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判官贔屓と広島カープ

2015 NOV 10 20:20:19 pm by 東 賢太郎

自分の判官贔屓(ほうがんびいき)がどこから来たか。両親は巨人・大鵬・卵やき路線であってそういう気配はなし。こりゃあ隔世遺伝なのかなと思っていたら、ひとつ思い当るものが見つかりました。

「赤胴鈴之助」です。といっても僕より年長のかたしかご存じないでしょう。昭和30年ごろの少年剣士のラジオドラマらしく(実は何も覚えていない)、そのテーマソングを歌いながら刀を振り回して踊るのが親戚中で有名になっており、なんと前回のブログに書いた母方の祖父のお通夜で故人の枕もとでやってしまった(らしい)のです。「ケン坊、おじいちゃん喜んでるぞ!」と座がなごんだと伝わっております。2才でした。

その主題歌がこれです。

メロディーはどこか聞き覚えある程度で歌詞は全く記憶がありません。はるか忘却の彼方です。

剣をとっては 日本一に
夢は大きな 少年剣士
親はいないが 元気な笑顔
弱い人には 味方する
おう! がんばれ 頼むぞ
ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

が歌詞(一番)なんですが、弱い人には 味方する」という部分にピンときたのです。判官贔屓のルーツはこれじゃないか?

まさかと思いますが、前口上の「ちょこざいな小僧め!」の猪口才(ちょこざい)なんて、普通の子は知らないような言葉をなぜか早くから使っており、「剣」、「日本一」、「夢」、「大きな」、「笑顔」、「がんばれ」、「頼むぞ」、「仲間」、など今でも僕の琴線にふれる単語が並んでます。三番には「つらいときにも 勇気を出して 正しい事を やりとおす」なんて、今から人生訓にでもしてみようかなんて歌詞も出てくるではないですか。

三つ子の魂・・・とはこれなんでしょうか?僕が仲間に頼むぞといわれたらスナイパーみたいにやり遂げたくなってしまうタイプであり、がんばれと言われると素直にがんばってしまう単細胞であり、つらいのに笑顔でいる人や日本一の大きな夢をもってがんばる人は無条件に応援してしまう性格なのはこれのせいだったんでしょうか?

どうしてそんなことにこだわっていたかというと、東京の子なのに広島カープ好きになったのは、小学校2年生にしてすでに立派な判官贔屓だったからだと思うのです。7才ですから、もちろんその言葉のもとである源九郎義経なんて知りません。ただ単に、弱い人には 味方する」のがいいことだと信じ込んでいたフシがある。なぜなら、50年前のカープはそのぐらい弱かったからです。

ところがわからないことがあって、そのカープが1975年に初優勝してしまうのですが、それでもカープファンをやめなかった。えっそれは逆でしょ?と思われそうですが、強ければいいなら巨人ファンになってました。東京の子だから。大同に付くを良しとせぬ一匹狼だから、優勝などして猫も杓子もとなると気持ちが離れそうなもんだったのです。

それがそうならなかったのは大羽、外木場など好きな選手がいたせいもありますが、赤胴鈴之助ソングで刷り込まれていたもうひとつのポイントである「日本一の大きな夢をもってがんばる」姿を新しいカープに強烈に見たからです。

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ありえなかった75年の優勝は、前オーナーの英断でメジャー経験者ジョー・ルーツ(左)を監督にすえたことがすべての発端であります。日本球界初の革命的な試みでした。ルーツは「集団は確固たる指導方針を持った強烈なリーダーによって変わる」という信念で、まさに彼自身の強烈なリーダーシップで「勝って広島を活性化させる」という信念を選手に植えつけたのです。球団ともめてわずか15試合で監督を辞任したにもかかわらず、チームの負け犬体質を根底から一新しました。紺色だったカープの帽子を赤ヘルにかえたのはルーツです。

当時20才だった僕は、嬉しいを通りこして衝撃をうけました。監督一人で結果がこんなに変わってしまうなんて!

大変に僭越ですが、2004年に野村證券からまだ株式引受主幹事実績がゼロだったみずほ証券に移籍を決意したとき、自分を鼓舞しようといつも「勝手イメージ」していたのはこの時のジョー・ルーツです。そのぐらい僕にとってインパクトがあった憧れの男であり、いまに見ておれよと退路を断った僕の覚悟も凄まじいものでした。

最近のカープファンは優勝できて当然と思っておられるかもしれませんが、昭和30~40年代の暗黒時代、球界のお荷物といわれた頃を知るオールドファンにとって日本一は言葉の真の意味における「奇跡」でありました。そして24年もリーグ優勝すらしていない現在、「日本一の大きな夢をもってがんばる」が言葉だけのセールストークではないことをファンのためお祈りするばかりです。

 ところで、「赤胴鈴之助」を耳元で聞いてくれた祖父は明治時代の野球人であり、早くから野球の魅力にとりつかれた人でした。もうちょっと生きていてくれたらキャッチボールできたのに。親父によると彼はけんかして三井物産を辞めて王子製紙の役員になったようで、なんともはや孫に隔世遺伝してるのがこわいほどです。

(こちらへどうぞ)

どうして証券会社に入ったの?(その1)

僕の運命を変えた広島カープ

 

 

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Categories:______わが球歴, ______広島カープ, 野球

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