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「今年の流行語大賞」と「大きな力」の関係

2021 DEC 2 19:19:33 pm by 東 賢太郎

2021年の流行語大賞は「リアル二刀流/ショータイム」だった。いちスポーツ選手の活躍が、「全スポーツ」の世界的祭典であり、史上2度目の東京大会であり、しかも我が国が史上最多の40個も金メダルを取ったオリンピック・パラリンピックより流行度が上というのはどうか。大谷翔平の偉業が破格とはいえ、野球のルールすら知らない人も日本にはたくさんいるし、まして地上波でやらないメジャーリーグの中継を全国民が見たはずもないし、大谷がどこのチームに所属しているのか知らない人だって多いだろう。不思議だ。

前回の東京五輪の1964年なら、流行語大賞はこういう五輪がらみのものになったのではないか。

『俺についてこい』『東洋の魔女』『回転レシーブ』『ウルトラ C』・・・

ちなみに野球では、王貞治が55本の本塁打記録を達成した国民的英雄であることは周知だろうが、その偉業も1964年だったことを僕は忘れていた。

不思議の原因は、それほど2021年オリ・パラが国民的には盛り上がらなかったということだ。選手はよくやった。しかし、社会現象として観るなら、事前の世論では五輪反対が6割もあった。元から五輪が嫌いな人がそんなにいるはずもない。ひとえに、コロナ禍のさなかに菅政権、IOCの「大きな力」が働いて強行開催というイメージが醸成されてしまい、「民意が置き去りにされた」という記憶が国民的に残ったことが理由だろう。一方、大谷MVPの盛り上がりは絵に描いたようにその対極だ。一選手、一個人の「小さな力」で「大きな事」を成し遂げた。それがより「すがすがしく」感じられる風景の年であったこともあろう。

僕は本ブログで大反対の論陣を張ったわけだが五輪が嫌いなわけではない。菅さんがコロナ無視の意味不明なごり押しに入ったからだ。当初から彼に批判的だったわけではない。政治主導の「俺についてこい」は結構だし、「自助」は小さな政府を示唆するから、大きな政府による税金バラマキで845億円の事務経費をかけて国民の皆さんに一時の小さな幸せをなんて極限まで馬鹿な政治家よりずっとましだった。しかし、あまりの科学無視(無知)、目に余る意味不明の言葉(呪文)、俺は総理だ国民は黙っとけ的態度(大きな力)に辟易してついていけなくなった。そしてデルタ株の空港検疫ダダ洩れで我が身の危険を察知し、何の罪もない五輪で怒りに達したのである。

本稿は流行語の話を書こうと始めたが、「大きな力」が蜘蛛より嫌いなことが通奏低音であることが書きながら自分でだんだん明らかになってきた。僕は猫科の動物なので支配されるのが耐えられない。先生も上司も権力者も権威者も苦手で、彼らが行使するパワーがそれなのだ。支配されてるように感じないが強制的に徴収された税金がしょうもないものに浪費されている景色も同じ理由で耐え難い。五輪強行はごり押しへの怒りに加えてそれもあった。都民は疫病リスクに晒され、IOCに場所を貸してやり、お前らはテレビで見てろだ。それで余分な税金をむしり取るのはどう好意的に考えようと筋が通らないぼったくりである。国民の多くもそう思ったのだろう、折悪しく五輪後に軌を一にしてデルタ株が東京で5千人という事態に至ったことが政権の命取りになった。それが今や5人だ。台風一過というかウィルスにもて遊ばれてる感すらある。岸田政権のクレジットでも何でもないが、政治にも運はあると思う。

税金というものは100%が「公」(おおやけ)の利益に供されるべきお金である。喩えるならマンション住人から取る「共益費」のようなものだ。それがビルの修繕や廊下の掃除やごみ処理やエレベーターの電気代ではなく、オーナーや一部の特権住人が私的に使い込んでましたなどとなれば厳罰に処されて当然だろう。国民の多数がコロナ医療との見合いで危機感を表明していた五輪は、主催側が「公」と思っているだけでその実はIOCとスポンサーという国民にとっては「私」でしかない者のために「使いこまれた」と感じた人が多くいたということが、アスリートの素晴らしい健闘にも関わらず不相応に盛り上がりを欠いた真の原因だろう。

