クラシック徒然草-ドヴォルザーク新世界のおすすめCD-
2012 DEC 8 1:01:00 am by 東 賢太郎
僕が今好きなドヴォルザークというとチェロ協奏曲ロ短調、交響曲第7番、弦楽6重奏曲、ピアノ5重奏曲第2番、弦楽四重奏曲第10番あたりかもしれません。新世界は、実はこの稿を書くために何年ぶりかにCDを聴きました。ただ、ライブはたしか去年の秋にN響がブロムシュテットの指揮でやったのを聴きましたっけ(僕はAプロ会員)。いい演奏でしたが感動はもうなく、耳年増になってしまう悲しさを抱いて帰りました。新潟で大学生たちと会話して「知らないってうらやましいなあ」と心から思いました。これから未知のものを体験できる喜びは人生の宝です。
カレル・アンチェル / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
僕が中学時代に曲を覚えた演奏です。だから全音符がこの演奏で耳にインプットされています。ある方に新世界のブログはほとんど外で書いたと言ったら「ピアノなしでですか?」と聞かれました。ピアノはどうせ弾けませんからいりません。その代りポケットスコアは時々持ち歩いていて、欧米出張では飛行機の中でスコアを「聴いて」いると気が紛れます。ヘタなCDを聴くよりいいです。自分で演奏できますから。でも三つ子の魂で、僕の耳で鳴るのはやっぱりこれなんです。チェコ音楽だからチェコ・フィルでというつもりはぜんぜんありませんが、チェコ語の新世界、いいですよ。アンチェルの指揮は筋肉質できりりと引き締まっていますが、このオケの木管の暖か味や弦のやや暗めでまろやかな質感も良く生かされ、何よりオケが「その気」になってます。
イシュトヴァン・ケルテス / ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
31歳の若造が天下のウイーン・フィルを自在に振り回した画期的記録でもあります。ショルティでさえもベートーベンで挑戦しましたが、楽員にあのガキ殺してやりたいと言われて討ち死に。ほかに成功例というとシャイ―のチャイコフスキー5番しか僕は知りません(これも凄い名演です)。難攻不落のオケですが、若造でも火をつけさえすればこんな大変な演奏をしてしまう。この名門オケ、僕はヨーロッパで何度も実演を聴きましたが、ニューイヤー・コンサートのお上品な顔はヨソ行きのもので、実はもっと「肉食系オケ」なのです。ウイーンというのはドイツ語(ウイーン方言)をしゃべっていますがハプスブルグの首都ですから当然ハンガリー人、チェコ人も多い国際都市で、このオケはスラヴ、マジャール、ゲルマンの混血児です。血が騒いだときの熱さは半端でなく、弦の奏者の体を揺すった没入ぶりなど手に汗を握るばかり(あれを知ると真面目な日本のオケは「お役所交響楽団」に見えてしまいます)。その熱くなった好例がこの新世界と言えましょう。強弱緩急のメリハリが素晴らしく、Deccaの名録音もカラフルで第1楽章序奏のティンパニからしてもう耳がくぎづけ。新世界のカッコよさという側面を求める人にとって、これの右に出る演奏はありません。ケルテスは43歳でテル・アビブで海水浴中に溺死してしまいましたが、オケをやる気にさせる天才と思います。
ヴィトルド・ロヴィツキ / ロンドン交響楽団
僕が今じっくりと聴きたいのはこれ。交響曲全集(1-9番)ですがポーランドの巨匠ロヴィツキが全曲を素晴らしい録音で残してくれた幸運を感謝するのみです。最高の名演ばかりであり、耳の肥えた人は新世界だけでなくこの全集で買うことを強くお薦めします。今どき世界のどこへ行ってもこんなにコクと醍醐味のあるドヴォルザーク演奏ができる指揮者もオケもありません。ケルテスがロマネ・コンティならこれは極上の大吟醸酒。新世界は洗練やスマートさなどかけらもありませんが、逆に本来そんな曲じゃない、土臭い音楽なんだよと古老に説き伏せられてしまう。「家路」のイングリッシュホルンも日本のオケより下手です。しかしこの演奏はそういう「うわべの綺麗さ」を求めてはいません。単に第2楽章として淡々とやっているだけ。新世界の看板メロディーだからとことさらに磨きを入れた人工甘味料みたいな味や、売上げを気にするレコード会社の顔色を見るような安物のメリハリや、日本のデパートが包装紙にこだわる「中身はともかく一見高そう」みたいなチープな姿勢がないのが実にすがすがしい。聴くべきは、ロヴィツキが作曲家の書き込んだ音楽の魂に全身で共感し、なりふり構わずそれをオケからえぐり出し、一期一会の燃焼でそれを記録しようという気概です。