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クラシック徒然草-僕の東欧好きについて-

2015 NOV 7 2:02:55 am by 東 賢太郎

美猫のコンテストをTVで娘が見ていてたしかに可愛いのですが、多少不細工でも自分の猫の方がもっと可愛いと思うのです(うちのは負けてませんが)。ところがライオンとなるとそうはいきません、どうしてもTVで見るしかない。これは音楽も同じでして、カラオケもピアノやチェロもへたでも自分でやった方が面白いが、オペラやオーケストラだとそうはいきません。どうしてもオーディオで聴くしかないのです。

音楽がネット配信で「コンテンツ化」して久しく、youtubeでは無料で聴けるようになりました。何物でも供給量が増えれば価値は希薄化(dilute)します。このような経済現象をコモディティー化(commoditization)といいます。そうなるとライブの価値は見直されますが、逆にHarry Saito氏が嘆くようにかつての名盤が13枚で3000円で売られたりもする。「バナナのたたき売り」なんていってました、こういうの。子供のころ台湾バナナは高級品だったので不思議でした。まあこれがコモディティー化ですね。

CDはもはやコモディティーであって、タダで配る販促ツールであって、ライブに来てもらって儲けるというのが音楽界の常識になったそうです。しかしクラシックの場合、演奏家は故人のことも多くそうもいきません。だからレーベルはどんどん経営破たんしてユニバーサル社に集約されてしまったのです。僕のように演奏はもちろんレーベルの音の差まで聴きたい(appreciateする)オタクは受難の時代を迎えています。世界中のハンバーガーが全部マックになったようなもので、さびしいものです。

この現象は実は1990年頃から始まっていて、CDがLPを駆逐したのとベルリンの壁崩壊でグローバリズムが蔓延したのとがダブルパンチで東欧を見舞い、ドレスデンやチェコの古雅なオーケストラの音がだんだん西欧化しはじめました。西側の聴衆の好み、つまりベルリン・フィルやシカゴ交響楽団のようなヴィルトゥオーゾ・オーケストラの音にだんだん似てきてしまったのです。市場は資本主義の西側にありますから、売るためにはそうすべきと指揮者も録音ディレクターも靡いて行ったのではないでしょうか。これはドレスデン・シュターツカペレのシューマン交響曲全集(サバリッシュ)、R・シュトラウス全集(ケンペ)、スイトナーのフィガロの結婚を聴けばわかります。このオケはもうこんな音はしません。

先日、ワルシャワ室内オペラのモーツァルトを僕が絶賛したのはこういう背景があるからです。旧西側にくらべ技術的にはやや劣るのですが、薄れたとはいえまだここのオケは東欧の古雅で素朴な味わいをほんのりと残しているのです。きっちり精巧に磨かれた、もぎたてのレモンみたいなモーツァルトが一流とされ、確かにそれは耳のご馳走であることに何ら異論はないのですが、屋久島の香りの強い野草をあえたフレンチみたいなワルシャワの素朴なモーツァルトは魅力があり、むしろそっちのほうが本家本元であるはずなのです。

10月7日にサントリーホールでウィーン・フィルをエッシェンバッハで聴いて、ブログにするのを忘れてましたが、しかしさすがにこのオーケストラはグローバリズムの洗礼をかいくぐって音を変えてません。元々チェコ、ハンガリー系の団員が多く東欧の色合いもありそれが残っている。奏法は全員が音楽院で直伝されており楽器もウィーン式のままです。40,41番の交響曲がモーツァルトの耳にああ聞こえたことはないだろうが(ピッチも高い)、カラヤンが振ってもベームが振っても変わらなかった伝統の音と流儀で今も弾いているというのは歌舞伎界で玉三郎が、人間は変わっても4代目、5代目と芸を引き継ぐのに似ていないでしょうか?

クラシック音楽にもそういう伝統芸能の側面は大いに在って、古楽では昔の楽器で演奏してみようという試みになったりもしています。しかし楽器の進化、変遷を遡って蘇生するという即物的な行為ではなく、求める音色や演奏流儀を保存するという行為はむしろ文化の領域に属します。興味本位の実験ではなく、趣味、テーストの持続です。僕にとって東欧の音というのは小肌や穴子にこだわった伝統の江戸前鮨のようなもので、売らんかなのチェーン店や回転すし屋になっては絶対に困るのです。

それもCDで聴くより(なるべくアナログ録音を)LPで聴く方がずっと良い。音響メディアの差というのも実に大きいのです。ワルターのモーツァルトやレヘル指揮のフンガロトン盤ブラームス交響曲全集のLPを見つけて狂喜してブログにしたのはそういうことです。最近SACDやブルースペックCDが高音質をはやしています。確かに細部はよく拾っていてアンビエンス (ambience、そこにいるかのような雰囲気、実在感、遠近感)は出ますがこれも音楽的価値とは必ずしも相関的とはいえなかったハイファイ、HiFi(High Fidelity)の一種であって、必ずしも楽音の音質に関わるものではなく、いろいろ買って比較しましたがCDよりむしろ僕の嫌いな音になっているものさえありました。

ライオンを家で飼えないように管弦楽はオーディオに頼るしかない。だから録音メディアのお世話になるしかないのです。メディアは資本家ですから利潤で動き、それが新たなテーストを醸成して文化を変えてしまう。人間もいずれ変わってPCのデジタル音が好き、駅の発車メロディーになったモーツァルトが好きという人が出てくるのかもしれません。それを僕に止める力はないのでせいぜいクラシック音楽の江戸前鮨をアピールして聴いていただくしかないですね。名演、爆演、奇演などというカテゴリーは僕には無縁であって、あくまで50余年聴いて醸成してきた自分の趣味とテーストに忠実に、徹底してこだわりたいと思います。

(追記)

スイトナー / ドレスデン・シュターツカペレの「フィガロの結婚」です。圧倒的に素晴らしい!なんじゃこれ、ドイツ語じゃんというなかれ、そんなことはすぐ忘れますよ。これ、きき始めると止まらない。モーツァルトはこうじゃなくっちゃ!

 

(こちらをどうぞ)

ワルシャワ室内歌劇場の「フィガロの結婚」への一考察

ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場の魔笛を聴く

モーツァルト オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」(K.588)(Mozart: Cosi Fan Tutte)

 
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