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ロスチャイルド家のヒストリーに学ぶこと

2021 NOV 10 12:12:02 pm by 東 賢太郎

本稿を書く発端は、ロンドンに赴任した年の12月に行った20世紀最大のチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのコンサートのプログラムにある。きのうこれを書庫で見つけなければ本稿はひょっとすると永遠に存在しなかったから偶然に感謝する。左のページに広告している「NM ROTHSCHILD & SONS LIMITED」にご注目頂きたい。ROTHSCHILDは日本語でロスチャイルドと表記されるが、ドイツ語のロートシルド(赤表札)を英語読みした姓である。財閥の始祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルト(1744 – 1812)はフランクフルトのユダヤ人居住区(ゲットー)の住人で、赤表札は市が所有した貸家の通称であり、後にグリューネシルド(緑表札)に移ったが姓は変えなかった。彼が丁稚奉公人から金融帝国を築いて19世紀における世界一の資産家になった出世譚は有名だが、ビジネスの教材として大変示唆に富むので将来のある若者のために、私見ではあるが、僕がそこからどういうインテリジェンスを得て実践してきたかを書いておきたい。他人のヒストリーをどう自分の糧にするかという方法論でもあるかと思う。そしてもうひとつのもっとプライベートな動機は、このページを開いてみた時、即座にええっと思ったことだ。その驚きの一つの理由は本稿の最後に明かすが、もっとインパクトがあった理由は、この8年後にロスチャイルド家の発祥の地フランクフルトに赴任する自分の運命が透けて見えていたと思ったからだ。

話はナポレオン軍が神聖ローマ帝国の自由都市フランクフルトを占領し、支配者(ヘッセン選帝侯)を追い出して財産・債権を没収した1806年に始まる。この前後のヨーロッパを覆う空気を幾分かでも体感していただくために、その年がベートーベンのエロイカ初演の翌年だったことを記すのは意味があるだろう。ナポレオンを崇拝し自筆譜に名を記したとされるその表紙の実物をウィーン楽友協会図書館のご厚意で特別に見せてもらったことがあるが、俗に言われる「怒って破りとった跡」は存在せず、献呈者名の部分に穴は開いていたが字は読めなかった。左の写真は、同曲を初演し、改めて(?)献呈されたボヘミア貴族、ロブコヴィツ侯爵の宮殿(プラハ城)にある初版スコアであり、表紙にはSINFONIA EROICAとある。エロイカは形容詞(英語ならheroic)で、「英雄」と名詞に訳す日本語はミスリーディングだ。Pastoral(田園的)同様に「交響曲」を形容している。ニールセンは3番をSinfonia Espansiva(拡張的交響曲)と命名し4番は形容詞を名詞化してThe Inextinguishable(不滅なるもの)としたが、エロイカは定冠詞がなくSinfoniaに呼応した女性形であるため、明らかに後者ではない。ナポレオン=英雄と見たなら名詞(ザ・ヒーロー)でよかったがそうでないのは、英雄的だったのは彼という人物ではなく、彼のしたこと(行為)だったのではないかと考えられる。大衆が待ち望んだことをやると日本なのに「いよ、大統領!」と掛け声が飛ぶが、ベートーベンはそれをやってくれたナポレオンに「いよ、英雄!」と、彼が英雄的と讃えるべきものをイメージした音楽で叫んだのだ。では「それ」とは何だったのだろうか?

1883年のゲットーの絵画

フランクフルトのユーゲン通りにもうその面影はないが、19世紀までユダヤ人を隔離して住まわせる「ゲットー」があった。一神教の信徒にとって他に神はいない。異教徒は “必然” として迫害するのである。西洋人は横暴、凶暴、無慈悲であり、日本人は温和で優しい民族だと考えるのは表面的だ。多神教が寛容なのである。同様に一概にキリスト教徒が悪でユダヤ教徒が善でもない。少数派で定住地のない異教徒は人類の必然としてマイノリティーの扱いになる。その良し悪しは別として、それが人間の本性に巣食う一面であることは現在のアメリカ合衆国を見ればわかる。そうした “人間の原理” が200年たっても変わっていないのに、1806年ごろまで左の絵のような場所に住んでいたロスチャイルド・ファミリーが19世紀における世界一の富豪になった背景は、キリスト教徒が寛容になったからでもユダヤ人が良からぬ陰謀を計ったからでもない。ナポレオンの出現というジャイアント・インパクトがあったからである。フランクフルトのマイアー・ロートシルトとウィーンのベートーベンは、その意味で同じころに同じ匂いのする空気を吸っていたのである。

