ライオンはウサギを獲るときも手を抜かない
2015 DEC 8 23:23:10 pm by 東 賢太郎
野村證券という素晴らしい会社に入れていただき、そこで厳しく育てていただいたのが人生の幸運だったのですが、梅田支店で僕が尊敬するメンターだった土屋次長(のちの三洋証券社長)が、
「人の2倍ならやるな。足を引っ張られるだけだ。10倍やれ。誰も何も言わなくなる。」
と言われたのが忘れられません。
大学出たての若造にこんなことを教えてくれる会社があるでしょうか。それが頭に焼きついて、以来本気でそう思ってやってきました。普通なら若造が先輩の10倍やるぞなんて世界はないだろうし、そんな心意気を持っただけでもう足を引っ張られるでしょう。
ロンドンで日本株営業をしていた時代に「一銘柄で180億円買い」という注文を取りました。野村といえども大きな商いで、これが土屋さんへの恩返しでした。たしかに教えのとおり、それから誰も何も言わなくなりました。
ところが一方で、子供のころ親父に口癖のようにいわれた言葉があります。
「ライオンはウサギを獲るときも手を抜かない」
これと土屋さんの教えは一見矛盾するようであり、だから長らく僕はこれを忘れていたのです。会社を辞めて独立してから5年の歳月がたち、いまこの「ライオン」のほうの意味がやっと分かってきました。矛盾するのではなく、それをするから10倍できるのだということに。
血液型Aの僕はズボラに見えて、やろうと思ったことには尋常でなく細かいのです。普通は誰も気にしない細部まで徹底的に執着しますからB型、O型には一緒にやるのが耐えられないでしょう。それは親父の「ライオン訓話」による性格です。ブログはA型全開なので、これでしか知らない人は逆に僕がこだわりのない場面や分野ではいかに何も気にもしていないか驚かれるでしょう。
例えばゴルフは握り(ベット、かけ)に勝つことに全精力を傾注しますから、東はラウンド中ひとことも口をきかないというのは仲間内でジョークになるほど有名です。でも無駄口やらヨイショをしながらアバウトにやるなんてゴルフと思ってませんから気にもならない。
他人のプレーは、マスターズや全英オープンなどのTVも見ません。選手の名前も知らない。プロをいくら見たって僕のパットが入るようになるわけじゃなし、握りに影響のないことはどうでもいいのでそっちは極度にアバウトなんです。これに僕の万事が象徴されてます。
土屋さん方式ではウサギはいくら獲っても他人の10倍やるには効率が悪く、獲るに値せずとなります。そうするとアバウトな僕が現れてしまう。するとだんだん獲り方を忘れてしまっていざという時に腕がなまってウサギも獲れなくなります。そんなライオンは大物も獲れないのです。
「ライオンはウサギを獲るときも手を抜かない」
これは万事の基本中の基本です、親父は正しかった。それをしながら「10倍」を狙う目線をキープしておくこと。これは両立するし、そうでないと10倍は絶対にできません。大物は獲れるけれどもウサギはのがしてしまうようなライオンはいないということです。いえ、自分はウサギで満足です?そういう人が顕著に多いのが我が国なんです。ネズミでいいから毎日取りたい?そういう人はもっと多い。
クラーク博士のBoys, be ambitious!はだから発せられた言葉じゃないかと僕は思ってます。最近はboysより girlsのほうがよほどambitiousじゃないかと思う局面も増えています。
「人の2倍ならやるな。足を引っ張られるだけだ。10倍やれ。誰も何も言わなくなる。」
土屋さんは2倍のambitionはあると認めて下さったのかもしれません。そこでいただいたこの言葉、劇薬のような効果でした。目線をあげると色々新しい景色が目に入ってきます。
(追記、3月16日)
「ライオンに追われたウサギが肉離れになるか?」 (イビチャ・オシム、サッカー日本代表監督)
僕が言われたわけではないが、鋭い言葉です。肉離れで離脱する選手が相次いだ時にチームに発した警鐘だったと思います。「お前ら、たるんでっからケガするんだ、バカヤロー!」ってことですが、「そもそも死ぬ気でやってねーんだろ?」という強烈な叱咤が下地にあるのが怖い。いや、そう言わないのがエレガントだ。しかも、いけいけオヤジの精神論ではない、「一流選手なら自己管理ぐらいせ~や」というニュアンスなのがカッコいい。そして「それもできんお前は一流とは無縁だ」と突き放し、言ってることがわからん?なら頭も二流だぞという袈裟がけの切り捨て御免。オシムさん、すごい。この一言だけで知性とウィットが光る。くだらない質問をする記者に厳しかったそうだが、気持ちは実によくわかります。サッカーはあまり興味ないが、彼のファンです。
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ゴルフへの情熱について(ハノイにて)
2015 NOV 28 23:23:22 pm by 東 賢太郎
ゴルフは予定になくて、何の用意もしていきませんでしたが、ベトナムでもののはずみでやるぞ!ということになってしまいました。先発組が我々第2陣の着く前にやっていて豪雨で途中で断念。僕は香港で2年半毎週末やりながら中断はあっても一度も雨天中止なしという晴れ男で、今回も見事に3日間だけハノイは晴れました。
は空港から途中に位置するハイクラスのコースでおすすめです。芝もグリーンも日本の名門コースに遜色ありません。しかし、ハノイは漢字で「河内」と書くだけあって川、池、水郷、湿地だらけの土地ですからここもウォーターハザードが無数にあり、曲げだすとボールが足りないかも(まあワンペナだからOBよりましという前向き思考がいいですね)。
