Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ゴルフ

いつかはクラウン、そろそろゼクシオ

2013 NOV 4 20:20:49 pm by 東 賢太郎

今日はロッテの皆吉台カントリー倶楽部でオーナーの重光会長と遊ばせていただきました。扶余以来だったのでいい運動しました。プロ野球のオーナーというのはお立場上、賭け事厳禁なんですね。だからオリンピック(グリーン上のちょっとしたお遊び)も何もなし。昔の僕なら張り合いがないところですが、最近はそのほうがいいかなと思うようになってきました(人間が熟成したわけではない。負けるからです)。今日はほぼおニュー(2回目)のクラブセットでチャレンジしましたが49,46。まあ最近の定位置でありよしとしましょう。

どうも本当に下手になってきていて、一時愛用していたミズノのアイアン(福嶋 晃子モデル)がいよいよ打てなくなりました。なぜ愛用したかというと、シンプルかつ明快に、見栄ですね。顔がプロっぽくていいんです。ちょっとうまい奴にこれ難しそうですね~などといわれると、そうだろ~と気持ちいいわけです。芯を食わないとぜんぜん飛ばない緊張感もかえってプラスでした。それが、緊張したって何したってちっとも真芯に当たらない今日この頃となると、どうにもならないのです。そこで以前に貸しクラブでいいと思ったキャロウエーを買いにいったのですが、いざ試打するとなぜかしっくりこないわけです。そこで店長、ご不満でしょうがそろそろ・・・・しずしずと出してきたゼクシオ。おい、そんなおじさんクラブ出すなよ~。言いかけたものの、かなり昔の「いつかはクラウン」というトヨタのCMをふと思い出し、「そろそろゼクシオ」、ありかなと妥協しました。

悔しいがやっぱり楽なんです。英語だとforgiving(許してくれちゃう)といいますが、少々先っぽに当たってもそこそこ持っていってくれそうで思わず「いいね」サインが出てしまいます。そこで勢いづいた店長の口車?にのって、どうせオジサンするならユーティリティーもいっちゃいましょうよなんていうことになってしまったのです。19度と23度も買ってしまいました。「アイアンは3,4,5を抜いてこれ2本で」「あっそう」という感じで。試打は良かったんですが、今日打ってみるとどうも距離が合いません。3本を2本で代用なんて、それって、どうせミスなんだから3本いらんだろうということだったんかなあ?そういうことを考え出すと今度はショートアイアンが当たらなくなってきました。距離も方向もだめ。すると今度はグリーン周りでSWをザックリ・・・・。

でもワタシたちもゼクシオなんですよぉいいですよぉ。もう良すぎちゃって手放せません!」

哀れに思ったのかプロであるキャディーさんたちがやさしくなぐさめてくれます。彼女たちが女神に見えましたね。わかんなくなってしまったのでフェアウエー歩きながらゴルフの話はしない。

「ロッテの選手でゴルフ一番うまいの誰?」「里崎さんかしら・・・」「いくつぐらい?」「80ちょっと」「たいしたことないね」「でもワタシは福浦さんのスイングいい感じでしたょ、飛びますし」「そうかあいつ柔らかくてうまそうだね」「でもデカいですね、野球選手のみなさん。すぐわかりますよ、こんなです。」

なんていう他愛ない会話なぞで迷いをごまかしておりましたが、困りました、迷ってます、正直のところ。もう一回きたえなおして福島晃子に帰るか、オジサン道を邁進するか。人生の転機を迎えています。今日良かったのはどうせ曲がるだろとなめていたドライバーの方でした(もちろんこれもゼクシオ)。全然曲がらない。これを曲げられたら上級者だぞという出来。本邦製造業の、いやオジサン道の粋を見ました。それからロイコレ(ロイヤル・コレクションなるメーカー)のスプーン。すごく惚れて買ってやっぱりだめだと捨て置いていたやつ。なんだ、これめちゃくちゃいいじゃん(キャディーさん失笑)。そしてオールドモデルのバーゲンで5000円で買った新品のクリーヴランドのパター。長めのがぱたぱた入るじゃないですか。「5000円にしちゃあいいじゃない」と皆さん。誰も僕の技術はほめない。困りました。楽しかったけど、ゴルフがわけわからなくなって帰ってきました。

若者は空気なんか読むな

2013 JUL 22 20:20:14 pm by 東 賢太郎

海外でゴルフをすると、コースによって「マーシャル」というのがいてとてもうるさいというご経験のある方もいらっしゃるでしょう。僕は香港時代に香港ゴルフクラブ(粉嶺)のメンバーでした。1889年に英国人が設立した名門クラブで、今年の全英オープンの舞台でその歴史を謳われるミュアフィールドでも設立は1891年です。

