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カテゴリー: ソナーの仕事について

何かしてくれそうな人、してあげたくなる人

2019 DEC 14 20:20:17 pm by 東 賢太郎

人にはなぜか、何かしてくれそうな人、何かしてあげたくなる人がいる。なぜそうなるのかに理屈はなく、血縁とか利害関係もないのにそう感じるのだから不思議だ。すると、ごく自然に、その人とはご縁ができることになる。

「してくれそう」「してあげたくなる」は好き嫌いではない。僕は元からあまりそれがない人間で、例えば初対面の人が生理的に嫌いなどということはまずない。あるとすれば、その人がしたことが許せない、これはある。しかし嫌ったのはその人のした行為であって、典型的な「罪を憎んで人を憎まず」であり、憎むとしても「罪刑法定主義」である。その「法」はまあ僕の私情にすぎないかもしれないから要は好き嫌いでしょといわれればそうかもしれないが、法と書いてしまいたいほどに首尾一貫していると自分で思う。

すると「してくれそう」「してあげたくなる」はなんだろう?もちろん私情ではあるが、若い頃にはなかったし、そんな感情が現れだしたのはこの10年ぐらいのことだ。さらには、僕の心の内奥にそれがあって、それで人を選んだり付きあったりするようになっていることに気がついたのはごく最近である。つまり、事業を始めてそこそこ時がたって、自分に目標ができたから芽生えた新しい感情なのではないか。えっ、50になるまで目標なかったの?と恥ずかしくもあるが、やっぱりなかったのだろうと思うしかない。

その問いに答えるには、少し回り道におつきあいいただくしかない。サラリーマンというのは出世が目標だ。そうでない人もいるが、僕の場合はそうだったという所から僕のサラリーマン人生の最終章がどんなだったかということを全部さらけ出してしまおうと思う。出世は他人が決めることだ。その他人が自分より優れていると信じこめるとは限らない。気に入られるならヨイショ・マンでもホラ吹きでもなんでも構わないという大会に出場することは、僕の場合、非常に難しい何かが内面にある。それをあきらめて野村を飛び出してしまい、何が目標になったか?俺はそんな程度じゃないぞという「承認欲求」だった。だから、もっと自分の実力に対してポジティブな承認をくれそうな会社に移ろうと考えた。そう思い出した2003年頃から話は始まる。この思いは、プロ野球で何か報われなくてFA移籍する人をついつい応援してしまう気持ちとして今でもその片鱗が残っているぐらい強いものだった。

そういう気持ちの時に、たまさかみずほ証券の常務だった横尾さんとお会いした。これが人生を全面的にリセットするきっかけとなった。49才だった。そのご縁で移籍させていただく決断に至ったが、散々お世話になった野村證券には失うものも後ろ髪を引かれるものも莫大にあったし、今もって申しわけなかったという気持ちだ。昨今、外国なみに会社をかわるのが普通の感覚になってきたかもしれないが2004年当時はそうでもなく、日本最大の証券会社の本社のポスト部長だったのだから異例の部類で週刊誌ネタにもなった。

決断の時点でみずほからいただいた条件、つまり肩書や報酬は野村と大差なく確か複数年契約でもなかったから、世間一般的なキャリアアップ転職ではまったくなかった。大変失礼だが当時の客観的事実としてご理解いただきたいが、飛ぶ鳥落としていた野村からみずほ証券というのは格落ちであった。横尾さんによると当時は興銀の悲願であった株式引受業務強化が頭取命令であり、どうしても野村の株式業務の主力を引き抜きたかった。一方で、僕が喉から手が出るほど欲しかったのは「承認」「活躍の場」だったから相思相愛ではあった。ただ、面接官がそれをたった30分で僕にそう思わせた横尾さんという人でなかったら、今の僕は確実になかった。それは単なる因果関係や運命論ではない。日本の大企業ではありえない、たぶん二度とないことを僕はやってしまい、それがつつがなく収まってまだこうして生きていられることを含めてそういっている。

というのは僕はさらにとんでもないことをしでかしてしまうからだ。みずほ移籍から2年たった4月、最年少の執行役員に昇格となった。誰が見ても移籍大成功で順風満帆の出世だったろうが、僕は困っていた。そしてその半年後に、自己都合でみずほをやめてSBIに移籍してしまったのである。それには伏線があった。2004年3月に、野村を辞めるかもしれないと内々にヘッドハンターに伝え、プロ野球ならいわばFA宣言したわけだが、すると “3球団” 、みずほ証券、SBIグループ、そして三菱証券からすぐにオファーがあった。SBIの北尾さんは僕が野村をやめるらしいと噂が出る前後から強い「承認」をくださっていたようでそれがどんなに嬉しかったかは筆舌に尽くせないが、知ったのはみずほ証券にサインした3日後だった。これが前後していれば僕はそっちに行っていたかもしれない。世の中そんなものだ。仕方がない。だからどこかでSBIに行こう、行くのだろうという暗黙の約束と覚悟があったのは誰にも伝えていなかった。

そこでみずほ入社時に経営に「昇格は不要です。55才までに必ず辞めますから助っ人でお願いします。でも、僕はやることは必ずやりますので」とはっきり申し上げた。力がなくて移籍するわけじゃないですよという強い自負があったからだが、こんな事を言って移籍した人はプロ野球界にだってひとりもいないだろう。ひとえにご迷惑をかけたくなかったからではあるが、野村を辞めた時点でもうサラリーマンは卒業したという決意宣言でもあり、55才までには起業するという決心があった。そして2年間、みずほ証券のために全力で戦った。古い野球界の話だが、巨人に江川卓が入団して阪神にトレードされた小林繁が巨人戦で8連勝したようなものでモチベーションは物凄く、自分のプライドのための戦いでもあった。横尾さんにいただいた事前の「承認」が空手形でなかったことは2年間で獲得した株式引受主幹事16本の実績でお見せできたと信じるが、それでさあそろそろと思った矢先の役員昇格だったのだ。思いもよらず、本当に困ってしまった。

そうこうしているうち6月になった。北尾さんからは早く来いといわれ悩んでいたら、にわかに日本航空の2千億円の資金調達の動きが伝わり、周囲のざわざわが風雲急を告げてきた。よしこれだ、やってしまおう。もう辞めていいだろうと考えたのは、16本の主幹事を奪取して僕のやり方を優秀な120人の部下たちが十分に盗んでマスターした、もう僕がいなくてもできると確信したこともある。並みいるライバル社を蹴落としてこの巨大案件を獲得できれば皆さんに退任を快く認めてもらえるだろうと考えた。JAL案件は金額からして多国籍引受にするしかなく、その主幹事(グローバルコーディネーター、GC)を奪取すれば満点の終幕じゃないか。競技に喩えるなら、国体優勝にあたる国内主幹事すら未経験とよちよちだったみずほが、オリンピックの金メダルにあたるグローバルコーディネーターを狙おうというわけだ。やれば間違いなく世界の金融界は仰天であり、どんな経済小説やドラマより痛快でもある。僕の率いる資本市場グループがその尖兵になるのだ。こんな舞台が与えられる証券マンなんて世界のどこにもいないぞと幸運に感謝した。燃えた。