月曜の午前中は開けないそうですが特別だったようで貸切状態でした。用意がないのでもちろん貸クラブ、貸靴ですが、ゴルフというのはやる気次第でなんとかできてしまうのです。僕は去年の始めに五十肩をやって以来この遊びは足を洗っていて、というのは昔の自分といえども負けるのは嫌であり、べスグロは43才だったから60のジジイがかなうはずもなくて、要はプライドを維持するにはやらないのが一番なのです。
まずは飛距離のなさ、方向性のあまりのひどさに、ああ早く終わりたいとなる。この日も1番のパー4でいきなり曲げて8をたたきました。しかし、やるうちにひとりにひとり付いてくれている若くてかわいいキャディーさんが一生懸命してくれて申しわけない。なにせ距離計測用レーザーまで持っていて、「ピンまで29ヤードです」なんていちいち教えてくれるのです。寄せですよ、29ですよ、そんなの普通は測らない。
半端な数字を言われるとかえって体のセンサーが働きだしてうまく寄ったりします。それでだんだんスイッチが入って3連続パー。やっとゴルフらしくなってきたところで18ホールお終い。昔ならここでよしもう1ラウンド!だったんですがその体力、情熱はなく、マッサージに行って満足。なるほどこれからは宗旨替えしてこれを目ざせばいいか・・・。
30,40代はなぜあんなにのめりこんでゴルフやってたんだろう?たぶん好敵手に負けたからです。人一倍負けず嫌いだから。でもそれがなくなってしまった。今では信じられないグロス75を出して達成感ができてしまったし、回数も半端じゃなくて一生分は優にやってしまった感じがあるのです。今回も終わってみればあのやる気のなさは何だったんだというほど楽しんだのですが、少々の刺激じゃあ反応しなくなったのも事実です。ゴルフだけの話ではないですが・・・。
今は仕事が大きな山場で忙しいなんてもんじゃなく、一切それ以外には気がいかない状態。何をやっても上の空だから仕方ないです。ドライバーを振っても五十肩のダメージは意外になかったので、また遊び心が復活すれば情熱が戻るかもしれないという手ごたえを感じました。ひっぱってきてくれた仲間に感謝です。
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ゴルフとビールと五十肩に教わる
2015 JUL 22 1:01:20 am by 東 賢太郎
ミクロネシアはユナイテッド航空でグァム経由でしか飛べません。そこでグァムで一泊の中継をすることになります。前2回もそうしましたが、今回は米国MRAと我々との橋渡しをしてくださったN先生がご一緒でした。
ついては考えたことがあります。かねてより後遺症が心配であった左肩(シャドーピッチングの無謀なやり過ぎで五十肩が悪化したもの)ですが一応腕を真上に上げても痛みはあまり感じなくなっています。ゴルフができるかどうかを確認したく、先生に無理をお願いして一緒にラウンドしてもらうことになりました。
五十肩というと経験ない方はおわかりにならないでしょうが、腕を振ると関節が脱臼しそうであり、可動域はすごく狭まってそこを超える動きをすると激痛が走るのです。高校時代に野球で痛めた肩の痛みと似ており、そのトラウマもあってゴルフはできませんでした。最後にしたのが一昨年の夏、ハワイ島での1ラウンドですから2年前です。それ以来、ゴルフクラブには触ってもいません。
さて、朝7時にヒルトンホテルを出発してレオパレスリゾートカントリークラブにてプレーという段取りでしたが、ロビーに下りてくるとメガネがないことに気づきます。あれがないと目が見えないのです。ところがどうしたことか、チューク島にいた2日前から裸眼がよく見えていて、不思議なことなのですがその日はメガネなしでもできそうだと思い至り、メガネなしで回れたのです。そのような記憶はありませんし、ミクロネシアで目が良くなったのだろうか?
レオパレスでスタートしたのは8時半を回っていました。快晴です。ジャック・二クラウス設計のそこそこいいコースです。1番はフルスイングできるかが不安でドライバーをいきなりチョロしました。それでも肩に痛みはなく、なんとか行けるかもしれないと感じました。先生には4、5ホールでリタイアするかもしれませんと断わってありましたが、どうやらその恐れはなさそうです。
結局、最初の9ホール(ハイビスカス・コース)のスコアは57。2つのロングホールが9と11(なんせ飛ばない!)でしたが、とにかく痛みなく回れただけで大満足です。
ところが次の9ホール(オーキッド・コース)に入るところで先生がちょっと待ってとスパムとスポーツドリンクを買ってくれてそれがやけにうまかった。というのは、もう太陽は真上に登りつつあって、とてつもなく暑いのです。これね、香港のゴルフ思いだしちゃうんですよね、このぐらい暑くて湿度は90%もあって、パットの時なんかメガネに汗がたまって牛乳ビンの底みたいになって見えないんです、などと言いながら毎週末、土日とやっていたあの頃を思い出し、淡々とプレーします。
気がつくと6番をおわってまだ3オーバーでした。なんということか、ひょっとして2年ぶりの病み上がりで30台が出るかもしれない。決してやってはならないことなのですが、それを先生に口に出して言ってしまった。すると案の定、7番ロングのティーショットを左に曲げてOBです。ダボ、ボギー、ボギーでなんのことはない43でした。思えば香港ではシャングリラホテルが所有する西麗ゴルフカントリークラブでハンディはシングルの8でした。この気候が当時のスイングとリズムを呼び覚ましてくれたかもしれません。
スコアは水ものだからどうでもいいんですが、このあと、貴重な教訓を得ることとなった。それを書きます。
18ホール無事回ってランチの前に飲んだ生ビール、これがうまかったんです。人生かつてビールがこんなにうまかったことはない。暑さ、乾き、肩がもった安堵感。一気に飲み干して大声でうまい!その日本語を聞きつけてボーイさんがもう一杯もってきてくれたタイミングの良さ。
