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カテゴリー: クラシック音楽

クラウス・マケラ指揮のパリ管を聴いて

2022 OCT 16 18:18:38 pm by 東 賢太郎

パリ管をききました。指揮はいま話題のクラウス・マケラです。予言しておきますが、彼の未来はカルロス・クライバーみたいになります。みたいなというのは、時々現れて好きな曲だけ振るのではなく、カラヤン、バーンスタインみたいに名門のポストを渡り歩いて何でも振れる、でも音楽のやりかたはクライバーじゃないかな、そんな意味です。聴きながらそう思ったのでここに感想を書き記しておきます、そのころ僕はもうこの世にいないので。

2027年からコンセルトヘボウ管の首席指揮者に就任する26才。大抜擢だったハイティンクの32才より若い。しかもすでに現在、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、パリ管弦楽団の音楽監督というのも破格で、世界的オーケストラからの熱烈なオファーが殺到しているそうです。でも僕はそういうことはまず第一にマネーだと思ってる人の悪い男なんでなんとも思ってませんでした。

演目はドビッシー「海」、ラヴェル「ボレロ」、ストラヴィンスキー「春の祭典」で、いちおう僕は音を知っている、だからマケラがどんなもんかお手並み拝見するかなと興味がわいたのです。

演奏会はコロナ勃発以来2年半ぶりで、最後もここ東京芸術劇場でした。東京では一番ましなホールで、読響マチネを長らくここで聴いてましたが改装して音が変わりましたね。きのうは1階左寄りの前から8列目で、オケの音はやや奧めで適度にブレンドします。前のが良かったが、まあこれはいい。ところが左の壁の上方にスピーカーがあるらしく、舞台下手のマイクが拾ったハープの音がそこから結構な音量で聞こえてくるのです。なんせ撥弦楽器だから立ち上がりがクリアなんでとても気になる、オケが奥めなんであり得ないバランスで聞こえるんです。おかげで「海」のMov1前半は台無しでした。ドビッシーの繊細な音量指定を無視した偉大な指揮者は何人かいましたが、偉大なコンサートホールまであろうとは想像がつきませんでしたね。

マケラはA・B両プロを「海」で始めてます。パリ管のシグナチャー・ピースということでしょうね。この曲、初演はラムルー管でマルケヴィッチ盤がありますが、ありそうな気がするパリ音楽院管弦楽団(PCO)はどういうわけかルーマニア人のシルヴェストリによるMonoしかないと思います。それがパリ管に改組されたお披露目公演の幕開けにミュンシュが指揮したんですが、そこからバルビローリ、バレンボイムなどがパリ管で録音するのです。そういうこともあって、マケラの選択はなかなかのもんだ。A・B両プロ買おうと思ったんですが「海」が重なってるんでBは買わなかったんです。ここに「夜想曲」でも置いとけば買いましたね、僕は。こういうマーケティング上は不利なことをさせてもらってる所、すでに大物感があります。

しかしPCOがないのはクリュイタンスが録音しなかったせいもありましょうが謎ですね。シルヴェストリ盤は原色的で面白い演奏なのですが、アンサンブルの具合は学生オケが初物をやった感じです。1905年の初演から50年間も、同曲が「現代音楽」だった可能性はありますね。それだけ難しいスコアだし、パリ音楽院はラヴェル事件もあったし保守のサン・サーンスらが君臨してこういうニューミュージックは異端扱いだったかもしれません。しかし、それにしてもPCOの最後のシェフ、ミュンシュとクリュイタンスは外国人で同音楽院卒でなかったのだから、やっぱり不思議なことです。

マケラの指揮に戻ります。一にも二にもオケがいい、パリ管ってこんなにうまかったっけと耳を疑うMov2、この楽章はマルケヴィッチが傑出してますが劣ってません。そしてMov3のトランペット・ソロ!あまりの見事さにあたりを圧して黙らせる風情であり、東の正横綱が土俵入りしたみたいなもの。では指揮はどうかというと、26才が才気ばしってとんがったことをしたという瞬間は微塵もなし。起伏もテンポの揺れも奇をてらわぬまったくの正攻法なのですが、ルーティーンの凡庸とは無縁で音楽する喜びに満ち、オケは触発されて実力全開。プライドの塊りであるスーパーオケはこれが難しくて、でも、できれば自ずとスーパーな演奏になるから、できているマケラはもうgood conductorの称号に値します。年なんか関係ないです。良い「海」をきいたと深い満足だけが残るというもので、この曲がクラシックで一番好きかもしれないと書いた僕がハープの音にもかかわらずそう思ってしまったですから、ああこれは世界からお座敷かかるわなと納得したのでした。

ボレロ。これまた最初のフルートに圧倒されるのです。う、うまい!芸能人の食い物レポートみたいですが、これはもはや形容しがたいレベル。サックスのジャジーもよし、トロンボーンの例の難所も軽々。ところが妙なことに、ホルン、ピッコロ、チェレスタの所、ラヴェルが妙な楽器に聞こえさせようとたくらんだ音のブレンドがまったくなっておらずバラバラ、こんなのは初めてです。指揮者には混ざって聞こえているはずなんで、これもホールの音響特性かスピーカーのせいでしょうか(不明)。とにかく前半の管楽器の展覧会はウキウキする楽しさで、後半は誰がやってもドンシャン盛り上がるだけなんで特になし。指揮は徐々にダンスのようになり、カルロス・クライバーを思い出しました。そう、嬉しそうに振っている。横振りや増音の下から上の速いもち上げが大きく、エモーションがオケに伝わってると見えます。オケも喜々として反応してます。こういうところ、彼は再来になるかもしれない、そんな思いを懐きながら楽しみました。ちなみに、この曲では僕はハープの和音が聴きたいタイプなのでスピーカーは歓迎でした(笑)。

春の祭典。かつて見たうちで最も変拍子を変拍子らしくギクシャク振ったのはエーリヒ・ラインスドルフです。ストラヴィンスキー本人はギクシャクどころかうまく振れず、アンセルメの口出しで一度改定したのを米国でまた変えます。易しく二拍子で振れるようにしたのです(版権=マネーのためという説もあり弟子ロバート・クラフトは二拍子説ですが、両方じゃないでしょうか)。小澤征爾と村上春樹の対談本によると、シカゴ響とRCAに録音しようとする直前に意味不明のその改訂があって、彼もオケも困ってしまい、旧改訂版と新改訂版の両方を録音したそうです。世に出たのは我々の知ってる旧の方ですがティンパニのパートはアンセルメと同じでちょっと混乱してる(いまこれでやる人はいないですね)。「海」も同様の変遷を経ていまでもスコアは2バージョンありますが、祭典の方も現行版に落ち着くまでいろいろあったんです。そして落ち着いて久しい今、ラインスドルフみたいに振る人は絶滅し、ロック世代の指揮者にはもはやノリのよい名曲と化し、難曲ではなくなっています。

マケラもそう。危なげは微塵もなく一個のショーピースとしてほぼ完璧に仕上げています。第1部序奏。光彩の嵐です。パリ管の管でこれが聴けるなんて!機能的な面で指揮、オケに文句をつける部分はなくコンクールなら満点に近い。僕の耳に引っかかったのは1か所だけ、春のロンドに移行する最後の所で裏の拍が落ちたように聞こえましたが、気のせいかもしれません。というのは席の位置のせいもありましょうが音の混ざり方が音域によって差があり(中低域寄り、高音が来ない)、その混濁で細部の細部はよく聴きとれなかったからです。第2部序奏のバスドラのどろどろはだめですね、もっとおどろおどろしくやって欲しいなど解釈上の注文はいくつもありましたが、同行した息子に言いましたが、それはマケラのせいでなく、僕は頭にブーレーズのCBS盤が原音通りに入ってるので、もう死ぬまで誰のを聞いてもだめなんです。ノリのよい名曲じゃない時代というシチュエーションに指揮者もオケもエンジニアも設置しないとですね、1ミクロンのミスも許されない脳外科手術室みたいな緊張の電気がすべての音に流れてるあんな演奏はもう地球上では現れないでしょう。だから誰のを聞いてもコピーバンドのやるビートルズみたいにしか聞こえないんです。不幸なことですね、Bプロもトリが火の鳥なんですが、そっちもアンセルメ盤が完璧に擦りこまれてるんでおんなじでしたね。

指揮者の腕は1回のコンサートぐらいではわかりません。まったく。この3曲は、ある意味、いまの若手指揮者で完璧に振るのは登竜門みたいなもので、ここまで騒がれてる人にとって予想通りの当たり前なんですね。パリ管の腕の方は納得し、こっちは失礼ながら意外感が絶大でしたが、マケラがもろ手を挙げて凄かったかと問われれば、よくわからないとお答えするしかありません。「そういうことはマネーだ」と書きましたが、CAMIがなくなっても音楽業界は変わらないし、むしろコロナの大打撃がありますからスターが熱望されてることは間違いない。カラヤンもフルトヴェングラー亡き後、EMIとDGが取り合いして、ベルリン・フィルとウィーン・フィルも参戦して、彼はユダヤ人じゃないんで錯綜しました。だからバーンスタインが対抗馬にかつぎ出されたんです。オケも生活がかかってるんで、気に入ろうが入るまいがついて行くよ、勝ち馬にってのはあるでしょう、人間だから。

アンコールはムソルグスキーの「ホヴァンシチナ」より前奏曲「モスクワ川の夜明け」。これは良かったですね、彼は只者じゃないと思ったのは、これを選んだこと、そしてこれをああいう風に演奏したことです。薄いオーケストレーションで旋律が楽器から楽器へ移ろってゆき、その立体感の中でどれもが最高のピッチと音楽性で歌い上げる極上の数分間。こういう時の流れは今日の3曲にはないんです。本当はこういう曲がやりたかったのかな?でも、無名の彼がそれじゃあ日本は客が入りませんからね。夢幻的な散歩はそれだけで来た甲斐がありました。彼はレパートリーが物凄く広いと思います。なんでもすぐ覚えてすぐできる特異な能力。バーンスタインがそうでした。小澤征爾さんも徹夜で猛勉強したと自著に書かれてます、メシアンが認めたのはたぶんそれもあるでしょう、還暦ですし、誰が自作を世に広めてくれるんだって。カルロス・クライバーやジュリーニが名門の音楽監督に就任できなかったのはそれでしょう、こだわりの狭いレパートリーだけじゃいくらそのクオリティが図抜けていてもオペラハウスや楽団は経営できないんです。世間はミーハーの方が圧倒的に多いですから。だからカラヤン、オーマンディー、ショルティが必要なんです、マネーの原理でね。

今年、日本のプロ野球界でそれと似た現象がありました、おわかりですか?そう、日ハムのビッグボスこと新庄剛志です。彼はみんな馬鹿にしてますが、人間としては認めるはずのないあの野村克也監督がプレーヤーとしての破格の才能を認め、辞めたら困るのでご機嫌とってピッチャーまでやらせようとした、それほど凄い才能なんです。彼の監督起用がうまくいくかどうかはまだ未知数ですが、彼は野球なら何でもできるし、イケメンだし、すぐ覚えてすぐでき、何でもわかってるから大きな破綻はない、そして、優勝するかどうかなんかより実はこれが主目的ですが「客がはいる」のです。ベルリン・フィルも1963年に「フィルハーモニー・ホール」を造ってこけら落とし公演をカラヤンに振らせました。新スタジアム「エスコンフィールド」に来年移転する日ハム球団にとって、彼はカラヤンなんでしょう。資本はサーカスを必要とする。これは業界に関わらず原理です。僕はそれを知りつつも、良いプレーを見せ、良い演奏を聞かせてくれる才能を追い求める。永遠にこれは続くでしょう。

コンサートの帰りに東武デパートの鰻屋で「あいつ(娘)がパリにいてこれきけないで俺たちがきけるってのも面白いな」なんて酒飲みながら話し、「どれが良かった?」ときくと息子は「ストラヴィンスキー」でした。なるほど。「お父さんは?」「アンコールだよ」。素晴らしい一日でした。

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BAND-MAIDは世界に通用する!

