ルロイ・アンダーソン The Waltzing Cat
2025 DEC 31 23:23:57 pm by 東 賢太郎
The Waltzing Cat(ワルツを踊る猫)、聞き覚えのある方が多いと思います。どこで覚えたのか、このユーチューブのようにトムとジェリーかなと調べますと、伴奏作曲者はスコット・ブラッドリーという人物でルロイ・アンダーソンとは関係ないですね。でもこのビデオはまるで伴奏音楽かのようです。
そういえば1969年に「黒猫のタンゴ」というのが流行りましたね。当時僕は中3かな、よく覚えてます。歌っていた皆川おさむさんが今年亡くなったそうです。
これ、イタリアの童謡「黒猫がほしかったのに」のカバーらしく、日本語のまま全世界でヒットしてレコードは400万枚売れたそうです。「上を向いて歩こう」はスキヤキの題名で1000万以上売れたらしいけども、以前にどこかに書きましたが、この曲は和声と旋法とリズムという音楽的構造に非常に光るものがあります。すごい曲なんです。ところが黒猫はなにせ4種類しかコードを使ってませんからね、ひょっとしてコード単価の世界記録かもしれないと思うほど単純きわまりない音楽で、それはそれで偉業です。この曲の世界的ヒットは、今世界を席巻しつつある日本のアニメブームの予兆だった気がします。文化というものが権力で生まれたためしはありません。西欧においては宗教が権力と一体だった時代が長らくありますが、そこにあった文化の母体は教会であって国家ではありません。教会と言ってもその空間の中ではなく、外に足を踏み出して聖書も忘れて色恋にまみれちまったいわば歌舞伎者の世界で花開いていったのが我々がクラシック音楽と呼んでいる物の大半です。だから一般には貴族趣味と思われていますが、実は権力の為に権力を持ちたい連中とは関係ないんですね、その干渉は百害あって一利なくプロコフィエフやストラヴィンスキーは逃れましたが、ガッツリ拉致されてしまったショスタコービッチはかわいそうでした。
音楽の発展がいかに権力と関係なかったかを示す象徴としてパリのモンマルトルに1897年まであったキャバレー「黒猫」(ル・シャ・ノワール、Le Chat noir) という文芸人のたまり場があります。初めてのピアノを置いた酒場でした。あそこらへんは税金が低い区画で、安酒飲ます居酒屋、キャバレー、ダンスバーみたいのがごちゃごちゃあったわけです。貴族の館っぽいおすましした上流階級のサロン、リストやショパンはそこで弾いていた人達ですが、そういう世界に対してちょっとお洒落でとんがった庶民の小金持ちが遊ぶ場所という新コンセプトの「黒猫」は繁盛したようです。ドビッシーも出入りして弾いたというから贅沢なものです。僕は気質的にそっちの方が好きですね。サティはそこのピアニストの1人で、無頓着な風来坊のイメージがありますが着る物だけは金をかけて気張っていたようです。
今そういうのがパリにあるのかどうか知りませんが、ムーラン・ルージュやリドに発展的解消しちまったとすれば残念ですが、それはそれでお上品なストリップという日本人にとっては摩訶不思議な空間が保持されてるという意味では遺伝子は引いてますね。ニューヨークもピアノバーがあるけれどあれはあっけらかんとあっぱれなアメリカンでちょっと違うんだよなぁ、例えば『ジュ・トゥ・ヴ』(Je te veux、お前が欲しい)が似合うっていいますかね、そうやって女性を口説こうが何でも結構なんだけども決して下品でもなくてっていう “モデストなドレスコード” である必要があるんですね。そういうのは何のことない京都のお茶屋さんの文化ですよ、赤穂浪士の大石内蔵助が通ってたぐらいだからこっちの方がずっと先輩なんでね、我々日本人は万事において世界に冠たるブランドを誇る民族だって事を忘れてはいけません。パリはパリならではの色気がありますけどね、僕が長らくヨーロッパに住んでクラシック音楽を聴きながら味わってきたのはそういう部分が大いにあります。ハプスブルグのウィーンにもミラノにもマドリッドにもあるし、ドイツの神聖ローマ帝国都市やハンザ同盟都市にもあるし、辺境だったプラハやブタペストにだってある。大都市ではロンドンだけ異質なんです、ヘンリー8世が本丸のキリスト教を離れちゃったのは大きかったですね、産業革命で金持ちにはなったけれど本丸の音楽家達を輸入する文化になっちゃった。まあそのおかげでヘンデルが出てきたしザロモンセットや第9も書かれたんですが、文学や科学や哲学ではそういうことは起きてないですね。音楽が宗教、王室といかに不即不離で歩んできたか物語ります。そして19世紀の末になってそれが市民のものになった象徴が「黒猫」なんです。その風土に生まれ育ったドビッシーが宗教とも王室とも関係なく完全に市民のものになった近代音楽、例えばメシアン、ブーレーズに橋渡しをする存在になった。だから音楽史を進化論的に見るなら彼はルネサンスの申し子なんです、ラヴェルは和声と音楽語法の革命をやりましたがフランス、バスク文化の中であってユニバーサルにはなってない。そこが評価の分かれるとこです。でもどっちかと言えば僕はラヴェル派かなあ。パリは何度も行ったし大好きなんですが、昨今は大量の移民で治安が大変なことになってるらしい。もう消えちゃった文化かもしれませんね。
サティ 『ジュ・トゥ・ヴ』。人間のミャオミャオです。
表題に戻りましょう。ルロイ・アンダーソンはアメリカのヨハン・シュトラウスといわれます。まあ言ってるのは文化の理解度が低いアメリカ人だけで、だから黒猫に対するピアノバーだよねと言われてしまえばそれまでです。ただその比喩が正鵠を得ていると言えないこともないのは、ユダヤ人だったシュトラウスは権力のしもべではなかったことです。シュトラウスのお葬式は、ブラームスもそうですが、シュテファン大聖堂ではなくこじんまりした異教徒の教会で行われましたからね。彼はお父さんの代からラデツキー将軍をたたえたりし、国家権力によいしょしながら生きのびてウィーンの大衆の心を掴んだという、日本だったらレコード大賞を取って紅白歌合戦に出たみたいな国民的芸能人だったんです。それを貴族っぽく「クラシック」に仕立て上げるしたたかなウィーンの権力者と商人たち。僕は商売柄たくさんのそういう連中に会いましたが、ハプスブルグの栄光と遺産をかさにきて実に金儲けが上手いんです。なにせいじめてたモーツァルトまで見事にそのネタに使っちゃいましたからね、僕もヨーロッパに住むまではすっかり騙されてました。それほど日本の西洋文化の受容ってのはお気楽で底が浅いんです、文科省もNHKもまんまとその手先に使われてるし小沢征爾がウィーンフィルの音楽監督にまでなっちゃう。表面的には名誉なことですよ、でもお公家さんみたいな日本の権力者が関与してくるとそんな程度でちょいちょいとごまかされ、金をふんだくられるんです。だからクラシックは何となく借り物の権威をまとった余所行きの浮ついた存在になって、よれよれのおじいちゃんになった西洋の巨匠の演奏を有難く拝聴しないといけない感じの世界になって、宝の山である名曲たちがいくら心ある聴衆の琴線に触れようと日本に根付かないんです。
The Waltzing Catがどういう経緯で書かれたかは調べましたがよく分かりません。でも愛らしくて品格もあって素晴らしい音楽ですね。アンダーソンのヴィオラ、チェロに弾かせる中声の魅力がここでも遺憾なく発揮されてますし、この滋味のある味つけは後世の誰もできてませんから大変な才能と思います。世界的猫ブーム、アニメであるトムとジェリーにつけてもおかしくない曲を書いたという2つの意味で、現代人の嗜好を75年も前に先取りしたといっていいでしょう。
作曲家の自作自演というのは結構残っていますが、ピアノだけでなく歌まで歌っているのはあまりないです。この曲は紛れもなく歌曲だったんです。アンダーソンがどんな人だったか貴重な映像をご覧ください。
“The Waltzing Cat” by Leroy Anderson © Woodbury Music Company LLC, SMP (ASCAP)
それでは皆様、よい年をお迎えください。
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「猫科」に分類されるラヴェルとハスキル
2025 DEC 30 2:02:02 am by 東 賢太郎
夏目漱石が結婚し、英国留学から帰国して東京帝国大学の講師になった翌年の明治37年初夏、千駄木の家に子猫が迷い込んできた。黒猫だった。家に出入りしていた按摩のお婆さんが、「奥様、この猫は足の爪の先まで黒いので珍しい福猫でございます。飼っていれば家が繁盛いたしますよ」と伝えたことで飼われることになったが、名前はつかずにずっと「猫」のままだった。明治39年に本郷に引っ越した(西片のそこは僕が2年住んだ下宿の目と鼻の先だ)。「猫」は明治41年9月13日に病で5歳に満たない生涯を閉じ、漱石は彼を庭に葬って墓碑を立て、知人や門弟に死亡通知を出した。程なくして「吾輩は猫である」は文学誌『ホトトギス』に11回に分けて掲載され、彼の処女作の長編小説となる。かくして「猫」は人類史上最も重要な猫に列せられることとなったわけだ。
誠に結構なことだが、僕としてはとりわけ彼が黒猫であったことに誇りを覚えるものである。我が家のフクもしかりだからで、さらにその名も福猫由来と言いたいところだが、実は顔がぷっくりしたぷくちゃんに由来する。しかし、共に過ごした5年といえばあの忌まわしいコロナの厄災期にぴたりと重なっているのであり、我が家はワクチンを一本も打たずに事なきを得ているのだから守り神ではあった。しかも外出ままならぬその期間にビジネスでは次々と新たな出会いがあって、そのおかげでいま仕事が国内とアメリカで9つもある。数えてみると社員の3倍近い19名の国内外パートナーが実現に向けプロフィットシェアリングの形で協力してくれており、ソナーを中心にハブ・アンド・スポークスの事業モデルができてきた。 そのうち13名はフクの5年間にご縁ができたというのだから、まさに福の招き猫だったのである。