人間、飢えるってことが大事と知りました。期待値は低い方が人生は幸せかもしれません。たかがビール一杯、東京でそんなものに感動し、一生忘れないなんてことがあるでしょうか?先生は限界効用価値逓減の法則をもちだされ、なるほどと腑に落ちました。
あったねえ、6枚目のパンより5枚目がうまい。東京のは100枚目でしょうね。でも1枚目がこんなにうまいなんてことは教科書にはなかったね。僕はあのビール一杯に一万円払ってもいいぞ、なんてしょうもない話になっていきます。
旅先で何の準備もなく貸しクラブでゴルフする、2年もやってない、五十肩のリバウンドが怖い、気が狂いそうに暑い、こういう期待も何もない状況、そしてノドがカラカラで飢えた状況、これぞ人生のスパイスであって、求めてでもそういう状況を作り出した方がいいのかもしれません。
ホテルに戻って夕食はコンシェルジュのあけみさんのおすすめの中華料理店VIPに。これまた先生も僕も飢えと期待値の低さの相乗効果からか大満足で、あけみさんの評価は急上昇しました。うまいうまいとほめたからか、女将が帰りついでに車でヒルトンまで送ってくれました。
バーで先生と反省会を開きます。2年前に鳥取で対戦して僕が負けたのですが、今日は僭越ながらもタテ・ヨコ握って僅差で勝たせていただき、スイング等につき幾つか指摘もさせていただきました。先生ね、ラフ入ってねティーグラウンドの景色で覚えてないでしょ、それからあのショートで9番持って軽く振るって言ってたね、それどっちもダメですね、青いですね、シングルの人でそんな人は絶対いないんです、みたいなことを。
翌朝です。東さんのバック9を見て納得したんで、夜のあれ全部ノートに書きましたとのこと。これはまずい、酔った勢いで余計なことを教えてしまった。次回はやられそうです。なんせ280ヤードも飛ぶ人だし一回りも若いしこっちは200ちょいだし。でもその研究熱心な姿勢は好きですね。学ぶ人は何事も伸びるし、負けても悔いなしです。でもスコアはともかく僕は賭けは強いからね、いざというホールは今日みたいにまず負けないから大丈夫でしょう。
帰りの機内で、東さん最近欲が減ってきてますねと。彼はいろんな局面で見てくれていて、そういえばあるディールで海外で大勝負の会議は同席してくれてました。僕のああいう場面を目撃した人はあまりいません。そりゃ、ああいうことはもうないですよ、もういらないから、と言いつつも、たしかにそうだそれじゃいかんと思いました。ゴルフも自転車みたいなもんで体が覚えてますが、ディール、交渉もまあそうでモチベーションさえ出ればまだまだできます。
モチベーション、やっぱりそれですね、先生もそっち派だけど僕なんか完璧に燃えるものを求めてやってます。もう金じゃなくってね。仕事も人もね、燃えさせてくれるものが欲しいんです、老若男女誰でも。欲があるとしたらそれにですよ。もう行きたい国も食べてみたいものもやってみたいこともない。好きなミステリーなんか全部読んじゃって。ある意味、若い時に恵まれすぎてたんですが限界効用価値がもうかなり薄いのね。
しかし、そういいながら、ふと思ったのです。なんでそんな僕が一杯のビールに感動するんだろう?五十肩で特にもうやりたくもないゴルフをやってみようと思ったんだろう?
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タイガー・ウッズの思い出
2015 MAR 17 21:21:07 pm by 東 賢太郎
久々にゴルフです。左の五十肩は一時よくなったのですが、今度は真上に上げると痛くなってきてどうもいけません。治ったらまた再開したいと思っていますがいつのことやら・・・。
僕らにはしょせん遊びだから、もうできなくっても仕方ないねで諦めればすんでしまう。でもプロが不調になったり故障したりする、それは選手生命の終わりかもしれず、人生をそれに賭けたのだから死を意味するようなものかと想像します。そういう境遇にいるかもしれないメジャーのタイトルホルダーであるデイビッド・デュバルとタイガー・ウッズが気になっています。
2001年の全英オープンはマンチェスターにある1886創立の名門ロイヤル・リザム・ セントアンズで行われました。当時はもう日本に帰国していたのですが米国の運用会社フィデリティ幹部のお招きで渡英し、コンファレンスへの参加ついでにこれを観戦させてもらいました。この大会はマスターズを勝った破竹の勢いのタイガー・ウッズと同2位のデイビッド・デュバルの、まさにその二人の対決と目されていたのです。
見たのは確か土曜日の3日目でしたが初日から走っていたのはコリン・モンゴメリーです。モンゴメリーはスイスで何度か見ていたので、この時ここぞとばかりに駆けつけたのはT・ウッズのラウンド前の練習でした。どうも微妙にひっかけ気味で、といっても300ヤード先で10ヤードぐらいの話なのですが。ラウンドも何ホールかついて回りましたが結局その球筋が災いしたようで彼は不振で25位ぐらいでのホールアウトでした。
しかしそれでも、スイングスピードの速さ、弾丸みたいに空気を切り裂くティーショットの音、2打目地点で他のプレーヤーを20-30ヤードおいていっている飛距離、もう並みいるトッププロのなかでも別格的な所でやっていてどこか孤高の人という感じすらありました。僕らのやってるゴルフはありゃあビリヤードみたいなもんだ、本当はアスリートの肉体の闘いなんだということがよくわかりました。
