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モーツァルト モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」(K.165)

2014 JAN 4 23:23:42 pm by 東 賢太郎

ヘンデルのハレルヤがあればモーツァルトにはこのハレルヤ(アレルヤ)ありです。彼の書いた最も有名なメローディーのひとつでしょう。ケッヘル番号が示すように17才の作品です。この曲は「エクスルターテ・ユビラーテ」(ラテン語:Exsultate, Jubilateといって、日本語では「踊れ、喜べ、幸いなる魂よと訳されています。

この曲は急-緩-急の3部よりなるイタリアのアリア(声楽のためのコンチェルト)のスタイルで書かれていてます。コンチェルト(協奏曲)というとピアノやヴァイオリンという楽器が主役になっていますが元来主役は声楽だったのです。それをいろんな楽器で模すようになって発展した。だからこの曲は後世の概念でさかのぼれば「ソプラノ協奏曲」といっていいでしょう。アレルヤはその第3部です。

モーツァルトは父レオポルドと一緒にイタリア旅行を3回しています。これには伏線があって、その前の2度のウィーン旅行があります。初めてのとき7歳のモーツァルトはシェーンブルン宮殿でマリア・テレジアに謁見して演奏し、例の「おひざでキス」と「お嫁さんにしてあげる」のエピソードを残しています。この時は女帝から大礼服を賜る栄誉を受けました。

しかし2回目(11-13歳)は失敗でした。皇女の結婚式が決まったのを機に一旗あげようとウィーンへ行ったら、到着後一か月して当の皇女が天然痘で死んでしまいます。モーツァルト姉弟もそれにかかってしまい、回復して女帝に一応は謁見しましたが、前回のような歓迎モードではなかったのです。女帝も娘をなくしてショックだったでしょうが、それにしても前回からの間に何があったのか。そこでレオポルドは矛先をかえ、当時最大の音楽先進国であるイタリアでの息子の名声と就職を狙うようになったのです。

その1回目(13-15歳)のイタリア旅行は大成功でした。伝説となっているローマのシスティーナ大聖堂での門外不出曲アレグリの「ミゼレーレ」の耳コピはこの時で、ローマで黄金軍騎士勲章をもらい、ボローニャのアカデミア・フィラルモニカの会員に推挙され、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカでも好楽の騎士勲章をもらいました。三冠王ですね、しかもまだ中学生の年です。この間に注文をもらい書いたオペラ「ポントの王ミトリダーテ」(K.87)は、しょせん田舎の少年と馬鹿にしていた本場の歌手も聴衆も黙らせ、「マエストロ万歳」の喝采で異例の大成功となります。

その旅からザルツブルグに帰るとレオポルドに女帝マリア・テレジアから手紙が来た。ロンバルディアの総督兼総司令官となる息子(フェルディナント大公)の結婚式のために祝典劇を書けというご注文でした。そこで2回目のミラノ旅行(15歳)となります。急いで書き上げて上演した「アルバのアスカーニョ」(K.111)も大成功でした。序曲は素晴らしいし合唱の多いこの曲を僕は好きです。魔笛そっくりな部分が出てきてどきっとします。この4か月の滞在でレオポルドは息子にフェルディナント大公の宮廷音楽家という「正社員ポスト」が与えられたものと期待して当然だったろう。大公も手紙でその相談を母にしました。ところがそれに対する女帝の返事はこうだったことが発覚しています。

ladyMariaあなたは、若いザルツブルク人を自分のために雇うのを求めていますね。私にはどうしてだか分かりませんし、あなたが作曲家とか無用の人間を必要としているとは信じられません。けれど、もしあなたを喜ばせることになるのなら、私は邪魔をしたくないのです。あなたは無用な人を養わないように、そして決してあなたのもとで働くようなこうした人たちに肩書きなど与えてはなりません。乞食のように世の中を渡り歩いているような人たちは、奉公人たちに悪影響をおよぼすことになります。彼はその上大家族です。

酷いものです。この手紙を父子は知る由もありません。女帝は父子を「無用の人間」であり「乞食のよう」で「奉公人より下だ」と切り捨てています。レオポルドが天然痘騒動の際に無理して謁見してきました。その天然痘の病み上がりで現れた息子を見て、どうして王家の娘のほうがという気持ちもあったかもしれない。それも斟酌せぬレオポルドのハードセルは無神経な物乞いと見えたのではないでしょうか。「不愉快な。前にちょっとほめてやったからといってつけあがるのもいい加減におし!」という気もあったかもしれません。

「大家族」といってますが4人家族ですし妙です。好意的に解釈すればハプスブルグ会社のミラノ支店長に抜擢した新米の息子の財政と奉公人からの人気を心配し、あらゆるネガティブをひねり出して贅沢をあきらめさせようという政治家の親心かもしれません。そのくせ音楽は父子に発注している。褒美に報酬とダイヤをちりばめた懐中時計も与えている。つまり「あんな連中を正社員にすることはない。カネがもったいないし社員の士気も下がります。必要な時だけバイトで使えばいいのです」ということだったのでしょう。「肩書など与えてはいけません」とはアマデウスのずば抜けた能力を知っており、それが無能な奉公人の嫉妬を呼ぶことも彼女は見通していたということです。これは冷静に見て僕は彼女の政治能力、経営者としての眼力があったという評価をしています。余談ですが、モーツァルトの死後、彼の長男カール・トーマス・モーツァルトは何の因果でしょうか、文官としてそのミラノ宮廷の奉公人になり人生を終えました。

