今年の演奏会ベスト5
2022 DEC 28 23:23:43 pm by 東 賢太郎
コンサートというと2020年1月に行ったきりで3年もロスしましたが、今年は思い切って行きました。10月からのランキングにすぎませんが書いておきます。
1位 マケラ指揮パリ管(ドビッシー「海」)
2位 パスカル・ロジェのリサイタル(フォーレ、ラヴェル、ドビッシー)
3位 ティーレマン指揮ベルリン国立歌劇場管(ブラ1~4)
4位 インバル指揮都響(フランク交響曲ニ短調)
5位 インバル指揮都響(ブルックナー4番・第1稿)
(番外)マルティン・ヘルムヒェンのアンコール(シューマン「予言の鳥」)
パリ管ではたまたま隣席だった医師の先生と名演がきっかけで話しがはずみ、ロジェではイマジンの西村さんと久しぶりの音楽談話に花を咲かせました。そういうこともない3年だったのでとても楽しみました。
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ルロイ・アンダーソン 「舞踏会の美女」
2022 DEC 24 11:11:21 am by 東 賢太郎
今年もあっという間にこの季節になってしまいました。恒例のルロイ・アンダーソン名曲シリーズ、まだまだ良い曲がたくさんあるんです。舞踏会の美女 (Belle of the ball)、タイトルからして蠱惑的!大好きでいつでもききたい曲です。いきなり弦のざわめきに乗ってホルンが高らかに麗人の登場を告げます。天井の高い舞踊会場。眩いばかりに煌めくシャンデリア。香水の匂い。着飾った人々を見おろしながら、大階段をしゃなりしゃなり降りてくる令嬢。目をつぶってきくと風景がありありと浮かんで、いつきいても音楽の力ってすごいなあと思うんですね。ちなみにこのホルンがトランペットじゃだめなんです。王様か王子様(男性)の登場になっちまう。こういう楽器選択の妙をベルリオーズ、リムスキー・コルサコフが管弦楽法(orchestration)として技法化してます。高校時代に関心があって米国の作曲家ウォルター・ピストン著「管弦楽法」を熟読しました。
何の役にも立ちませんでしたが、欧米の金融界で「あんた、そのビジネスをどう組み立てるつもりなの?」を ” How do you like to orchestrate your business? ” なんて言ったりして、このニュアンスがバチっとわかった程度の御利益はありました。別に orchestrate を使わなくてもいいんですが、教養がちらっと見えてカッコ良かったり無言のマウントになったりするんです。まあだいたい教養のない奴がなりすましで使うんですが、そんなことでビジネスの趨勢が決まったりもするんですよ、面白いですね、だってそれ使うこと自体がオーケストレーションなんですからね。
さっそくyoutubeを。
素晴らしい曲です。子供のころ、どこかで耳にしていた気がします。
ところでこの団体、Police Symphony Orchstraって書いてありますがポリス(警察)のオーケストラではないか、アンダーソンの曲は軍楽隊もやってるし。するってえとヴァイオリンのお姉さんも婦警さんか?
婦警さん。そういえば、ここで一気に “あの記憶” が・・・。
その昔、ニューヨークのマンハッタンでのこと。安ホテルの部屋で留守中に金を盗まれました。動揺して駆けこんだ近くの警察署。出てきた婦警さんは彼氏と喧嘩でもしたのか恐ろしく機嫌が悪くつっけんどん。「あん?ドロボウ?そんでケガは?」「ありません、空き巣です」「いくら?」「500ドルです」「あっそ、じゃここに500って書いてサインしてね」(しばし沈黙)「あのう、それで、捜査のほうは?」「あん?」「つまり犯人つかまえるとか」「兄ちゃん、あんた、命あっただけよかったよ」でおわり。
凄い所だ。あまりのあっけなさに心なしか涼やかな気持ちになったもんです。
しかし、このオーケストラの面々、どうも警察官の感じじゃない。おかしいと思って調べたらチェコにHorní Policeという町があって、そこの市民管弦楽団だからPolice交響楽団なのでした。調べると、この町、686人しか住んでない。ひょっとして、シンフォ二ー・オーケストラを持っている世界最小の町(村?)ではないか(まあ近隣の人もいるんだろうが・・・)。ワグナー・チューバはいるわエレキ・ベースはいるわ、本当に音楽を楽しんでる。ミュージカルな人間である僕としてはすぐ仲良くなれそうな皆さんだ。場所を調べたらプラハの北、ドレスデンのすぐ近くでした、なるほど、そうでしたか、さすがです。
チェコというと、ダボス会議で同じテーブルだった故ハヴェル大統領(熱い人だった)が同席していた米国高官(誰だったか忘れたが)に「お前たちが東欧をめちゃくちゃにした」とマジに食ってかかってた印象が強烈で、このチェコ人音楽家たちが米国のアンダーソンを喜々として演奏してるのが妙に思えないでもないのです。でもドヴォルザークはニューヨークで新世界を書いたのだし、それを言いだしたら被爆国の日本人もこれを演奏できなくなります。何国人が作ろうと、名曲は名曲。音楽が国際語というのはこのことですね。奏者の皆さんの楽興は胸に響きます。
舞踏会の美女は1951年、ルロイ・アンダーソンの油の乗りきった中期の作品で、代表作のひとつといっていいでしょう。彼はスウェーデン移民の郵便局員の子で、ボストン近郊で育ちピアノと音楽理論を学びます。ハーバード大学に入り作曲をウォルター・ピストン、ジョージ・エネスクに学び修士号を取得しますが、欧州の9か国語がペラペラという驚異的な語学力も持ち合わせており、1942年に米軍の防諜部隊で翻訳者および通訳としてアイスランドに配属され、終戦の1945年にはペンタゴンのスカンジナビア軍事情報局の責任者として国防総省に再配置されています。つまり、あまり知られてませんが、米国陸軍のインテリジェンス部門のエリートでもあったわけです。
去年書きました「シンコペイテッド・クロック」はペンタゴンのポストにある時に書かれています。それを軍部に許されていたなんて日本軍ではあり得んことですね。そして朝鮮戦争(1950-53)にも補助役として従軍しますが、その最中に書かれたのが舞踏会の美女だったということになります。戦争で殺し合いをしながら、どこからこんな優雅な音楽が出てくるのだろう?どの国のどの時代の誰を調べても、作曲家の頭脳というのは常人には計りしれないものです。
9か国語が頭に入っている彼が、欧州のあらゆるクラシック音楽を記憶していたのは当然のことでしょう。それでいて影響を受けたのはヨハン・シュトラウスなど軽めの音楽だったというのはピンと来ないのですが、少なくともそういう資質がある人だったわけで、学生時代は教会オルガニストからハーバード大学バンドの指揮者でダンスの伴奏までやっていた。それが(特に編曲の管弦楽法のうまさが)ボストン・ポップスの指揮者アーサー・フィードラーの目に留まって世に出て、結果として数々のミリオンセラーを飛ばしたのだからリッチにもなった。本望だったでしょう。ブルックナーとワーグナーもそうですが、彼とフィードラーの出会いも運命的です。人間、人とのご縁がいかに大事かわかります。
ボストン響の夏のエンタメ路線の音楽監督だったフィードラーとしては、軽めのポップスで人気を稼ぐ新曲が欲しかったわけです。レコードも売りたい。アンダーソンはぴったりの金の卵だったのです。これは興行師ザロモンがハイドンにロンドン・セットを書かせ、同じくディアギレフがストラヴィンスキーに3大バレエを書かせたのと同じ流れであり、芸術に資本主義が関与した成功事例といえましょう。アートに金儲けなんて関係ない、不純である。そんなことないでしょという反証ですね。公人はともかく、民間人である音楽家は関係ないです。思いっきり潤ってもらって人類の財産になる作品を残していただきたいですね。
アンダーソンに手本があったかというと、こちらも商業的に大成功したヨハン・シュトラウスの名がよく挙がります。ヒットメーカーとして意識はしたでしょう。当時のニューメディアだった78回転のレコードの片面収録時間に合わせて3分の曲を書いてますから商業的意図があったことは間違いありません。舞踏会の美女についていえば、これはまったくの私見ですが、こういう曲がイメージサンプルになったかなと考えてます。フランスのポップ系作曲家、ワルトトイフェルのスケーターズ・ワルツ (1882)です。
これはこれでいい曲なんです。なんたって、クラシック界の帝王カラヤンが英国の名門、フィルハーモニア管弦楽団で録音してますからね。でも彼がアンダーソンをやるなんてのは想像すらできません。欧州の保守本流にとってヨハン・シュトラウスはど真ん中ですが、敵国アメリカの田舎者のワルツなんてのはお呼びじゃないんです。こういう所、音楽にも政治はどうしても入ってくるんですね。だからこそ僕はアンダーソンを弁護したくなる。音楽の質の高さをです。19世紀のワルツに比べて近代的で知的な点をです。
舞踏会の美女もワルツなんですが、自作自演のテンポは速い。これじゃ踊れませんね。
でも、このテンポでこそ主部でチェロが弾いてる対旋律(和音を面白くしてるアルトのパートですね)が目立つんです。これぞルロイ・アンダーソンというトレードマークみたいな声部で(「そりすべり」にも顕著)、この1小節1音のパートが横の線として聞こえて欲しかったんじゃないかと想像してます。遅いとどうしてもそのラインがもたれるんです。ご覧のように指定は Allegro animatoで1小節 = 88であり、自作自演盤がまさにそれです。
つまりこのワルツはダンスを目的としてない観賞用なんです。いちおうズンチャッチャで三拍子を刻むが、もうそこから和声は2度、長7度を駆使して凝りまくったゴージャスな響きです。基本は旋律に縦の和声がつくだけの古典的な作りですが、そこにチェロの横のラインが対位法っぽく(ぜんぜん単純ですが非和声音を巧みに配合!)絡んで和声に含みや翳りを与える。これがニクい味を出すんです。譜面で右手の親指で弾く付点二分音符がそれですが、2小節ごとスラーがついていてこれをうまくレガートで繋げないとそれっぽくならずけっこう難しいです。この動きをバスが引き取って半音階進行するとチャイコフスキーっぽくなります。その辺を意識してオーケストラを聴いてみてください。
これぞ真打中の真打、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップスの演奏です。テンポは作曲者と同じ2分36秒。まさに完璧です。
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ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調
2022 DEC 20 1:01:42 am by 東 賢太郎
ブルックナーがウィーンに出てきたのはオーストリア=ハンガリー帝国が成立した次の年(1868年)、つまり明治元年である。43才になる彼が最初に住んだのはウィーン中心部からドナウ川沿いに北に隣接する9区(アルザーグルント)だ。ここはウィーン大学がある文教地区で心理学者フロイトが住み、音楽に関してもシューベルトが生まれ、ベートーベンが亡くなり、シェーンベルクが住み、現在はフォルクス・オーパーがある。
ブルックナーが住んでいたヴェーリンガー・シュトラッセ(Währinger Straße)41番地に立ち寄ってみたのは2005年のことだ。モーツァルト・イヤー(生誕250年)の直前の12月だった。次のそれとなると2041年(没後250年)だから僕は86才だ、生きてるかどうかもわからないじゃないか・・。ならば “思い立ったが吉日” だ、休みが取れる年末にふらっと行こうとなったのだから主眼はモーツァルトにあった。1991年の没後200年の騒動で彼に興味を持ったことがまずあった。亡くなったのは12月5日だから真冬にそこに立ってみたい。そしてドブリンガー(楽譜店)でレクイエムの自筆譜ファクシミリを買おう。決めたのはそれだけだ。ともあれ行き当たりばったりにウィーンを呼吸して気晴らしをしようというものだった。当時50才。こういう無鉄砲な所は若い頃と寸分変わってないが、今はもうそんな発想すら出ないから当時の気持ちを推し量るのも少々苦労する。
そういえばブルックナー氏も “思い立ったが吉日” の思いでひとりバイロイトへ旅立った。時は1873年、交響曲第2, 第3番の自筆スコアを携えてワーグナー宅に飛び込み外交をしかけたのだから偉い。このぐらいの営業精神をもちなさいと若者に諭したいものだが、氏はなんとこのとき50才手前だったのだ。応対に出たワーグナー夫人のコジマは、風采の上がらない彼を乞食と勘違いした。音楽祭の準備で多忙だったワーグナーも話をそこそこに追い返してしまう。ところが、置いていった楽譜を見てただちに思い直し、探し回ってとうとうバイロイト祝祭劇場工事現場に佇んでいた彼を見つけ出すのである。こうして、ブルックナーの伝記に必ず言及のある「ワーグナーへの交響曲第3番の献呈」が出世の糸口となる。なんと大器晩成の男だったのだろう。ウィーン大学で音楽理論の講義も始めることとなり、ヴェーリンガー・シュトラッセの家で彼が遅咲きの希望に燃えていたことは想像に難くない。
そこで撮ったこの写真、左手の建物の3階にそれはあった。交響曲第2, 第3番の初稿を書いたのもここであり、ワーグナーに認められた翌年の1874年1月2日に彼はここで交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』の初稿を書き始めたのだ。