ただ僕がもっとも驚いたのはアスリートのしるしであるドライバーやロングアイアンのショットの初速や飛距離ではなく、ナイフのような切れ味でバックスピンがかかって信じられないほど高く舞い上がるバンカー越えの100ヤードちょっとのサンドウェッジ(たぶん)でした。それが少し先に着地して、コロコロと戻ってピンそば1,2ヤードに止まった、その結果に驚いたのではなくて、打ったショットの凄まじいエネルギーに仰天したのです。それは去年に屋久島で目撃した「はやぶさ2号」の打ち上げみたいでした。
それもフルショットではなく、あの距離をコントロールショットでサンドで高く上げて切れ味よく止めるというだけで、もう僕ら程度のゴルファーにはあり得ないショットになります。いえ、そもそもSWでフルに振っても届かないし。こういう異次元の光景を次々と目撃すると何か自分まで少しうまくなったような気がするものです。けっしてそういうことはないのですが・・・。
大会を制したのはサングラスであんちゃん風のデュバルでした。よくあれでコントロールできるなと思うほどの極端なフックグリップで強烈に飛ばしていました。その彼が翌2002年はスイングが滅茶苦茶になってランキング80位ぐらいまで一気に落ちた。最近少し盛り返したと聞きますが、あそこまで一旦落ちての話だから復活ではないでしょう。ああいう個性的なフォームだと維持するのも大変ということなんでしょう、思えばあの全英が彼の最初で最後の輝きだったわけですが、ゴルフというのは怖いゲームです。
たしかその前後で二人は日本に来て太平洋クラブ御殿場コースのマッチプレーで組み、デュバルはボロボロだったが18番でウッズが驚異のチップイン・イーグルを決めて勝ったのでした。あれはTVで見ていて唖然でした。彼が打ったあのグリーンサイドの箇所には記念のプレートが埋められています。そこに立って構えてみるとやや左下がりぎみの打ち上げ!で、100発打ってもまず入らんだろうなあと思うような所であります。
ウッズは父親がスパルタ英才教育で育てた天才です。ゲーム中にどんなアクシデントがあっても動じないようにと池に突き落とされたり、打つ瞬間に耳の後ろでパンと手をたたかれた。星 飛雄馬のゴルフ版という感じです。人間味のある顔つきと、精密機械のようなショットのアンバランスが面白かったですね。有色のマイノリティが伝統的白人世界の帝王となり、バラク・オバマの登場に道を開いたとさえ僕は思っています。
あれからウッズは日の出の勢いで無敵街道を驀進します。彼に勝てる者はもう出ないのではと誰もが思った。だから先日その彼が82を叩いたというニュースを見てしまって、悲しいというか、信じたくないというか、ひとつの時代が終わったんだとため息が出るばかりです。82ははっきりいって当時の僕らですらあんまりうれしくない、79以下=うれしい、80=悔しい、81=今日はもういいや、82=あっそう、というスコアです。僕らが120を叩いたぐらいのショックと推察いたします。
できれば、頑張って復活してほしいと切に思います。世紀の天才があんなことで終わったなどというのはどうも・・・天才に何でも許されるわけではないですが、天才であり続けるコストも高いのだろう、気の毒だなという気持ちもあるのです。しかし、あの彼のショットを思い出すと、頑張ってああなれるという水準の話でないこともよくわかってしまいます。悲しいことです。
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僕のゴルフ修得法
2014 DEC 31 1:01:00 am by 東 賢太郎
今年はついにゴルフをしなかった。社会に出て初めてのことだ。年間100ラウンド時代もあった僕として異例のことだし営業用に家内が代打ではよろしくない。さんざん楽しませてくれたゴルフというゲームに申しわけない気がするので今年の最後にいいわけをこめて書きたい。
やらなかったのは五十肩でできなかったのが原因なのだがそれだけでもない。モチベーションがなくなってしまったことが問題だ。このところ何回やっても「100たたきの刑」だし「百獣(110)の王」だって危ないのだから。
アスリートは才能だけでできてしまう人と自分を追い込んで高みを目ざす人があると思う。古くは長嶋茂雄と王貞治だ。長嶋は送球したあとの手つきは日舞の格好が映えると考える人であり、王は今日は千回「しか」素振りができなかったと考える人である。
ホームランを打って首をかしげていたカープの前田 智徳、凡打でも納得いくのがあると語ったイチロー。かたや才能はひょっとして最高クラスだったかと思う元木 大介。彼が王さんみたいな性格だったらどんなすごいバッターになったか。
ゴルフ界のホープである松山英樹と石川 遼の特番で「ナイスショットと思ったのに見ると首をかしげてる。そこは自分と違う。」と語っていた遼君。そこはじゃない、そこがでしょ。だからキミはだめなんだよと言ってあげたい。才能は上かもしれないのに。
僕は松山君のファンだ。ゴールに向けて完全主義だ。空気を読まないから空気に飲まれない。自分をマシン化して他人の眼で見て追い込みながらチューニングしている。これは勝負師に肝要な資質だ。だから米ツアー優勝できたと思う。前田、イチロー型の感じがする。
僕がゴルフにのめりこんだのは負けず嫌いのせいだ。ロンドン時代に一橋大のゴルフ部だったK君がいて常に負ける。こんなもん止まった球を打つだけだろと野球部のプライドが許さない。それが起爆剤になって、勝つためにどうしたらいいかだけ研究した。もちろん一度も習わず完全自己流である。
なんで自己流なの?スポーツの技術にはマスト(M、問答無用でこうしろ)とオプショナル(O、どっちでもいいよ)がある。例えばグリップで右利きが右手を下に握る、これがMだ。反対の人は世界に一人もいない。でもウィークとストロングはOなのだ。
