパリ交響曲について書いた彼の手紙に残っています。しかしラヴェルはその中でも別格。うまいというより、彼は手管だけでできたみたいなボレロという曲も書いています。もうマジシャンですね。ドビッシーと比べて、そういう側面を低く見る人もいます。

僕も、そうかもしれないと思いながら、聴くたびに手管にはまっているわけです。ダフニスとクロエ。このバレエ音楽の一番有名な「夜明け」を聴いて下さい。僕は2度ほどギリシャを旅行してます。あのコバルトブルーの海に日が昇るような情景をこれほど見事に喚起する例はありません。音楽による情景描写というのはよくあります。しかしこれを聴いてしまうと他の作品は風呂屋のペンキ絵みたいに思えてしまいます。そのぐらいすごい。手管だろうがペテンだろうが、この域に達すると文句のつけようもないのです。

僕のラヴェル好きは高校時代にはじまります。春の祭典と同じ感覚で。両手の方のコンチェルトの第2楽章、ピアノのモノローグを弾くのは今でも人生の最大の喜びの一つです。もう和音が最高。ダフニスと同じコード連結が出てくる夜のガスパール第1曲も(これは弾けません)。バルビゾンの小路に似合う弦楽四重奏の第1楽章。僕にとって、ヨーロッパの最高度の洗練とはラヴェルの音楽なのです。

あれもいいこれもいい。 50年も聴いてくるとこうなってしまうのです。しかし50年たっても良さがわからない有名曲もたくさんあります。最後は好みです。もう今さらですから、ご縁がなかったとあきらめることにします。好きな曲は何曲あるか知りませんが100はないと思います。50-60ぐらいでしょうか。

これから、時間はかかりますが、1曲1曲、愛情をこめて、なぜ好きか、どこが好きかを書いていきます。これは僕という人間のIDであり、作曲家たちへの心からの尊敬と感謝のしるしです。読んで聴いて、その曲を好きになる方が1人でもいれば、僕は宣教師の役目を果たしたことになります。聴かずして死んだらもったいないよという曲ばかりです。必ずみなさんの人生豊かにしてみせます。ぜひお読みください!

 

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