クラシック徒然草《永遠のルチア・ポップ》
2017 NOV 26 11:11:47 am by 東 賢太郎
アメリカ、ヨーロッパに13年半も住んでいてあれだけいろいろ聴いたのにと悔やむ人がいる。ルチア・ポップである。1993年11月16日、ドイツにいる頃に喉の癌であまりに早く亡くなってしまい愕然としたのを思い出す。若いころは可愛く清楚であり晩年でも天使のような清純派の声であったが、中高音で伸び、テンション、輝きが高まって厳しさが出てくるのがいい。ロマン派でも感情にまかせて音程が甘くなるようなことが絶対になく節度と規律がある。ムゼッタに起用されて「わたしが街を歩くと 」をやってもパリの蓮っ葉女にならないのは困ったものだが、そこがたまらないのだ。参りましたとひれ伏す気品と威厳がある人だ。顔もどことなく好きであり、いま最も癒されるソプラノといえる。
スロヴァキア人であるポップのデビューは1963年にブラチスラヴァ歌劇場でオットー・クレンペラーの指揮による「魔笛」の夜の女王だったが、僕が彼女を知ったのもクレンペラー最晩年の、そして彼女にとってデビュー録音である夜の女王だった。これは何度聴いても震撼すべき歌だ。後にも先にもこのアリアがこれ以上正確な音程で歌われたのを聴いたことがなく、しかも決して曲芸っぽくないのが僕が言う「節度」なのだがお分かりいただけるだろうか。それが立派な音楽に貢献しているところがクレンペラー博士の厳しい目にかなったのだと長年思っていた。
ところが本稿のために46才の時のインタビューのビデオを見ていて、それが正しかったことを知った。「自分のレコードは全曲盤で90もありますが、命の危険でもない限り一切聴きません。いまならそう歌わないから満足しないのです」と断言するポップが唯一の例外としてあげているのが「クレンペラー先生との魔笛」であった。「これだけはいまでも心に触れてきます。それにこの録音が私のキャリアを開いてくれたのです。メトロポリタン歌劇場の支配人ルドルフ・ビングさんがこれを聴いて即刻メットに契約してくれたのです」と語っている。その結果がこれだが、ライブでもまったくすごいものである。
もう一つの夜の女王のアリア(クレンペラー盤)の一発決めの高音も楽勝。この録音の時、ポップは歯痛だったそうだが関係ないんだ。僕はこの録音を、やはりデビュー録音で世界をあっといわせたジャクリーヌ・デュ・プレのエルガーのコンチェルトに比肩するものと考えている。
他は聴かないとポップに言われてしまうと困るが、このスザンナ(フィガロの結婚)はモーツァルトに見せてみたい。ナンシーとどっちが好きかな?っていうことで。
もう一つフィガロから、ケルビーノの「恋とはどんなものかしら」だ。この艶やかな美声、ゴージャスの極致。これは彼女にとっては技巧で作ったものなのかもしれないと思いつつ。
コロラトゥーラ・ソプラノで売り出したポップのこれが最高の出来ばえなのはいわば当然だろう。オルフの「カルミナ・ブラーナ」だ。なんと繊細で美しい!
ロマン派に行くと、僕はこれが大好きだ。グスタフ・シャルパンティエの歌劇「ルイーズ」から名アリア「その日から」だ。彼は寡作でオペラはこれだけだが、ボエームの雰囲気のある佳曲である。このアリア、ぜひyoutubeで他の歌手ときき比べてほしい。ジャンプした高いイ音(ラ)がポップほどつややかに輝いて安定しているのはなく、夢幻の心地でうっとりだ。ききほれるしかない。
ドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」だ。何という気品!!もうひざまずいてルチア様と申し上げるしかない。
インタビューをきいて、彼女がスザンナやルイーズのような人ではないとよくわかった。暗さがあるのだ。母国語のように操っているドイツ語も、どこか心でなく頭から出ている風に見える。内省的で芯の強い人で、何かは知らないが自分の運命に反抗すべきものをもっているのだろうかと感じる。母国チェコスロヴァキアの劇団で若くして映画、舞台で知られ、共産圏から逃げて英米のマネジメントに売れっ子に仕立てられた人生。楽しんでいるとは言っているが、劇場で一人スポットライトを浴びるのは好きでないとも語っている。自分は皆で歌う中で育ったという彼女は教会音楽が似合うし、ご本人も派手なシアターよりしっくりきたのではないだろうか。僕もこれを歌ってる彼女が好きだ。モーツァルトのハ短調ミサである。
さらにいえば、彼女の心の本領はリートにあると思う。それもシューベルトの「月に寄せるさすらい人の歌 D870 」のような、ほの暗い中にも明るさを紡ぎだしてくれるあたたかい歌だ。晩年になって声のせいでリートに行く人はいるが、ポップの場合はここが故郷だったように思う。暗闇に光明を灯そうとするけなげな強さに、作られたスターダムは不要だったかもしれない。