使い込みでないにせよ国民が「公」と思わないものへの税金投入は、突き詰めれば私有財産を認める日本国では私権の侵害であって、「大きな力」で政府が勝手解釈で説明もなく本当に「公」かどうか不明な使途に投入できる状態は認容すべきでない。なぜなら選挙資金に回しましたという万死に値する犯罪が現実に広島で起きており、あんな巨額のバラマキなのに当初はバレてなかったのだから少額ならやり放題だろうというイメージを国民に持つなという方が無理である。このまま司法が処断せず放置するとますます政治不信となり、投票率が下がり、政治家の質がさらに落ちる。つまり「公の利益」のために取った税金が使途次第で「公の損失」になるという笑えない結末になるのである。

政治家は疑われないためにも「公の利益」を証明する明細書ぐらいは国会で開示した方が今時は身のためだ。疑念だけでも一度ネットに書き込まれてしまうとずっと残るので選挙のたびに蒸し返され、いわば人気商売である政治家にとって一生の足かせになる可能性がある。落選運動なんてものがネットを使えば簡単にできる。知性のない罵詈雑言、毀誉褒貶、誹謗中傷が何百万あろうと国民は無視するし、そうでなければ名誉棄損で訴訟すればいいが、知性の高いインフルエンサーが周到な準備と論旨で巧妙に狙い撃ちすればネット上に電光石火で駆け巡り落選運動は威力を持ち得る。新聞、雑誌の記者はそれはしない。取材できなくなるからだ。しかしネットという記者クラブ外のニュー・メディアが「視聴率」を伸ばしている。youtubeは「大きな力」で制御できるが、書き込みはインターネットを遮断しないと止められない。有能な政治家がそんなことで失脚するのも「公の損失」だ。

「公」「私」といえば、秋篠宮文仁親王が誕生日会見で皇室のそれについて触れられていた。皇族の「私」については難しい。望んでそこに生まれたわけではない。公務をする私人は公務員だが、皇族は公務をするが私人でも国民でも公務員でもない。そのために憲法上の権利がすべては適用されない。税金を払っている国民の思いに寄り添ってというのは皇族の「私」の制限の根拠になるのだろうか。皇室典範のようなものが我が家にだけあったら僕は即座に憲法違反で訴えるが、皇室の方はなぜそう主張されないのだろう。大学の憲法の授業ではわからず、以来しばしば考えてきたが僕にはいまだにわからない。

内親王ご結婚の件での皇嗣であり父親でもあるお立場の相克こそ「公」と「私」のそれだろうと拝察した。時代と共に皇族の「私」も変わるとされたが、それもそう思う。ただ、「私」はそうであっても皇室は日本国の「公」の中の「公」の存在であり、そちらは不変だから象徴としての意味がある。「公」まで世につれ人につれ変わってしまっては何を象徴しているか不明になり、人間宣言された天皇の恣意で国の正義、善悪が決まり政治利用もされかねない。皇嗣殿下は納采の儀等が軽いものという印象を与えてしまったかもしれないと言われたが、儀式は規則上は任意であるとしても、国民の多くはそれを知らず「公」と思っていよう。ということは、それをしなかったということは「公の部分は不変」という皇室のコンセプトも軽いものというメッセージになってしまった可能性がある。それを言われたのだろう。

儀式が税金で行われることを批判する国民はいない。それが伝統への畏敬であり、ひいては皇室へのそれになるのだが、その逆もまた真になり得る方向に国民も変わっていることは、皇室の「私」が変わるのを止められないのと表裏一体かもしれない。誹謗中傷は戦前なら不敬罪だがその法律は消えた。しかし、法の有無以前にそれをして意に介さない発信者、受信者が出現しつつある。ネット書き込み制限を検討するともあったが、事実でないなら宮内庁が名誉棄損で訴えるのが世につれ変わる皇室の「私」の姿でいいと僕は思う。書き込み制限は表現の自由を奪う憲法違反であり「大きな力」にはそれが許されるというなら憲法全部の否定になる。憲法は「大きな力」を縛るための法だからなんのこっちゃになり、では「両性の合意のみに基いて成立」(24条)するから婚姻を認めるとしたのは何だったのかとなるだろう。21条がいらないなら96条の改正手続きになるが、国民の過半数が賛成する可能性はゼロだろう。