ここは万事英国流で、18ホールの途中に3か所タイム・キーパーがいてプレー時間に厳しいので有名です。スタート時刻からそこまで何分と決まっていて、たしか3分遅れでイエローカード(警告)、5分でレッドカード(除名だったかとにかくそれに近いペナルティー)が宣告され、目立って遅いプレーヤーにはマーシャルという見回りがやってきてその場で宣告されます。ハンディ20ぐらいではないと楽しめないペースというイメージでした。

今回のオープン、3日目の17番ホールで松山英樹がスロープレーで1打罰を受けました。納得できないと言っていましたがゴルフは本来プロもアマもなくそういうものだということを覚えないといけません。その17番もクラブを振れる振れない(結局振れた)をゴタゴタやっていてあれを取られた。それもいかんですがそもそもラフに打ち込んだのがいかんと思わないと。ショックだったようで18番はボギー。2打損しました。

しかし立派だったのはそれを最終日に引きずらなかったことです。久々に気持ちの強い若者を見たと思いました。日本人初のメジャー2大会10位以内、これは本当にすごい。選挙のせいもあって国内であまり騒がれてないのがまたいいですね。彼は記者対応がぶっきらぼうでマスコミうけが良くないそうですが、世界で真剣勝負している者が女子アナのくだらない質問などにまじめに答えようもないでしょう。空気を読んでマスコミにうける必要などさらさらありません。まして力もないのに甘やかされてCMなんかにチャラチャラ出ていれば世の中を勘違いして没落するのも当然です。

16年海外の金融最前線で仕事をしてきて、空気を読んだりする者が世界で戦って勝てるはずがないと僕は断言します。読んで何がしかの意味があるのは日本村の中だけです。それは付和雷同であって外国では尊敬はおろか好感もされません。どうすればいいかは簡単なことで、日本人は日本人らしく謙虚であればいいのです。ただし、「自分」というものがない謙虚はただの卑屈(slavishness)にとられます。主語を省く言語習慣のある日本人は「自分」を抑える癖がついています。自分がないことを平常とするから付和雷同(空気読む)が安心となる。だからたいがいの空気を読む者は卑屈に見られるのが怖くて謙虚になれません。虚勢を張ったりする。本当の意味で謙虚になれる者は真に強い者だけです。

松山は強いゴルフができるように思います。謙虚な人になって世界で尊敬され、メジャーのトロフィーを手にできる逸材ではないかと期待いたします。

 

若者は空気なんか読むな(2)

(追記、8Oct 2017)

本稿を書いた4年間の時点では彼が世界ランク第3位のゴルファーにまでなろうとは思わなかったが、「空気を読まない」という片鱗はあったということだ。ぜひメジャーをと願うしかない。テニスの錦織圭が最高第4位で現在14位だが、この二人は歴史を変えた。

世にはゴルフという魔物が棲む(4)

2013 JUL 20 1:01:57 am by 東 賢太郎

いま全英オープンが開催されています。今年の主催地ミュアフィールドというと、ちょっとした思い出があります。

ロンドンに6年間住んで良かったと思う一つはやはりゴルフです。ちっとも上達はしなかったですが、うまくならない故に入れ込んでいた時期があってイングランド、スコットランド、ウエールズ、アイルランド各地の名門コースはいろいろプレーさせてもらいました。しかし、いくら事前に申し込んでもメンバー同伴でないとできないのが2つ、サニングデールとこのミュアフィールドでした。

100836_photo_0188年だったように記憶してますが、1歳の長女と妻とでスコットランドのグレンイーグルス・ホテル(右)に泊まりました。もちろん目的はそこの名門コースでプレーすること。家内にはホテルのショッピングアーケードで買い物をしていてもらい、僕は一人でコースへ。すると同じような独り者か夫婦のプレーヤーと組まされ、フォーサムで回れるのです。当時はひどいフック病で名門コースにてこずりました。独り物のアメリカ人が親切にその矯正方法を教えてくれましたっけ。こういうゴルフはとてもいいものです。

さて翌日です。できないと聞いていたミュアフィールドに未練があり、フロントのお姉さんに電話してもらうとやはり答えはNOでした。世の中そう甘くないんです。しかしダメもとでチャレンジはしてみるもので、隣にガレンというこれも名門コースがありそこなら予約を取ってあげますよと言われたのです。断る理由などありません。すぐにお願いし、さっそく(これも女房子供はホテルにおいて)車でガレンへ向かったのでした。思えばひどい父親でございました。エジンバラを超える道のりはけっこう遠かったです。吹きっ晒しのリンクスで、確かにミュアフィールドのお隣のコースだから雰囲気も似ている感じでした。風景はあまり覚えてませんがどうやらこういうところだったようです。