2022 OCT 2 13:13:26 pm by 東 賢太郎

僕はロックンロールの元祖というと、どうしてもドイツの港町ハンブルグを思い浮かべます。プレスリーじゃないんです。ハンブルグといえばブラームスではないのか?もちろん、まずそれが第一です。でも、この街に行ってブラームス博物館だけ見て帰るわけにはいきません。レーパーバーン(写真)があるからです。彼の生家はここからそう遠くはないんです。もう建物は残ってませんが、それに目をつぶりたくなる音楽ファンもおられるような地域だったそうです。ただ、ドイツの人は一般にそういうことに対しては日本人ほどピューリタンでないということは申し上げてもいいと思います。ここは東京なら新宿歌舞伎町で、だからどうということもなし。若い頃に飲み歩いてうろうろしたので僕は違和感すらなしですが、ハンブルグは港町ということもあってもっとストレートで強烈な歓楽街です。

レーパーバーンのクラブでロング・ジョンという男がポール・ラモーン、カール・ハリスンとバンドを組んで、荒くれ者の船員や売春婦の前で覚醒剤やりながら10時間のステージをやってました。3人とも流れ者のハタチぐらいの兄ちゃんです。ロングはというと、船員の親父は行方不明になるし貧しい母親は彼の目と鼻の先で車に轢き殺されるし、めちゃくちゃ不幸な家庭の子。グレて札付きのワルでした。世の中にどす黒い反抗心があったのでしょう、やがて麻薬LSDに走って誰も理解できない世界の人となって凶弾に倒れますが、彼のバンドの演奏はきれいごとでない高みまで登って行ってしまいます。そして The Beatles というものになる。僕にとってはそれがロックであり、ロックはそういうものなんで、原点はどうしてもあの劣情がたぎりまくっていて卑猥で低劣なレーパーバーンにあると感じてしまう。彼ら、生まれはリバプールでそっちでは偉人であって美化されてますが、そのせいかどうか、英国ではロックは美しいものなんてなってきて、その過程でロンドンにいたもんですから、そうでないものをロックと言われてもねってところがあって、後につまらなくなって離れてしまった気がします。

いっぽうでは、僕は交響楽団の奏者に女性がいない時代に育ちました。ベルリン・フィルもチェコ・フィルも、舞台を子細に見渡しましたが、本当にそうだったんです。教会で女性は声を出せないためカストラートがいた(ベートーベンもそれにされかかった)という根強い宗教的伝統から来たようですが、それがいまや指揮者まで女性という時代になりつつあって、違和感がなかったというと嘘になります。長らくのあいだ、ウィーン・フィルはハーピストだけか、なら許せるかなぐらいだったんで、僕の趣味も旧世代のものだといわれれば反論はできません。ところが、ことロックバンドとなると、今でも事情が違っていて、これだけは最後の最後まで男がやるもんでしょと思ってます。保守的だからではなく、レーパーバーンが原点だと思ってるからなんです。あそこの奥のほうは、いまどうか知りませんが、塀があって女性と18才未満の男は立ち入り禁止だったんです。宗教や時代がどうのって問題じゃない、ココばっかりは男の牙城であり、ジョン・レノンがなんでロング・ジョンだったか(隠語を知ってる方ならわかりますね)ジェンダー論ではどうもならんのです。

こういう事情なので、きのうコメントをいただいて初めて知ったガールズロックバンド、BAND-MAIDをyoutubeで見て、はっきりいって衝撃でした。ご紹介いただいた方に感謝申し上げます。これはカテゴリーキラーであり、コンセプトの革命です。でも違和感あったのは始めの2,3分だけです。ベース、ドラムスが問答無用でうまいしギターの速弾きもなるほどっていうレベルです。名前もバンド・エイドのシャレでしょう、センスを感じる。技術なしに奇をてらうのは何やってもだめ、日本の女子力である「カワイイ」は世界の公用語になりつつあって無敵ですが、AKBがニューヨークで旋風を起こすかっていうと絶対にありません。音楽の世界でそれだけじゃあワールドクラスはあり得ません。まずインストゥルメンタルのこれ、だめじゃない、イケると思いますね、だから運さえあれば旋風を起こす可能性はありますね。

女の子だけでやってると思えないヘヴィなサウンド。でも男になろうとしてるとも思えないんで宝塚の男役みたいな作り物感もない。単純に、好きなんだっていう磁力だけがビリビリ伝わります。音楽はこれがないといけません、その一点において、ロックもジャズもクラシックもないんです。ビートルズはそうやってできて、それがなくなって解散したんです。それをリアルタイムで経験してる旧世代にすれば、あらを探せばいくらもある。ヘヴィっぽいけどヘルター・スケルターの黒さはなし、アイ・アム・ア・ウォルラスの狂気も、やがてそういう方へ行くかもしれない兆しも、youtubeにあるものを聴く限りはですが、ないです。サウンドとは裏腹にいまどきの中性的なエンタメであって、初音ミクのリアル版といいますか、ある意味で「究極の作り物」なんで新奇で面白い。しかし、それが僕の知らない “いまどきの” かもしれないし、もちろん積極的に良いこともあって、「だから疲れない」ということですね。おかげでぜんぶ聴いちゃいました。

「秋葉原のメイド喫茶でアルバイトをしていた小鳩ミクがバンドをやりたいと思い、メンバーを集めて結成した」そうです。「やりたい!」という強烈な求心力のある人にはそういうタイプの才能ある人たちが寄って来るんですよ、僕はそこでレーパーバーンを連想したし、そういう集団を何より評価します。ビジネスの世界もまったく一緒です。そういう人が新しいものを作ります。そうでない人が何万人集まってもね、デモ隊にしかならない。デモは政治にはなるが、ビジネスにはなりません。バンドもオーケストラも似てますね。

彼女たち、メイド服姿の「カワイイ」と「ハードロック」とのギャップを狙ったと語ってますが、いいマーケティングと思いますよ。でもその位の手管は誰でも思いつきますんで、現に舞妓さん姿のロックバンドもyoutubeにあるんでね、普通のお姉ちゃんの受け狙いじゃない、自発性に富んだ、音楽的プロフェッショナルな部分を評価します。ギャップは売っても女で売ってませんから、とりあえずはね、AKBみたいな路線の作られた純エンタメと比べたら失礼なレベルです。日本でこれだけ本格派の土俵で堂々と勝負できる才能の人はあまりいない。これがすべてです。でもいずれバラードやれば、そこはまぎれもない女性なんで、作曲のクオリティとかね、高い次元のものが求められてきますね。ギャップは通用しません。ビートルズがそこまで行ったのは、男か女かではなく、そのハードルをクリアした唯一のバンドだからです。

日本人は、基本的に何事もそうですが、みんなちょっと売れると日本のスターの小さい幸せで満足して終わっていくんですね。バロメーターとしての収入でいうなら10億円ぐらいでね。日本でそれなら凄いじゃないかって、ちやほやされていい生活して浮き名でも流してね。この「日本でそれなら」ってぬくぬくした甘ちゃん精神が海外で長いことやった僕には気に食わないんです。怒りすら覚えます。そういうこと言ってるから国ごと「日本でそれなら」になって何のこっちゃとなり、ただでさえ国家経済がどんどんシュリンクして「ちんまりした国」に向かってるのに誰もそのマトリョーシカの矛盾に気づきもせず、沈んでいくタイタニック号の中でいい席の取り合いに精を出す。ところでその「日本」って何なの、誰が決めたのってところに目が向かなくなって、船体が10度ぐらい傾くと初めて大騒ぎになるはずです。でもそれって「誰がこんな船にした!」の大合唱でしょうね。それをいうキミも犯人の一人でしょってのは誰も言いませんよ。

彼女たちは100億円、野球なら大谷になるかもしれない原石でしょう。間違っても巨人の4番で終わって欲しくない。僕は韓国のBTSを見ていて、音楽も歌もダンスも確かにメジャーリーガーで凄いしアメリカ人の好みをうまくつかんでるマーケティング・インテリジェンスに感心もするんですが、遺伝子的に能力も容姿もかわらないのにどうしてあれが日本から出てこないんだというフラストレーションがあります。BAND-MAIDをビートルズに比べる僕の駄文を読んで、そりゃあんまりだ、買いかぶり過ぎだと思った方はもう立派にタイタニック号のお客様ですね。そういう方々からは、同じ東洋人のBTSがビートルズ並みに売り上げてホワイトハウスにまで呼ばれちゃうのに日本では彼らの追っかけが増えるだけで、どうして?っていう声は出てこないんですね。もう国ごと茹でガエルで、元々長い物に巻かれる国民性だから、こんなに奴隷化して支配しやすい国はないと見えてる可能性大ですね。

おそらくBTSにも事務所にも「韓国でそれなら」ってのは元からないんです。自国は小さい市場だから外国に売り出していくなど当たり前で、そうなると当然に大きい所を狙うので、隣でお手軽な日本なんてのは眼中にもなくて、一気に頂点のアメリカに出る。映画もゴルフもそうです。我々はそれを「ハングリー」で片づけてプライドを保ってましたが、一人当たりGDPでもう韓国に抜かれてますからね、要するに韓国より貧乏な国民なんでね、ハングリーじゃなきゃいかんのはお前だろって事態になってるんです。でも、これ、耳障りが悪いんでマスコミは報道しないし、自民党は責任を問われて支持率さがるから口にしないんです。国民に知らしめず、自分が生き残れればいい。繰りかえしますが、これが「沈んでいくタイタニック号の中でいい席の取り合いに精を出す」ってことです。国を背負う者が率先してそれをしてる、そういうキャプテンが操舵する船に我々は乗っています。ところが、一般の客である国民も、隣国より下ってのは棺桶に入るまで認めたくないんですね、偉かった先人たちが命を捨ててまで築いてくれた富と名誉にかまけて、ぬくぬくした甘ちゃん精神で、砂漠で敵に囲まれると砂に顔を埋めて見たくないものは見ないダチョウみたいになって、やがて食われるんです。そっちに船を近づけようと画策する左翼なんてのはもってのほかなんです。

僕は日本を席巻したアイドルグループ「嵐」が世界に出ないのにがっかりしました。まあ事務所の方針もあるでしょうし彼らの責任ではないかもしれません。しかし、やる気になればできたかもしれないし、失敗しても構わないのに挑戦もしないってのは若者のリーダー格としていかにも寂しい。いまの日本でジェンダーを論ずるなら、野球選手もゴルファーも俳優も歌手も、お山の大将でちやほやされて遊んじまって潰れてるのはほとんどが男だってことを問題にすべきです。破廉恥事件はもちろん、金に絡む悪事もだいたい首謀者は男なんで、べつに女だからクリーンとも思いませんが、日本男児って言葉はいつから死語になったんだろうと思うのです。

企業社会もアメリカさんのポリコレ戦略にまんまとひっかかって、大事なのはコンプラとコストカットとリスク管理ばっかりになってですね、カルロス・ゴーンを連れてきてこいつに100億円もやってね、日本人役員たちが自分も100億もらうぐらい仕事できる玉ならいいんですよ、でもそうじゃなくって、そうでもなければ絶対に出世なんかできなかった奴らが自分も1億円ぐらいの高額賞与の微々たるおこぼれにありつこうっていう悲しいセコさなんですね。そういうブレーキを踏む性質の人間が権力を持つとアクセルを踏む資質の人間は邪魔なのでパージしちまって、ついに「エンジンのないクルマ」の死屍累々たる廃車の山ができた。それが今の日本。するとそれを狙ってたアメリカ企業が、スクラップバリューでね、つまり激安のバーゲンセール価格でクルマの含み資産と技術を買っていくわけです。もちろんC国も虎視眈々とそれを狙ってます。こういう国賊経営者の犠牲になったのが「非正規雇用」という契約を「フレックスだから自由時間ができて良いことだ」というセールストークにして雇われた若者たちなんです。いいですか、男性諸君はド迫力のBAND-MAIDのロックきいて奮い立って、革命でも起こしなさいよ。このままだと国ごとどっかの奴隷になるよ。

社会に出ると男というものは、男性ならではのいろんなしがらみが出てくる、それは事実でしょう。僕もそうだったし、耐えられないぐらい重たいものだったこともあるし、でもそれに負けずにファイトバックして生きてきたから、家でも社会でも一応の男の尊厳、誇りは持たせてもらっているわけです。でも、それを甘受しているということは、それを女性ができるなら同じだけの尊厳を持っていただいて当然ということになるし、もし負けたらそれを認めないとおかしいです。僕が心からそう思うようになったのは駿台予備校でどうしても勝てない女性がひとりだけいましてね、いつも総合点で名前がトップあたりで、なんで本番落ちたのってみんな不思議がった方で、ついに1回しか勝てなかった。それでこうなったんですが、実力だけをリスペクトするっていう精神は真剣勝負を逃げて育ったぬくぬくした甘ちゃん精神からは絶対に出てきません。そういう人はダチョウになるから負けは認めないんで、ということは進歩もしないんですね。

