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モーツァルト「ピアノと管楽のための五重奏曲」変ホ長調K.452

2015 JUL 15 23:23:51 pm by 東 賢太郎

(1)K.452は異例の名曲である

これは僕が最も好きなモーツァルトの曲のひとつです。いえ、客観的に見て最高傑作の一ついって通からご批判はないでしょう。ところがあんまりディスクがないのです。録音は各種あってもCDショップに置いてない。これは由々しきことです。

なによりモーツァルト自身も作曲時点で「これまでの作品の中で、この曲を最高のものだと思います」と手紙に書いているのです。youtubeを探したら昨年9月に亡くなった英国の指揮者、音楽学者のクリストファー・ホグウッド教授がロンドンのグレシャム大学でK.452についての講義を行っており、やっと溜飲が下がりました。

亡くなる半年前(2月)とは見えないお姿です。ここで教授は次のような指摘を行っています。

モーツァルトは626曲を残しましたが100曲以上の未完成曲も残っています。旅から旅の人生を送った彼はピアノに向かわず頭の中で作曲ができました。誰かの注文があるとそうして作った曲を楽譜に書きおこしましたが、何かの理由で注文主の事情が変わってしまうと、すぐその時点で書くのをやめ、楽譜はそこで途切れてそのままになりました。そしてそれを他の作品に転用することもしませんでした。

K.452は注文があったのではなく個人的動機で書いた異例な曲で、管楽器合奏団をもっていた貴族を自分の契約演奏会に招いて聴かせる目的があったようです(おそらくアロイス・リヒテンシュタイン侯爵)。これも異例なことに、彼はスコアを推敲して書きなおしています。ところがこの曲が侯爵お好みの管楽8重奏でなかったためか彼は他の貴族がアレンジした別の演奏会に行ってしまってモーツァルトのには来なかったのです。

K.452の楽器編成(オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、ピアノフォルテ)は当時としては例がなく、これがたぶん史上初めての組合せで以後も2度と用いませんでした。ピアノは自身をアピールするため彼が弾きました。しかし、この曲の楽器編成が仇となって貴族の気を引かず臨席がなかったのでしょう、結局この曲はその時以外には演奏されることはなく、彼の存命中にはいかなる形でも出版されず彼の死後は弦楽合奏(ピアノ五重奏曲)のアレンジが出版され、オリジナル編成の楽譜が世に出たのは19世紀になってからです。

K.452を含むモーツァルトの意欲作が並べられた契約演奏会は1784年4月に3回行われ、残念ながら曲目は記録がありませんが、わかる範囲でのプログラムは「トランペットとドラム付の交響曲」(ハフナーか)で開始、ピアノ協奏曲第16番、交響曲第36番「リンツ」、3~4曲の作曲者によるピアノ即興、交響曲(パリか)、歌が数曲、交響曲(ハフナーか)でしめくくり、というものだったようです。

(2)k.452は就活用に書かれた

前回「ナハトムジークk.388」のブログでハルモ二ームジークについて書きましたが 、教授のご指摘のように貴族が管楽合奏団を常設してこのコンセプトが流行だったこととk.452の作曲は無縁でないでしょう。ジョブ・ハンティング(就職活動)のためのプロモーション・ピースだったわけです。興味深いのはこの「管楽合奏団」というコンセプトは彼のピアノ協奏曲の伴奏に入り込んでだんだんと規模を拡大し、第24番k.491でトランペットとドラムも加わって最大になる、その曲においてハ短調というk.388の調性が回帰するのは偶然なのでしょうか?

就活ピースであったk.452に彼としては異例の推敲の跡(譜面が残っている)があり、その結果として彼自身がこれまでで最高の作品と自認する水準にまで仕上がったという事実は、やはり注文があったわけではないのに異例の傑作として立ち現われたハイドンセットと三大交響曲もプロモーション・ピースだったのではないかという仮説がここでも裏付けられていると考えられないでしょうか。

(3)異例の楽器編成を推理する

皆さん「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲」(K.297b)をご存知でしょうか?ホグウッド教授は講義でふれていませんが、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンというk.452の楽器編成はK.297bとまったく同一であることが注目されます。ところが、K297bは偽作かもしれず、モーツァルト伝記の有名なミステリー題材の一つなのです。

モーツァルトは母親を伴ったジョブハンティング旅行でパリに行きましたが、その1778年に当地に居合わせたウェンドリング(フルート)、ラム(オーボエ)、リッター(ファゴット)、プント(ホルン)という4人の知己を独奏者として管弦楽と協奏するパリで流行のスタイルの曲を仕上げ、総監督のジャン・ル・グロに自筆譜を売り渡したのがフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲K.297Bです。

ところが彼曰く「誰かの陰謀のため」演奏は急遽取りやめとなり、スコアは消失してしまったのです。これはまだ見つかっておりません。ケッヘルによる1862年出版の「モーツァルト作品主題目録」初版では消失作品とされK.297Bとなっています。ところが、驚いたことに20世紀初頭になってドイツの音楽学者オットー・ヤーンの遺品の中から「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲」の筆写譜が発見されたのです。

フルートがクラリネットに変わっています。もちろんこれが本物という確証はありません。

「ル・グロ氏は、それを独占しているつもりですが、そうは参りません。ぼくは頭の中にまだ生き生きと入れてありますから、家へ帰ったら、さっそくもう一度書き上げます」

というモーツァルトが父宛に書いた手紙の文献と結びつけ、それをk.297Bの真正の編曲とみなした音楽学者のアインシュタインが改訂した1937年の第3版において「K.297b」という番号を与えて作品目録の「本編」に組み入れた。それが「k.452の楽器編成同じ変ホ長調の協奏交響曲 K.297bとまったく同一であることが注目されます」と書いた曲なのです

