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チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」

2018 DEC 15 22:22:49 pm by 東 賢太郎

幼いころ家族でときどき不二家へ行ったが、あれは銀座のどのへんだったんだろう。現在は数寄屋橋だがちがう気がする。たしか、入り口にでっかいペコちゃんがいて(こっちが小さかったわけだが)、レストランは2階でなく地下だったと思う。定番はお子様ランチなのだがそっちよりもデザートのチョコレートパフェを親父が機嫌よく頼んでくれるかどうかが大きなポイントだった。そのためだけに買い物中はいい子でいたりしたものだ。

最近はその心配がないのをいいことに、ファミレスなんかで巨大なのをどど~んと頼んでしまう。周囲が恥ずかしくなるのだろう、「東さん、こどもにかえってますね」と隣の席にも聞こえるような声でいわれるが、そうではない。チョコレートパフェはおいしいものなのだ。僕はチョコレートを混ぜたアイスや飲み物は好かないが、ソースとして、それも写真のように生クリームにトッピングするのは別格的に好きだ。カップの形状もいい。細長いスプーンで掘っても掘ってもまだ出てきそうで、もちろん最後は尽きるのだが、狭くて丸っこい底にチョコレートソースが名残惜し気にたまっているのをきれいに掬い取るエンディングも満足感があったのだ。

チャイコフスキーの「くるみ割り人形」にもスペインの踊りが「チョコレート」として出てくる。ヘンゼルとグレーテルをおびき寄せる魔女の家もチョコレート製である。この食べ物は子供をひきつける魔力があるのだ。子供といえばくるみ割り人形の「雪のワルツ」には児童合唱がでてくるが、そこにさしかかると難しい音符はひとつも出てこないのにふんふんと得心して楽しんでる自分に遭遇する。「あれっ、俺って子供に帰ってるのかな」と思わないでもない。どんな子供でもすぐに歌えそうなメロディーをくるんで優美なワルツに仕立てあげた、この誰の耳にも心地よい音楽は、子供の味覚世界を大人が腕を振るってヴィジュアルもわくわくさせるしゃれたデザート、チョコレートパフェさながらだ。

「雪のワルツ」の見事な舞台をご覧いただきたい。これが第1幕のエンディング、最後はホ長調で第五交響曲と同じ終わり方をするのだ。

フランクフルトからマイン川を車で40分ほど下るとマインツがある。活版印刷を発明したグーテンベルグが生まれた街だ。そこの州立劇場で娘二人にこの曲のバレエを観せたが、幼稚園児だった妹のほうがネズミが出てくると怖がって泣いてしまい、チョコレートパフェを与えたつもりがちょっと想定外だった。ヘンゼルとグレーテルの魔女もだめだった。今は昔だ。ドイツではその2曲は年末の子供連れ定番であり、忘れないようにとニュルンベルグのX’mas市でこいつを買って娘たちにプレゼントした(右)。彼は王子の化身であり、娘を驚かせたネズミと戦ったわけだが、今となってみるとなかなかレトロな置物に化けている。

この音楽をチャイコフスキーは童心に帰って書いたと単純に考えていたが、それがファミレスで僕にそう言ったみなさんと同じほどちがっていたということを12月12日にサントリーホールで聴いたフェドセーエフ/N響(B定期)における千葉潤氏によるプログラムノートで知った。

チャイコフスキーも(作者のE.T.A.ホフマンと同様に)このお伽話(とぎばなし)に切実な意味を見出したひとりである。旅行中に読んだ新聞記事で、彼は実妹アレクサンドラの死を知る。彼女は早くに亡くなった母親の代わりにチャイコフスキー家を支えてきた人物であり、嫁ぎ先の家庭はチャイコフスキーにとって第二の故郷であった。妹の死をきっかけに、チャイコフスキーは幸福だった幼年時代の想い出をこの物語に重ね合わせたに違いない。

そうだったのか・・・・

亡くなる前年の作曲だ。全曲はほとんどが長調で平明、素朴、明朗。翌年の悲愴交響曲と好対照であるが、妹のことが動機であったなら、どちらも底流のテーマはdeath(死)なのだ。たとえば、ヴァリアシオンⅠはどことなくカルメンを思わせる曲想だが、小序曲が終わった直後の第1曲 情景 (Scène) もカルメンの幕開きの女工たちが出てくる場面の雰囲気を感じる。このオペラの通奏低音も死であることは論を待たない。パ・ド・ドゥの第1曲アンダンテ・マエストーソのドシラソファミレドは第4交響曲の終楽章テーマで同曲の不吉な金管によるパッセージも顔をのぞかせるが、音階そのものの旋律はモーツァルトのお家芸で、チャイコフスキーはそれに「アマデウス和声」をつけているのも暗示的に思う。