この通りにはもうひとつ必見の音楽史跡がある。モーツァルトが3大交響曲を書いた家である(26番地)。次の写真の左手がそれのあった場所である。当時の建物ではないが構わない。ここで “それ” があったというのが大事なのだ。この道のこの辺にモーツァルトが立ち、馬車に乗ってブルグ劇場に出かけただろう。それをその場で感じる。そういうインプットが次の連想を生む。ウィーンには4, 5回は仕事でなく行ったが、そこかしこでベートーベンやブラームスを見かけている。それで彼らの音楽をきく。やっぱりね、そうだよねなんていう感覚がやってきて、理解できなかった曲ができるようになる。そんなことが何度あったか。
モーツァルト夫妻は1788年6月17日にトゥフラウベンからここに引っ越してきた。部屋は庭園に面していたようだが、1年前までの住居(フィガロハウス)と比べなんたる落ち武者ぶりだろう(ここに来たあたりからプフベルクに借金を申し込む手紙が始まる)。しかも入居してすぐの6月29日に長女が亡くなる不幸にまで見舞われている。しかし、そうした私生活は彼の作品には何ら投影されないのだ。6月26日に交響曲第39番が、そして7月25日に40番、8月10日に41番「ジュピター」がここで産声を上げた。看板の間に見える入口の上にかかっているプレートにそう書かれている。
コシ・ファン・トゥッテと大書されているが、一般にこのオペラは1789-90年に作曲されたとされ(初演は1790-01-26、ブルグ劇場)、夫妻は89年1月初めにこの家からユーデン・プラッツに引っ越しているから大半はそちらで書いたと考えるのが普通だ。ロンドンのプレートは信頼度が高くウィーンのはそうでもない印象があるが(Cdurに「フーガ付き」などと書いている所が何となくシロウトくさい。明らかに間違っているのを僕は見つけてもいる)、これが正しければコシは3大交響曲と同時期に構想されていたことになる(ご参考:クラシック徒然草-モーツァルトの3大交響曲はなぜ書かれたか?-)。
さらに現地を歩いてみて発見したことがある。二人の家はこんなに近い。右の赤丸がブルックナー(41番地)、左がモーツァルト(26番地)だ。ブルックナーがここを選んだのは教職に就くウィーン大学が近いからだろうが、それを知らなかったとは考えにくい。後述するが、モーツァルトはカソリックである。プロテスタントのベートーベン、ブラームスとは違った敬愛の情を同じカソリックのブルックナーが持っていたとして何ら不思議ではない。
さて、ブルックナーの交響曲第4番である。1874年の第1稿はこの赤丸で書かれた。一方で、おなじみの1878/80年稿(に基づくハース版またはノヴァーク版第2稿)はというと、1877年11月に引っ越したヘスガッセ(Heßgasse)2番のアパートの4階で改訂したものだ(第2稿)。そのロケーションは両赤丸の間を走るヴェーリンガー・シュトラッセを左上(南)に中心街に向かって進み、ウィーン大学の前あたりだ。ブルックナーは終生この通りを離れなかったことになる。
4番の第1稿は最初の家、第2稿は最後の家での作品ということになるわけだが、第1稿を初めてきいた時は驚いた。第3楽章は完全に別な曲ではないか。第4楽章も異なるバージョンが3つも作られた。改訂魔の彼とてこんなことは2度としていないから4番はよほど特異なシチュエーションに当たった曲だったのだ。では、いったい彼に何がおきたのだろうという疑問が湧き起こるのは自然なことで、以来、一般にはブルックナー入門曲とされる4番は僕にとって最も難解な謎の曲となった。
前述のとおり、こういう時、何はさておきそれが起きた場所に身を置いて佇んでみるのが我がポリシーである。刑事の「現場百回」みたいなものだが、単なる空想ではいけない、現場で感じたものから演繹的に思考することに経験的に価値を見出しているのだ。日本を出る前にヘスガッセ7番の同じ建物に「ホテル ド フランス」が入っていることを知り、勇躍そこに宿をとることに決めたのはそのためだ(安宿であり経済的にも助かった)。次の写真がその前景で、左下にホテルの小さなエントランスが見える。ブルックナーはこの建物の右側の最上階に住んで交響曲第6, 7, 8, 9番を書き、問題の4番の改定も行ったのである。
幸いホテルの最上階の部屋に泊まれた。下の写真は、その窓から上の写真を撮った大通り(Ring)を見ている。ブルックナーが毎日眺めていたのはこんな景色だったと思われる(ここは6階なので、対面の建物の最上階が彼の目線だが)。
当時エレベーターはなく、最晩年の1895年になると階段の昇降が苦しくなった。それをききつけた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世からベルヴェデーレ宮殿の敷地内にある宮殿職員用の住居を賜与されたが、引っ越しから約1年3か月後の96年10月11日に9番を完成することなく亡くなっている。すなわち、そこに至るまでの後半生の大きな仕事はすべてヘスガッセで成し遂げたのである。
ヴェーリンガー・シュトラッセの8年が彼の交響曲創作における興隆期の第1波であり、ヘス・ガッセの18年が第2波であったとするなら、両波の狭間において全交響曲のうちで最大といえる改編を受けたのが第4番であったということになる。その尋常でない大きさを説明するには、彼の中に爆発的な「変わり目」をもたらす(おそらく外的な)何物かがあったと考えるべきだろう。彼は何に出あったのだろう?
第1, 2波の間に1年間だけ住んだ家がある。住所はオペルンリング1-5で建物は爆撃で破壊され現存しない(国立歌劇場の左隣りあたりだ)。ちょうどその頃、1876年8月13日に音楽界では歴史に残る大きなイベントがあった。第1回バイロイト音楽祭の開催である。ここで『ニーベルングの指環』の初演がハンス・リヒター指揮によって行われ、ルートヴィヒ2世、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、ブラジル皇帝ペドロ2世が列席し、ブルックナー、リスト、チャイコフスキーらの音楽家も招待された。
ブルックナーはケンブリッジ大学の博士号がもらえるという詐欺にひっかかったように肩書や名誉にこだわる性格であり、純朴な人でもあったようだ。だから自作のお披露目に国王と皇帝が列席するというこのイベントは事件だったろう。その目線から旧作を眺め直す。一度は納得して上梓した作品は改訂を施さなくてはワーグナーに追いつけないという気持に駆られたのではないだろうか。彼は63年に『タンホイザー』、65年に『トリスタン』をきいてはいたが、この時が初演であった『ジークフリート』と『神々の黄昏』をふくめ4つの楽劇をまとめて体験するインパクトは甚大だったろう。
ではその「リングの衝撃」はブルックナーにどんな変化をもたらしただろう?ここでもう一度モーツァルトに立ちかえってみたい。作風の違う二人だが、ひとつだけ共通点がある。即興の達人であることだ。ブルックナーはパリではサンサーンス、フランクらオルガンの大家にフーガ即興演奏を披露して称賛され、1871年8月、ロンドン万博で開催されたオルガン国際競演会にオーストリア代表として招かれ、ロイヤル・アルバート・ホールとクリスタル・パレスで計10回の演奏を行った。これによってブルックナーのオルガン奏者としての名声は全ヨーロッパに伝わっていた。
教会オルガニストであるブルックナーにとって即興演奏は必須の職分でありお手の物だったが、そのクオリティがサンサーンスらに認められるレベルだったことが重要だ。パリで三位一体教会のオルガニストだったメシアンの即興演奏がyoutubeにあるが、譜面に落とした曲と言われてもわからない。モーツァルトもブルックナーも、同様のことが易々とできたのである。主題が時々刻々と変容して深い森に分け入り、時に静止し、その時々に特有の気分を喚起しながら先が読めない展開を見せるというブルックナーの作品の特徴はそこに由来している。それでいながらベートーベンを崇拝する彼は交響曲に伝統的な形式論理を導入し、和声法も対位法も理詰めの厳格さを逸脱しないのだ。
その頑迷さは即興性と矛盾してきこえるものだから彼の交響曲の第一印象は僕には妙なものであった。そのことはカソリック信仰の聖なる響きと田舎のダンスであるレントラーを並べてしまう階級的矛盾をも包含しており、彼が求め、後にナチスが利用することになる「ドイツ的なるもの」ができあがってゆく。ワーグナーもそれを希求はしたがカソリック的とは言い切れず深い信仰心は感じられない。しかしブルックナーの場合、それは若年のころからの生活の一部であり、信仰心あってこその独自のブルックナー・ワールドを築いているということであり、それに浸りきれるかどうかで好悪が分かれる人でもある。即興が何種類生まれようが田舎のダンスが幅をきかせようが、各々において形式論理は完成しており、彼のワールドにおいては矛盾は存在しない。
だから、ひとつの楽想が何通りにも有機的に発展、展開して「版」がいくつもできるのは彼にとって不自然でもなんでもなかったのだ。モーツァルトも演奏会で必ず即興演奏をしたが、もしそれらを譜面に書き取っていたならば後世は複数の「版」として扱っただろう(例・ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332の第2楽章)。それと同様にブルックナーの改訂というものは、新たに湧き出る即興を書き取った素材をベースにした本人または弟子、学者たちによる楽曲の再構成という性質のものだ。両人ともカソリック信仰を持った教会オルガニストであったという共通点は音楽のつくりからは想像もできないが、僕はその視点から、ブルックナーがモーツァルトの家のそばに居を構えたというのも偶然ではなかった気がしている。
そして、そこに降ってきた「リングの衝撃」である。形式論理型ではなく、ライトモチーフを自由に展開させてゆく変幻自在型のワーグナーの作曲法はブルックナーにとって親和性があり、即興演奏の和声、対位法に格段の深みを与えた。交響曲第4番の第3, 4楽章の第2稿は、まさにそれなのだ。そして、その流れの終結点として、7, 8, 9番という後期ロマン派の頂点に君臨する最高傑作に結実したのだと僕は考えている。ブルックナーを論じるのにカソリック信仰は核心となるが、私見ではモーツァルトにおいてもしかりだ。モーツァルトの信仰心は希薄と見るのが日本だが、政治的動機があるフリーメーソン入会とそれは別だ。彼はミサを18曲も書いており、コロレド大司教のためのお仕事ではあったが手抜きはない。むしろ私見では彼の最高傑作ジャンルはオペラと並んで宗教曲である。カソリック協会のオルガニストたち、サンサーンス、フランク、メシアンらはポストに要求される即興演奏に長け、モーツァルト、ブルックナーはまぎれもなくその一員であったのだ。
そのことはあまり正面から論じられないが、ブラームスがブルックナーと対立したことにはワーグナーへの関わりや音楽の趣味以前にもっと深い理由がある。モーツァルトの葬儀はウィーン市のメジャーな教会であるシュテファン大聖堂、同様にブルックナーも聖カール教会で執り行われた(それが豪奢であったか否かはともかく)。ところがベートーベンの葬儀は膨大な数の参列者にもかかわらず三位一体教会(アルザー教会)という質素な教会で行われ、聖カール教会の前に住みそこに銅像まで建っているブラームスの葬儀の場はというと、観光案内に載ってもおらずよく探さないとわからない新興のエヴァンゲリスト教会である。このことと大衆にどれだけ愛されたかとは別問題であることは、人気では並ぶ者のなかったヨハン・シュトラウス二世の葬儀もブラームスと同じ教会で行われたことでわかる。音楽史は「大衆に愛された目線」重視のスタンスで書かれ、実相に触れたものは少ない。だから我々のイメージしているヨハン・シュトラウスやブラームスはそれとズレがあることは知らなくて仕方がないだろう。モーツァルトとブルックナーは信仰においては同じ精神世界の住人であったという実相はもっと知られてよいだろうが。
よく聴いているCDをいくつか挙げる。
ミヒャエル・ギーレン / SWR交響楽団バーデンバーデン‐フライブルグ
第1稿の魅力はヴェーリンガー・シュトラッセの家で遅咲きの希望に燃えたブルックナーの創意がストレートに伝わることだ。「リングの衝撃」前の2番、3番の脈絡から踊り出た原型の楽想が第2稿より露わな対位法的構造で見えるこの演奏が僕は大好きだ。先日に東京芸術劇場できいたインバル / 都響の演奏はその点を音楽的に完成度の高い独自の解釈にまで高めていてエポックメーキングだったが、ギーレン盤(ノヴァーク版)は一切のロマン派的な虚飾を削ぎ落してリズムの要素を浮き立たせるのが小気味よい。音程が良いので和声の推移がクリスタルのように明晰で美しく、終楽章の入りの楽想が現代的にきこえるなど、僕の趣味からは大変好ましい。
エリアフ・インバル / 東京都交響楽団
EXTONのスーパー・オーディオCD。第2稿(1878/80、ノヴァーク版)のライブ録音(2015/3/18、東京文化会館)である。この稿はギーレンの第1稿のアプローチは合わず、両者は異なる音楽である。インバルの指揮は第1稿の実演でもそうだったが pp の歌から ff の全奏まで管弦楽のバランスが実に素晴らしく、簡単なようでそれで満足する演奏は滅多にない。これでこそ第3楽章のスケルツォとトリオの対比が生きるのである。終楽章のコーダへの推移はすでに7, 8番のそれを予見しており「リングの衝撃」を悟らせるが、インバルのここへの持ち込みの設計は見事だ。このCDは録音の良さも相まって都響のベストフォームが刻まれ、やや録音の作り込みもあるのかもしれないが、これをブラインドで日本のオケと思う人はあまりいないだろう。第2稿で一番好きなものを挙げろと言われれば、僕はこれだ。