思いおこせば小学校時分から一緒に暮らしてきた昔の猫たちも、みんな僕の中で生きている。おしりをポンポンしてひょいと肩に担ぎ上げた時の感じや、両手をお腹にまわして持ち上げたときの、あの猫この猫のボリューム感が、当時の東家の出来事や世情の思い出と共にまざまざと手のひらに蘇ってくるからだ。その度に僕は「ああ猫のいる星に生まれてよかったなあ」と神様に感謝を捧げるわけである。この性格はいかなる理由があろうと寸分も揺らぐことなき頑強なもので、すなわちどんなに美人だろうが金持ちだろうが、猫を捨てて猫嫌いの女性と暮らすという人生観は僕の中に100%存立の余地がなかったわけで、この点、確かめたわけではなかったけれど家内がそうでなかったのは幸いだった。
一般社団法人ペットフード協会のデータ(2024年)によれば、日本人は犬を約679万頭、猫を約915万頭飼っているそうだ。我が家は野良猫しか飼わないからデータ外だろうし、ペットショップの客になる気はないし、「犬も好きですが」という猫好きは別人種と認識している。ほとんどの飼育者というものは人間と動物を峻別し、ペットなる擬人化したコンセプトで認識し、優位に立つ人間の視点で共生を楽しむ人たちである。それを否定する気はないが、家内が指摘するように僕は猫の生まれ変わりの「猫科」に分類されるべきであり、自らを擬猫化した感覚で人間をやっており、すべての猫様に敬意を払って接しているという者である。そんな妙ちくりんな人はまずいないだろうし猫も些か驚いてはいよう。ヘミングウェイや伊丹十三の猫愛の底知れぬ深さについては知得しており、いくら畏敬しても足らないのだが、しかし彼らは愛犬家でもあるから僕としては準会員なのである。915万頭の飼い主さんのうち肝胆相照らすことができる方はきっとおられるとは思うが数える程度だろうし、それ以外の圧倒的大多数の愛猫家とは深いところで話は合わないだろうという半ば諦念の世界に長らく僕は住んでいる。
あらゆる芸術家は猫と相性が良さげに思えるが、では彼らの何%が我が身のようであるかというと怪しい。例えば猫と文学を結ぶ試みというと、真の天才ETAホフマンが1819~1821年に書いた『牡猫ムルの人生観』を始祖とする。現実に彼は「ムル」という名の牡猫を飼っており、同作の構成はカットバック手法のミステリーもかくやと思わせる驚くべき斬新さを誇る。これを書けたということはホフマンは少なくとも猫好きであったろうが、果たして自身が「猫科の動物」であったかとなると疑問である。また、同作と「吾輩は猫である」の関係はいろいろな識者が語っているが、ドイツ語ゆえ漱石が読んだかどうかは不明とされる。作中で婉曲に言及はしているので存在を知っていたことは確実であり、ホフマンがムルの逝去で人間並みの「死亡通知」を友人たちに送付した事実があることから、同じことをした漱石の行為が偶然であり模倣でなかった確率は非常に低いことを僕は断定する。しかも、関連した資料を一読するに漱石はホフマン同様に猫科でなかったばかりか、猫好きだったかどうかさえも怪しい人物の気がするのだ。作中の言及はいずれ模倣が発覚することを予見してのアリバイ作りであり、動機は異なれどハイドンが交響曲第98番にその当時は誰も知らぬジュピターを引用した意図に通底するものがあったというのが私見である。
いっぽう猫と音楽となると、結びつけ方はいろいろだ。ミュージカル「キャッツ(Cats)」はイギリスの詩人T・S・エリオットの『キャッツ – ポッサムおじさんの猫とつき合う法』なる興味深い作品を原作とする。アンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽も楽しい。これを観て思い出したのは、成城学園初等科にいた時分、作曲家の芥川也寸志さんの娘さんが同じ桂組におられ、クラス担任だった北島春信先生の台本に芥川さんが作曲したミュージカル「子供の祭り」が歌の上手い子たちの出演、作曲者の指揮で演じられるという贅沢なイベントがあったことだ(記憶違いでなければ渋谷公会堂で)。生のオーケストラはこれが初めてであり、次々とくり広げられるきれいな歌やダンスに心がうきうきし、音楽の授業を嫌悪していたことを少々悔悛したものだ。この経験があるから、オペラと違いミュージカルというジャンルには遠いふるさとを見るような郷愁がある。Catsは素晴らしい。猫界の繁栄に貢献した事は間違いない。
ロッシーニが書いたことになってる『二匹の猫の滑稽な二重唱』は鳴き声の雰囲気をよく活写している。しかしこれこそがペットを擬人化し、優位に立つ人間の視点で共生を楽しむという趣向において、いわばトムとジェリーの古典音楽版であり、作曲者が猫科か否かという視点の解明とはなんら相いれない所に成立しているという点において漱石の猫の音楽版でもある。オペラ・コミックの路線と見れば十分に楽しめるが、それはロッシーニの世界ではないという矛盾をはらむのである。
この路線の親類とでもいうスタンスとして、標題をつけないショパンが何も語っていない音楽を「猫が突然鍵盤の上に飛び上がって走り回っている様を連想させる」として押しつけがましく猫のワルツと呼んでみたりする人がれっきとして存在するわけだが、僕は作品34-3にそんなものを微塵も連想しない。それは誰の連想なんだ、それとショパンと何の関係があるんだと、いかがわしい表題には作曲家の著作権を弁護したくなるばかりだ。のちにクラシックを深く学ぶにつれ、そうしたことどもは永遠に表層の部分だけに関わる種の人々がやり取りする稚拙な表象であったことを知るが、そうした理解不能な異人種の存在が子供時分の僕を長らく音楽室から遠ざける元凶だった事実も知ることになった。猫はおろか音楽までおぞましく擬人化する地平で素人や子供に親しんでもらおうというアイデアは、パンダに頼る田舎の動物園経営のようなもので、3歳の乳飲み子ならともかく真の聴衆を育成しない全くの愚策である。
猫科の音楽家はいないのだろうか?そんなことはない。仲良しだった女性ヴァイオリニストのエレーヌ・ジュルダン・モルランジュに「猫の鳴きまねの際立った才能がある」と高く評価されたモーリス・ラヴェル(左)はシャム猫2匹を飼い、オペラ「子供と魔法」で猫の二重唱を作曲した。家でエレーヌとそれをミャオミャオ歌っていると、心配そうな顔をしたシャム猫たちが集まってきたというからその腕前は本家のお墨付きを得たものである。しかし、猫の鳴きまねにおいてなら僕はラヴェルに負けない自信がある。彼は2匹だが僕は10匹の同棲経験があり、その各々の声色をいまでも鳴き分けることができるからである。そうした見地から作曲家の「猫度」を判定してみるならラヴェルは1位と言っていいだろう。理由は42歳の時に母親が亡くなってからの行動と経緯にある。結婚しなかった彼は重度のマザコンであり、 1人でいられず弟や友人の家を転々としていた。 その喪失感を体験している僕としては理解できるし、むしろよく4年も耐えたものだと同情もする。回復途上にあったわけでないことは、 3年後に友人に「日ごとに絶望が深くなっていく」と悲痛な手紙を出し、作曲中だったクープランの墓およびラ・ヴァルスを除くと実質的な新曲は生み出せていないことで想像がつく。現代ならおそらく抗鬱剤が投与されて救われたろうが当時はそれがない。ドツボの修羅場から逃れるべく、ついに4年目になってパリから50キロ離れたモンフォール・ラモリーに人生初めての一軒家を買って引っ越す。そしてその家に住んでいたのがミャオミャオのシャム猫一家だったのだ。その甲斐もあって彼はやがて渡米できるまで回復を見せ、結果として我々は『ボレロ』、『左手のためのピアノ協奏曲』、『ピアノ協奏曲 ト長調』などを持つことができたのだ。
「子供と魔法」猫の二重唱
ドビッシーが猫科だという人もいるが僕にはちょっとイメージがわかない。猫好きな人、猫的な人と猫科は生物学的に異なるのである。仕事柄もう世界中で何千人と握手をしているが、想像するに、ラヴェルの手は骨張って華奢だがドビッシーは肉厚でごつい感じがする。手は人物を語るが、猫科の感じがしない。ちなみに僕の手は男としては小さめでとても華奢だ。仲良しの某大企業経営者にその話をしたら、彼はプーチンとメドベージェフの両方と握手しており、メドくんが先で、しなっとして女性みたい、続くプーさんはゴツくてまさに熊だったと笑う。あいつを首相にした気持ちが分かったよとはまさに経営者の至言であろう。ドビッシーは確かに猫2匹と暮らしていたが、後に後妻エンマの影響か犬2匹に乗り換えている。いかなる理由があれ、猫科にこうしたことは起こりようがない。
写真を見て、あっ、この人は猫科だなと直感したのはクララ・ハスキルだ。猫を抱いているからではない、抱き方だ。この猫は、察するにスタジオ撮影用の借り物であるか、もしくは自分の猫だがカメラのフラッシュに怯えている。そこで右手に優しく手を添えて安心させている図である。このさりげない優雅な仕草には、単なる猫好きという程度ではない、猫科の人にしか発露できない深い愛情と共感がさりげなく現れ出ているのである。皆さんも例えば公式の食事の場での普段のほんのちょっとしたこと、ナイフ・フォークの置き方やお箸の作法やおちょこを口に持っていく動きなど、ほとんどの人が気づかない所で氏素性がはかられることはお聞きになったことがあろう。ハスキルが、こちらも猫科まるだしの男であるモーツァルトを十八番にしていたことはいとも自然なことだったのだ。素晴らしい録音がたくさん残っているが、僕が愛してやまないのはピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280のドイチェ・グラモフォン盤である。K.488の第2楽章を彷彿とさせるシチリアーノをこんな見事なニュアンスと凛と澄ました清冽な音で弾ける人がいまのピアニストにいるだろうか。そして第3楽章に至っては音楽も弾き方もまるで猫であるという至芸を。猫同士にミャオミャオはいらない。
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ショパンコンクール2025に思ったこと
2025 DEC 26 0:00:55 am by 東 賢太郎
