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ジャガーとテスラとビストロの美学

2026 JUN 7 10:10:37 am by 東 賢太郎

毎年5月に父母、親戚の墓参りで従妹夫婦と箱根に出向いている。運転は好きでも嫌いでもないが若いころはアメリカ西部を1700キロ走破したし、大阪時代はセリカを乗り回したし腕は悪くないと思っている。50年かすり傷一つなく無事故なのは、タバコ片手に大のクルマ好きで僕など足元にも及ばぬ名ドライバーだった母の遺伝である。海外赴任してからはロンドンのアウディでスタートしボルボに乗り換え、重い車が好きになった。ドイツ時代は社用車が銀色に輝くベンツ500で、どうしてもやりたくて自分でアウトバーンを時速240キロでぶっ飛ばしたし、スイス時代はもうひとランク上のベンツ600の運転があまりに心地よくて通勤まで自分でハンドルを握ってしまいドライバーに申し訳なかった。さすがに香港だけはこの世のものと思えぬグシャグシャな渋滞に恐怖を覚え、自分でやったら3日で事故るなと観念しドライバーにお任せした。

帰国して乗ったのがジャガーXLソブリンである。 2004年の中古にひと目惚れして買ったが、ジャガーならよいというわけではない。気に入ったのは同じXJでもその年まで製造されたモデルだけで、後年のは今に至るまで、何が悲しくてアレをこんな不細工な姿にモデルチェンジできるのかと不思議なほどどれもダメだからまさに一期一会というものである。前のオーナーはグループサウンズ「ワイルドワンズ」の加瀬邦彦氏ですよとディーラーが確か500万かそこらで売り込んだ。ほんとかどうかは知らないが、「想い出の渚」は好きだったから買った。特注のスピーカーがついてたからたぶんそうだったのだろう。

XLソブリンは1980年代初頭からのイギリスの首相専用車である。ダウニング街10番地に横付けされ、サッチャーもこれでご出勤だったはずだから高市さんは探し出されたらどうだろう。ウチのは当てられ事故で廃車になってしまったが返す返すも悔しい。ちなみに写真は去年に出ていた売り物で4.0-V8で走行距離17万キロの美品だ。日本に5千台しかなく、街の駐車場にはでかい(長い)しハイオクなうえ燃費はとても悪いがすぐ売れたろう。この美しいフォルムを前にすると魔力にしびれてそんな事はどうでもよくなるのである。レーシンググリーンにくっきりと映えるメタル部分の銀色はクリーミーで落ち着いた不思議に蠱惑的な光り具合で、これがまた他のどの車も格下に見えるほど高貴で筆舌に尽くしがたい。アクセルを踏んですぐの2.2トンの滑り出したるや、まるで応接室が油の上を移動しているような得も言えぬ質感である。一度でも味わうとぬきさし難いものがあって、これほど俺が乗るために作られたマシーンだと唸らせた車は他にない。

廃車という不幸がなかったらテスラ・モデルXを買うことはなかったから、これも出会いというものだ。2017年に買ったこいつは当時ファルコンウィングばかりが注目されたが、この車の真価は時速100キロ到達2. 7秒とランボルギーニより0.2秒速い常軌を逸した起動力なのである。ベンツ600と同じ車重2.5トンは低速だと重厚である。ところが、にもかかわらず、やや加速すると軽自動車みたいに従順に、意のままに操れる。空中をUFOがひょいひょいとあり得ないアジリティで移動するイメージであり、この物理法則を無視したのような意外感は全く予想外のもの。重力1/ 6の月面を滑走するが如しとしか表現が見つからぬ。東名で、どんなに飛ばしている車だろうが、アクセルの1-2センチのひと踏みで2、3秒でひょいと追い越せる快感はエンジン車では不可能で、それでいて普通に走ればどっしりと安定した7人乗りのファミリーカーというところがイーロン・マスクらしいコンセプトブレーカーなのだが、僕はそういう利便性とか革新性のうたい文句はどうでもよく、「運転というより操縦に近い即物的な快感」こそがこの常識破りの車に乗る喜びである。