彼がどれだけドヴォルザークを、そして彼のスコアを敬愛していたか、言葉で聞かなくても僕はこの演奏でわかります。音楽を自分のショーマンシップのネタとしか考えない芸人のような演奏家とは人間の格が違うのです。そして、それが呼吸や間の良さやちょっとした減速、加速のもうこれしかないという味、楽譜の背後から読み取るしかない文化的、音楽的語彙、教養の豊かさで支えられ、演奏行為という形で「表現」されている。これぞ音楽の本質なのです。例えば第1楽章でブログに書いた「速度記号問題」をこれほど自然に説得力をもって解決している演奏もなく、もうこうべを垂れるしかありません。中欧の良き音楽を中欧の常識で何の衒いもなく堂々と誇り高く演奏しており、ロンドン響もどうしたことか非常に中欧的に鳴っています(フィリップス録音というのも幸運)。グローバル?なにそれ?ローカルでなんか悪いの?だってこれドヴォルザークでしょう?指揮者のそんな声が聞こえそうです。ちなみに5番、7番、8番も実にすばらしい。ほとんど聴かない1,2番まで耳を澄まして聴いてしまう。ロヴィツキさん、ありがとうございます。
追加しましょう(16年1月11日~)
アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団 (1953年2月2日)
イタリア人にスラブ音楽とはローマで中華料理を食うぐらい場違い感ありですが、人種のるつぼの米国なら何でもありなのです。記号化された音楽である(sheet music)楽譜からエッセンスのみを抽出する。ラーメンもスパゲッティも要は麺でしょということで。トスカニーニが7、8番でなくこれを振ったのは9番がmade in USAであり人気ナンバーでもあったからでしょうが、この曲の骨格が彼のアプローチに適性があったからでもあると思います。エッジの効いたリズム、決然と打ち込むティンパニによってボヘミア田舎料理風の第3楽章がベートーベン風ドイツ料理になり、軍隊の行進のように整然とパンチのきいた終楽章をきくと格好いいなあと男の血が騒ぐ。もうこの曲を真面目に聴きたいとは金輪際感じなくなってしまった還暦の僕を奮い立たせてくれる強靭な演奏であります。
ヨゼフ・カイルベルト / バンベルグ交響楽団
どうせなら思いっきりドイツ田舎料理にしてしちゃおう。見事なもんです。トスカニーニにはバドワイザーライト、これにはミュンヘンの地ビールです。このオケの母体はチェコでそれを南ドイツ人が振っている。第2楽章のなつかしさは我々日本人のハートをつかむ土くささがあります。スケルツォのダンスの田園風景。これはもう発酵食品ですね、実にいい味だしてます。アンサンブルも縦線に神経が行かないので疲れません。トスカニーニが北端なら最南端に位置するアンチテーゼといってもいいですね。昔は北端派だった僕も最近はこっちのほうがほっこりします。
(こちらもどうぞ)
ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調 「新世界より」 作品95 (その1)
Categories:______クラシック徒然草, ______ドヴォルザーク, クラシック音楽
中島 龍之
12/8/2012 | 12:04 PM Permalink
CDの紹介ありがとうございます。実は、昨日近くのCD屋で、レナード・バーンスタインのイスラエル・フィルの盤を買っておりました。機会あれば、お薦めの盤も聴いてみようと思います。
東 賢太郎
12/10/2012 | 12:29 AM Permalink
若いころバーンスタインがニューヨークフィルとやったのは元気いっぱいの直球勝負で面白いです。それは最晩年の録音で、正直申し上げてかなりバーンスタイン節やりたい放題の演奏です。第1楽章序奏部の低弦やあの家路のスローテンポ、第3楽章は一転して超快速。スコアに書いてない意味不明のギアチェンジが頻出してます。まあ大先生の最期のご解釈ということで敬意は表しますが、これで曲を覚えてしまうよりオーソドックスに入られた方がベターと思います。
中島 龍之
12/11/2012 | 10:39 AM Permalink
指揮者によってかなり異なっているようですね。聴き比べてみます。
東 賢太郎
12/11/2012 | 10:43 AM Permalink
同じ演奏はひとつとしてありません。同じ人が同じオケとやっても毎回違いますし録音状態も千差万別です。初めにどれに出会うかどれで覚えるかはけっこう後で尾を引きます。