ここでは独り者プレーヤーは僕だけのようでした。気のおけない同志のメンバーがのんびりプレーしている雰囲気で、本当に一人でティーオフしていいの?とスターターのオジサンに眼で尋ねると、ぜんぜんOK早くいけいけ、と手で答える。優雅なもんでした。たしか3番あたりでパー3だったのか前がつかえていて、一人の僕は前3人組に追いついてしまいました。すると3人がそろって手招きで来い来いをします。一緒にやろうやということです。男2人、女1人で40代後半ぐらいだったですか。当時こっちは33ですからえらい年上に見えました。なにせ「地主」ですからアドバイスはいちいち適確で、ラフに打ち込むと3人が延々と真剣に僕のボールを探してくれます。後ろが来ているからもういいと言うとおじさんが後方を一瞥。「ああ、あいつらはトモダチさ。30分待たしときゃいいんだよ」などと泣かせることを言ってくれます。

「ジャパニーズはゴルフが好きだな、いっぱい知ってるよ、ゴルフはスコットランドの誇りだ、うれしいね」おじさんもおばさんも大歓迎してくれているんです。スコットランドのアクセントはわかりにくいのですが誠意に応えてこちらも真剣に聴きとって答えます。「いえ、実はミュアフィールでやりたかったんですがダメでここならできると言われて・・・・」つい正直に言ってしまい気を悪くされたか、と思いきや「あんたはラッキーだね、ガレンのが古くて歴史があるんだよ」と誇りと威厳をこめてひとこと。たしかに伝統を感じるすばらしいリンクスでした。

和気あいあいで最後のホールに近づいたとき「ところであんた家はどこ、トーキョーか?」ときました。ここで「いえロンドンです。今はホリデーなんです。」と気軽に答えた僕は、トラの尾を踏んでいることに全然気づいてもいませんでした。3人の態度がどうも冷たくなり、このホールは右がOBで・・・の親身のガイドは消え、ボールも探してくれません。いったいどうしたんだと戸惑っていると、

Holiday?  We call it VACATION here.

この言葉、ガツンと脳天に衝撃でした。ついに入試で世界史を選択しなかった僕でも状況を悟りました。そう、イングランドは敵国、大嫌いなんですね。僕はゴルフ好きの無害な日本人ツーリストと思われていたのです。この経験は痛烈でした。だからミュアフィールドと聞くとこの一件がついつい頭に浮かんでしまいます。後に野村香港の社長として僕はスコットランド人で年上の大物株式営業ヘッドを雇いましたが、すぐにこの話は彼お気に入りのジョークネタになりました。

これで思い出したのが大阪は野村證券梅田支店時代、同じぐらい衝撃的だったこの言葉です。

にいちゃん、それ 「きつねそば」 ちゃうで、うちら 「たぬき」 いいまんねん

きつねが出てきて文句を言ったら横から大声で教えてくれた大阪のオッチャン。これはとても奥の深いグローバルな教えだったんですね。518rCj-7MeL__SL500_AA300_

 

 

 

 

 

 

 

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ゴルフ場でのお話

 

世にはゴルフという魔物が棲む(3)

2013 FEB 22 18:18:20 pm by 東 賢太郎

キチガイの中のキチガイ

僕は雨が降ろうが槍(やり)が降ろうが、絶対に今日はやめようと言わないキチガイとして有名でした。イギリスでは雨などはのっけから無視。みぞれの日も雪の日もカラーボールで2ラウンドやる。夏は日が長いのだからどんなに暑くてもできれば3ラウンドはやりたい。ゲーム類はヘビ、カニ、キコリにサオイチ、スナイチ、ピンポンパンからオトモダチ、ラスベガス、オリンピック、プッシュまでぜ~んぶ「あり」。運悪く僕の部下になってしまった大勢の方々には本当にご多忙のところご迷惑をおかけいたし、おつきあい頂いたことにこの場を借りて深く御礼を申し上げなくてはなりません。

フランクフルトでは零下5度でもやり、カチカチに凍った地面にティーが刺さらないのでトンカチで打ちこみました。香港では気温33度、湿度99%などという灼熱地獄かサウナかという日でもとにかく毎土日やり、2年半で1度もリタイアしたことがありません。シンガポールで1度だけ気絶しそうに暑い日があり、終了後にプレー内容の記憶があまりないという稀有な体験をしましたが、それでもホールアウトは果たしたのです。

