ここぞに強い男は何十億円もらってもよい
2015 NOV 15 23:23:27 pm by 東 賢太郎
ハラハラする試合でした。世界野球プレミア12です。
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | 安 | 失 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ベネズエラ | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 9 | 0 |
| 日本 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2X | 6 | 12 | 0 |
39歳とはいえメジャーで156勝のFガルシアの変化球は鋭く5回以降はヒットが出ず。それを崩したのは山田、川端のヤクルト勢でした。山田の気迫のセンター前、そして川端の技ありの2塁打は最高でした。そして、何とか打ってくれという場面で筒香が敬遠され、打ってくれたのはまたしても中田翔。4-3で勝ったと思ったら松井裕が9回に打たれて5-4と逆転されます。
今日はダメかと思いましたが、その裏、今度は今宮、中村晃のソフトバンク勢が打って逆転サヨナラ。こいつら、ほんとにすごい。リーグ制覇の2チームが強いわけです。中田翔は公式戦がどうあれ日の丸背負ったここで毎試合「ここぞの男」になってるのは値千金であり、誰もできないことをやっている。
どうでもいい試合で打率稼いで3割なんて何の価値もないですね、これにくらべると。打率2割でも彼は何十億ももらってOKであります。勝ってナンボの世界ですから。
さすがに小窪監督の選んだメンバーはすばらしい。ここぞの男が揃ってます。投手は100球投げられるからまだいいです、打者は4回しかないから一発必中、必殺仕置き人のスナイパーじゃないとね。大阪桐蔭の3人組(中村、平田、中田翔)はそのムード持ってますね、打席の雰囲気からして。
ここぞに弱いプロアスリートやチームなんていったい世の中に何の存在価値があるんだ?誰か教えてくれ。みなそれで飯を食ってる勝負師ですからね、素人よりちょっとうまい野球芸人にすぎませんね。そんなのを見て負け試合にカネを払う奇特なファンもいるわけだからべつにいてもよろしいが、億単位のカネをもらう男の列には加わって欲しくない。永遠にありえませんわ。
ところで今日はひとつ嬉しいニュースを見ました。元広島カープの4番、栗原健太(33)が楽天イーグルスに入団決定したそうです。僕は近年は広島というより彼が好きだったんです。広島に皆無の「ここぞの男」だったから。僕の待ち受け画面は、スマホはノイ(ねこ)ですがPCは神宮で打席に入る栗原なんです。頑張ってほしい、応援します。
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宵越しの金をもたねぇのが江戸っ子ってもんで、、、
2015 NOV 15 0:00:21 am by 東 賢太郎
娘(次女)が観てみたいと言うので歌舞伎座へ連れて行きました。11時の昼の部を一階の東桟敷席で。演目は「実盛物語」、「若き日の信長」、「曽我綉俠御所染」でありました。
この演目は席がたまたま空いていただけで選んだわけではありませんが「実盛物語」は琵琶湖、竹生島が舞台であり、「若き日の信長」は平手政秀の切腹にまつわる話。今年行ってみたり多大な関心を寄せたりの題材であり、なにやら浅からぬ因縁か・・・。実盛は染五郎、信長は海老蔵でした。海老蔵の「人間五十年…」は良かった。彼が声がいい。信長の雰囲気が見事に出てましたね。
余談ですが、信長の傅役(もりやく)であった平手政秀は若殿のうつけを諌めて腹を切ったことになってますが、加藤廣著「信長の血脈」(文春文庫)にある「平手政秀の証」は別の説で書かれています。これが非常に面白い。
父、織田信秀の死は公表されず、長子信行を後継者と仕組む母、土田御前によって葬儀は3年後に信長の不在のすきをぬって行われた。例の「焼香事件」は、怒りに燃えた信長が抹香を父の位牌ではなく母と信行に投げつけたものとするのです。
大うつけは敵はもちろん親族にも殺されかねなかった信長がわざと阿呆を演じたものであり、信秀亡き後のお家の混乱と今川の脅威を食い止められるのは吉法師(信長)しかないと信じる政秀は信秀の遺志は信長にあり「天地神明」に誓うと遺書を残して腹を切ったというものです。僕はこの説を支持したいと思います。
最後の「曽我綉俠御所染」は物語としては地味ですが江戸・吉原の習俗が見てとれ、尾上菊五郎、左団次も歌舞伎の名場面、名せりふが圧巻でございました。お昼の部ははねるのが4時ごろだからたっぷり5時間、弁当を食いながらの桟敷席は値はやや張るがおすすめです。
さて、たいそう面白く満足したし、お土産の吉田茂御用達まんじゅうも買ったし雨でもあるし帰ろうかと思ったのですが、娘が時間があると言うのでじゃあついでに江戸文化のハシゴで寄席でもどうだ、いいねとなりました。歌舞伎も寄席も初めてだからというのはあるのだろうが、このエネルギーと好奇心は大変よろしい。つきあおう。
丸ノ内線で新宿三丁目へ。新宿は伊勢丹裏の「末廣亭」でございました。ちょうど5時の夜の部が始まったところで具合がいい。
9時まで楽しんでしまいました。全部楽しめましたがお仲入り後のは特に傑作で丈二、小ゑん、白鳥は真剣に笑いころげました。こりゃあストレス解消には最高。昼から通しで3千円は安い。おすすめです。
この江戸情緒、好きですねえ、たまんねえでやんす。歌舞伎5時間、寄席4時間、宵越しの金をもたねぇのが江戸っ子っていうもんでございまして、、、、、
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わかる奴が大事
2015 NOV 14 8:08:46 am by 東 賢太郎
今年もあっという間にたってしまいあと1か月半。仕事は本年のラストランに入ってます。もう出世とか蓄財とかは興味なしですから仕事はやめてもいいんですが、どうもそういう性格には生まれついておりません。じゃあ何をやりたいのか?