カール・ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
我が世代が最初になじんだ4番というとこれが多かったのではないか。第1稿などというものはレコード屋になく、もちろん第2稿(これはノヴァーク版)である。初めて買ったのはワルター/コロンビアSOのLPだったが、どこがロマンティックなんだと全くピンと来なかった。CD時代になってこれをきいてやっとわかった気になったが、クナッパーツブッシュの5番(ウィーン・フィル)のLPが千円の廉価版で出てそっちの方が面白かった。この度なつかしくきき返したが、1973年の録音当時のブルックナーというとアンサンブルもアバウトでありどこか鈍重だ。この重さをさすがVPO!と崇めていたわけだ、田舎もんだったよなあなどと自嘲の気分になる。しかしだ、ブルックナーは自作をVPOに演奏してもらいたくて不評な部分を改訂もしたからこの音を念頭においていたはずであり、聞き進むとその腰の重さがウィンナホルンの粘性のある音と相俟って4番のエッセンスかもという気がしてきて、終楽章コーダに至ってそれが確信になる。こうしてベームさんに説得されてしまうのだ。やっぱりこれは外せない名録音ということになるんだろう。
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ベルリン国立歌劇場管弦楽団のブラームス
2022 DEC 13 1:01:56 am by 東 賢太郎
人の思いがぎゅっと詰まった物や場所には強い「気」があります。それが昔のことであっても・・。いままでそういう所に出向いて疲れてしまうことが何度かありました。例えばここに書きました7年前の安土城址がそれです(安土城跡の強力な気にあたる)。
僕にとっては音楽にもそれと同様に「気」の強い作品があります。モーツァルトのレクイエム、ベルクのヴォツェック、ムソルグスキーのボリス・ゴドノフ、J.S.バッハのフーガの技法、ワーグナーのトリスタンとイゾルデ、ドビッシーのペレアスとメリザンドと書けば凡そのイメージは掴んでいただけるでしょうか。シンフォニーではベートーベンの3,8番、ベルリオーズの幻想、ブルックナーの9番、シューマンの2番、シベリウスの6番、ストラヴィンスキーの詩篇あたりがそれです。満を持して扉を開く喜びも大いにあるのですが、生半可な気持ちで聴くと負けてしまいます。
年末にマラソンと称してベートーベン1~9番を全曲演奏という試みがありますが、なんと恐ろしい。考えただけでも拷問というか、とてもメンタルに耐えられません。3,8番だけ一日で聴くのでも回避したく、一体、この9曲はそういう音楽だったのだろうかと大層な企画力に感服するばかりです。それはベートーベンだけのことではありません、彼をアイドルとしていたブラームスが、重量級の「気」を満々と封じ込めた交響曲も同様です。2番の聴き比べをブログにしましたが、3番は途中で頓挫してます。次々きくうちに重たいものにあたってしまって危険に感じたからです。そういう音楽をブラームスは4つも書いたということなのです。チューリヒ時代にアーノンクールが全曲チクルスを二日に分けてやった折も、1,2番の日しか行く勇気はありませんでした。なにせ自宅でもレコードやCDを4曲通して聴いたことは一度もないのだから仕方ないことでした。
だから、このたびベルリン国立歌劇場管(SKB)がチクルスをするという話を耳にして、抗し難い魅力と勇気との葛藤がありました。当初のバレンボイムの名前、そしてウンター・デン・リンデンのオーケストラ・ピットからの音しか聞いたことのないSKBのブラームスはどういうことになるのだろうという好奇心がなければきっとパスだったでしょう。まあ一日で4つやりましょうだったら絶対に行きませんが、4夜かかるワーグナーのリングよりましだろうということで買うことに決めたのです。想像していたことですが、これはやはりピットのオーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団(ウィーン・フィル)がストラヴィンスキーをやるのとは一味も二味も違うものでした。ドイツ人がプライドをかけてやるお国物イベント。パリ管のドビッシーにも感じた良い意味でのナショナリズム。アートの世界にはそれを残して欲しい僕にとって、代役として同国のティーレマンがこの国宝級オーケストラを振ってくれることは有難いことでもあり、行って良かったという結末となりました。
第一夜の2,1番(演奏順)は1階の最後尾の方で、娘曰く「のだめ効果」(1番は若い人に人気がある、いいことです)。翌日、第二夜の3,4番は中央前から7列目と気分が変わったのも良かったかもしれません。ブラームスの管弦楽法は弦五部、木管、金管のどれもが一方的な主役でなく、中音域の内声が厚めで時に主役となり、各楽器が各所で好適な混合色でブレンドしながら曲想の微妙な変転に添ってグラデーションのように淡い移ろいを見せるのが特徴です。それでいて1番終楽章の朗々と響くホルンソロの旋律を受け取って吹くのがフルートソロだというあっと驚く効果をもりこむなど、20余年も考えぬいて建造した構築物ですから、まずオーケストラがべた塗りの一色では味が出ないしカラフル過ぎてもいけません。その管弦楽法の旨みとフレージングの味、強弱のメリハリ、ffとppの質、楽節の間(ま)、リズムの切れ味等々を程良いテンポとバランスできかせて初めて満足な演奏になるという難物です。特にテンポは細かい指示が書いてないので、どうとるかで指揮者の個性が如実に出ます。
だからでしょうか、各曲を百種類近くもっており多くの著名指揮者、オーケストラの実演もたくさんきいてますが、満足したのはほんの少数です。一例を挙げると、レヴァイン / シカゴ響の1,2番を気に入ってブログを書きましたが、理由はテンポの選択です。オケの技量は無敵のレベルですがそれではありません。だから3,4番はそれがあるのに物足りない。つまり、1,2番と3,4番の間には、僕の主観では断層が存在するのです。ただそれはオケの技量、テンポという要素で見た場合であって、要素は知れば知るほどたくさんあることに気づき、複雑にカットしたダイヤモンドのように多面的な輝きが出ることを更に知っていく。すると、これはあるけどそれがないという迷宮に立ち入って無限の楽しみが湧いてくる。これぞブラームスの魅力だと思っています。
もちろんあくまで僕の主観であって、どなたにもご自身のそれが開かれているわけです。それを求めていくのがクラシック音楽に浸る無上の喜びでもありますし、それを鏡にした自分探しであるとも考えています。それを50年した結果、僕が現況でたどり着いたものをざっと書きますと、フルトヴェングラーは1,4番は最高ですが2,3番はきかない。以下同様に、棚から取り出すものとして、トスカニーニは1,3番、ベーム、ラインスドルフ、ザンデルリンクは2,4番、ジュリーニ、クーベリックは3,4番、カラヤン、ミュンシュ、クレンペラーは1番、カイルベルト、ショルティ、ハイティンク、ドホナーニは2番、ライナー、ケンペ、スクロヴァチェフスキーは3番、ワルター、ヴァント、バーンスタイン、ヘルビッヒは4番、ざっとこんな具合で4曲とも最高という人はいません。挙げないものは聴きたくないのではありません、僕にはもう貪欲に渉猟する時間はなく、満足が約束されているおいしい料理をということにすぎません(カルロス・クライバー、クナッパーツブッシュの4番は別格)。
やけにうるさいことを書きましたがそれが心の真実であり、いっぽうで、僕はコンサートであれ録音であれ第九交響曲に不満足だったことは一度もないのです。それは楽曲のクオリティのせいということではなく、ブラームスは一筋縄ではいかないというご理解をいただければ結構です。年齢や座席や体調によっても好悪が変わりますから、これからも予期せずに変わるかもしれません。ちなみに僕は4番のMov1、4のコーダのテンポは、若い頃は加速のあるフルトヴェングラー派だったのが50才を超えたあたりからインテンポ派になりました。ごく自然にです。2番のMov4コーダもそうで、興味深いことにバレンボイムは51才でのシカゴ響との録音はフルトヴェングラーばりに加速しますが、晩年のSKBとのDG盤ではインテンポに変容しています。テンポはほんの一例です。各曲が抜きんでて個性的、多面的であり、どれも「古典的装い」が疑似的に施されているためオーケストラに求める音彩は似ているようにイメージされてしまうのですが、実は個々に異なっているというのが僕の懐いている感じです。交響曲4つでもそこまで分け入る価値のある ”深淵” であり、そこに協奏曲、室内楽、声楽曲、ピアノ曲もあるのですから宝の山です。
ティーレマンの指揮に触れましょう。2,4番はアッチェレランドがフルトヴェングラー流でした。彼の芸風は古き良きドイツを基礎に置く温故知新です。我が世代の聴衆にとって貴重でしょう。ティーレマンならではの個性は強弱(特に極限のpp)と楽節ごとのテンポの独自の緩急の彫琢に見事に結実しています(時にパウゼまである)。主旋律のフレージングも意外な部分でふっと弱音にするなど考えぬかれているのに自然にきこえるところが並みの指揮者ではないです。以前にやはりサントリーホールで聴いたウィーン・フィルとのモーツァルトにも感じたのですが、彼は独墺人が好ましいと感じる伝統的音楽文化を継承、体現する第一人者であり、ベームが去りカラヤンが去り、サヴァリッシュ、H・シュタイン、ザンデルリンクが去り、今やドイツ人ではないブロムシュテット、ドホナーニ、バレンボイムがどうかというところですから、SKDが心服して63才の自国のシェフの棒に献身したのも納得です。
そしてそのSKDはというと、ヴィオラ、チェロの倍音に富んだ中声部の充実(Vn配置は両翼型、右にVa、左にVc、Cb)、高雅でありながら燻んだ木質の管楽器、ppを可能にした木管(特にクラリネット)、木管群とホルンの合奏の滋味深い音の溶け合い、トロンボーン3人の和声の純正調での完璧なピッチ(!)など、ちょっと見ではわからない特筆ものの技術と個性が米国の楽団のようにこれ見よがしでなく「隠し味」で調合されているという具合です。全体として見るに東独のオケに顕著だったオルガンの如き音響体であって、トランペット、ティンパニが浮き出ず(4番mov3のトライアングルすら飛び出ない)、今どきはドレスデン・シュターツカペレ、バンベルグ響、チェコ・フィルぐらいではと思われる奥ゆかしい音でブラームスを楽しめる貴重な音楽体験でありました。
個人的には順番は3,1,4,2番。オケの特質から3番が良いのはお分かりいただけるでしょう。Mov2のあでやかな木管、Mov3の絹の如きVa、Vc、そしてそれらが極上のブレンドで激情の頂点から寂しげな諦めの沈静と肯定に至るグラデーションを見事に彩るアンサンブル。これはかつて聴いたうち、フランクフルトでミヒャエル・ギーレンが振った南西ドイツ放送響の3番に匹敵する名演で、こんな演奏がサントリーで聴けるとは想像だにしませんでした。次いで初日の1番、冒頭のティンパニと腹に響く低音が轟くや否や「ドイツ保守本流のブラームス」が怒涛のように押し寄せ、この感興はロンドンで聴いたカラヤン / ベルリン・フィルを思い起こさせるものです。2番でやや不満があった弦(Vn)のそれが消え、素晴らしい木管、金管の暖色系で柔らかい極上の美音、pで入ったMov4第1主題の弦のいぶし銀の合奏、展開部のドラマが f f から減速していって低弦とコントラファゴットだけに至るあの部分のツボにはまったうまさ、そして金管のコラールからコーダになだれ込む言わずもがなの興奮。帰宅しても胸に熱いものが残っている1番というのはそうあるものではありません。二夜の掉尾を飾った4番も、同曲への僕の情熱を何年ぶりかに呼び覚まさす熱演で、今も毎日ピアノでさらわずにいられないことになっています。
というわけで、人生初の4曲きき通しはブラームスの強烈な「気」に圧倒されつつも演奏がそのエネルギーをプラスにしてくれ、こうしてふり返ってみるとおいしい京料理を頂いたような至福だけが残っているのです。間近に見ていると個々の楽員の発する自信に満ちた気迫ある演奏もこれまた大変なパワーであって、かれこれ30年も前になる一緒に仕事をしたドイツ人社員達の集中力の高さを思い出したりもした二日間でした。まさしく、これぞお国の誇りというものでしょう。スタンディングオベーションで拍手が鳴りやまず、ドイツ音楽、ブラームスを愛する聴衆の方々と心を一つにして交歓する喜びもひとしおでありました。
(終演後の撮影は場内アナウンスで許可されていたので撮りました)
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ダニエル・バレンボイムの復活を祈る
2022 DEC 9 13:13:22 pm by 東 賢太郎
バレンボイムがベルリン国立歌劇場管弦楽団(Staatskapelle Berlin、以下SKB)を率いて来日し、サントリーホールでブラームスチクルスをやると聞いてこれは聴かねばと思った。バレンボイムというと、僕の場合、まずモーツァルトのP協全集で知った。20代でイギリス室内管を弾き振りしたこれは才能の嵐。あまり知られていないが22才のウィーン国立歌劇場管とのベートーベンP協3番もしかり。その3年後に、79才のクレンペラーが自身最後になるだろう全集録音のピアニストに選んだその萌芽がすでにある。