ご会見にいちゃもんをつける気はさらさらない。それどころか僕は好きな者同士が結婚するのは一般人だろうが内親王だろうが24条があろうがなかろうが支持するリベラルな人間だ。すでに書いた通り、小室氏が自力で余裕で生計を立てるほど稼ぐ夫になれば雑音は消える。それこそが、皇室の品位と国民の常識にかなった正統な「雑音の消し方」であり、「大きな力」を持ち出して憲法を曲げるような方法を採れば、それを「象徴」と戴く国民の考え方や順法精神もやがて曲がり、昭和、平成の天皇が築き上げられた象徴天皇とは何ぞやという憲法問題に回帰するというトートロジーに陥るだろう。しかし、このことはなにも皇室だけの話でも内親王のご結婚が契機になったのでもなく、権力者が「大きな力」を大手を振って働かせにくくなった世情にすでに萌芽があったと見るのが私見だ。

市民革命を経ていない日本人は「長い物に巻かれやすい」とされてきたが、その傾向を減じている。我が世代には信じ難いほど「個」の欲求、主張が通る社会になりつつあり、確かに欧米人より律義にマスクはしていて従順に見えるがそれは「個」(私、利己)が大事という印であり、自分を守るためには社会と断絶して構わないという印でもある。だからマスクが安倍首相肝いりという「大きな力」で無料配布されても、見れば布製でサイズもみみっちく、ウィルスからの個の防御に役立ちそうもないという恐らく実証的な理由からだろう、見事に誰も使わなかった。総理に忖度の感謝をする気配すら微塵もなく、配布した側は世間一般においてすらの「大きな力」の減衰に対して唖然とするほど鈍感であって、良かれと思った施策が税金の無駄であると怒りや失笑を買って総理の権威を損なうことにすらあいなった。その話題の伝播はネット上でそれこそ電光石火の勢いであったのは記憶に新しい。

この「ネットなるもの」を政治家やメディアは何とかの一つ覚えで「SNS」と呼び、その語彙が包含する「コミュニティ型の会員制サービス」を想起させるものと誤認している様子を覗わせる。現にこうして書いている僕は読み手として何のコミュニティも想定せずネットの大海に向け発信し、分類しようもない読者がどこからどうして来たのかまったく知らないが、とにかく毎日2,3千件のアクセスがある。読み手はアノニマス(anonymous、名無し)で不特定多数だ。僕以上のインフルエンサーはネット上にごまんといる。乗数効果を伴ったネット記事の拡散が制御不能なことは、昨年の大統領選で民主党はトランプの発信元を丸々消し去るという無法者の荒業に頼らなければならなかったことでわかる。「大きな力」はリアル、バーチャルを問わずネットによって支配力を削がれつつあり、コロナによる生活のオンライン依存度増大が更にそれを加速している

政治学的視点で言えば「個」のオートノミー(autonomy、自治権)の増幅は民主国家をよりリベラルな方向に導き、国家権力とのバランスは修正社会主義的な処に均衡点がくる力学が働くだろう。そこに「社会主義市場経済」を標榜する中国との見かけの親和性が発現し、反トランプと中共が大統領選で「どんなイカサマをしても勝とう」と共闘する思想的接点となったと思われる。この共闘はある意味で、国境なき最強の「とても大きな力」であったといえる。しかしその一方で、自国内での「大きな力」による支配力が内部から減衰している民主主義国家としては、共闘して政権を奪取した民主党といえど、万事を「大きな力」だけで動かせてしまう中国という相手に対して同時に底知れぬ恐怖を覚え、必然として敵対するに至っている現状はちっとも矛盾しない。

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「航海派」の男が減れば国は衰退する

2021 NOV 23 11:11:10 am by 東 賢太郎

いま仕事の不安は何もないのに、森嶌医師の診断によると疲れている。それも体でなく頭(脳)がである。脳は疲れないと教わっていたが先生によるといま直接の害はないが過労状態を放っておくと老化が進むらしい。ということは認知症になるということで、それは恐ろしい。先生が免許を持つドイツ製の診断装置バイオレゾナンスはそこまで数値で出てしまう。ちなみに3年前は「自律神経、免疫のバランスが悪化」と出たら、ちゃんと人生初のインフルエンザにかかった。彼の指示で今回はハーバード大学の作った薬を2週間ごとに3回点滴することにあいなった。