さすがに高額であんまり売れなかったと見え、先日の車検でもう製造しないと聞いた。何年乗ってもEVは中古感があまり出ず、日本には800台ぐらいしかないからそのうちマニア向けの希少品になるだろう。EVの乗り心地は賛否両論だし、僕だってアナログ感満載のクラッチ付きエンジン車、特にあのひち面倒くさいものの替え難いメカ感にひたれるギアチェンへのノスタルジーはないではないのだが、この年齢になってこれを知ってしまうともう浮気する気がしない。オートパイロットに頼らなくても遠出の疲労感が格段に少ないからだ。車高が少し高いこともあるが、やはり従順に意のままに操れる安心感が大きく、スピードを出しても疲れないから箱根は実にあっという間である。

仙石原の翡翠が定宿になっている。この度はグルメの従妹が新しいフレンチを探してきていた。宿から徒歩の距離にある「オクトーブル」である。昼はフルコースの予約のみで夜はアラカルトというのは変わった趣向だ。温泉街は夕食は宿で取るのが普通であるという事情からだろうか。我々はディナーで訪れたが、趣味の良いこじんまりした店で堅苦しくない。フレンチとは言いながらイタリアンも適度に入ってそれはバラエティがあって結構。メニューもフランス語の仰々しいのがどんと出てくるわけでなく、ビストロであるから壁掛けの日本語である。ところが、これが細かいのだ。

まあ、どんと出てくるフランス語のメニューにはこのぐらい書いてあって不思議でもなんでもないのだが、牛ヒレ肉のロッシーニ風みたいな、もっともらしいが言ってる本人はロッシーニなど聴いたこともなく訳がわからんだろうと思わせてしまう浮ついた安物のフレンチっぽさとは無縁で、おおいに写実的、実用的であるのが良い。さらに、形容詞というか修飾語というか、品々の描写の細かさにはちょっとその辺のビストロとはわけがちがいまっせというシェフの気概がにじみ出てる気がしたのは、とにかく文字が丁寧できれいだというこれも即物的理由からだ。「これ、筆で書いたんですか」と尋ねると「いいえチョークです」という。なるほど同じものが後ろの壁にもあって、よく見比べると微妙に違うからコピーを貼り付けたものではない。すると、なにげなく、従妹の旦那がいみじくも看破したものだ。

「根岸の板書みたいだな」

これは強烈な大ヒットだった。高校は武蔵であるおないどしの彼は慶応の工学部だ。当時の駿台の名物講師陣、英語の伊藤、奥井、鈴木長十と並んで出てくる懐かしい名前が数学の根岸先生である。この人が解答を説明する板書の芸術品になぞらえるしかない美しさは半端でなく、きれいだなぁと感動した僕はその字体まで真似てノートを書いていたら突然に数学の偏差値が70になったという魔法使いのような方だったのである。

「まさるクン、いいこと言うなあ、料理も期待しちゃうよなあ」

図星だった。こんな板書をする人が手抜きなぞするはずないではないか。ビストロと称するほうが看板に偽りありだったのである。

「赤ワインで柔らかくしっとり煮込んだ足柄牛ホホ肉トリュフ風味のマッシュポテト添え」

におけるプレートの充実ぶりは、中央に鎮座するしっとりとろける絶品のホホ肉が主役であるわけだが、僕は添えられたポテトの中心部が明らかに意図を持って、しばしの時間を経た後まで相応の熱を保っていることに感嘆したものである。これはチューリヒで聴いた巨匠ゲオルグ・ショルティがエロイカの第2楽章で強奏するホルンの対旋律を奏でるチェロに鬼の形相で命を吹き込んでいたようなものと書いてまったく大げさでない。 7 、8品ほど注文しただろうか、どれも神は細部に宿るのひと言。すべてに細かい神経が行き届き、シェフのこだわりの代償が舌の喜びとなる。

Bistronomie octobre フランス料理店

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