欧州大陸を制圧したナポレオンはフランツ2世を退位させ、名実ともに神聖ローマ帝国を壊した。まさにその年こそが1806年であった。野蛮な武力制圧ではあったが、フランス革命の自由・平等・博愛を反映したナポレオン法典がカトリック教会による宗教権力支配のレジームを法的に崩す端緒となった。ふたりが大きな期待を懐いたのは顔を拝むこともない支配者の交代ではなく、階級社会の崩壊という質的変化が民法典で具体化され、担保されることだろう。能力に自信のあるふたりとって願ってもない社会だ。フランツ2世は替わりにオーストリア皇帝になってガバナンスを失うことはなかったため、ウィーンにいたベートーベンにとっては『「神聖」でも「ローマ」でも「帝国」でもない』(ボルテール)と揶揄されるほどに形骸化していたレジームが終焉しただけともいえ、その逆にナポレオンは皇帝として戴冠したことで失望させられる。一方で、ユダヤ人マイアーにとって帝国の崩壊は絶大な意味があった。忽然とブルーオーシャンが現前に出現し、後の欧州を股にかけた一族の飛躍が可能になったからである。

Mayer Amschel Rothschild

帝国での地位を失ったフランクフルトのヘッセン=カッセル方伯(以下、選帝侯)はナポレオンに没収される資産の一部がフランス当局に見つからぬよう、御用商人マイアーに諸侯への債権回収と資産の管理をまかせることにする。ここで選ばれたことはマイアーがユダヤ系のオッペンハイマー銀行で研鑽を積み、古銭の造詣が深かったからだが、金融業(金貸し)を禁じられたキリスト教徒にはそこから派生したお金を扱う様々な技術がなくユダヤ人に頼るしかなかったからでもあった。もとより貨幣経済が浸透すれば王族といえども資金が必要で、フランクフルトにゲットーができたのは自由都市ゆえ宗教の縛りが比較的緩く、商業・金融に長けたユダヤ人に付加的な徴税ができ、緊急の時にはその徴税権を売るか担保にして融資が受けられたからだ。そうして居住権と生活の安全をかたにいわば「みかじめ料」を搾取されるだけだった彼らが自由に金融業に進出し、圧倒的な知識・ノウハウの格差でキリスト教徒からリベンジ搾取する契機をナポレオンが与えたのだ。

マイヤーがゲットーの頭領格であったことは勿論だが、選帝侯に指名させるほど絶大の信用を得ていたことが分かる。この状態を我々は「食い込んでいた」と表現するが、それが伺える人事だ。金融業とは元は銀行(融資)だけを意味したが、彼の出現以降はもはやそうではない。銀行システムは国益をかけた通貨の番人である中央銀行のもとに統合され、インベストメントバンク、プライベートバンク、ファミリーオフィスという証券、運用、銀行、信託、保険を融合した「カネを商品として扱うサービス業の総称」の原型ができ、金融技術において多様な進化を遂げて現代に至る。しかし、製造業や商業とは決定的に異なる点がある。命の次に大事なお金を扱い、任されるのだから業務執行に必要な資質は知識、学歴、経験ではない。絶対の必要条件は信用である。僕は「信用資本主義」を経営のテーゼとしているが、マイヤーの行動に学んだことである。以下に述べるが、彼が創業した複合的金融ビジネスこそ、僕が現在依って立つものだ。フィンテックの時代になっても、金を動かすのは人間であり、そこで働く原理は200年前と変わっていない。

選帝侯の抜擢に応えるべくマイヤーは5人の息子を使ってフランス当局の監視を巧みにかわしつつ、諸侯への債権を秘密裏に回収して選帝侯へ送り届けて更なる信用を得た。これだけでも十分に金持ちになったことは間違いない。しかしそれでは終わらないのである。ここからが只者でないのでよくお読みいただきたい。