(4)僕の仮説

このミステリーについての私見はまた別稿に致しますが、K.297bは偽作(他人がモーツァルト風に作ったニセモノ)という説も有力であり、真作説の最大の弱点が「フルートがクラリネットに置き換わっていること」なのです。ここは現在のところ誰も有効な反論ができていないようです。

しかし、これは置き換わったのではなく、K.452の編成に書きなおしたと解釈できないでしょうか。モーツァルト自身が「もう一度書き上げる」と宣言しているのだからそうしたと考えるのは不自然ではなく、彼は頭の中で作曲する(「頭の中にまだ生き生きと入れてあります」)ので、それをもう一度譜面に書き落とすだけです。売却済でもうモーツァルトに所有権はないのですが彼は陰謀と思って怒っていました。いけないことだという倫理観はあったものの、報復としてむしろもう一度書く動機がありました。

それが行われたのが1784年ごろのウィーンでのことであり、そこに居合わせたのはフルート奏者ではなく、1780年ごろから親しかった友人のクラリネット奏者、アントン・シュタードラー(1753-1812)でした。K.297bのオリジナルとなったスコアはそうして書き起こされ、k.452の続編としてピアノ伴奏から管弦楽伴奏にバージョンアップした新作として投入し、宮仕えへの道を切り開こうという構想があったのではないでしょうか。

しかし、その野望は頓挫しました。k.452のスコアすら放逐され、いかなる形でも彼の生前には出版されなかった。ホグウッド教授はk.452を「異例の楽器編成」と指摘しますが、木管を4本も要する、しかも当時としてはまだ珍しいクラリネットを含んだコストパフォーマンスの悪い作品は貴族以外には需要はまったくなかったでしょう。しかし貴族の楽団は8本編成でありk.452は「帯に短し襷に長し」で売れず、必然的に演奏機会はなくお蔵入りするしかなかったのです。

(5)ピアノ協奏曲に発展的に吸収される

空想ですが、K.297bの原本となったスコアはそこで書かれた。しかし、いらなくなった。ハルモ二ームジーク好きの貴族は彼の「顧客開拓リスト」からはずれたのです。そこで一気に集中して作り上げる次のプロモーション・ピースこそ、ピアノ協奏曲であります。そこも貴族・富裕層がターゲットでしたから彼らに売れ筋の調味料である木管合奏を残しています

しかしその甲斐なくやがて「ピアノが主役」の戦略は人気がなくなった。そこで宮廷から底辺の貴族までを一網打尽に顧客にできるオペラをプロモーション・ピースにしようという発想が出てくるのは自然です。「後宮への誘拐」で成功体験があるし、歌こそが彼の最大の得意技でもあったからです。

そこで彼は1784年のフィガロへ向かって驀進する。そしてそこが人気の頂点となり、ピアノ協奏曲の終焉となり、1787年のドン・ジョバンニはプラハで初演となり、1790年のコシ・ファン・トゥッテは10回ほどしか上演されず、ウィーンでの出世に打つ手がなくなっていったのです。

その落ち目の道のりの半ば、ハイドンに刺激されて1788年にロンドン向けのプロモーション・ピースが書かれたとして何の不思議がありましょう。それこそが三大交響曲だった。k.452にはあった契約演奏会での演奏予定も注文もない。そんな中で器楽の名作が忽然と現れる。これはフィガロを書きながらあふれ出た器楽的発想をピアノ協奏曲第20-25番として書きとめたと同じく、ドン・ジョバンニとコシ・ファン・トゥッテからあふれ出た珠玉の滴が今度は交響曲というフォルムに結晶した作品群であったと僕は考えております。

(6)難しい音のバランス

k.452は音楽的には各楽器が独立してピアノと拮抗しながらどれが突出することもなくバランスがとれている。主題としては終楽章はピアノ協奏曲第17番k.453のそれを予見しますし、第1楽章のオーボエのパッセージにジュピターの第1楽章の音型が登場もします。

さてこの曲の演奏ですが、以前にこう書いたことがあります。

1784年に書いた6曲のピアノコンチェルトのうち14番と17番は弟子のバルバラ・フォン・プロイヤーにあげているが(中略)ある文献によると演奏した部屋の推定サイズは14番が50㎡(15坪)、17番が100㎡(30坪)とある。僕のオフィスが21坪だからイメージできるが、これはかなり小さい。特に14番でオーボエ2、ホルン2、ファゴットはその程度の空間では相当な音量で響いたはずだ。

手紙から推察して、k.452は多めに見て100-150人の会場で演奏されたと思われます。ウィーンに行ったおり、足蹴事件の起きた「ドイッチェ・ハウス」内のSala Terrenaという小ホールで室内楽を聴きましたが、ここがそのぐらいのサイズでした。想像ですが、そのサイズの部屋でも4本の木管に対してモーツァルトの弾くフォルテピアノは割り負けたのではないでしょうか。

その編成はリヒテンシュタイン候の趣味にあわせて興味をひこうというというだけのもので合理性はなく、それが空振りに終わったためにもう用いられず、k.297bにおいてはピアノではなく音量で割り負けしない管弦楽で伴奏しようということになったのではないでしょうか。ところが現代ピアノという割り負けしない音量の楽器で弾くと、これが見事に拮抗するから不思議です。

モーツァルトが想定もしていなかったバランスで輝きを放つk.452は珠玉の名作として生まれ変わったのです。

これが1795年製のアントン・ヴァルター社のフォルテピアノのコピーで弾いたものです。初演 でのバランスはこうだったでしょう。冒頭のヤマハのピアノで弾いたものと聴き比べてください。

 

(こちらへどうぞ)

クラシックは「する」ものである(4) -モーツァルト「クラリネット五重奏曲」-

 

 

 

 

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