10年ぐらい前に結構ショパンを聴いた時期があって、ちょうどやっていたコンクールもそこそこ耳にした。前回はコロナ騒動でご無沙汰になり、今年は多忙ゆえ忘れていた。優勝のエリック・ルーは10年前に4位になって寸評を書いている。 ショパン・コンクール勝手流評価
ショパンというとポーランドのお国もののイメージがあるが、過去19回中ポーランド人優勝者は4人だけで、当初はソ連(ロシア)が多かったのはどちらもスラブ系の血ということを思わせる。昨今はそれが消え欧州勢も消え、今年はファイナリスト11人のうちジョージア、ポーランドの2人以外は血筋が東洋人というなかなか衝撃的な顔ぶれである。それがクラシック音楽を聴く正しいアプローチなのか否かはともかく、世界のコンクールにおいて血という要素が薄くなったのは事実だ。もちろん血と文化は必ずしも合致しない。先祖は日本人でもアメリカで生まれ育てば西欧人であり、僕自身、日系人の友達はそう思ってつき合っていた。しかし日本語を全く解さぬ彼らも日本食を好んで食べていたりする。血は争えぬという要素は生まれ育ちだけでは消えないのだ。僕は音楽というものは抽象的な知的肉体的能力だけではなく、食文化に通暁する側面を多分に持つ芸術だと考えている。それを捨て去っても立派な娯楽として成り立つが、僕はそれを面白いと感じないタイプの人間に属している。
日本が単一民族国家というのは嘘だが、鎖国をした260年の徳川時代にそこまで約1000年かけて蓄積、培養されてきた日本的なるものが坩堝で煮詰めたように凝集し、民族的混合が始まった明治時代以降も、それが日本文化だ、それに従うのが日本人だという形の集団的思考によってで新たな日本らしさが形成されていったと考えている。単一民族国家という嘘が流布したのはそこからで、それまでなかった国家というコンセプトを強固に形成するためその嘘が必要だったのである。相撲は古来よりあったが、大相撲という競技、興行という形を成したのはその過程においてだ。モンゴルにもある相撲は日本文化の象徴になった。したがって当然力士は日本人のみであるはずだった。その認識は今や瓦解し、モンゴル人の横綱が時代を牽引し、いよいよウクライナ人が優勝するに至った。それに反目しているのではない。この現象も日本文化なのであり、観衆として楽しんでいる我々もその一態様なのである。
しかし、そうならないことを願ってはいるが、横綱、大関、関脇、小結の全員が外国人になってしまった土俵を目にしたとき、自分はどう反応するだろう?これが日本文化なんだとすんなり受容できるだろうか。相撲は格闘技であり、技はメカニックなものであり、それに優れている者が横綱になればそれでいいだろう。その考え方は、音楽は抽象的な知的肉体的能力だ、パーフェクトにショパンの楽譜を弾きこなした者がコンクールに優勝すればいいという考え方に合致する。今政治の世界では世界中にグローバリズムの嵐が吹き荒れ、さような考え方が世界各国のあらゆる分野で固有の文化を否定し、時には蹂躙し、何国人がどこに移民しようと問題なく生きていける地球にしようという運動が正当化されつつある。
日本はそれでいいのかというと、少なくとも日本相撲協会は横綱審議会を設け、勝てばいいだけではない横綱という存在の日本文化的側面からの定義を崩していない。だから圧倒的戦績を誇った朝青龍や白鵬は横綱にはなれたが日本相撲協会のトップにはなれなかったのである。守るべきは興業でなく文化だという協会の決意だ。だから日本は保守的でダメなのだという批判はあるが、その牙城があるから日本は平安時代から他国に支配されず存続してきたという指摘もある。僕はサラリーマン生活を31年送りグローバリストにまみれて生きてきたが、しかし、国際社会の一員として融和して生きていくことよりも、日本が他国に支配されず存続していくことが何よりも大事と思っている。そのために必須なのは日本人の日本人による日本人であることの誇りであり、その根っこに日本文化という揺るぎ無き存在がある。これは法律によって侵食されない。法的に問題ないなどという小理屈でどうなるものではない。ちなみにLGBT理解法案可決によって自民党は、自身が想定だにしていなかった規模での大量の保守票を失い存亡の危機を伺わせる大惨敗を選挙で繰り返した。当たり前だ。文化を法律で侵食しようとしたからだ。賢明な日本人は理屈ではなく本能でその危険さを察知したのである。
ポーランドという国家の過酷な歴史を我々は世界史で学んでいる。ロシア、プロイセン、オーストリアの3国によって3度にわたり分割され、1795年には完全に国家が消滅し、ナポレオンによる一時の復活はあったが1815年のウィーン会議によって解体され、実質的にロシアの支配下に組み込まれ、ロシア革命勃発で民族自決権を得て独立はしたが第2次世界大戦が始まると再びドイツ、ソ連が侵攻して分割支配され、戦後はソ連の支援を受けた共産主義政権による社会主義国家となったのである。大量の血が流れた上でのこの悲劇だ。第2次大戦敗戦時のヘゲモニーを俯瞰すれば日本がそうなっていても不思議ではなかった。ならなかったのは、ガバナンス構造を壊すことはできても天皇を頂点とした質的に極めて特異な一枚岩である日本文化を壊すことは反共防波堤を必要としたGHQにはむしろリスクと判断されたからだ。
僕はヨーロッパに14年住んだがポーランドは行ってない。証券市場がなかったからだが、知ることといえばショパンぐらいでそのショパンも興味なかった。文化遺産なるものは戦争によるぶんどり合いの帰結であり、当然戦勝国に帰属する。観光客はそれを愛でに出かけるのであり、他国に支配される敗戦国はそれすら保有できず、後々の子孫に至るまでどこまでも悲惨なのだ。これを読む若者の皆さんはそのことを絶対に忘れてはいけない。インバウンドで世界から旅行者が日本に殺到するのは富士山や温泉のためばかりではない。我々の尊い先祖たちががっしりと国土に根を張り、幾度かの危機はあったものの他国に支配されず千年以上も存続した証としての、日本語、慣習、礼儀、道徳、思いやりをはじめとする雅びで重厚で奥深い日本文化あってこそなのである。その重みを知らず学ばず軽々にニグレクトする政治家が現れれば、核保有のない丸腰のままの日本は大いに危険である。
ショパンコンクールに話を戻そう。ワルシャワの国民的行事の舞台上に並ぶファイナリストの8割がアジア人という光景は、僕の感性からすれば異様としか表現のしようもない。このままで誇り高いポーランドの愛国者たちが耐えられるのか否かはそうした境遇の国に生まれていない僕には想像もつかない。ショパンはポーランド貴族の末裔の母とフランスから亡命した父を持つハーフでありポーランドで成人した、れっきとしたポーランド人である。音楽の語法にはポーランドの民謡や民族舞踊の影響が色濃く取り入れられ、愛国者であったことはまぎれもない事実と思われるが、結局はパリに去った。ヘンデルはロンドンで、ベートーベン、ブラームスはウィーンで、ワーグナーはヴェネチアでと異国の地で亡くなったし、ヨーロッパという世界では母国の土に帰ることが必ずしも愛国心の証しではないものの、ポーランドという特別な歴史を持つ国家でショパンという存在の重みは生半可なものではないと考えている。つまりショパンコンクールは多数の大作曲を生んだロシアにとってのチャイコフスキーコンクール、イタリアにとってのパガニーニコンクールとは重みが違い、演奏家の名を冠したコンクールの舞台が世界の俊英によって多国籍になることとは全く本質が異なるのである。
その反動なのかショパン自身の奏法の研究が進んでいると聞く。しかし彼自身の音源はなく、いくら発見しても楽譜は記号に過ぎない。たとえば第3次世界大戦が起きてビートルズを聴いたことのある人が全滅し、全音源も破壊されてしまい、残がいの中でバンド譜面が奇跡的に発見されたとしよう。そこからあの個性的なサウンドを再現する作業は、聖書の記述からバベルの塔の絵を描くに似る。描けと言われれば絵は画家の数だけできあがる。真偽は誰も判定できないが、選べと言われれば、絵である以上、ブリューゲルのような技術的に上手なものに収斂することになるだろう。人間の認知バイアスとはそういうものなのだ。コンクールも同様だ。本物のショパン演奏に近い保証はどこにもないが、ピアノ演奏である以上、技術的に上手に弾いた人が選ばれる可能性があるということだ。
僕はアルフレッド・コルトーのショパンが割合好きである。しかし上手に弾いたかどうかという認知バイアスがだんだん勝ってくると、レコードですらミスタッチが散見される彼がショパンコンクールに出たとしても優勝する可能性はゼロになろう(仮に彼の奏法がショパンに近いとしてもだ)。今年の審査員が「昨今は音楽のためでなく拍手のために弾く傾向がある」と苦言を呈しているが、蓋しこの言葉はそうした風潮を感じたなかで、コンテスタンテのみならず審査員に対しても向けられていると僕は解釈している。東洋人が強いのはクラシックの新興市場である中華圏の子女に対するピアノ演奏の訓練が最高度の域に達しつつあることと無関係でないだろう。今回2位になったカナダ国籍のケヴィン・チェンのエチュードは一昔前ならポリー二並みの評価を得たかもしれない。なにゆえに ”かもしれない” かというと、結果として得なかったからだ。ポリー二は2025年の今、もう現れないのである。彼のエチュードのレコードが出現したのは1972年。ニクソン大統領がスペースシャトル計画を発表したがアポロ計画は終了し、翌年に米軍のベトナムからの全面撤退を宣言する年でもある。人類が科学技術と軍事力で何でもできると確信していたピークの頃であり、ポーランド文化の香りより人間の極限の演奏技術の驚異を意識させるポリー二のエチュードは時代の風によっても讃えられたのだ。ウクライナとパレスチナの戦争のニュースで世界が気疲れしてしまった現代は、その風が吹いていない。ケヴィン・チェンの責任ではないのである。
