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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(5)

2015 APR 5 5:05:29 am by 東 賢太郎

セルジュ・チェリビダッケ /  シュトゥットガルト放送交響楽団

celi今は亡き石丸電気クラシック売り場。大学時代まで僕のLPはほとんどそこで買った。海外で16年過ごす間も帰国の度に秋葉原へ嬉々として足を向けた。今やアキバは別世界でもう行くこともないだろう。帰国して2000-03年あたりに石丸にはAUDIORというレーベルの海賊版と思しきチェリビダッケがたくさんあり、ぜんぶ買ってしまった。その一枚がこれだ。このシリーズ、録音がややフォーカスに欠けてエッジが甘いのだがそれが不思議なものでドイツものにはおいしい効果をもたらしてくれ、けっこう僕の宝物になってしまっている。この2番は1975年4月11日ライヴと思われる(確証なし)がただ者ではない。第1楽章、弦のフレージングに聴き慣れない読みがあったりするが、彼としてはオーソドックスな解釈。ただコーダ前の弦の合奏部分はロマン的な耽溺をみせる。第2楽章は後半、第1ヴァイオリンが1拍を6分割する旋律以後の遅さは類例なく、8分の12以降、ブラームスがマニアックな書法で書きこんだリズムを解析するように解きほぐす。それが音楽的に必要かどうかは異論もあるが、丸めて言ってしまうと理系的、科学者的な眼を感じる。彼のリハーサルを見ていて感じたことでもある。彼はルーマニア人だが隣りのハンガリー、旧ユーゴにもこういう乾いた原理主義的な眼力と熱くて男っぽいエネルギーを併せ持った感じの人がいる。ショルティがそうだし、違う業界だがサッカー全日本代表監督をしたイビチャ・オシムがそうだ。オシムは名門サラエヴォ大学理数学部数学科で大学に残らないかと言われた秀才で、それでも中退してプロサッカー選手になってしまった熱い男だ。僕は彼の原理主義的で明晰なサッカー語録の大ファンだ。終楽章でチェリビダッケの男っぽい熱さが前面に出てきて、オケは全力で弾き、最後は加速して加熱する。この譜読みは僕は頭では反対なのだがなにせこのエネルギッシュで内から湧き上がる推進力には抗しがたいものがある。ブラヴォー!彼の指揮はなんとなくパルスというか気質が合うのだ。このCDはもう手に入らないだろうが異盤があるかもしれない。ベートーベン8番も非常に面白く、両曲をよくご存じの方には一聴をお薦めしたい。今回聴きなおして印象に残った一枚だ。(総合点 : 4)

 

ギュンター・ヴァント / 北ドイツ放送交響楽団 (9,10,11 July 1996、ライブ)

414HG72XJ1Lヴァントはクナッパーツブッシュ、H・シュタインと同郷(ヴッパータール)の出身。彼が晩年に来日した時の称賛の受け方はベームと似ており、ドイツ好き親父のAKB後継者といった存在だった。しかし彼の指揮は音楽の構造的、建築的な特性を明らかにする傾向が強い。「正しいテンポの決定は指揮者の仕事の基本」と語った彼の信条はベームとは違う。ましてフルトヴェングラーやクナや朝比奈とは全く別物であり、ヴェーベルンを振っても互換性のあるアプローチであった。これらを「ドイツ的」と、ドイツ語に訳しようのない日本語でくくってしまうアバウトな文系的精神には僕は到底ついていけない。この2番は非常に立派な演奏であり、どこをとっても違和感なく模範的なスコアの読み方と思う。初めて聴く人にはいいかもしれない。ヴァントは直球とカーブしか投げずフォークは邪道と切り捨てたマサカリ投法の村田 兆治に通ずる。そこは好きだがこの2番は僕にとってはインテンポで入る終楽章コーダ(これは正しい)がちっとも熱くならないなどロマンの香りや情熱などブラームスの人間くささにわき目もふらないのがもどかしい。村田は晩年フォークで鳴らす大転身をしたがヴァントは死ぬまでそのままの頑固寿司の親父だった。彼はベートーベンの方が向いていると思う。(総合点 : 4)