組曲版は第1幕からの「小序曲」、「行進曲」で開始して、第2幕のディヴェルティスマン (Divertissement) をはさんで「花のワルツ」で閉めるというのがおおよその骨組みだが、作曲者が自作演奏会用に編んだ曲順はなかなか意味深い。彼自身が舞台に乗ったオーケストラで演奏してもよいと考えたのだから、演奏会形式は是とすべきなのだが、全曲ではチョコレート(スペイン)、コーヒー(アラビア)、お茶(中国)と踊りの脈絡で続くのが、踊りを無視した組曲ではスペインは省かれ、平明な音楽の中で響くアラビアの踊りの和声の妖しさを引き立てるためかトレパック(ロシア)に続く。「ジゴーニュ小母さんと道化たち」も省かれる。

「ヴァリアシオン II ドラジェ(日本では金平糖)の精の踊り」を3曲目に持ってきたのはチェレスタを聴かせたかったのだろう。彼はアメリカ楽旅の途中にパリでこの楽器を見つけて購入して、すぐにロシアへ送ってここで使ったのだ。選曲は小味な趣味の効いたもので、「行進曲」のあとは全曲盤のままディヴェルティスマンから終曲までを演奏すれば十分に良いようなものだが彼はそうしなかった。ちなみに、その「ディヴェルティスマンから終曲まで」をフェドセーエフが1986年に(旧)モスクワ放送交響楽団を指揮した演奏でお聴きいただきたい。いかがだろうか?

僕はこの演奏の「花のワルツ」(12分00秒~)が好きでよく聴いている。いいテンポであり最高にゴージャスだ。面白い、これはダンサーが踊れる「花のワルツ」であって、音楽が内包する踊るためのリズムや抑揚を見事につかんだ演奏だ(ダンスが目に浮かぶ)。この録音はロジェストヴェンスキーが振っていたオケの優秀さも出色(「コーダ」のうまさ!)で、録音の趣向で木管が良く聞こえるのがやや耳についたが慣れれば気にならないだろう。N響のアンサンブルがちょっと危なかった第4曲 踊りの情景 (Scène dansante) も見事。チャイコフスキーがチェレスタだけでなくこだわって散りばめた特殊音響もくっきり聞こえ、ロシア人が母国の天才の音楽に込めた愛情とプライドを感じる見事な演奏だ。ところが先日のフェドセーエフのライブは86才の年輪で慈しむがごとくにテンポが遅く、花のワルツは最遅の部類だった。だからこその演奏会形式だったと思い至った。フェドセーエフがなぜ敬愛するチャイコフスキーのこれを演じたのか。どこかに妹にこめた思慕を感じたんじゃないかと思いながら聴いた。

「花のワルツ」は古今東西最高級の名曲であって僕はこれをピアノで弾くことを今生の喜びとしている。以前のブログにも書いたが、だからワルツのテンポには少々うるさいのだが、最近は速めが趣味になってきていて、ジェームズ・レヴァインがウィーンフィルを振ったのが自分で弾くテンポになってきている。これは6分27秒で、前項のボニング/ナショナル・フィルよりやや速い。

ただしこれはワルツ主部の弦のフレージングに個性があってややしっくりこないし、このテンポはきっと劇場では(ダンサーには)無理なんだろうなと思ってきた。ところが今回youtubeでAshley Bouderというニューヨーク・シティバレエのプリマの動画を見て大変に驚いたものだ。これはレヴァインのテンポに近い速度で踊った、おそらく唯一の、トップクラスのダンスと思料する。

やっぱりアメリカ人は凄い、やる気になればやっちまうんだと称賛するしかない。ヨーロッパのクラシックな趣味からすればスポーティーに過ぎるかもしれず(僕にはダンスのことであれこれ述べる資格は皆目ないが)、十分に美しいからいいではないかと思う。オケも小味なリズムの刻みがいい味を出しておりレヴァイン盤より好みだ。

対極的なのをひとつ。ドイツ人のレオポルド・ルートヴィヒがバイエルン放送交響楽団を指揮した組曲だ。何が面白いってこんなバリバリのドイツの田舎風くるみ割りはもう世界のどこへ行っても絶対に聴けない。中国の踊りの伴奏はまるで熊おどりだ。おしゃれとは程遠い花のワルツのダサいテンポ、聴いたことのない垢ぬけないホルン、これをまじめにやってしまう。いやすごいものだ。ご記憶いただきたい。これが昔のドイツ流だ。ベートーベン、ブラームスなら活きるのだから音楽は奥深いと思う。

 

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チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」より「花のワルツ」

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