優勝者エリック・ルーは10年前に書いた通りモーツァルトを弾かせたい出色の美質がある。それは静かな場面で抒情と哲学的な深みを漂わせる類のもので個人的に優勝に異議はないが、良くも悪くも拍手のために弾く傾向を是とする世では彼を選んだショパンコンクール側の姿勢の揺らぎを問う声があることは想像がつく。反対に拍手をとれる方向で期待値が高かったのがジョージアのデイビッド・フリクリだ。結果はルーが1位でフリクリは選外で、苦言は効いているのかなとも思う。ただ、フリクリを擁護するわけではないが、ショパン自身は華やかなドレスと香水の香りに身を包んだたくさんの女性に囲まれてパリのサロンで弾いたわけであり、哲学者よりはショーマンに近かっただろう。肺を病んだ最晩年の陰鬱な表情の写真は後世のショパンのイメージに大きな影響があると思うが、一生あの顔で生きてきたわけではない。
ショパン好きの皆様には申し訳ないが、彼の音楽には素晴らしい物がいくつかあるのだが、多くに見られるあのパラパラと散りばめられた装飾音符が僕は耐えられない。ブラームスの間奏曲やシューマンの詩人の恋の伴奏に見られる、なぜその場所にその音が置かれたかというロジックと無駄のなさを決定的に欠いているからだ。その名のとおり装飾にすぎず、彼ほどの耳の持ち主があれを書いたのはパリジェンヌたちの関心を買わんがためと思うしかない。コンサートでは聞こえにくいと言われ、彼がパリで演奏会を嫌った一因はそこにあるかとも思うが、それを取り去ればショパンという感じが失われるのは明白で、実は装飾ではなく実体だったのだという美学的矛盾に直面するのである。僕がコルトーに惹かれるのは、唯一彼だけがパラパラに「男の色気」という重大なメッセージを盛り込んでその矛盾を解決しているからだ。それは奏法、技術ではなく、そういう男だけができる女性を惹きつけ微笑ませるウィットに富んだ軽妙な話術やジョークのようなもので、家柄や教養や作法に隙はないが真面目が取り柄の秀才がまねても無理なのである。とすると、ショパン自身もそう弾いたのではないかという思いは断ちがたくなるのだ。
パリのサロンにデビューし、あのエチュードを書いたショパンは23歳だ。一年下のリストは超絶技巧で女性を失神させていた。ハタチそこそこの彼らは往時のビートルズやローリングストーンズのお兄ちゃんたちのようなものなのだ。ショパンがそうした側面から技法というアートに興味を抱いたかどうかはともかく、それがウィーンやパリで大向を唸らせる鍵であるという認識を持っていて不思議ではない。それがエチュードの作曲であり、リストへの献呈、挑戦であった。シューマンが同い年のショパンを絶賛しているのは評論精神によるということになっているが、評論はおりしものロマン主義の台頭で文学と融合した運動だ。浪漫主義的資質のシューマンが開祖の一人という意味でならその言説に異論はないが、後世に現れる富裕なインテリ市民階級で、音楽はできないが文章は書く者たちが評論家である。シューマンは真の意味での音楽の創造者でありそれではなかったが、指の怪我によりエチュードをかけるほどの技法のレベルにはなかった。リスト、ショパンを前にしたルサンチマンを僕は感じるし、ショパンはそっけない返信で、まあ君には無理だろうけどねと見下したニュアンスを漂わせている。
ドイツ時代に僕は軍隊ポロネーズと子犬のワルツを弾いて気持ちよかったが、以来ご無沙汰だ。聴く興味が失せるとともに指も忘れてしまう。今さらっているのはシューベルトやシューマンやブラームスというわけで、10年前にはあったショパンコンクールへの興味も並行して失せてしまったが、愛国心から、前回は躍進した日本人が今回はどうかには注目した。 桑原志織はオーソドックスなショパンで音はクリスタルのように美しく、パラパラの空疎さをあまり感じさせないソリッドなアプローチだ。バラード4番は見事で完成度が高いが、それだけに最後のコンチェルト第3楽章になぜかそれがなく、不可思議だ。指揮者のせいかもしれないが、これは彼女のテンポだったのだろうか。
もう1人、選外に終わった進藤実優だ。あまり見ない柔らかい手首から心地よいレガートを生み出し、粘りのあるフレージングと大きな波のうねりに高め、それが摂理として求めているまさにこれというテンポルバートと音量の振幅で音楽をゆりかごのようにドライブし聴き手に魔法をかける。音楽が奥底に秘めている作曲家の心の波動に共振しないとそういうことは起きないのだが、表面的には即興性と聞こえ、陳腐でカビの生えた解釈論にこだわる保守派には受けないこともある。指揮者ならフルトヴェングラーが、ピアニストならアルゲリッチがそうした資質の持ち主だが、教えて出来るものではないと思われ、頭や理性ではなく体中で咀嚼して自分のものにした人だけができる。聴衆への説得力は絶大で、そうした演奏家はいつの時代でも世界でも希少である。微細に精巧に作られてはいるが所詮は作り物でしたねという多くの演奏の中でおのずと異彩を放つことになり、いずれ彼女にはそういう時が訪れるだろう。
コンチェルト1番をぜひお聞きいただきたい。まず、いつも感じるのだがワルシャワ・フィルハーモニーは冒頭からがっくりとくるほど鈍重で冴えない。もっと緊張感のある音で入れと言いたくなるが、それをものともせずピアノはデリケートで冴え冴えとしてすばらしい。第1楽章。テンポをぐっと落としppに息をひそめた第2主題はどうだ。ここはショパンが書いた最高のページのひとつと僕は思っているが、それへの敬意に満ちた壊れそうなほど敏感なタッチに生命がこもっているのである。へたくそなホルンが乱すが、もうこの人が只者でないことを悟ってこっちも息をひそめるしかない。第2楽章。霧の中、 恋人と手をとって森の道を歩むインティメートな世界だ。別れることになる彼女をいかに愛していたか感じ入る。第3楽章。喜びの爆発。なんてカプリッチォな弾き方だろう。個性の塊だ。歓喜が快い律動になりこちらまで未来への期待が体中に満ちてくる感じがする。コーダに向かい弾むような波動はアップビートのグルーヴ感を呼び起こし、オーケストラに乗り移って全員を引っ張って頂点に至る。素晴らしいのひと言、この人は指揮者としても有能ではないか。微細なミスタッチは複数あり、杓子定規な減点があったのではないかと推察するが、コルトーの例と同様そんなものは大器の価値を些かも減じることはない。コンクール用の安全運転、完成度の高い退屈など犬も食わぬ。そのリスクを冒してでも聴衆に伝えんとする強いパッションは演奏という行為の本質を突いており100倍も価値がある。僕が審査員なら進藤実優が優勝。この演奏はアルゲリッチよりリパッティより好きだ、これからこの曲が恋しい時、真っ先に聴くことになるだろう。
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『黒猫フクの人生観』 (第五話)
2025 DEC 23 17:17:28 pm by 東 賢太郎
天国に来るとね、地球って地球儀みたいに見えるんだ。人工衛星からの景色みたいさ。すごく面白くてね、だから僕は天文学をずいぶん勉強したんだよ。そうそう、19日に地球に近づいた例の3Iアトラスだって地球を同じふうに見ていたんだ。あいつは銀河系の真ん中方面にある「いて座」あたりの恒星系の文明が70億年前に発射して、核融合エネルギーを使って東京-大阪間を10秒で移動する猛スピードで飛んできたんだ。そんな技術はまだ地球にないんだよ、だからいま世界中が競って研究してる。主人が知っている青色LEDでノーベル物理学賞を取った中村先生もその1人だって聞いてるよ。 70億年前って地球ができる30億年も前だけど、宇宙はそのまた70億年前からあるんだ、そんな文明があっても不思議でもなんでもないでしょ。宇宙人なんて言葉を使うと都市伝説に聞こえちゃうかもしれないけどね、137億年の宇宙の歴史の中で、文明は泡みたいにいくつも生まれては消え生まれては消えしてるんだ、地球文明もそのひとつってことだね。
3Iアトラスは前もって地球に強烈な電波信号を送ってきたんだ。これからそっちへ行くぞ、ちゃんと俺を観測してくれよってシグナルだね。なぜかっていうと人間に自分を観測させるためだよ。それで人間が何を学ぶかっていうことを彼らは調べに来てる、それが飛ばした目的なんだ。 1977年に信号を受信したアメリカの天文学者がWOW !って驚いてね、もちろんその反応も3Iアトラスは記録してる。主人はその時アメリカにいてそれを浴びてる、だからこの訪問者をずっと気にしていたんだね。それ以来こいつは双曲線軌道で地球にずーっと近づいて来て、19日から遠ざかり始めたってわけさ。NASAは何も発表せず平静なふりをしているけど内部では科学者たちは大騒ぎでね。だってこいつは表面に鉄がないのにニッケルがあったり、色を変えたり、尾っぽを太陽に向けて出したり、 1秒に40リットルも水を噴射したり、軌道を自分で変えたり、速度が速くなったり遅くなったりしたんだ。学者たちはありえねぇって発狂状態さ、だってどれも物理学を書き換えなきゃいけない話なんだからね。
地球を見てるとアメリカじゃあこの話はずいぶん盛り上がってたよ。ハーバード大学の宇宙物理学者アヴィ・ローヴ教授がユーチューブで解説してね、メディアも取りあげてたよ。でも日本のメディアはさっぱりでね、日本の猫として寂しいもんさ。 jaxaがまたロケット打ち上げを失敗しちまったし、こういうことに対する国民的な興味のなさは大丈夫かなって心配になるレベルだよ。だってロケットを飛ばす技術は米国、ロシア、中国はもちろん北朝鮮にだって大きく負けてるわけだからね、もう二等国に成り下がってるね。3Iアトラスが人工構造物かどうか、もしそうならいつどこで誰が何のために作ったのかなんて、もっと報道すればワクワクして調べたくなる子供がたくさんいるはずなんだけどね、日本人は優秀なんだから。でもメディアが報じなければ知る由も無いから子供の機会損失なんだよ。メディアが何やってるかといったら「高市おろし」ばっかりだ。本当にバカだねこいつら。私立文系だらけで数学や物理なんてわけわかんないんだろうね。こういうレベルの連中に電波の使用権を独占させておくことが国益になるのかどうか総務省は真剣に検討すべきだね。