しかし、現実はそう甘くない。GCの引受手数料は巨大である。そこから2か月。斯界の両雄であった野村證券、ゴールドマンサックスとの三つ巴の激闘は壮絶で、両社は収益的にもプライドとしてもJALというメジャーなディールで新参者のみずほに負けるなど辞書に書いてない。各所の小競り合いで銀行員ばかりの部隊の経験のなさが露呈して苦戦、撤退の報告が次々に上がってくる。気ぜわしかった。小競り合いはまだ耐えられたが、株主総会にかけずその直後にローンチするなど論外のルール違反であると日経新聞の論説委員まで敵方について毎日批判記事が出る。本当にやっていいのだろうかと気持ちが揺らいだ。前線を預ってはいたが「撃ち方やめ」の権限があるわけではなく、不安になってひとり横尾さんの部屋へ行って「本当にやりますか?」ときいた。即座に「やるんだよ、やるに決まってるだろう!」と烈火のごとく怒鳴られ、腹が決まった。みずほ証券のGC獲得は社史に残るかどうかは知らないが、僕自身、証券マンとしてやった仕事として後にも先にもこんな大金星はなく、引退試合で満塁ホームランを打たせていただいた気分だ。

それはいい。やることはやった。取った。勝った。で、辞めます。これを横尾副社長の部屋へ告げに行った日はつらかった。もちろん寝耳に水である。一日考えさせてくれとおっしゃった。一日たって、また行った。受理していただいた。この時の会話は書けないが、一生忘れない。土下座したいほど申し訳ないという自責の念で一杯だったが、その気持ちの何倍も、この方は凄い、只者ではないと心底思った。そうしてみずほグループには多大なご迷惑となったが、かねてからの北尾さんとの約束を果たすため僕はSBIに移籍し、期待の表れとしてSBI証券の取締役副社長、SBIホールディングの取締役に就任とあいなった。必死で新しい業務に取り組んだが、無念なことにいろいろな理由があってそこでは結果が出せなかった。100%僕の力不足である。そうこうするうち2008年になっていた。後にリーマン・ショックにつながるサブプライム債の暴落でどこの金融機関も大損していたがみずほ証券にも4千億円の損失が出ていた。新聞には4百億円とあったが、新年のご挨拶に行ったら横尾さんに「実は4千億なんだよな」と告げられ、みずほ証券立て直しのために帰ってきてくれといわれた。役員にしたのに出て行った不届き者を役員で引き戻す。そんなことが日本を代表する金融グループでまかり通るかと耳を疑ったが、現実の話になった。「君が初めてだが、君が最後だろう」といわれた。何も仕事をしなかったのだから今度は北尾さんに申しわけないこととなりお詫びするしかない。

ということで僕は部長で1度、役員で2度、自分から会社を辞め、2010年にみずほからもういいご苦労さんが1度、つまり都合4度も大会社を辞めた。最後のは以前に宣言した55才であり心づもりの通りソナー起業に進ませてもらった。ともあれ全部が上場企業の経営職であり、辞めた理由も引き抜き、自己都合、引き戻しというユニークなものから戦力外通告にいたるまで網羅している。「退職コンサルタント」ができるぞと自嘲しつつ眺めるといかにも忠誠心がないが、戦国時代の武将だってないよと人には言っている。本音はお家・一族郎等のほうが大事。それを口に出して言えなくなったのは徳川時代に武士がサラリーマン化してからだ。忠臣蔵はもう元禄時代には忠臣がフィクション化していたから流行ったのだ。日本国の企業文化は江戸時代を400年も引きずっている。サラリーマンだって個人としては本当は自由に生きたいが弱い者は組織に所属して群れて生きるしかなく、その自嘲が毎年の川柳ネタになっているのだろう。

以上が僕のサラリーマン時代の終楽章だ。出世が目標で第3楽章まできて、終楽章でそれは消えた。代わりに来たのが承認欲求だがそれはそこそこ満たされ、今度はソナー・アドバイザーズの経営という別な曲が始まってもう9年がたっている。ここまで来てしまうとそんなもので右往左往していたあの頃は別世界の話みたいに思えてくるが、大昔の失恋が何故あんなに悔しかったんだろうと他人事みたいに風化しているのに似ている。そしていま、かわりに人生の目標になっているのが「企業の存続」に他ならない。サラリーマン時代は企業など持ってないのだからきわめて新鮮なものであり、他人の評価に翻弄されるという不快さがない実にすがすがしい日々だ。目標が違うのだから今の僕と10年前の僕とは話が合わないだろう。もはや別人なのである。

そこで新たに出てきたのが「何かしてくれそうな人」「何かしてあげたくなる人」という視点である。長年ひたってきたサラリーマンのぬくぬくとした目線がぬけ、僕もとうとう企業家になれたという話なのだ。縁というのは不思議なもので、みずほを去って以来ほとんどお目に掛かっていなかった横尾さんに大手町の地下道でばったりお会いした。去年の秋だ。僕はそこを滅多に歩かないし、横尾さんは経済同友会からノド飴を買いに降りてこられただけの遭遇だった。ほんの立ち話でそこは終わったが、何か感じるものがあった。それこそ、「何かしてくれそうな人」と直感したのだ。帰社してすぐに会長職をお願いしようと腹を決めた。連絡を入れ、それを食事しながら申し上げたのは1,2週間後のことだ。僭越ながら、2004年とは逆に、今度はこっちがどうしても来てほしいと口説く番だった。まったくの空想だが、その時横尾さんの眼に「何かしてあげたくなる人」と映ったのではないかと買いかぶってしまうほど、すんなり「いいよ」という返事をいただいた。2006年に不意にみずほを辞めると申し上げたあの日、大迷惑をおかけして顔に泥を塗るのだから普通の経営者なら激怒して当然なあの時に「この方は凄い、只者ではない」と感じたあれ。あれがなければこれもなかった。