 

ヴィトルド・ロヴィツキ /  ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団

ロヴィツキポーランドの地場オケ、地場オペラは音楽的レベルが高い。2006年に上野で国立ワルシャワ室内オペラのモーツァルト(ドン・ジョバンニ、フィガロ、魔笛、レクイエム)を片っ端から聴いたが生き生きとした音楽が実に楽しかった。WPOというオケはショパンコンクールの伴奏オケみたいに思ってる人もいるが、その国でトップのオケだ。これを97年にルツェルン音楽祭でカジミエシュ・コルトの指揮で聴いたが、はっきりいってうまくはないのだが中欧の田舎くさい音色と奏者各人の自発性に感心した。この2番もそういう音だ。初めから指揮は熱を帯びており、ごつごつと武骨でワンフレーズごとにヨイショという感じのフレージングセンスはあんまり好きではないが主張は強い。弦のアンサンブルはどこか雑然としてトゥッティがなんとなく暑苦しいが自然に合って音楽になってしまうという塩梅だ。62年の録音はマイクがオンであり、1、4番にはいいが2、3番には適性がない。(総合点 :  2)

 

リッカルド・ムーティ /  フィラデルフィア管弦楽団

phcp-1686_jNj_extralarge88年録音。僕のいた82-4年にはやらなかった。ロンドンで買ったこのCDはそれが悔しいほどの名演だった。このオケの管のうまさはここでも絶品ですばらしいピッチだ。弦のアーティキュレーションも見事に統一されアンサンブルに透明感と気品があることでは最上位の演奏である。音楽の起伏と生気もまったく理想的と言え、フォルテのメリハリも至極納得である。中間楽章のロマンの息吹も入念に描かれ、テンポが落ちても人工的な感じがない。アレグロの部分の縦線の合い方はオケ演奏の規範というべきレベルなのに、それをひけらかして終楽章コーダを安っぽくアッチェレランドなどしない。難しい第1トロンボーンは余裕すら漂わせる。上質の音楽を上質の演奏家がやれば自然に感動がやってくるというもの。イタリア人がアメリカのオケを振ったブラームスなんてという偏見をお持ちの方にぜひ聴いてほしい。ファーストチョイスにも自信を持ってお薦めできる。(総合点 : 5)

 

カレル・アンチェル /  チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

640チェコフィルはワシントンDCでドヴォルザークの8番を聴いたが、ヴィオラ、チェロのセクションがまったく特別なビロードの手触りのまろやかな音がしていたのは今も記憶に生々しく残っている。8番の冒頭はそれを念頭に書いた音だろう。それはブラームスにも向いているが、67年プラハ芸術家の家での録音はやや硬いのが残念。当時のホルンの音も個性的でドイツよりもソ連に近いのはあまり好まない。マッチョで筋肉質のブラームスはセルを思わせる直截的なもので、ロマン的なふくらみは薄く僕の趣味とは相いれない。彼は1番の方が向いていたと思う。(総合点 : 3)

 

ウォルフガング・サヴァリッシュ /  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

サヴァリッシュ ブラームスヨッフムと同様にEMIが大指揮者の晩年のブラームス全集を振らせたのはLPOだった。マーラーのテンシュテットもそうだった。このオケは便利屋っぽいがそういう仕事でもそれなりに本気で燃えた演奏を残している。第1楽章はティンパニを強く打ちこみ弦は歌い、ウィーン風の表現意欲が見える。第2楽章、弦の旋律を支える木管とホルンの暗めの和声のブレンド。これこそブラームスだ。ここも弦が歌う。第3楽章も英語のオケにドイツ語を喋らせる感じだがLPOがちゃんとついていく。終楽章はちょっと指揮者の意図より重量感に欠け燃焼不足ではないか。良い演奏だが、良いだけにこれがベートーベン全集と同じくACOとであったらと思ってしまう。(総合点 : 4)

 