初めて実演をきいたのはリストのロ短調ソナタ(フィラデルフィア、1983)で、覚えているのは煌びやかな技巧よりも静寂な部分だ。当時41才。音楽の深い造りこみにこの人は指揮者だなと思った。その指揮者としてのブラームスは1994年5月にフランクフルトでシカゴ響と2、4番をやったが特に感心はしなかった。しかしワーグナーにおいて彼はその頃から指揮者として成熟しつつあったのだ。それをまざまざと知ったのはエルサレム、ポラツキを配したベルリン国立歌劇場におけるワルキューレ(1994年3月)である。その頃ドイツにいたので日本での彼の指揮者としての評価がどうだったかは知らないが、本物のワーグナーの音を僕が覚えたのはその前年8月のバイロイト音楽祭でのタンホイザーではなくこれだったことは書いておきたい。
そして、多くの日本のファンも体験されただろう、2007年のフランツ、マイヤー、パぺを配してのトリスタン(SKB、10月17日、NHKホール)の感銘は忘れ得ず、同年12月、そのために行ったわけではなく単に仕事に疲れたので息子を連れて遊山したミラノで同曲のスカラ座こけら落とし公演のチケットが入手できた(メルケルが臨席したもの)。真面目に生きてればこういうこともあるのかという、これは我が人生の最大の僥倖のひとつと言っていい。トリスタンというと長らくベーム、クライバーだったがこれ以来僕はバレンボイムになっている。
ただワーグナーとブラームスは違う。僕はバレンボイムの3種あるブルックナー(CSO、BPO、SKB)は愛好するがこれは筋からして自然なことだ。でもブラームスは依然?のままであり興味がある。しかも僕はオペラ以外でSKBを聴いていない。このオケはオトマール・スイトナーが振ったベートーベン、シューマン、シューベルト、ドヴォルザークのレコードが聞き物であり(モーツァルトだけはドレスデンSKに分があるが)、もう2度とないかもしれないこの機会を逃す手はないとなった。
ところがだ。バレンボイムが「演奏活動を休止」と発表され、来日できないと知りショックを受けた。まだ80才で老け込む年でないと思っていたが、神経に関わる深刻な病とのことで心配だ。彼のツイッターの結び文句、I am not only content but deeply fulfilled. が気になる・・。きっと復帰してくれると信じているがもうオペラはきけないのだろうか。2007年NHKホールでのもうひとつのプロだったドン・ジョバンニがこれまた涙が出るほど素晴らしく、モーツァルトをもっと聴きたいと思っていたのが叶わないのか。喪失感はあまりに大きい。
本稿は代役ティーレマンとSKDについて書くつもりだったがそれは次回にしたい。この公演はとても満足できたし、ブラームスを二日で4つ聴くという至福の体験も人生に残る格別の重みがあり、翌日になってもまだ心に熱いものがある。ちなみにそのティーレマンも肩痛でドレスデンSK定期公演とその後の欧州ツアーをキャンセルした上での来日だったらしい。
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クラシック徒然草《麻薬としての音楽》
2022 NOV 30 1:01:17 am by 東 賢太郎
音楽というのは耳だけではなく五感で楽しむものだと僕は考えている。誰でも容易に感じられるのは、例えば、R・シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」の冒頭でお腹の底まで響くパイプオルガンの重低音の音圧だろう。初めての人は驚くこと請け合いで、ヘッドホンで聞いてもあれは絶対にわからない。またレスピーギの「ローマの松」の最後のところ、あれは管弦楽から聞こえる最も大きい音の一つであるが、体で受け止めるあの凄まじい音圧も会場だけで味わえる極上の快感だ。そうやって音というものが物理的には空気の振動であって、耳だけでなく皮膚でも内臓でも感知できることを知れば、「五感で楽しむ」という意味がきっと理解できるだろう。
五感を使うともう少し複雑な体験もできる。メシアンのように各音に色彩を見る人が稀にいる。僕は触覚に音が訴える感じがする。肌で感じる音圧ではなく音の “質感” であり、ツルツル、ツヤツヤ、スベスベ、ザラザラ、デコボコ、ねとねと、しっとりのような仮想の手触り感だ。これを脳科学ではクオリアというらしい。弦のボウイングのざらついた感じという風な即物的なものもあるにはあるが、それよりも音の流れや和声変化の方がずっとそれを感じる。本能的に快感を覚えるものがあって、モーツァルト定番のC-Am-F-Gなど、どんなに隠し味で現れようが反応する(彼もそうだったから多用したのではないか)。ポップスにもジャズにも雅楽にも感じられ、「僕の好きなオト」という固有のジャンルを形成している。このクオリアという物の得体は知れないが、僕があらゆるアートのうち音楽を偏愛する理由の大きな部分を占めていることは間違いない。
そして極めつけは嗅覚である。それ以外の情報は眼球や鼓膜や舌や皮膚といった器官からワンクッションおいて脳に来るが、嗅覚だけはいきなり脳に打ち込まれるらしい。音の香り。フレグランス。これはフランス物の独壇場であり、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」はアンダルシアの渇いた赤土の匂いがむんむんするし、フォーレの「マスクとベルガマスク」はカンヌで嗅いだ地中海の潮風の香りがあり、サティのジムノペディ3番には冬のパリの夕暮れの裏通りの湿気を含んだ匂い、「ジュ・トゥ・ヴー」はクラブLidoに満ちていた香水の匂いがすぐ脳裏に浮かぶ。ドイツ物では夏の暗い森の樹木が発散する香りがブルックナーにあるし、バルトークにはハンガリーの田舎のゴルフ場でどっぷり浸っていた草の匂いが濃厚にある。実際に嗅いだものだからこれらは記憶の連鎖であって、音楽に絶対的に内在するものではないが、ベートーベンの田園を聴いて出てくる匂いはないからそれを喚起する曲の性質という物があるのかもしれない。
元よりこれらは脳内現象だから僕固有のもので、ドビッシーの「海」と聞いただけで或る色と触感と香りと波の揺らぎを即座に思い浮かべ、肌でクオリアを体感し、それが物凄く蠱惑的なものだから血圧が上がり呼吸が速まり、すぐに味わいたくなって何度でも聴いてしまうことになっている。つまり「パブロフの犬」状態なのであり、麻薬常習者と呼んでもらってもいい。こんなものを生み出したドビッシーはとんでもない妖術使いなのだが、そういう人をこそ我々は芸術家と崇めるのである。いや、そういうことがない、普通の人が稽古を積んでうまいだけの芸術家って何なのかと問うべきだろう。画家とイラストレーターは別物だ。音楽だって、チャイコフスキーの悲愴みたいに聴き手に死の淵を覗かせる曲もあれば、ダンスのステップを踏むための道具みたいな曲もある。少なくとも僕は音楽にそんじょそこらの日常にころがってるきれいな歌声やメロディーはまったく求める気がない。超変人のサティは「家具の音楽」でそうした音楽の横行を皮肉ったが、この点だけは実に共感できるのである。
そうした生理的効果を与えるクラシック音楽の楽曲を僕はいくつか所有している。もちろん誰でも聞けるのだが、そうした薬理作用がどなたにも起きているとは到底信じ難いから、それを必ず引き起こすという意味で僕とは特殊な関係にあるというわけで、だから所有していると書くのだ。何百回も服用してるから隅々まで知り尽くしている。専門家でもない僕がなぜそんなに深々とハマっているか不思議に思われるだろうが、理由は簡単だ。麻薬だからである。
つまり「海」や「春の祭典」や「ブラ4」や「ライン」のような音楽は僕に効く化学的・薬理的成分を含有しているのであり、スコアのどこのどれがあの色を発し、あの香りを漂わせ、触るとこんな感じということが既に解明されている。そんなことを研究しても何の役にも立たないし誰も興味はないだろうからいちいち書かないが、なぜそんなばかばかしいことを真剣にやっているかというと理由は 簡単だ。麻薬だからである。
ドビッシーには「夜の香り」「音と香りは夕暮れの大気に漂う」などの題名を付した曲があり、彼自身も和声の混合を化学反応と呼んでおり、なんとなく僕が感じているようなものを表そうとしたのかなと思わないでもない。しかし彼がその標題で言う香りが何かを僕は感じることができないのだから、彼がparfumsという言葉で表現したクオリアは僕のものとは別物だということになる。作曲家がどう感じていようと、僕には彼の書いた音符の特定の部分に或る匂いが感じられるという即物的な事実が目の前にあるだけで、すぐれて主観的なものでしかない。例えば次のようなものだ。ストラヴィンスキーがそう意図して書いたとは100%思わないが、「春の祭典」第二部序奏に「それ」は在る。バスドラがドロドロ入るシェーンベルク風の部分(練習番号80)(注)のことだ。
ここは昔から僕に強烈な薬理作用があり、目に映る光景はというと、ぷすぷすと煮えたぎるマグマの巨岩が赤黒く光ってぶるぶる打ち震えていて、ここでそれが「泣き崩れる」。そして、仄かな硫黄の臭気を嗅ぐのだ。なんだそれは?と思われようが、幻覚を見ているわけではなく、文字を並べるならばそうとしか表現できない何ものかを感じて高校時代にスコアの当該箇所に鉛筆でそう書き記しているわけだ。本当にそういう物を見て、聴いて、嗅いだという記憶はないが、もし僕が画家ならばこのクオリアを文字でなく油絵にして、凄まじくおどろおどろしいものになっただろう。
それが “出現する” のは、古今東西、ピエール・ブーレーズのCBS盤、それも1970年に日本で発売されたオリジナルLPだけであり、何故かは知らないが、それはそのヴィニール盤だけに入ったクオリアであり、人類の文化遺産として公共財にすべきと確信しているので、それをCDRに録音したものをyoutubeにアップしている。他の方のもあるが、申しわけないがこれ以外の音源ではだめなのだ。僕のものにヘッドホンで耳をすましていただければ、ドロドロの部分で僕の感じる「クオリアの素」が30%ぐらいは聴こえる(下)。ちなみに日本版再プレス、米国CBS盤LP、CDでは見事に消えているから僕にとってそれらはまったく無価値である。
「バスドラ(スコアではGr.c.=グランカッサ)はティンパニの補強だろう」と僕も耳だけでは思っていたが、スコアを買って驚いた。そうではない。Dm(d-f-a)を伸ばす楽器群のうちバスドラとバスクラリネット “だけ” は練習番号80の3小節目の3つ目の ♪ まで鳴っており、バスクラだけご丁寧に最後の ♪ に ppp (ピアニッシッシモ)と書いてある。「ここまではっきり鳴らせ」という作曲家の意思表示であり、p で入るティンパニは2小節目からデクレッシェンドして pp で消えるが、バスドラは3小節に渡ってデクレッシェンドして「入り」に p とは書いてない。従って、入りは p より強くするのが論理的であり、強さは指揮者に任されていると読むことができるのである。ブーレーズはバスドラの皮をゆるめに張って mf ぐらいで入りを叩かせているのを耳を澄ませてお聴きいただきたい。
(注)練習番号80はニ短調+変ロ短調の複調であるが、この驚くべき効果は多くの作曲家の耳をそばだてさせたに違いない。グスタフ・ホルストは「惑星」の終曲(海王星)の練習番号Ⅲで嬰ト短調+ホ短調という全く同じ距離関係の複調を用いている。
細々したことを書いたが、なぜかというとストラヴィンスキーの楽譜というのは、ここに例証したように、かくもマイクロスコ―ピックに数学的に緻密に書かれており、ストラヴィンスキーという人はそこまで微細なことまでこだわる性質の人であり、従って、それをそう読み取らない性質の人の演奏というのは聴くに値しないということをお示しするためである。僕がこの演奏を讃えているのも、雰囲気や感覚に依っているのではない、初めは耳だけで感知した凄さが、スコアを解析することで実に記譜されたものに論拠をもっていることへの驚きと、それを創造し、具現化した二人の天才への称賛の気持ちからである。
つまり、練習番号80はブーレーズCBS盤の魅力のほんの一部分であり、この演奏はかような冷徹かつ緻密なアナリーゼの集大成であり、どの一音符とて雰囲気でいい加減に鳴らされたものはない。しかも、それが解剖された死体のようではなく、生き生きとエネルギーに満ちた活力をもって生命の神秘を聴き手に感知させるという、音楽演奏史に残る空前絶後の録音なのだ。しかし世界でどれだけの方がそのようなことアプリシエートしたのだろう?? 2.7万回も再生されているからそれなりにはされたのだろうが、録音だから家庭でそれぞれの装置で聴かれたわけで、そこで固有の条件が発生しており、前述のように残されたものの音の状態は一様でなくメディアによってクオリティに甲乙丙丁の大差がある。だからドロドロみたいな微細なものまで評価しての数字であるはずはなく(だって聞こえないのだから)、それで2.7万回なのだから良い装置で聴かせたら評価はその何倍にもなるだろうからもったいない。ブーレーズの神の領域のセンスを広く後世に認知させるためにも、ぜひ全曲にじっくり耳を傾けていただきたい。
こうした超マニアックな世界は一部の好事家だけのものだろうし、99.99%の人にとっては全然どうでもいいことだろうが、僕は聴衆には聴衆ならではのプロのレベルがあると思っており、超マニアであることに誇りを持っている。ちなみに僕を評論家と思っている方がおられるようだがそれはとんでもなくあり得ない誤解である。作曲家や楽曲や演奏家に好き嫌いのある評論家はいないことになっているからだ。僕においてそれは大いにあるし、嫌いな曲なのに良い演奏だなんて人様に推薦するなど、上がらないと思ってる株をお薦めするほど罪深いと感じてしまうからだ。だから僕のような聴き手は「評論家」でもなければ「通」とさえも言わない。通は歌舞伎の常連さんのような博識の観上手であって、皆の良きお手本にもなろう。かたや僕のブーレーズ論は世界で4,5人ぐらいしか通じない可能性があるのであって、そんなのを覚えておいても変人と思われるのが関の山だからむしろお勧めしない。
