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ノリントン・N響のシューベルトを聴く

2014 OCT 26 17:17:03 pm by 東 賢太郎

渋谷公園通りを区役所の方へ上がっていくと、先月はデング熱の蚊を注意しなくちゃと思っていたことを思い出します。もう1か月か、早いものですね。

交差点の左は渋谷公会堂で昔はここでもクラシックのコンサートがありました。高校生の頃、ロジェストヴェンスキーがモスクワPOを連れてきてチャイコフスキーの悲愴をここでやりましたが、それが外国オケを聴いた初めて、悲愴の生も初めてでした。

大学生の頃、家内とそこを歩いていて、歩道橋の上で西の空にオレンジ色のUFO?を見たのを覚えてます。真っ昼間ですし錯覚じゃないですね、まわりの人もみんなびっくりしてましたから。かなり大きめで宙に浮いていて、スーッと動くと跡形もなく消えました。そんなことを思い出して、並木道から後ろを振り返ると、もう歩道橋はなくなっていました。

定期公演というのは僕にとっておまかせの寿司屋に行くみたいなもんです。何をやるのか知らず、プログラムでロジャー・ノリントンがシューベルトの未完成とグレートを振ることを知りました。へえ、これは面白そうだ。

前回ベートーベンの5番とピアノ協奏曲3番を聴いてすっかり好感を持っています。彼は弦楽器をノンヴィヴラートで弾かせますが、音色という点からもピッチという点からも奏者の集中力という点からも僕はこれを支持します。ヴィヴラートのかけ方というのは奏者の気持ち次第で指揮者がコントロールできないし、全員がシンクロするはずもないので必ず微妙な不協和が生じているはずです。かけてない音に慣れるとどこか汚い感じがしてきます。

ところで未完成という曲ですが、作曲当時としてはずいぶん異色な曲ですね。ロ短調というのはありふれたニ長調の並行調だからありそうなものですが、当時ではJSバッハの管弦楽組曲第2番とミサなど、ハイドンの弦楽四重奏曲37、64番、モーツァルトのアダージョk.540ぐらいでしょうか。シンフォニーとして異常な調性選択です。

暗い調性、地底からわき起こるような低弦の開始、シューベルトはそれを第4楽章でどんな風に幕を閉じる計画で作曲を始めたのだろう?ロ短調のままかロ長調にしたのか?知る限り、こんな不気味な開始の交響曲はそれまで例がありませんし、まったく想像もつきませんね。

ところが、いま我々は未完成の冒頭の3つの音 h、cis、d でやはりロ短調で開始するチャイコフスキーの悲愴交響曲を知っています。その音列の由来を同じ名前で呼ばれるベートーベンのソナタに求める人もいますが、そちらはハ短調であり、僕は先祖は未完成であると思っています。

悲愴交響曲は、この「はじまり」の帰結として、もうこれしかないだろうというほどぴったりの「おしまい」をもっています。シューベルトがこれを書いた1822年に、それは天才の頭にも浮かびえないほどadvanced なもの、歴史の先を行ったものだったのではないでしょうか。彼は才能の求めるままに、結局おわりのないものを書き始めていたのかもしれません。

そこに続く第1主題はオーボエ、クラリネットのユニゾンです。この曲はその2つにホルン、トロンボーンが目立ち、フルートとトランペットは影が薄いオーケストレーションです。派手なことはなにも起こらない曲想にトロンボーン3本というのも異様です。それがお葬式の楽器であることも意味深で、悲愴交響曲の第4楽章のおしまいの銅鑼のところを思わせます。

これを書いていた時、彼は梅毒に苦しみ絶望の淵に立っていました。

第2楽章で、主題が再現して第1ヴァイオリンがppのユニゾンでe-e とオクターヴ上がるところが注目されます。自筆譜を見ると、シューベルトはその次にすぐクラリネットの旋律を6小節書き込んでいますが、それをぐしゃぐしゃと消して、2小節後から現行のイ短調のオーボエの旋律を書いているからです。それが想定外だった証拠にそのページはクラリネットとオーボエの譜面の上下が逆になってしまっています。

この魂が天空に吸い寄せられるようなユニゾンの経過句! ここで彼は「何か」を聴いてしまい、その命ずるままに急遽オーボエに書き換えたのではないでしょうか。僕にはそう見えます。このユニゾン経過句は計4回現れますが、これはその2回目です。ところが1回目のほうは、そのユニゾンの第1音自体 h だったのを、これもぐしゃぐしゃと消して gis に書きなおしているのです。

現行譜はその gis から e cis と降りてきてそこから嬰ハ短調になるのですが h はその構成音ではないので何調にするつもりだったのだろう? 調が違うとすると曲自体のグランドデザインがまったく変わります。ということはそれはスコアを書きながら固めていったのではないか?上記の楽器の入れ替えも、入りの小節まで違いますから音色変更というよりデザイン変更なのです。

このユニゾン経過句の自由な転調可能性を変換機にして調性を即興的にデザインしながら、最後は ppp で変イ長調という僕の耳にはとても意外なところまで飛んでいった挙句、虚空に導かれながら元のホ長調に戻った安堵感をたたえて終わります。 まるであの世にまで旅したかのようです。

書くべきことは書いて満足したのか、器に入れる楽想もすべもなくなったのか、それはわかりませんが、とにかくそこでやめてしまった。自筆譜69ページで第2楽章は終結。次いで70と左上に書き込み、第3楽章を20小節書いたところで五線紙は空白となっています。