どうして疲れてるかという問いには思いあたることがある。自分の会社を持てば社会的にはフリーランスである。法律を順守して儲かってさえいれば何も怖いものがないし、誰にも何にも気を使うことがないからサラリーマン時代のようなストレスもない。僕が儲かるということは同じものに投資していただいているお客さんもであり、宣伝や営業トークやおべっかも無用である。しかし、世の中はうまくできている。その自由の代償は疲労なのだ。何をしてもいいよという究極の自由は、会社や社員の一刻一刻の命運が自分に100%かかっているということであり、知らぬまに「重いものを背負った男」になってしまっている。週末でも休日でも風呂でぼ~っとしている時でもその重荷は頭のどこかにのしかかって、結果、疲れているのだろう。

それは頭の中で不断に起こっている現象だから死ぬまで逃れることができない。逃れるにはただ休んだり寝たりと受動的なことをいくらしても足りず、なにか自発的に行動して、たとえば無理して走るとか部屋を意味もなく歩き回るとかして意識を拡散させるしか手はない。そうこうしているうち、ある事に気がついた。「利害関係のない人」と「どうでもいい話」をするのがいいと気づいたのだ。しかし、それには高いハードルがあることも知った。利害関係のない人と話す機会というのは意外にないものなのだ。探せばできるというものでもないのである。こういうときは普通ならつべこべいわず居酒屋のカウンターで大将と隣と飲んでだべってとなろう。しかし僕は酒が弱いし盛り上がるような話題もないし、ガンモの注文の順番にうるさいおカミさんも苦手なのだ。

そこで思いおこすものがある。ロンドンは独りになりたい男の居場所がちゃんとあった。シガーバーである。顔なじみだが絶対に話しかけてこないバーテンの前に座ると、目くばせだけでいつものラフロイグのダブルとタンブラーが出てくる。干渉ゼロ。ひとりでぼ~っとできる。パイプも買った(写真)。シガーのいいものは高くて何度もというには懐が寂しかったからだが、といってバーテンがどうこう口出しすることもない。酒さえ2,3杯注文してくれれば「今日もお疲れだね」という無言の優しさみたいな空気が流れるのである。英国の個人主義の象徴だ。何も話さず、頭を空っぽにできる場。社会にここまで個人のスペース、空間を尊重する文化があるから巡り巡って名誉革命が起きたのだと僕は真剣に思っている。

タバコは吸わないが今でも時々これはやる

かたや我が国はというと、男が独り飲む古来からのパブリック・スペースがない。「国家」がなかった以前に「個人」(individual =divideできないもの)という概念すらなかったからそのような場所は需要もなかった。ということは個人の集合である「市民」もなく、従って、百姓一揆はあったが市民革命は起きなかったのだ。大石内蔵助みたいに重たいものを背負ってしまった男が居酒屋で八つぁん熊さんと飲み明かすなんて図はない。といって宿の一人酒は暗くて気が滅入る。そこで出入りしたのが祇園だ。お茶屋は遊郭ではない。大石には討ち入りのカムフラージュ説があるが、昔から気晴らしは花街と相場が決まっているから隠せた。そういう場合、相手が男であれ女であれ胸襟を開いてくつろげない。男は信用できないし女も年をとれば世情も理解して口に戸は立てられない。だから年端もない舞妓が安全で、お好みなら「とらとら」で馬鹿になっても決してみっともなくはないよという京都的大人ルールのもとに時間を過ごして「重たいもの」からひとときの逃避ができる。この文化はそれはそれで奥が深い。

つまり「シガーバーとお茶屋は共通点がある」のだ。ちなみにそういう場所を英語ではセーフ・ヘイヴン(safe haven、安全な逃避地)という。ヘイヴンは港だ。男は時に航海を休んで停泊する必要があり、そこは嵐からも海賊からも絶対に安全でなくてはならない。なにも気取って格好をつけているわけではない、疲れた脳はそうやってクールダウンして休めるに如くはないということを言いたいのである。そんな面倒なことをするなら家でいい、それが家庭というものだろうという人も多そうだ。そうかもしれないが、そうであるならシガーバーはなかった。嫌煙で家を閉め出されたお父さんのためにできたのではない。古来から家族とも離れて独りで、あるいは気のおけない男仲間だけと時を過ごすソーシャルスペースを英国の男は大事にしたのだ。ゴルフ場という空間がまさにそれであり、「クラブ」という法律には書けないが反すると社会的地位を損ないかねないコンセプトができ、「あいつは仲間に入れてやる」という意味あいの重たい言葉である clubbable (club+able)まで生まれたのである。

