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自民党総裁選はAKB48とおんなじ(改定済)

2021 OCT 3 0:00:05 am by 東 賢太郎

自民党総裁選の報道はあまりのあほらしさに見るのをやめた。政策論争になんにもコアな中身がない。菅失脚の原因となったのはコロナ対策失敗であることが明明白白なのに、それになにも画期的な言及がないのはこいつら雁首そろえてアホじゃないかと思う。この政党はテレビの「ワイドショー」とおんなじでワイドなだけ、つまり「幅広くなんでもあります党」であって、政策のどれが受けるかわからないがとりあえずテレビに出て注目度が上がれば支持率も戻る、ならば政策なんて選挙に勝ってからちょいちょいと変えればいいじゃないという風だ。

「右寄りでも左寄りでも、若向きも老人向きも、軍国調も対話調も、男性派も女性派も、お好みに応じて何でもご用意してございますよ。お品ぞろえできないのは共産主義だけでございます。ええ、当店のポリシーはどれが正しいかではなく、皆さんにウケがいいのが正しいのです。それが民意の尊重、民主主義というものでございますからね。アフターサービスもご心配ありません、総理が不良品ならまた1年で交換いたしますから」

しばらくはガマンしてみていたが、ついに勘弁してくれという気持になったのは小石河連合の登場によってである。これは政治版の AKB48 だ。河野はひとりだと党員票が過半数に届かず決選投票に持ち込まれると危惧したのだろう。そこで舞台に小泉、石破をあげて3人でダンスして見せればひとりぐらいは党員の好みのタイプがあろうという作戦だろう。その危惧は正しかったが、対応策は大失敗だった。彼は革新派ではなく、生粋の自民党員であることがバレたからだ。なぜなら、「河野、岸田、高市、野田」の4人組だって実はおんなじで、こっちは自民党が経営する KKTN4 である。皆さんご存知のAKB48総選挙は誰が1位でセンターをとろうが経営者にはどうでもいい、それでAKB48という存在が注目され人気が保てれば目的は達するのだ。冗談を書いているのではない、エンタメ業界でこの経営手法がすぐれており集客力が発揮できることは、海外にこんなに模倣グループが現れていることで証明されている。

JKT48(インドネシア・ジャカルタ)、BNK48(タイ・バンコク)、MNL48(フィリピン・マニラ)、SGO48(ベトナム・ホーチミン)、AKB48 Team TP(台湾・台北)、CGM48(タイ・チェンマイ)、そしてとうとうあの中国でも AKB48 Team SH(中国・上海)が登場

65年前に始まった自民党総裁選のほうが歴史は古いが、「政治の芸能化」という民度の低下に起因した昨今の政治環境において、両者はマーケティング・コンセプトにおける類似性を日増しに高めているのである。殊に今回は無党派層が野党支持に流れて政権奪取される危機を封じることが最大の目的であり、とりあえず衆院選で大敗しなければよい。大勝はどう見ても無理だから党全体の利益を守るため、首相は誰であれ「国民のお口にあえばいい」という戦略に出たのである(それと派閥の長の利害は別で、それは恐らく誰が決めたわけでもない。対立しながら最後は全体の利益でちゃんとまとまるところが自民党のしぶとい生存本能だ)。しかし、その魂胆は国民にバレていた。ネットの時代と誰もが口では言うが、いくらテレビ・新聞・雑誌を封印しても今や無駄であるこを ITリテラシーの著しく欠ける長老政治家は知らないだろう。河野はそのネットでばればれの自民党的手法を苦しまぎれに採用したことで根っからの自民党員であることを暴露し、「自民党をぶっ壊す」と吼えて党員に渦を作った小泉元総理のアイデンティティーをまとうのに失敗した。彼の息子の人気にあやかればそれができると信じてしまう三世議員の甘ちゃんぶりが出たとしか言いようがない。

それで総裁選は一気に、国民にとっては芸能ショーに過ぎない政局のドタバタ劇、すなわち、派閥の領袖の保身と利権争いという醜怪なゲームに突入することになった。野田を出して河野を下げて決選投票に持ち込んで云々などまだかわいい、しまいには「民意より派閥の都合です」「自民党は実は『国民の生活より俺の生活が大事党』なんです」が見え見えなり、とどのつまりは「政策より女性候補の化粧のノリが大事」なんてお笑いの世界に入った。国民など所詮はそんなものと見下す馬脚が現れてしまったのである。4人の候補がワイドショーに毎日顔を出し、芸能レポーターみたいな政治評論家たちが毎日くだらない提灯を持ち、ワイワイやって毎日ネタを提供すればお茶の間を独占でき、野党の雑音は消すことができ、コロナに飽きたテレビ局は視聴率が取れて喜ぶ。これぞ「政治の芸能化」である。オリンピックで自民党に儲けさせてもらった電通が恩返しに支持率を持ちあげて国政も左右する。これは「アスリートのための祭典」だったはずのオリンピックが、IOCの謀略によって「広告主のための祭典」にねじ曲げられていったのと同じ手だ。そんなものに国運を委ねてしまっていいのだろうか。