それは、自分は何をやるために生まれてきたのかを確認する旅に出たということです。人間、社会や組織に組み込まれると受動態の人生になります。その時点では気がつきません。独立しますと一切のしがらみがなく、自由で孤独な日々となります。
僕が戦国時代の武将譚に魅かれているのは、彼らも一人の人として自由であり、それゆえに孤独であったはずだからです。誰を攻めようが守りに入ろうがよし。彼らはその結果として何かを行い、それが歴史の記す所となりました。他律でなく自律という人間の生き様が面白い。
きのう五代目 坂東玉三郎のビデオを見ていて、評判は気にしない、ほめ言葉はきかない、日々役に懸命なのでそういうことは目に入らない、という言葉がありました。人間国宝にしてこの言葉在りですが、人間国宝であることも、集中しているときには彼は頭にないのではと思います。
自分も仕事が好きだから断ち切れません。それはゼロから何かを創りだすということです。それをしていると万事が頭から消えてしまいます。だから食うための仕事ではなく、それにオタクとして没頭することが生きていることそのものです。
ところが、趣味ではないですからうまくいかないことばかりとなり、ストレスに満ちた道でもあります。好きなんだから気楽だろうとはいきません。何か重たい物を押すときに静止摩擦力が大きいように、無から有を生もうとする精神的な負荷は大きいものです。
無の中に有があると言うと、おおかた殿ご乱心扱いです。人は経験から学ぶし、経験していないことを理解するのは難しい。信長は桶狭間の2千騎での進軍を老中にはからず軍議にもかけませんでした。反対されるのをわかっていたからです。
でもそこで意をくんで決死で突っ込んでくれる2千人の若武者がいた。老中のいうことをきいたら織田家は滅んでいただろう。ことほどさように、一緒に歩んでくれる人は大事です。命令に従うのではなく、意を汲む、理解して行動する、これです。
想像ですが、信長は秀吉を、秀吉は光成を「わかる奴」と思ったのではないか。部下の能力が自らの生死を分ける時代、草履暖めや三杯のお茶程度のよいしょで選ぶはずもない。後世の物語です。最近とみにそう思うようになりました。
わかる奴が必要だから城持ちにする、それ以外は単なる従者。信長も秀吉も、自らわかってもらおうということなどしなかったでしょうし、それは権力者だからしないというより、日々懸命なのでそういうことはできなかったと思います。
思考回路を共有する者、そういってもいい。強大な物体を押し動かそうとするのは静止摩擦力との闘いであり、特に日本社会はそれが大きいのです。
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ダリウス・ミヨー 「男とその欲望」(L’homme et son désir)作品48
2015 NOV 13 1:01:21 am by 東 賢太郎
日本人は古来より月を見ています。暦は月齢だったしお月見をしたし。不思議なのは、江戸時代にいたるまで日本人は月を「何」だと思っていたかです。
かぐや姫は月に帰るから作者は人が住める空の彼方の遠い場所という感覚はあったかもしれませんが、一般には月は毎日登ってくるもの、美しいもの、愛でるもの、詩的なもの(ポエム)として信仰や物語の対象ではあっても「物体」であると見たり考えたりした人はいなかったと思われます。
早くから月を物体と見た西洋とは受容のしかたが根本的に違います。
美しいもの⇒ポエム、という日本的な思考法(ステレオタイプな還元法)が西洋人に全くないわけではありませんが、彼らが五感で感知したものを認識し受容するプロセスというのは、
月はものである⇒もの⇒即物的な物体
という回路がまずあって、地球と同じ球体と見立てて距離、大きさ、質量、軌道を計算し、なぜ落下してこないのかという謎を解きます。見かけの美醜はその回路とは別な経路で処理されて、ポエムになる場合もあるというものでしょう。僕が長年西洋に住み、西洋人とつきあったり著作物を読んだりして得た印象はそういうものです。
このことは音楽においても同様です。特にクラシック音楽を演奏、鑑賞する際に。それを僕はショパン演奏にいつも感じるのです。日本人ピアニストはショパン⇒ポエム、という回路で処理してないかという非常に深層心理的で根源的な問題です。
「雨だれ」「革命」「子犬」「別れ」「木枯らし」など、別に日本人が考えたわけではないがショパンがつけたわけでもない標題。月を見て「うさぎ」が頭に浮かんでくる思考回路にこうした標題が乗りやすいのは自明と思います。あの速いワルツを子犬を思い浮かべて弾くピアニストはいないでしょうが、潜在的に日本人の思考回路に潜む受容のくせというのは見えない所で演奏の骨格を決めてくるのではと僕は思っています。