そこまで超マニアックな人間でも喜々として生息できる。これがクラシック音楽というアートの奥深さでなくて何だろう?僕のような人種が絶滅し、譜面をきれいになぞったベト7の美演、熱演にブラボーが乱れ飛んで、その声をきいてああこれは名演奏だったんだと満足して家路につく人が9割ぐらいの演奏会ばかりになったら、もうクラシックは終わっている。いや、ハレの気分を味わうためにミシュランの星の数を調べて高級フランス料理店に女性と出向く客と同様、クラシック演奏会の聴衆がいなくなることは絶対にないが、能力ある音楽家の皆さんは新宿コマ劇場のディナーショー程度の客を相手に海外コンクールで入賞したり留学したりして鍛えた腕を振るう羽目になろう。音楽ってそんなもんでしょ、楽しければいいよ、という人達の間にちんまりと需要と供給が成り立っても結構だが、それは創造的空間とは別次元のひとつの産業、インダストリーであり、そこから人類史に残る作品や演奏が出現する可能性は著しく低まるだろう。
だから、いまや超マニアックどころか普通にマニアックなものまで消滅が危惧されるという時代の趨勢はとても気になっている。例えば何かというと、各国のオーケストラの固有のカラーが消え失せて “グローバル化” し、どれもこれも似た音のする国連交響楽団みたいになって「それが一流なんです」みたいになってきている感じがすることだ。何やら人類皆兄弟のポリコレの匂いすら覚えるのだ。先日聴いたパリ管弦楽団も、ミュンシュ時代よりずっと高性能にはなって文句のつけようもないリッチな音を聴かせたが、昔のフランスっぽい管の色香が失せていたのは寂しい。贅沢な文句ではあるが、あれならマケラが振ればベルリン・フィルでもシカゴ響でもよかったと思わないでもない。穿った見方をすれば、マケラは時代の申し子として、そういう役割を担った俊英として見出された可能性すらある。
指揮の傾向においてもそうだ。神は細部に宿る。あんな細部まで神経を通わせるこだわりの指揮者がブーレーズ亡き後現れるのだろうか(熱望するが、今のところ知らない)。僕は彼の春の祭典を実演で2度聴いたが(東京でNYPO、フランクフルトでLSO)ドロドロはどちらもいまいちでがっくりきた。彼自身ですらCBS盤の演奏は二度と再現できないのだという事実がわかってしまい、初版LPへの愛おしさが増した。あれはビートルズ後期アルバム同様の「レコード芸術」なのか?本人に聞いてみたかった。オーケストラを立派に鳴らすという技芸は大事だが昔はもっと大事なものがあった。そっちが疎かになった国連交響楽団。美人のスペックに合わせて顔立ちを綺麗に整形した女性。僕には不気味な蝋人形にしか見えない。
畢竟、音楽というものは「狂気」を孕んでいる。少なくとも、そういうものだけが歴史の時を超えて残ってきている。普通の人でも訓練すればそれを演奏はでき、ディナーショーの客を心地良くすることはできる。そういうプロダクションの「カルメン」(99%はそれだが)を何度観て退屈したことか。あれを書いた36才のビゼーは狂っており(病、歌手ガリマリエ)3カ月で死んでしまったのだ。グレン・グールドはおそらく何かを嗅ぎ取ってカルメンの7年前に何のために書いたのかわからない「半音階的変奏曲」を録音したが、今も世界の歌劇場で「カルメン」はそんなこととは無縁の様相で、素人客を呼べる人気の演目としてもてはやされている。こういうのをサティは「家具の音楽」と言ったのだ。
春の祭典、たくさん買った音源(91枚)の演奏比較をブラ2みたいにやろうと思ったことがあるが、結局やめた。なぜなら、どれを聴いてもブーレーズが凄すぎてお話にもならない。哲学のカケラもない。何か書こうって、阿保らしくて1行で文章が終わってしまうのである。こんな聴き方をしている人は世界にもあまりいないということはyoutubeに各国語でいただくコメントでわかっている。本盤の「音」の違いをアプリシエートしたと思われる文章を書きこんでくれた外国の方が2,3名おられるぐらいであって、それでも彼らと話して通じ合えるかどうかは心もとない。まして春の祭典はロックだみたいな昨今の傾向はジョーダンよし子さんも甚だしい。「これを振れるのが価値」だった時代から一足飛びに「古典として振って見せるのが価値」の時代になった。どっちも、根本的に、考え方が非常に間違っている。「難曲だ」という主観が前提にあるからだ。ブーレーズにそれはない。淡々と数学の問題を解き、難問だったと思わせない自然で美しい解答を力強く提示している。この理性のキレ、インテリジェンス、美的センスのバランスの良さは驚異であり、わかる人だけにわかる。なんにも考えず器用に棒だけ振り回してる指揮者なんかと同じ職業と言うのも憚られようというものだ。
僕がシンセを弾いてオーケストラ曲をMIDI録音していることは書いた。自宅でヴァイオリニストの古沢巌氏に聞かせたらこれ大変だったでしょとあきれられたが、彼は音楽における僕のキ印性格を熟知している。他人様がどうあろうと麻薬なんだからどうなるものでもないことを。本当はシンセでなく実物のオケで録音したいし、マーラーの2番をウィーンフィルを振って録音したビジネスマンのギルバート・キャプラン氏もいるねといったら古沢くんはオケはいつでも集めますよと笑った。現実的な処でプロの指揮者と契約して麻薬を一言一句僕の思う風に振っていただくのはありかなと思う。祭典、海、ダフニス、弦チェレ、オケコン、エロイカ、ライン、ブラ4、悲愴、ブル8、魔笛、ボエーム・・いやはや、こりゃ大変だ。
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魔笛再考(ハンガリー国立歌劇場公演にて)
2022 NOV 9 23:23:42 pm by 東 賢太郎
西室兄が武蔵野で魔笛を聴いたのは知らなかった。それはよかった、僕は6日に上野のほうをきいて久しぶりに楽しんだところでした。歌舞伎を知りませんが西室の視点はとても面白い、たしかにパパゲーノは狂言回しかもしれないのです。
「魔笛」の筋書きについて書いておきましょう。骨組みはこんな感じです。
ある王子が別の国の女王から「あんた、ウチの娘を救出してちょうだい」と頼まれる。娘は女王の夫である王の城に捕らわれているのだ。王子がビビっていると魔法の笛が手渡され「これを吹けばあんたは安全よ、うまくいったら娘は嫁にやるわよ!」と送り出される。王子は城門で説教を受けて中に入り王の前で娘と出あう。そして殿堂に入会するための試験場に送られる。一次試験は沈黙を守って合格。二次は魔笛を吹いて切りぬける。晴れて合格。娘と結婚し、女王は王が放った雷に打たれ、あれ~っと奈落の底に落ちてオペラは終わる。
どこにでもある勧善懲悪ストーリーですが、なにかおかしい。女王=善人、王=悪人が途中で逆転するのが不自然だというのが最も多い批判でしょう。でも、どっちであれ夫婦喧嘩でしょ、娘も困ってるしという見方もできますし、作者が意図したちょっと下手くそなどんでん返しと思えないでもありません。
しかし、ひとつだけ、変な所があるんです。「魔笛」をくれたのは女王だということです。王子は王に見こまれて依頼人の女王をあっさり裏切ります。しかも女王の魔笛のおかげで難局を切りぬけて娘と結婚してしまい、娘を取り戻したかった女王はあえなく命を落としているわけです。つまり王、女王のどっちが悪人だろうが入れ替わろうが、王子は決定的に悪い奴であり、スパイ映画なら女王の仲間に撃ち殺されてるでしょう。
ところが、さらにややこしいことに、この話の主役はその王子なのです。娘を救出する決心をするまでのドタバタ、果敢に城にもぐりこむまで、そして数々の難題や試練に耐えるシーンがオペラの時間の大半を占めているからです。だとすると主役=悪役であり、勧悪懲善になって誰も支持しませんね。
ところが、王子には子分がいるんです。だからストーリーは肉づけされます。さきほどの骨組みにそれを加えてみましょう(オリーブ色の部分です)。
ある王子が子分と出あい別の国の女王から「あんた、ウチの娘を救出してちょうだい」と頼まれる。娘は女王の夫である王の城に捕らわれているのだ。王子と子分がビビっていると魔法の笛と魔法の鈴が手渡され「これを吹けばあんたは安全よ、うまくいったら娘は嫁にやるわよ!」と送り出される。まず子分が娘を見つけて王子の存在を伝える。王子は城門で説教を受けて中に入り王の前で娘と出あう。そして殿堂に入会するための試験場に送られる。一次試験は沈黙を守って合格、子分は不合格。二次は魔笛を吹いて切りぬける。晴れて合格。娘と結婚し、見捨てられた子分は世をはかなんで自殺を図る。制止され鈴を鳴らすと恋人が現れ、彼も幸せになる。女王は王が放った雷に打たれ、あれ~っと奈落の底に落ちてオペラは終わる。
いかがでしょう。王子の変心は、決して女王を裏切ってはいない娘が自分を受け入れてくれたからで、それは事前に娘に会っていた子分が「王子は立派なイケメンだ」と知らせてくれていたからです。ご覧のとおり、子分の存在が入ることで王子は悪役のイメージから逃れ、まじめでウブで憎めないキャラになってきます。でも子分自身はダメな奴で、臆病者で、見栄っ張りで、我慢はできず、駄々っ子みたいな野生児で、もちろんカノジョはいません。王子は幸せになったのになんで俺は・・・と嘆き、1,2,3と数えても誰も止めてくれないので首を吊ろうとする。すると突然カノジョが現れ、最愛の人!と抱き合い、パパパを歌って踊ってたくさん子供をつくろうねと幸せをつかむのです。
この子分こそパパゲーノです。
実は6日に上野へ行った日曜日、ちょっと仕事がたてこんで寝不足で疲れたりしており、あんまり気乗りしてませんでした。オペラが始まってもエンジンがかからず、休憩になって今日はダメだなとあきらめたのです。ところが後半に歌手たちが良くなってきてオーケストラも温まってきて、ところどころで「モーツァルト凄い」と口走ってる自分がいます。パパゲーノも日本語で笑いを取ったりのいいキャラでした。そしていよいよあの自殺シーンがやってきます。実は、劇場ではいつもここ警戒なんです。
がんばったけど、やっぱりだめでした。
もう聞く前からわかってる。でも必ずそうなる。凄くないですか?こんな音楽は二つとない。なんでこんなにぽろぽろ涙が出るんだろう?いつもそう思って周囲の目が困るんです。ここに「モーツァルト凄い」の秘密がある。でも楽譜を逆さにしてもピアノで音出しをしてみてもですね、メロディも和声もリズムも何の変哲もなくてキツネにつままれるだけなんです・・・。
つまり、魔笛の陰の主役はパパゲーノです。西室が狂言回しとみたのも言い得て妙。カルト宗教にひっかかるタイプのタミーノ王子は引き立て役なんです。
このストーリーを書いたシカネーダーという男はドサ周りで「音楽つきドイツ語演劇」(ジングシュピール)を興行する一座の親分です。モーツァルトがザルツブルグにいた時分に巡業にやってきて家族ごと仲良くなっており、性格的にもウマが合ったふしがあります。生まれは最下層ですが単なる田舎芝居の芸人ではなく、インプレサリオであり劇場支配人であり事業家であり台本作家であり役者であり歌手でもあるという驚くべき多才な男でした。初演のパパゲーノを彼がやったというのは、二人がこの役にこめた気合のようなものを物語ってます。僕が注目するのは、彼もフリーメーソンだからモーツァルトの同志であり、性格だけでなく階級も思想も合致していたに違いない、だから最晩年のモーツァルトとは同じ未来像を描き、いわばジョイントベンチャーの経営者として歩みを進めつつあったと考えることが可能だからです。
その証拠としてフィガロが出てくるのです。曰く付きのこれをドイツ語劇(音楽なし)として1785年にウィーンで上演しようと画策したのがシカネーダーだったというのは注目です。その計画は検閲に引っかかって直前にキャンセルされましたが、イタリアオペラに仕立ててこれなら大丈夫と皇帝を懐柔して翌1786年に上演してしまったのがモーツァルトだったのは周知ですね。これが貴族を警戒させたことは早々に別のオペラに差し替えられたことでわかります。結局、次作ドン・ジョバンニもその次のコシ・ファン・トゥッテもウィーンでは当たらず、三大交響曲も日の目を見ず、ロンドンからのお声もかからず、活路を見出したのがシカネーダー一座の「音楽つきのドイツ語演劇」への作曲であり、その第一号として「魔笛」を書いたというのが大まかな流れです。
シカネーダーとモーツァルトは当初は入信式で2組のカップルが結ばれるハッピーエンドのようなものを構想したと思われます。ところが、だんだんと二人の階級闘争魂に火がついてきて、自分たちと同じ平民であるパパゲーノに自己投影をした部分が膨れあがってきます。それはフィガロの二の舞になりかねず危険なのですが、王子王女も試験に合格して歓喜の抱擁をするのだからおとしめてもいない。しかし平民が絶対に勝たなくてはいけない。そこで王子王女の喜びの抱擁の直後にパパゲーノの自殺からパパパに至る「真のフィナーレ」をぶつけて貴族への賛美を吹っ飛ばすのです。「音楽の力」で勝利をおさめようとモーツァルトは全身全霊でここに物凄い音楽を書き、圧倒された我々は祝福の涙を流し、パパゲーノとパパゲーナが抱擁するころにはみんなタミーノもパミーナも忘れてしまう。モーツァルト、本当に凄い!