それとは真逆の明るい話もあるよ。高市さんの人気がすごいって天国で話題もちきりなことだ。人気って言ってもね、日本のじゃない、世界のさ。フォーブスの「世界で最もパワフルな女性100人」のランキングって、ドイツのメルケル首相が長らく1位でね、今年は4位がイタリアのメローニ首相、5位がメキシコのシェインバウム大統領なんだけど、それを押さえて高市さんが3位に踊り出たんだよ。毎年トップ10に半分以上いる口から先に生まれたみたいなアメリカ人女性は全員高市さんより下なんだ。 1位2位は国際機関の女性だからね、政治家としては世界一さ、これがいかにすごいことかわかるかな、だって国としては日本は今年インドにGDP抜かれて世界第5位だからね。緊縮財政で足を引っ張られて落ち目の国なんだ。その劣勢をひっくり返して、もういちど日本を世界の真ん中で輝く国にしようとしている高市早苗さんを世界が評価しているってことなんだよ。ところがその足を引っ張って引きずり下ろそうっていう妙な奴等が日本の中にうようよいるんだ。何なんだこいつら、猫だった僕にはまったく分からないよ。だって日本の猫にはそんなの絶対いないからね。
そうなんだ、それやってんのがオールドメディアなんだよ。僕は地球を丸ごと見てるから気がついたんだ。でも日本のまともな国民はSNSでそれに気がついちゃってるみたいだね。「サナ活」見てごらんよ。交流サイトで高市首相の持ち物を買い求めたり、ゆかりの場所を訪れたりするってまるでアイドルだけど後援会じゃないよ、政治家の推し活ファンクラブだよ、そんなの前代未聞でしょ?それもやってるのは10代20代のキラキラした女の子たちなんだよ。驚いちゃうけどFNNの調査によると高市内閣の18~29歳の支持率はなんと92.4%!僕もここまでとは思ってなくて唖然としてるよ。なんせこの世代はテレビ、新聞なんか見てないSNS世代で、みんな愛国者ってのが絶対のバックボーンなのよ。いや、愛国なんて以前に10年、20年後に誰が自分を守ってくれるの?そもそも日本国は在るの?っていうぐらいの危機感があるんじゃないかな。ところが選挙の候補者をみれば永田町と利権しか頭にないジジイ、ババアばっかりだ。投票に行かなかったのわかるよね。それが岡田センセイのおかげで怒りに火がついて一気に覚醒してね、頼もしい高市ねえさん支持で政治にぐいぐい参加し始めた。存立危機発言事件は11月7日、命日に勃発したから僕の思い入れは半端じゃないんだ。この若者の動きはもう元に戻らないよ。でもなんたって大事なのは高市さんがそういうイメージを狙って作ったわけじゃないってことさ。まじめに勉強して働いて働いて働いて身をもって示す彼女にそんなチャラいところは微塵もないし、現実にガソリンも下がったし年収178万円の壁も結果だしてくれたしね。だから若者の信任も絶大なんだ。僕も主人もパフォーマンスだけの張りぼて政治屋が虫酸が走るくらい嫌いでね、だから高市さん応援しちゃうんだ。当たり前の日本人と日本猫で右翼でも何でもないけどさ。こういうオトナもたくさんいるからこれから選挙の景色はガラッと変わるよ。だって投票率は「サナ活世代」が3割ちょっと。全世代の最低だったんだ。それがこれだ。解散総選挙を宣言すれば大応援団として盛り上がること確実さ。これからの日本を背負っていくのはこの世代だからね、カレシといっしょに投票行くだけでもインパクト絶大。自民党の中の変な連中もついでに思いっきり蹴り出して、もう1月に解散しちゃったほうがいいね。
オールドメディアはこういうことに気がついてないんだろうね。だって虫酸が走られる側だからさ。ファンクラブっていうのはね、アイドルがけなされたり攻撃されたりいじめられたりすればするほど燃えるんだって。だから、けなせばけなすほど高市さんは支持率が上がっちゃうわけ。おかしいぞ、こんなはずないって焦りまくってますます口汚くけなすよね、するとますます上がっちゃう。こんなはずはない!って、論理破綻や見え見えのダブルスタンダードでどんどん言ってることが支離滅裂になってくる。核保有なんて官邸の誰かどころか石破総理が思いっきり言ってたじゃないか。石破は好きだけど高市は嫌いだからダメ?醜悪、不浄にもほどがあるね。姑息な印象操作の手口なんかもうネットでバレバレ、もはやお笑いネタなのにそれすら気がついてない。そこをSNSで冷静に逆襲されて狩り取られる。世の中おかしい、狂ってるって逆上しても、テレビも新聞も見てない人たちだから「ヌカにくぎ」ってわけさ。左派政党は世界中どこでもあるけどね、基本はみんな愛国なんだよ。それが日本だけ違うって、今までおとなしく黙ってた日本人にはだんだん「穢れ(ケガレ)」に見えてきてるわけ。神社へ行きゃ分かるよね、日本人は世界で一番ケガレを嫌う特別な民族なんだ。これわからないの日本人じゃない。「サナ活」がアイドル推し活とひとつだけ違うのは「お清め」の気持ちがこもってるってことだろうね。だからケガレをまき散らす人たちは政党ごと消えていくね。これってもう宿命っていうか、方程式みたいなもんでね、存立危機発言で国民的に著名な岡田センセイがちゃんとそうなってきたでしょ、オールドメディアもやればやるほどしっかり運命共同体になっていくから皆さん見ててごらんなさい。彼らはもう日本国民の味方じゃないってレッテルが背中にバッチリ貼られちまってるからね、もう気がついても遅いね。将棋なら詰みが見えてきたよ。この期に及んで「国民の感情をコントロールしなくてはいけない」なんて共産主義者みたいなことテレビで平然と言っちゃうんだから火事場にガソリン撒いて自分が火あぶりになるみたいなもんでね、どんどん消滅の日が早まってきてるってわけさ。
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死んだと思った東名高速の事故
2025 DEC 21 0:00:43 am by 東 賢太郎
3Iアトラス太陽に最接近 10月29日
フク亡くなる 11月7日
パソコン壊れる 11月14日
関係企業に事故 12月10日
東名高速で事故未遂 12月13日
3Iアトラス地球に最接近 12月19日
どうも太陽系外の妙な物体が接近してきてからろくなことがない。
12月13日は危なかった。追い越し車線を快調に飛ばしていたら、わりこんできたミニバンと前の車が接触し、そいつが中央分離帯にぶつかって大破して、すぐ後ろの僕の車も危なかった。すんでの所で急ブレーキ効かせてガラスが粉々になった前の車に突っ込まないように止まった。奇跡的だった。
止まった、よかったと安堵したら、東名の追い越し車線の最後尾に止まっていることに気がついた。後ろからトラックにつっこまれて即死・・・が頭をよぎった。
フクが見ていたな、命を助けてもらったな。
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桑田真澄氏がオイシックスに、これは革命だ
2025 DEC 20 1:01:58 am by 東 賢太郎
元巨人の桑田真澄氏が新潟オイシックスに行くと聞いた。CBO(チーフベースボールオフィサー)ってのは初耳だが、強くなれば何でもいいから好きにやってくれってことだろう。男冥利に尽きるじゃないか。巨人のフロント入りのオファーを蹴っての話だ。内情は知らないが、何か面白いことが起こるぞとワクワクしている。
桑田投手を球場で見たことはない。話題になった高校時代は海外にいて見ていない。僕がテレビで見たのは日本に帰ってきた1990年から92年あたりで、彼の球暦を調べるとその辺が全盛期だった。 91年はカープが優勝し佐々岡が17勝で最多勝投手だったが、桑田は4位巨人の中1差で2位だった。
僕は直球とカーブしか投げられなかったので、その2種類でプロで活躍した人はすべからく敬意がある。まずその種のピッチャーは間違いなく直球のスピン量が多い(伸びがある)。そしてカーブの落差が大きい。だから2種類で行けるのだ。古くは金田、外木場、江川が代表だ。小学校のとき買ってもらった別所毅彦氏の本にスライダーやフォークの投げ方があったが全然曲がらなかった。唯一できそうなのがカーブだった。
何をしたかというと毎日家の畳に横になり、天井投げ(天井に向けて軽く球を投げる)で、いろんな回転をやってみた。天井にドカンとぶつけ電気の傘にぶつけ叱られたが、何日も何日も母親があきれかえるぐらい何時間もやった。ついに見つけたしっくりくる握りは別所さんの本とは似ても似つかない。
つまり僕は何事も独学派なのだが、最初の一歩がこれだった(ダルビッシュも天井投げだったらしい)。桑田氏があのカーブをどうやって体得したかとても興味があったが、多分習ったもんではないんじゃないかという気がした。そう思ってyoutubeを探したらこうだった。やっぱりか。
抜いたらたまたま曲がった。わかりますね。しかしそれを甲子園でやっちゃうのは本当にすごいね。
監督として2軍をぶっちぎりで優勝させた彼にフロント入りしろと宣告した巨人。 1軍監督はありませんってことだろう。じゃ辞めますって出て行く。当たり前だと思うよ。なら今に見ておれよってことでね、これもよくわかりますね。
注目だ。カープの松山竜平も行ったし、彼も悔しかったろうし、オイシックス応援します。
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とうとう現れた糖尿病の漢方薬「降糖丸」
2025 DEC 17 9:09:36 am by 東 賢太郎
さすがの神山先生も時間がかかっていた糖尿病の漢方薬「降糖丸」をいただいた。この病は遺伝するようで、父親がそうだったから気をつけたい。もうひとつ、長患いの副鼻腔炎があり、悪いことに花粉症も加わってどうしても鼻が詰まってくすんくすんになる。ところが先生の、その名も「鼻炎」という丸薬を飲み始めたら鼻腔内が乾燥し、スプレーなしで眠れるようになった。「安神」は飲み始めて3年になるが、以来パニック障害がぴたりと消えた。「養陰清火」は飛蚊症にいいよともらった。消えてはいないが小さくなり、増えてもいないという感じである。これまで70年の人生で1度だけコロナで入院したが、思えばあの時は極力外出を控えた故に3、4カ月先生にご無沙汰となっており、退院後に話すと入院なんかいらなかったよと「インフルエンザ」なる名の丸薬をくれた。以来、我が家は熱が出たらすべからくそれで済んでいる。