誤解のないように書きますが、僕の言ってることはフェミニスト精神とは別物です。女性だから大目にというのはありません。娘がMBA取りたいと言えば女だてらになんてことは言いません、取るなら取っただけのことはしろよとだけ言います。そうでないフェミニズムは女性を元禄のお犬様に祭り上げるだけで、今度は男に不平等であり、その結果、できる女性はかえって不利になります。私大の医学部の入試はいい例です。まず、これからして困ったもんだが、勉強は女性の方ができる。だから正直に採点すると合格者は女性の方が多くなって病院の医局の現場が回らない。女性がやりたがらない仕事があるからです。それを大目に見ざるを得ないから、入試で男に下駄をはかせて調整せざるを得ないというあってはならない事態が発生したわけです。これはいかんと思います。ところが、そういう僕だって自分が患者になって死ぬかもしれないことになれば、熱意があって医師免許さえある人ならば入試の1,2点の差なんかどうでもいいんでそれも仕方ないかなと思わないでもない。根が深い問題ですね。

ですから、生き生き、のびのびと、屈託なくロックしてるBAND-MAIDの女性たちを見ていると、そういうもやもやのすべてが気持ちよく吹っ飛んですっきりしたのです。フェミニズムで高評価する気は毛頭ありませんが、男声でしか出ない黒さや狂気がないなんて評価もしません。そうやって聴いているうちに、もはや男女平等どころか、女子の方が上の時代になりつつあるかということに気がついたのです。男の妙なしがらみからフリーである。モテたい、ちやほやされたいじゃなく、「世界制覇したい」とケロッと言えてしまう。彼女たちの本音の狙いがモテたいだろうがお金欲しいだろうが、どんな私利私欲だってぜんぜん構わないんですよ、それでも、一世を風靡した「嵐」でも、男は怖くて世界制覇は言えんという事実があるからです。

コロナでトシだけ取って気の毒だったと思いますが、いよいよ来月からアメリカツアーでニューヨークに乗りこむそうです。地のまんまでビビらずやれば成功するし一気に取り返せますね。彼女たち、ロックかくあるべしなんてのはなさそうですし、なんたってカテゴリーキラーなんだから、そんなものはないほうがいいんです。あんたらアキバ行ったことある?ええ?メイド喫茶知らないの?田舎もんだねえ、恵まれない男ねぐらいのノリでね、満場を席巻して押し倒しちまってほしい。いけますよ。ニューヨークでそれすれば世界の話題になるからね、後はチョロいもんです。日本の宝になります。ファンになったんで応援します。

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パターソン氏とスヴィーテン男爵

2022 SEP 19 18:18:01 pm by 東 賢太郎

バロック・オペラを教えてくれたのは前稿で書いたD.P.さんでした。彼は現在はニュートン・インベストメントとなっているリード・ステンハウスという運用会社の主任ファンド・マネージャーでした。この業界、オックスブリッジ卒は普通ですが、氏はなにせケンブリッジ大学でアイザック・ニュートン以来という二学部首席卒業でただならぬ雰囲気の方。強豪並みいる我が先輩方も対応に難儀していたアカウントで、ちょうど担当替えの時にロンドン赴任して2年目でまだ未知数の僕に「やってみろ」と担当が回ってきたのです。ここに通用すればお前を一軍ベンチに入れてやろうという部内の雰囲気でありました。

チャンスと思い、勇んで訪問しましたがけんもほろろ。話がつまらなかったんでしょう、30分のアポは5分で打ち切られてバイバイ。相手にもされませんでした。これがプロの世界というものなんです。それでも毎朝電話して懸命に食らいついたので、あるとき、ソニー、TDK株の小口の買い注文をいただきました。お試しですね。ところが何ということか、その執行で大チョンボをしてしまうのです。すぐに先輩同伴で頭を下げに行きますが、「あんなに西洋人が怒ったのは見たことないよ」と先輩が匙を投げるぐらい激怒されており、即刻、出入り禁止が通告されます。部内では「お前なあ」となり、こっちも即刻二軍落ち(大事なアカウントの担当をもらえない)となったのです。

それでもそこの担当は外されなかったので、毎朝の電話は何があろうとやるぞと決心しました。半年ほどして、毎朝その電話をとってくれる秘書の女性が同情して何か言ってくれたんでしょう、10分だけ会ってくれるようになり、懸命に投資情報サービスをしていると、半年ぐらいしてやっとKenと呼んでくれるようになります(英国人は会って5秒でKenになる米国人とは違うのです)。よく覚えてませんが、そのあたりでクラシックが好きだという話をしたのだと思います。そこから何があったわけでもないのですが、ある日、夫婦で食事をしようと誘われ、一気にうちとけ、ついに大きな商売をいただけるようになったのです。

日本の企業経営は文化が反映していると話していると、訪日経験がないのでピンと来ないといわれました。日本株責任者がそれはいかんでしょうと、すぐに本社に頼んでトリップをアレンジし、東京、大阪、京都の企業訪問に随行したのです。こんな方と1週間も2人だけで旅行できたというのはいま思えば財産です。投資とは何か、リスクリターンとは何か、企業の何を見るのか、何を質問するのか、どう分析するのか、大英帝国保守本流の、そのまた本丸である “ザ・シティ” の目線で東インド会社の歴史からじっくり説き起こして教えていただきました。目から鱗でした。それで僕は考え方だけは少なくとも投資のプロフェッショナルとなったはずであり、これで食っていけると盤石の自信もできたのです。

彼は投資哲学のベースとして政治、歴史、哲学、美術、文学、科学に博識なレオナルド・ダ・ヴィンチのような方であり、日本文化も事前に勉強されていて京都を堪能されました。そこで「松下とフィリップスがどう違うかわかったよ」とぽつりと言われたのが非常に印象的です。これをまさしくインテリジェンスというのですね。何を見てそう思われたかは聞くのも野暮なので遠慮しました。寺社仏閣や日本史の知識だけ覚えて帰っても単なる雑学で何も役には立たないんですね。D.P.さん、すなわちデビッド・パターソン氏とはこんな深いつきあいがあったからとても影響を受けており、彼もそう共感していたと思います。僕が後にフランクフルトで「社長になったよ」とロンドンに電話すると、他人事と思えなかったのでしょう、それでここに書いた事件が起きたわけです。

我が家の引っ越しヒストリー(2)

 

これがフランクフルト空港まで抱えてきてくださったGroveのオペラ辞典です。重かったでしょう。

氏の音楽の造詣は底なしでしたが、それは単なる音楽だけではないんです。科学も美学も歴史も哲学も複合したリベラルアーツですね、ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源のある文化人の教養、それも干からびた知識でなく、人間を啓蒙し、良い意味で宗教や絶対権力の束縛から解放するための「自由人にふさわしい学芸」、「より良く生きるための力」ですね、ここにちゃんと音楽が入っている。そういう感じでの「音楽」なんです。当時は浅学でそれに気づきませんでしたが、あとで年齢を重ねるとだんだんわかってきて、氏から教わったものこそ僕が人生をかけて追及するものだと悟りました。

バロック・オペラというと英国ではまずヘンデルなんです。もちろんJ.S.バッハも敬意は払われてますが、息子でロンドンに住み着いて、モーツァルト坊やの才能を見抜いて可愛がったヨハン・クリスティアン・バッハも人気なんです。彼はハイドンより3才年下で、ロンドンで「ヘンデルの後継者」の地位にありました。もしJ.C.バッハが47才で急逝しなければ、モーツァルトがロンドン行きを父に打診した1786年にまだ51才の彼は、年上のハイドンでなく坊やを呼んだでしょうね。そして英語版の「フィガロ」が大流行し3代目のドイツ人マエストロになった。彼自身もそう望んでいたと思います(英語を勉強し、ヘンデルの伝記まで蔵書にありましたからね)。僕の「さよならモーツァルト君」はそういう事実があって思いついたものです。

ヘンデルは国民的人気ですが、ハレルヤで国王まで起立する。ノリントン指揮のメサイアで僕もしました。氏が教えてくれた『リナルド』(Rinaldo)は好きなオペラの一つで、筋書きは「後宮からの誘拐」と「魔笛」を足して二で割ったようなものです。ヘンデルを研究したモーツァルトが知らなかったはずはなく、リブレットに影響があったかもしれません。最晩年のベートーベンはヘンデルに傾倒して楽譜を取り寄せましたが、ロンドンから委嘱された第九の終楽章をオラトリオ形式にしたのも関係あると考えるのは自然でしょう。日本ではヘンデルの真価が100%知られてはいないように思います。音楽の父はJ.S.バッハで、ヘンデルは対比して音楽の母なんてどこかに書いてありました。あまりに稚拙で日本の恥なので氏には言えなかったですね、やめたほうがいいですね。

ここで特筆したいのは第二幕のアルミレーナのアリア「私を泣かせてください」(Lascia ch’io pianga)です。クラシック好きで知らない人はない超有名曲ですが、この美しさ、気高さったら只者ではない。教科書によくある「このソプラノの旋律に和声をつけよ」なら、ヘンデルと同じものをつけるのはそう難しくないと思ってしまいます。というのは、響きの良い部屋で歌えばわかると思いますが、メロディーの倍音から美しい和声がいとも自然に紡ぎだされて耳に聞こえてくる感じなんです。まったく作為なく独創的で、素晴らしいメロディー。和声も含めてこれ全体をゼロから発想すること自体、ヘンデルの才能、凄すぎますね。

この歌を楽器でなぞることは何ら難しくないでしょう。ところが、歌となると、どうもそうではない。意地悪になる気はないのですが、youtubeに数ある歌で気に入るのはごくごく少数なのです。ほとんどはどこがだめかというと5小節目の so (ミーファソ)の「ソ」。そして9小節目のe cheの「ファ」です。ほとんどがこの2音のクオリティが悪く、僕はそこから先はもう聴く気がしません。ヴィヴラートをかけすぎ、「ソ」が微妙に音程ハズレ、バロックらしい軽さでポンと決まらない、決まってはいるが決めようと頑張って余分な力が入っている、そして、「ファ」の6度跳躍がずり上げになる、ロマン派風に歌い上げる、等々。なぜだめか。コンサートピースとして歌っている人が多いせいもありましょうが、僕の趣味ですとバロックの様式にあわないから白けてしまうのもありますし、何より、「倍音」と書きましたが、ピッチが悪いとこっちのピュアな和声感覚の根本が揺らいでしまうので気持ち悪くて話にならないんです。

だからかどうか、ヘ長調をホ長調、変ホ長調、ニ長調に下げる人が多いですね。このジャンルで評価しているサンドリーヌ・ピオーでもホ長調なのに「ソ」がいまいちだ(難しいんですね)。チェチーリア・バルトリもホ長調、悪くないですが個人的に声質がこの曲にはどうも。中には堂々たる4度下げのバーバラ・ストレイザンドのハ長調もあります。サウンド・オブ・ミュージックは大好きなのですが、こうなるともう別な曲ですね。ただ上記の2音は、ここまで下げれば、うまくクリアできてます。要はヘ長調でこう歌えるかということです。

モンセラート・カバリェはヘ長調で2音をクリアしておりさすがです。「ソ」はピアノと完璧に溶け込み、もはや見事というしかありませんし、原調を守りピッチを汚さないためのこのテンポなら技術と見識の高さに敬意を表すばかりです。ただ、これは僕の趣味ですが、このテンポで音をレガートで繋げるとバロックの様式感がどうか。これは大歌手カバリェの芸風ですからあれこれ言う問題ではありませんが、ここでは僕は採りません。

スェーデンのトゥヴァ・セミングセンはうまいですね。ホ長調ですが80点はつけられます。

フランスの第一人者、パトリシア・プティボンはかなり良い(ホ長調)。評判なりの実力ですね、90点。

ということで、僕のベストは次のものになります。ほぼ満点。ハンガリーのイングリット・ケルテシです。NAXOSを廉価盤と言ってはもはや申しわけないですが、この手のアルバムはyoutubeでもないと僕はまず聴く機会がありません。というわけでケルテシの名は初めてききました。しかしNAXOSでもこの歌手がアルバムの表に名前がクレジットもされないことを見るにつけ、愕然というか、背筋が寒くなるばかりです。世界のクラシック界は危機的状況に陥りつつあると危惧せざるをえません。本物を売り出さない限り聴衆も育ちません。歌唱について素人の僕が言うべきことはありませんが、いつまでも聴いていたい声とはこのことです。ヘ長調でありながら声質、2音の音程、音楽性ともyoutubeにある中で最高。唯一、5小節目の so (ミーファソ)が3連符になってますが(オケ部分も)、何かを譲歩しないと難しいならテンポよりこれでしょう。それを割り引いても1位。皆さん是非、ご自分の耳でお確かめください。