ウォルフガング・サヴァリッシュ / ウィーン交響楽団

1959年録音。古き良きウィーンの音に何も足さず何も引かずだが、かような飾り気のないサバリッシュの音楽に当時の日本の評論家は冷淡だった。今回25枚組のDeccaの名盤集を買ってこれを聴いたが、第2楽章コーダの暗雲のようなティンパニには主張があり、感興こめて歌う木管は耳を捉えるではないか。終楽章のテンポも王道のゆるぎなさであり見事。僕が違和感を覚えるものは一切なかった。良いブラームスというしかないが、こういうものを個性がないと評するなら個性を売らんかなのビジネスに毒されているだろう。2番が好きな人でこれがつまらないというのは鑑賞環境が良くないのかどうか、ともあれ僕は想定できない。(総合点 : 4.5)

 

エマニュエル・クリヴィヌ /  バンベルグ交響楽団

1526825フランス人がドイツのオケを指揮した異色の全集。93年のデンオンの制作。このオケはフランクフルト時代にH・シュタインで聴いたが弦が東欧風の古風な音色を持っており、彼が録音したシューベルトの交響曲の初期(1,2番)に最良の音が刻まれている。この2番は曲のロマンティックな側面を掘り起こした非常にユニークな演奏で、第1楽章からオケの音が柔らかく湿度を含み音楽の作り方も常に鋭角、唐突を避け丸みを帯びる。第2楽章のチェロの旋律が異例なほど情緒をこめて朗々と歌われ、粘り気のあるホルンと弦がこってりと絡まって後期ロマン派風のエロティックですらある世界を作る様は他では体験できないオンリーワン。第3楽章は一転軽やかで木管が実に美しい。やや速めの終楽章は冒頭トゥッティでヴァイオリンが脱兎のごとく出てしまいアンサンブルに乱れが生じてハッとするがやがてこのオケの本来のコクのある合奏力が発揮され音楽は見事に走る。第2主題を経てテンポは微妙に動き、けっしてあっけらかんとゴールに向けて駆け込む単調な棒ではなく再現部前はロマンの森に再び彷徨いこむ。再現部第2主題の歌い方、続くアレグロの目の立った合奏と金管の立体感あるからみなどオトナの耳をそばだてさせる味付けであり、最後のトロンボーン一音一音まで指揮者の神経が回っているのがわかる。これは通しかわからない京料理の隠れ家の名店みたいなもので、クリヴィヌがドイツでも特にしっとりと古雅な音色を残しているバンベルグ響を得てこれをやったのは非常に意味があると思う。(総合点 : 4.5)

 

(補遺、2月29日)

ロジャー・ノリントン /  ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ

img_0古楽器演奏のブラームスである。第1・4楽章ホルン主題と第2主題の「歌わなさ」、管楽器のテヌートのなさ、第2楽章主題を奏するチェロの室内楽のような佇まい、対位法の見通しの良さ(管に比して弦が少ない、これはブラームス時代のオケの標準)、第3楽章の速度と管のフレージング(非ロマン的、古典的)、速めの終楽章は①での加速に加えて②の後半でさらに加速(私見では誤り)が特徴。1877年のハンス・リヒターの演奏時間(最初の繰り返しを含めて43分)に近い(42分)この演奏は示唆に富む試みと評価するが、演奏としての感銘度は特に高くはない。(総合点: 3)

 

フェリックス・ワインガルトナー / ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

ウィーンフィルの指揮者でありヨーゼフ・クリップスの師匠だったワインガルトナーはブラームス交響曲全集を録音した史上二人目の人だ(初はストコフスキー)。最晩年の1940年に録音した2番はスコアに指示のない恣意は一切排除した速めのテンポで、フルトヴェングラーとは実に対極的だ。終楽章などこの快速であればコーダでアッチェレランドなどかけようもない。現代の耳にはもう少し感情の起伏が欲しいが、作曲家でもあった彼の読みは今の演奏ルーティーンであるところも多々あり流石と思う。(総合点: 3)

 

 

(つづきはこちらへ)

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(6)

 

 

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