あれは月を見て物体だとまず感じる西洋人が作った音楽なのです。ショパンに限らず作曲家がまず聴くのはピアノの即物的な音であって、それが物体としての月にあたります。それが聴き手にどう聞こえるか、美しいポエムとして受容されるかどうかということは彼にもはどうにもならない事後的、副次的なことで、まず物体として絶対の完成度があるかどうかこそ彼の関心事のはずです。
ちょっとややこしいですが、こういうのをsubstance(あるがままの物の実体、本質)と contingency(そこからの偶発的な派生事象)の関係と表現します。例えばニワトリは日本では「コケコッコー」と鳴きますが、アメリカでは「クック ア ドゥール ドゥ」、ドイツでは「キッキレキ」、フランスでは「コックェリコ」、インドでは「クックーローロー」です。近隣でも中国は「コーコーケー」など、韓国は「コッキョ クウクウ コーコ」だそうです。同じニワトリの声(substance)をきいてるのにcontingencyはこんなに違ってくるのです。
ショパンというニワトリがいざ鳴くぞという時にそれがコックェリコかキッキレキかは彼にとってはあずかり知らぬことで、ニワトリは*+@#%~~~としか鳴かないのです。
かように、21世紀の人がポエムを見出してくれたというのはショパンにとってはまったくの偶発事象でした。同時代人のシューマンが当時のドイツ人特有のロマン的、文学的コンテクストで自分を評価しているのを知って(それは非常に高評価でショパンにとって好意的なものであったにもかかわらず)、ショパンはそれを笑止であると唾棄していることからもそれが理解できます。彼に確固として「在った」のは、彼が鍵盤から選び取った音の組み合わせが即物的に彼を満足させたこと、それだけです。
僕がショパンを作曲家としては一目置くにしても演奏を聴くのが好きでない最大の理由は、contingencyを追っかけて(それしか見えてなくて、それがsubstanceだと思いこんでいて)、substanceが何だかわけのわからない演奏が横行しているからです。日本人のショパンの特徴はその一言に尽きます。
これをお聴き下さい。ダリウス・ミヨーの「男とその欲望」(L’homme et son désir, Op.48 )という作品で、知名度は大変に低いのですが大傑作であり僕は高く評価しているものです。ショパン⇒ポエムの方々はこの意味深なタイトルの音楽が何であり何を描こうとしているのか?と悩むことでしょう。 僕は初めてこれを聴いて音に衝撃を受けてしまい、題名など吹っ飛んでしまいました。
全ての演奏家の方に問いたいのですが、これがなぜ男とその欲望なのか?どうしてそれがこういう音になっているのか?一種の踏み絵のようなものかもしれません。
ストラヴィンスキーの「結婚」を想起させますが複調、ポリフォニーの重視など語法はまったく別物です。ミヨーはブラジル滞在経験があってそこでの印象を綴ったものとされますが、これが単なる風景画や絵日記でないことは明らかです。彼が綴ったものは即物的な音であり、トレードマークの複調の文法であり、断じてポエムではありません。音、語法が紡ぎ出すダイレクトな心象こそがこの曲のsubstanceであります。
そしてここからは僕の個人的領域に入ります。自分自身がリオデジャネイロで感じた心象風景にそのsubstanceが作用してある化学反応を起こし、僕だけの感興を生み出します。これがcontingencyです。いうまでもなくなんら普遍性のないプライベートなものであります。僕が演奏家としてそれを音にしたとしても、それはあまり人の心を打つものにはならないでしょう。赤の他人の記念写真やセックスを見たってそんなに面白いものでもないのです。
つまり、contingencyとは聴衆の占有物であって演奏家が依拠すべきよすがではありません。僕がショパンのバラードやマズルカを聴くのは、弾き手のパリやワルシャワで得た経験や知見や記念写真に関心を抱いたり真のショパン解釈をきかせてほしいからではありません。ショパンが書こうとピアノに向ったsubstanceを知りたいからです。そこに僕を感動させる根源があるのであり、それこそが普遍性、説得力のあるバラード、マズルカであることを、体験から知っているからです。そういう聴き手はそういう演奏を探しだし、吟味し、支持するのです。