以上のことは、魔笛初演のわずか2か月と6日後に忽然と世を去るモーツァルトについて語るための重要なステップであります。
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ドビッシーの「海」は雅楽である
2022 NOV 3 16:16:51 pm by 東 賢太郎
序
僕がドビッシーの「海」が好きなことは何度も書きました。この音楽がはじまると目の前に海がほんとうにある感じがして、そこに広大な空間と宇宙的な質量を感じ、時とともに微風がさざ波をたて、眩い陽が目をくらまし、波しぶきが砕け散り、風があおって水面がうねり、夕陽に雲がかかって遠く海面に影が差す、そうした様々な出来事をリアルな遠近感をもって感じます。聞こえている音は意識からは消えていて、そういう光景を現実に見たときに僕が感じるある感情だけが残るのです。ひとことで言うなら、とても四次元体験的です。それはどこの浜辺で見た海でもなく、心に蓄積しているイメージかイルージョンかもしれません。それを「海」のスコアがどう喚起してるのか?それはそちら側でなく僕の側に理由があるわけです。
チェリビダッケが語っていたこと
「海」をなんらかのモノで表わそうというなら、つるつるして色鮮やかな素材を折り曲げて組み合わせた抽象的なオブジェというところです。こういう質感を伴った「感じ」をクオリアと呼ぶそうです。茂木健一郎氏によると、脳内のニューロン活動に伴う「随伴現象」で、我々が認識しているのは脳内のそれだそうです。そういえばチェリビダッケがそれに似た概念なんでしょうか epiphenomena という言葉を使ってました。
カーチス音楽院でのことです。舞台のピアノをポンと鳴らし「これは音だ。音楽ではない。音楽ならば epiphenomena (随伴現象)がある。演奏のテンポはそこの情報量で決まる」と。「それが多いと聴衆の脳は理解に時間がかかるのでテンポは楽譜の指示より遅くすべきだ。しかし随伴現象はマイクに入らないので録音を聞いてもその意図は伝わらない。だから私は録音はしない」と。
この講義から40年。以来、コンサートに行きますと、演奏前に随伴現象に影響するもの、たとえば、会場の構造、残響、座席の位置、天気、湿気、客の入りと質、オケの状態や鳴り具合から自分の体調まで気にするようになりました。家でレコードやCDを楽しむ場合、自分の部屋の状態はあまり変わらないので、そこで良い演奏に聞こえるのが良い演奏だという宗旨になりました。
シュトゥットガルト放送響による「海」Mov1の練習風景の録音があります。彼は冒頭の低音から立ち上がる響きを何度も修正し、歌声や口笛まで交えて随伴現象を確認しながら演奏を作るさまは創造的発見に満ちています。しかし、そうして作り上げたものも、当日に客が入ると変わるのです。
ミュンヘン・フィルの「海」です。
この録音会場の随伴現象は不明ですが、練習で時間をかけた所は概してテンポが遅く、情報量は多いかなという風に意図が見えてきます。彼はこっちの脳の処理速度を気にしてますが、彼のその判断の是非も含めて聴いていると飽きません。ちなみに、僕は職業がら「言葉」で仕事をします。言葉は吐けば終わりでなく理解されないと商売になりません。同じことをやってると思います。
まさしくそういうことなのですが、本稿をご理解いただくには楽譜の引用がどうしても必要です。そこで、12個ある引用譜のそれぞれを「音」で聴いていただくために、このビデオの演奏における該当箇所を「何分何秒」という形でお示ししておきます。
1905年のドビッシー
ドビッシーは仕事部屋に北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を飾っていました(写真)。1889年、1890年に開かれたパリ万博の日本展示館で雅楽の笙(しょう)の楽譜を見て驚きその和声を研究したと書かれたサイトがあります(出典未確認)。そして15年たった1905年に「『海』管弦楽のための3つの交響的素描」という当時としてはプログレッシブな作品を発表するのです。作曲の動機として北斎や雅楽が影響したという説はありますが本人の言及はありません。
当時のフランスの作曲家はワーグナーの影響を受けながら、従来の技法に行き詰まっていました。文学、美術など時代の諸芸術の潮流にアンテナが高かったドビッシーが万博で知ったインドネシアのガムラン音楽をよりどころに道を切り拓こうとしたことは通説です。生演奏を聞き、言及もした記録があるからです。ラヴェルの jazzの影響は音の引用で議論の余地なしですが、ドビッシーは抽象化した語法として用いる人でした。もとより創作の元ネタを明かす芸術家は稀で、ラヴェルの方が珍しいのです。ですからドビッシーにおけるガムラン以外の東洋音楽の影響は想像の域を出ませんが、なかったと言い切る論拠もありません。
2つの仮説
したがって、ここに “ある余地” が生まれてきます。英国の推理小説『時の娘』の方法を適用することです。この題名はTruth, the daughter of Time(真理は「時」の娘であり、権威の娘ではない)に由来しており、筆者ジョセフィン・テイは歴史解釈の新たな余地を推理によって掘り起こしましたが、僕はある仮説を立てることでそれをしてみようと思うのです。以下、海でなく「海」と書いた場合は「『海』管弦楽のための3つの交響的素描」を意味します。
ドビッシーはオペラ「ペレアスとメリザンド」(1902)の成功でワーグナーを超えたとされ、新音楽の教祖的存在となってレジオン・ドヌール勲章を受勲します。そこで楽壇ではペレアス流の新作への期待が高まりましたが、二番煎じを嫌う彼は「それをするぐらいならパイナップルの栽培でもするさ」と仲間への書簡で述べ、作曲のディメンションを更に広げる技法を希求していたのです。そこで以下の2つの仮説が出てきます。
「毎日のように見ていた『神奈川沖浪裏』のビジョンが彼の心にざわめきをおこしていた」というのが仮説1です。ドビッシーは「海」の作曲を始めた翌年に、銀行家の夫人エンマ・バルダックと不倫の逃避行に出て、イギリス海峡にあるジャージー島、ドーヴァー海峡に面したディエップで2か月を過ごしパリに戻ります。どうしても必要だったペレアスとの決別にエンマと海が関与しました。そこで見た海が北斎と同期し、記憶や文学の海を呼び覚まして楽想を得たのです。
さらに、「万博の日本館で聴いた『雅楽の音階』はもうひとつのざわめきとなっていた」というのが仮説2です。音階(モード)による作曲はすでに彼の技法の根幹だったことはペレアスはもとより「海」の作曲中に書いたピアノ曲「喜びの島」における全音音階、リディア音階の使用で明白です。そこに新たに加わった東洋の響きの音階が海の楽想と共振し、誰も知らない異界の音に満ちた「海」の着想が生まれたと推理します。
波と音階
波をドビッシーはそれらしい「波音型」にします。
これはワグナーのライトモチーフと同じで何ら新しさはありません。海のイメージを表象的に喚起するものはこれだけで、初演当時の批評は「海の音も景色も匂いもない」と冷淡でした。現代ですら「海の情景を描写した音楽」「北斎の浮世絵にヒントを得た印象派音楽」のような解説がプログラムにのったりして驚きますが、どちらも誤りであるばかりかドビッシーが心血注いだ斬新性に気づいてもいない表明にすぎません。
では何が斬新なのか?音階による非三和音的な音響世界が全曲を支配することです。その点で誰の後継者でもなく、ドビッシーが用法の扉を開いた全音音階の使用を “移調の限られた” というルールで拡張してさらに独自の世界を築いたメシアンという後継者が出ています。その着想が進化可能性を秘めた “原理的” なものだったからです。原理でない新しさは新奇ではあっても革命にはなりません。
響きの個性やイディオムというものは、由来がアメリカ黒人音楽だろうがジャワ島の民族音楽だろうが「何々風」というオーナメント(装飾)の新奇さであり、原理にあまりこだわらないラヴェルは「ジャズ風」なイディオムをそのように取り入れています。しかしフーガや十二音技法のような作曲法の原理である場合、「フーガ風」や「十二音風」というものはナンセンスなのです。
ライトモチーフにすぎず斬新さの核心ではない「波音型」が何に由来していようとドビッシーは構いません。だからスコアの表紙は北斎にします。しかし、原理の由来は斬新さの由来でもあります。ガムランは素材自体が斬新でしたが、浮世絵がすでに認知された日本の音階を借りてきましたといって斬新との評価が得られるとは思えません。だから多くの書簡や著述を残しているのに「海」については多くを語っておらず、創作の核心部分は秘められたままになっているのです。
つまり、言葉の語弊を顧みず書きますが、由来を秘匿して雅楽から盗んだ。その証拠が「海」のスコアに見つかるはずだ。そう考えてやってみました。すると、それがあったばかりか、楽器や管弦楽の響きもコピーされているという3つ目の仮説に行き当たったのです。
3つ目の仮説
「海」でなにより僕の耳に残るのは “タラーーーーー” という2度音程の音型です。これは長年の謎でした。子供のころ、自転車で行商にくる豆腐屋さんがラッパで吹いてたあれです。パックのように変幻自在、神出鬼没で何ら構造的、有機的な役割は負っていない2つの音を「主題」と呼ぶのはなんぼなんでも無理です。「海」は交響的(symphoniques)とタイトルにあるようにドビッシーは交響曲が念頭にあり、「主題」にふさわしいものを各楽章に置いています。それが主役であるなら「狂言回し」のようなものですが、どういうわけか僕の中では主役より存在感がある。これが謎だったのですが、ある日、偶然にyoutubeで雅楽を聴いていて “それ” に気がついたのです。
“タラーーーーー” はドビッシーの耳に焼きついた篳篥(ひちりき)の音の epiphenomena(残像)ではないか
これが仮説3です。くり返しますがドビッシーが雅楽を聴いた言及はありません。しかし、「海」のスコアには日本の雅楽の五音音階を引用したと思われる箇所が2つあり、それも「陰旋法」「陽旋法」というペアの2つですから「他人の空似」である確率は低いと思います。ということは、ドビッシーはそれらを聴いたか楽譜を見たかですが、雅楽の記譜法を知らないと音を想像することは困難なので「聴いた」と考えるのが自然ではないでしょうか。
篳篥の音は一度聞けば忘れません。しかも、アインザッツ(演奏始めの瞬間)の、長2度下の前打音から速いグリッサンドで主音に到達する “タラーーーーー” はいかなる西洋楽器にもない音です。やはり見たことがなかった北斎の「大波」と同じほどドビッシーの心に刺さったとして不思議でなく、「海」作曲中に脳裏にまつわりついて、全楽章に登場してるのです。
このビデオは雅楽の代表作「平調 越殿楽」です。2分49秒から入る篳篥のユニゾンが “タラーーーーー” です。皆さんの耳でお確かめください。
また、彼が笙の和音の楽譜に衝撃を受けて研究したならばこのような合奏体を聴き、「海」に取り入れておかしくありません。そう聞こえる箇所があるのです。Mov1コーダ直前のここです。篳篥は縦笛です。管の上部に差し込んだ葦(あし)の茎に息を吹き込むダブルリード楽器であって、オーボエと同じ種族です。オーボエ族のイングリッシュホルンを8分割した弦が伴奏しますが、これが笙のように聞こえます。
(楽譜1)(ビデオの11分23秒)
では篳篥のタラ――――は「海」のどこに聞こえるのでしょう? 最初のお目見えは曲頭すぐにチェロで出てきます。ビデオの1分20秒の所をクリックしてください。
(楽譜2)(1分20秒)
ドビッシーはこれを今度は親類のオーボエに吹かせます(Mov1第6小節)。