273年目に初めて女性会員を認めた世界最古のゴルフクラブ、ミュアフィールド

ゴルフ場の女人禁制はここにルーツがある。家庭を避けるのでなく女性を差別するのでもない。男が家でくつろいでいても一銭にもならない。だから稼ぎ場としての社会ができる。するとドメスティックなものを持ちこむことを禁じるべき種々の “社会的” な理由が発生し、古来より男だけの集会場ができたということだ。投資した船が東洋から持ち帰った希少品の丁々発止の取引を行ったコーヒーハウスは起源からしてそうであり、教会、オーケストラもそうだという文化的、宗教的、商慣習的な素地があった。フリーメーソンに英国王室のメンバーはいるがエリザベス女王は入会していない。メーソンは元来が男だけの石工組合だからだが、船乗りにも女性はいない。農作に適さない国土ゆえ航海術を発達させ、ついに命懸けの海戦でスペインを追い払って七つの海を制覇した誇り高き船乗りの国民が「男だけのソーシャルスペース」を容認したのは誠にごもっともなことだと僕は思う。人間には「農耕派」と「航海派」がいる。私見では日本人の99%は農耕派だが、僕自身は完璧なる航海派であり、農耕派的なるものには資質も関心もないからあんまり交じりあえる感じがしない。だから居酒屋は落ち着けず、ドイツ人より英国人とウマが合ったと思うし、英国の政治思想、哲学には抵抗なく馴染めて大きな影響を受けている。

信長は明らかに「航海派」で商業を振興させ非農本主義的であるゆえに多大なシンパシーを覚える。宣教師に地球儀で世界の物理的成り立ちを教わって航海の重要性を理解し、貿易が巨利を生むことを見抜いて明国に接近を図った。先生格だった宣教師を配下として手なずけてもいた政治力においても秀逸な男というしかない。秀吉はそれをまねて失敗してバテレン弾圧に転じ、家康はスペイン、ポルトガルの布教侵略に怯えて禁教に完全に舵を切り、鎖国した。江戸は百万都市になり文化はオーガニックな成熟を遂げたが、科学は進展しなかったため武器、武力は中世のままだった。徳川政権は国内のガバナンス掌握と運営を確固たるものとして戦乱の世を収めた点では見事だったが、能動的な外交の断絶によって科学技術の停滞が約束され、啓蒙思想と産業革命で武器、武力を飛躍的に進化させた西洋の出現の前では “予定調和的に長期衰退する道” に嵌っていたのである。

徳川家は権力永続と子孫繁栄の視点からすれば大成功したのだが、ファミリーのネポティズム(縁故主義)を支配原理とした長期独裁政権が確定したということであり、「航海しなくなった国」としての視点からはグローバルスタンダードから大きく後退してゆくことが政権樹立の時点で約束されたのである。そのツケが19世紀に黒船の砲撃と共に一気に降りかかってくる。英国の最新兵器で武装したゲリラ集団である薩長軍によって徳川家はなすすべなく権力の座から引きずり降ろされた。世界の常識として最高権力者がそうなればまぎれもなく「国が戦争に敗けた」のであるが、格別に “啓蒙” されていた慶喜は降参してゲリラに殺されず生き延び(インテリの彼は英国の名誉革命を知っていたろう)、「藩はあっても日本国という概念はなかった」、「君主は滅びた徳川ではなく万世一系の天皇だったのだ」と議論をすり替え(大政奉還)、無血開城で御一新(維新)による建国だったのだと正統化してできたのが明治政府である。

この政府は非常に頑健な一夜城だった。それを作り得たことが日本人固有の能力だと司馬遼太郎が美化した気持ちは多くの日本人が共有している。しかしそれができた要因としては、青年であった元勲の多くが懐いた高い志と愛国心もあるにはあるが、それはどの国の革命家にも表向きはあるものだ。中核となった薩長藩が自力で欧州まで行く能力を蓄えた「航海派」であったという “即物的事実” こそがその真因だと僕はストレートに考える。開国までの日本は江戸や堺に商業の発展はあったものの全体としては農本主義、重農主義の支配する中世的国家であり、そこに啓蒙思想、産業革命による先進科学で武装した英国、オランダ、米国、フランスが入りこみ、国内の「航海派」であった薩長に武器と民主主義国家の理念を供与して「教唆犯」として徳川幕府をひっくり返した。中国がタリバンを支援してアフガニスタンのガニー政権をひっくり返し駐留米軍を追い出したという説が真相であるなら、彼らは明治維新での英国の役を演じたことになる。