演奏家がショパンにポエムを感じて何ら批判されるゆえんはないのですが、そのポエムがたまたまショパンも感じたものであって、したがって普遍性のある説得力を持つのだという蓋然性は、残念ながら甚だ低いものだろうというのが僕の持論です。外国人がどんなに感動と心を込めて弾いてみても、それはコケコッコーかもしれずクックリク~と聞こえているらしいポーランドの聴衆の心に響くかどうかは別な話なのです。韓国人、中国人がどうこの問題をクリアしてショパン・コンクールを制覇したのか、なぜ日本人にはできないのかはとても興味深いテーマであります。
最後に余談ですが、この「男とその欲望」を書いたフランスの作曲家ダリウス・ミヨー(1892-1974)がバート・バカラックの先生なのです。非常に多様な様式を試みた多作家ですが、彼の和声感覚は独特で、複数の調性を並行させる複調による語法に真骨頂を見ます。交響曲第2番などこれに並ぶ傑作で彼の和声がオンリーワンである証明となっていますが、これも有名ではないのが不思議であります。
「雨にぬれても」のころ、まだ生きていたミヨーはそれを聴いてどう言ったんだろう?
「口笛で吹けるメロディを書いたからと言って、恥じる必要はまったくない」
「記憶に残るメロディをつくれる人間はめったにいない。そしてそれは本質的な才能なのだ」
若き生徒だったバカラックの演奏を聴いてそう言ったミヨーはその思いを新たにしたのではないでしょうか?
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バート・バカラック「雨にぬれても」の魔力
2015 NOV 12 0:00:01 am by 東 賢太郎
これをきくと中学時代の面々の顔が浮かんでくるのなぜだろう?一気にあの頃に心がワープしてくらくらめまいがする。なにか甘酸っぱいような、ほろ苦いような・・・。
これは「明日に向って撃て!」の挿入歌ですが映画は見てません。wikiには「ビルボード誌では、1970年1月3日に週間ランキング第1位を獲得した。4週1位を獲得し、同誌年間ランキングでは第4位となった。」とあるから深夜放送で毎日のように流れたのは70年の初頭という所でしょうか。
ということは一橋中学も卒業間近です。仲間だった悪ガキ連中とお別れだぜ・・・、気になっている女の子がいたが高校でもかけらもなにもなく終わってしまったっけ。マメでなく追っかけることもなく、ぜんぜんモテませんでしたね。
バート・バカラックの名はこの曲で焼きつきました。歌手のB・J・トーマスは本命にふられてピンチヒッターだったらしく、しかも喉が痛くてドクターストップだった。5回目のテイクでやっとOKが出たのがこれだそうです。たしかに風邪声ですね。
Raindrops are falling on my head
And just like the guy whose feet
Are too big for his bed
Nothing seems to fit
Those raindrops
Are falling on my head
They keep falling.
So I just did me some
Talking to the sun
And I said I didn’t like the way
He got things done
Sleeping on the job
Those raindrops
Are falling on my head
They keep fallin’
But there’s one thing I know
The blues they send to meet me
Won’t defeat me, it won’t be long
Till happiness
Steps up to greet me
Raindrops keep falling on my head
But that doesn’t mean my eyes
Will soon be turning red
Crying’s not for me ‘cause,
I’m never gonna stop the rain
By complaining,
Because I’m free
Nothing’s worrying me
いい詩ですねえ、今の俺みたいかなんて気もする。青字の「bed」と「fit」は普通の歌ではありえない短7度(f→e)のジャンプでトーマスが苦労してますが、そのポップないい加減さが何ともいい味だしてます。Because I’m free Nothing’s worrying me・・・。だって俺は自由さ、なんにも気にしねえぜ・・・。
自由、自由、無限の時間と自由のあったあのころ・・・、この歌も僕を強烈にアメリカに誘(いざな)ってくれました。