このアリア、アルミレーナが魔法使いに誘拐されて過酷な運命を悲嘆する場面ですが長調です。ここをあれっと思うことがバロックオペラの第一歩でしょう。ちなみにモーツァルトは魔笛で悲嘆したパミーナに Ach, ich fühl’s をト短調で歌わせてますね。短調なんです。どっちも同じほどの悲嘆の歌なんです。モーツァルトはよくわかってない人たちにロココの作曲家と言われますが、そのレッテルはヘンデルの音楽の母なみです。

彼はこのアリアで、フィガロにもドン・ジョヴァンニにもコシ・ファン・トゥッテにもない、息を押し殺すような繊細な心のひだをロマン派を予言する和声にのせ、バロック世界にはない驚くべき緻密な感情表現を描写するに至っているわけですが、そのきっかけはウィーンに移住してから公私にわたり面倒を見てくれたゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵の私的スクールにどっぷりとつかったことです。外交官として教養ある偉大なアマチュア音楽家でありキュレーターでもあった男爵の膨大なプライベート・ライブラリーでモーツァルトはバッハ、ヘンデルの楽譜を見て驚愕し、ギャラント様式だけで書いていた自分を根源から見直すのです。ウィーン時代の名作の山はそこから生まれたアマルガム(合金)であります。

僕にとって、かつてそういう人があったかというと、デビッド・パターソン氏をおいてありません。だから、神様が引きあわせてくれたスヴィーテンだったと思っております。今もって感謝するしかありません。

Lascia ch’io piangaを聴くと、いつもドン・ジョヴァンニの「薬屋の歌」を思い出すんですがいかがでしょうか。悲嘆の歌がエッチなほうに行ってしまったのなら、それもモーツァルトらしいのですがね。

 

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音楽の良い聴き手になるのに学習はいらない

2022 SEP 16 18:18:24 pm by 東 賢太郎

先だってkinoko様に「東さんは独学でどのように音楽や楽譜を学ばれたのですか」と質問をいただきました。ありがたいご質問と思いました。思えば同じことを学生時代に友人にきかれ、米国で家に来た学友たちにきかれ、ロンドンでお招きした英国人ご夫妻にきかれ、豊洲シビックセンターでもきかれましたが、僕は誰に頼まれたわけでもなく、一文のお金にもならないことを時間をかけてやってる物好きな好事家にすぎません。

音楽も楽譜も、学んだことも重視したこともないのです。独学という言葉には「学」の文字があるのでお勉強っぽいのですが、英語だと self-taught で自分で自分に教えるということです。先生が自分という素人だから素人以上にはなりません。僕は野球もゴルフも勉強も、プロである仕事以外はぜんぶそれですというお答えにどうしてもなってしまいます。

そこで、いつもそうしてますが、「とにかく曲をたくさん聴いて耳コピしてしまっただけです」と返信させていただきました。その努力はしましたし、それ以外にここまでのめり込んだ理由も見当たらないからです。誰でもその気になればできますので、もう少し丁寧にご説明しておこうと思います。音楽を「聴く」とは何か、「耳コピ」とは何かということをです。

音楽をきいて楽しむのに学習はいりません。なぜなら楽しめるように音楽は書かれているからです。退屈して寝てしまった人は決して自分が悪いとは言いませんね。「退屈な曲だ」というんです。皆がそういえば評判が悪くなって作曲家は仕事が来ません。だからあの手この手で仕掛けをします。演奏会で第九の第三楽章で居眠りしてる人は結構いますが、家路につくほとんどの人は「感動」してます。だから第九は人気なんです。ベートーベンがうまかったということですね。

ハイドンは「驚愕」の第二楽章でどかんとやります。寝てる人をおこすため。あそこで寝るならば、第九の第三楽章までおきてるのは奇跡ですね。ハイドンの技を学んでいるベートーベンは、普通はゆっくりの第二楽章でいきなりばーんとやり、次のアダージョでまた寝られても終楽章の出鼻で今度は強烈な不協和音をばーんとやる。さすがに会場の全員がびっくりして目が覚めます。そこから歌が入って、気がつくと壮麗な神殿にいるようで、何やらわからないまんま、あれよあれよで「ブラボー!!」が飛ぶのです。

初めて第九に連れていかれた人はそんな感じでしょう(僕もそうでした)。感動したのでレコードを買いましたが、でも、やっぱり第三楽章まではつまらないんですね。終楽章だけ聞くのも変だし、しかも当時はLPですから第三楽章の途中で面がかわるんです。レコードをひっくり返さなくちゃいけない。幻想交響曲もそうでしたが、それでだんだん疎遠になってしまいました。

モーツァルトはもっとだめなんです。だってどかんもばーんもありません、最初の楽章から寝てました。ロックから移住してきたからでしょう、僕にとっていちばん退屈な作曲家はモーツァルトだったんです。レコード棚に初めて加わったのは大学に入ってからでフリッチャイ指揮の交響曲でしたね、それも廉価版で安く、生協で割引になるからという理由でした。

その頃、僕がクラシック初心者だったかというと、そうではないんです。もう5、6年は真剣に聴いていて、ストヴィンスキー、バルトークの主要曲は何度も聴いて覚えてました。春の祭典のことは何度も書きましたが、火の鳥もアンセルメ盤が頭に擦りこまれていて、寝ても覚めても全曲演奏が鳴ってました。プログレッシブ・ロックみたいで違和感がなかったのです。

そんな僕が豊洲シビックセンターで300人のクラシック愛好家のかたにモーツァルトの素晴らしさを語るなんて天変地異なんです。だから「あれから学習してモーツァルトに目覚めたんです」と言えれば楽で格好もいいわけです。しかし困ったことにそうではないんですね。知らないうちに魔笛もフィガロもレクイエムも覚えていて、知らないうちに口笛で出るようになっていた、それだけなんです。

曲を覚えている方はたくさんおられます。ただそれは聞けば曲名がわかることなのか「耳コピ」なのかは違います。ここで「耳でコピーする」それのご説明が必要になるでしょう。譜面なしに歌や楽器で再現できることを言いますが、僕は中学生の時にギターを買ってもらい、ベンチャーズやビートルズをまねた時期があります。楽譜はないですからまねするには「耳をかっぽじって」きくわけです。すると3分ぐらいの曲が耳に焼きついて、頭の中で「リプレー」(再現)できるようになります。

だんだんそれが習慣になって、クラシックでも耳がそういう風に勝手に動くようになりました。そこで大きな経験がやってきます。後に留学して、カーチス音楽院の大ホールで、セルジュ・チェリビダッケのオケ・リハーサルを、ガランとした客席に一人だけの状態で見せてもらったことです。これを説明するにはその時のムードを書かなくてはなりません。ピンと張りつめた空気の中をマエストロは舞台左手から悠然と歩いてきて、客席の前の方にひとりポツンといた僕に気がつきました。指揮台からにらまれ、何か言われそうになり凍りつきましたが、ほどなく彼は無言のままオケの方を向きました。

オケの第1Vnには畏友の古沢巌さんがいて(彼の手引きで、学校に懇願して、そこに立ち入らせてもらったのです)安堵の目を合わせようとしましたが彼の方がそれどころではありません。舞台ではみな顔がこわばっていて、細心に細心を重ねた注意を払ってドビッシーの音を要求されてゆく。それがまた凄くいい音なんです。こうやって作った音楽は、受け取る側もそうやって聴かないといけないものなのだと感じ入りました。耳コピ当たり前ぐらいの集中力とテンションで聴いて初めてあの美はわかるんです。これからもそうしようとなって今に至っております。

「そんな疲れることはしたくない、音楽はリラックスして楽しむものだ」という方はもちろんそれでいいと思います。どなたにとってもそれが音楽をきく目的というものでしょう。ただ、「耳コピ」すると別な演奏に接して比較する楽しみが出てくるという効用はあります。聴き方が critical(批評的)になるので、違いを「言語化」できるようになるんですね。演奏会が終わって「感動しました」で結構なんですが、人間の感覚的な記憶は定着しにくいそうでその感動がどういうものだったかはやがて忘れてしまうでしょう。

ところが言語化できていると(日記にでも書き残せば特にですが)それを何年たっても覚えていて、そのメモリーが蓄積し、増幅していくのです。やればすぐわかります。これはソムリエが「ワインの味の覚え方」でいってることと同じです、彼らは飲んだワインの味、ブケ、アロマという感覚的なものを干し草の香りとか、猫のおしっことか「言語」で覚えているのです。その蓄積がないと知らないワインを評価する基準ができず、ソムリエ試験に合格できないそうです。音楽でもそれは有効だと思います。

「耳コピ」ができるようになる方法は「耳をかっぽじって聴くこと」に尽きます。それでどなたでも出来ます。1音たりとも聴き逃さない気持ちをもって、心の録音(REC)ボタンを押してから聴くのです。これを何回かやれば、覚えます。皆さん受験勉強をしたわけですから間違いありません。音質は良いに越したことはありません。さっき、娘にマ・メール・ロワをRECモードで聴きなさいと僕のヘッドホンを与えました。「人類最高の精巧な美を味わうんだよ、安物じゃダメでしょ」と言って。これで彼女は宝石を一つ得るはずです。

では楽譜は我々にどう関わるのか、はたして聞くだけの人に必要なのだろうか。クラシックのような複雑な音楽になると耳だけでは見当もつかない部分がたくさんあります。ここで、楽譜が登場するのは僕の性格からかもしれないのですが、未知の病原体を顕微鏡でのぞく科学者の気分になってくるのです。ですからこれは趣味の世界であって必要とは思いません。曲が頭に入っておれば、どなたでも十分にソムリエになれますし、外国へ出ても、ご自分の意見を堂々と語ってリスペクトされますから何の不足もないと思います。

英国時代のお客様で演奏会、オペラをよくご一緒した方にD.P.さんがおられます。僕が最も尊敬する英国人です。ケンブリッジ大の首席で、博覧強記のインテリですが彼の音楽の聴き方はとても趣味が合いました。年上なのでクレンペラーをリアルタイムで聴いていて高く買っておられましたが、理由は「楽譜の奥に隠された secret のありかを知っているただ一人の指揮者」というのです。それは何かときくとcommon senseだと。常識ではなく、彼の意味は文字通り「作曲家と同じ(共通の)センスがある」ということでした。

クラシック音楽は欧州生まれです。それを欧州人の感覚(センス)でないとと言われると日本人は困りますが、彼は「ミツコ・ウチダのモーツァルトは西洋人の誰よりいい」ともいうのです(内田さんは英国人ですが彼には日本人なんです)。英語は忘れましたが、たしか、「昨今は技術がパーフェクトな演奏家は多くいるが、Perfectionism sounds vacant. (センスに欠ける完全主義は空疎である)」ともおっしゃいました。common sense が大事なことは同感です。だから演奏家は何国人でも構いませんがそれを探求する意欲が大事で、こればかりは現地に行かないとどうにもなりません。そういう日本語のツアーがあればお薦めですし、どなたか識者と一緒に回られるのでもいいのではないでしょうか。

僕の場合、12年も住みましたからD.P.さんの意図が何となくわかって有難いのですが、住んだといってもモーツァルトの時代ではないわけですからそれだけでは意味はありません。東京に12年住んでも江戸時代がわかるわけではないのです。そのためには、江戸時代はどんな光景だったのだろう、江戸の町人はどんなふるまいをしていたのだろうと好奇心をたぎらせ、良いサンプルである浮世絵とそれが描かれた現在地を比べて回ってみようぐらいの探求心は必要です。そうやって北斎や広重の絵の流儀を知り、時代背景を知り、観るものの心を鷲摑みにしてきたsecret のありかを悟ることができると思います。

楽譜の話に戻りますと、僕にとってハイドンやモーツァルトの楽譜は、ウィーンを知るための浮世絵のようなものでありました。その音を頭でリプレーしながらウィーンの音楽史跡をくたくたになるまで探索し、そこで時間を過ごし、すでに僕は僕なりの「ウィーンの原像」を心に持っています。確信をこめていいますが、モーツァルトを演奏する人はラウエンシュタインガッセ8番地ぐらいは行ってもらわないと困るんですね。墓地やフィガロハウスじゃないんです、あそこで彼は旅立った、そのずっしりとした悲しい重みをどう自分の中で消化したか、そういうものが演奏に出てしまうのがモーツァルトの音楽なんです。球を転がすような真珠のタッチで弾いたモーツァルトはきれいですが vacant です。

