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ロリン・マゼールの訃報

2014 JUL 20 11:11:06 am by 東 賢太郎

ロリン・マゼールは82歳だった2年前の10月にN響を初めて振った。チャイコフスキー 組曲第3番、グラズノフ ヴァイオリン協奏曲イ短調Op82(ヴァイオリン、ライナー・キュッヒル)、スクリャービン交響曲第4番「法悦の詩」というAプロを聴いたが、まだまだお元気で「法悦」の磨かれたブリリアントな音響は見事であった。良くも悪くも、彼の棒は円熟も老化もしないものなのだというのがその時の率直な印象だ。84歳での急逝にはとても驚き、残念でならない。

僕の持っているLP,CDの中で彼の指揮のものはすぐに思い出せないぐらいある。欧米で聴いた実演だって全部を言えるかどうか。ひょっとして最も聴いた指揮者のひとりかもしれない。

フィラデルフィアにいた84年3月25日、フランス国立管弦楽団を率いてアカデミー・オブ・ミュージックで彼が振ったストラヴィンスキー「火の鳥」とラヴェル「ダフニスとクロエ」。両方とも大好き、しかもフランスのオケ(米国のに食傷気味)、それも2日にわけではない同日に、しかも両方とも全曲版(!)ときた。これは日本食に飢えた僕に「菊川のうな重の特上」と「今半の特上すき焼き御前」が同時に出てきてしまうようなものだった。狂喜なんてものではない。

あれはフィラデルフィアの2年間が終わるころであった。ムーティはあまりドイツロマン派、フランス印象派をやってくれず、しかもあの残響の極度に乏しいホールのせいだろうかばりばりと元気のよいマッチョな演奏ばかりでうんざりしていたところだ。だからそこにやってきてくれたマゼールとオイゲン・ヨッフム(バンベルグSO)は天使のごとくであり、フランスのオケのダフニス、ドイツのオケのベートーベンは砂漠の湧水のごとく五臓六腑にしみわたった。だからだろう、この84年にロンドンに赴任してからも僕はこの2人の指揮者をおっかけみたいによく聴いているのである。

まずこの2曲は火の鳥をウィーン・フィルとロンドンで妻と(翌年3月30日、1919年版)、ダフニスをザルツブルグ音楽祭でこれもウィーン・フィルで母と聴いた(96年8月18日)。だからこの2曲の印象がますます強い。そのロンドンでのブラームス交響曲1番は今一つだったが、ザルツブルグでF.Pツィマーマン独奏のベートーベンVn協奏曲は名演だった。このあとアンコールで小太鼓が出てきて最高のJ・シュトラウスに。母にあれを聴かせてあげられてよかった。

ベートーベンは、ロンドンでたしかオイゲン・ヨッフムのピンチヒッターで振った(これも2人の奇縁だ)ベートーベンの交響曲4番と9番(85年、フィルハーモニア)、これは第9でティンパニが第2楽章の入りを間違えたぐらいしか覚えていない。フランクフルトで7番(95年、バイエルン放送SO)は、全然記憶にない。どうも彼のテンポやあざといフレージングが鼻についてきていたと思われる。

ブラームスはヴィースバーデンで確か4番とドッペルを聴いたはずだが、ホールの音が聴きたかったという動機の方が強く、演奏は期待したほどではなかったのだろう、オケ(たしかユンゲ・ドイッチェ?)も日にちも記録すらしてない。非常に良かったのはR・シュトラウスで、85年ロンドンでブラ1の前にやった「ドン・ファン」、それと「ティル」(94年、バイエルン放送SO)は名演だったが、「ティル」でティンパニ奏者が撥を飛ばすアクシデントがあった。

打楽器奏者の失策なんて出会ったのは人生で3回しかないが、うち2回がマゼール指揮だ。特に世界のメジャー級オケでそんなことが起こることが信じ難い。彼の指揮はこれ以上ないほど明確、明晰であって不思議なことだが、ビデオの彼の指揮を見ると全部見抜かれているようで金縛りになりそうな眼だ。空想だがリハーサルでぎゅうぎゅう絞られたあげくちょっとでも乗り遅れるとすごく落っこちる感じになる棒なのかもしれない。

マゼールが天才だと思ったのは実演ではなくLPで聴いたウィーン・フィルとのシベリウス全集と、ベルリン・フィルとのメンデルスゾーンの「イタリア」だ(______メンデルスゾーン (2)  )。だからそのイタリア交響曲をウィーン・フィルとやるというので駆けつけた94年フランクフルトのアルテ・オーパーはちょっと期待があった。しかしだ。それも後半のマーラー「巨人」もいまひとつだった。ウィーン・フィルなのに・・・。どうもこの頃の彼の指揮はくどく感じられ、音楽にひたれなかったのである。

11歳でニューヨーク・フィルを振ってヴァイオリンと指揮の神童と騒がれた彼はピッツバーグ大学で哲学と語学を専攻し、5、6か国語を自在に操り、指揮は全て完全暗譜という超人的な記憶力で知られた。誰の本だったか、指揮者仲間でベートーベンの交響曲のスコアを空で書けるかと話題になったとき、自分は無理だがあいつなら・・・と皆の口から名前が挙がったのがマゼールだったという逸話があるそうだ。すごい。

カラヤン亡き後のベルリン・フィル音楽監督に当選確実と思われていたが、90年にそのポストに就いたのはクラウディオ・アバドだった。ショックをうけたマゼールの落胆ぶりは強烈で2度とBPOの指揮台には立たないと宣言した。サラリーマンとして生々しい共感をもって見ていた記憶がある。その宿敵アバドもこの1月に80歳で亡くなったが、思えばあの頃はクラシック界も熱かった。今はその座にラトルがあるんだったっけ?という感じだ。その次は?もう全然候補の名前が浮かんでこない。

マゼールの指揮が好きかどうかはともかく、彼は名門オーケストラを自在に操って好きなように指揮できたおそらく最後の人だ。彼はおそらくパワハラ型ではなく、尋常でない頭脳と記憶力に楽員が何も言えなくなって君臨というタイプだから同じタイプはまた出てくるのかもしれない。ただし、それが我々が生きているうちではないことだけはお墨付きである。

もう生で聴けないとなると、彼もフルトヴェングラーやワルターと同じくCD棚から時おり取り出すだけの人になったということだ。寂しい。しかし僕が好きな彼の録音はおおかた60年代のものだ。例えばシベリウス4番とタピオラの真価を教えてくれたのは彼だが、そのレコードは年代からしてワルターの米国録音と変わらないのだからもうすでに生で接することのないものであったのだ。

虫の知らせか何か、彼の健康のことなど何も知らず、6月9日に書いた「シューベルト交響曲第9番」の稿にマゼールの演奏を推薦した(______シューベルト (2) )。褒めた人がいるのかどうか知らないが、CDショップでは見かけない。しかしこの9番は素晴らしい。ビデオを見れば楽員の払う敬意と喜びがひしひしとわかる。おや、いよいよマゼールは大指揮者として円熟期に入っているんじゃないかと思って書いた。そうした矢先の訃報だった。

ご冥福をお祈りします。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

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