(楽譜3)(1分46秒)

「海」のそこいらじゅうにある “タラーーーーー”
作曲の腕の見せ所にも使います。全オーケストラが沈黙し、四分割したチェロセクションでがらっと場面の変わるここはまさに「狂言回し」です。斬新だったのでしょう、ストラヴィンスキーが「春の祭典」で金管で模倣しています。
(楽譜4)(8分28秒)
Mov1の壮麗なコーダではトランペット、ホルンが最強奏でそれを吹きます。ここでは楽章を閉じる大事な役目を与えられています。ホルンのパートをご覧ください。
(楽譜5)(12分23秒)
木管、弦の細かい波しぶきのような動きに音価を合わせ、Mov2ではタラーーーーーの「タ」が前打音になってホルンに頻出します。ここでは全管弦楽の律動をせき止め、ホルン(楽譜6)と木管が ff でタラーーーーーを吹きます。ここまでタラは上向きでしたが、ここで初めて下降型が登場し、Mov3の最後は下降になります。
(楽譜6)(18分57秒)
Mov3では、弦が執拗にくりかえす波の音型にのってホルンが “タラータラー” と嵐のように凶暴に吼えます(ここも「春の祭典」に遺伝)。
(楽譜7)(26分04秒)
それを静めていくコルネットの弱奏(27分06)秒もそれです。次にヴィオラがこれの下降形を出します(32分02秒)。これに第2Vnが加わり(32分08秒)、金管パートの有無でスコアの版が分かれる8小節に木管とチェロが 強奏します(32分30秒)。次いで変ニ長調の全奏ではピッコロが上昇形を吹きますがこのあたりは幻想交響曲のMov5コーダの狂乱を想起させます。全曲の大団円(楽譜8)では下降形が金管によって最強奏で吹かれ全曲を閉じます。ホールに轟き渡るコルネットのパートをご覧ください。
(楽譜8)(34分02秒)
かように “タラーーーーー” のすべての可能性を試して全楽章に登場させますが、主題はMov1第12小節のハ短調の旋律がMov3にも現れ、Mov2は第9小節の全音音階の旋律など複数あり、Mov3は練習番号46が主役です。この曲の解説にはどれも「循環形式」と書かれていますが、全楽章に縦横無尽に循環しているのは主題でないタラ――――だけで主題はそうではありません。
船と富士山を消したわけ
以上でお分かりと思います。 “タラーーーーー” は枢要な場面で鳴り響き、まるで運命交響曲の タタタター のように「海」のアイコンとなっているのです。2音の分子のようなものというべきでしょう。つまり交響的作品を構築するための抽象化されたミニマルかつインパクトある素材を和楽器から偶然に見つけてしまったのであり、その効果は素人の聴衆ばかりかプロであるストラヴィンスキーが真似るほど顕著でもあり、ひそかに快哉を叫んだに違いありません。
彼が「海」について多くを語らずその由来を隠したのは音階が原理だからと述べましたが、原理ではないタラ――――のほうも出現こそ散発的ですがアイコンたりうる頻度であり、しかも可塑性ゆえに構造に関わる骨格に組み込まれています。それが篳篥の音に由来することは黙すれば隠せますが、雅楽に関わったこと自体を秘匿するに越したことはない。北斎を所有してることは世間に知られており、浮世絵としてのそれがいまさら先進的な題材ではあり得ないことも既知のことです。そこで「大波」だけをクローズアップして見せ、波音型の由来を自ら進んで公開してしまい、「その変容を時系列で描くモダンで抽象的なアートを仕上げたのだ」と主張すれば「日本」は切り落とされ、雅楽に想像が及ぶことはないだろうと考えた。だから、日本に紐づけされないように船と富士山はどうしても消す必要があったのだというのが僕の推理です。現にこの作品はそう解釈するのが世界の常識となっており、雅楽に由来するなどと言った人はいません。作戦は成功したのです。
では次に音階(モード)との関連を物証(楽譜)から検証します。
まず初めに、なぜ彼がそこまで隠す必要があったかという背景の説明が要るでしょう。「海」作曲の頃のパリのジャポニズム(日本趣味)は絵本まで出る大衆文化になっていました。その発端は嘉永年間(19世紀半ば)にペリーの黒船来航から西洋の商船が日本に押し寄せて浮世絵などを持ち帰ったことで、世紀後半には絵画、版画を中心にブームを巻き起こし、保守派代表でそういうことを最もしそうにないサン・サーンスまでが浮世絵を題材とするオペラを1871年に発表しています。「海」作曲中のドビッシーは愛人と逃避行中の身であって、妻が自殺未遂事件を起こして世間からバッシングまで受けるという人生最大のピンチに陥っていました。ペレアスの成功で時代の寵児に祭りあがっていた彼はその期待の延長線上である「プログレッシブ路線」で成功しないと名誉を失いかねない危険な状況にあったのです。だからそんな境遇でも短期間に集中して「海」を完成した。その命運をかけた作品が手垢のついたジャポニズムというわけにはいかなかったのです。
四次元的体系の正体
では次に、 “タラーーーーー” がどうして切り札になるほどのインパクトがあったのかを分析してみましょう。最も重要なのは「なぜ音程が2度なのか?」ということです。篳篥の前打音「タ」と主音「ラー」がそう聞こえることもありますが、より構造的な理由があります。 雅楽の楽律構成は順八逆六といい、一つの音から上に8番目の音(完全5度上)、逆六とは十二律で一つの音から下に6番目(完全4度下)の音を求めることになり、ピタゴラス音階と原理的には同じです。つまり純正な5度と4度の音程は得られるが、3度と6度は純正にならないのです。だから5度と4度と、その差である2度が多用されることになります。「平調 越殿楽」の主旋律がまさにそれです。
では「海」はどうか?Mov1の冒頭、ニ長調から変二長調になって現れる主題(楽譜9の赤枠)をご覧いただきましょう。これは雅楽の「陽旋法」から取った4つの音だけでできています。2度下がり、その4度下でまた2度下がる。そして、それの5度下で平行して同じ旋律が重なる。つまり、5度と4度と2度で主題ができています。主題(右手)だけ弾くと調性感が希薄で非西洋的な響きがします。雅楽と同じ素材なのだから至極当然です。そしてそれはパリの人間に耳慣れない「先進性」がどうしても必要だったドビッシーには願ったりかなったりの可塑性、進化可能性を備えた素材でした。
(楽譜9)(3分43秒)
このように「雅楽の旋法」に基づく部分は三和音の長調・短調の和声が自然の倍音の動きとしては付けにくく、無機的であると同時に水平方向に運動するエネルギーを感じさせます。それに対して、この例では伴奏(左手)に和音がつきますが、ド・レ・ミ・ソ・ラの密集和音(この書法は「ペトルーシュカ」に遺伝)であり、バスが変ニ長調を確立するので和声的な感じがします。こちらは垂直方向の重力に向かうエネルギーを感じさせます。この縦横の二次元の運動に、6パートで分奏される弦、ハープ、ホルン、木管が舞台上に遠近感をもって分散して定位し、三次元空間の運動となる。これに時間が加わって四次元のイメージが完成します。いまの耳で聞いても新しいものでであり、「海」に僕が唯一無二と感じるものの正体でした。チェリビダッケはこの部分に綿密な練習を施しています。
なお、ド・レ・ミ・ソ・ラの音列は「ヨナ抜き音階」と称され、日本を含む東洋音楽に頻出しますが、新世界交響曲のMov2のようなスラブ音楽にもありますから本稿の論旨としての日本伝統音楽(雅楽)にはカウントいたしません。
「雅楽の旋法」に基づく証拠部分
雅楽の5音音階の1つが「陰旋法」です。これです。
(楽譜10)

「平調 越殿楽」の篳篥の旋律はこの楽譜を短3度高く移調したものを素材にしています。では「海」はどうでしょう?Mov1が変二長調になる直前にそれがあります。わかりやすいフルートの楽譜をご覧ください(下)。楽譜7の音階を半音高くしたものですが、第2音を欠いており調性が曖昧にされています。それがレなら「陰旋法」、ミ♭なら「陽旋法」ということになります。
(楽譜11)(2分16秒)
ややマニアックなことになりますが、「海」のスコアには謎があります。Mov1の冒頭の部分です。ソにずっと臨時記号の#が付くのになぜドビッシーが曲頭の調性を#3つではなく2つに書いたか?その不経済をもってしても譲れない大事なものは何かということです。バスは「シ」ですがロ短調の部分はなく、バスが「レ」となってしばしニ長調になる部分(第17~22小節)に照準を合わせたと考えるしかありません。なぜそこが大事だったか?この5小節はティンパニが「レ」のトレモロを打っており、直後に現れる楽譜2の音列に加えるとド#-レ -ファ#-ソ#-シ -ド#の「陰旋法」になるのです。同時には鳴ってませんが残像があってその暗い翳りの暗喩になっています。
次は雅楽の5音音階の1つ「陽旋法」です。➀「ドレ」➁「ファソ」③「シ♭ド」の2度間隔ペアが4度の間隔で並びます。
(楽譜12)

「海」はどうでしょう? Mov2を締めくくる夢幻的なハープ、フルート、グロッケンはこの楽譜を半音高くしたものです。
(楽譜13)(21分01秒)
もうひとつ、これは雅楽の音ではないので本稿の論旨から外れますが、Mov2にハープで出てくる全音音階はMov2の「異界性」を象徴します。ちなみにこれはメシアンの「移調の限られた旋法」の第1番です。
完全5度を欠いているので、これを聴くと人は心がざわつき、不安な epiphenomena を見ます。どこか知らない所へ迷いこんでしまったような・・・。
うまく使った例がこれですね。冒頭の音です。8才でしたが怖いなあと思ってました、それでアトムが頼もしく見えるんですね。
伝統的和声音楽へ回帰して「海」は終わる
一方、「海」には三和音による和声的(非旋法的)部分があります。その最たる例がMov1のコーダです(楽譜5)。直前の魔界(楽譜1)の長いトンネルを抜け出してホルンが牧歌的に響く(楽譜15)への移行はストラヴィンスキー「火の鳥」のフィナーレへのそれと印象が酷似しています(調性も変ト長調と嬰ヘ長調で実質同じ)。本稿は期せずして、三大バレエを書くにあたってストラヴィンスキーが「海」から多大な影響を受けていたことを明らかにもしています。
(楽譜15)(10分55秒)
この神々しいコラール風の楽想はMov3で2度再現し、最後の最後に至って感動の大団円への橋渡しをするのです。和声進行は、コードネームで書くと G♭、C♭7-9、G♭、D、E/d♭、D、E、G♭ 、C♭7-9、D♭~です。これはペレアス世界への回帰です。だから当時のパリが評価したのはこれではありません。ここから異界に飛んだ先進性が評価され、その異界を構成したのはコードネームで書けない音階(旋法)だったのです。トリスタンとイゾルデを研究したドビッシーは和声の終焉を悟りタテの論理よりヨコの論理に未来を見ます。それが音階(旋法)でしたが全音音階はペレアスで使っており先進性になりません。だからドビッシーは新しい音階を探していた。それが雅楽だったと考えるのはエキサイティングなことです。
「海」を聴いた感動というのは非常にユニークです。多くのロマン派交響楽は苦悩から歓喜へ一直線に向かっていく感情を喚起します。だから運命や第九をきき終わると元気が出て、頑張ろうという気になります。ところが「海」はちがう。ほっとするのです。ダイビングで暗い海中に潜って、無事に丘にあがったときの感じです。若い頃、Mov2を聴くとお化けが跋扈する幻想交響曲のMov5を連想していました。そこから帰還したほっとした感情は、「5度、4度、2度が支配する不安からの開放」、「伝統的な三和音世界への回帰」の喜びです。
結
「時の娘」流儀で推理はしましたが、真相はドビッシーにきくしかありません。ただ、そのおかげで「海」のスコアについていろいろなことを知り、いまあるのはドビッシーへのリスペクトだけです。好きだからできたことです。好きなことを好きなだけできる、僕にとってこんな幸せはありません。