最後に、僕が留学中に米国でFM放送を録音したテープをyoutubeにアップした。シカゴ交響楽団の1984年3月15日のライブで、指揮のジュゼッペ・シノーポリとバリトンのウォルトン・グレーンルースはこれがCSOデビュー演奏会であり、我がルチア・ポップはこれがCSO最後の出演となってしまった。ポップもシノーポリもグレーンルースも故人となってしまったいま、この演奏が広く世界の人の耳にふれることを願ってやまない。
マーラーの「子供の不思議な角笛」である。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
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maeda
11/26/2017 | 3:10 PM Permalink
メトのライブ盤、凄いですね。ジャマイカから33時間のフライトでスカイライナーの中、ボーッとしていたのが、一気に目が覚めました。私もルチア・ポップは好きで、アラベラも良かったし、クライバーのこうもりにも出ていましたし、ドイツの童謡のCDも良かったです。他のも聴かせていただきますね。
東 賢太郎
11/27/2017 | 12:00 AM Permalink
ポップ31才のメットデビューです。若鮎の如しですね、きらきら輝いてます。ここでこんな熱狂したブラボーが飛ぶのも珍しいし、レコードだけで契約を即決した支配人ルドルフ・ビングの目(耳)は節穴ではなかったわけです。これと比べるとクレンペラーの方はテンポがやや遅く、オペラ全曲にその傾向があります。そのためパッションに欠けるとこの演奏を評価しない人もいますが、僕は一音一音を慈しんで吟味したクレンペラー入魂のテンポと思います。セリフをカットしてしまったのもリスナーを音楽に傾注させるためと思われ、聴くたびにこんな滋養に満ちたモーツァルトはそうは聴けないと感銘を受けています。
野村 和寿
11/27/2017 | 12:06 PM Permalink
偶然なんですが、ルチア・ポップさんとお酒ご一緒したことがあります。今から30年も前(1986年)、サントリーホールが赤坂にできたときに、うちのかみさんも東京交響楽団のメンバーで。オープニングのコンサートに出演していて、帰りに、六本木の田舎屋という炉端焼き屋さんに、入ったところ、ルチア・ポップさんと、バスのベルント・バイクルさんとルチアポップの旦那さんになったばかりの、テノールのペーター・ザイフェルトさんが炉端を囲んでいて、vnをかみさんがもっていたもので、さっき出てたの?ということで、ご一緒して、日本酒をずいぶんかぽかぽのんで、炉端焼きで注文して楽しいときを過ごしたことがありました。ザイフェルトさんと、ポップさんは新婚早々であつあつで、衣かつぎとか、やきとりをうまそうに食べていました。
東 賢太郎
11/27/2017 | 6:52 PM Permalink
ポップさんが焼き鳥をほおばっているなんていい景色ですね、いいのをご覧になりました。田舎家は威勢もいいしエキゾティックなんでしょう外人のファンが多いですね。彼女は昭和14年生まれで戦中派日本人インテリ男性に熱烈なファンが多かったです。僕もそうですがだいたいがエディット・マティスも好きでね。面白いと思うのは戦中派日本人女性は終戦で問題なくアメちゃんに行っちゃったのにクラシック系の男たちは抵抗があったんでしょうかドイツ語圏の女性に目が行った観があります。評論家もドイツ至上主義で英米人には冷淡だったし、途中で逃げたイタリアも下に見てましたっけ。そうなるとオペラというものも色物っぽくなって、僕はその空気の中で育ちました。それじゃいかんと思って歌も聞こうとなったらやっぱりドイツ物でして、ところがワーグナー、R・シュトラウスのご立派な体格の女性はだめで、結局モーツァルトなんです。それもケルビーノ、ツェルリーナ系のですね、日本人的に許せる体型の範囲内というかですね、そういう方は多かったのではないでしょうか。その彼女が夜の女王というのは実は変なんで、パミーナなんですが、それがあの精度で歌えてしまったからのスターダムがあったんだとインタビューをきいて初めて知りました。旦那の得意であるワーグナーはたしかタンホイザーのエリーザベトぐらいで、晩年もブリュンヒルデの体型にならなかった(というか、なる前になくなってしまった)のはファンとして唯一の救いでした。
西村 淳
11/27/2017 | 9:38 PM Permalink
とうとうポップさん登場ですね!
ポップと言えば、だれが何といおうとリヒャルト・シュトラウスの「最後の4つの歌」。テンシュテットもいいけれど、ほとんど襲い掛からんばかりのショルティ・シカゴを向こうに回して、この曲の抒情性を引き出していました。38歳、女盛り。
東 賢太郎
11/28/2017 | 2:37 PM Permalink
シュトラウス、薔薇の騎士はキャラクターとしてあんまりピンとこないですが「最後の4つの歌」は年齢なりに声に深みが出て大人の色気がありますね。この感じで歌ってる声に人のぬくもりがあるべルク、シェーンベルクも面白いです。