スタンス、膝、腰、背骨、肩、ひじ、手首、指、グリップにそれぞれMとOの2種類がある。9つのMを固めるのは、言葉の定義上からして問答無用だ。これがひとつでもできないとうまくならない。シングルぐらいはともかくプロは絶対無理である。体の固い僕は肩のMである「90度廻す」ができないのでプロは100%ありえないのだ。
それを妥協しておいて許容幅のある9つのOの加減で微調整する。それがアマチュアのゴルフの本質である。グリップのWとSは僕の場合「肩のMの調整項目」である。ところがレッスン書を見ればWが主流とMっぽく書いてある。つまりそんなものを信じていては永遠にうまくならないのである。
僕はこのM/Oを理解するまではいくら練習してもスコアが良くならなかった。当たり前だ。ショットが悪いとMまでいじったからだ。Mを1ついじると9つのOをさらにいじることになる。等比級数的に変数が増えるからスイングは確実に滅茶苦茶になるのである。変数は少ない方がいいに決まってる。9つのMを理想形に固めるのは変数を減らすことに他ならない。
僕の実感としてそれだけでシングルになると思う。ところが普通はMがいくつかできない。だからそれをOで補っていく。Oとはグリップなら「右が下以外のすべてのこと」であり、それは球筋、球質を変えるので、それをうまく使って90度廻らないことのマイナスを補正するのだ。そういう法則性は自分で実験したほうが応用がきく、だから初めから独習のほうが合理性があるというのが僕の考え方だ。
なん百ラウンドしたか知れないが、終わると何がだめだったか細かく日記に書く。次回それを直す。うまくいったらそれを書く。これは膨大なデータ集になった。一般論でない「マイ・データ集」だ。その繰り返しをしたら自然にうまくなった。自己流というのは人に習わないだけでなくそういう考え方が自己流なのであって、何事も、野球も勉強も仕事もまったく同じ方法でやった。誰でもできるので若い人にはおススメである。
要はこれは才能がない者が世の中でうまく生きてくためのティップス(秘訣)であって、ブログのあちこちに書いてきているが、「日記」こそキーポントであることは強調したい。この方法はすぐれていることが証明されている。なにせ運動オンチで器械体操は2であった僕がこんなに勝ったからだ。
優勝のうちこれはあまりチャンスの多くないトロフィーお持ち帰り分だけだ。野球も2つ。銀色のはニューヨークでプロ野球が3人いた大会でもらった最優秀選手賞、ゴルフの左から2番目は99年香港ゴルフクラブで行われた香港MTR(地鐡公団)主催外資系金融機関トーナメントで84人中のべスグロ優勝杯だ。
このころハンディ8、べスグロ75。バンカーからピンを狙って入れていた。当然べットは王様状態で負けた記憶はほとんどない。思えばこれはK君のおかげであり、人生ボロボロに負けることは決して悪いことではないのだ。若い人は大いに負け、苦杯をなめて、それを起爆剤にしてください。
そんなにうまかったのになんで100切れないの?それがとてもつらい。だからもうやりたくない。肩を廻すというM中のMができないのだから僕のはのっけからインチキゴルフなのだ。スイングは単にOの複雑な集大成であり根本的に理にかなっていない。それを回数で固めただけだから年間百ラウンドやってないと崩れてしまう。泳いでいないと死んでしまうマグロみたいなもんだ。
100たたきのゴルフをすると下手だったころのいやな記憶が蘇り、ご丁寧にそのころの悪い癖まで復活する。それも体に刻み込まれてるんだからその出現のほうがずっと理にかなっていて、ますます下手になる。困ったもんだ・・・。
一回死んだマグロなんで、どうせならば全部忘れちゃってゼロからリセットしよう。
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スコットランド独立住民投票
2014 SEP 18 22:22:16 pm by 東 賢太郎
このブログに書きました逸話で、いかにスコットランド人がイングランドを嫌いか、いやいやそれは言い過ぎだ、好きではないかがおわかりいただけるでしょうか。
ロンドン時代の最大手顧客といいますか、当時最大の日本株投資家であった某機関投資家のファンドマネージャーS氏がスコットランド人なのは有名でした。このアカウントを担当するのは当時の野村ロンドンでは代々エースの方ばかりで、いよいよ自分がその番になった時は武者震いがしたものです。
S氏に「担当になりました」とご挨拶に行くと、何か質問されましたが、ききとれません。ショックでした。ここからの売買注文は1回100億円単位にもなります。それを電話だけでやるわけですから聞き間違えたらえらいことです。スコットランド語は外国語の外国語で、Sさんとの商売は実に緊張しました。
ところが、今日たまたまあることでロンドンに電話したところ、オペレーターにつながりました。これが何を言っているかわからないのです。ゆっくりくり返してもらってもまだわからない。仕方ないのでスペルを言ってもらうのですが、例えばa for apple(アップルのa)と念押しの単語を言ってくれるのですが、その単語の方が聞き取れないという、僕にとっては衝撃的なことになったのです。
そこで詳しい友人に聞いてみると「ああ、最近はコールセンターはグラスゴーかインドですよ。それはグラスゴーにいっちゃいましたね」でした。Sさんのスコティッシュよりもっとすごい人に当たったわけでした。
スコットランド独立の是非を問う住民投票の結果ですが、明日にはいよいよわかりますね。ブックメーカーのオッズは今の所、賛成は4.33倍、反対1.22倍だそうで反対がかなり優勢のようです。スペインのカタルーニャと並んで2大イヴェントになりそうで、どちらの地も仕事やゴルフで何度も行ってますからおなじみ。とても他人事と思えません。
もし日本でもこういうことが起きたら?やるならどこだろう?考えてみるのも楽しいですね。賭け屋が出たら不謹慎と潰されそうですが。