ところが自筆譜には表紙があります。これは実に奇妙です。もしそれが本物であるなら、そこに書き込まれた1822年10月30日にシューベルトはこのトルソを「Sinfonia in H moll」と堂々と呼び、後世に残そうと意図し、第2楽章で筆を置くことを自ら決めたことになります。つまり「満足説」が正しいように見えるのです。

しかしそうだとすると奇妙なことになります。それならどうして第3楽章の書きかけの1ページを破棄しなかったかということです。わざわざ作りかけですよとわかる状態で残す必要が何故あったのでしょう?それを献呈することは作りかけの料理を出すのと同じことで常識的には非礼ですから、やはり何か不可避の理由でトルソのまま残ってしまい、何かの理由で表紙を作り日付を入れたということではないでしょうか。

つまり、作曲者は第2楽章を書き終えて深い充足を覚えたのだ、だから筆を置いたのだというロマンティックな説はもっともらしいのですが、物証からどうもすっきりしません。書く気がおこらなくなって放置され、トルソでも価値があると認める誰かに献呈か売却しようと表紙をつけ、そのままにしているうちに命が尽きてしまった、なんてことになれば非常にスッキリしますが。

私見では、彼は満足したのではなく、暗い音楽に出口を見つけることはできないと断念したのだと思います。音楽はオーボエに書き換えたところあたりから黄泉の国の響きを湛えはじめ、交響曲という器には入らないものに変質していたと思われます。しかし第3楽章に諧謔性という俗世間臭のあるスケルツォが来るというベートーベンの打ちたてたパラダイムの呪縛を壊すこともできず、彼は耐えられなかったのではないでしょうか。

だからもう書きたくなかった。病気に小康を得たのかもしれませんが、とにかくもっと明るくて生きる力に満ちた音楽、病気に打ち勝つ音楽を、そういう創作の欲求が内面から彼を突き動かしたのではないでしょうか。そこで新たに書き出した曲こそハ長調の大交響曲であり、そうとでも考えないと人生の最後の最後に至って爆発したこの音楽の強靭な生命力は説明できないように思うのです。

さてノリントンの演奏ですが未完成のほうは編成をやや小さめにした古典的なたたずまいが好ましく、細かなフレージングや強弱に聞きなれないものもありましたが、考え抜かれた面白いものでした。第2楽章はやや速めで、ちゃんと第2楽章にきこえました。正しいともいえるしそうではないともいえる。あの表紙をどう解釈するかですね。僕の立場では、このトルソ感は正調と感じられます。

さてハ長調です。フレージングもテンポも意外性に満ち、飽きることなしです。僕がこの自筆譜をウィーン楽友協会の資料室で見せてもらったことを以前に書きましたが、冒頭のホルンソロは現行と違うのです。しかしノリントンは現行通りで、彼のオーセンティシティがどこまで本格的なのかはよくつかめませんでした。オケは未完成の倍ぐらいのイメージで第1Vn16人、Cb8人と舞台一杯であり、古典的性格を前面に打ち出そうとするのか現代オケの機能と音量を求めたのか中途半端な印象はありました。

第1楽章の主題に聞きなれないアクセントや強弱がついたり、木管の合いの手がffぐらい強かったり、スケルツォの3拍子の1拍目が強いので音楽が流れずごつごつしたり、とにかくユニークです。ペダル式でないティンパニの固めの音、Cbのごりごり、ホルンの低音のブラッシーな金属音などシューベルトには聞きなれない音もあり、大オーケストラ空間のあちこちからそれが飛んでくるのは現代音楽を聴くのに似た快感すらありました。

知的好奇心は大いに満足されたのですが、これほど全曲が終わってみて熱い感動があまり残らなかったザ・グレートというのも記憶がなく、そういう意味でも考えさせられるものでありました。これは精神の暗闇の中をさまよって前の交響曲を書いていた、その鬱状態に打ち勝ったことを刻印した曲なのです。だから終楽章はそう演奏されなければならないと思います。

ノリントンの知的なアプローチは後世の演奏家がつけた手垢が落ちた姿に目を見張る効果はあるのですが、それは作品の生まれたままの姿、それが本来与えるはずであった強い感動とは別なことに驚いているに過ぎないかもしれません。後世だからこその驚きだから。これは難しい問題を含んでいます。

京都の平安神宮は平安京の大内裏を再現したため鮮やかな朱色に塗られています。多くの寺社仏閣や仏像も創建当初は鮮やかな金や朱の彩色を施されていたそうです。それが長い年月を経て今の様に古色蒼然となっている。その風情に我々はわびさびや風流などを感じているのです。もしそれを創建時の彩色に戻したら?恐らく抵抗感がある人が多いと思うのです。

ノリントンが創建時の色で描いたシューベルト。好き嫌いでいえば好きなのですが、やっぱり僕の感性はなん百回もきいたこの曲の解釈、ものすごい感動を引き起こした名演奏(それは古色蒼然の仏像のほうなのですが)、それが見えてこないと感動しない。彼のハイドンとベートーベンはとてもいいのですが、モーツァルトとシューベルトになると・・・という感じがします。

古典音楽解釈は演奏のデフォルメまで時間の経過とともに原典の一部になっていくということなのでしょうが、その度合いは作曲家、作品の個性によって変わってくる、そういうことなのかなと思いながら帰途につきました。

 

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