先生の診療所は高齢者の患者さんがひっきりなしで、西洋医学では限界がある病気持ちの人も多い。僕が最初にかかったのは咳が止まらなくなり、病院で吸入ステロイド薬を処方されたからだ。これは最後の手段ですが体によくないですと処方した医師が宣告し、西洋医学に見捨てられた。漢方薬は考えたこともなく、全く信用してなかったが、知人に紹介された先生の門をやむなく叩いたのである。すると当たり前のように出てきた真っ黒で苦い煎じ薬を飲まされる。そして翌日にケロッと治った。それ以来大病はなく、健常者が薬を飲むという常識は持ち合わせていなかったが、先生と馬が合って友達になったこともあり、流れのままに「未病」という対処を続けて頂いてきたことになる。
とはいえ僕は西洋流の教育を受けてきた、平均的日本人よりもずっと理詰めの人間である。だから何度も先生にこの薬はなぜ効くんですかと愚直に尋ねている。すると先生も愚直に「僕も分からないんだ。6代前から医者で、この病気にはこれと全部文献になってるんだ。その通りに処方してるだけだよ」とあっさり言われる。調合しているのだからそんなことはないのだが、この衒いの無さが性格だ。後継者がないので文献は日本の財産にして残したいと語る。医は仁術というが、彼ほど仁愛の徳を施すことが医者の道と感じさせる医師を僕は見たことがない。もう10年以上前だが税務調査が入ったことがあって、先生が5000人も日本人を病気から救っていることを知って調査官が敬意を表して去ったと聞く。
なぜ理詰めが信奉者になれたかと言うと、もう1つ理由がある。2年半の香港勤務体験だ。未知だった中国文化にどっぷり浸かった経験は人生をとてつもなく豊かにしてくれた。とはいえ赴任した当座といえば猛暑と空気の悪さに頭がくらくらし、英語らしいものは街でも通じたが全てにおいて勝手がわからず、欧米歴14年でチューリヒから直接の転勤という衝撃は激烈なものだった。こうしたものは一般にカルチャーショックと呼ぶ範疇に入るのだが、この用語は一定の連続性のもとにある風土や文化の相違に戸惑ったというニュアンスなのだ。日本人の場合、普通は西洋に行ったら味わうそれを西洋から東洋に移住して味わったわけで、「東洋人の俺がなんでこんなにショックを受けてるんだろう?」という二重のショックだったのだから連続性など微塵もない。しかし、これまた未体験の不思議な感覚であったのだが、僕はすぐ慣れた。スイスからすればとんでもない気温と湿度だったが寒い所は元来が嫌いであり、暑いほうは平気だった。肌感覚が告げていることなのだから遠い先祖はひょっとしてこういう気候のところから来たかもしれぬと思い、このときほど自分をアジア人と感じたことはない。日本人ではなく「アジア人」である。街を歩いても景色に溶け込める。これがまた気楽でいい。西洋に住んだ14年間、僕たちが何者かを知らないストリートの人々からはアジア系の移民ぐらいに見られていたのかなと思っている。
香港の食に問題などあろうはずがない。そこに至るまでの14年間というもの、こう言うのも失礼だが最低限のQOLだから許していただくが、アメリカ、イギリス、ドイツ、スイスと日本人にとって飯のまずい所ばかりである。そのうえ僕は中華料理がもともと大好物と来ているのだから天国でしかなく、長年の艱難辛苦に耐えたご褒美のようだった。香港の名店はみな会員制である。政財界が使うThe Hong Kong Club, The China Club, The Hong Kong Jockey Clubはもちろん、食に特化していえば社長特権で入れてもらった江蘇省・浙江省同郷會なる富裕層クラブの上海料理は絶品だった。さらに個人的には、1889年創立の香港ゴルフクラブ、シャングリラホテルが所有する深圳の西麗ゴルフクラブの料理は好みだった。高級だから良いのではなく、九龍あたりのごちゃごちゃした裏路地のお粥屋とか怪しげなヘビ料理屋なんかがこれまた旨いのである。野村は12人乗りのクルーザーを所有していた。本社が売れと言ってきたが断り、スイス時代のお客様でジュネーブのプライベートバンクのオーナーご夫妻など、名門クラブは飽き飽きだというクラスのお客様をご案内した。しばしのクルーズで香港島の夜景を楽しみ、いたって庶民的な西貢という港町に入港して生け簀取りの海鮮レストランで舌鼓をうっていただくコースが好評だった。
言葉というと聞こえてくるのは広東語ばかりだが、語感にどこか懐かしさがあった。 500人の社員がいる会社の社長に就任したわけだが、パッテン総督が船で出て行って中国に返還されたばかりの香港である。同地を3年3か月支配した日本軍のことはまず第一に勉強した。イギリスもドイツもスイスもそうだったが、歴史を知らずにその国の社員たちの上に立つことはできない。これはビジネスディシプリンというよりも、人として無礼であるというのが僕の哲学だ。その学習の副産物だが、旧支配者英国軍との戦いには別の思いも持つことになった。あれは太平洋戦争ではなく大東亜戦争だったのだ。アジア人と白人の戦いという要素が多分にあり、我々はGHQの戦後教育によって対米敗戦の十字架ばかりを背負わされているが決してそうではない。日本軍は諸国を白人の植民地支配から解放したし、有能だったゆえに恐れられ禍根も残したが、戦勝国が一方的に喧伝した負の側面だけではなかったことにも公平な理解が必要だ。今振り返ると、自分がアジア人なんだという思いはそうしたことも包含した感情から発していたものだったと思われる。
そのことは三井物産が陸軍のアヘン調達に関わった頃の上海支店長だった祖父の話、台湾のおじさんと祖母に聞いて育った台湾軍司令官の親類の話とも無縁でない。自分もアジア赴任するとは夢にも思わず縁を感じたからだ。かたや8月15日の映画館では大日本帝国の敗戦シーンで観客から大拍手と雄たけびがあがる。英国が99年統治した香港でもそうなのかと暗澹たる気持になった。父母の世代は玉音放送を耳にして奈落の底に落ちた人もほっとした人もいたろう。しかし、どちらであれ生殺与奪を握る占領軍の上陸により命がどうなるかもわからない。悲惨な数年間を忘れ去りたく、明日の生活はおろかこれから何が待っているのかも知らぬ暗闇の中で懸命に明るい未来を信じた。今年亡くなった橋幸夫が吉永さゆりとデュエットした「いつでも夢を」。この大好きな歌を7歳だった僕は何も知らず口ずさんでいた。親たちが青春時代を棒に振り、悲しい夜更けにすすり泣き、それでも決して夢を忘れず立ち上がってくれた、その犠牲と勇気の遺産で僕たちはこの平和を享受できているのである。戦死された方々はもちろん、日本人は何と強靭で尊崇すべき精神を持つ優れた民族かと心を揺さぶられる。
香港のビジネスは容易ではなかった。それでも中国人幹部には大いに支えてもらい、そこに戦争の遺恨の感情があったとはまったく思わない。顧客である華僑のビジネス感覚は欧米とは違ったセンスが必要だったが、ここでも感じない。政治とは異なり、ホールセールの商売は戦争そのものだから遺恨が入っていようがいまいがやることは変わらないということでもある。むしろアメリカ人と似て利益追及において乗るかそるかだけであり、三国志、孫氏のインテリジェンスも加味されているかなと勉強もさせて頂いた。某大物華僑との商談は忘れない。「外国が作った契約書に中国が調印するのは2回目だ、知ってますか」と静かに尋ねられた。「WTO加盟ですね」と返すとうなずかれ、もうひとつ来た。「1回目は?」これは出てこなかった。「下関条約です」。日清戦争だ。その結果として日本に割譲された台湾について国民党だ共産党だといってもはじまらないのだ。あの時、自分は台湾軍司令官だった人物の親類だと言ったら商売はどうなったかと思わないでもない。
神山先生のご尊父は鄧小平の医者だった。皇帝に与えていた薬の秘伝のタレのようなものが先生の家に代々伝わる文献に書かれている。それを日本の財産にして残したい。国宝みたいなお方ではないだろうか。
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『黒猫フクの人生観』 (第四話)
2025 DEC 15 0:00:44 am by 東 賢太郎
天国にやって来て1か月になったよ。僕が来たのは11月の7日だ。みんな覚えてるかな、この日だよ、日本の国会で立憲の岡田克也センセイが台湾についてしつこく質問してね、「具体的に言え」って高市総理に詰め寄っといて、騒ぎになったら「具体的に言ったお前が悪い」って批判してね。天国に到着したら「ありゃねえよな」って話でもちきりなんだよ。神様まで人の道に反するって怒っててびっくりしたね。おかげで命日が妙なことで記憶されちまって迷惑なもんさ。
でも面白いね、センセイの思惑は外れて内閣支持率は爆上げだからね。多くの皆さんも岡田見てなんだこいつって思ったんだろうね。その後の事はみんな知ってるよ。どうしてかって?不思議なんだけど魂になるとね、もともとヒトだろうが猫だろうが、考えた瞬間に地球のどこでも自由に行ったり来たりできるんだ。だから世界中をのぞけるんだよ。トランプやプーチンや習近平が何やってるかだって筒抜けなんだよ、神様は何でもお見通しって言うけど僕らだってそうなんだ。
でも気になるのは主人のことさ。だって僕のことでメチャクチャ落ちこんじまったからね。そこで気を引いてやろうと思ったの、椅子の下から尻尾でポンポンとやって「僕いるよ」っていう感じでね。天国からパソコンに入り込むなんて簡単なんだ、ハッカーじゃないから証拠も残んないし。でも主人は書くことしか頭にない人間だから気がついてくれないね、しょうがないな。せっかくタイトルはホフマンのアレをぱくって目立つようにしたんだけどね。
地球のことは見るだけじゃなくて、ちょいちょいって関与もできるよ。例えば11月はね、彼の所に新しいお客さんをたくさん送りこんであげたんだ。 12人もね。だからわー何が起きたんだってびっくりしてるはずさ。それからこの前の週末に彼が東名高速道路を走ってる時さ、追い越し車線にわりこんできたミニバンと前の車が接触してね、そいつが中央分離帯にぶつかって大破して、すぐ後ろの主人の車も危なかったんだ、ほんとだよ。すんでの所で急ブレーキ効かせてガラスが粉々になった前の車に突っ込まないように止めたってわけだ。主人もまっさおさ。僕がいなかったらここに来てたね、やれやれ。