国立歌劇場でパルシファルやこうもり、アン・デア・ウィーン劇場でメリー・ウイドウを聴いたり、ムジークフェラインでニューイヤーコンサートを聴いたり、ウィーンではいろんな機会に恵まれてオペラ、演奏会をたくさん堪能させてもらいましたが、それとこれとは別個のものです。所詮は現代のシチュエーションでの鑑賞ですからね、それを何百聞いてもハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ブラームス、マーラーの時代とは関係ありません。極論すれば、ウィーンで一度も音楽をきいたことがなくとも、好奇心、探求心さえあれば「ウィーンの原像」を心に持つことは可能と思います。

パリでも真夏に丸一日歩き回ったことがあります。メシアンのトリニティ教会、ロッシーニのカフェ、モーツァルト(22才)とショパンの住んだホテル、リストのエラール屋敷、旧オペラ座跡、オッフェンバックが「ホフマン物語」を書いて亡くなった家、リュリの館、大クープランの終の家、モーツァルトがパリ交響曲を初演してアイスクリームを食べたパレ・ロワイヤル、そして彼のお母さんの葬儀をしたサン=トゥスタッシュ教会。現在のオペラ座の近く(1区)ですが、こんなに重たいものが至近距離にごった返してるんですね。漂うのはいまのパリの空気ではない。こういう足で歩いたものは劇場でホフマンを1度聴くよりパリの原像を理解する助けになっています。

楽譜は江戸なら浮世絵と書きましたが、絵描きでない我々が技法のことをあれこれ知る必要はぜんぜんないでしょう。僕は純然たる好奇心から対位法、和声法、管弦楽法の教科書を買って読みましたが、それでグレードの高い聴き手になったという感じはまったくしません。聴き手としては単なるアカデミズムで、耳コピできる方が10倍もご利益がありますからそちらに傾注された方が見返りはずっと大です。ただ、ピアノが弾ける方は二手リダクション版で新世界や未完成を弾いてみるのは一興です。ブルックナーとなると難しいですが好きな方ならしびれることはお墨付きです(petrucciで検索すれば無料で手に入りますよ)。これができるようになったのはビートルズの耳コピの副産物です。ギターが弾けたからです。なんでも結構なので楽器をやることは良い聴き手になる一助だと思います。

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ヘンデル『主は言われた』を亡き女王陛下に

2022 SEP 12 13:13:04 pm by 東 賢太郎

エリザベス女王というと、僕にとっては物心ついた時から女王であり、英国に赴任した時には58才だった。charming だと親しまれ、ビートルズが揶揄してもジョークで返したりのウィットが素敵だった。近くで拝見したことはないが、しかし公式行事での存在感は圧倒的で、英国民の多くは女王が国家の代表であることに納得どころか、誇りを持っていると感じたものだ。

訃報が出ると虹がかかってしまうなんて、どっかの国なら真っ先にヤラセを疑う出来すぎだが、どうやら本物のようだ。天がかけてくれてもむべなるかなというだけの神々しい方だった。その治世下で6年間を過ごさせていただいた者として、深い悲しみを覚える。

我々は皇室があるおかげでそうした風景を見ても自然と思うが、米国や露西亜や中国の国民は必ずしもそうではないだろう。日英では行政官の長に過ぎない大統領や首相が国家元首であるという国々においては、各国の事情の違いはあろうが、選挙で彼らに投票はしても誇りまで感じる人は多数派でないと思う。しかも現状の米国のように僅差で敗れた候補のシンパが半数近いという国で元首に誇りを持てといっても不可能であろう。

当時はロンドン市内で北アイルランド(IRA)の爆弾テロ事件が何度かあったが、国論が真っ二つに割れてのテロや暴動に至ることはなかった。我々駐在員は移民ではないが外国人ではある。政権与党がどうあれその扱いが extreme には振れないだろうという信頼が英国にあったのは、女王のような振れない方が頂点におられ、その人格まで国民に知れて敬愛され、与野党がいくら政争に明け暮れようと、どちらの議員も女王陛下は慕っているという絶妙なバランスがあったことによる。

君臨すれども統治せずとはこのことかと身をもって知った。それこそが安定感のある市民生活を保障してくれるのであり、政権が変われば何がおきるか知れない他の外国ではそこまでのものは感じられなかったように記憶している。おかげで家族が安全に楽しく暮らすことができ、個人的にも音楽会やオペラに通い、週末はゴルフに興じ、英国の政治哲学に関心を持つだけの心の余裕ができたことを感謝したい。そして皆様に知っていただきたいのは、そうした揺るぎなさは我が国にもしっかりとあるということだ。皇室の存在とは言葉にはならない不思議なものである。

女王は我が父より1才半ほどお若い96才だったが、ともに今年逝去ということになると個人的には何か大きなものが過ぎ去っていった観を禁じ得ない。短期間だが徴兵されて耳が片方聞こえなくなった父は息子の米国留学には複雑だろうと思ったが、意外にもそれはなく、英国赴任を知らせると背中を押してくれた。いったん帰国して2年後に辞令の出た独逸赴任は寂しそうではあったが、同盟軍としてということだったのだろう、近くの神社の拝殿でご祈祷をあげて赴任を祝ってくれた。そのお陰あってか独国でのビジネスは順調であり、英国とは別な意味で思い出深く、こちらは3年であったがずっしりと重みのある滞在となった。

英独というと、両大戦のみならず長きにわたる不倶戴天の敵同士である。だからというわけではないが、日本企業でその両国に辞令が出た者というと、当時グローバル展開の最先端を行った野村證券ですら僕が2人目だ。理由は言葉である。英米に留学して独語堪能の者はまずなく、独逸留学でないと管理職での赴任に必要な国家試験を通るのが困難だった(僕がこれで苦労したことは書いた)。だから留学の時点でその先の進路は英独のコースに別れてしまい、興銀にはドイッチェ・シューレがあった。独逸のトップは独逸留学者とならざるを得ない。ポリシーの問題というより人の問題だから、他社、他業界でも同じことで、ほとんどいないはずだ。まして両国で生まれた子供がいる日本人となると我が家を除くとゼロに近いのではないか。

だから僕は欧州の近代史を二分する国家である英国、独国どちらもインサイドに入って9年も観察できたという意味で、極めて稀なチャンスを頂いたことになる。哲学も思想も芸術も、両国民性に照らしてこそ腑に落ちたことがたくさんあり、あれほどの哲学者、科学者を生みながら独国で起きなかった市民革命の内在的エネルギーはどこに向かったのかなど、論文にしてみたいテーマは僕の中に幾つかある。独逸という国家がnation-state(民族国家)かというと、プロイセンとバイエルンからしてのっけから否である。ベートーベンをモーツァルトや R・シュトラウスと同じ独逸音楽と括ることは、一般の音楽愛好家ならともかく、物事を体系的に論じようという人にはナンセンスなのである。ただし独逸語話者として括るなら意味はあり、その言語で思考する人特有の精神風土とでも呼ぶべき共通項は認める。

こう書くことに価値感は一切持っていないことをお断りするが、エリザべス女王が独逸語話者であるというイメージは湧きにくい。もちろんお人柄を知るわけではないから印象に過ぎないし達者であられたろうとは思うが、どうも似合わない。露西亜、土耳古(トルコ)、埃及(エジプト)まで制圧を試みた仏語の破壊者ナポレオンに対抗し、ハプスブルグ復古のウィーン体制ができ、ビスマルクが現れ、ヒトラーが現れた強大かつ異形な独逸語話者圏。これを仏語圏と組んで潰しにかかったのが女王陛下の英語圏(英米)であったと見るのは、歴史解釈としてはやや乱暴ではあるが、我が体感としてはあまり違和感がない。単に微笑んでお手振りするだけではない、知性の高い強い国母であったということだ。

我が国においては日英同盟というものはあったが、露西亜との関係で何度も煮え湯を飲まされる。先の戦争に米国を引き入れて結果として日本に多大な厄災をもたらしたのは英国宰相チャーチルでもある。米国に対して僕は優等な教育を与えてくれた多大な感謝があるが、大戦でされたことの特定の意思決定者たちへの反感は消えず、米国国家への感情はというとやや複雑なものがある。しかし、英国に対してもそうであるべきなのに、自分の胸に聞けばそうなってはいない。これがなぜなのかは前述した6年住んでの体感からなのだろう。ということは、君臨すれども統治せずの王室の存在が大きかったことになるのだ。

日本に帰って22年、皇室について思うことはある。天皇が象徴(symbol)であるという文言は、王室を知らない米国人が書いたものであり、その者たちが King reigns, but does not govern. の reign(君臨)を非キリスト教徒の神道国で天皇制を温存するにあたり、認めるのをためらった気持ちは大いにわかる。それほど日本軍は強く、復活を恐れられる存在だったからだ。そんな杞憂は露と消えたいまになって、日本人やまして皇室がキリスト教に改宗するはずもない条件の下におけるsymbolの解釈はどうあれば国益にかなうのか、 酸鼻な史実を知っている僕を英国ファンにしてしまったエリザベス女王の君臨のありかたというものは学ぶものがあると愚考する次第である。

ささやかではあるが英独に関わった個人史の中で、女王様をお見送りする手は僕には音楽しかない。独逸音楽というわけにはいかないが、英国音楽での追悼はいくらもされるだろう。となると答えはひとつしかない。英独を股にかけた人物、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel)である。独逸人でありハノーファー選帝侯の宮廷楽長であった彼は英国に渡る。ハノーファーに帰る約束があったにもかかわらずそのままイギリスに住み着いてしまい、ジョージ・ハンデルになって大活躍するのである。ハノーファー選帝侯は後に英国王ジョージ1世として迎えられたが、君臨すれども統治せずは英語を話せず慣習も理解せず、政務を大臣に委ねた彼を英国流に半ば揶揄した言葉で、それが「議院内閣制」の始まりになってしまうのだから面白い。

ヘンデルはウェストミンスター寺院に眠っている。エリザベス女王の国葬は9月19日にここで行われる。

女王様には英国で娘二人を授かった御礼として、僕が愛聴するヘンデルの教会音楽『主は言われた』(Dixit Dominus)を捧げたい。後に作曲するオラトリオ「メサイア」の原型を思わせる名作で、歌詞はラテン語の詩篇、演奏は貴国のサー・ジョン・エリオット・ガーディナー指揮によるモンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツである。22才で書いたとは信じられない驚異的に素晴らしい音楽で、こんな俊英の独逸人を終世魅了した英国の偉大さを僕もまた愛してやまない。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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ドビッシー「海」ピアノ三重奏版の快楽

2022 AUG 27 0:00:08 am by 東 賢太郎

葛飾北斎「神奈川沖浪裏」

あらゆるクラシックの中で最も好きな曲というと、間違いなく迷うのはドビッシーの「海」だ。もう50年も聴いているのに飽きるということを知らない。これから週2回ペースで聴いても死ぬまで飽きないことは確実だ。食べ物ならばそういうものはあるが、寿司、スキヤキ、天ぷらは好きだけど週2はきつい。僕の場合はカレーがそれだ。「今晩はカレーよ」といわれ、晩になって別なものに変更されているともうだめだ。レトルトでこっそり夜食してメタボの道を行くことになる。

「海」は僕にとってアポロンでなくディオニソスである。むしろ生理的な快楽であるといっていい。誰にでもそうとは思わないが不思議なスパイス効果があって、冒頭のティンパニの h音のロールが流れ始めると心のある部分が目覚め、心拍数が徐々に上がり、脳内にアドレナリンが回り始め、やがてエンドルフィンだかドーパミンだか快感物質が分泌され、やがて恍惚、金縛りになる。他のことが意識から吹っ飛んでしまうので、目の前で何がおころうと誰に声をかけられようと無反応のトランス状態になっていると思われる。心は空洞になっているのだから、たった25分でこんなにストレスを払拭できる曲もない。

ただし非常に危険でもある。人間に「持って生まれたココロの波長」があるとするなら、始めから終わりまで自分と共振しまくるからだ。要するに、すべての音符が、あらゆる旋律、フレーズ、リズム、和音が「おいしい」。おいしくて仕方ない。僕はいかなる甘言もハニートラップにも屈しない意志の強さは持ち合わせていると自負しているが、「やってくれたら秘蔵の『海』をおきかせしますよ」とそそのかされればやってしまう危険がある。

Debussy “LA MER” 表紙

麻薬的に好きなのは第1楽章のコーダで、ここの強烈な「おいしさ」の具合はとても一言では表せない。フルートとハープが雨上がりに差し込んでくる太陽の光を神の来臨の如くおごそかに暗示すると、ホルンの荘厳な和音があたりをオーロラのように緑白色に照らし、ついに雲が割れて燦燦と陽光が降り注がれる。トランペットとシンバルの閃光が天空を疾駆すると色とりどりの花火が頭の中で打ちあがって目まいがし、高潮すると思いきや静かに治まって幽寂のしじまに消えていく。