ロイヤル・ダブリン・ゴルフ・クラブ

golf_clubあれはアイルランドの名門コースであるロイヤル・ダブリンでのことです。キチガイ同志だった友人A氏と2人でした。その日は朝から暴風雨で、横殴りの雨がレンタカーのボディを揺さぶるぐらい強烈な荒れ模様。さすがにコースもクローズかなと行ってみると、なんと受け付けは開いていて、スタートできるかどうかプロショップで確認しろと言います。アイルランドはゴルフが国民的スポーツです。空港のパスポートコントロールで「旅行目的は」と聞かれたら「to play golf」と答えてください。笑顔で5秒で通してくれます。だからでしょうか、こんな天気なのにクローズと言わないところがめっぽう気に入りました。

喜び勇んでプロショップへ行くと、おじさんが「ホントにやりたいの?」と、やや疑わしげにききます。「オフ・コース」と言いのける僕らの意志が固いとみると、「それなら安全のためにひとつだけ条件がある」ときました。彼はやおら店の品物を何品か揃えだし、「これを全部買って身につけること。それなら行かせてあげるよ。」ということになりました。全部でたしか80ポンドぐらい(当時2万円弱)してグリーンフィーより高かったと思います。アイルランドの名誉のためことわっておきますと、これ、ほかの国なら99%そうなる「いいカモが来た、商売してやろう」という風情では全くありません。そこまでゴルフが好きな日本人がわざわざ我が国に来てくれた、なんとか思いを遂げさせてあげたいという善意です。空港だけではないのです。アイルランドでゴルフをやると、そこかしこでこういうhospitalityに出会い、心が温まりました。

アイルランド・スペシャル

さて、彼が用意してくれたもの。それはこういう天気でもやる人を想定したスペシャルギアです。「防水服」、「防水ズボン」、これはまあいい。感動したのは 「風で飛ばない帽子」、「オチョコにならない傘」です。蛇の道は蛇(へび)と言いますが、へびは我々だけではないんだと、これを見てますますこの国が好きになりました。しかし何よりの極めつけは「雨よけゴーグル」です。帽子のつばの下からにょきっと突き出る、お世辞にも格好の良くないセルロイド製の物体でした。ところがこれ、装着してみると、目だけ雨宿りの軒下に入ったというか、部屋の中から外の雨景色を他人事のように傍観しているというか、一種奇妙な心境になります。それ以来どこの国でも一度もお目にかかっていない、まさに蛇の道の秘密兵器とも呼べるものでした。

このゴーグルはちょっと不安だった我々を鬼に金棒の気分にしてコースに送り出してくれました。モーツァルトのオペラ「魔笛」で、夜の女王から魔法の笛(魔笛ですね、いわゆる)と魔法の鈴をもらったタミーノ君とパパゲーノ君みたいでした。「こんな日にゴルフ場に来る人なんて俺たち以外にいるわけないよね」と有頂天になってコースに向かったのでした。たしかに、見渡す限り人っ子一人おらず、今日はゴルフ場独り占めだぜ~と雨を降らせてくれた天に感謝したものです。

魔笛破れたり

真横に降る豪雨と暴風の中を勇んで1番ホールのティーグラウンドに立った我々がまず直面したのは、風で耳がゴーっという間断なき轟音にふさがれてしまい、いくら大声でどなっても相手の言うことがぜんぜん聞こえないという未知との遭遇でした。しかし、だんだんわかってくるのですが、そんなのはまだかわいいもので、実はこの日の数々の未体験ハプニングの単なる序曲にすぎなかったのです。

まず、向かい風になるとさすがのゴーグルも魔法が効かず、吹き付ける雨でメガネは高速ワイパーが必要な状態になります。グリーン上は水たまりがあると強打しても1メートルしか行かず、かと思えば、風で打つ前に2~3メートルもころがってせっかく乗ったグリーンからこぼれてしまいます。不意に突風を食らって人生初めてショートアイアンを空振りしました。袖や首から服にしみこむ雨が凍ってきている?のか体ごと凍傷になりそうで、気がつくと両手の指の感覚をほぼ喪失していました。

おじさん自慢の「風で飛ばない帽子」が天高く軽々と舞い上がり、「オチョコにならない傘」が修復を試みる意欲を喪失させるほどビューティフルに裏返ったときです、僕らの闘争心がついに萎えはじめたのは。5番ホール、渾身の力をこめて振った第2打でした。かじかんだ僕の手をすっぽぬけた5番アイアンはチョロだったボールよりはるか遠くへ高々と飛んで行き、その行方をじっと確認した僕たちはついに続行を断念する思いに駆られたのです。結局、最後まで無事だったのは「雨よけゴーグル」だけでした。

びっくりの結末

5番ホールはクラブハウスとは遠いところでした。ゴルフコースというのは球を打たないで歩くには実に退屈な散歩道です。コースガイドで近道を探し、右だ左だとさ迷い歩きながら、プレーに夢中で忘れていた寒さは30分立ち止まったら凍死しそうなレベルであることに気がついてきました。お互いずぶ濡れの泥だらけ姿にザンバラ髪から水滴をしたたらせ、落ち武者だねと笑いながらなんとかクラブハウスに帰還し、がっちりと握手を交わしました。

