読響定期 ツァグロゼク待望のブルックナー4番
2026 OCT 7 15:15:54 pm by 東 賢太郎
第662回定期演奏会
2026 10. 2〈金〉 19:00 サントリーホール
指揮=ローター・ツァグロゼク
ヴァイオリン=ルノー・カプソン
第1コンサートマスター=林悠介
R.シュトラウス:ヴァイオリン協奏曲 二短調 作品8
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」 WAB104(1888年稿/コーストヴェット校訂版)
R.シュトラウスのヴァイオリン協奏曲は大変満足した。17、8歳、いまなら高校生の作品とは信じがたい見事なドイツロマン派の協奏曲だ。メンデルスゾーンの末裔のコンチェルトとして聴いて違和感なしと感じたのは驚くべきことだ。その年齢で今の耳で聴いてその人の作品のうちでそのレベルの傑作と判断される作品を書いた人物というと、いわゆる早熟の天才という母集団で雑駁に括られがちなごく一部ということであるが、意外なことにモーツァルトは微妙であり(後が凄すぎたからだが)、メンデルスゾーンとビゼーのふたりしかいない。Rシュトラウスのこれも聴いているはずだが、あの美音の楽器は何だろうというルノー・カプソンの演奏によって3人目が加わったことは画期的な経験だった。彼のような名人にして弾き慣れてないと思われる部分もあったが、めったにプログラムに乗ることのない音楽なのだとむしろライブ感が高まる。ところどころで僕は目をつぶりながら春のライン川のほとりで家族と昼食をしている心持ちを思い出していた。なんというありがたいことだろう。カプソンは11年半前にここで聴いて感心しているソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団をきく。50才。脂が乗っている。僕は彼の先生であるアイザック・スターン、シュロモ・ミンツをアメリカで聴いているテンシュテットのブラームス交響曲第4番、ベートーベン ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61、クラシック徒然草-ヴァイオリン・コンチェルトの魅惑-。名人二世代を知るなんてもう老人以外の何物でもない。
僕が実演で聴いたブルックナーのベスト3は今のところ、ヨッフム/ACOの5番(アムステルダム)、ヴァント/NDRSOの8番(フランクフルト)、ツァグロゼク/読響の7番(東京)だ。次点がスクロヴァチェフスキ/PHOの8番(フィラデルフィア)、マズア/LGOの7番(フランクフルト)、ブロムシュテット/N響の4番(東京)、ハイティンク/ACOの9番(ロンドン)だ。ツァグロゼク/読響の7番はこのブログになったツァグロゼクのブルックナー7番(読響定期)を聴く。かように当時は彼を知らず、読響の音に「ジュリーニ以来」と書いている。
ベートーベンやブラームスの交響曲でこんなことがあり得ようか?つまりこれぞ融通無碍なブルックナーワールドと呼ぶべきもので、眼前に横たわるのはドイツの暗くて深々とした森であり、同じ場所の同じトレッキングコースを行くのだけれど入り込んで逍遥するたびに季節や天候や時刻によって景色や空気の肌合いや香りや鳥の声が異なり、その日その日の別な心象風景を持って帰ってくることになる。ドイツ人やドイツに住まれた方なら共感されるのではないか。この迷宮のような深みにはまると逃れられなくなる。 いったん覚えてしまえば一生何通りものバリエーションで楽しむことができる愉悦の源である。演奏については先の7番と、この5番の稿に書いたことがそのまま当てはまるツァグロセクのブルックナー5番を聴く。また味わえたことに心からの喜びを覚えたとだけ記し、オーケストラの演奏家の皆様、および彼を呼んでくれた読響のマネジメントに感謝を捧げることにしよう。ツァグロゼクとブロムシュテット、あとはダニエル・バレンボイム、ズビン・メータ、リッカルド・ムーティ、エリアフ・インバル、シャルル・デュトワあたりが現存する20世紀の最後の巨匠たちであろう、僕が1万枚以上の録音ストックを有している名演奏家たちはほとんどが故人になってしまったのだから辛い。お元気な姿を何度も拝見できることを切に願ってやまない。
Categories:______ブルックナー, ______リヒャルト・シュトラウス, ______演奏会の感想