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コダーイ 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」作品15
2014 JUN 22 18:18:27 pm by 東 賢太郎
ハンガリーに友人Kが駐在していて、スイス時代に仲間と4,5回は行っただろう。それが毎度ゴルフであり、彼の運転でペーチュという南部の街のあたりまで4時間ほどブダペストからぶっ飛ばして行く。もうクロアチアに近いところだがそこにけっこう難しい36ホールのある立派なゴルフホテルがある。ジャパニーズなんて珍しいからだろうか奴の性格の良さだろうか、Kはそこのオヤジにえらく気に入られていて番犬までなついていた。ホールインワンをやったホールのティーグラウンドわきに石碑を立ててもらっているほどだからこんな奴はそうはいない。気安くゴルフができるわけだ。それに味をしめて何回も行ったのだが金曜にチェックインして土、日で4,5ラウンドやるからまるでプロのトーナメントだ。もう20年も前のことだが、まだホール全部の景色とレイアウトや使用クラブ(番手)をはっきり覚えているところをみるといかに真剣勝負していたことか。
一度夜に4人で街へ出ようと車で向かったとき、ベンツがエンストしてしまった。えらい田舎道で人っ気どころか街灯もなく途方に暮れた。当時まだ携帯電話なんてなかったのだ。1時間ぐらいしてやっと通った車に2人が乗せてもらいガソリンスタンドまで行って何とかしてもらおうとなった。釣り帰りの気のいい若者たちであり、車内は釣果のナマズで臭かったそうだ。ホールドアップのない国で良かった。僕は残留組だった。またひたすら車内で待った。暗闇と静寂の中で凍えるほど寒かった。「こんなとこで死ぬのはかなわんね」と笑っても冗談にきこえない。1-2時間だったろうか永遠みたいに長いこと待った。後方からごうごうと地響きがしてきた。煌々とライトを放った大型トレーラーだった。遠征組の大手柄だ。スタンドで絵を描いてやっと緊急事態が通じたみたいだが、夜中によく出してくれたもんだ。ハンガリーの人はいい人なのだ。車ごと高々とした荷台に乗せられて我々は大いに快適だった。ホテルに凱旋帰還したのは朝の4時だ。Kになついている番犬が突如出現した巨大トレーラーに仰天して気弱に吠えた。
一度は上司とウイーンからブダペストまで車で行ったこともある。90年のことだ。バラトン湖で食事してなんだったか忘れたが屋台で果物を袋いっぱい買って食べながら行ったが食べきれなかった。仕事後にバルトークとコダーイのお墓詣りをさせてもらった。ハンガリーというとグーラッシュだ。パプリカのきいたビーフシチューみたいな料理でご飯があればもっといいのにといつも思う。フォアグラは地元の名産で、それとトカイワインがあれば言うことない。ハンガリーにはモンゴル由来のアジアの血が入っているそうだがどの程度だろうか。ハンガリーのHunはフン族のフンというがそうではないという説もある。ただ姓名の順番は東洋式だからアジアが残っているのかもしれない。ヤマダ・タロウと同じくリスト・フランツでありバルトーク・べラである。
コダーイ・ゾルタンの名作「ハーリ・ヤーノシュ」は同名のほら吹きオヤジが、”七つの頭の竜を退治した”、”ナポレオンに勝って捕虜とした”、”オーストリア皇帝の娘から求婚されたなどの冒険譚をたれる物語だ。ほらでも捏造でもここまで豪快だと憎めない。原曲はプロローグとエピローグを持つ4幕の劇音楽「五つの冒険」であり、そこからコダーイが6曲を選んで以下の演奏会用組曲とした。
1. 前奏曲 おとぎ話は始まる 2. ウィーンの音楽時計 3. 歌 4. 戦いとナポレオンの敗北 5. インテルメッツォ 6. 皇帝と廷臣たちの入場
第3曲、第5曲で活躍する「ツィンバロン」という打弦楽器にご注目いただきたい。グランドピアノの弦をバチでたたく原理で、そういう音がする。スイスはジュネーヴのレストランでこの楽器の名手のソロを聴いたことがあるが音も大きく感銘を受けた。
第1曲はいきなり「くしゃみ」の音まねで始まる。「聞いている者がくしゃみをすればその話は本当」というハンガリーの言い伝えだそうだ。ほら話がくしゃみで始まるのは逆説のジョークだ。第6曲の最後はバスドラムの一発で閉じる。そんな曲はこれしか知らない。ティンパニ・ソロの一発で閉じるのにドビッシー「海」があるがそれはリズムの拍節どおりに鳴る。ここでは微妙に記譜された拍節からずれて、遅らせて鳴らしている指揮者がいる。例えばセル・ジョルジ(米国名ジョージ・セル)だ。この絶妙の間、文字通りの「間ぬけ」がぜ~んぶホラでしたと聞こえるから不思議だ。これでこそ「くしゃみ」の入りと対称形になって全曲の意味がくっきりと浮き出る。
僕はこの曲がエスニック料理みたいに大好きだ。ハンガリー風味が満載。ときどき無性に食いたくなる。クラシックファンには当たり前の曲だが入門者は知らない人も多いだろう。とにかく病みつきになるほどのおいしい曲なのでぜひ6曲とも聴き込んで覚えていただきたい。ハンガリー民謡のメロディーが不思議と我々日本人の「口に合う」音楽なのだ。
僕の場合、病が嵩じて第3曲「歌」と第5曲「インテルメッツォ」をシンセで弾いてMIDI録音した。前者はヴィオラソロで始まり、練習番号1で Dの和音の上にクラリネットが第3音(f)と第7音(c)が半音下がったジャズでいうドリアンスケールの旋律を奏でる。この長調短調のぶつかりはビートルズの後期の音を連想させる。和音だけがB♭7→Gと東洋情緒あふれる変化をするがこの部分はジプシー(ロマ)音楽風であり、ブラームスのクラリネット五重奏曲を思い出す。 ロマと黒人、ジプシー音楽とジャズ。西洋音楽の周辺、エスニックなところのエッセンスがビートルズにあるというのが彼らの音楽のパワーの源泉だろう。
