オリンピックへの道 (1964年の記憶)
2013 OCT 29 2:02:29 am by 東 賢太郎
あの時、みなさんは何をされていただろうか?1964年10月10日、東京オリンピックが晴天の国立競技場で幕を開けた、その時だ。
生まれていなかった?それは失礼。
小学校たしか4年だった僕はその日を忘れもしない。秋なのに日本中が熱かった。我が家も熱かった。両親、妹と僕の4人の目はテレビ画面の開会式シーンにくぎづけになっていた。そのテレビとは、親父がその日のために一念奮起して購入した「カラーテレビ」なるものであった。
生まれていなかった皆さんには信じられないだろう。それまで、テレビに色はなかったのだ。鉄腕アトムや鉄人28号も白と黒だった。だからメンコのアトムに色が塗ってあるのがまがい物くさいと思っていた。
あの画面の聖火の色。そこに日本の輝ける未来を見た、なんて格好のいいことはまるでない。うわ~すげえ、と叫んだかどうかともかく、ブラウン管なるガラスの箱から出るまばゆいオレンジ(僕にはそう見える)に目が眩んだのだけはっきりと覚えている。
そしてそのバックで鳴っていた音楽がこれだ。今井光也作曲「オリンピック東京大会ファンファーレ」、そして古関裕而作曲「オリンピックマーチ」である。
両曲とも微細に覚えている。特に後者のサビのコードが好きだった。このマーチはいま久しぶりに聴いてみたが変イ長調であり、楽譜はないが、聴く限りサビの和音は、E♭7→A♭→C→Fm→F→D♭→B♭→E♭→A♭ のようだ。実にモダンでカッコいい。授業中に窓から逃げたぐらい音楽の時間が大嫌いだったのにこういうのには反応していた自分が分かって面白い。
競技の思い出はあるようでそんなにない。TVにかじりついて見ていたはずなんだけど。東洋の魔女、三宅、円谷、アベベ、ヘーシンク、ショランダーなど名前はいろいろ出てくるが、やはり野球しか興味がなかったのだろう。この偏食ぶりは49年たっても変わっていないから、人間というのはなかなか持って生まれた自分を超えられないのかとちょっと寂しくなる。
7年後の小学4年生は何を思い、なにを思い出すことになるのだろう?
Categories:______世相に思う, 徒然に
西室 建
10/29/2013 | 10:18 AM Permalink
100mの金メダリスト、黒い弾丸ボブ・ヘイズ。当時は陸上のプロなどいなかったから、金メダルを取ってフットボールの契約ができるのが夢だったとか。その後ダラス・カウボーイズの選手として活躍したが、日本にはなかなかニュースが入ってこなかった。現在の陸上アスリートに比べると体型もフォ-ムも不格好だった。スタンドのおかあさんに「ママ、ママ。」と言っていた記憶があるが、あれはテレビで見たのだったか。
もう一つ、重量挙げヘビー級のジャボジンスキーというソ連の選手。バーベルを差し上げてニコニコ笑ってみせた怪物だった。