そういう経緯で令和元年のビジネスデー初日である5月7日は、偶然とはいえまるでそう計画したかのようにソナー・アドバイザーズ取締役会長として横尾さんは初出勤された。その時点で産業革新投資機構(JIC)の社長に就任されるとは予想だにしてなかったし、もしも順番が逆であったならソナー会長を引き受けてもらうことは無理だったしこっちもそう動かなかっただろう。僕は実力はないがツキだけはあるとつくづく感じ、天に感謝する。思えば2017年は僕の後厄で限りなくつらい年であり、翌2018年は周囲から「お祓いしろ」と迫られるほどの稀に見る凶年、記憶にないほどのひどい年だった。ただ、悪いなりに必死でもがいたことで一皮むけ、それがベースになって今年は5月から順調だから結果オーライで有難うということだった。そしてもはや潮目が変わっている。横尾さんとの相性、因縁は書いたように別格的、別次元的な何物かであって、僕の長所欠点を熟知しておられ、数々の経営の難所を切り抜けてこられた大先達が取締役で大所高所から取り締まっていてくれることは基本的にじゃじゃ馬の身としてこんなに心強いことはない。

今年もいろいろあったが、今になって大事と思うことは、厄には近寄らないことだ。この仕事は簡単ではない。危険に満ちてもいる。情報を握り、危ないと思ったらすぐ手を引くに限る。心から納得したことだけを愚直にやる。それがお客様から信頼されてリレーションを良好に保つ唯一の道であり、「企業の存続」にはそれしかない。来年は1年で上場に至るプライベートエクイティ案件2つのマンデートがとれる。金額も大きい。ソナーはそうした魅力ある優良案件の発掘(ソーシング)が強みだからそれに徹する会社、プロ集団であり、株式の販売、募集に関わる証券営業的なことはやるつもりは一切ない。だからそれを業とする会社さんが必要であるが、この世界、お客様が欲しがる投資機会を発掘することがすべての競争力の源泉であって、それさえあれば販売したい人はいくらでも寄ってくる。しかも、そこにいよいよ野村のエース級だったパートナーが現れた。これもお互いの運の良さだ。彼は辞めたばかりだが「何かしてくれそうな人」である。もちろん辞めた苦労は身をもってわかる。だから何かしてあげたくなる。9年下の彼とはwin-win関係が築けることは確実だろう。

 

ドイツが好きなもう一つの理由

 

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来年は新しいディールをやる

2019 NOV 30 23:23:59 pm by 東 賢太郎

毎年この時期になると来年の事業構想を練っている。弊社が12月決算というのもあるが、やはり師走になると今年も速かったなという想いに駆られて来年のことを考えてしまう。しかし考えたとおりに行くこともそうはない。

去年の今ごろは横尾さんを会長にお迎えしたい一心だった。それが今年5月に実現したし、そうしたらなんと10月に日本国の2兆円国家戦略ファンドである産業革新投資機構(JIC)の社長にご就任が日経新聞一面で報道されてしまい、しかも弊社の会長はそのまま兼任という存外に有り難いご配慮をいただいたのだから国にもJICにも横尾さんにも感謝申し上げるしかない。

もうひとつある。これまで9年間、僕はあまり野村證券の人とは接点を持たなかった。べつに避けたわけではなく、ただ、やろうとしている事業があまり野村的でないなと勝手に思っていただけだ。それが今年の中ごろから急転直下、変わった。野村出身の方々と動く時間がすごく増えた。事業内容を変えたわけではないのにである。なぜか。

それは社員やパートナーの皆さんが、一般社会的には滅茶苦茶である僕のビジネス・ディシプリンに慣れて下さったからだ。税理士のN先生はグァムでゴルフのニギリで負けて食事で口をきいてくれなかったが、そこから僕という人間がわかったそうで以来仕事が楽だ。僕がテンパると何が飛んできても不思議でないが心構えができてるから片付けてくれる。弁護士のA先生、W先生もそう。

社員もだ。先日出張でネクタイを忘れたが到着する空港の土産店に話をつけて閉店しないよう段取りつけてくれたりまあいろいろと迷惑をかけているが片付けてくれる。おかげで非常に良い仕事ができて帰ってきた。秘書たちも家族も、つまらないことでストレスをためないようにしてくれてるのはよくわかってるし感謝の気持ちしかない。

つまり、野村的に行かない部分がうまく動いてくれるようになり、自分が不得手な部分に心配がなくなってきたのだ。なんとも大きなことだ。9年かけてやっとそうなった。不得手な部分でつっかかると僕は非常にストレスがたまる性質の人間だ。すると大事な部分のパフォーマンスが落ちてしまう。会社として何の意味もない。だからそれを勝手に解消しておいてくれる人は僕にとってきわめて貴重で、そうでなければ全く不要だ。

野村の人とは世代を超えてすぐツーカーになれる。言いたいことが言わなくてもわかるし、僕の指示がサクッと通じる。それは野村出身でなくてもできる人はいるが、いずれにせよ通じないと多大なストレスであり、テンパっている、つまり戦場にいるときにいちいち説明するなど論外である。ということで、いままでの僕はあたかも借りてきた猫だったが、野村的ビジネス・ディシプリンの中では4番でエースであり、破壊力はデカい自信がある。

この状態で来年に突入するのだから業績は期待できるだろう。社員は現状11名だが増える。国家の生命線に関わる業態の会社のプライベート・エクイティ・オファリングに関わらせていただける(まだ書けないが)のは大変な栄誉であり、弊社として金額も意義もかつて最大のディールとなるかもしれない。同社は日本企業だが上場は米国であり、そんじょそこらの証券会社では対応はできない。ソナーの強みを見抜いてご評価くださった社長には敬意と感謝の意を表したく、期待にお応えしてファイナンスを絶対に成功させたい。

 

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ソナー・アドバイザーズ株式会社が創立9年

2019 OCT 21 1:01:13 am by 東 賢太郎

10月20日でソナー・アドバイザーズ株式会社は創立9年になった。二度倒産を覚悟する場面があったが、そうならなかったのは家族の理解があったことと、少々の幸運が味方してくれたおかげだ。

現在、正社員は総勢11名、ソナーだけで9名だが出身は銀行、信託、保険、商社、鉄鋼と多様だ。証券会社出身者は僕しかいない。ふつうは会社の同僚が集まって自分たちの得意技で起業するのだろうが、僕が作りたいのは証券会社ではないからこうなった。

社員ではない、いわば社外のパートナー(共同事業者)が社員よりたくさんいて、しかも、お客さんがそれになることもあるという点で当社はあまり類のない業態である。案件はそこからも出てきて、当社は逆に言えば投資家でもあるから全額投資するのがベストでその場合お客さんは不要だ。

つまり、まだ資金不足だから投資はパートナー、お客さんと共同事業になるが、究極はソナーは単独で投資するファンドのようなものになって、投資家にはソナー株を買ってもらうだろう。その典型がバークシャー・ハサウェイという綿紡績会社を投資会社にして成長したウォーレン・バフェットだ。

来年65才で、元気ではあるがあんまり時間はない。ここからは証券マンの騎虎の勢いでやらなくてはいけない。9年間、屋久島に4日行った以外は休みは取らなかったが、心身が元気でないとできないから気晴らしがとても大事だ。仕事から完全にオフになれるもの、何がいいんだろう?