練習番号2。Poco piu mossoからD、C、F、G、Asus4と続く和音は、特にFが出てくるところが非常にビートルズのStg.Peppers的である。この次にホルンにフルートのトリルが絡まる部分の素晴らしい和音(Dmaj7/b→ E6・7・9→Em7)!なんていいんだろう。作りながら興奮した。この6曲にはこういう興奮箇所が満載だ。いちいち書いていたらブログ10回分になってしまう。そういうマニアがおられればいつかじっくりと喜びを分かち合いたいと思う。ともあれ、ハーリ・ヤーノシュ、旋律は平易に聞こえるが和声進行の個性は絶妙であり他の誰とも似ていない。コダーイオリジナルの天才的作品なのである。
フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン放送交響楽団
i-tuneの自作自演盤は(僕のメモリーにないものだが本物とすると)かなり味付けが濃い。劇音楽そのものだ。コダーイの愛弟子であったフリッチャイの演奏がこれに近い。例えば第4曲のトロンボーンのグリッサンドからの表情づけ、サックスのトリル。曲尾のバスドラムも見事に「間抜け」で鳴る。僕はこれをLPで大学時代に聴き込み、CD(写真)をドイツで買った。僕にとって特別な思いのある演奏であるが、これがスタンダード名曲化する前の原型の香りをたたえた名演として皆さまにも広くお薦めできる。
ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団(1961年12月28日録音、CBS)
こちらは17歳の時にバルトークを買ったらいわゆる「B面」も良かったというもの。指揮者のハンガリ―名はオルマーンディ・イェネーである。現代オケのスマートな快演として評価されているがとんでもない。欧州的な音がしており随所に懐かしい香りがある名盤である。前述「歌」の練習番号2Poco piu mossoのフルートをこんなに見事に「わかって」入念に入れている指揮者は皆無である。この曲の要である管楽器のうまさはいうに及ばずだが「インテルメッツォ」のシンフォニックな弦も格別に颯爽としている(実にかっこいいのだ)。万人のスタンダードとしてお薦めしたい。
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左肩痛とゴルフ
2014 MAY 30 11:11:53 am by 東 賢太郎
ヒアルロン酸注射4回。施術後はやや良くなるものの、痛みは止みません。
とにかく痛い。腕がある角度になると骨の奥の方?でズキッ!と鈍い痛みが走ります。鈍いといってもほぼ激痛のレベルで、鋭くはないという意味であって、じわっと残るいやな感じです。腹痛があると血の気が引いて何もできる状態でなくなりますが、これも一発で戦意喪失です。まず寝返りが打てません、これは参ります。ベルトが締められず、シャツを脱ぐのに一苦労です。カバンが持てず、右手で持ちますが歩くとき手を振れません。電車のつり革につかまれません。雑踏で人にぶつかるのは恐怖です。
普通の五十肩は運動不足でなるのですが、僕の場合シャドーピッチングで動かし過ぎてなったのでちょっと違う感じがします。たぶん高校2年で肩を壊した時と同じことが起きていると思います。これは治るのを待つしかない感じです。あの時は右でしたが球を放る一瞬にビリっときました。3か月ぐらい球が投げられず大会を棒にふり、治ってもそれ以後は球威、球速はイメージで1、2割は落ちました。痛みはとれても運動には支障が残ります。
ということで、この齢でのことなのでもうゴルフはあきらめなくてはならないだろうと覚悟しました。スイングのトップがまさに激痛の走る姿勢なので仕方がないです。それでも後悔はありません。ゴルフというゲームには本当に素晴らしい経験と思い出を一生分、数えきれないほどいただきました。今でも一番好きなスポーツは野球ですが、野球選手としていい思い出は少なくて、それはゴルフの方がずっと多かったです。
トム・ワトソンの「私の履歴書」が日経に連載中ですが、清清と書かれていて彼のすばらしい人柄がしのばれます。あそこまで行った人はジャック・ニクラウスのように引退する、アーノルド・パーマーのようにまだ戦えると信じると2通りあるそうですね。名前がヒガシで斜陽が好きでない僕は二クラウスを尊敬してしまうタイプです。僕の仕事に引退はなく生涯現役でいられるのは幸せです。どうせ老人ゴルフなら敵も飛ばなくなる70歳からまたやっても同じ。その時間は仕事に打ち込めという神のお告げと信じます。
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スッポンとフォークボール
2014 MAY 4 21:21:52 pm by 東 賢太郎
自分はホールインワンとノーヒッターにいつも憧れてました。
ホールインワンはまだありません。海外にいたころはゴルフに熱中し、香港ではほぼ毎土日やってましたから年間100ラウンド近くでした。そのころハンディも8までいったので、決して下手ではなかったと思います。しかしながら、一緒に回ったずっと下手な人がやったのに僕は一度もできてません。ピンに当たったとか10cm手前で止まったとか、惜しいのは何度もあるのに。
千葉でやった時のことです。170ヤードぐらいのショートホールで、グリーンわきにある池から黒い物が出てきてグリーンに登ってのそのそ動きだしました。
「キャディーさん、あれなに?」
「ああ、スッポンのポンちゃんね。よく出るんです。だいじょうぶですよ。」
それはピンの1mぐらい左で止まると、じっと動かなくなってしまいました。