富国強兵の過程での我が国の叡智、活力は世界史上でも特筆されると思う。北アフリカの肥沃な農業地帯に海洋民族フェニキア人がカルタゴを建国し海洋商業国家として出現したそれを思わせるほどだ。しかし時は産業革命期だ、鎖国で3世紀も航海をサボったことで生じていた近代科学への「知見」の遅れは一夜漬けでは回復できず、第二次大戦でついにそのギャップに決定的に屈した。これがおおまかな僕の歴史観だ。「知見」とは即物的な知識・技術だけではなく思想を含むことが極めて重要である。卓越した技術によって大和や零戦は作れたが、ベースとなる「科学的な思想」に欠けた。だから核爆弾ではなく情報インテリジェンスで負けたのである。この欠落は今も続く。算数もできない大半の大学生が社会を動かし有権者の多数を占める。その事実も震撼すべきだが、「それでいいのだ」、「世の中理屈だけじゃない」と信じこんでいる空気は徳川時代さながらだ。敗戦を認めないどころか何も学んでいない。だから、他山の石から学んで対極を行く科学重視国家の中国に予定調和的に追い越され、その原因は「人口が多いから」と非科学的に信じているのである。

政治家の無学、超小物ぶりを目にするまでもなく、この病につける薬はないというのが我が結論だ。徳川が260年も支配して手塩にかけて作り上げた99%の国民のメンタリティーは変えようにも変わるはずがないし、1%は外国に移住するか99%に同化してつまらない人生を送るしかない。信長が生きていたらという仮定はとても魅力がある。自由な航海により情報収集に長けて交易で栄え、戦争はあったろうがそれゆえにも科学は西洋に遅れなかったろうし、一向宗を弾圧し叡山を焼き討ちしたのだからキリスト教にアレルギーもなく、明国との交渉への橋頭保として利用した可能性すらある。自分がこの世にいたかどうか危ういほど日本は別な国だったろうが、そんなスケールの空想を許す男は日本史上他に一人もいない。

「航海派」の男が減れば国は衰退するのである。

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小室さんの不合格と甘利幹事長の落選

2021 NOV 2 8:08:31 am by 東 賢太郎

2つびっくりした。小室さんの不合格と甘利幹事長の落選だ。まず前者。別に落ちてもまた受ければいいし、それしかないということだろう。米国はディール社会である。政治は効くがカネになる場合のみだ。義理人情、忖度という日本的な動機は日本人用の営業上のお飾りとしてはあるように見せかけはするが実はなく、原理は厳然としたディールだから換金性があるか否かでしかない。何が色々あろうとも、とどのつまりは年収は小室さんの知能と実力に収束する。

次。本人は前回はダブルスコアで勝ったのに今回は落選キャンペーンをされたという。その是非は全く興味ないが、幹事長が落ちたら自民党は誠にみっともないわけで、そんなことは屁でもないアンチがたくさんいたという点は注視している。全国では自民は単独過半数で圧勝だから矛盾している。つまりこの落選は、浮動票が動き、アンチ自民よりアンチ政治とカネだった可能性が高い。

それは非常に良い傾向である。投票率は下から史上3番目で残念だが、心ある有権者がアンチ政治とカネ、アンチ税金無駄使いに振れつつあるのは地域にはよるがある程度は全国的傾向だろう。その足かせが幹事長の首まで取られるほど大きかったにもかかわらず自民が議席の少しの減少ですみ、大きな追い風をもらった野党共闘が立民、共産とも党としてみると増えるどころか減少したのは、共闘が失敗だったという意味にしか解釈のしようがないように思う。

つまり、政策がわけのわからん共闘に政権を任すなどあり得ないが、自民の目に余るやり放題、説明不足、政治とカネ、税金無駄使いにはお灸を据えておきたい。傘を持って投票所に行った多くの無党派層(僕もだが)はそんなところだったのではないだろうか。とすると自公で何とか過半数という苦戦を予想していたがそうでなかった。「共闘がわけがわからん」という負のイメージが思った以上に足を引っ張ったのだろう。