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高度成長期モデルは経営の墓場である

2019 OCT 5 14:14:40 pm by 東 賢太郎

来てくれる若い方々と話すたびに「リスクをとれ」「やりきれ」「学べ」と言っている。この3つは成長の三種の神器だ。そこに「なぜ」「なにを」「どこで」「どう」はない。「いつ」だって?当たり前だの「いまでしょ」だ。

みなさんソナーに関心がある。あるから来ている。起業したい、だから「どう」がいちばん知りたいのだ。それは教えたくとも教えようがない。だから三種の神器をやれと言っている。やった結果から自分の頭で考えるしかない。

「リスクをとれ」といわれて野放図に突進するのはただの猪武者である。いくかいかないかの判断で勝敗の大勢は決まるが、個々の挑戦のリスク・リターンは初めは誰もがわからない。だから最初は小さなリスクテークから入り、若いころはたくさん失敗したらいい。

すると失敗の痛みからだんだん物が見えてきて成功率が上がるだろう。そこで少し大きめのリスクがとれるようになってくる。失敗して学ぶべきは、次のリスクをとるかどうかの場面で「ミスジャッジする確率を減らす知恵」である。この知恵の集積こそが成長の源泉なのだ。

たとえば受験の模擬試験で点が良くて喜ぶのは二流の秀才である。悪かった時に「それが本番に出ていたら即死だった、ラッキー」とリスクが減ったのを喜ぶのがあるべきリアクションだ。ここで重要なのは、同じ過ちは2度としないことだ。それを神器の3つ目、「学べ」といっているのだ。

ただしここまでは松下幸之助の「やってみなはれ」だ。そこに2番目の「やりきれ」が加わる。ここが核心だ。試験なら「完答しろ」だ。10点満点の問題で3点だろうが8点だろうが0点に等しい。10点狙いのマインドセットで立ち向かわなくてはいけない。これがスナイパー能力を涵養し、人生で大差を生む。

舞台をビジネスに転じるならそのトレーニングを経て目指すのは「成功」ではない。成功は誰もがしたいが、思ってできるものでもないし僕自身まだしていない。成功の定義が何であれ、ビジネスで目指すべきは「長く生き残ること(持続性、sustainability)」なのである。成功に方法論はないが、短期で終わればそれはなく、致命的な失敗をせず生き残るには多少の知恵があれば足りるからだ。

例えば我々のような金融コンサル業をするならまずシビアな競争の中を「生き残る」ことが第一歩である以上の重要性を持つ。自分が生き残れない者にどこの誰がお金を払って指南を仰ぐだろうかということだ。コンサルが生き残っているということはサービスを「多くの」お客さんが「長期にわたって」値踏みしてくれ、支払う人件費や家賃を上回る対価をいただけているという証明であり、だからsustainabilityが大事なのだ。ぽっと出の店じゃないよ、老舗だよと飲食店が看板にする “since ~” がそれを象徴している。弊社はsince 2010、まだ9年だ。

生き残れたら次の課題が成長だ。企業を成長させるのは社員だから成長という側面を見るなら個々人の成長と同じである。物量(人海戦術)で成長する昭和の高度成長期モデルは人口減の時代にはワークしない。企業が伸びるには構成員である社員個々人が成長し、その総和として成長する時代になりつつあるし、これからさらに加速度的にそうなっていくだろう。ROE経営をうたいながらROEが低い日本企業の癌は人海戦術で採った社員一人当たりの生産性が成長しないことである。ではどうしてそうなるのだろう。

高度成長期モデルで毎年何百人も新卒を採用すると、成長しない人員が含まれることは避けられない。人事部が権限を持つという欧米にはない中央集権的採用システムで入社した数百人の全員が現場の長を喜ばせる適材適所になる可能性は低く、不可避的に毎年一定数の余剰人員(スラック)予備軍を採用していることになる。それはシステムの構造的な問題ではあるが、それ以前のより原始的な話として、毎年の新卒からどう選別しようとその業種、業務のAランクの適材が数百人も存在するはずがないということの方が大きいだろう。

すなわち、Sランクの数%の金の卵を引き当てる確率は上がるメリットはあるけれども、そのコストとしてスラック人員層が分厚く堆積していくデメリットを避ける方法はない。昭和の時代まではメリットが上回ったが、令和の時代からはそれが逆転するだろう。なぜなら米中のヘゲモニーをかけた不可逆的な対立(トゥキディデスの罠)で世界の競争環境が一寸先は闇という時代は永続する。その中で、変わり身の速さ(flexibility)が削がれることは、大企業になればなるほど規模の不利益になる。白亜紀の全地球的な寒冷化で恐竜が絶滅し、小型の哺乳類が生き残ったのと同じことである。

このことをイメージ的に語る表現として「社員の質的階層は2:6:2」といわれる。”上の2” が収益の大半を稼ぎ、”真ん中の6” は中立的、”下の2” がスラックである。”上の2” が “下の2” を食わせた残余が概ね企業の利益と思えばいい。理論的根拠はないが、経験上、日本、英国、ドイツ、スイス、香港での多国籍の体感からも違和感はない。高度成長期モデルの末期(まつご)として、スラック階層が市民権さえも持ってしまったいわゆる大企業病の企業では徐々に “真ん中の6” にまでスラック化が侵食することとなり、能力に秀でアンテナが高い “上の2” の階層のモチベーションは顕著に下がり経営は危機を迎えるだろう。

ドラッカーが示唆しているように、企業経営はオーケストラの指揮が範だ。それを敷衍するなら、良いオーケストラに2:6:2はない。弦楽器がやる気のない管弦楽団にベルリン・フィルの管楽器奏者が入っても意味がないのだ。第一フルートが辞めたら第二が昇格ではなく、第二奏者も含めて公開オーディションをするレベルの競争原理が全奏者のポストにないと聴衆に高い値踏みをいただくことは不可能である。ろくに試験もせずリクルーターの引きで新卒大量採用するという本邦のユニークな文化は、AKBがなぜ48人かは誰もよくわからないがとにかく可愛い子を48人もそろえていますというのと変わりない、終戦直後の農家の次男三男の集団就職に端を発して高度成長期に定着した特殊なモデルだ。それを70年たった今もしていること自体が異常なのである。