やれやれと目の前のドアをバーンと開けると、薄暗い空間から葉巻とおぼしき煙がプーンとたちこめてきて、そこはどうやらバーのようだということがわかりました。とにかくストーヴの火が恋しかったので我々は見境いもなく、ゴルフバッグをかついだまま勇んでそこに飛び込みました。すると目の前に広がった光景に圧倒されたのです。なんとしたことか、いつどこからこんなに人が出てきたんだとびっくりするぐらい大勢のメンバーさんたちが、もくもくの煙の中でビール片手にわいわいやっているではないですか。

しかし、もっとびっくりしたのは彼らの方です。手前のダンナが僕らをじっと見据えると、大声で、

「おーい、みんな見ろ、こいつらやってたんだ!」

「おー、お前ら、すごい勇気だ」

「ヒューヒュー(口笛)」

僕らの蛮勇?を称える歓声がにわかにわき起こり、ウォーという怒涛のような声とともに全員が起立。いわゆるひとつのスタンディング・オベーションによる大拍手となってしまいました。

 

日本人のイメージがよくなったかどうか自信はありませんが、少なくとも、僕らのキチガイぶりは立派にグローバルに通用するものだということが証明された、まさしく未体験の瞬間でございました。

 

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世にはゴルフという魔物が棲む(4)

 

 

 

世にはゴルフという魔物が棲む(2)

2013 FEB 21 12:12:58 pm by 東 賢太郎

悲惨だったゴルフ初体験

初めてやったのはサラリーマン1年目です。「止まった球なんて」とちょっとなめていて、クラブを買って素振りもせずにいきなりコンペに出ました。あがってみると126で、これがいいのか悪いのか、それもわかっていませんでした。短いショートホールを5番アイアンで思い切り打ったらゴロで乗り、それがニアピン賞だったというハプニングで結構どうだなどと勘違いしてましたから、お先は暗いものだったのです。

イギリスでの苦行

ロンドンへ行ってから回数は重ねましたが、人並みになるまでには人並み以上に苦労しました。どうしてかというと野球打ちなので腰が開く癖があり、「どスライス」になるのです。当時のパーシモンのドライバーというのはコスると大曲がりする代物で、右隣のフェアウエーに向けてブーメランみたいに曲がっていきます。探しに行ってみるとご丁寧にそっちのホールでぎりぎりOBでしたなんていう間抜けなこともおきました。

イギリスのコースはラフが深く、ススキみたいな固い草がヒザあたりまで生えています。これが大敵で10ヤードぐらい奥に入るとまず1打では出ません。天候は夏はいいのですが、冬は寒くて雨が多く、それでもイギリスでは皆がバッグを肩にかついで2ラウンド平気でやります。地面は湿ってドロドロ、ズブズブなのでトロリーを引っ張るよりかついだ方が楽なのです。自分が打った衝撃で飛び散った泥を全身にかぶり、メガネの前が見えなくなります。靴はもちろんズボンの裾まで泥だらけで氷のように冷たい。ホカロンがなかったので手はかじかんでほとんど感覚がなくなりました。

真冬ですと午後4時までにはもう真っ暗になり、疲れ切ってクラブハウスにたどり着きます。ストーブにあたってバーで飲むビールは最高で、いやーご苦労さんカンパイ!とまるで一仕事終えた赤ちょうちんというムードです。スコアがどうの以前に、お互い無事に生還したことを祝おうという感じです。戦った相手はパートナーではなく「自然」なのです。この感じはスポーツというより登山に近いのではないでしょうか。

ロイヤル・セントジョージス

St-Georges-14bunkersでは夏は楽かというとそうでもありません。Royal St. George’sという名門コースがあります。ドーバーの近くで、サンドイッチ発祥の地らしく「Sandwich」とも呼ばれています。2011年の全英オープンの舞台となったこのリンクス・コースに友人と2人で挑んだのは夏でした。写真のように、クレーターみたいなバンカーが待ち受け、ぱっと見で月面みたいだなと思いました。

その日は晴れでしたが強風でした。なんとパー3をドライバーで打って届きません。ラフとバンカーにつかまり脱出に4-5発打ちます。ティーグラウンドに立つと360度一面のヒース(ススキみたいな草)でフェアウエーがありません!前の人が打ったディボット(穴ぼこ)から方向を推察して打ちました。これが1ラウンド目。散々な目にあって懲りたので、2ラウンド目は仕方なくそれぞれキャディーをつけました。

