ベートーベン ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61
2016 AUG 22 0:00:26 am by 東 賢太郎
なるほどこのトシになってつまらんものはつまらんと言えますが、ガキのころはそうもいきません。この曲には因縁があってストラヴィンスキーとバルトークばかり聴いていたころ、雑誌でしたかFM放送でしたか、「いくら難しい曲を聞いたって、ベートーベンのヴァイオリン協奏曲も知らないのでは困りますね」と評論家先生がのたまわって、なるほどそういうもんかと思いました。
そこでいろいろ批評を読んでみると、ヨゼフ・シゲティの演奏が歴史的名盤であるとあります。それだとばかりすぐ飛びついたのですが、これがいけません。ひどく退屈である。ソロはへたくそである(正直な感想、すいません)。しかし初心者ですから、おれはまだベートーベンがわからないのだと信じ込んだのです。
それが忘れもしないこのFontana盤でした。批評を読みかえすと、「最晩年の録音で技巧に衰えこそあるが、高い精神性は比類がなく・・・」とある。セイシンセイ?なんだそれは?辞書にはspirituality(霊性)なんておどろおどろしい訳語があるではないですか。これがいけなかった。
そうか、セイシンセイがわからないとベートーベンは理解できないのか!そういうことになってしまい、この曲はおろか交響曲までしばし縁遠くなってしまうのです。
当時のわが国音楽界は「精神性がない」という殺し文句でカラヤンすら血祭りに上がる恐ろしい国だったのです。精神性が認定されれば音が少々外れたって推薦されるのだから比例代表制みたいなもんだ。ドイツ人のベテランはほぼ当確、イタリア、フランス、ロシア、東欧は巨匠のみ、英米に至るとほぼ落選というわかりやすい図式ではありましたが、セイシンセイの実体を僕が理解する日はついにやって来ませんでした。
この曲がシンプルに楽しいと思ったのは、フィラデルフィアでイツァーク・パールマンのあっけらかんと明るいソロを聴いてからでした。そしてさらに決定的だったのは84年のアイザック・スターン(どちらもムーティ/PHOの伴奏)のこわもての威厳ある演奏です。ということは、何のことない、30才近くまで僕は「ベートーベンのヴァイオリン協奏曲も知らないのでは・・・」という状態だったのです。
ところが困ったことにこの曲、好きになれる演奏がなかなかない。第1楽章、オケの序奏が3分もあってやっと登場するソロはドミナント和音をなぞって上昇し、高音で第1主題を弾きます。ここが問題で、どうもどれを聴いても音程が気に食わないのです。
それはここです。ほとんどの人がラ# がフラットにきこえる。つられてシまで低い人が続出だ。
あの超絶技巧のハイフェッツも、そういうことはまずない最右翼であるオイストラフすら最高音 ラ#、シ があぶない。歴史的大ヴァイオリニストに向かってそう公言してしまう僕もあぶないのですが、耳がおかしいかとyoutubeを片っ端から聴きましたが大家、名人ほぼ全滅、あのユリア・フィッシャーすらだめだ。これは何なんだろう?