野党票が多めに流れたのが維新だったが、理解不能である。橋下は首長を取って実績上げて国政にというが大阪は東京人には死んでもあり得ない横山ノックを選ぶ特殊な地盤だ。北海道や九州の人まで阪神ファンになれというようなもので、悪いが無理だろう。つまり、そこに野党に向かうべきアンチ自民の浮動票が流れてしまったというのは小沢、辻本まで落選させるほど立民に人気がなかったということになる。

枝野代表は頭がいいのか悪いのか知らないが、明らかにドグマティックに見える。世界のヘゲモニーの行方が米か中か、やってる当人たちすらわからない時代に彼のこだわりのドグマが正しいと信じなくてはいけない理由がどこにあるのか不明だ。前回の民主党政権の失敗は経験が足りなかった、今はそれがあるというが、何回経験しても失敗する人はたくさんいるのだ。

岸田総理については、会ったことのある人は異口同音に「いい人」「しゃべらずにきく人」という。全員野球は大変結構だが新経済対策は未知数だ。政府が新たな成長戦略って、何度も書いたがそんなのは役人の小理屈でのっけから無理。その証拠に30年間もそれが出来てないのは株価推移を見れば厳然たる事実であって、その間の役人が特段に不出来だったわけでもない。それを政権がかわったぐらいで出来るなら、総理の首を毎年すげかえれば日本は高度成長できるだろう。

私見では「いい人」「しゃべらずにきく人」はドグマティックの正反対で、時代にはあっている。今の世界の潮流は不確実性が支配しており、べき論よりベター論の人の方が失敗する確率は低く、生存率は高そうだ。菅前総理は完全にべき論の人で、生存率の低いメソドロジーの政治家だったわけだ。

そもそも何が成長するかなんて、人生をかけてやってる起業家本人も知らないし、国ならわかるという話でも何でもない。GAFAのどれが国営企業か考えれば自明だ。国にできるのは起業家の自由度を高め、必要なカネをつけてやるぐらいだが、後者は市場で調達すればいいし(それが健全)、前者は、逆に国が余計な口出しをしないことこそベストな成長戦略ということなのである。

我々がそれこそ人生をかけてやっている仕事がそれであるが、テクノロジーや企業や業界の成長が予見できるのなら株式に投資すれば百戦百勝になる。そんな人は世界に一人もいないのが現実の世の中で、我々が努力と知力の限りを尽くしても絶対大丈夫なんてことはない。それを「私はできます」って軽いタッチで選挙演説で言われても、こいつアホじゃないかとしか見えないのである。

しかし、もうひとつ厳然たる事実があることを書いておく。それが実現するかどうかはともかく、一国の為政者で何十兆円の予算を動かせる岸田総理の経済政策に「なるほど」と思えば世界の投資家は日本株を買うということだ。それを僕は業として40年やって知っている、もしそうなら日経平均が上がる。業績は変わってないのだからPERだけ上がる。15倍ぐらいだが、これが上がれば評価されたと堂々と表明して文句はない。

まだ未知数だが、その状態においてプラス評価のない政策などそもそもやらない方がいい。その評価として自由市場で決まる株価というものは、総理の仕事のクオリティを計る指標としてある程度の客観性がある。良いと思えば1万円単位で買える株を買えばいいし、何も考えない、リスクも取らないでトリクルダウンを口をあけて待っていても、国家財政は何党が政権を取ろうと同じ財布なのだからそこまで面倒など見られるはずもないのである。

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小室眞子さん、小室圭さんの会見

2021 OCT 28 8:08:58 am by 東 賢太郎

26日のこと、青山通りを車が赤坂見附へ下ると、豊川稲荷の脇に報道陣と思しき山のようなひと群れが目に入った。物々しく殺気立った様子で、全部が弾正坂のほうをむいてこちらに尻を向けている。「なんだあれは?」とききながら、ああそうかと合点した。午前10時ぐらいだ、いよいよ眞子さんご出発なんだな。

それにしても、こんなに争って報道すべきことなんだろうか?昨日のテレビなどこれ一色だ。数年ああだこうだとやってきたが、日本国民にとって一番大事なのはどういう形であれ皇室の尊厳を守ること。そのためにしっかりと生きて行けるかどうかは出ていく二人の大問題で、国民がああだこうだ言っても始まらない。