そしてこの楽想は第3楽章のコーダでまた自信満々に持ち出されるのだ。極上の美酒のようなあの和声が全管弦楽の強奏で荘厳に唱和され、波しぶきを暗示する音型を従者に従えながら天空をオレンジに染めあげる。まばゆい黄金色の金管にシンバルの銀色の粉がキラキラとふりまかれ、やおら快速で疾走をはじめると、全打楽器が荒れ狂った高波のように打ち鳴らされ、壮麗なトリルで最高潮に達したディオニソスの快楽をティンパニの一撃が毅然としめる。

何という素晴らしいスコアだろう。まるで宝石箱をのぞいたような管弦楽法のワンダーランドではないか。米国の作曲家ウォルター・ピストンは著書「管弦楽法」でこの作品から14箇所も引用し、第1楽章のコーダ直前のイングリッシュ・ホルンと独奏チェロのユニゾンを「両楽器は一つのもののように混じり合い、どの瞬間においてもいずれか一方が目立つということがない」と書いた。これだ。

ほんとうだ。どなたも耳を澄ませばわかる。まるで魔法で新しい楽器を一つ創りだしたかのようだ。

ドビッシーが書いた真に交響的な3つの楽章。これしかないのにかくも驚くべき完成度は何なんだろう。それが言葉の真の意味において、創意に満ち満ちた、今もって聴くたびに新しいと感じさせられてしまうやり方で細部の細部まで精密な工芸品のように彫琢されているというのは人間の気まぐれの仕業にはとても思えない。後期ロマン派のドイツ音楽の管弦楽が厚みをつける「足し算」なら、「海」はどの声部どの和音も厳格に吟味し、楽器を切り詰めてミニマルにする「引き算」なのだ。だからすべての音色の混合に格別の意味があり、クリスタルのような薄水色の透明感がオーケストレーション自体に宿っている。とりわけ第2楽章は頂点のできばえを誇っており、スコアは眺めるだけで一個の芸術品のように美しく、メシアンやブーレーズの作品を注意深く聴く人は、おそらくこの楽章が彼らをも驚嘆させたことが伺えるだろう。

オリジナルの管弦楽版からバージョンダウンするとその味は当然に失われるが、ピアノ2手版、4手版、2台版もこれまた非常に面白い。つまり、スケルトンだけでもピアノソナタとして聴ける魅力的な楽曲であるということだ。ところが先日、ピアノ・トリオ版をyoutubeで初めてきき、これがまた発見だったのだからたまらない。ピアノだけに比べると、Vn、Vcの肉づきの旨味がインパクトを与えていてまた違った味わいになっているのである。管弦楽版では聞こえない声部がくっきりと現れ、意外な音律のずれがあったり、リズムの絡みがこうだったのかと目から鱗だったりする。

Boston Trioの腕前は充分で、このライブ録音のできばえについてああだこうだ野暮なことを書くのはやめておく。それよりなにより、3人の優れた音楽家がこのバージョンをやろうと思ってくれた瞬間にもうブラボーである。

Mov1

Mov2

Mov3

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ルーセル バレエ音楽「蜘蛛の饗宴」作品17

2022 AUG 25 9:09:30 am by 東 賢太郎

英国からもドイツからも、列車や車でフランスへ入るといつも感じた。キラキラ輝く畑の光彩に感じた胸のときめき。あれは同じフランスでも飛行機でド・ゴール空港に着いてパリの雑踏に紛れては味わえない不思議なものだ。外国はほんとうにいろいろな処に行かせてもらったが、車で真っ暗な砂漠の丘を越えると忽然と現れた巨大な光りの玉みたいなラスヴェガス、車で長い長い橋を何本も渡り、やはり丘を越えてぽっかりと視界に浮かんだキーウエストの不思議な期待に満ちた遠望と同様に、フランス入りの欣喜雀躍は僕の記憶の中では特別なものになっている。

ニース近郊のサン・ポールの丘の上から眺めた地中海、カプリ島の断崖の頂上で昼食をとりながら虜になった紺碧のティレニア海、ドゥブロヴニクの高い城壁からため息をつきながら眼下に見とれたアドリア海と、できれば生きてるうちにもう一度味わいたい風景はいわば「静物画」だ。フランス入りは少々別物で「動画」であり、動きの中から不意に現れた驚き(aventure、アヴォンチュール)の作用というものである。不意であるから恋人との出会いのように一度きりで、流れ星を見たら消える前に祈れというものだ。そう、あれは思いもかけず心地良く頬をなでる風なのだ。

そんな希望をもたらす風のことをフランス語でvent d’éspoir (ヴァン・デスプワール)という。生きていれば誰しも何かのBeau(ボー、美しい)、movement(ムヴマン、動き)を見ているだろう。夕暮れの太陽、流れる雲、小川のせせらぎ、正確に時を刻む時計、競走馬の駆ける姿、みな美しいが、やはり人間の整った肢体が見せる統制された動きは格別だ。それはバレエやスケートはもちろんあらゆる一流のアスリートの競技姿に見て取れる。訓練した舞台人による動きもそうであり、そうした演技を抽象化、象徴化したパントマイム(無言劇、大衆的な笑劇)は古典ギリシア語 pantomimos に発する古代ギリシアの仮面舞踏であるが、初期イタリアのコンメディア・デッラルテが大道芸になり、そこから生まれたものだ。

笑劇、残酷、妖艶。これが融けあった「美(beauté ボテ)」というものは動画でしか表せない特別なものだ。それになるには人が蠢いて生み出すエロスが必要で小川や時計や馬ではいけない。仏語を書き連ねたが、その語感はゲルマンにもアングロ・サクソンにもなくラテン起源のもので、ラテン語は知らないのでフランス語の “感じ” で表したくなる。ニューヨークで全裸ミュージカル『オー!カルカッタ』を観た。初めから終わりまで登場人物は全員が全裸でダンスやパフォーマンスをくり広げる。それはそれで美しい場面がたくさんあったが、あの健康なエロスはからっと乾いたアメリカンなものだ。笑劇、妖艶はあっても残酷を欠くのである。ローマ皇帝を描いた映画にある残酷さ。死と向き合った快楽、その裏にある人間というはかなく愚かな生き物の露わな生きざま。これをへたに理性で隠し立てしないのがラテン文化であることは多くのイタリア・オペラの筋書きを見ればわかるだろう。

ラテン民族である「フランス人」という言葉は多義的で民族的ではなく、植民地をすべからくフランス文化圏にしようとした汎フランス主義の産物とでもいうものだ。スペインもそうで、南米でインカ帝国を殲滅した残虐さは目に余る。現地文化を同化することなく認め生かした英国の植民地政策とは対極にあり、大陸において日本軍が参考にしたのは仏国式だったといわれるが大きな誤りだった。欧州におけるフランス文化圏の東側はライン川だが、その西岸にいたゲルマン系にそれが被さって混血が進んだ地域がベルギー、オランダ、ルクセンブルグのベネルクス三国である。言語も宗教もしかりだ。ベルギーの首都ブリュッセルは当初はオランダ語を話すゲルマン民族のフラマン人が多かったが今はフランス語話者が多数であり、私見だがブリュッセルのフレンチ・レストランはパリに劣らぬクオリティだ。

Albert Charles Paul Marie Roussel

そういう複雑な文化、宗教の混合がアマルガム状となった結末という意味でのフランス音楽というと、僕の脳裏にまず浮かぶものにアルベール・ルーセル(Albert  Roussel、1869 – 1937)のバレエ-パントマイム「蜘蛛の饗宴」がある。蜘蛛が嫌いなためジャケットもを見るのもおぞましかった当初、この曲がこんなに好きになろうとは想像もしなかった。ドビュッシーが7つ年上、ラヴェルが6つ年下のルーセルはベルギー国境の街トゥールワコン出身、フラマン系のフランス人である。海を愛し、18才で海軍兵学校に進んだ経歴の持ち主で、中尉に任命されて戦艦スティクスに配属され当時はフランス領インドシナだった地域(現在のベトナム)に赴き、そこに数年滞在した。海軍の軍人だった作曲家はリムスキー・コルサコフもいるが、軍人の志と音楽愛は別物というのは僕もわかる。第一次世界大戦が始まると敢然と戦地に出て運転手を努めるのだから軍人の志も半端なものではなく、いわば二刀流であったのだろう。

しかし同時就業は無理である。音楽愛が勝った25才で退役し音楽の道に進むことになる。そしてもう中年である44才の1913年4月3日にパリのテアトル・デ・ザールで初演されたこの曲は成功し、堂々パリ・オペラ座のレパートリー入りを果たした。この道は王道なのだ。シャンゼリゼ劇場でいかがわしい興行師ディアギレフがやってる際物のロシアの踊りとは違う。そういう中で5月29日に「春の祭典」が初演されたが、両曲のたたずまいを比べるならそっちの騒動は納得がいくというものだ。1918年にドビッシーが亡くなるとルーセルはラヴェルと共にフランス楽団を率いる存在になるが、ラヴェルとは対照的に交響曲(4曲)および室内楽のソナタ形式の楽曲が多いのはゲルマンにも近い北フランスの血なのだろう。彼の音楽の色彩を考えるに、大戦後はノルマンディーに居を構えたことは示唆を与える。この地というと僕はロンドン時代の夏休みにドーヴィルのホテルに泊まってモン・サン・ミッシェルへ行ったときのことが忘れられないが、海は地中海のようには青くなく灰色で、波もなければきらめいてもいない。それでも、海がもっと青くない英国人は競ってここに避暑に行くのだ。彼の管弦楽はラヴェルと比べるとそういう色だと思う。

この曲の冒頭、d-aの五度に弦がたゆとうBm-Amの和声。これにふんわり浮かんで歌う、ふるいつきたくなるようにセクシーなフルートのソロはこの楽器の吹き手なら誰もが憧れるものではないか。

ここの効果たるや音というよりも色彩と香りが際立つ。これぞフランスに入った時に感じるあのときめきを思い起こさせてくれる。何度だって行きたい。だから蜘蛛がこわい僕がこの曲を愛好するのは仕方ないのである。しかしこのフルートは庭で昆虫が女郎蜘蛛の巣に誘い込まれる「いらっしゃいませ」の様子を描いているのだから恐ろしくもある。音楽は庭の昆虫の生活を描いており、昆虫が蜘蛛の巣に捕らえられ、宴会を始める準備をした蜘蛛が今度はカマキリによって殺され、カゲロウの葬列が続いて「いらっしゃいませ」の回想から平穏で静かなト長調のコーダになり、チェレスタとフルートのほろ苦い弔いのようなa♭が4回響いて曲を閉じる。何度きいても蠱惑的だ。フランスの昆虫学者ジャン=アンリ・ファーブルの昆虫記にインスピレーションを得て書かれたバレエ-パントマイムは笑劇、残酷、妖艶の大人のミックスという所である。

無声劇の痕跡として音楽が昆虫の動きを追って素晴らしく animé(生き生きと快活)であり、デュカの「魔法使いの弟子」を連想させる。このままディズニーのアニメに使えそうな部分がたくさんある。また、誰も書いていないが、オーケストレーションはリムスキー・コルサコフ直伝というほど僕の耳には影響を感じる(シェラザードと比べられたい)。もうひとつ、非常に耳にクリアな相似はペトルーシュカ(1911年、パリ初演)である。ルーセルは当然聴いているだろう。彼の楽曲の真髄は表面的な管弦楽法にはないが、パリに出てきた北フランス人として興隆し始めていたバレエ・ルッスのロシアの空気は無視できるものでなかったろうし、別な形ではあるがバスクの血をひくラヴェルもリムスキー・コルサコフの管弦楽法およびダフニスの終曲にボロディンの影がある。

全曲版と抜粋版(交響的断章)がある。

全曲版

第1部

前奏曲 Prélude

アリの入場 Entrée des fourmis

カブトムシの入場 Entrée des Bousiers

蝶の踊り Danse du Papillon

くもの踊り 第1番 Danse de l’araignée

アリのロンド Ronde des fourmis

2匹の戦闘的なカマキリ Combat des mantes

くもの踊り 第2番 Danse de l’araignée

第2部

カゲロウの羽化 Eclosion et danse de l’Éphémère

カゲロウの踊り Danse de l’Éphémère

カゲロウが止まる Mort de l’Éphémère

カゲロウの死 Agonie de l’araignée

カゲロウの葬送 Funérailles de Éphémère

 

交響的断章

アリの入場 Entrée des fourmis

蝶の踊り Danse du papillon

カゲロウの羽化 Eclosion de l’éphémère

カゲロウの踊り Danse de l’éphémère

カゲロウの葬送 Funérailles de l’éphémère

寂れた庭に夜の闇は降りる La nuit tombe sur le jardin solitaire

 