47ed9692この女帝の手紙のおかげで息子にお声はかからなかった。そうなって不思議でない人気者だったのに。レオポルドはどれほどがっくりきたでしょう。ちなみに、「アルバのアスカーニョ」は舞台から新婚夫婦を祝福する趣旨の祝典劇で、寓意表現の形でフェルディナント大公がアスカーニョに擬せられています。そして新郎の母マリア・テレジアがヴィーナスの姿で称えられているのです。あとで事の顛末を悟った息子がその憎き女帝を今度は「夜の女王」という寓意に押し込めて復讐を果たしたということは充分あり得ると思います。映画アマデウスはそれを見事に描いています。

失意のうちにザルツブルグへ着いた翌日、ダブルパンチの不幸が父子を襲います。彼らに好意的だった大司教が死に、コロレドというまことにモーツァルトにとって我慢のならない男が後継者になったのです。踏んだり蹴ったりです。結局この「新社長」との確執が積もり積もって前回に書いた「脱藩騒動」になっていくのです(「ピアノ協奏曲第25番」の稿をご覧ください)。

1回目のイタリアでの成功の折に「ポントの王」に続く2作目のオペラを契約されていたモーツァルトはコロレドから出張許可を得て3回目のイタリア旅行(16-17歳)をします。ミラノで書いたオペラ「ルーチョ・シッラ」(K.135)に「劇場は毎日びっくりするぐらい満員」(レオポルドの手紙)となり26回も上演されることとなりました。主役はカストラートのヴェナンツィオ・ラウッツィーニが歌いました。しかし今回も仕官のお声がかかることはなく、これはモーツァルトがイタリアのために書いた最後のオペラとなったのです。

この3回目のイタリア旅行のさなかに、懇意になったラウッツィーニのために書いてあげた曲こそモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」なのです。この見事に技巧的なソプラノパートは女性ではなくカストラート用だったのです。作曲から240年たって数々の天才を知ってしまった我々なのですが、その耳にしてもこの素晴らしい音楽が17歳前の少年の手になるものとはまったく信じ難いものがあります。

歴史にイフはないのですが、フェルディナント大公が彼を雇っていたら・・・。いやそれはよくなかった。フィガロもドン・ジョバンニも聴けなかったなんて。むしろこの3回の楽旅で彼は凡人の想像を絶する速さでイタリア音楽や言葉をマスターし、それが今我々に与えられている神の領域のイタリア語オペラに結実しているのです。親父レオポルドのイタリア攻略作戦は短期的には失敗しましたが長期的には大成功でした。自分の時間もキャリアも捨てて息子にかけた彼。アマデウスは彼の作品です。僕はここに彼の投資と勇気に心からの敬意と賛辞を送りたいと思います。

 

さて、以前に会社上場をお手伝いした大前研一さんからいただいたCDがあって、彼がバースデーコンサートでブラームスのクラリネット五重奏曲を吹いた時のプライベート録音なのですが、そこにあの黒柳徹子さんが登場してなんとこの「ハレルヤ」をオケ伴奏で歌っています。彼女のお父さんは元N響のコンサートマスターですから、そういうお家に育たれたんでしょうね。

その第3楽章「ハレルヤ」を聴いていただきましょう。ソプラノ・リリコ系のコロラトゥーラがはまり役と思いますが、名曲中の名曲であり幅広い声質の名歌手が歌っています。しかし僕の好みでは名演はあまり多くない。大変難しいのだと想像します。挙げませんでしたがジョーン・サザーランド、ルチア・ポップも一聴に値します。

まず古いところから。フランス人でメットの花であったリリー・ポンス(1898-1976)がブルーノ・ワルターの伴奏で。かわいい系の声がいいですね。

キリ・テ・カナワの若いころです。彼女はニュージーランド出身で先住民マオリの血を引き、そのエキゾティックな感じが僕のいたころのロンドンで人気でした。しかしむしろ実にお品があるのです。スタンダードになり得る名唱ですね。コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団の伴奏です。

現代のモーツァルト歌いでは1971年生まれのドイツ人ディアナ・ダムラウがいます。声の輝かしさ、正確さ、音楽への造詣と情熱、当面知る限り最高でしょう。指揮の太めの方はインド人のズービン・メータですね。

ギリシャのソプラノVassia Zacharopoulou(読み方が分からない)ですがきいたことはありません。歌はまあまあですがこのヨーロッパ的な空間と雰囲気が実によろしい。こういう素人っぽいオケ演奏でも様になってしまうのがモーツァルトです。むしろ作曲当時はこんなものだったかもしれないと思うと興味がわきます。

これは真打登場。マーガレット・プライスは僕の好きな歌手です。なんといってもあのカルロス・クライバーがイゾルデに起用した人です。コリン・デイヴィスの魔笛でパミーナをやっていますが、これは僕が好きなパミーナのひとつです。

 

749677115920最後に、全曲です。僕が一番好きなのはドイツのコロラトゥーラ・ソプラノのエレナ・ベルガー盤です。カール・フォルスター指揮ベルリンフィルの伴奏です。遅めのテンポですが音楽はまったく弛緩せず、ぎっしりと素晴らしい音楽が詰まっている。強くて伸びのある輝かしい声なのですがそれが知的にコントロールされていて、しかもリリックな気品にあふれているというのは稀有なことで、フルトヴェングラーがドン・ジョバンニでツェルリーナに、ビーチャムが魔笛で夜の女王に起用しています。これを聴くと大指揮者たちがぞっこんになってしまったのがわかります。you-tubeにありましたのでお聴きただけます。

 

モーツァルト「魔笛」断章(アマデウスお気に入りコード進行の解題)

(こちらへどうぞ)

モーツァルトの父親であるということ

 

 

 

 

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Categories:______モーツァルト, クラシック音楽

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