バカラックは同じユダヤ系でフランス6人組のダリウス・ミヨーに師事したことになってます。私見(自伝を読んだ印象)ではどこまでミヨーが真面目に弟子と見たかはあやしい感じもしますがいいじゃないですか、一般にはミヨーより有名になったんだし。和声やリズムの自由な感覚は誰にも似てない、オンリーワンの魔力です。
こっちは別テイクでしょう、風邪もなおって余裕も出てる感じです。たしかあの深夜放送はこっちでしたね。
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ダリウス・ミヨー 「男とその欲望」(L’homme et son désir)作品48
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判官贔屓と広島カープ
2015 NOV 10 20:20:19 pm by 東 賢太郎
自分の判官贔屓(ほうがんびいき)がどこから来たか。両親は巨人・大鵬・卵やき路線であってそういう気配はなし。こりゃあ隔世遺伝なのかなと思っていたら、ひとつ思い当るものが見つかりました。
「赤胴鈴之助」です。といっても僕より年長のかたしかご存じないでしょう。昭和30年ごろの少年剣士のラジオドラマらしく(実は何も覚えていない)、そのテーマソングを歌いながら刀を振り回して踊るのが親戚中で有名になっており、なんと前回のブログに書いた母方の祖父のお通夜で故人の枕もとでやってしまった(らしい)のです。「ケン坊、おじいちゃん喜んでるぞ!」と座がなごんだと伝わっております。2才でした。
その主題歌がこれです。
メロディーはどこか聞き覚えある程度で歌詞は全く記憶がありません。はるか忘却の彼方です。
剣をとっては 日本一に
夢は大きな 少年剣士
親はいないが 元気な笑顔
弱い人には 味方する
おう! がんばれ 頼むぞ
ぼくらの仲間 赤胴鈴之助
が歌詞(一番)なんですが、「弱い人には 味方する」という部分にピンときたのです。判官贔屓のルーツはこれじゃないか?
まさかと思いますが、前口上の「ちょこざいな小僧め!」の猪口才(ちょこざい)なんて、普通の子は知らないような言葉をなぜか早くから使っており、「剣」、「日本一」、「夢」、「大きな」、「笑顔」、「がんばれ」、「頼むぞ」、「仲間」、など今でも僕の琴線にふれる単語が並んでます。三番には「つらいときにも 勇気を出して 正しい事を やりとおす」なんて、今から人生訓にでもしてみようかなんて歌詞も出てくるではないですか。
三つ子の魂・・・とはこれなんでしょうか?僕が仲間に頼むぞといわれたらスナイパーみたいにやり遂げたくなってしまうタイプであり、がんばれと言われると素直にがんばってしまう単細胞であり、つらいのに笑顔でいる人や日本一の大きな夢をもってがんばる人は無条件に応援してしまう性格なのはこれのせいだったんでしょうか?
どうしてそんなことにこだわっていたかというと、東京の子なのに広島カープ好きになったのは、小学校2年生にしてすでに立派な判官贔屓だったからだと思うのです。7才ですから、もちろんその言葉のもとである源九郎義経なんて知りません。ただ単に、「弱い人には 味方する」のがいいことだと信じ込んでいたフシがある。なぜなら、50年前のカープはそのぐらい弱かったからです。
ところがわからないことがあって、そのカープが1975年に初優勝してしまうのですが、それでもカープファンをやめなかった。えっそれは逆でしょ?と思われそうですが、強ければいいなら巨人ファンになってました。東京の子だから。大同に付くを良しとせぬ一匹狼だから、優勝などして猫も杓子もとなると気持ちが離れそうなもんだったのです。
それがそうならなかったのは大羽、外木場など好きな選手がいたせいもありますが、赤胴鈴之助ソングで刷り込まれていたもうひとつのポイントである「日本一の大きな夢をもってがんばる」姿を新しいカープに強烈に見たからです。
ありえなかった75年の優勝は、前オーナーの英断でメジャー経験者ジョー・ルーツ(左)を監督にすえたことがすべての発端であります。日本球界初の革命的な試みでした。ルーツは「集団は確固たる指導方針を持った強烈なリーダーによって変わる」という信念で、まさに彼自身の強烈なリーダーシップで「勝って広島を活性化させる」という信念を選手に植えつけたのです。球団ともめてわずか15試合で監督を辞任したにもかかわらず、チームの負け犬体質を根底から一新しました。紺色だったカープの帽子を赤ヘルにかえたのはルーツです。
当時20才だった僕は、嬉しいを通りこして衝撃をうけました。監督一人で結果がこんなに変わってしまうなんて!