​ルーセルは虫眼鏡で観察するほどの虫好きだった。アリ、カブトムシ、蝶を食いながら生きる蜘蛛、そしてカマキリ。これは人間界の生態に擬せられる。懸命に羽化して踊って生を楽しみ、すぐ命が尽きるカゲロウ、これもはかない人間の姿の象徴だ。そしてカブトムシが蜘蛛の巣にいったん捕獲されていたカマキリを逃がし、饗宴の準備をしていた蜘蛛を食ってしまう。これが世だ。こうして笑劇、残酷、妖艶はひとつになるのである。

演奏時間は全曲だと約30分、断章はその半分ほどだ。火の鳥、マ・メール・ロワと同様だ、これだけの素晴らしい音楽はまず全曲版を聴かないともったいない。

 

デービッド・ソリアーノ / ユース オーケストラ ・ フランス

全曲版だ。とても美しい。フルートの彼女、とっても素敵だ。これぞフランスの音。若い奏者たちが母国の美を守ってることに感動する。アンサンブルの水準も高い。指揮のソリアーノにブラヴォー。

 

アンドレ・クリュイタンス / パリ音楽院管弦楽団

交響的断章なのが残念過ぎるが、僕はこの演奏で曲の真髄に触れた。冒頭フルートの官能的なけだるさ!あっという間に魅惑の虜である。オーボエ、ホルンのおフランスのおしゃれ、チェレスタの目くるめく光彩に耳を澄ませてほしい。木管はもちろんハープの倍音まで効いていて夢のような17分が過ぎてゆく。西脇順三郎の「(覆された宝石)のやうな朝」はこんなではないか?なんということか、モーツァルトのコシ・ファン・トゥッテの6重唱のように木管があれこれ別なことをしゃべっている。アンサンブルが雑然となるが節目でピシッと合う。パントマイムの面目躍如。こういうのはフランスのオケでないと無理だが、フランスだって今時はこうはしないよ。ドイツ風に縦線を合わたアンサンブルでは綺麗にまとまるが毒にも薬にもならない。それでおしまい。この毒にあたるともう抜け出せない。

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ジョリヴェ「赤道コンチェルト」(1950)

2022 AUG 22 22:22:42 pm by 東 賢太郎

二十歳ぐらいでストラヴィンスキーとバルトークは聴いていて、ちょっと飽きた。もっと何か面白い物はという冒険心で新ウィーン学派を片っ端から聴いたが、どうもしっくりこない。後にブーレーズ盤を知りスコアを追うと幾つか新発見がやってくるが、まだ無調に美を見出す耳がなかったということだろう。

アントルモン盤

そのあたりで出会ったのがアンドレ・ジョリヴェの「赤道コンチェルト」だった。当時、フィリップ・アントルモンが作曲者の指揮で弾いたCBSのレコードが、確かにそういう名称で売られていた。ところが調べるとジョリヴェの作品目録にそんな曲はない。ピアノと管弦楽の協奏曲はひとつしかなく、題名は、

Concerto pour piano et orchestre

(ピアノと管弦楽のための協奏曲)である。その後、そのレコードは廃盤となり「赤道コンチェルト」はレコード屋からも姿を消すという不思議な事態が続いたのだ。本稿はその経緯を推察するものでもあり、あえてそれをタイトルとしておく。

作曲は1946年にフランス国営放送から植民地に取材した作品を委嘱されたことが契機だ。WW2における仏国はパリをドイツに占拠される屈辱を味わう。それを奪回したのはアルジェリア、チュニジアなどのフランス植民地で戦ったド・ゴールであり、パリに凱旋した彼を賛美する流れの中での委嘱と思われる。1951年のストラスブール初演は聴衆の怒号、口笛を巻き起こしたという逸話も残っているが、春の祭典のそれになぞらえれば成功したのかもしれない(注)。

同曲がアフリカを意識して書かれたことは間違いなかろうが、仏国植民地で赤道にかかっている部分はほとんどない。つまり、そこからして「赤道コンチェルト」なる命名は的外れであり、アバウトな人が思いついたものだとしか考えられない。さらに、それは西洋人ではなかろう。なぜなら、赤道というと「赤」の文字が映える日本語では熱帯のジャングルなど絵画的イメージが浮かぶが、equatorというと左様な情緒的ニュアンスは皆無で、単なる北半球と南半球を二分する「理論上の線」である。「均等分割線コンチェルト」という感じで、そんなものが作曲家のイマジネーションを刺激するとは思えない。「赤道」「怒号」で春の祭典みたいにどんちゃんやるイメージを売るマーケティングなのだったらその人は春の祭典の価値もどんちゃんだと思ってるわけで的外れも甚だしい。

おそらく「赤道コンチェルト」は日本のレコード会社の売らんかなの命名で、ショスタコーヴィチの5番という革命礼賛でも革命的でも何でもない曲に堂々と「革命」の名をつけてしまうのと同等のトンチンカンな一例と思われ、作曲者か仏国権利者から指摘があって破棄したのではないかと想像する。「運命」、「合唱」もベートーベン本人のあずかり知らぬ名だ。日本において両曲はそれで知られてしまっているが、こちらはもうクレームする権利関係者はいない。売れればまあいいかというアバウトな極東の極地現象であるとはいえ、「運命」「合唱」のノリで「ベートーベン像」なるものができて大多数の人がそれをイメージして分かり合っている閉じた言語空間において、立派なインテリが「この演奏はベートーベン的でない」などと平然と論じて誰も何とも思わないのはある意味で凄いことである。アントルモン盤は図書館で聴いたが、どうもそうした疑念がにおってしまい買わなかった。

音をお聴きいただきたい。春の祭典を思わせるポリリズムが炸裂すると思えば、第2楽章はバルトークの第2協奏曲を思わせる抒情で神秘感を漂わせるといった具合で実に多彩である。

後にCDの時代になってジョリヴェのほとんどの作品を聴くことができるようになったが、彼はひとことで言うなら「赤道」に限らず作風自体が多彩で代表作を選ぶのが難儀という作曲家である。エドガー・ヴァレーズの弟子であり打楽器を交えた実験的音響に創意がある。しかし主旋律または主役となる楽器を置いて伴奏する古典的発想はそのままで、新ウィーン学派が十二音の「主」という概念を葬ろうとしたような原理的アヴァンギャルドではない。同曲の第2楽章に見られるような「雰囲気の醸成」(アフリカンな)は幻想的ではあるがリアリズムあってこそのシュルレアリズムという観があり、ストラヴィンスキーが春の祭典第2部の冒頭でくり広げた、何ら依拠する前例のない、我々の誰もがつゆ知らぬぎょっとするような異界の展望ではない。「革命」と呼んでよいのはこういうものだけだ。

よってジョリヴェの作品に協奏曲の比重が高いのは説明がつこう。旋律を横の流れやクラスターに埋没させず、独自の感性で調性から自由にした和声(フランス人の発想らしいもの)でそれをどう彩るかという点を外さない作法だからだ。メシアンのように横の線における旋法のような素材の縛りはなく、打楽器の多用もストラヴィンスキーのようにリズムを自己の音楽の本源的な骨格として据える音素材としてというより音彩に関心を置くためのように思える。

André Jolivet (1905-74)

つまりWW2後の作品としてはアントルモン盤のキャッチコピーが宣伝したほど衝撃作ではなく、既存の技法を好みに応じて巧みに料理し、異教的・呪術的な雰囲気を紡ぎだした作品といったところが僕の評価になる。それはそれで個性なのだから決して悪いわけではないが、それを知って聴いてみると、ピアノが打楽器として機能するため彼の作品の中核となる主旋律または主役の特性がいまひとつになっている。これが怒号、口笛で演奏が危うくなるとは意外で、それなら1949年のトゥーランガリラ交響曲や1955年のル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)の初演でも起こっていそうだがそういう話はない。ボストン、バーデンバーデンの聴衆よりストラスブールのほうが保守的でレベルが低かったということはなさそうに思うのだが(注)。

(注)「赤道」については仏領赤道アフリカ(Afrique Équatoriale Française)由来の可能性はある。ヴィシー政権につかない自由フランスのアフリカにおける活動拠点の名称であり、この曲の委嘱の目的がド・ゴール礼賛という政治的なものであったとすればアルザス・ロレーヌの中心ストラスブールでドイツへの示威、当てつけで初演され、反対派が野次を飛ばしたと考えることができる。いずれにせよ、ジョリヴェの作品の芸術的価値にはふさわしくないと思料する。

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オリビア・ニュートン=ジョン「そよ風の誘惑」

2022 AUG 15 12:12:38 pm by 東 賢太郎

何をやっても挫折挫折の暗黒期だった高校時代、そして、俺は何をやってるんだろうと迷う退屈男だった浪人時代を終え、昭和50年に晴れて大学生になれた僕にとって、FMで耳にしたこの人の澄んだ歌声はまさにそよ風だった。いろいろ思い出がある。まず見たこともない金髪美人である。さらに名前が変てこりんだ。オリビアはいい、ニュートンもファミリーネームでわかるが、ジョンって男名は何だ?いちいちこういうことが気になりながらも、この歌はすぐに気に入った。当時の僕にとって絶対的な歌姫はカレン・カーペンターで歌唱は及ぶべくもないが、この人の透明でなんだか素人っぽい歌声は、それはそれで可愛らしかった。その後にそこかしこのカラオケで聞くことになる日本人女性の喉声によるこの歌だが、ご本尊自身が先駆的な存在であったといえよう。伴奏セクションもカーペンターズの大理石みたいに盤石の造りに比べると隙間だらけでほのぼのだ。勉強に疲れていた僕は素朴なそれがリラックスできて好きだった。タイトルのHave You Never Been Mellowは「あなた、まったりしたことってないでしょ?」ぐらいのもんで、まるで当時の僕にふさわしい。大流行したこの歌が聞こえるたびに耳を澄ましてまったりさせてもらっていたが、歌詞の意味はぜんぜんわかってなかった。レコードは買ってない。買ってもよかったが、もう難解な音楽をたくさん聴いてしまっていた僕として、オリビアさんのLPを抱えてファンですなんて公言することは自分が許してくれなかった。難しい年齢だったんだ。

容姿にそういうイメージがあったんだろうか、今の今までフォークかカントリー好きの市井のお姉ちゃんと思ってたこの人、wikipediaを見たらなんとあのマックス・ボルンの孫であった。ニュートンじゃなかった。量子力学の確率解釈でノーベル賞をとったドイツの理論物理学者である。アインシュタインの歴史的名言「神はサイコロをふらない」は親友ボルンへの手紙の一節なのだ。そうか、ユダヤ系ゆえにナチを逃れて英国に亡命したんだね。さらに彼女の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授で、曾祖母の父は法学者のルドルフ・フォン・イェーリング。凄い血筋だ。そんなやんごとなきお方がこうしてお歌で癒してくれていたなんてもったいない。まあそんなことは日本ではどうでもよく、歌姫さんのイメージにはどうかというのもあったろう、報道もされなかったと思われる。

これが実物

もうひとつwikiで知ったが、この曲を書いたジョン・ファーラーはクリフ・リチャードのバックバンドだった「シャドウズ」にいた(後期の方だが)。懐かしい。4ピースのバンド編成を確立したパイオニアで、ビートルズ登場以前に英国のポピュラー音楽シーンをリードしたのはシャドウズだった。カリフォルニアの同じ編成のサーフ・バンドだったベンチャーズとはレパートリーも重なり、その例として「アパッチ」がある。小学校4年ごろ、僕はその曲に完全にハマってしまったが、レコードが擦り切れるぐらい聴いていたのはベンチャーズのカバーのほうだった。そのEP盤の解説に「オリジナルはシャドウズ」と書いてあるのが滅茶苦茶に気になっていて、成城学園の駅裏にあったレコード屋で青いジャケットのそれをついに見つけだし、お年玉をためた大枚500円で親には内緒で買ってしまった。これはクラシックのクの字も知らなかった僕が後に猛烈に熱中することになる「同曲異演盤のきき比べ」の記念すべき第1号であったが、そういうことをするのがコモン・プラクティスであるクラシックの雑誌等で知って始めたことでなく、誰に教わったわけでもなく、10才の「本能」で始めたことだったのだ(ベンチャーズ 「アパッチ」)。