異常が永続することはない。だからこれからの時代、個人は徹底的に生存競争し、三種の神器で自らを鍛え、成長しなくてはならない。良い暮らしと良い人生を求めるならば。しかし、こう書くと矛盾に見えようが、僕は会社経営においては不断の成長がmust(不可欠)という考えには組しない。成長という暗黙の要求は株主が配当を求める「決算」という仕組みの呪縛でもあり、毎四半期ごとに何らかの成長の “痕跡” を生み出そうという企業会計上の努力は本来の経営目標とかけ離れた「経営者の心のスラック」を生む危険性があるからだ。そのスラックが在任期間中に成長でなくリストラで会計上の利益をあげて、収益連動型報酬でこっそりとひと儲けして逃げようという品性の曲がった泥棒経営者を次々と生んでいるのは周知の社会現象だ。

企業はあくまでsustainability(長く生き残ること)こそがmustであり、社会と調和して顧客と社員を幸福にするベストな方法であり、それに見合うように社員一人一人が成長した分の総和として企業は自然に成長すればいい。このことは投資という側面から見ても、社会的責任投資(SRI:Socially responsible investment)として確立した、「企業がどれだけ社会的責任を果たしながら活動しているかということを考慮しながら行う投資活動がsustainable(持続的)な世の中になりつつあるという現実」と矛盾しない。社会との調和と貢献、コンプライアンスを尊重し、株主以外のステークホルダーの利益も考慮しつつ、成長に関わる部分の賢明なマネジメントをしていれば結果的に投資をしていただける。それはとりもなおさず、利益も成長すると信じていだけるからだ。

マーラーの千人の交響曲の喚起する感動がバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタの千倍あるわけではない。オーケストラに「大きいことはいい事だ」のスローガンはないのである。高度成長期モデルというものは今となってみればヘタな奏者を100人集めてウチもマーラー、ブルックナーができますと競いあうようなものだ。昔は聴衆はそれでも集まったから優秀な奏者でもそこに引退まで在籍する意味はあったが、いまどき学生オケでもできる曲を高い品質保証なしで評価されるのは非常に困難であり、そういう楽団は存続が困難になるだろう。

つまり、2:6:2は組織のsustainabilityを喪失させ、したがって、”上の2” の人材も必然的に失っていくのである。冒頭の「起業したい若者たち」がまさにそれであり、6:2 の階層はしがみついてでも会社に残ろうと必死になる。彼らにはリスクと負荷ばかりがのしかかる “上の2” になる関心は薄く、では社内で何の競争が熾烈になっているかというと、出世ではなく長く生き残ること(sustainability)なのだ(笑)。落語のオチなら面白いが、高度成長期モデルは経営の墓場への道ということだ。金融界にはシビアな現実が蔓延しつつある。

 

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成長の三種の神器

2019 OCT 5 0:00:17 am by 東 賢太郎

今日は横尾さんの日経一面の記事で朝からメールが殺到して一日終わってしまった。そっち(ソナー)はどうするんだという当然のご質問もあったが、こっちは変わらないよう各所ご調整くださったのには頭が下がる。もちろんこれからの運用には細心の注意を払うという前提になるけれど。

6月ごろから当社と関わり合いを持ってくれた一群の人たちがいて、みんな新聞を見てびっくりである。いい時にソナーに来たもんだ。しかしそういうのは人の運であり、それをつかんだ人だけがジャンプできるのが人の世だ。結果は誠に不公平だが、「リスクをとれ」「やりきれ」「学べ」と成長の三種の神器を教え、全員に公平にチャンスはあげたつもりだ。

必死に食らいついてきた一部の人は、不満があれば容赦なく叱る。怒るわけではない、叱る。伸びると思った人への僕の教育法である。人間はそうやってショックを受けないと大事なことに気がつかないし大きく伸びない。ほめて伸ばすなんておためごかしはあり得ない。ずばり、「どうして君は**なんだ?」「++を全くわかってないね」と欠点を指摘してあげる。それをこの野郎と思って直せば、気がつけばあっという間にその人はいち段階上にいるのだ。こんな効率的な方法はない。いやなことを言えば嫌われるが、嫌われても言ってあげるのが愛情というものである。そうやって格段に伸びた部下は何人もいるし、言われてつぶれそうな人には言わない。それはその人の限界になるが、メンタルにタフなことは成長の必要条件である。

「成長の三種の神器」は絶対法則である。僕もそうやって育てていただいた。どんなに他に能がなくてもこの3つだけ愚直にくりかえせば必ず人は伸びる。やがてソナーの周囲には、めちゃくちゃ優秀な人の軍団ができると確信している。

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ソナーは「プロが利用するクラブ」である

2019 AUG 29 0:00:03 am by 東 賢太郎

インターネット、IT技術が労働を変えた。それはあらゆる分野での事務作業の効率化に始まり、ワークシェアリング、テレワークによる就業時間短縮という「地味な便利さ」の顔をして知らず知らずのうちに労働環境に浸透してきたわけだ。市民革命のように華々しくも血を流すこともないが、同じほどのマグニチュードをもたらしたという点ではまさに「革命」と呼ぶに値するし、経済統計としては目に見えにくいが確実に労働生産性を上げる寄与をしたはずだ。そしてそれがAIというインテリジェンスを備えた存在になると、いったんは便益を得た労働者はだんだん失業して被害者になるかもしれないという点で両刃の剣なのである。

このことは若い皆さんが21世紀にどう社会に貢献し、労働し、認められ、大切な人生をどう実現し、一生の生計をたてていくかという諸問題の根本に深く関わっている。そして皆さんと同様に、まだ若い会社であるソナーがこれからどうなっていくかを予測するという難しいクエスチョンに僕も真剣に向き合っているのだ。それを解くためには、IT革命がもたらした果実とリスクがタスクフォースに参加する社内外のメンバーにどうプラスかマイナスかを考え、彼らが良い仕事を見つけて実績をあげ、喜びを感じ、さらに能力を高められるようなプラットホームを作ってあげることにヒントがあるだろう。

ソナーの仕事はプロだけのタスクフォースでこなすのが最も生産性が高いと僕は確信している。メンバーはぎりぎり最小の人数であるべきだ。そのほうが一人当たりのリターンが大きく、メンバーのモチベーションがさらに向上するからだ。個々人が何のプロかは案件によるから今の案件メンバー10人と次の10人が一人も重ならないことがあり得る。弁護士、会計士、税理士など専門職に加えて、他の会社の社員が混じっても構わない。守秘性はNDAに一任するのではなく、それ以前の僕の基本思想として、どんなに優秀でも人間として信用する人しか入れないことでより担保される。その招集、組成がうまくできれば、仕事は半分終わったに等しい。ということは、経営者に絶対不可欠なのはプラットフォームの形成ではなくて、案件獲得、執行に過不足ないタスクフォースをつくる能力であると断言してもいいことになる。

