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シベリウス 交響曲第4番イ短調作品63

2014 JUL 20 19:19:52 pm by 東 賢太郎

音楽は時としてすぐれた解釈者を必要とする。

シベリウスの4番という交響曲はもっとも聴き手にも時代にも妥協なく書かれた音楽だろう。1908年、喉に腫瘍ができたシベリウスは5月に手術を受けた。しかし医師はさらに専門医の診察を受けるよう勧め、再度6月に手術を行った。死を意識したであろう。 その時に書かれたのがこの4番である。

つい先日のブログで北ハイランドのBroraというシングルモルトをご紹介した。僕の中で、実はこのスコッチこそシベリウスの4番の味がするのだ。人の五感を慰撫する女性的なものとは隔絶した極北の孤独のあったかみである。シベリウスが愛してやまなかった酒と葉巻のにおいがする。女性には申しわけないがたぶん男、それも子供ではなく人生の酸いも甘いもかみ分けた熟年のおやじにしかわからないだろう「苦みと渋みの悦楽」なのである。

sibelius4子供であった僕にこの曲は難しすぎた。これの味を覚えたのはロンドン時代も末になった89年頃、やっと34、5歳の声をきいたあたりのことである。当時、LPからCDへのフォーマットの移行でOxford streetのレコード屋(HMV)がLPを投げ売りしていた。そこで3.99ポンド(当時千円ほど)で買ったのがこれで、この演奏が神の啓示のように4番のすべてに光を当てて見せてくれたのである。

非常に驚くべきことだが、この演奏は60年代のウィーン・フィルによるものである。これは今もってこの名門の唯一のシベリウス全集であり、この時点で4番を弾きなれていたとは到底思えない。ところがこの精緻な表情はどうだ。第1楽章のうねるような弦、第3楽章の木管のニュアンスの豊かなこと。終楽章の冒頭、弦のアンサンブルは磨き抜かれ、初めてこれがVPOであることを思い出させ、それが調性感豊かな曲想であることもわかる。慣れていないオケがここまで楽想を消化しきったフレージングとバランスで鳴るのは驚異といっていい。同じく若手でVPOを振ったケルテスやシャイーの新世界やチャイコフスキー5番とは次元の違った偉業というしかない。

オケに緊張感がみなぎり聴き手に安易な聞き流しを許容しないこの交響曲で、マゼール盤の終楽章に軽やかに響くグロッケンシュピール(鉄琴)の涼やかな銀色の音色は印象に残る。だからオーマンディ盤、デーヴィス盤で中間部の二分音符でチューブラーベルが鳴るのはびっくりした。2オクターヴ高い鉄琴とは似ても似つかない鐘(NHKのど自慢のあれ)である。ただシベリウスに会ったオーマンディーはベルだと言われたらしい。セルのライブは初めの音符から「ベル」を重ねている。さすがだ。

当時仕事でひどい苦難に見舞われていた僕は宇宙の全ての事物の中でこの音楽に唯一の安息の場を見つけることができ、暗がりの中でこのLPをかけて光明を見いだすという日々を送った。真剣に会社を去ることを考えた。音楽にも適材適所があるのであり、そんなときはモーツァルトもラヴェルも無力で邪魔なだけだという意外なことを知った。今でもこれを聴くと当時のロンドンの薄暗くて低い雲間の驟雨を思い出す。それはもはや嫌な記憶ではなく、傷だらけになりながらも何か絶壁のように切りたった崖を登り越えたという抽象的なメモリーに風化している。一音一音が脳裏に焼き付いているこのマゼールの4番は僕の精神史の巨大なモニュメントである。

(こちらへどうぞ)

シベリウス 交響曲第5番 変ホ長調 作品82

 

 

 

 

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Categories:______シベリウス, クラシック音楽

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