「そよ風の誘惑」のコード進行は清水の流れのようにきれいだ。ハ長調。このまっさらな感じも彼女によく似合う。ド・シ・ラ・ソと白鍵を順番に下がるバスの有名な例はサージェント・ペパーズの「A Day in the Life」(ト長調、1967)である。いとも自然な歩みであるのが、サビの入り口でイ短調の翳りを入れ、少々ギターっぽい無理くり感で変ホ長調になる。こういうのはカーペンターズもあるしそれはいい。問題はこれをどうやってハ長調に戻すかだ。いったんCに戻るには戻るが、もしそこでそのまま頭のメロディを出してたらこの曲はヒットしなかったことを僕は確信するしかない。そうでなくCmaj7を経てC7にして、今度は聴き手の心を明るくして希望を与える効果のあるサブドミナントのヘ長調に転調し、心弾むサビのメロディを2度繰り返して強いメッセージとして全曲の頂点を作る。そして十分な納得感をもってハ長調に戻るのだ。

8月8日にオリビアさんが亡くなったというニュースを見て、50年近く前の若いお姿のまま時計が止まっていた僕は、Have You Never Been Mellowを何度も聴いて当時をしのんだ。73才。7才上のお姉さんである。心からご冥福をお祈りしたい。

 

 

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ニッチ楽団CDの絶滅(サンサーンス3番)

2022 AUG 12 20:20:24 pm by 東 賢太郎

パリのマドレーヌ教会というと行かれた方も多いだろう。オペラ座からコンコルド広場に向かう間にあるこの教会はどう見てもギリシャ神殿としか見えない。カトリック教会となる予定だったがフランス革命の勃発で建設が滞り、ナポレオンが軍の記念館にすると決めてこの姿になってしまったが、後に鉄道駅となり1845年に本来の教会としたためである。

マドレーヌ教会のオルガン

マドレーヌとは聖マグダラのマリアのことだ。ここで葬儀を行った著名人は多い。ショパン、サンサーンス、オッフェンバッハ、グノー、フォーレ、ココ・シャネル、マレーネ・ディートリヒ、ジルベール・ベコー、チッコリーニの名がみえる。フォーレはこの教会のオルガニスト(1896-1905)であり、レクイエムはここで彼の指揮により初演された。また。サンサーンスもここのオルガニストを弱冠23才であった1858年から19年つとめており、オルガン作品を書いているが教会に拘束されることは望んでおらず、辞めて自由の身になるとオルガンは弾かなくなった。その彼がロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会(ベートーベンに第9を書かせた団体)の委嘱で第3交響曲を書いたのは1886年、51才の時である。当時のフランスにはオルガンのある演奏会場がなかったがロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにはあった。そこで3番の構想ができたと思われる。なれ親しんだマドレーヌ教会のオルガンの音はもちろん頭にあっただろう。

CD棚を眺めていると、サンサーンスの第3交響曲に目が行った。前稿に書いた歌「ハナミズキ」の出だしが同曲第1楽章後半に出てくるオルガンの旋律を思い出させたからだ。すっかり忘れていたが、こういうCDがあった。

マルク・スーストロ指揮 / ロワール・フィルハーモニー管弦楽団

このCD、オルガンはマドレーヌ教会だ(意外にない)。管弦楽を先に録音し翌月にオルガンを二重録音しているのは教会の残響が長く録音バランスが難しいせいだと思われる。

レーベルは自国ものにこだわりのあるフランスのForlane(フォルレーヌ)である。ロワール・フィルはアンジェ(Angers)とナント(Nantes)を本拠とするオーケストラ(後者はナントの勅令のナント)。どちらもフランス西端部、ブルターニュ地方、ロワール川河畔のそれぞれ人口15万、30万の都市だから日本なら東村山市、久留米市というところだ。

このCDは94年夏に避暑旅行で滞在したスペイン(アンダルシアのマルベージャ)で、同レーベルのラヴェルと一緒にみつけ、喜び勇んで買った。こういう出会いの思い出は何百もあって、クラシック音源蒐集こそ我が人生の最大の喜びの一つであり、これを提供してくれた音楽業界には感謝しかない。だからヨーロッパを旅してレコード屋をのぞかなかったことはないし、オランダでは中古LP屋をめぐって漁ったし、こういう地方オケの有名曲録音CDにはどうしようもない魅力があって見つければ曲に関わらず全部買った。そのために観光地訪問のひとつやふたつ犠牲にするのはざらだった。特にフランスは地方オケの方がパリ管などメジャーオケよりローカル色があって僕にはたまらず、仮に同じ都市で同じ日にフランス物でロワール・フィルとベルリン・フィルの演奏会がぶつかったら迷うことなく前者を選ぶ。

なぜかというと、僕はこう信じている。音楽は食に似る。食はその土地で地産地消するものがいちばん美味である。鮒ずしは琵琶湖、八丁味噌は名古屋、もつ鍋は博多、小肌は東京、まる鍋とぐじのかぶら蒸しは京都、きりたんぽ鍋は秋田、うどんは讃岐、いかは呼子、しじみ汁は島根、鯛めしは宇和島、たこ(焼)は明石、つけあげは薩摩、芋煮は酒田、干しくちこは能登、かつおたたきは高知、ワサビは有東木、ざっと思い出しても以上は譲れないし、日本人のてっぱんと言ってしまっても許されるのではなかろうか。同じ路線で僕はアジアの国々では、公式の会食でないフリーの時は屋台のB、C級メシを食べた。地元の人が旨いと食らうものは旨いし、民族を知るには一番で商売にもプラスなのだ。

なぜ音楽は食に似るかというと、唄というのは他のどのアートより「土地のもの」であり、米や酒が土地の水の恵みであるように民謡は村人の呼吸から生まれ、子守唄は母親が歌わないと子は寝ない。ドイツ語圏に5年半住んで、ここからラヴェルは出ないと確信に至ったのは土地の人と深くお付き合いしての結論だ。ドイツでもボレロは上手に演奏するが、ペレアスとなると、あれをドイツ語で上演されても食欲はわかない。とすると両者の間のどこかに「越えがたい一線」があるはずなのだが、それがどこかというと関東と関西の間のどこで蕎麦の汁の色が変わるか誰も知らないという話になってしまう。でも、在るものは在るのだ。

カラヤンが手兵ベルリン・フィルでDGに録音した豪華・豪壮なサンサーンスの3番があるが、あれはドイツ語のペレアス同様に奇異なものと僕には聞こえる。もちろん演奏技術の冴えにおいてロワール・フィルの敵でないのは言うまでもない。しかし、それより「土地の水かどうか」の問題は何倍も大きく、それを度外視した処にしか立脚し得なかった百科事典派のカラヤンはそうするしかなかったと推察する。僕が初心者のころ、志鳥栄八郎氏という評論家がレコード芸術の管弦楽曲担当だった。この方は一貫した「お国物主義」で、ドボルザークはチェコ・フィル、ラヴェルはパリ音楽院O.を推していた。ショーペンハウエルの観念論を読んでいた僕には「名曲アルバム」の文字版にすぎず完全無視していた。しかし長い欧州勤務の旅路を終えてみると、それは一理あったのかなと思うようになっている。

有東木のワサビの苗を東京に持ってきて科学の粋を尽くした最適栽培条件で育ててみても、東京の水ではおそらくあの味にはならないだろう。ロワール・フィルは知名度がなくCDが売れないので起用せず、フランス物は全部ベルリン・フィルで録音しようとレコード会社が決めるなら、いずれクラシック音楽の苗はどれも均一の味のワサビに育ち、姿はまっすぐでスーパーに並べると主婦の目にきれいにできあがるだろう。だが「チューブ入りの方が簡単でいいよね、安いし味はかわらないし」とそっちが売れてしまうだろう。味は大きくかわるのだが、わからない人が増えると市場は多数派の価値観に寄っていく。東京のスーパーの鮮魚、野菜のコーナーはみんなそれだと友人の地方出身者は口をそろえる。

恐ろしいことだが、いまそういうことが鑑賞サイドのクラシック音楽界で起きつつある。ロワール・フィルの3番をネットで探してみたが、廃盤で入手はできない。有東木のワサビなのに。するとこれから音楽鑑賞の世界に入ってくる青少年はそれにふれる機会はない。市場に出るのは全部が名門の「グローバル・エリートオケ」による「チューブ入りペーストわさび」になるから彼らはワサビが水生の植物の根だということすら知らない大人になるだろう。神田の藪蕎麦が、どうせもう今の客はわからないしとペースト導入に走れば、江戸時代から続く名店の文化は消える。ちなみに僕はロワールのCDをyoutubeにあげてみたがPVの伸びを見るに食いつきはいまいちであり、そういうことが起きつつあるのは何も日本だけではないと知る(英語で書いてるのでむしろ海外動向がわかる)。ナントの若者が地元のオケの音色にアールヌーボーの香りを感じて愛でるなんてことは、少なくとも商業的にはもう期待できないのだ。オケはポケモンか鬼滅の刃のバックミュージックのメドレーでも演奏した方が客が入るなんて時代がすぐそこに来ている。

ロワール・フィルのようなニッチな演奏団体の録音は収集家にはレアな魅力があり、きっとマドレーヌ教会のオルガンが聴ける価値にも気がついて買ってくれるだろう。そう期待してコストをかけて1984年にこのCDを製作したフォルレーヌという会社は潰れた。理由は2つある。1つ、当時の購買層が寿命で死んでしまった。2つ、クラウド時代で収集家が消滅した。この不可逆的な現実を前に、この事業に資本を出す投資家はいない。日本のオケならクラシック好きで採算に甘いスポンサー企業を探すか、地元の政治家に取り入ってふるさと納税アイテムにしてもらうか、クラウドファンディングで自主制作することもできようが、フランスの田舎のオケに寄付をしてCD1枚もらいたい日本人がそんなに大勢いるなら呼び屋がもうとっくに同楽団を来日させている。

スペインのCD屋で観光をすっぽかしてこのCDを探し出し、その感動と喜びを28年も忘れずこうしてブログまで書こうという僕のような物好きは、かつているにはいたが、世界広しといえどもそうたくさんは残っていると思えないというのが諸事を観察した結論である。従って、冷徹な資本主義の原理下において、こういうCDが市場に次々と現れる桃源郷はもう二度と現れない(これが録音された1984年はCDが新メディアとして鳴り物入りで登場し、その市場がブルーオーシャンに見えていたのだ)。ということは、僕がタワーレコード渋谷店の売り場で時間を費やしても何もいいことは起きない。だから行かない。そこで何千枚も買ってきた僕のような客がもう見限って行かないのだから、音源製作はしないレコード店は既発売音源を値引きしたりまとめ買いさせたりするしか手はなく、やればやるほど客の自宅のCD棚は積んどく状態が進行しますます売れなくなる。

唯一、期待があるとすればクラシックにまっさらな若者にホンモノのワサビの味を覚えてもらって市場に来てもらうことだが、知的好奇心旺盛な子がそれを自ら発見する手立てとなるニッチ楽団のCDは絶滅し、醍醐味を手引きしてくれる先生もいなくなった。それでもクラシック好きは一定数は必ずいる。いなくなるわけではない。しかし、彼らが望んだところで供給側の資本家が利益が出ると信じなければ事態は変わらない。すると、その一定数だけがちんまりとした市場であり、そこで売れる範囲内の投資しかしない。市場にはリスクの少ない誰が見ても折り紙付きのブランド楽団・ソリストによる「定盤」しか並ばず選択の余地はなくなり、名曲喫茶のお決まりの『名曲』みたいなものがクラシックだという固定概念が昭和時代のように復活し、文化は後退し、聴衆は自分の耳はふさいで他人の耳で音楽鑑賞するようになる。オケの演目はポテトチップのキャッチコピーみたいな軽さでチケットが売れる曲と年の瀬のお祭りである第九だけになり、ピアノリサイタルはショパンばかりになり、需要側の量と質の低下が供給側のそれをますます侵食するという縮小均衡のサイクルが作動する。かくして、舌が肥えてない若い住民の多い街に旨い飯屋はできないのである。

僕はレコード、CDを芸術品として買ってきた。1割引きなら買わないが2割なら買おうなんてものはそもそもがアートというに及ばないバッタ物であり、現に中古屋ではそれがバッタ物の値段で流通しており、それが市場プラクティスになれば決してそうではない本格派の優良CDまで価値を毀損してしまうだろう。さらに、サブカル、エンタメとしてクラシックにハマってくれている大事な既存客を、その路線をさらに進めて購買欲を刺激しようとすると、狂乱のエンディングとか爆演指揮者じゃないとコーフンしないなどというアダルトビデオまがいの世界観に踏み込んでいくことになろう。50年も前から我が人生を彩ってきたレコード屋散策の楽しみはこの世から消えた。

 

(これもそう)

フォーレ「マスクとベルガマスク」作品112

 

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