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米国放浪記(6)

2014 AUG 31 18:18:54 pm by 東 賢太郎

 

憧れは現実が凌駕することを知る

8月16日、オークランドのモーテルを午前10:45に出発するとすぐにスタンドに寄って憧れのサンフランシスコへの道を聞いた。今度は近すぎてあきれられた。ガスを入れ、車のコンディションにナーバスになっていた H がオイル点検をたのむと中国人風の店員が「換えた方がいい。でも都会のは汚いよ(It’s dirty in the city)」とシスコに行く前にここで換えろと暗に脅す。すごいセールストークがあるもんだ。そんなのに騙されるほどジーンズにTシャツにタタミのサンダル履きの僕らは馬鹿者に見えていたらしい。オークランドはシティじゃないというのは学習だった。だからジャイアンツじゃなくてアスレティックスがあるんだ。

75セント払ってベイブリッジを渡るとすぐサンフランシスコである。良い天気だが橋は混んでいた。右手のフィッシャーマンズ・ワーフへ進むと、鼻にペンキを塗ったアニキのパーキングに駐車して意気揚々と歩き回る。海風にそよぐ舟、ヨット、ボートの白さがまぶしい。大道芸人やヘリコプターの発着が珍しく、しばらく立って見た。腹がへってきたのでガイドブックを見るとここの名物はカニだと書いてある。食い物に一家言ある I が「カニ?日本人だよ、俺たち。そんなのどうせうまくないよ、もっと安パイで行こう」と言う。そこまでの経験から説得力があった。あちこち探し回って、ちょっと値の張るスパゲッティ―にした。舌鼓を打つとはいかなかった。久々にうどんを食ったと思えばいいよな。全員が打ったのは相槌だった。

 

安いものは安物であることを学ぶ

そこの主人が安いモーテルを教えてくれた。オアシス・モーテルだ。探しまわる僕らの前に立ちはだかったのは急な坂だ。さすがのフォードも登らないんじゃないかとビビった。「ものすごい あぜん!!」と日記に大書している。国分寺崖線を喜多見から成城学園にあがる不動坂というのがある。あれが僕の急坂だったが、ここは街中が不動坂みたいなもんだと思った。モーテルは坂の途中にあった。26ドル、たしかに安い。あの店、味はひどいが情報はさすがだと喜んだ。ところが入ってみると何もかもがすさまじいオンボロだ。ロビーにシャンデリアのつもりらしい物体がぶら下がっているのを見て、スパゲッティと似たもの同士だったことを合点した。エレベーターは階段なら3往復できるぐらいの速度を実直に保った。「これは江戸時代のだね」、部屋の電話を珍しそうになでながら H が言った。

夕食をとろうと外へ出て、H は「涼しいね」と言った。僕は「寒い」と、I は「こごえる」と言った。同じものでも人間の反応は違う。天安門ガスステーションで給油していたら「日本人に道をきかれた」と書いてある。面白かったのだろう。将来ソウルの路上で韓国人に道をきかれることになることを僕はまだ知らない。昼のスパゲッティの仇討ぐらいの勢いで僕らは一路、チャイナタウンを目ざしていた。うまいラーメンが食えるならもう何を捨ててもいい。いちばん良さげに見えた湖南楼に入り、まずクアーズを飲んだ。ビールというとそれになっていた。うまかった。そして待ちに待ったポーク・ヌードルが来た。東洋の味に飢えたオオカミみたいだった僕らは、「うどんを食ったと思えばいいよな」、と二度目の相槌を打った。

ここで日記は 「半分すぎた 気持ちをひきしめる」と書く。

翌16日。市営パーキングの地下4階に車を停めるとHが三菱バンクで金をおろした。370ドルの後遺症は大きかったのかそれでV8を飲み感激していた。想定外に寒いということで、デパートのメイシーズで服を買おうということになった。靴や帽子のでっかさとセンスの悪さには笑いをこらえるのに苦労した。やっとカッコいいジャンバーをみつけ140ドルで買った。このデパートで意見が割れた。HとIは大リーグの試合が見たいといいだした。僕はそれに心が動いたが、サンフランシスコ交響楽団も聴きたかった。夜はチャイナタウンに再度挑戦となる。麺はだめだということでご飯ものにした。牛メシの出来そこないみたいのが来た。餃子が主食になった。やけくそでウィスキーのオールド・クロウを買って酒盛りをした。これがまた不味かった。浪人したHと僕はなぜか駿台の話でもりあがった。

 

後悔は37年も先には立たず

翌17日はゴールデンゲートブリッジを渡った。市電にのってあちこち行ったはずだが日記には何も書いてない。18日もたいしたことを書いていない。食い物ばっかりで恥ずかしいがよっぽどスパゲッティに飢えていたのがカン詰を買ってまた大ハズレしている。良かったのはメキシカンステーキとビールのドサキスだけだ。記憶は消え去っているから何をしていたかわからない。都会は刺激に満ちている。しかしそれはみんな所詮が人工物だ。作った者の計略通りカネ目当ての刹那の刺激をもらうだけなのだ。自然は打算がない。退屈に思えてもこうして37年たってもずっしりと残る何物かを与えてくれる。後に僕はこの街に仕事で何度も来る。海外のいろんな都市でいやというほどの時間を過ごすことにもなる。ヨセミテに一週間でもいればよかったのだ。

気持ちをひきしめた僕は一人でオーケストラを聴くことに決めた。二人はアスレティックスとインディアンズのチケットを買った。これが大変なことを巻き起こすことになるとも知らず。

 

(続きはこちら)

米国放浪記(7)

 

 

 

 

 

 

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