そういやあ今年の漢字は「熊」だってね。人様を襲うんで人間と戦争みたいになっちまったって聞いてるよ。誰にかって?その熊さ。やけに真っ黒なのが増えてきたなって思ってたら、人里に出て撃ち殺された連中なんだ、かわいそうにね。 その中のボスがヒグマの与作だよ。北海道出身でね、でかいの何のって300キロぐらいあるんだ。のんびりした顔つきなんだけどガオーってなると大変さ、周りの熊どもがビビッちまって「へへー!今日は何をお持ちしましょう」ってなるのは見ものだよ。どうやらドングリがいっぱいある白熊の陣地を狙ってるらしくてさ、後から来たくせに白熊どもを追い出そうと作戦を練ってるっていう噂だ。それを聞いた白熊のトラゾーもだまってないよ、ボスでケンカは強いからね、顔も同じぐらいでかいしどっちが勝つかわかんねえっていま天国じゃトトカルチョが大人気さ。みよ子は白猫なもんだからトラゾーに賭けてる。っていうと黒猫の僕は与作って思われるんだけど、みよ子の気を引きたいからトラゾーを買っちまったんだ。ここが僕の弱いとこでね、お前は賭けはやらん方がいいって主人に言われるんだろうな。
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読響定期 アンデルシェフスキに感動
2025 DEC 14 0:00:11 am by 東 賢太郎
第653回定期演奏会
2025 11.27〈木〉 19:00 サントリーホール
指揮=ピエタリ・インキネン
ピアノ=ピョートル・アンデルシェフスキ
シベリウス:交響的幻想曲「ポホヨラの娘」作品49
バルトーク:ピアノ協奏曲第3番 ホ長調
シベリウス:組曲「レンミンカイネン」から”トゥオネラの白鳥”
シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 作品105
この週は仕事が立てこんでなかなか音楽に入り込める状況ではなく、素晴らしいプログラムだったのに残念なことをした。ハンヌ・リントゥがインキネンに変更になったのはいいがサーリアホの「冬の空」という曲は聞いてみたかった。例年この時期になるとシベリウスがぴったりくるのだけれど、とてもエネルギーを要する新規ビジネスが耳に入ってしまい心は沸きたっているからちょっと肌合いが違う。本当に残念。
インキネンはシベリウスの音楽を空間でイメージにして描くような指揮ぶりで棒が克明だ。世が世なら7番は深く入れたはずなのだが・・・。バルトーク3番。白血病だった彼が妻の収入源にと書き残すつもりが17小節が未完に終わった。初演の指揮者は僕がフィラデルフェアでお会いしたユージン・オーマンディである。ポーランド系ハンガリー人のピョートル・アンデルシェフスキは初めてだ。尖ったところがないがロマン派寄りというより硬派に聞こえた。好みの問題ではあるがこれで終わったらこのピアニストのイメージはそれほど残らなかった。
ところが彼がアンコールに弾いたブラームス間奏曲作品118-2には参った。深い思索と没入からしか得られようのない心の陰影、それにぴたりと寄り添ったルバートとタッチの感情を揺さぶる高貴さは筆舌に尽くし難い。カラフルで歌心があるのだが陳腐なテクニックを全く感じさせない本物の音楽である。どうやったらピアノからこんな心に刺さる音が出るのだろうかと呆然としながら釘付けになっているうちに、音楽は白昼夢のように過ぎ去った。とてつもない深い感動。彼を聴いてみたい。素晴らしいピアニストを見つけた喜びでいっぱいだ。
youtubeをざっと聴いたが、このディアベリ変奏曲、実に素晴らしい。
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「我が人生の修羅場ランキング」1位~5位
2025 DEC 9 3:03:31 am by 東 賢太郎
《本稿を愛猫フクに捧げる》
この11月はたくさんのことが起きた。フクが急にいなくなり、大変に落ち込み、今も立ち直ったとは思えず彼がいたリビングで夜に寛ごうという気になれない。ソファの後ろあたりからひょっこり現れそうな気がしてしまうのだ。困ったものだが早く忘れようと思うことはない、それがなくなったらフクがもっと遠くに行ってしまう気がするから。 いっぽうで、ビジネスの方では次々と相談や案件が持ち込まれてきており、日記で勘定してみたら11月だけで12人も新しい方とお会いしているのだからこれはちょっと尋常じゃない。僕が早く立ち直れるように天国のフクが気を遣ってくれているんだろうか。
人間誰しも深く落ち込むことはある。反対に有頂天になることもある。そのどん底とピークの幅は人それぞれで、大きい方が良いのか小さい方が良いのかは一概には言えない。体験を聞いたところで主観だからきっちりと比較できるものではない。ジェットコースターの高低差と坂の勾配をイメージすると分かりやすいが、どん底とピークの入れ替わりが短期間に来たかゆっくり来たかによって残る印象がぜんぜん違う。簡単に言えば、キャー!の悲鳴が大きいか小さいかだ。
僕が小学校の頃、引っ込み思案で口数も少なく自己主張のない子だったことは誰も信じない。それを一番知っている自分でも、理由はというと説明に窮するところがあるのである。無い芽は出ないから何かの刺激があってこうなったはずなのだが、じゃあその刺激とは何だったのだろう。この度の落ち込みとビジネスの上げ潮で初めてそれを考えた。大きな高低差で同時だから大きなキャー!だ。そうか。大人になってしまう前に僕はそういうものに何回か遭遇し、それもものすごく大きなものだったからインパクトはすさまじく、魂の奥底に埋もれていた何かが発芽したに違いない。そう考えてティーンエージャーの頃から振り返ってみると、あっさり、それが5つあった。
しかしキャー!で終わりではない。5つの発芽によって、できなかったことができる人にじわじわと変身し、 5つはジャンルが別々だからいわば同時多発的にそれが起き、芽が体の中でがっちりと根を張って互いにクロスオーバーする感じになった。皆さん、車の運転は同時にいろんなことに神経を使うのではじめは教習所で苦労されたと思うが、慣れてしまえばどの1つも意識することなく全部が同時にスイスイとでき100キロ出しても全然平気になる。そんな感じだ。
それは大なり小なり誰にも起こることだで見過ごしていたが、先日にある方のブログを読んでいてこれだと思うものを見つけた。ホンダの創業者、本田宗一郎が「竹の節(ふし)」の話をしていたというのだ。
竹は節目があるから折れずしなやかに立てるが、節を作っているときは伸びが遅い。しかし、できあがると節ごとに一斉にすくすくと成長するから、成長点の数がたくさんある竹は先端だけ伸びていく普通の樹木に比べて急速に伸びる。
というもので、竹を人間に置きかえて、
苦労は無駄ではない。そこで人一倍の努力をするとそれが財産となって人は強くなり、まっすぐにすくすくと成長する。苦労が二度あれば二倍、三度あれば三倍成長する。
という喩え話となって、卒業式の校長先生の訓話に使われたりする。そうそう父からもきいたなぁと懐かしい。これだ。これが5つのキャー!によって僕の中に生まれ、がっちりと根を張って磐石となり、僕を別人にしてしまった物の正体だったのだ。しかし小学生には訓話は少々難しかった。少なくとも僕はわかってなかったが、いずれわかる日が来ると大人たちは竹の話をしてくれていたのだ。それにしても70年はずいぶんだねと父は草葉の陰で笑ってるだろうが、日本人の教育というのは何とすばらしいものなんだろうと感動を覚える。
そこで自分の「竹の節」をさぐってみようと思い立った。それにはまず、人間において節とは何かを定義しなくてはならない。「作っているときは伸びが遅い」というのだから普通に誰でもが味わう苦労、逆境、試練という程度のものではない。他人に遅れをとってしまうほど作るのが大変な何物かであり、不幸にして陥ってしまうのではなく自らが将来を見据えて意図的に作るもののようである。「折れずしなやかに立てる」というのだからすぐ曲がってしまう可能性のあるものではなく筋の正しいものだ。「できあがるとすくすくと成長する」というのだから切り抜けると重みを支える礎にも背を伸ばすエネルギーの供給源にもなるものだ。そしてそれが複数あってもいいと言っている。複数があればその全部がまさに同時多発的に伸び、先端の1か所でしか伸びない普通の人を軽々と抜き去っていくから節を作っているときの遅れなど気にしなくていい。そういうものだ。
以上を全部満たす特別な苦労の場をぴったりと表現する言葉がある。「修羅場」だ。仏教用語で神と神の血みどろの戦いの場というおどろおどろしい意味であり、戦争は比喩であるから殴り合いをした経験を指すわけではないが、隣り近所の些細ないさかいという程度のものでなく、普通のシチュエーションで語られる苦労や逆境や試練という程度のものでもなく、イメージとしてお伝えするならば、人生の先行きにもかかわる大きな壁や生きていくことへの支障にぶち当たり、ぬきさしならなくなり、抜け出そうと必死にもがくのだが全力を尽くしても足りず、 恥も外聞もなく一切をかなぐり捨て、天に助けてくださいと全身全霊を捧げてさえもギリギリで危なく、のちのちになっても夢に出てきてあぶら汗をかく、そんな感じの経験を言う。
僕にはそれが5つあったと書いた。古いほうから硬式野球部、受験浪人、梅田支店、ウォートン留学、ロンドン営業だ。その後も逆境やピンチは幾つもあったし、社会性やマグニチュードの大きさという意味ではそっちの方がずっと重大事だったのだが、しかし、この5つはちょっと性質が違う。まだ若く未熟者であった故にその最中はつらくてつらくて抜け出したくてたまらなかった上に、ちっとも前に進んでいない焦燥感にさいなまれ、出口が見えず、何の因果で俺はこんなことをしているんだと嘆いた。ところが今振り返ってみると、そのどれもが我が人生を折れないように支え、おのおのが同時多発的に伸びしろとなり、少々の停滞はあったが10倍返しにしてくれた、これぞまさに「竹の節目」だったのである。 5つのそれぞれはこれまで別々のブログで詳しく書いてきている。今回はそれを「竹の節目となった修羅場」という視点で括る。いま人生に停滞や徒労感や焦りを感じておられる、きっと少なくないであろう日本の若者の皆さんにとって何がしかの元気になるケーススタディかもしれない。
