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フランス・バロックの精華ラモー讃(1)

2026 MAY 22 13:13:22 pm by 東 賢太郎

ラモー、リュリ、シャルパンティエ、クープランら17-8世紀のフランス古典音楽の巨匠の名は英国のグラモフォン誌では頻出する。ところが我が国では「古楽」で独伊英とひとくくり。国別のカテゴリー認識もなく、おかげでその代表格でJ.Sバッハの2歳年上であるジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683 – 1764)の音楽を知ったのは随分あとだ。ちなみに本稿の表題にはフランスにはバロックはないと言う反論がありえよう。その通りであり「バロック期のフランス音楽」とすべきところだが、便宜上のカテゴリーとしてフランス・バロックとさせていただくことにした。

まずはこのラモーの音楽をお聴きいただきたい。叙情悲劇「カストルとポルックス」第1幕第3場:前奏曲 – 伴奏付きアリア「悲しい小品」だ。

陶然とするしかない。バッハのG線上のアリアはバロックの美だがベルリオーズが絶賛したこのアリアはもはやロマン派の領域で、指揮者テオドール・クルレンツィスの鋭い読みがあるとはいえスコアにないものが出る道理はなく、僕はマーラーのアダージョの世界さえイメージしている。記憶の中で、フランスオペラというとベルリオーズ以後ぐらいしか浮かばないのは作品が劣るわけではなく、我々の方がクラシック音楽というものの受容の中で何らかの思い違いを犯している。ウィーンのハプスブルグ王朝と妍を競ったブルボン王朝のパリで、目線の高いモーツァルトが就職を願ったパリで、そんなはずはなかろう。

オペラの起源は16世紀末にギリシャ悲劇の復興を目指したルネッサンスの中心地フィレンツェにある。シンフォニーも出自はオペラの序曲であり、現代のクラシック音楽の父祖地はイタリアだと言って間違いではない(当時イタリアという国はなかったが)。だからプライドの高いフランス人も最優秀作曲者に与えた栄誉は「ローマ賞」となるわけで、オペラは日本で言うところの “舶来品” だった。舶来品というと素朴な人がプレミアム感を抱き、自慢したり敬意を持ったりする。これは都鄙感覚のなせる業だ。ヨーロッパのどこであれ、音楽の都はイタリアであり、あのモーツァルトですらウィーンにおけるポスト争いではイタリア人のサリエリに勝てなかった。ハプスブルグの貴族や役人たちが音楽においては自らを鄙(田舎)だと思っていたからだ。こういう何をもってしても抗い難いほど根深い先入観のことをpreconceptionというが、優位に出た場合は差別となり、劣位に出ればルサンチマンとなる。イタリア人でないヘンデルやグルックはイタリアで修行してルサンチマンを払いのけ、箔をつけてロンドンやパリで成功した。現代の日本人がアメリカでMBAを取って外資系に就職するようなものである。

Jean-Baptiste Lully

「カストルとポルックス」の属する叙情悲劇(tragédie lyrique)とは、ルイ14世の宮廷楽長および寵臣ジャン=バティスト・リュリ(Jean-Baptiste Lully, 1632 – 1687)がイタリア様式がフランス語には不似合いなためレチタティーヴォとアリアを融合したものである。この不似合問題はドビッシーのペレアスとメリザンドがシュプレヒシュティンメに近い理由という脈絡で語られることがあるが、 17世紀から認識されていたことだ。必ずしもエンディングは悲劇でないものにまで「悲劇」と銘打ったことに古代ギリシャ・ローマ文化の復元運動であったルネサンスが透けて見え、17世紀中葉にパリに既にその波が押し寄せていた事が政治史とは違った側面から分かる。

Jean-Philippe Rameau

リュリが亡くなった頃生まれたラモーはその形式を継いではいるが、ハーモニーを和声と呼び体系化した理論家でもあり(『和声論 Traité de l’harmonie 1722年』)、耳慣れぬ和声進行を伴うオペラ作法は急進的とみなされ、イタリア・オペラを愛好する保守派からは不自然・人為的と批判されたのである。マーラーのアダージョの世界さえイメージしてしまう深い和声進行のアリアは、当時の人が自然に受け入れるどころか奇怪とすら感じたかもしれず、その批判は故なきものとは思わない。芸術に進化論が当てはまるかどうか議論はあるが、春の祭典の初演やピカソのゲルニカのケースをあげるまでもなく、鬼面人を驚かす衝撃が土台となって新しい波が訪れる例はある。

