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僕が出会った人生最高の男

2016 APR 13 22:22:58 pm by 東 賢太郎

サムライは日本にしかいないことになっているが、そんなことはない。

野村香港に赴任して、偶然にその男と出会った。1998年のことだった。大柄なスコットランド系のオーストラリアンで、英国にもスコットランドにもわりあい冷淡な男だった。年は7つ上だ。地元の新聞の記者をしていて株に興味を持ち、香港にやってきた。そしてクロスビーという証券会社を作って大きくして売った。次いでクレディ・リヨネというアジア株など全く門外漢のフランスの銀行の役員会に乗り込んで大立ち回りして香港に証券子会社を作らせ、それの社長になった。それが僕の赴任した当時、アジア株式業界で最も幅を利かせていたCLSAという会社だ。

50歳を目前に彼はCLSAをリタイアしていて、保有株はゴールドコーストでゴルフ場まである広大な牧場に化けていた。サラブレッド50頭のブリーダーになりホンコン・ジョッキークラブ(香港競馬会)で走らせる余生の計画だったのだ。やがてその夢はかなったのだが、しかしその時は邪魔が現れた。あなたの「3回目」のアジア株業務の立ち上げに一緒にたちあわせてくれ、馬なんか60になってもできるだろうと僕が口説いたからだ。何度会ってもけんもほろろに断られたが、10回目ぐらいに会ったときだ、「お前のホビーはなんだ」ときかれた。間髪入れず「ゴルフだ、ハンディは10ぐらいだ」と答えた。当時10なんてない、大ボラだ。でもあそこで日本人らしく律儀に23ですなんて答えたら終わっている雰囲気だった。でっかい手の男だったが、それで初めて、ぎゅっとくる握手がかえってきた。

香港証券界の伝説的大物だ。言い値を覚悟してたら、言ってきた条件(給料)はえっというほど少なかった。カネはもうある、でもお前はおもしろい奴だ、信用するよと。そうして、目をじっと見て、This is absolutely my last job.といった。そこから始まったいろんな顛末は限りがないが、内部事情を書くことは控えたい。いわば本邦企業のグローバルチャレンジ物語の縮図であり、小説より奇なりの展開があり、日本企業としてはそういうことに手練れのノムラでもそうだったということであり、うまくいかなかったのは万事を併せのむべき司令長官としての僕の器量不足、実力不足に尽きる。

本当に男らしい男だった。あとにも先にもいない。絶対に逃げない。ゴールを決めたらテコでも動かない。いいわけしない。陰口をたたかない。ルールは守る。これはだめだと言うと、お前の言うのはルールにないからルール違反はお前だと柔らかくたしなめる。アジア株を世界に売る仕組みをゼロから作る経験を当時彼以上に持っていた人間は地球上に誰もいない。そういう行動は強いプライドとリーダーシップの裏返しだった。業界新参者の日本企業のリクルートに応じてくれる者は限られる。来ても大枚をふっかけられる。レベルは雑多だったが、彼がいたから採れた者が多くいた。

当時の僕は負けないぐらいプライドの高い日本軍の司令官だった。彼の率いる50人の英米軍は計ってそれをぶち壊しにきた。クリスマス・パーティーだ。僕が舞台にでる余興があるよと聞いていてジョークのきいたスピーチぐらいすればいいだろうとなめていたら、直前にオカマをカミングアウトしている奴が「女装しろ」ときた。我ながらおぞましい化粧までされ、目をつぶってろというのでそうしていると爆笑と口笛の渦だ。オカマがキスしようとしていてのけぞった。そして親玉同士がぼてぼての相撲取りの着ぐるみで本当にすもうをとらされ大喝采のおひらきとなった。

ゴルフは彼は凄くうまかった。格好良くはないがシュアなスコアメーキングができたのだ。だいたい彼の牙城である香港ゴルフクラブ(ファンリン)で奥さんも入ったりしてなごやかだった。最初はなめられていたが、香港地下鉄公団主催の80人ぐらいの金融機関コンペで僕が82ぐらいで個人優勝したら認めてくれた。彼の元同僚とつるんでブリティッシュルールで僕をへこましにきたが、賭けに大勝ちしてさらに認められた。転勤辞令が出ると、葉巻をくわえゴルフクラブと野球のバットをもった似顔絵をプレゼントしてくれた。その送別会は「ロスの大手投資家の会長が急に来た、すぐ同席されたし」という緊急メッセージを装って僕をだまし、サプライズで喜ばせてくれた。

あれに成功した夢をいまでも見ることがある。凄いことになっていて、世界のノムラなんてもんじゃない、世界の証券界の帝王だ。そのチャンスはあの時だけはひょっとして本当にあったかもしれず、もし会社が僕より有能な人をあそこで起用していたらと今でも悔しく思う。会社にもそうだが、それが本当にlast jobになった彼にはことばもでない。馬なんか60才でやれよとそそのかした僕は後悔することになった。彼は還暦の4年前に亡くなってしまったからだ。

早すぎる訃報は神田の寿司屋の2階で、苦労を共にした後輩の口からきいた。絶句してぼろぼろ泣いた。ジム・ウォーカー、あんな男気のあるいい男、いやサムライに会うことはもうないかもしれない。彼は僕に勝ち方と負け方と、オトナの男の責任とはなにかとを教えてくれた。信用に応えられなかった僕は負け犬になった。僕が60になっても馬みたいなもんに走らないで株をやりたい、やっていたいのは、それにまだ応えていないからだ。

 

うまくやってね

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Categories:______体験録, ゴルフ

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