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ワルシャワ室内歌劇場の「フィガロの結婚」への一考察

2015 OCT 18 1:01:30 am by 東 賢太郎

今日は先日の魔笛をきいたワルシャワ室内歌劇場の「フィガロの結婚」でした。場所はオーチャードホール、席は1回中央25列目でした。

魔笛もそうでしたが、ヨーロッパの地方オペラハウスの普段着の演奏という風情であり、コマーシャリズムの毒に染まってないモーツァルトを聴けるのは心からの喜びであります。クラシック音楽の本当の喜びは音楽、楽譜に詰まっているのであって、スター歌手やヴィルトゥオーゾ・ピアニストのお出ましを願わなくとも充分です。

妙な例えにはなりますが、蕎麦通によると蕎麦屋は「もり」で味がわかるそうです。もりがだめなら何を食べてもだめ。ところが蕎麦屋の経営側からすると、もりだけではやっていけず「天ぷらそば」や「なべやきうどん」を食べてもらいたい。つまりトッピングで利益が出るのです。これがクラシック音楽の現状をわかりやすく示唆しているということをご説明します。

現代の蕎麦屋は大変な矛盾をかかえています。

人口一人あたりでいうと、蕎麦屋の数は江戸時代の江戸には今の東京の10倍もありました。国民的ファストフードであって、安くておいしい「もり」と「かけ」を主食のように毎日食べる人が多くいたので薄利でも経営がなりたっていたと思われます。江戸前の鮨も当時は同じく安価なファストフードであったのですが、ネタに付加価値を見つけて現代では3万円も取ったりする。蕎麦はそれができないのです。

現代の蕎麦は主食でも国民食でもなく、好きなほうである僕も週に1,2度蕎麦屋ののれんをくぐるかどうか、そして注文はもりと玉子と冷酒ぐらいでせいぜい単価は2千円です。これだけ客数が減って単価を上げないと経営にはならないにもかかわらず。つまり蕎麦通はちっとも儲けさせてくれず、蕎麦の味のわからない人をトッピングでたくさん呼び込まないとつぶれてしまうのです。しかし肝心の蕎麦に舌鼓を打たない客はリピーターにはなりにくい。そうして、その結果として蕎麦屋が減って困っているのは蕎麦好きの人たちなのです。

クラシックの世界でいいますと、カラヤン、バーンスタイン、カラス、ドミンゴ、ホロヴィッツらの巨匠たちは申し分ないトッピングとしてレコード産業が演出した「名演奏家の時代」を飾ったのであり、フルトヴェングラーはその時代には間に合わなかったが、時がたつほど味がでる(とされる)ヴィンテージワインなのだとしてトッピング(いや天ぷら)の付加価値を高めることに使われたのでした。

クラシック音楽産業はいま完全に蕎麦屋のジレンマに瀕しています。ワルシャワ歌劇場のモーツァルトは通に本源的な音楽の喜びを与えてくれるに不足はありません。立派な老舗の蕎麦屋なのですが天ぷらやなべやきは供さない。素人にはそっけないもりそばだけと思われてしまう。誰もそう宣伝しないからです。

メットやスカラ座が引っ越し公演で来日すると豪華で著名なキャストにゴージャスな舞台と演出、そして御用評論家の美辞麗句でハレの華やぎが演出されます。同じフィガロなのに、ワルシャワのS席1万5千円がメットなら5万円で売れる。差額の3万5千円で食ってる人がたくさんいるということです。喜びの源はモーツァルトのスコアなのに!

この関係がもりそばと天ぷらそばの関係でなくてなんでしょう?ワルシャワの歌手たちは確かに技術も華も超一流ではないが、なんら不足のない演奏を聴かせてくれる。それがどうしたというんだろう?天ぷらが食いたいならミュージカルや宝塚など、いくらもある天ぷら屋に行けばいいのです。

どうしてそうなるかというと、旧東欧圏はペレストロイカ後も西欧の生活水準には追いつけていません。ベルリンの壁がなくなったといっても西の人間が特に東に住みたいということはない。ポーランドがGDPで欧州上位に登るということはなく、たぶん今後もないでしょう。

だから東欧の音楽家やオペラハウスはコストをかけずに呼べるという構図が背景にあります。トッピングにカネをかけないもりそばだから舞台は簡素だしスター歌手もいない。しかし、そんなものはなくともモーツァルトの音楽は光り輝くのです。

その良さを愛でられる人が「通」だというのも妙なことで、それがなければ音楽の喜びなどそもそもないのであって、妙な権威主義的音楽教育と、トッピングに利益を見出した英米の音楽産業マフィアの戦略で作曲家の偉業をだしに金儲けする輩が音楽鑑賞の本質をゆがめてしまった。音楽好きには由々しきことが起きているのです。

NAXOSという香港のレーベルが廉価で比較的良質なCDを販売し始めたのが90年代前半で、トッピングの見せかけの付加価値で利益を食んでいたメジャーレーベルの売上が激減を始めました。これは当たり前に良い音楽を当たり前の価格で津々浦々に送り届けるという革命で、音楽にとってはプラスの事態でした。

