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人生いちばんのひまつぶし(今月のテーマ 夏休み)

2015 JUL 11 2:02:32 am by 東 賢太郎

浪人の最後の夏休みに、とうとう勉強に辟易してしまった。現国、古文、漢文などチンプンカンプンでいくらやっても上達しない。あんなのは作題者の趣味の世界だと気持ちが下に見てしまっていて、そうすると正直なもんでいい点が返ってこない。であれば時間の無駄とばっさり捨てた。

しかし時間はたっぷりありすぎた。人生ひまつぶしとは思わなかったが成績は絶好調なのに来年3月まで入試はない。まだ7月かよ、早よやれよと気持ちは自分のふがいなさに怒っていた。だからひまつぶしといえば立派なひまつぶしであった。そこでアインシュタインの本を読みまくった。

なぜアインシュタインか?世の中で一番難しそうだ、それだけ。彼の数学言語は読めないから一般向けの解説書や科学雑誌にすぎないが。いわゆる「特殊」(光について)のほうは何となくわかった(三平方の定理ぐらいは)が光速度不変の原理はイメージがわかない。いわゆる「一般」(重力法則のほう)はほとんどがよくわからなかった。

中身はともかく彼は現在・過去・未来はないとしていて、たくさん棚があって自分が見ているところが今だと書いてあった気がする。これは相対性理論ではないが、自己流の解釈として考えたのは、「今」しか宇宙にはないということだった。100光年離れた星の今=「私(観測者)の今」であって100年後(光が来たとき)でない。でもその星の「今」を見ることも知ることもできない。

それは、そういうものを「在る」と呼ぶかどうかというだけの問題であって、未来(100年後)にしか見えないものを在る無いといってもわからないのだからどっちでもない。この在るかも無いかもが両立してる状態は「シュレディンガーの猫」(生きてるかも死んでるかも)みたいだと思い至った。

アインシュタインはそれを「神はサイコロを振らない」と批判したがそのボーアの量子力学は、測定されないと電子は存在しないという。そして科学と歴史の審判はアインシュタインの判定負け的な論調だ。なんじゃそりゃ、ということはやっぱり存在論じゃないか、哲学だろそれとちょっとその審判に不満だった。

「在るか無いかわからない状態」が在る、そして宇宙ごとそういう状態で在る。光を当てないと測定できない悲しく無能な人間だからそうなんであって、眼がない下等生物や地底で生きる細菌には宇宙が見えてる?そうなりそうな気がした。どう考えても変だ。

測定とか在ったとか無かったとかは脳が判定することだ。アインシュタインが棚に例えたのは脳ミソの部位のことか?そこに電気信号か何かがおきて、そこに「私」が鎮座して世の中を眺めてる。それが「今」か。昨日の記憶が詰まった部位にいる時は「過去」と呼ぶ。明日のデートはどこでと考える部位にいると「未来」と呼ぶ。

そんな脳の中だけのことだから現在・過去・未来なんてものは外部的に存在しない?同じように在る無いも脳の中の話だから存在しない?

脳の中?我々はシナプスの電気信号で考えたり測定したりてるみたいだから電子が動いてる。ところが測定されないとその大事な電子は存在しない(ホンマかよ、直感的に意味不明)。測定は目ん玉で普通やるから光による。その大事な光は光速で動いていようと速度は一定だ(ホンマかよ、直感的に意味不明)。電子と光、あるのかないのか、我々が測定している宇宙は本物なのか?

ということで、世の中のことがますますわけがわからなくなって、気がついたら夏休みが終わっていた。こんなことをやっていて成績は下がった。

 

 
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