彼は以下の2つの手を矢継ぎ早に打った。①「フランス当局の監視を潜り抜けて殿下のもとまで送り届けるのは難しくなった」と選帝侯に納得させて回収財産をロスチャイルド家に信託(運用委託)させ、②同時にゲットーのユダヤ人というドイツ人でもフランス人でもない第三者の立場を逆手にとってフランス側にも取り入り、息子をフランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに置くことで全欧州に独自の通商路と通信網を築いた。実に素晴らしいとしか評価のしようがないが、これははっきりいえば自分を抜擢してくれた主君への背任にもなりかねない行為であり、ダブルエージェントである。現代でも双方代理を無断で行った場合、一方に損害を受けたと訴訟されれば負ける。選帝侯をどう説得したかは商売がら大変興味のある所だ。失業するのだから債権回収は死活問題であり、マイヤーの馬に乗るしかない。その立ち位置を利用し、今流なら「私のエクイティストーリーに投資すべし」(私も儲けるが、あなたも儲かる)と説き、納得させたのだろう。

つまり、彼のしたことは選帝侯とフランスとの「仲介」ではない。どっちも「代理」するということである。とすると両者のスパイになる危険性もある。軍事や金融という国家の命運や自分の生命にも関わる信用商売においてこの芸当ができるというのは只事ではない。二枚舌、三枚舌や八方美人のごときチャラい小手先の技で100年頑張ってもあり得ないことは肝に銘じたい。そんなものは手練れの人間たちには一発で見抜かれてしまい、昔なら殺されるだけなのだ。ひとことで言うなら、「この男なら大丈夫だ」と両側から自然と思われてしまう「人間力のようなもの」が問われるのである。では人間力とは何かといって、ひとことで言えるものではないから矛盾するが、複合的要因が混然となるジャイアント・インパクトの結果、出来上がった結末が格別に立派だった場合にのみ、あとだしジャンケン的に理由として語られるのが「彼の人間力だね」という賛辞だという定義の仕方しか思い浮かばない。だからこれを学校で教えたり、本に書いたりはできない。学校の成績はあまり関係ない。こう言っては元も子もないが残念ながらできる人はでき、できない人はできないのである。

我が国でダブルエージェントに成功して男をあげたのが坂本龍馬だ。英国人グラバーの後ろ盾で不倶戴天の敵同士だった薩長を同盟させ名誉と大金を手にした。命も金も奪われたが、歴史がそう語るからではなく実感として、僕は彼が大層の大物だったことを確信する。しかし、マイヤーはその何倍も大物だった。戦費で財政が苦しいフランスに選帝侯とは別なエクイティストーリーをアピールし、②の通商路と通信網の確保もやったからである。全欧州をほぼ独占した郵便会社であるフランクフルトの「帝国郵便」に出資していたことは有利に働いたろうし、ナポレオン法典のユダヤ人開放政策によりゲットーから出て自由に動き回れ、選帝侯の寵愛だけに依存した不安定な状態から脱却できたからそれに成功したのだ。強い追い風が吹いたのであり、こういう運の強さは事業家には大事ではある。今風には「持ってるね」ということになるのだろうが、僕はこの点については少々異論がある。風は大なり小なり誰にも平等に吹いているのであり、それに気がつくか、それに乗ろうと思うか、乗るための瞬発力があるかどうかだけが人生を決めると思うのだ。そのどれもがあって首尾よく成功した場合にのみ、あとだしジャンケン的に理由として語られるのが「持ってるね」という賛辞の定義だと思う。

さて①と②がうまくいった。カネ、通商路、情報網が手に入った。ここでマイアーがぼ~っとしている人ならばここまでは来ていないから次に打った手はある意味で必然であり、それを見すえてのことだったと思う。まず、③1798年に21才で英国に送り込んだエース格の三男ネイサン(1777-1836)に選帝侯から預かったカネで綿を大量に仕入れさせる。ナポレオンが敵国イギリスとの貿易を禁じた大陸封鎖令で綿は禁輸品になり、市場を失った英国では価格が暴落したが、逆に大陸では品不足で暴騰していた。フランスと通じて築き上げた特別のルートで大陸に持ちこみ、②のルートで大陸の4人の息子が売れば巨利が得られる。資金は流用ではなく選帝侯の了解を得た信託財産の運用だから選帝侯にも利益が出るが、マイヤーの視点からは他人の褌(カネ)でレバレッジをかけて巨利を得たわけだ。短い人生でデジタル的に資産を増やすにはそれしかない。東インド会社が成功した古典的な市場間アーブ、制度アーブであり、わが国では開港した横浜で英国人相手に生糸産地の農家の倅である僕の先祖が同じことをやって成功したが、貧農だからファイナンスに苦心している。生糸は掛け売りになったが株式なら信用取引だからハイリスクだ。選帝侯を口説いてリスクフリーにしたロスチャイルド家の知恵と営業力は半端ではないと思う。