まずお断りするが、僕と同じ事をする必要などさらさらない。問題はそれが何かではなく、それが起きた時自分がどういう状況に陥り、どう考え、どう悩み、どう対処し、そしてどう克服して抜け出したかということなのである。修羅場という難所でうまくいかずにドツボにハマり、抜け出したということ自体が重いのだ。なぜなら、その方法は学校で教えないし習ってもいない。親も知らない。図書館の蔵書を探してもどこにも書いてない。ウィキペディアにも載ってない。レスキュー隊は来ないし誰も救ってくれない。あたかも離れ小島の山奥で1人だけ遭難してしまったかのようにあなたは自分でもがき、自分で悩み、自分の頭でその方法を考えるしかない。しかもそこにはジェットコースターの高低差がある。そこでかいた冷や汗や、味わった恐怖感や絶望感や達成感や高揚感は一生消えることなくあなたの全細胞の中に刻み込まれ、長い人生で次の修羅場を迎えた時の強力な経験値としてワークしてくれるのである。
まず問いたいのは「あなたは修羅場を経験したことがありますか」である。それが生半可でないことはもうすでにお分かりだろう。これからの日本を支え、持続し、さらに力強く成長させてくれる全ての若者に断言する。修羅場は若いうちに迎えたほうがいい。 40歳までに1つでもそれを味わった人は幸せである。まだの人は、どんなものでもいい、自ら選んででも修羅場に飛び込みなさいと心よりアドバイスする。
僕の5つは自分で選んだものではあるが、慎重に検討したわけではなく、浅知恵と過信からそっちに明るい未来が待っていると信じただけだ。つまり勘違いの産物であり、ドン・キホーテを笑えぬ身の程知らずだった。僕をそう仕立てたのは父だ。賢の字を与え、お前は頭がいい、えらくなると物心つく前から呪文のように吹き込んだようだ。戦争で自らができなかったことを息子に託したい気持ちは、息子としても日本人としてもよく分かる。それが硬式野球部、受験浪人に関係している。残りの3つ、梅田支店、ウォートン留学、ロンドン営業は自分が入社したいと願い、選択させて頂いた野村證券の社命によるものだ。当時の僕の実力からして、勘違いですら思いもつかぬ高みにそびえる世界であり、会社が修羅場にぶち込んで僕に何物かを憑依させたのである。野球と浪人は自力で切り抜けた。次の3つはひとりではなく、一緒に闘ってくれた家内のおかげだ。 感謝しかない。
僕の中での辛さ、失敗や落ち込みの深さ、その後の人生への影響の大きさで1位から5位までランキングをつけ、その順番に記す。
1位・梅田支店
赴任するといきなり名刺集めだ。朝から晩まで右も左もわからぬ大阪の街を歩きまわり、いい株あるから買ってくださいとお金のありそうな会社や店舗に飛び込み外交をして名刺を100枚集めてくるのが日課だった。なぜそうするかは説明されなかった。確率的にそこから2、3人の良いお客様ができることを後に学んだが、その時点ではナンセンスの極みであった。真夏の炎天下だ。浪速の街はふらつく暑さで、遥か遠くは蜃気楼のように見え、スーツの背中は乾いた汗で塩を吹き、靴は1ヶ月で潰れた。船場の威勢のいいおばちゃんに「兄ちゃん、うちバクチせえへんねん」なんて追い帰されたり悪態をつかれたりでプライドはズタズタ。朝のすし詰めの地下鉄から御堂筋に吐き出されるサラリーマンの群れに紛れながら、同じかばんを持って何で俺だけこんな事やってんだろうと意味が分からなくなり、ついに辞表を出そうと決意した。そうしなかったのは地下道でばったり会って押しとどめて下さった酒巻支店長のおかげだ。ドジも出汁にしながら多くの人生の先達との熱い人間ドラマがあり、社会人の礼儀作法、世の中の仕組み、証券分析、営業のイロハなど今でもそれで食ってる大事なことすべてを骨の髄まで叩き込まれた。踏みとどまった以上はと懸命にもがいてるうちにお客さんができ、若手トップの営業成績で表彰された。やがて夢のような2年半があっという間に過ぎ、予想もしなかった留学の人事発令が出た。普通は喜ぶが僕は困った。真剣にやった銘柄選択が未熟で大きな損失を抱えてしまったお客様に何もできなくなるからだ。眠れぬ夜を過ごして迎えたあくる日、朝7時半に店のシャッターが開くと同時に来店されたその方がくださった予期もせぬ餞別と激励のお言葉は今も胸に刺さっており、僕の体を貫く棒のようなものである。明日大阪を発つという晩、支店の皆様が居酒屋で送別会をして下さった。元気の出るエールをいただき会は盛り上がった。いよいよ最後にスピーチをとなり、何を話したあたりだったか女の子たちがわんわん泣き出すと男性たちが続き、涙でしゃべれなくなって終わった。こんなことは二度となかった。夢に一番出てくるのが梅田だ。2年半のメモリーは鋼のようにずっしり重たい。
2位・ウォートン留学
同期の日本人の皆さんは英語は堪能で帰国子女もおられたが、こちとら受験生時代から英語はだめでリスニングが苦手ときていた。最初の3か月、授業はおろかテレビCMさえチンプンカンプンで焦った。学校は金土日が休みなので喜んだが甘かった。全米から集まる秀才のアメリカ人が3日図書館にこもって読める分量が翌週のアサインメントという仕組みだったのだ。ざっと1日500ページを読んでないとクラスで議論に参加すらできない。それを2年で19科目パスしないと問答無用で落第である。物凄いプレッシャーの中、体力と知力の限界を行き来した2年間であり、角帽にマント姿で卒業証書をもらった瞬間、MBAになった喜びより勉強しなくていい感動が体に満ちた。そこから14年、英語世界で証券ビジネスをすることになるが、ウォートン最難関の中級会計学の期末試験の恐怖に比べたらそんなものは羽毛ほどでもない。 中学のころ頭が悪いと思っていた自分が全米トップのビジネススクールを突破したのは奇跡に近い。人生あの2年間ほど勉強した事はなく、自信も実力も盤石な竹の節目となったのである。海外であるかどうかは関係ない。皆さん受験や大学での勉強や研究で苦労したご経験があるはずだ。何を学んだかも大事だが、難関を切り抜けた、なんとかなったという自信と手ごたえこそが体に残る一生ものの財産だと申し上げたい。
3位・九段高校硬式野球部
始業式のあと教室より先に部室を訪ねた。草野球では自信はあった。 高1で背番号1を背負って公式戦の初マウンドに立った。そのころの球は人生最速で自分では誰も打てないと思っており、そこそこうまくいっていたが、投げ過ぎがたたって2年で肘と肩を壊し3年で野球をやめた。有頂天から奈落の底だった。ドツボの日々の悔しさは口にするのもむなしく、女子が心配してくれたが肉離れや捻挫と思われ「肩は虫歯と一緒で治らないんだよ」と説明しても通じない。南沙織が「17才」でデビューする中、こっちは17才で終わった。10年ブランクがあったが、ウォートンに行く直前にニューヨーク現法から突然「お前やってたんだろ、投げてくれ」とお呼びがかかり、コロラドから3時間飛行機に乗り、45チームの企業トーナメントで5試合投げ、準決勝で負けた。捕手ドンのリード通り投げ、球は遅くなったが伸びて詰まり、アメリカ人は1人も僕のカーブを打てなかった。死ぬほどきつかった硬式野球部の練習に耐えてこの時ほど良かったと思ったことはない。前年度優勝チームを倒したのと、2試合目でノーヒットノーランをやった評価か大会MVPに選ばれた。人生最後のマウンドから降り、野球の神様は本当にいると思った。以来、俺はツキがあると考える思考回路ができ、何事もプラス思考で生きてきた。皆さん、物事は前向きに考えた方が絶対に得だ。福は明るい人がつかむ。きっかけは何でもOK。意識して作られた方がいい。
4位・ロンドン営業
修羅場の総集編であった。シティの機関投資家相手の仕事であり、知識、情報、分析が問われる。大手客のオーダー執行でチョンボを犯して半年ぐらい出入り禁止になるという大失態を犯し、調査部の情報が漏れてしまいポジションを外された事もある。初めてのプロの世界の洗礼だった。活きたのは梅田、野球の泥臭い復活体験だ。僕は失敗からの方が圧倒的に多くのことを学んでいる。野村でも最大であるチケット1枚160億円が動いたディールはたくさんの失敗体験からできた。野村克也氏の「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」は野球に限らず本当だ。皆さん、失敗を恐れてビビっては絶対にいけません。なぜなら、人間、ビビるとやらなくなる。やらない理由を考えて臆病を正当化するようになる。それが習性になると人は取ったリスクに見合う勉強しかしないし土壇場で逃げるしで信頼されず、大成した者は見たことがありません。当然です。そういう人は修羅場に飛びこまないから竹の節は1つもできません。だからどんなに頑張っても、節を持った人に抜かれます。
5位・自主浪人
中学受験は全敗。星しか興味なく成績でほめられた記憶なし。父は賢いと言ってくれたが頭は悪いと思ってた。唯一自信がある野球に走ったら肩を壊してドツボにはまった。それが悔しく東大合格が代理目標になったが落ちて自主浪人して失敗し、人生の最深度に至るドツボにはまった。やっても伸びないと悟った英国社の時間は減らし数学を増やした。すると公開模試で全国7位になり、数学満点で世界制覇の気分になり、考えてもみなかった「未知の自分さま」と出会うことになった。浪人という選択をしなかったら彼を知らずに僕は人生を終えていた。修羅場はとんでもない物を引き出す事がある。合格はもはやルーティンの内であり、浪人中に達していた輝かしい場所が自分にとっての最高峰であった。
ホントはこの道じゃなかったんじゃないかという思いを積み残しながら5つの修羅場は終わった。最後のロンドンを終えたのが35歳。モーツァルトはここで亡くなった。ビジネスマンとして僕も35歳で完成していたと、自信を持って言えることを誇りとしたい。でもホントの道の方が良かったかな、でもこういう暮らしはできなかったんじゃないかなという世俗的な気迷いが残っている。
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