しかるに、経営会議、取締役会などという “賢人会議” のような固定メンバーが常に意思決定に加わって、内実を経験的に知得してもいない案件の是非の判断をするなど究極のナンセンセンスである。そのお歴々がいかなる案件においてもタスクフォース・メンバーになり得るレベルのインテリジェンスを有することは皆既日食と皆既月食が同じ年におきるより稀だろう。経営はみんなで橋を渡れば安全というものでも免責というものでもなく、まして会社は民主主義で経営せよなどという法律もない。だから意思決定と結果に責任を負う社長(CEO)がいるのであり、ソナーにおける僕の仕事はそれであり、コンプライアンスについてだけプロのチェッカーが内外のどこかにいれば必要十分である。

ITの恩恵によって「会社」というものは、リアルであれバーチャルであれ、「複数のプロが一緒になって何かを生み出す場」を意味するようになっている。対面であることが必要なら集まってもいいが、テレワークで構わない。10人の国籍の違うプロが10か国にひとりずついて、お天道様の出ている場所で24時間営業する会社に残業という概念はない。クリエイティブなプロの仕事に時間管理や勤務態度や服装という概念も無用だ。コミュニケーションはマルチ言語翻訳機が85か国語も対応してくれる。やることさえやればワイキキのビーチで寝っ転がって業務してもらってもOKだ。ソナー本社は東京の紀尾井町で何をするか?ドキュメンテーション、コンプライアンス、そしてメンバー10人のフェアな貢献度評価と報酬の銀行振込、そんなものだ。本社も5人ほどでまかなえてしまう。つまり、うまくいけば100億円の案件をたった15人でやってしまうことが可能だから世界最高レベルの人材が集まるだろう。これがやがて時流になる。

逆に、巨大なビルに何万人もの一般社員をかかえる企業は、とうの昔に終っているスタイルの仕事をなかなか脱却できないだろう。なぜなら、それを時流に合わせるなら膨大な人員とスペースの余剰が「発生」したことになってしまい、そういう認識になってしまうと余剰な部分がさらにパフォーマンスが下がるからだ。みずほフィナンシャルグループが「今後10年間で国内外の従業員約1万9000人分の業務削減を検討する」と発表したが、要するに社長が6万人の従業員の3分の1はいらないと宣言しているわけだ。しかし、それをするには希望退職を募るなど「とうの昔に終っている方法」しか打つ手はないだろう。つまり昔からできたのにやれなかったことをなぜ今できるのかという問題に回帰するはずだ。

非効率という十字架を背負う大企業を自主的に退社する人が増えている。それが残留した3分の2の社員の下の方かというと違う。その勇気があるのはプロとして独立しても生きていける「上澄み」の人なのだ。むしろ大組織のしがらみから機をみて抜け出したかった人たちであり、フリーになった方が実は活躍できるチャンスのある人たちでもあり、彼らには自由とフレキシビリティがエネルギーの原動力に必ずなる。現に僕自身がそれをして起業した先輩なのだから気持ちまで手に取るようにわかる。僕はこの層の人たちと、リアルであれバーチャルであれ繋がりたいと考えている。社員になってもらう必要は必ずしもない。ソナーがタスクフォースを組成するときにファースト・コールする社外メンバーになってもらえばいい。それがソナーの価値を高めるからさらに良質の案件ソーシングができるし、それによってメンバーになった人もwin-winの恩恵を受ける。

僕の考える会社像がだんだん明確になったと思う。会社は仕事をさせられる場でもなければ、9時から5時までいればお金をくれる場でもない。社内外の何かのプロである皆さんが「自分のために利用するクラブ」に他ならない。大企業を離れたみなさんの部活や同好会の感覚、雑談や情報交換の場であってもけっこう。出会いは確実にあるし、競争し研鑽しあって腕を磨くことができ、能力に相応の報酬を得られるかもしれず、起業希望者の研修所にもなり、ひいては人生の目標を達成する、社会に貢献する場でもあるというのがソナーの理想の姿だ。ひとつだけアドバイスするなら、本稿を読んで関心を持った人はどんどんソナーの門をたたいてほしいということである。自信があろうがなかろうが、世の中は行動したもの勝ちだし、僕も新人時代は大阪で一日100枚の名刺を飛び込み外交で半年間集めていたのだ。虎の穴に入って伸びる人が圧倒的に成長が速い。

 

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金持ちの「三種の神器」

2019 AUG 20 18:18:01 pm by 東 賢太郎

ピンときたらすぐ自分のカネで札入れします。そうしないといい物件は絶対に取れません。

不動産はそういうものかと知ったのは最近のことだ。大阪のオフィスにH氏を訪ね、物件を見せてもらった。

最上階のオンリーワンです。3億5千万で仕入れましたが今なら4億つきます。

H氏の目利き力が尋常じゃないのは初めてお会いした日から感じていた。僕はこういう物件の値段はピンとこないが、人の能力にはくるようだ。

昨晩、氏のご相伴にあずかった北新地は東京なら銀座である。新人時代には通り抜けるのも敷居が高かった。こんな所のビルは誰が持ってるのかと思っていたが、3本は氏のものだった。僕より一回り以上お若いが見上げたもので、数台所有される高級車は1台5千万円だ。

こう書くと眉をひそめる方がおられようし、僕もそういうことで氏に関心があるのではない。不動産業は目利き力がすべてだからである。そういう商売であり、だから優良なお客さんがつく。世の中の原理原則として誰だって能力はまず自分のために使う権利がある。経営者本人が貧しいのにいい物件ありますなんてどこの誰が信じようか。功なり名を上げた経営者は自分が富豪になっているが、自叙伝に「他利が大事」と書く傾向がある。ウソとはいわないが、その黄金の権利を放棄しても競争を勝ち抜けるずば抜けた能力とインセンティブがあるなら読者ははじめからそんな自叙伝を読む必要がない。

野村スイスの社長をしていたころ、仕事上多くのプライベートバンクの経営者とプライベートにおつきあいをした。ご自身が富豪でない方は一人もいない。自宅に呼ばれるとそれがリゾートホテルであったり、庭の敷地に18ホールのゴルフ場があったりする。そういう世界の人にはそういう世界の人が寄ってきてサロンを形成し、その中で共有される話題や情報がある(ちなみにモーツァルトやショパンはこういう所でピアノを弾いていたのだ)。

プライベートバンクというスイス起源の業態はグローバル市場での合法性において現在では優位性がなくなっているが、サロンは有形無形に存在するし、そこでの人、金、インテリジェンスという富裕層の「三種の神器」の集積分布図のあり方というものは古今東西何も変わっていない。なぜなら、それが「三種の神器」の固有の性質であり、いわば「物理特性」であって、放っておいてもそうなってしまうからだ。その力学を見抜くのが商売というものの本質に他ならない。シリコンバレーの起業家仲間も米国西海岸流のサロンである。日本企業が社員を現地に何人駐在させようと自分の金がない者が入れるはずもない。

