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隣の国で考えたこと

2012 NOV 14 9:09:41 am by 東 賢太郎

昔、アメリカ人の部下でネイサンというファーストネームの男がいた。ネイサンはジョナサンの愛称である。日本語が達者な彼は自己紹介の時に必ず、

「ネーサンです。男ですが・・・」

といって笑いをとっていた。

韓国に行くと僕も 「男ですが」 を言わなくてはならない。アズマ、正確にはアジュマというのは韓国語でオバサン(既婚女性)を意味するからである。

初めて韓国に足を踏み入れた1997年のこと。ソウル空港のパスポートコントロールで、「ヒガシと書いてアズマと読みますか?」 と日本語で聞かれた。その時点では、だから何だ?と思っただけだった。その日、ディナーの席でのこと。そこいら中の知らないおっさんに名前を呼ばれるではないか。何だこれは?とあっけにとられた。要はまわりのお客が 「おばちゃーん、勘定たのむよー!」 などと声をはりあげていたのだった。

ソウルへは仕事上、よく行く方である。1997年まではご縁も関心もなかったが、いざ行ってみると発見の連続であり、実に面白い。まず我が日本民族とこれほど見かけが似た民族はない。僕自身、大韓航空、アシアナ航空に乗ってスチュワーデスから日本語で話しかけられたことは一度もない。接客のプロの目でしっかりと見きわめたあげく、確信をこめてハングルで来る。ソウルの道端では韓国人のおばちゃんに道を聞かれたこともある。一方、中国、香港で中国語で話しかけられたことは一度もない。先日の中国東方航空でも100%、英語で来る。とても興味深い現象である。

そもそもTVをほとんど見ないので僕は韓流ドラマを見たことがない。しかし個々の韓国の人には親近感を覚える場合がある。女性は一般に気が強そうで少し手ごわいイメージがあるが男性は「いい奴」が多い。しかも若い人は礼儀正しい。軍隊経験があるからソウル大学出でも体育会のノリに耐えられ、体育会育ちの僕には違和感がない。長幼の序は厳しく、髪が白くなったらますます丁寧に接してくれるので最近は特に気持ちがいい。もちろん好きでない部分もあるが、これほど容易に気持ちを感じ取れる外国人というのはほかにない。

韓国へ行って食事で困ることは一切ない。かつて途中で断念したのはエイのヒレだけである(高級料理らしいが)。異論はあろうが焼肉だけは日本のほうがうまいと思う。しかしチゲ類は本場が最高である。ゴルフ場で朝6時半から豆腐チゲでもOKという水準である。外国では現地の人が薦めるものは何でも食べてみるのが僕のポリシーだが、それで失敗したと思ったことがない筆頭の国が韓国である。

「似た民族」と書いたが、実質的に同じ民族、それが誤解があるなら、DNAを多めに共有する民族であろうと思う。日本列島に住む人が日本民族かといわれれば、そもそもその民族とは何かというアイデンティティ問題に突き当たる。縄文人なのか弥生人なのか。現代社会にインディアン以外アメリカ人と認めないという人はいない。何千年もかけて定住してきた様々な移民が形成しているのが日本国であり、ヤマト民族、日本民族とされているものの実体である。

この深くて重いテーマを考える道しるべとして、2つのすぐれた著作をご紹介したい。

本稿表題  「隣の国で考えたこと」  は、在大韓民国日本国大使館公使をご経験された岡崎久彦氏の知的刺激に富んだ著作(中公新書)で、現在は「なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか」(ワック、2006年)に改題されているようである。日本語と韓国語が同根の言語であるという氏の「色の名前」を用いた主張は、例証があまりに鮮やかで有効な反論が確率論的に形成しにくく、正しいと納得させられる。保守派で親米派外交官である氏のアジア諸国に対するリベラルなスタンスは、米国で教育を受けた自分が日本企業の香港現法社長として赴任する時の頭の整理に最も有益だった。

もう一つは「タイムマシン」「宇宙戦争」を書いたイギリスのSF作家H・G・ウエルズの   A Short History of the Worldである。これは講談社学術文庫に「世界文化小史」という題名で翻訳されているが、この邦題はミスリーディングで、これは文化史の本ではない。れっきとした世界史、それもふつうは人間の歴史でしかない世界史を宇宙の起源から書き起こすという壮大な構想の世界史本である。やがて現れる人間はあまたの生物種の中の「一つの種」として描かれる。長い宇宙史のひとコマでしかない人類史なる  Short History  の「とりあえずの主役」として。

こういう座標軸でギリシャ、ローマ、中国、フランス革命、アメリカ、アジアなどを俯瞰する。教科書で習った世界史が視点の違った理解になる。SF作家ならではの時空設定を背景とした一種の「騙し絵」を見せられたかのように、人種の違い、肌色の違いなどダーウィンフィンチの嘴(くちばし)の違いぐらいにしか思えなくなってくる不思議な快感をお約束できる。

もともと宇宙、天文に思考の座標軸がある僕は、人間界の俗事の集大成としてだけのグロッサリー(雑貨店)のような歴史に大きな関心はない(もしそれが人間を超越したある意思のもとで実は整然と営まれているのでなければだが)。16年の海外生活を経て様々な国の人々と接したり商売したり株式市場を分析したりするうちに、ささやかな人類史のなかでの人種問題などということにはいささかの潜在意識の引っ掛かりもなくなってしまった。だから自分は日本国籍ではあるが人種は「コスモポリタン」、それも国家を否定しない狭義のコスモポリタンだと思っている。

日本国というもの。国家主権というもの。日韓、日中外交問題というもの。日本国内における民族問題というもの。歴史問題というもの。その教育というもの。ヤマト民族と呼ばれるもの。そのアイデンティティというもの。これらは宇宙史、世界史にサイエンスという視点を加えたらどう見えるだろうか。どう考えるべきか。まだまだ勉強不足なので結論はない。隣の国に来るといつも、コスモポリタンとしていずれそれに到達してみたいと考えることになる。

 

Categories:______歴史書, ソナーの仕事について, 徒然に, 若者に教えたいこと, 読書録

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