これが中学生ぐらいの小生意気なガキで、僕が下手くそと見るや100ヤードぐらいを5番で打てなどとクラブを押し付けてきます。ところが打ってみると風で押し戻されてそれが正しい。パットのラインも、笑ってしまうぐらいとんでもない所へ打てといいます。嘘だろうと打ってみると、すごいスネークラインでそれが正しいのです。それにしてもやけに真剣に教えてくれて、パットを外すと一緒に悔しがる。「なんでだ?」ときいたら「I’m betting on you.」ときました。コイツら僕と友人にそれぞれ賭けていたのです。利害が一致する間柄をWe are in the same boat.(同じ船に乗っている)と言いますが、これぞ相手にパートナー、エクイティ・ステークホールダーになってもらうメリットなんだと体感し、ビジネスまで教わりました。

さて2ラウンドやってスコアは覚えてませんが2回ともボロボロの120ぐらい、初の難関コース+台風並みの強風という手厳しい洗礼に体も精神状態もボロボロ。36ホールよくcountry_driving_simulator_enviornment_20100128_1577969779ぞ生還したという感じで手がぶるぶる震えていました。僕の運転で帰ったのですが、頭がボーっとしていて目の焦点も合わず、うわの空で飛ばしていてはっと気がつくとラウンド・アバウト(写真のような円形の交差点)がすぐ目の前に迫っていました。100キロぐらい出ていたかもしれません。「あぶなーい」友人の悲鳴と共に車は急ブレーキでお尻を左に90度振りながら、横切る道のド真ん中に、見事に進行方向(真右)を向いてピタッと停止しました。コメディなら爆笑シーンです。車はそこそこいたのにどうしてぶつからなかったのか今も不思議です。すると、こういう時に限っていいタイミングでいるんです、お巡りさんが。彼はつかつかと寄って来て、窓をたたいて開けろといいます。アップセットしている僕はもうアウトだ免停だと思いました。するとなんとしたことか、「What are you doing here, sir?」 とキレイな英語で、忘れもしない、実に軽妙でユーモア感覚にあふれる適確なご質問が飛んできたのです。「いやーちょっとブレーキ踏むのが遅れて・・・」などとわけのわからないことをモゴモゴ言ったところ、渋滞すると思ったのか英語が通じないと思ったのか、なぜか捕まることも切符を切られることもなく尋問終了となったのでありました。やれやれ。

 

夏でも冬でも、イギリスのゴルフ場には魔物がいるのです。

 

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世にはゴルフという魔物が棲む(3)

 

 

 

 

 

 

 

世にはゴルフという魔物が棲む(1)

2013 FEB 21 1:01:40 am by 東 賢太郎

 

ゴルフは自分にあっていたかもしれないと思います。

 

僕は欧州時代に4人の仲間に恵まれました。1年先輩2人、同期が2人。社内ではあいつらはキチガイと名指しされてました。当然スクラッチ、ノータッチ。厳格なルール適用。プレー中は無言。「ナイッショッ!」とかおべっかゼロ。1~2泊し4ラウンドほどを、完全にプロのトーナメントの緊張感そのもので戦っていました。このグループでない人が他の社内コンペなんかで不幸にしてこの組に入るとビビって火だるまになり、2度と一緒にやってくれないというキチガイぶりでした。

全員が違う国の勤務だったので、例えば僕がホストの場合はチューリヒのホームコースとホテル、19番ホール以降を全部アレンジし、仲間は飛行機で金曜遅くのフライトで参集。土日に2ラウンドずつの死闘をくりひろげて日曜遅くに帰国、というパターンです。3連休で5ラウンドの方が多かったかな。これを3年ちょっとで20回ぐらいやったでしょうか。

何を血迷ってと思われて当然です。ゲームは少額を事前に拠出してウイナー・テークス・オール(優勝者総取り)とし、終了後に敗者が好きな食事をたかって結局優勝者には何も残らないという清貧なルールでした。仕事に忙殺される中、高い飛行機代、ホテル代まで払って来ているのですから賭けていたのは名誉、負けん気のみです。負けると1週間は悔しくて寝覚めが悪い。江戸の仇は長崎・・・ではないですが、チューリヒの仇はパリで、みたいになっていました。

優勝スコア(1R換算)は80前半~90前半で天候等で変わりますが、ゴルフ部出身者もいたのでそこそこの水準だったでしょう。しかし面白かったのはスコアメークではなく、プロ並みにぎらぎらした優勝争いです。全員息をひそめてじっと見守る極度の緊張状態のなか、4ラウンド目の最終ホール、「このパットを入れれば優勝!」という痺れる瞬間を体験できるなんて、なんて幸せだったでしょう。