大変に僭越ですが、2004年に野村證券からまだ株式引受主幹事実績がゼロだったみずほ証券に移籍を決意したとき、自分を鼓舞しようといつも「勝手イメージ」していたのはこの時のジョー・ルーツです。そのぐらい僕にとってインパクトがあった憧れの男であり、いまに見ておれよと退路を断った僕の覚悟も凄まじいものでした。
最近のカープファンは優勝できて当然と思っておられるかもしれませんが、昭和30~40年代の暗黒時代、球界のお荷物といわれた頃を知るオールドファンにとって日本一は言葉の真の意味における「奇跡」でありました。そして24年もリーグ優勝すらしていない現在、「日本一の大きな夢をもってがんばる」が言葉だけのセールストークではないことをファンのためお祈りするばかりです。
ところで、「赤胴鈴之助」を耳元で聞いてくれた祖父は明治時代の野球人であり、早くから野球の魅力にとりつかれた人でした。もうちょっと生きていてくれたらキャッチボールできたのに。親父によると彼はけんかして三井物産を辞めて王子製紙の役員になったようで、なんともはや孫に隔世遺伝してるのがこわいほどです。
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カーペンターズ「オンリー・イエスタデイ」の和声
2015 NOV 9 23:23:56 pm by 東 賢太郎
大学のころよくきいたポップスがカーペンターズで、大きなインパクトがありました。まずアメリカへの憧れをかきたてたこと、そして男がピアノを弾くのもカッコいいなと思ったことです。
日経に記事があって、男が楽器をやる動機はだいたい女にもてたいからだとありましたが、僕の場合はギターもピアノもチェロも邪心はなく純粋にやりたかっただけです。当時はピアノが弾けたわけではなく、ロンドンに行ってからだから27才ぐらいで始めました。
音感はギターでつきました。メインの楽器はギターだったのです。でも和音が単純なのしか弾けませんからどうしても耳を満足させるにはピアノが必要になりました。カーペンターズはギターじゃダメなんです。
リチャード・カーペンターはかなりピアノがうまく、曲の和声的ボキャブラリーは実にクラシカルでピアノ的であります。僕の趣味ですがポップスはリズムや速度に変化がなく何か和声的に「事件」が起きてほしい。ビートルズはそれが豊富です。そしてカーペンターズにもそれが有るのです。
「オンリー・イエスタデイ」は変ホ長調(E♭)ではじまりますが、突然に変ニ長調に転調(Baby, baby, feels like baby)。これは大事件ですね。それがB♭7sus4を経て見事にE♭に戻ります。Tomorrow maybe even brighter than todayの下線部、リチャードのハモリ(ドードレードレ~~ド)のレ~~と2拍伸ばすところ、Cmのgとバス(a♭)が長7度でぶつかりつつレ(d)とも増4度の不協和でぶつかって!CmからCに解決するセンスなど凄い!めちゃくちゃカッコいい。これはクラシックの対位法を彼が良く知っているということでしょう。
ということで大いに気に入ってしまい、よくピアノで弾いていたのを子供たちが聴いてやっぱりこれが好きになったかもしれません。耳コピで簡単に弾けたのはバスが覚えやすいからで、そこに乗る和声はクラシック法則にかなっていて実に心地よい推移ですね。だからこそ上記「和声的事件」の想定外の衝撃が大きいのです。
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Harry氏が覚えていてくれる大事な半年
2015 NOV 8 18:18:56 pm by 東 賢太郎
Harry Saito氏とつきあったのが大学4年の半年間だけなのにそういう感じがせず、ずっと知っていたように思うのは不思議です。それだけ印象が強く残っていたということです。氏はその後、日本を代表するメーカーで海外と関わる部門で活躍され、僕の方も国際部門になりました。きっと海外への好奇心という気脈が通じたんでしょう。
思えばあの半年間は進路に迷ってとても不安定なときでした。国内の既得権でのうのうと食える大学に行ってるのにそれに興味がなく、どうしてもアメリカに行きたくなった。そこでアテネ・フランセという語学学校に通って彼と出会ったのです。大学にはいない海外に目が向いた若者と話すのは大きな喜びでした。
農耕民族は基本が内向きですから彼も僕もちょっとはじけてたんでしょう。クラシック音楽だって洋物だし、根っから西洋好きだった僕は西洋好きの人が好きでした。農耕民的なところは先天的に皆無の僕はきっととても変な学生で、それでもHarry氏がよく来てくれたのはうれしかった。持って生まれた嗜好、性格は変えられなかったからです。
というのは明治15年生まれの祖父が三井物産で上海勤務でグローバル派のはしりでした。「野球」という訳語ができたてのころ慶応の野球部員で米国遠征もした。はとこはケンブリッジに留学して慶応ラグビー部を作った人でした。官僚養成所の東大は眼中にない家で、今も僕はこの祖父の血を濃く継いでいると自分で思います。
