10月20日のこと
2016 OCT 23 1:01:41 am by 東 賢太郎
先週末15日にユリア・フィッシャーの演奏会でブラームスの第3ソナタをきいて、ブログに「(このソナタはブラームスが)亡くなっていく友人に人生の黄昏を見た曲であり」と書きこんだばかりだった。まさか翌週に自分がその黄昏を見ることになろうとは夢にも思わなかった。
演奏会の次の日の日曜日、16日のことだった。家の階段を登っていて、どういうわけか足がふらついてつまずき、ドスンと転んでざらざらの壁で二の腕を盛大にこすって血だらけになった。多少ビールが入っていたとはいえマグロみたいに無様に倒れ込んだのであり、何がおきたか自分でもわからない。下りでなくてよかったねと娘が手当てしながら言ったがほんとうだ。ぞっとする。
19日の水曜日に部下のご家族の訃報があったと思ったら木曜20日の午前10時過ぎに西室から中村順一の知らせがあった。11時に上野で会議があり、努めて冷静に済ます。しかし頭は混乱しており、社員におつき合いいただいて模様替えした赤プリの旧館(右)でランチした。半分ヤケでギネスを飲んで、何を話してもとりとめないが聞いていただいて少し気が楽になった。
旧館は旧李王家邸である。すぐ目の前、プリンス通りの反対側は麹町中学校の正門だ。奇しくも中村、西室の母校であり、神保町にある我が一橋中学校のライバルだが、番町ー麹町ー日比谷―東大が定番といわれたのだから少々負けてる感はあった。我がオフィスはここから徒歩1分で気に入ってる。住みついてもう6年にもなるのか、早いもんだ。
午後は3時から品川で外国のお客様と会議。こっちもなぜかプリンスホテルだったが来年にかけての有望案件で中村にやってもらいたかったものだ。次は5時半に笹塚でオンラインTVの経営会議に。こういう時にこういうもんで、全員で悩んで決まらなかったTV局の名称がスパッと決まった。その日、10月20日は奇しくもソナーの設立記念日だった。
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