最後の9ホールで6打差を逆転して優勝したことがあります。うれしくて眠れません。負けた方はガックリ。しかしそれも明日は我が身ですからひたすら練習するしかない。ゴルフはこうやってうまくなるんだというサンプルのようなものでした。この負けてチクショーというのがなければ、誰が穴に球を入れるだけのゲームなんかに熱中するでしょうか。負けてナンボなんです。敗者にこそ、ゴルフの魔物はささやきかけるのです。

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世にはゴルフという魔物が棲む(2)

 

 

 

ゴルフ場でのお話

2013 JAN 16 12:12:15 pm by 東 賢太郎

日本のゴルフ場というのは料亭と同じ密談の場でもある

スーツでなく普段着だからなんとなく話せることがある。風呂につかってさらっと自然に持ちかける話もある。1R終わって4人でこんな部屋でそういう話をしたりもする。

 

 

 

 

 

安倍首相はパク・クネ大統領の就任式に出るかどうか思案中らしい。オリンピック候補地のイスタンブールはワールドカップに色気が移ってきてちょっと東京にメが出てきたらしい。自民党でも所得税の最高税率70%があり得るらしい。

まあ本当かどうかはわかりませんが。

 

(追記、16年1月22日)

 

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ゴルフ用メガネ?

ゴルフの謎 (Thank you, but not for me.)

2013 JAN 14 18:18:42 pm by 東 賢太郎

趣味は?と聞かれて「広島カープ応援」と「音楽鑑賞」とは答えますが「ゴルフ」をそこに入れたことは一度もありません。ゴルフの魅力は人並みに知っているつもりなのですが・・・・。

まず僕はゴルフというものを誰かに習ったことが今もって一度もありません。完全自己流です。だから技術について語る資格は全くありません。野球打ちだねといつも言われます。ロンドン時代たくさんやって初めて100を切りましたが、若気の至りで300ヤード飛ばすことだけが生きがいでした。

僕がスコアにこだわりだしたのはスイスにいたころです。まだ結果はあまりついてきませんでしたが。右の写真は僕がメンバーだったチューリヒ郊外のシェーネンベルグ・カントリークラブです。カウベルをつけた牛がいるのどかなコースで絵のように美しく、スイスにしてはパスタがいけるので好きでした。当時、社内に好敵手が3人いたのですが各人オランダ、ハンガリー、イタリアと住んでいる国がバラバラで、順番に幹事となって年に5~6回週末にそれぞれの国で「プレジデント・カップ」(みんな現法社長だったので)と称して雌雄を決する戦いをくりひろげました。これで徹底的に鍛えられて「勝負ゴルフ」には強くなりました。ただ負けると悔しくて半分苦痛のときもありましたが。

ゴルフが初めて面白いと思ったのはその次の赴任地だった香港のころで、香港ゴルフクラブ(上)、西麗ゴルフクラブ(下)を根城として毎土日、年間100ラウンドやってましたからハンディは8.3でした。85たたくと寝覚めが悪いというのがこのレベルです。ただシングルといっても、夜布団に入って目をつぶってもゴルフボールのポチポチが見えてくるぐらい入れ込んでいただけで、おそらくどなたでもそれだけ回数をやればそのぐらいは行きます。べスグロはこの西麗GCの75(Out39、In36の3オーバー・パー)で、これを僕の人生べスグロとして子孫の励みのためにここに記しておきます。スコアメークよりは競った時に勝負に強いタイプで、香港MTR(地下鉄公司)主催の在香港金融機関トーナメントで個人優勝するなど我ながら破竹の勢いだったと思います。野村證券の世界中のいろんな社内コンペで僕以上に優勝した人もたぶんおらず、結果的に家にはトロフィーやカップがごろごろあります。

そんなに面白かったゴルフなのですが、どういうわけか去年もおととしも年に3~4回しかやっていません。要は自分から誘うことがなくなり、誘われないとやらず、誘われても行かれないことがある結果です。やってもスコアは100前後です。アベレージ80前後をキープする、つまりぎりぎりでも「シングル」でいるためには趣味も仕事も女房も捨てる必要ありといいますが、たしかに当時は仕事以外は捨てていました。そういう情熱はもう湧きません。トシなのでしょうか。もともと他人のプレーにはまったく興味がなく、ここが少年野球でも何時間でも見てしまう野球とは根本的に違います。だからマスターズなどの中継はほとんど真剣にTVを見たこともありませんし、誰が勝ったかも知りません。会員権が欲しいとも思わず、やはりゴルフは生来僕には  Thank you, but not for me.   の域を超えていないのだと痛感します。野球がないヨーロッパ、香港だったから熱中していたので、今はなくても全然困らないのですから野球への愛情とは決定的にちがうのです。どうも趣味と言うことは一度もないまま終わりそうです。

 

世にはゴルフという魔物が棲む(1)

 