ところがそのNAXOSもレアなレパートリー供給で企業として延命しましたが、すでに飽和感が出ている。なぜならネットの無料音源配信の勃興には勝ちようがないからです。それはそれで悪いことではなく、さらに音楽が広まって真の音楽好きが増えるはずなのですが、世の中は理屈通りに動きません。タダのものは所詮タダなりの価値しかなく、駅で流れる発車メロディ程度の扱いで馬耳東風に聞き流せばよいという位置づけになってきているのかもしれません。

ワルシャワ室内歌劇場は音楽好きにはこたえられない珠玉の存在であって、これの良さが値段が安いだけでは世も末です。このまま時代が進めば真の音楽好きは減っていくでしょう。これは日本だけではない。ドイツですら劇場は年寄りが目立ったし、若年層がどれだけクラシックに金を使ってくれるかという観点でいうなら日本と同じく危機的です。メジャーなレコードレーベルはみなユニバーサルに買われてしまったし、クラシック専門誌の経営は破たんしつつあり、とどのつまりは音楽家の生活にだってひびいてくる。演奏家のインセンティブやクオリティが下がれば、我々はいいモーツァルトが聴けなくなるのです。

これはトッピングに利益を見出した英米の音楽産業マフィアのまいた悪しき種であり、「名演奏家の演奏でなければ価値がない」と洗脳されてしまった聴衆が真の音楽を聴く耳を放棄してしまった結果なのです。「名演奏家の時代」を飾った名演奏家がみな死んでしまい、次世代を生み出そうにもネットの無料演奏でいいやという聴衆を洗脳して高い入場料やCDを買わせようという戦略がワークしなくなったのです。それを喜んで買ってくれるのはウィーンフィルやスカラ座を三ッ星のフレンチレストランと同じ基準で考える人たちばかりになりつつあります。

僕が音楽ブログを書く原動力は、何度も申しましたが、音楽の価値はトッピングにあるのではなく、作曲家の書いた楽譜にあるのだということを分かって下さる人を増やしたいから、それだけです。それは演奏家の才能や努力を軽視することではなく、そういう聴衆が増えてこそ演奏家の真の価値も正しく認識されるのです。そして、それこそ音楽産業も繁栄できる道なのです。聴衆こそが彼らの唯一の顧客なのですから。

ということでコンサート評からだいぶそれてしまいましたが、今日も充分に楽しませてもらいました。ちなみに今回の指揮者ルペン・シルヴァは06年来日時に後宮、魔笛、レクイエムを振って堪能させてくれたのは忘れません。帰りに上野駅でドン・ジョバンニを熱演してくれたクリムチャックら歌手の一行が山手線に乗ってきて、ひとしきりがやがやとやって池袋で降りていった。この庶民性もなんとも好きになりましたね。

これがご当地ワルシャワの劇場です。何千人も客を呼んで儲けようなどという商魂とは無縁なサイズの劇場。くだらない自己顕示に満ちた現代風演出など目もくれないオリジナルで古典的なステージ、ワーグナー時代のステージ下のオーケストラピット、心から楽曲を楽しんでいる聴衆。これぞヨーロッパのまことの音楽原風景であり、資本主義に芯までは毒されていない東欧にこそ古き良きものが残っているのです。

別に押し売りする気はありません。これは質素すぎてもの足りない、やっぱりメットやスカラのゴージャスさが好きという方もおられるでしょう。それは出し物にもよるし、僕がイタリア物を好まないのもあるでしょう。しかし、そうではあっても、モーツァルトの喜びを知らないで音楽を聴くというのも寂しいものだと思います。だから、本稿で縷々述べてきたことですが、現在の音楽界の危機的状況には自分なりに何かできないかと強く思っております。

僕にできることはブログで一切の虚飾なく、 クラシック音楽の虚構をぶち壊そう の精神で、自分の耳で聴いたものを忠実にわかりやすく文字にしてお伝えするのみです。音楽界の誰とも利害関係はありませんから、良い物は良い、だめなものはだめとストレートに書くのみです。僕が50年楽しんできてこういうものと思っているクラシック音楽がどういうものなのか自分では評価できませんが、少なくとも僕にとって良い音楽はどういうものであるか、それだけでもお伝えできれば何かしたことにはなろう、勝手ですがそう思っております。

 

(追記、16年1月23日)

ピアニストでもそういうことがあります。オルガ・ルシナ(Olga Rusina、1955—2013)という素晴らしいロシア-ポーランドの女流を僕はyoutubeで知ったのですが、なんと英語情報が皆無なのですね。彼女は教職にあったためメジャーレーベルのアンテナから漏れたのでしょうか、「西側」(もはや古語だが)に知られぬままでした。ワルシャワ室内歌劇場と似た立ち位置にあったわけですが、本当に上質の演奏家です。

誰でも知ってる「乙女の祈り」です。ポーランドの女流作曲家テクラ・バダジェフスカの作品ですが、このなんのことない旋律と左手のテンポ・ルバート!ショパンが右手は(ルバートしても)いいが左手はするなと言ったお手本がここにあります。

ショパンのアンダンテ・スピナート(作品22)です。澄んだ秋空のような右手が実に素晴らしい。彼女のショパンは座右に置きたいです。

(こちらもどうぞ)

ショパン バラード1番ト短調作品23

ラヴェル 「夜のガスパール」

 

 

 

 
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