子供のころ野球に明け暮れても母が叱らなかったのはそういうわけです。こっちはそれにかまけて勉強はそっちのけで、母が入れたかった慶応は入試に落ちました。大学は父方にならうことになって慶応は結局ご縁なしで終わってしまった。ところがそっちは理系ばかりなのに色弱で文系ということになってしまいそれも居心地が悪かった。
法律というのがどうにも性に合わず、関心のかけらも湧いてこないから仕方ありません。人の作ったものは興味ないんです。とうとう遊びほけて4年終わってしまい、民間に就職するしかないということになってしまいます。そこのいきさつはここに書きました。 どうして証券会社に入ったの?(その1)
親父は銀行員でしたが学者、研究者、教授など、証券会社など論外という家系です。ところが母は大ありだった。東京証券取引所の初代筆頭株主だった家で、その話はまだ知らない息子が証券屋を選んだ。するとあなたこれは血筋なのよと泣いて喜んで、そこで初めて先祖のことを話してくれたのです。乳母がいて姫で育った彼女のなかでは慶応が一番で東大は下に見ており、慶応を落ちた挙句に官庁や銀行に入るなんて言ったらどれだけがっかりしたか。
そのころの僕は人見知りもあり、つき合いも良くなく、いまだに人に思いを伝えるのはへたですからもっとへたでした。研究所にでもこもっている方が向いてましたし親父もそう思っていた。「ケンちゃん、証券会社なんて株屋だよ」「向いてないよ、やめときなさい」と頭から大反対です。何とも因果な家に生まれてしまいましたが、彼は僕がひいた母方の血の威力を知らなかったんです。
どうしてもアメリカに行きたくなった。不思議なもので、そう思っていると野村證券で米国に社費留学の道が開けます。そしてアメリカに行ってみると、理系の学者、研究者、教授がファイナンスや投資の最先端理論を研究しているではないですか。選んだ道は正しいぞという天の啓示のような自信と確信を僕はそこで初めて得たのです。法学部が失敗だったことも証券界を選んだこともそのためだったと。
Saito氏とお会いした大学4年の前半というのは、自分が振れている時期でした。父方の官立大学卒の人生でいくかどうか、そして、それを放棄して母方で行った。そうして、いかにも僕らしいサプライズに満ちた軌跡を描いて平穏に60才を迎えることができました。その大半は入れていただいた野村證券という素晴らしい会社のおかげですが、あの直前の半年に腹をくくらなかったら僕には野村の門をたたく勇気はなかったでしょう。
その人生の転換点だった半年。自分でも何を考えて何を言ったか忘れているそこをウィットネスしてくれるSaito氏はタイムマシンで現れた人であり、氏にとっても僕が同じくそういう存在なわけです。彼は当時の面影そのままに若々しいがこっちはけっこう老けこんでしまいました。しかし人の出会いとは本当に不思議です。それを大切にしないと自分の人生を見失ってしまう。昔の知己には機会あればひとりでも多くお会いしてみたいと思っています。
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クラシック徒然草-僕の東欧好きについて-
2015 NOV 7 2:02:55 am by 東 賢太郎
美猫のコンテストをTVで娘が見ていてたしかに可愛いのですが、多少不細工でも自分の猫の方がもっと可愛いと思うのです(うちのは負けてませんが)。ところがライオンとなるとそうはいきません、どうしてもTVで見るしかない。これは音楽も同じでして、カラオケもピアノやチェロもへたでも自分でやった方が面白いが、オペラやオーケストラだとそうはいきません。どうしてもオーディオで聴くしかないのです。
音楽がネット配信で「コンテンツ化」して久しく、youtubeでは無料で聴けるようになりました。何物でも供給量が増えれば価値は希薄化(dilute)します。このような経済現象をコモディティー化(commoditization)といいます。そうなるとライブの価値は見直されますが、逆にHarry Saito氏が嘆くようにかつての名盤が13枚で3000円で売られたりもする。「バナナのたたき売り」なんていってました、こういうの。子供のころ台湾バナナは高級品だったので不思議でした。まあこれがコモディティー化ですね。
CDはもはやコモディティーであって、タダで配る販促ツールであって、ライブに来てもらって儲けるというのが音楽界の常識になったそうです。しかしクラシックの場合、演奏家は故人のことも多くそうもいきません。だからレーベルはどんどん経営破たんしてユニバーサル社に集約されてしまったのです。僕のように演奏はもちろんレーベルの音の差まで聴きたい(appreciateする)オタクは受難の時代を迎えています。世界中のハンバーガーが全部マックになったようなもので、さびしいものです。