今日は最高のゴルフでした

2013 JAN 13 21:21:14 pm by 東 賢太郎

今日は千葉の皆吉台カントリー倶楽部でゴルフ。初春のような好天にめぐまれ、ラッキーな一日になりました。パートナーは韓国ロッテグループの重光会長、LIXILグループの筒井副社長、スターツコーポレーションの鳴沢専務と重鎮ぞろい。お三方ともノムラ・インターナショナルPlc(野村證券のロンドン現法)時代のこわい大先輩方であり頼れるアニキです。

鳴沢さんはNRIの重鎮で同友会等人脈の広い名エコノミスト、筒井さんはJASDAQ社長もされた大経営者、重光さんはいわずと知れた年間売上5兆円の大ロッテ財閥総帥にしてプロ野球・千葉ロッテマリーンズのオーナー代行で、当ゴルフ場のオーナーでもあります。この面子がそろった1980年代後半のノムラロンドンはまさに空前絶後の黄金時代で、セントポールに近いオールド・ポストオフィスに本社移転した90年には社員は約1000人。オープニング・セレモニーの主賓にサッチャー首相をお招きしたところ先約があり、代理にと首相が送ってきた大蔵大臣がその翌日首相に指名されることになるジョン・メジャーでした。ロンドンでの日系のプレゼンスは我々が上げたと自負しており、日本企業のユーロ市場起債で英国の税収が大幅に増え、日本食レストランが激増したのがこの頃です。

当時若手だった僕は30歳前後。MBAを取って赴任し名実ともに人生最高に脂の乗り切った時期でした。当時のノムラの仕事ぶりは戦争としか言いようのないもので、毎朝6時に出社して家に帰るのは夜中の1-2時。東京からアナリストが来ると土日も出社。このメンバーのいた花形の日本株営業部門は稼ぎが悪いと人間扱いしてくれません。しかし英国のファンドマネージャーは本物の投資のプロですからこっちも勉強してプロとして認められさえすればたくさん商売してくれます。だから死に物狂いで勉強したものです。それが今の財産になっています。皆さんの想像を絶する数字でちょっと書けませんが、我々の上げた収益も半端なものではありませんでした。

ということでこのアニキたちはもう上も下もありません。戦友なのです。だから今も平気でとんでもないワガママをたくさん聞いてもらっています。尋常でないしんどさの職場でしたが、最も強い絆を残してくれるのは実は「戦場」です。若い人たちに申し上げたい。うまくいかないからとすぐ会社を移ったり楽な仕事、職場を求めて生きていくのも人生ですが、「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言います。絵に描いた餅みたいな「人脈」はいざという時におそらく何の役にも立ちませんよ。フェースブックで何千人トモダチがいても。

さてゴルフですが、最近は3ケタが定着しています。一時けっこううまい時期もあったのですがやらないと着実に下手になるという見本です。海外時代の僕のゴルフ好きは有名で、下手ですが海外の名門コースはあちこちやっています。ゴルフ好きのメンバーがいらっしゃればいろいろお話ししたいですね。

 

全英リコー女子オープン

2012 SEP 17 16:16:57 pm by 東 賢太郎

1Rは強風サスペンディッドでスコア取り消しという大変な大会でした。球が動いてパットできないのですから、あれは半端ではありません。

その結果2位がイーブンパーという異常事態になりました。しかしその中でなんと9アンダーを出した選手がいます。韓国の申ジエ選手です。全盛期のタイガー・ウッズなみのぶっちぎり優勝でした。フォームが美しく、内容も立派なゴルフでした。

僕はほとんどゴルフ中継を見ないので彼女を知らず、何を言うか楽しみでした。ところが彼女の優勝インタビューがない! いやあったでしょうが放送されない。11オーバーの藍ちゃんはあるのに。

スポンサーは日本企業だしTV局は視聴率も気になるし、放送時間がなかったかもしれません。しかし、スポーツである以上はまず何をおいても勝者をたたえるべきではないでしょうか。

これでは芸能番組と言わざるをえません。優勝者に20打も差をつけられてインタビューというのは「亀梨のホームランプロジェクト」と何も変わらない。藍ちゃんのような大事な才能をスポイルもしてしまうでしょう。

アメリカでイチローがたたえられたのは結果を出したからです。だから結果が出なくなると厳しい。これがフェアネスということです。フェアでないところにスポーツは成り立ちません。

僕はロンドンオリンピックを見ていて日本の若者はすごいな、将来頼もしいなと思いました。女子が少し目立った気もしますが男子だって草食系、チャラチャラのイメージを払拭する活躍がありました。

しかしプロになってマスコミがちやほやしだすとどうか。石川遼、斉藤祐樹がそうかどうかはともかく、「次につながるいい経験でした」と言って競技人生を終わることがないように大奮起、大ブレークしてほしいと願っています。

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