その現象の動力源になってるのは勿論「カネ」である。オリンピックという巨大利権のため菅政権は3兆円をつぎ込んだ。総裁選は「その大金がどこに消えたのか?」という国民の当然の関心を巧妙に煙に巻き、菅さんよくやったという舞台裏があると思われる。「そのためには政治家はどんなウソをついてもいい」が堂々とまかり通ってしまったことも大罪だ。どんなウソがバレても「政治家は安心安全」の前例になったからである。裏では警察、公安に睨みが効く菅路線がこの1年で着々と敷かれ、岸田政権に甘利を押し込んで検察の「ポチ化」も完成したと思われ、もう飼い主には吼えなくなってしまっていると危惧される。政治家という皇室あるいはそれ以上の特権階級の台頭であり、それを前にして、罪刑法定主義は形骸化の一途だ。明治維新も二・二六事件も天皇の権威を頼みにしてのクーデターだったが、今の自民党にそれをかつぐ気はさらさらないだろう。

マスコミはネタが欲しいから政権に嫌われたくない。電波法で恫喝されるのも怖い。政治は大事な「商材」であって、消費者の都合より仕入れ先のご機嫌とりが大事だから政策のあら捜しはしない。文春、新潮もその一線はある。五輪で言えば、IOCにとってアスリートはスポンサーが視聴率をとるための「商材」であって、彼らが記録にかける命懸けの努力なんかどうでもいい。同様にマスコミも自民党の本丸に政策の是非論争など本気で吹っかける気もなく、政治報道もどんどん「カネ」のために劣化してきている。だから政治家は無知でも馬鹿でも何年も大臣が安閑と務まり、不祥事は不問になり、コロナ対策もプライマリー・バランスも、そんなものは深く理解する必要もないし役所に任せておけばいいという伝統的自民党統治が安心安全に踏襲されるのである。官僚は縁故主義でポチを出世させてやり、省には予算を取ってやれば喜ぶ。巨額の税金が動かせ、おいしい利権ができる。これをしゃぶらん手はないという構造が今回も見事に温存されたのだろう。

それには1,2に権力、3,4がなくて5に権力である。その源は選挙だ。であるから、政治家は何のプロかといえば、選挙のプロであるというのが自民党だ。だから二世三世で「票田」を持ってる「自動的勝ち組」が団結して束になればさらに選挙に強いダンゴになり、弱い議員を恫喝して数の論理による権力の維持増幅が可能になる。そのダンゴが今の派閥だ。もう少しは骨もあった昔の派閥と違う。マフィアのボスは下を守り裏切り者を殺すがダンゴの長はそれは必ずしもしない。ダンゴは単なる「権力維持増幅装置」に過ぎないから、その機能のためには軽いタッチで下も切るし裏切り者と平気で翌日に仲良くしたりもできる。小選挙区制で派閥は意味なくなるはずだったが比例代表制が補完すれば「勝ち組ダンゴ」の万有引力はそれと関係なく消えない。引力があればあるほど民意と乖離が大きくなるが、『俺の生活が大事党』にとってそんなことは一本の毛ほどの重みもない。あとはもっともらしい政策をぶちあげ、できなかったらあ~う~と逃げ、最後にやばかったら病気になって他人のせいにするという磨き抜かれたプロの技が確立されている。だから堂々と臨時国会の召集も無視し、「何もわからん国民や野次馬の野党に説明する必要などない」という態度が日増しに強固になっているのである。たしかにそれは一面真理ではある。彼らがプロと自負する「権力闘争の裏技」なんか知る必要はかけらもないからだ。しかし、国民は、政策の是非は知る必要があるのである。