日本人はサロンというものをぜんぜんわかっていない。「三種の神器」は守秘性が命なのだ。日本の大企業の社員であることに価値、信用などかけらもない。サラリーマンは上司に報告義務があるからいい話ほどあっという間に社で共有されてしまう。つまりそんな人間に話せばネットで情報公開するに等しいわけだ。日本でブランド外資のフランチャイズとして掲げたプライベートバンクという看板がことごとく失敗に終わった。コンプライアンス問題を起こしたせいが大きいが、まず何より日本人経営者が何もわかっていないからだ。満員電車で通う普通のサラリーマンがサロンのメンバーでありバンカーであるなどそもそもお門違いの定義矛盾でしかない。この世界、マックやコカ・コーラとは違うのである。

日本には日本流のサロンがあるが、物件や証券は債券化、上場をすればサロン性は完全に消える。ローンや未公開株式である段階にしかそれは存在しない。有価証券は倒産リスクから100%自由ということはないが、不動産物件は価値がゼロになることはない上にサロンディールがあり得るという点で興味深い。だから大坂に行ったのである。サロンがどこにどういう形であるかということは三種の神器の守秘性からブログに書くわけにはいかないが、当社はH氏の会社とパートナーとなるから宅建業者にはならないが同じショパンのピアノ演奏を聴くメンバーにはなるだろう。ソナー探知機の能力がさらに増すということだ。

大坂は面白い。本質追求型だ。帰りの新幹線の駅弁にしてもそうだ。僕はこれが好みだが、本来あまり食べない煮物が実にうまい。それも醤油味でなくほんのりした出汁味で具ごとに微妙なバラエティがある。いたずらな高級感ではなく、なんというか、細部まで気が利いている上質感だ。最初はこの薄味でご飯が余るかなと思うが、高野豆腐、昆布巻きは絶品だしちょっとした漬物、豆類にしても「遊び球」が一切なく、全部が全力投球であり、そんなことはない。

 

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見栄え以上の成果を出す方法

2019 AUG 3 13:13:38 pm by 東 賢太郎

創業してから休んだことがないので一週間休もうと思ったができなかった。国際情勢もビジネス環境も変転している。新しい話が次々持ち込まれ新しい人に会い、結構なことだが、逆にひとつのことに集中できない。そういう時にうまくいったためしがない。

広島の試合をドームで観ていたら巨人に劣勢だ。初戦を落とし2つ目は粘って勝った。3つ目は打てる気配なくずっと押され気味だったが、気がついたらスコアも安打数も見栄え以上の圧勝だ。誰が活躍してということもなく、隙がなく、打つ手も当たって盤石の四つ相撲だった。

その「見栄え以上」というのが素晴らしかった。なぜか知らないけども負けるという相手が強い。どうしたら自社をそうできるか。わからない。気がついたらそうなったというものかもしれない。日々重いものが頭にあって何をしていても抜けることがないが、その雲が晴れたら境地が変わるかもしれない。

思い通りにならないから世の中は面白い。誰かがたしかそう言った。そうかもしれないが、ならないと疲れるのでこう思うことにした。世のなかに負けを決めたルールはない。決めるのは自分。負けと思わなければ勝ち。目論見や見栄えはどうでもいい。

ということは実は勝ちということもない。頑張って勝ちました、疲れました、次はそれで負けました。何の意味もない。つまりこういうことだ。

負け=勝ち < 生存

勝とうと思うと負けもある。等価なのだと思えばいい。そのどっちに帰属するかで命を削るのは生存という生物の遺伝子本来の目的に反している。命は削らない、むしろ楽しみだと思ってきたが、実はそう教育されただけで、やっぱり削っていたかもしれないと思う今日この頃だ。

若い人は勘違いしてはいけない。勝たないと「能力の貯金」ができない。やがてそれを資本にレバレッジをかける。元の大小で大差がつく。全力投球でなくスナップの効いた球を投げること。すると疲れないし、むしろ、速くはないが伸びのいい球になって打たれない。これが「見栄え以上」の成果が出る状態だ。

カープは3つ目の試合でバスター・エンドランを仕掛けて成功し、巨人には決定的なダメージになった。打者が3-0でバント失敗して次も絶対バントと思い込ませた場面でまんまと決めたプロの技。痺れた。一般には奇襲の部類だが、カープはまったく頑張らないでできてしまう。そこだ。強いなあと思った。

勝たなくていい企業経営なんて聞いたことがないが、プロの技は目だたない。仕掛けようと狙っていたわけではない、TPOで自然に出て勝ってしまう。肩に力が入るとむしろ出ない。強い横綱もそう見える。そうなりたいが、これも、そう頑張るとできなくなるのだ。休むしかない。

 

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指揮者は何をしているか(野村とみずほの視点から)

2019 JUN 16 0:00:34 am by 東 賢太郎

オーケストラの指揮者がポディウムで棒を振って何をしているか、やったことないので想像もつかないが、証券会社の集団を指揮することは30年やってきた。野村からみずほに移籍させていただいた時はそのキャリアの途中であり、120名の集団をいきなり指揮しろということだった。すでに500人を指揮していたから人数はどうということもない、問題は、みずほ証券は証券会社ではあるが部下になる人ほぼ全員が銀行出身者であることだった。よそ者の指揮棒についてきてくれるとは一概に信じ難いという不安があった。

当時のみずほ証券はというと、株式営業部門だけは野村出身者の集団だった。そのため僕は巷ではそこへ行くと思われていたらしく、全然違うのだがそれが平穏だからあえて黙っていた。話はそういう風に静かに進んでおり、移籍が発表されるまでその部門は役員まで誰も知らなかったはずだ。資本市場グループというプライマリー部門に証券出身者を外から連れてこようとなると興銀、富士、第一勧銀3行の本丸の力学に関わるから色々あり、ご判断はコーポレート銀行頭取と横尾現ソナー会長(当時、みずほ証券常務)が下したと後日うかがった。

周囲の銀行員というと親父しかいなかった僕にとってもこの決断は度胸が要った。当時の心境はニューヨークからコロラドに電話がかかってきていきなりピッチャーをやれというこれと同じようなものだったが(野村證券・外村副社長からの電話)、この時は人生の岐路に立ったわけで体調が変になってしまい、神山先生にお世話になるのはそれがきっかけだった。満を持していざ着任してみると、ポツンと一人で座ってまるで学期中に他県からやってきた転校生みたいであり、空気になじめないことは我ながら滑稽ですらあった。一対一でも会議でも意図がうまく伝わらず、移籍は失敗と思うしかなかった。