「そうですね、グリーンは右傾斜だから、あのスッポンめがけて打ってください。」
とキャディーさんの明快なご指示。
「 OK! 」
と打った僕の球はいつになく快心のショット。グリーンに乗ってコロコロところがり、ポンちゃんに命中してピタッと止まったのです。全員爆笑。
「キャディーさん、次は穴めがけて打てと言って下さいね」
動揺があった僕はその1mをはずし、八つ当たりでまだグリーンわきにいたポンちゃんを追っかけました。池に飛び込んだポチャーンがやけにいい音でした。
ノーヒッターは一度あります、というか、誰も気がついてくれなかったのであったつもりになってます。82年ニューヨーク日本人会の野球大会2回戦で三菱商事に5回までノーヒット7奪三振でした。絶好調でこれはいけるかもと思ったところが、こういう時に限って?味方打線が爆発して5回で10対0となり、いやな予感。するとアメリカ人の主審がでっかい声で「コールドゲーム!」のご宣託。ちょっと待ってよ、もう少しやろうよ・・・ガックリでした。
惜しかったのは野村證券の野球大会です。僕は梅田支店の新人、相手は優勝候補の和歌山支店でした。名門広島商業で阪神の山本 和行の1年上のエースだったYさんが押しも押されぬエースでしたが、試合前にキャッチボールをして「東、今日はお前先発」と僕に球をくれてご自身は捕手に回りました。ところが軟球に慣れてなくてカーブがぜんぜん曲がりません。
「先輩だめです」
というと、
「これでいけ」
と握りを教えてくれたのはフォークボールでした。人生、フォークは初投げでしたが、やはり甲子園レベルの人は凄くてリードどおり投げたら1対0の1安打完封勝ちでした。これが人生で一番惜しいゲームでしたが試合中はYさんがおっかなくてそんなこと知る由もなし。
「あのポテンヒット、惜しかったわな」
「えっあれだけだったですか?」
「そうなんよ」
「直球、何キロぐらいでしたか」
「まっ、115kmぐらいやな」
という有難いプロのお言葉からして現役時代は120kmちょっとぐらいだったと推察されます(測ったことなし)。肩とヒジを両方壊して115は満足しないと。この試合、落ちがあって、この翌週末の2回戦、新人は研修で東京でしたが支店長から研修部に「試合があるから東を大阪に帰せ」と電話が入って騒ぎになりました。さすがに帰してもらえませんでしたが以後、新人でいじめられていた支店の風向きが変わり、少しだけでかい顔ができるようになったという効果がありました。やっぱり芸は身を助けます。瞬間芸だったフォークはその後投げることはなく、人生でこの試合だけでした。
ゴルフ用メガネ?
2013 NOV 28 10:10:56 am by 東 賢太郎
先日出張先で時間があったので「パソコンらくらく君」なるレンズをいれたブルーライト遮断用メガネをつくった。これが老眼鏡にもなりすこぶるよろしい。フレームも航空機に使用する新素材で、軽くて楽だ。最近乱視が進んで読書がちょっとおっくうになっていたが、これで一気に以前のようにらくらく本や新聞が読めるようになった。
ついでながら、その前日にやったゴルフで寄せとパットが絶不調で、腕のことは棚に上げて視力のせいにしていたところ、同行のN先生が「それにいいメガネがありますよ」と教えてくれた。芝生の緑色に白いボールがくっきりと見えるらしい。じゃあ試しにと、そっちもつくってみたのも一緒に宅急便で届いた。
用途が用途なのでこっちはあまり期待していなかったが、かけてみて驚いた。世界がきれいに見える!樹木の葉っぱが鮮やかに見えるのだ。妻に見せると全部オレンジ色がかって見える、変だ、と言うが、色弱の僕としては、ひょっとして世の中は本来こうだったんじゃないかと思うぐらいすべての色が違っている。新鮮だ。もちろんそれで新たな色が識別できるようになるわけではないし街の女性がキレイに見えるわけでもない。だが視覚は毎日の気分を変える、大事だなあと思った次第。
視力のせいで見えないとだんだん見ようとしなくなる。するとだんだん、脳に「見なくて当然」という言いわけをする癖がつくらしい。視覚から人間がおおざっぱになってくる。集中力が落ちる。だから知らないうちにQOLが低下してしまう。ボケる。どなたもすべてに緻密ということはないだろうが自分もそうだ。緻密なところとそうでないところがある。ただその落差は、たぶん普通より相当おおきい。そうでないところはいいが・・・・
このメガネでゴルフのスコアがどうなるかはまだ試してない。
(追記、16年1月22日)
さて、そのメガネで何度かやってみたが、これがなかなかうまくいく。というより、ほんとんどクラブを握ってない中できっとひどいだろうと覚悟してスタートすると意外にそうでもない。それがメガネのせいかどうかはわからない。というのは、上がった時にはメガネのことなどきれいに忘れていて、単に俺はやっぱりゴルフは才能があるんだと思いこんでるからだ。
というのは僭越ながらそれなりのわけがある。
イギリスでお遊びでショートホールのニアピンをやってプロに勝ったことがあるからだ。もちろんまぐれだ。お前の打ち方はここが悪いとそのプロにティーグラウンドの素振りを直されて、その通り打っただけだ。そしたらピンの右1.5mについた。次に打ったプロは2mについた。僕の勝ちだ。プロは肩をすぼめてみせて握手してくれ、グリーンにトコトコと歩いて行って僕の球を拾った。何をするのかと思ったらマジックペンでサインしてくれてまた元のところに置いた。彼が先にパットしてはずし、そして、なんのことない僕もはずした。この彼はその辺のレッスンプロじゃない。メジャー大会を9回制覇したゲーリー・プレーヤーだ。
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