これに対し、やることなすこと「自民党にとにかく反対」という、それはそれでプロの技が確立された “ショー” を国会で披露して飯を食ってる役者たちがいる。別名、野党ともいう。彼ら彼女らの「自民党に反対ショー」は出し物によっては確かに留飲を下げてもくれ、だから一定数の固定ファンがついており、彼らなりの「票田連合」をつくって実は本音は「政権なんか取らなくていい」「取ったら馬脚が出るだけだ」「とにかく議員バッジだけは死守しよう」という政策を連綿と堅持することを可能ならしめている。政策はともかくその一点では結束できる、なぜなら、この連中も本音は『俺の生活が大事党』であることに変わりはない可能性があるからである。今回の衆院選も「野党版AKB48」ができることは確実だ。いや、さらに言うなら、もっと恐ろしいことが舞台裏で進行しているかもしれない。つまり、自民、公明、立憲、共産・・・と選択肢は色々あるが、実は全部が『俺の生活が大事党』であって、オリエント急行殺人事件みたいに “与野党全員がグル” で、国民が見せられているのは実は JKRK48でしたという壮大な仕掛けかもしれない。衆院選もそのための “ショー” であり、少々の勝ち負けは時の運で良しとしつつ「国会議員共同体は不滅です」という大団円に落ち着けようという芝居なんじゃないかという気すらしてくるのだ。政治家という皇室あるいはそれ以上の特権階級の台頭は、そうやって静かに水面下で進行しているのかもしれないと思う。

前から書いているが、僕は政治参加はぜんぜん興味ないという意味で本質的にアナキストであって、完全な無政府を望むわけでないから政治的ミニマリストといってもよく、投票はしても支持政党はない。そもそも投票という行動をするのは、その党の政策が自分の願望にあう、すなわちそれをやってもらえば日々の生活や主義主張や利益の実現にプラスになると信じるからだろう。それが国や社会を良くしてほしいという公益への願望ということもあるだろう。一方で、私益であれ公益であれ、自分の思い描くプラスが他人にはマイナスということも普通にある。「多数決だからそれは考えなくてもいいよ」という許容も「必要悪」としてビルトインされているのが民主主義なのだ。そう割り切るなら、投票とは冷徹なエゴイズムそのものである。僕が必要とするのは警察、消防、救急車、医療、裁判、インフラ整備・・という市民生活にとって当たり前の公共サービスだけで、それが僕の消極的なエゴだ。積極的なエゴもあるけれど、その実現は自助で足りるので政府の手を借りる必要はない。だから戦争、基本的人権の侵害、無為な増税、非資本主義的な政策の強行など「邪魔なこと」をされるのだけが「リスク」であって、政府はなくていいとは言わないが無駄な税金はゼロにして小さいに越したことはない。投票はその時々のリスクを軽減する願望のためにするから常に同じ政党に入れるとは限らない。よって支持政党はない。これが僕のいうアナキストである。

政治に関わる情報は分析はする。それは政治が原因で株式市場が下げそうだったらお客さんを守るため「その前に株を売る必要がある」からだ。だから「リスクフリー」である限り政党はおろか首相が誰かさえ問わないし、困るのは失政によって公共サービスが劣化して自分に直接の害が及ぶかどうかだけで、「負のエゴイズム」と呼ぶべきだろう。そうなると思ったら当然のこととして政権は徹底的にブログで批判する。僕個人の支払った税金が正しく働いていないことになるからで、それを社会正義だなどと格好をつける気もないし、自分に正義を語る資格があるとも考えていない。たとえば、数々の発言から菅内閣はコロナに完璧に無策無関心、厚労大臣も科学に完璧に無知と判断したが、現実はその通りになって、易々と空港検疫がデルタ株をスルーしてしまって話にもならないことを知った。皆さんはそれでいいのかもしれないが、僕は自分や家族に生命の危険が及ぶことは回避したかった。そのうえオリンピックを強行され、さらにリスクが高まったので怒りは沸点に達し政権を強く批判した。影響あろうがなかろうが知ったことではない、国民に害を与えたのだから責任を取ってもらうのは政治家としてあまりに当然と考えただけのことである。

そして、それでもダメな国ということならば個人では打つ手がない。自助で食えるから大きすぎる政府のコストをあんまり負いたくはない。大所高所から国のため社会のためになりたいもののその実力がない。米国で教育を受けたから新自由主義は当たり前と思っている。そういう立ち位置で生きていて日本が住みやすくて面白い国かどうかという観点こそこれからの人生の重大事だ。もしそうでないなら皆さんとお別れの時で、僕は資産を全部売り払ってブログもやめて家内と好きな外国に移住する。

毎度のことだが、岸田内閣の政策に期待することはない。申し訳ないがしてもできると思ってない。我が家、我が社に害を及ぼさず、くだらない政治ニュースに時間を使わせず、気持ちよくアナキストでいさせてもらえば税金は払う。ということは「税金を払うためにも株を下げない政治をやってくれ」、それだけだ。

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Categories:政治に思うこと, 若者に教えたいこと

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