それでも結果的になんとかなった理由は2つある。ひとつは “コンサートマスター” が優秀だったこと。彼は横尾さんの指示で僕にぴったりついて変に浮かないように調整してくれ、会議で意味不明の指揮棒を振ってもちゃんとコンマスがフォローの指示を出してくれた。もうひとつは銀行組織に特有の、証券会社にはあまりない「微細な感性」とでもいうものだ。これは何とも文字にならない。彼らには当たり前のようだが新鮮だった。上司になるとこちらの一挙手一投足が彼らのスタンダードにおいて観察、吟味される。何か月かすると、証券語は相変わらず通じないのに、彼らは僕の意図が見事にわかるようになった。これがいわゆるソンタクだろう。

この体験は痛烈で忘れられない。そういうマネジメント・ポストでの異動経験というと拠点長としてフランクフルト、チューリヒ、香港の異動はあった。しかしそれは同じ会社の中でのことだから行った先の部下はそれなりに僕がどういう人物かは既によく知っていた。別な会社となると話はまったく異なる。しかも銀行の人たちは証券業という新しい世界へ移動や転籍でやってきていて、そこにその世界のプロというふれこみで落下傘でやってきた僕への視線は厳しくもあり、お手並み拝見という冷ややかなものでもあった。

スザンナ・マルッキというフィンランドの女性指揮者のインタビューを見ていたら興味深い言葉があった。ニューヨーク・フィルハーモニーに客演して振ってみて、彼女はオーケストラに musical intelligence があるというのだ(9分13秒)。

想像でしかないが、みずほ証券という ”オーケストラ” を指揮して感じたものに似ているかもしれないと聞きながらふと思った。僕は部下に細かな指示をすることなくヒントやサジェスチョンだけを事前に与える。すると彼らはあるべきものを察して準備し、当日の顧客へのプレゼンでそれをもとに僕がインプロヴィゼーション(即興演奏)をするという相乗効果あるパターンがうまく回ってマンデートがとれるようになった。オーケストラの musical intelligence と彼女が表現したのはそういうものではないか。ただマルッキさんのケースと違って僕の場合は力不足で本領を発揮できてないから皆が銀行組織のインテリジェンスで支えてくれていたという形でそれがワークしていた。いま振り返ればやっぱり「客演の指揮」だった。

そう思っていたら先週、志あって他社に移籍したり起業をされている野村証券出身の元気な若手4名が訪ねてこられた。20~30代。話しているうちに懐かしくなってきて独演会となり結局2時間もお引止めすることになってしまった。別に後輩だからいつもそうなるわけではない、今回の皆さんは自分で新たな道を行く決断をされ退路を断っていて、その理由をひとりづつ伺ってなるほどと思った。いまどきの若者に転職、転社は普通なのだろうが、彼らは僕らのころだったら一番やめないタイプの人たちである。だから面白くなってしまったのだ。僕もおんなじで50まで大好きな野村にいた。会社が嫌いでやめたわけではない。25か50かはともかく思いは共通だったということだ。そういえば・・・こういうオーケストラを僕は20年も指揮していたのだ。

野村もみずほも、経営は一筋縄で行かない時代になっている。預金もローンも証券も投信も、同じものが大量に売れて会社が存続できることはもうなくなるだろう。情報はネットで取得でき、執行も安価だからだ。月並みな商品やどこでもあるインフラ使用に高い代金を払う人は確実に減っていくのは「ことの本質」であり、value for moneyを消費者が吟味する時代になってきているのだ。だから僕は販売、執行、情報提供はビジネスとして興味がないしやる気もまったくない。金融で生き残るのは intelligence を売るアドバイザーである。その能力のある人は「本物主義」であるのは当然のことであり、これが何を言っているのか分からない人はAIに淘汰される前に失業する。そして、そういう社員しかいない会社も、どんなに大きくても消滅するだろう。

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ますます大事な「ひとりで強い人」

2019 JUN 11 1:01:03 am by 東 賢太郎

今日は3つの重要なミーティングがあり、どれもが大きな案件であって有難い。ビジネスとしてというよりも、まずエキサイティングであることがだ。近年あまり興奮するということがないからであるが、そういうものを持ち込んでくれる人こそがエキサイティングなのだ。

最初のは中村修二先生の会社のアメリカ人幹部たちだ。じっと聞いていると面白い。何が?数字じゃない、とにかく前向きなことがである。見通しが良いのは知ってるがそこまでバラ色かといぶかしく「でも中国ビジネスはリスクだろ?」と茶々を入れてもへのかっぱ。素晴らしい。こうじゃなきゃあの国では商売なんてできない。でもきっと家でも女房にあの調子でアメリカンな明るい未来を語ってなきゃいけないんだろう、毎日のI love youは当然で。ご苦労様だねまあ俺には無理だ。

2つ目はサムライアートの島口さんらと打ち合わせ。3つ目は不動産ファンド関連でパートナーとなる人との打ち合わせと会食。とにかく熱い人ばかりである。何ができるかわからないがやらないと何も起きないのは確実だからやるしかないよね、というのを「チャレンジ精神」なんてクソみたいな名称で呼ぶ人たちにそういうことは逆立ちしてもできないだろう。僕らはそれをチャレンジなんて思ってない、何も起きない人生なんてまっぴらごめんで、長年そうやって生きているから呼吸するぐらいに当たり前のことだ。

こういう方々が来てくれるから僕も熱く生きられて日々楽しい。次々アイデアも出てくる。それがビジネスには何よりで、収益動機に走るとだめである。これは経験則だ。収益は結果であってそれを目指していると疲弊してしまう。面白く生きてるから続くのだ。来てくれるのは何かを期待してくれるからで、それに応えようという気になるし、今度はこっちが期待して相手がモチベーションを持ってくれる。このキャッチボールはお互いを予期せぬ高みに至らせてくれるのだ。

これからは限られた時間だし、そういう人々と深くつきあうことになるだろう。年齢、国籍、性別、学歴、職歴は関係なし。ひとことでいえば合う人。何時間話していてもあきないかどうか。これはまぎれもなくキャッチボールなのだ、うまい人からいいタマが返ってくると何球でも続く。比喩でなく実際に。前に何かで女子と話が合ったり意気投合した経験は皆無と書いたことがあるが近年僕も少し丸くなった。むしろビジネスに女性視点は不可欠とも思う。

つまり、英語はイランと書きながら英語を使わせてもらうが、energizeしてくれるなら僕にはすべからく大事な人なのだということがだんだんとわかってきた。それは「ひとりで強い人」、ショーペンハウエルがくだらない社交は時間の無駄、本は馬鹿になるから読むなと書いたように自信をもって生きられる人で、そこに年齢、国籍、性別、学歴、職歴など関係あろうはずもない。

 

キャッチボールと挨拶

 

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