そうである一方で、素朴に “舶来品” を崇拝し自国を卑下する輩はどこにもいる。その品が真の価値を持つならともかく、ウィーンにおけるモーツァルトのように宝がブランドだけの舶来品に負けてしまうような愚を犯すといずれ文化は停滞し、国ごと鄙(田舎)に落ちぶれてしまうものだ。ウィーンは違うと思われるかもしれないが、地元の人はシューベルトぐらいのもので、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、ブルックナー、J・シュトラウス、ブラームス、マーラ-、いずれも別の都市から新しい個性を持ち込んだ人であり、メイド・イン・ウィーンは化学反応の場ではあっても自ら栄えたわけではない。今も舶来品のシュトランスのワルツを正月の売り物に商売する。ウィーンはそういう都市だ。

ラモー批判は、イタリアの歌劇団によるペルゴレージの「奥様女中」上演で火がつき、大勢のパリ知識人を巻き込んだ文化論争が起きた(ブフォン論争)。シンプルに楽しいこの作品を聴けばペルゴレージを含むナポリ楽派のオペラ様式がモーツァルトの初期オペラに強い影響を与えたことがわかる。

神中心の中世世界観から人間の理性や個性に目をやって重視する思想へ転換し、「ルネサンス以来のあらゆる知」を一つにまとめ近代的な知識体系として再編を企図する「百科全書派」と同じく広い意味で ”啓蒙の文脈” にいたルソー、ヴォルテール、ディドロ、ダランベールらが旧体制批判派の精神的基盤をつくり、あるいは急先鋒となった。この勢力が反王党派を成しフランス革命につながる。「知識を公開し、理性で社会を批判する」という姿勢が、旧体制への不満をもつ人々やブルジョワジーに大きな思想的武器を与えた過程は、かたや、まったく無体系ではあるが、日本においてSNSが政治の内幕を炙り出して変革しつつある現在と相似する点がある。

ヴォルテール

ちなみに、ブフォン論争が1752 – 54年、フランス革命が1789年であり、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756 – 91)はその間を生きた。彼が母親とパリに滞在した1777 – 79年は革命のわずか10年前だ。国王・王妃が反逆罪で有罪判決を受け公開斬首されるという世界史上重大事件だ。モーツァルトが言及した記録はないが、パリ滞在中に死んだヴォルテールを意識した手紙を父に書き、メーソンに加入し、フィガロの結婚を書いた啓蒙思想側の彼は知っており、91年にメーソンオペラである魔笛を書く誘因になったろう。そちら側であり知名度のある彼を体制側のパリの貴族が雇わなかったのは理にかなう。赤狩りの影響で迫害された経験のあるレナード・バーンスタインは、ヴォルテールの作品「キャンディード」を音楽劇にした。無神論を伺わせるこの作品はモーツァルトが彼に対し批判的だった原因かもしれないが、書簡での言及は本音を偽装したとも考えられる。僕個人においては、ジョン・ロック、アイザック・ニュートン、フランシス・ベーコンを称賛したヴォルテール(Voltaire、本名フランソワ=マリー・アルエ: François-Marie Arouet 、1694 – 1778)は思想的に近く感じる人間だ。作曲者の指揮でロンドンで聴いた「キャンディード」も大好きである。同時に、それがおちょくった知の巨人ライプニッツには大いなる敬意を覚える者でもあるから複雑ではあるが、それは現代社会が複雑に進化した結果である。

ジャン・ジャック・ルソー

大変に紆余曲折を経たが、ヴォルテールが台本を提供したオペラ「栄光の殿堂」の作曲家がジャン=フィリップ・ラモーであったことで話は振出しに戻る。ブフォン論争はフランス伝統オペラとイタリア・オペラブッファの対立だが、実質ラモーとルソーの戦いであり、ヴォルテールはラモーを擁護したということだ。僕はジュネーブの時計職人の息子で放浪生活から成り上がったルソーの人生には驚きと同時に強い共感を覚えるが、彼が寄って立とうとした音楽家としての才能においてはラモーとは比べるべくもなく、にもかかわらずラモーに食ってかかれると信じる社会契約論的な急進的平等論者の、あたかも軽薄な舶来品讃美者のごとき人間の薄さとその思慮の浅いpreconceptionには違和感しかない。ヴォルテールら啓蒙主義者を庇護したのはルイ15世の愛人で、政治的に無能であった王にかわる影の宰相、ポンパドール夫人だ。そこそこの教養ある女性だったことが結果論ではあるがあだとなり、サロンや宮廷を通じて貴族・官僚層と啓蒙思想家を結びつける仲介役となり百科全書派を太らせる原因となった。ヴォルテールが構想したオペラ「栄光の殿堂」は影の宰相に牛耳られるルイ15世に対し啓蒙主義的な名君たれと諭す筋置きで矛盾を内包しており、ヴェルサイユ宮殿での初演に宮廷は好意的ではなかった。1745年のことだ。革命への種が芽吹き始めた。

オペラ「栄光の殿堂」より

Categories:______イタリア音楽, ______作曲家について

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