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やっぱり凄かったマケラ(2度目のパリ管)
2022 OCT 19 8:08:46 am by 東 賢太郎
BプロのS席の最後の数枚が残っていたのに感謝です。元々2万円台の予定が円安で3万2千円。こうやって輸入品が全て値上げになってます。これが高いか安いかは中味次第ですが、結果として、とても安かったです。10月15日に続いて二度目のドビッシー「海」でしたが、これ、掛け値なしに “人生ベスト” でした。67年も生きてきて今さらサイコーなんてもの、そうはありません。忘れたくないので、しばらく同曲をきくのはやめます。Mov1のコーダは終楽章の締めにも出てくるいわば同曲のアイコンです。しかし満足なものがない。やっと見つけました。マケラは圧倒的、衝撃的に見事。言葉もなし。ベストと書くのは3つの楽章に渡ってそういうものがたくさんある、その集大成としてです。15日の東京芸術劇場も良かったのでしょうが、結論だけ書くと、ドイツ物はそっちで聴こうかと思います。フランス物はサントリーかなと思いました、これ初めてのことです。
なにせ、昨日のパリ管、サントリーホールでこんなに良い音のするオーケストラ演奏は僕は一度も聞いたことがありません。昨日の席のあたりでクリーヴランド管を聴きましたが、がっかりだったので、やはりオケに秘密はあるはずです。フランスのオケというと弦は独墺系より薄目で管が色彩的で煌びやかというイメージを持っておられる方が多いかと思います。マケラのパリ管は違います。すべての楽器が特別な上薬でも塗ったかのようにつややかで揺るぎなく盤石の音を出し、それが積み重なる和音の推移はというとロールスロイスに乗ったかのような滑らかな安定感があるのです。これがベースにあるから上に乗るパートの抜群のすばしこさや運動神経も、朗々と歌う華も色も活きる。それをマケラは指揮棒だけでなく全身の動き、顔の表情、目線で伝えて引き出していると思われます(席から見えませんでしたが)。
凄いなあと感服するのは、団員が互いにプライドを持って信頼し合い、自発的にいい音を出すモチベーションの連鎖が全体のクオリティに貢献する様です。そう聞こえます。その音が聴衆を感動させることに確信があり、客席からの無言のフィードバックが団員の喜びになっているように見えます。もちろんそうでないオケはないでしょうが、自発性の度合いが格別に高い感じがしたのは指揮者の魔力のようなものでしょうか。彼は音を出さないのだからその連鎖に電気を流してそれを生み出すのが仕事です。ドラッカーが言っているように経営と指揮は同じマネジメントなんですが、マケラの才能は技能、テクニックとしてそれをしている感じがなく、彼の人間性や人柄からその電気が流れ出て団員が自然にそうしたくなる所にあるのではないかという風に見えたのです。
ラヴェルのト長調コンチェルト。アリス=紗良・オットのピアノ、良かったです。ミュンシュ / パリ管と録音したニコル・アンリオ=シュヴァイツァーの演奏が僕は好きなんですが、それを軽く凌駕してしまいましたね。一ヶ所だけ注文すると、Mov1の例のトリルの所です。あそこはフランソワが凄いんです、まるで泣いてるようで心をかきむしられて。彼女はそんなエモーションは不似合いかもしれないが、たいていの人はあれを聴いちゃってるんでね、ちょっとあっさりに聞こえるかなと思いました。リズムの切れも指回りもgoodですが、彼女の真骨頂は深い陶酔の中を訥々と語りかけた絶美のMov2でしょう。ただの綺麗、中身なしの空虚が多いのですが、愛情をもって練り上げられた美で素晴らしい。これは忘れられません。Mov2はマケラに驚嘆した箇所もあります。イングリッシュ・ホルンが旋律を受け取り、ピアノをひっそりと包みこむような最弱音のオケの和音のカーテンです。この世のものとも思えぬ美しさ!あんな音はきいたことがない、サントリーホールの後ろの方の席であれというのは想像だにしておりませんでした。
カーテンコールの拍手を止めたアリスのスピーチが日本語でありました。一昨日に来日したところ、トラブルでステージ衣装がミュンヘンに行ってしまっていたそうです。最近は派手目の装束の女性ピアニストが多い中、彼女のはちょっとシックでなかなかいいなと思っておりましたがそういうことでしたか。でも、これ、海外では「あるある」で、僕は2度も目撃しています。最初はプレヴィン、2度目はカラヤン、で、3度目はアリスさん。大物ってことですね。ちなみに昨日は5時間もお店を歩いたが良い服がなかったので「今日のスカートはスタッフの方から借りました(笑)」とのこと。そうして弾かれたアンコールのペルト「アリーナのために」は静寂の中の詩情ですね。音が空間に風紋のように広がる感じがあり、本当に良い音楽を聴かせていただきました。
トリは「火の鳥」です。「王女たちのロンド」から静やかに流れる時間。触れれば壊れるようなクラリネットの極限のピアニッシモ。凄いですねえ、こんなの聞いたことない。前回のアンコールで感じたように、マケラの音楽はそうした部分で弛緩するどころか、魅力を増すのです。ラヴェルのMov2がまさにそれでしたが、真っ白なカンヴァスに繊細な絵を描いており、フォルテはその上に悠然と湧き起こり、音が消えると大ホールがただならぬ緊迫の静寂に包まれる。この無音、普通の演奏会にはありませんね、全聴衆が耳を研ぎ澄まさないと起らない。これもオケに伝播するのではないでしょうか。ホールの全部の空気と時間を支配できる人は天性の指揮者です。さて火の鳥ですが、これはアンセルメ(NPO盤)がレファレンスなのでやや心配していましたが、杞憂でありました。テンポも表情も凡そのところアンセルメと近く、まったく違和感なし。カッチェイの踊りなど速い部分のインパクトと切れ味は現代の若手指揮者ですが、たぶん全曲で2,3分速いぐらいではなかったでしょうか。
アンコールは彼が好きだというグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲。これは多くの人がムラヴィンスキーを思い出したのでは。そういえば、このご時勢、ロシアものがプログラムから遠ざけられていましたが、彼は2日でアンコールを入れて4曲もやってます。フィンランド人なのになぜと思いますがこの辺は聞いてみないと分かりませんね。僕は音楽におけるロシア忌避には反対なので彼の姿勢はすがすがしいです。ストラヴィンスキーやグリンカが戦争したわけではないし、音楽やバレエで縁の深いフランスとロシアでもあります。コロナで演奏できなかったこともあるんでしょうか、指揮者ばかりでなく団員の音楽への熱量にも圧倒されました。コンマスの千々岩さんのお力もあろうかと思います、日本人の誇りです。キャンセルした海外オケがいくつもある中、日本に来てくれた名門、パリ管弦楽団に心より感謝いたします。
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思い出のレコード(パリ管の3枚)
2022 OCT 18 12:12:26 pm by 東 賢太郎
人間の細胞は3年でほぼ全部が入れ替わるそうです。ということは3年ぶりに会った人は実は「別人」なんですね、物理的には。でも誰もそうは思わない。思えない。なんたって、自分もそうなんですからね。同じことで、僕が応援する広島カープだって選手の顔ぶれを見るともう5年前とほぼ別な球団です。でも応援する。名前、ユニホームは同じだし、理由はいろいろありますが、それは皆さんわかってるのだから錯覚というわけでもない。集団は一個の生き物であり、構成するどの個人の個性でも意思でもないものが宿っている、少なくともそう見える、ということだと思います。
マケラ率いるパリ管弦楽団。結局、今日のサントリーホールのBプロもネットで買ってしまいました。数枚だけ残席があったのを見つけたからもうだめです。「海」の音が不満だったし、ラヴェルP協、火の鳥があきらめきれないしなんてのもあるんですが、それよりも大きな、やっぱり「広島カープ」と同じ衝動がある。つまり、「パリ管」が気になるんです。ひょっとしてもう聞けないかもしれないなんて考えだすと僕は後悔の方が嫌なんで行っちまおうになるタイプです。
なぜか。ブラームス1番、幻想、チャイコフスキー4番という、僕にとって終生の宝になる3つの交響曲をこのオーケストラのレコードで覚えたからです。もちろん同じ奏者は一人もいないけど、それでも初恋の人というのは残るんです。東京にいるのに会いに行かないなんてのは無理。こういう気持ち、ぴったりなのが英語にあるんです。
irresistible
不可抗力だってことです。抵抗する相手は「権力」もありますが「誘惑」の場面で使うことがけっこう多く、日本語なら「たまらないね」ですがそうは言ったもののやめる感じもある。英語は「どうしようもなさ」が強めで、そう意図的に伝える場面で、2次会のシメでラーメン屋の暖簾をくぐる時なんかぴったりです。
3枚のLPレコードを買ったのは高2あたりで、まだどっぷり野球づけだったころです。ベンチャーズの「スーパー・サイケデリックス」というLPがありまして、当時「サイ
ケ」なるドラッグ系アルバムが流行ってました。火をつけたのはStrawberry Fields Foreverですね。ベンチャーズのそれも最初はこの曲で、彼らには珍しく大丈夫かってぐらい原曲に近い。しかしどうもいまいちでがっかりしてました。周囲が浮かれてたピンク・フロイドはまったく趣味があわない。そうこうするうち、レコード屋で見つけてしまったのです。「幻想交響曲」。なんと、クラシックにサイケがあったのか!しかもジャケット(右)が何とも妖しい。完全に騙されました。針を落として何だこれは!となったのです。「火の鳥」もカン違いで買ってガックリだったし受難続きでした。しかし、いま振り返ると、ベルリオーズは阿片自殺を図ったヤク中だったんでジョン・レノンと比べてなんらおかしくない。第5楽章のぶっ飛び具合なんてStrawberryも真っ青、サイケそのものなんです。
この幻想とブラ1はシャルル・ミュンシュがオケ創設時のパリ管を振った演奏でどちらも代表盤とされてます。しかしブラ1も真価を知ったのは後に出たフルトヴェングラー盤で、このレコードでおおっと思ったのは曲でなく盤の色が赤くて透明なことなんです(笑)。当時、雑誌のオマケなんかについてくるソノシートというふにゃふにゃの下敷きみたいなレコードがありまして、それも赤で透明で、その連想もあって音質の心配をしましたね。特に差は感じませんがそのせいか赤盤はすぐ消えてしまったんでこれと幻想はけっこうレアかもしれない。美品だし子孫がメルカリに出す危険がありますね。
チャイコフスキー4番は35才の小澤征爾の指揮です。5番はオーマンディ盤を買いましたが、パリ管というのに惹かれたのを覚えてます。しかしまだ高2です。フランス音楽にすら目覚めてないのにどうしてパリ管を知ってたのか覚えてませんが、5番より先に買ってるので4番(たぶん第3楽章)に興味があったこと、ジャケットが珍しい練習風景の写真で無用にパリやロシアに紐づけせず小澤にフォーカスしていて録音がよさそうだという印象を持ったことはあった気がします。彼がシカゴを振った春の祭典を買ったのもこのころ。当時の僕はそんなものでした。
パリ留学中の娘はパリ管はノーチャンスらしいですがオペラ座でフィガロを聞くらしい。うーん、そうか。ここで出てくる言葉が “irresistible” なんです。
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