この現象は実は1990年頃から始まっていて、CDがLPを駆逐したのとベルリンの壁崩壊でグローバリズムが蔓延したのとがダブルパンチで東欧を見舞い、ドレスデンやチェコの古雅なオーケストラの音がだんだん西欧化しはじめました。西側の聴衆の好み、つまりベルリン・フィルやシカゴ交響楽団のようなヴィルトゥオーゾ・オーケストラの音にだんだん似てきてしまったのです。市場は資本主義の西側にありますから、売るためにはそうすべきと指揮者も録音ディレクターも靡いて行ったのではないでしょうか。これはドレスデン・シュターツカペレのシューマン交響曲全集(サバリッシュ)、R・シュトラウス全集(ケンペ)、スイトナーのフィガロの結婚を聴けばわかります。このオケはもうこんな音はしません。
先日、ワルシャワ室内オペラのモーツァルトを僕が絶賛したのはこういう背景があるからです。旧西側にくらべ技術的にはやや劣るのですが、薄れたとはいえまだここのオケは東欧の古雅で素朴な味わいをほんのりと残しているのです。きっちり精巧に磨かれた、もぎたてのレモンみたいなモーツァルトが一流とされ、確かにそれは耳のご馳走であることに何ら異論はないのですが、屋久島の香りの強い野草をあえたフレンチみたいなワルシャワの素朴なモーツァルトは魅力があり、むしろそっちのほうが本家本元であるはずなのです。
10月7日にサントリーホールでウィーン・フィルをエッシェンバッハで聴いて、ブログにするのを忘れてましたが、しかしさすがにこのオーケストラはグローバリズムの洗礼をかいくぐって音を変えてません。元々チェコ、ハンガリー系の団員が多く東欧の色合いもありそれが残っている。奏法は全員が音楽院で直伝されており楽器もウィーン式のままです。40,41番の交響曲がモーツァルトの耳にああ聞こえたことはないだろうが(ピッチも高い)、カラヤンが振ってもベームが振っても変わらなかった伝統の音と流儀で今も弾いているというのは歌舞伎界で玉三郎が、人間は変わっても4代目、5代目と芸を引き継ぐのに似ていないでしょうか?
クラシック音楽にもそういう伝統芸能の側面は大いに在って、古楽では昔の楽器で演奏してみようという試みになったりもしています。しかし楽器の進化、変遷を遡って蘇生するという即物的な行為ではなく、求める音色や演奏流儀を保存するという行為はむしろ文化の領域に属します。興味本位の実験ではなく、趣味、テーストの持続です。僕にとって東欧の音というのは小肌や穴子にこだわった伝統の江戸前鮨のようなもので、売らんかなのチェーン店や回転すし屋になっては絶対に困るのです。
それもCDで聴くより(なるべくアナログ録音を)LPで聴く方がずっと良い。音響メディアの差というのも実に大きいのです。ワルターのモーツァルトやレヘル指揮のフンガロトン盤ブラームス交響曲全集のLPを見つけて狂喜してブログにしたのはそういうことです。最近SACDやブルースペックCDが高音質をはやしています。確かに細部はよく拾っていてアンビエンス (ambience、そこにいるかのような雰囲気、実在感、遠近感)は出ますがこれも音楽的価値とは必ずしも相関的とはいえなかったハイファイ、HiFi(High Fidelity)の一種であって、必ずしも楽音の音質に関わるものではなく、いろいろ買って比較しましたがCDよりむしろ僕の嫌いな音になっているものさえありました。
ライオンを家で飼えないように管弦楽はオーディオに頼るしかない。だから録音メディアのお世話になるしかないのです。メディアは資本家ですから利潤で動き、それが新たなテーストを醸成して文化を変えてしまう。人間もいずれ変わってPCのデジタル音が好き、駅の発車メロディーになったモーツァルトが好きという人が出てくるのかもしれません。それを僕に止める力はないのでせいぜいクラシック音楽の江戸前鮨をアピールして聴いていただくしかないですね。名演、爆演、奇演などというカテゴリーは僕には無縁であって、あくまで50余年聴いて醸成してきた自分の趣味とテーストに忠実に、徹底してこだわりたいと思います。
(追記)
スイトナー / ドレスデン・シュターツカペレの「フィガロの結婚」です。圧倒的に素晴らしい!なんじゃこれ、ドイツ語じゃんというなかれ、そんなことはすぐ忘れますよ。これ、きき始めると止まらない。モーツァルトはこうじゃなくっちゃ!
(こちらをどうぞ)
モーツァルト オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」(K.588)(Mozart: Cosi Fan Tutte)
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ねこの領分
2015 NOV 5 23:23:38 pm by 東 賢太郎
学生の本分が勉強であるなら、ねこのそれは遊びである。
遊びとは人間の勝手な命名で、ねこにとってそれは狩猟のシミュレーションに他ならない。学問がなくても人は食っていけるが、狩猟はねこの生死を握るのだから仕事だ。
なんじゃこいつは??
怪しいやつめ、ものかげで目を光らせておいて・・・
捕獲成功!
とんぼだった
ねこの寿命は長くて15、6年だ。すると、ねこの1日は人間の5、6日分ぐらいだ。まいにちが1週間ぐらいの速さですすむとしたら、ずいぶん焦るだろう、ぼくならば。
ノイ、濃い1日にしよう。いっしょうけんめい遊ぼう。
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