スコアを観て想像がつきました。上の楽譜の2小節目のソーファーソラからバックに木管の伴奏和音が入りますが、問題の ラ#でオーボエ、クラリネットがシ、ファゴットが ラを吹いていて、ヴァイオリンが弾かされるラ#は上下どっちとも短2度という「汚い音」なのです。しかもそれをクレッシェンドしてsf で弾けなんて罪なことが書いてあります。
これはピアノなら全く自然に聴き過ごせる経過音なのですが、倍音が乗ってる木管をバックに聴衆が耳をそばだててる繊細なハイポジションの音取りとなると、明らかな不協和音だからみなさん恐らく感覚的に嫌で、ラとシのどっちに寄せるかというと和声のバスであり2オクターヴと距離も離れているラに無意識に寄るんじゃないか?しかし旋律の流れとして、これは高めに、シに寄せてもらわないと僕は気持ちが悪いのです。
それはまず、音取りの問題が(あまり)なく楽譜通り鳴っているクラリネット・ソロ版で聴いてください(4:14がそこ)。
引き合いに出して大ヴァイオリニストにはお詫びしますが、これの3:49と比べていただきたい。
そんな細かいこと鑑賞に影響ないだろうという声が多そうです。こういう部分が僕的鑑賞の苦しいところで、その調性の12音のピッチバランスがメロディーの和声構造に添って(特にミとシが)、僕的にはオレンジ色に調性感をふくらまして、陽光の中でシワなく表面が外側に湾曲してピンと丸々と張ったテントみたいにはちきれていないといい音楽に聴こえません。
音程は音楽のファンダメンタルズであって、それが欠ければ即こりゃいかんということになってしまう。それがこの名曲ほど顕著に感じられてしまう音楽はなく、この個所はベートーベンが管弦楽をピアノの耳でダイナミクスを書いたというちょっとした不備で、指揮者はオケ部分のクレッシェンドと sf は無視してヴァイオリンに隙間を与えてやり、ソリストに音程の指示はできないのだろうが自分でそうできる人とやるしかないでしょうね。いずれにしてもここは体操競技ならF難度の個所であり、僕はコンサートでここがダメだともう減点です。
体操の内村ぐらい最高点に近いのがこのナタン・ミルシテインとエーリヒ・ラインスドルフです。危なげない見事な音程であり、指揮のラインスドルフはその個所はファゴットを強めに吹かせて和声のバランスをラにもっていってうまく切り抜けている。こういうのをプロ中のプロという。第3楽章主題のやや高めのミの音(f#)の素晴らしいこと!こうでないと音楽の良さは死にます。世の中、そんなひどい演奏ばっかりだ。ラインスドルフのオケ(フィルハーモニア管)の音程まですばらしく、テンポもダイナミズムも文句なし。ぜひ味わってください(i-tunes Storeで750円)。
もうこのトシですからつまらんものはつまらんと言います。こういう演奏でないと僕はこのコンチェルトはアホらしくて聴く気もしない。いい加減な耳や技術の人は弾くべきでないし、そういう部分を「それなりに」で済ましてしまう神経の人はこの曲はそもそも無理だからやめた方がいい。ベートーベンの書いたうちでもトップクラスの名曲であり、交響曲と同じほど動機を構築してできた有機的建造物であり、技術と知性なくして良い演奏などなしえない。指揮者にも同等の知性とバランスが求められる至難の曲です。
最初のF難度だけでこんなに書いてしまいました。この先も難所続出であり、曲の構造分析は始めたら止まりません。僕が最も畏敬する音楽の一つであり、今回はここで敬意を表して終わり。次回することになります。なお精神性のほうは精神科のお医者さんか心理学者さんにご相談ください。
フランコ・グッリ / ルドルフ・アルベルト/ コンセール・ラムルー管弦楽団
このヴァイオリンは僕の知る限り唯一ミルシテインに匹敵します。信じられないことだがこの演奏をほめている人を見たことがない。みなさん何を基準に選ばれてるのか僕にはさっぱりわからないが世評の高いどの「大家」よりいいです。音楽をブランドで聞くなどまったく意味のないことです。グッリのヴァイオリンはどこの名器だというほど魅惑的な中音域!第3楽章の「ミ」の素晴らしさ、これがこの演奏の全てを物語ります。ソロがイタリア人だ、指揮者、オケが有名でなくしかもフランスだというのが減点なのか?とんでもない、見事な重量感の伴奏でなんの過不足もなし。録音もビビッドでよろしい。演奏に漲る活気とテンションを聴けば誰もが圧倒されるでしょう。グッリは冒頭のヨゼフ・シゲティの弟子であることをシゲティの名誉のために記しておきます。i-tunes StoreでFranco Gulliと入力すれば買えます。