Nathan Mayer Rothschild

普通のファミリーならここで大金持ちになって終っていただろう。そうでなかったから今がある。④ロンドンにいるネイサンは築いた情報伝達網を駆使して1815年のワーテルローでナポレオンが敗けた情報を市場に先駆けてつかみ、本来は上がるはずの英国国債に売りを仕掛けて市場を狼狽させ(今の株式市場で「外人売り」の声だけで株価が下がるのと同じ)、暴落した所で大量に買って更なる巨利を得た。風説を流布したわけではなく、周囲が早耳筋と認めるロスチャイルドの行動を注視して勝手に売っただけだ。カネ・情報の強者だけができるトレーディングの揺動作戦である。①~④のどれもが見事だが、どれも目新しくはない。凄いのは4つの大技を1806~1815年の9年間で連続で繰り出していることだ。まるで大横綱が格下を立ち合いで吹っ飛ばし、つっぱって土俵際に追い込んだ挙句に上手を取って最後は土俵の真ん中に豪快に投げ飛ばした相撲を観たようである。ビジネスを「戦略」で語る人はよく囲碁、将棋に例える。そういう業界もあろうが、相場を相手に生きてきた僕は違う。ビジネスは動的なものだ。チャンスの時に戦略を練っている暇はない。そういうものはむしろ条件反射で体が動くようにしておけばよく、決定的に大事なのはただひとつ、「やる」ことだ。

ロスチャイルド家の先祖の姓はバッハラッハ (Bacharach)といい、ライン川(ローレライの南)にある地名だ。英語読みするとバカラックで、「雨にぬれても」のバート・バカラックの姓だ(彼もドイツ系ユダヤ人)。ユダヤ人と聞くと陰謀論に頭がワープして思考停止する人が日本には多いが、それではナチスに騙された当時のドイツ大衆とかわらない。マイアーは13才で銀行の丁稚になった。25才年長のモーツァルトの父は大学に入ったが彼はそれもない。あったのはのは想像するに目から鼻に抜ける才と人間力、機を見るに敏な爆発的な行動力だ。それがなければ何も起きなかった、それだけのことだ。そのような能力が求められる仕事は何か?営業だ。営業にガク(学)はいらない。マーケティング理論もまったく無用だ。そもそもそんなものを教えてる学者は営業などしたこともない。僕はいろんな部署、階層で仕事をしたが、一番面白かったのは社長職でも部長職でもなく梅田支店にいた末端の営業マン時代だ。その2年半でお金に関わる仕事の酸いも甘いも恐ろしさも全部を体得した。昔も今も、そういうものは仮に言葉で教わったとしてもできるとは限らない。やった者が最強であり、それがまた自信を呼ぶのである。営業とは人に好かれ、説得し、商品を買っていただくことである。シンプルにしてとても難しいが、これができれば他の立場の仕事は何でもできる。これ本当である。

冒頭のロストロポーヴィチのコンサートのプログラムに宣伝を出したN・M・ロスチャイルド&サンズのN・Mとはいうまでもなく三男坊ネイサン・メイアー・ロスチャイルドの頭文字で、これが「ロンドンのロスチャイルド」である。日露戦争の戦費調達が難航した明治政府は日銀副総裁の高橋是清を同盟国・英国に派遣する。高橋はここを訪れ日本国債の引受を懇願したがすげなく追い返された。ロスチャイルド家はフランスからカスピ海油田に投資しておりロシアを敵に回すわけにいかなかったからだが、米国に置いた番頭格ジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会を通じて引受けを受諾した。九死に一生を得た明治政府は狂喜し、教科書では日本を助けてくれたことになっているがそんな人の良い話を信じているのは商売を知らない人たちで、ここまで読まれた方にはすでに自明だろう。どっちが勝っても損のないダブルエージェントはロスチャイルドのお家芸なのである。

同社は今もM&Aの助言を中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用(プライベート・バンキング)を行う世界有数の金融アドバイザーである。これも偶然だが僕はロンドン在任中、同社アカウントの担当者を命じられており、出入りして大きな商売をさせていただいた。ソナー・アドバイザーズを創業する時に何となくイメージしたのはそのことだった。

 

 

 

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