クリスチャン・フェラス / ヨゼフ・カイルベルト / フランス国立管弦楽団
これは音源室をひっくり返していたら出てきた録音でyoutubeにupしました。1967年5月30日、パリのシャンゼリゼ劇場でのライブで、細部の完成度は落ちますが補って余りある名演です。フェラスは微妙にポルタメントがある古い流儀で、僕は実演に接しませんでしたが弓を持つ右ひじが上がる現代メソッドでは良くないとされる弾き方だったそうです。しかし肉体の負担をもってしてこのストラドの音色は得られたのでしょう。全編が歌。歌わない音符はなし。フェラスの音のとり方はとても趣味に合います。平均律のピアノではなし得ない、歌と弦楽器にだけ許される「和声の王宮」にどっぷりつかる幸せ。これをくれる演奏家はそういるものではありません。ちなみに上掲のラ#は常人と逆にフェラスは高めにとっているのが彼の和声感覚でしょう、そういうものが共鳴することで音楽はとてもパーソナルな、プライベートなものになるのです。カイルベルトの重厚な伴奏がフランスのオケからドイツの音を引き出してますね、最高に素晴らしい。
Yahoo、Googleからお入りの皆様
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nzzkn
8/31/2016 | 10:03 AM Permalink
初投稿ご免くださいませ。
三木たかし氏の「つぐない」を、ブラームス、バッハ、モーツァルトに関連づけておられる論考を興味深く拝読しました。ワタクシ的には、スクリャービンP協に関連づけています。37小節目からだとメロディが5音一致しますので。
【本題】
ベートーヴェンで、短2度で軋る曲というと、P協4の第1楽章の第2主題がオケで出た後にピアノが絡んでくる箇所が思い浮かびます。譜面を見る前は、短前打音で書かれているのかと思っていました。
Vn協の愛聴盤はメニューイン&クレンペラーでしたが、今すぐは発掘できず、当該箇所をどう扱っているか確認できません。
手元にあるスターン&バレンボイムの1975年録音は、少なくともこのais音からh音は、確信を持って適正ピッチを保っていると思います。
東 賢太郎
9/1/2016 | 3:35 PM Permalink
nzzkn様、コメントありがとうございます。たいへん子細にお読みいただいて、まさにマニアックなことを綴り甲斐もあろうというものです。スクリャービン、確認しました。e,his,dis,cis,gisですね、たしかに。雰囲気も似てますね。
P協4なるほどですね。このeis,fis以降は執拗に伴奏の短2度下をソロに弾かせて確信犯的(笑)ですね。愚考ですが、彼のピアノの音の減衰曲線は現在のコンサートグランドよりも撥弦楽器に近かったのではないでしょうか(とすると短前打音的にイメージした?)。ヴァイオリン協奏曲はピアノ版がありますが、想像するに彼の音感、和声感はピアノで成立していて(問題個所をピアノで弾くと短2度がいい感じの薬味になります)それをそのままヴァイオリンパートに書いて、アドバイザーのコンマス(クレメント)もOKしたのではないでしょうか。このaisのメロディーラインは非常に魅力的ですし私見では伴奏の書き方の問題と思います。
スターン&バレンボイムは聴いてませんでした、そうですね、ここは合格ですね。彼のライブも(よくは覚えてませんが)ここで違和感を持った記憶は少なくともありません。メニューインはそもそもあんまり好きではないですが、クレンペラーのは知りません(いいですか?)。フルトヴェングラーのここはだめですね。
nzzkn
9/1/2016 | 11:27 PM Permalink
早速のお返事ありがとうございます。
メニューイン盤も先に、イチ押しのミルシテイン盤を発掘できました。1993年に米国でまとめられた6CD箱の3枚目です。
当該箇所を聴いたところ、ais音は僅かに低めで、h音には広めに上がってピッタリのピッチに感じました。
スターン盤は均等に半音ずつ上がっていると思います。
ミルシテイン盤の魅力は、高貴に曲を運びながら、要所要所で煽ってみせるところかも知れないと思いました。ピアノでいうとスタニスラフ・ネイガウスがそういう演奏スタイルで惹きつけてくれます。
nzzkn
9/1/2016 | 11:31 PM Permalink
字が欠けました。
第2文の最初は、「メニューイン盤よりも先に、東氏イチ押しのミルシテイン盤」です。