いろいろ言われていることは本人の話でない。解決して親を助ければいい。母親を守る。これは息子としての正義だ。逆タマの七光りだというが、親の票田・コネで選挙でズルして飯食ってる国会議員が与野党問わずいくらもいるじゃないか。だったら国民はちゃんと選挙に行ってそいつらも落とすべきだ。

記者会見。小室さんは「愛してます」まで宣言した。もう抜き差しならない。眞子さんを守る、ひいては国の名誉を守るという重責を自ら背負って立ったわけである。緊張したと思うが、堂々ときりぬけたのはいい度胸である。30才であれだけできるのはそうはいない、なかなかの男じゃないか。

小室さん、解決は簡単だ。ニューヨークで弁護士であれ何であれ死ぬ気で働いて、自力で年収1億円になっちまうこと。保証する。誰も何も言わなくなるよ。

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河野発言の「天皇の存在と日本語」について

2021 SEP 16 17:17:47 pm by 東 賢太郎

総裁候補の河野太郎が「日本を日本たらしめているものは何かと問われれば、私は天皇の存在と日本語だと答えます」と公式サイトに書いている。彼の最終学歴はジョージタウン大学卒業だが、この発言が出るだけで「なんちゃってアメリカ留学のチャラ男」との格段のモノの違いを感じる。良い意味で日本人じゃないものまで身につけていると思われるからだ。

「日本人じゃない」と「日本的じゃない」は異なる。カタカナ言葉でフリをする西洋かぶれが後者。ただのカブキ者である。前者は思考回路にいたる話であって、英語を少々かじればなれるというものでない。言語は思考回路なので、英語の使い手になれば西洋的な回路の人に近くなる。英語ペラペラ、そんなものはない。そういう風に見える人はそれがわかってない、それだけのことである。

使い手になって日本に帰ってくると、知らず知らず日本人にはあれっというところが出る。すると「変人」といわれる。99%の日本人は群れて生きており、群れの保全のため異分子は排除するから仕方ない。「群れ」の変化語が「村」であり、村社会では同質性を確認し合うため同調圧力がある。それがいじめ問題になり自粛警察にも忖度にもなり、自民党の総裁選のドタバタにもなるのである。

ということは逆も真で、日本語の使い手になれば外国人でも日本的な回路の人になる。それで天皇への敬意を具有すれば日本人が出来上がる。河野発言は思うにそういう意味で、現に “日本的な” 外人はテレビで何人もが好感を得ている。しかし彼らは国籍が日本でないからという理由ではなく、靖国参拝はしないし君が代は歌わないし「天皇」の部分は欠けるから日本人ではない。

16年海外から日本を眺めて、日本人になるのは大変だと思った。日本語人になれば仕草も日本風になりいい塩梅に同調もでき、田舎の爺ちゃん婆ちゃんの目にも「いい人」になれる。しかし日本でそれが大事なのは個性や人権の尊重でなく村の保全のためでしかない。だから村の精神的支柱である天皇への敬意は要件であり、これを求められると改宗に近いからほとんどの外国人には難儀だろう。

「日本語と天皇」という国の個性を薄めても日本が存続するだろうか?という視点は海外生活を長くして西洋的な回路になった日本人は大なり小なり持つと思う。自国を相対化して観る眼が生まれる。それは日本が滅んでも世界は何ら困らないことを知るからだ。その危機感から、日本にいた頃より愛国的になり、右翼と呼ばれる人たちと表面的には似た主張にもなる。総論的にはそれでいい。

しかし帰国して各論になると「人の個性より村の存続」の壁に当たるのだ。夫婦同姓は長らく村の掟だから守る。同性婚は和を乱す。そしてその統合的象徴である天皇は男系というオーセンティシティを守れ。そうなる。困るのは西洋回路人になると個の尊重が大事と思うようになり、それの終点である民主主義と、村の存続の終点である日本国の存続とが自分の中で乖離してくることなのだ。

実はそれはアジアすべての国の抱える矛盾でもある。それを謳わないと地球を支配する西洋序列に入れない。キリスト教国家の軍事力が優位で、その宗教的価値観による序列だから存続には改宗か服従しかない。前者で蹂躙・同化され滅んだ文明は数多あるから後者を選択する。それに必須な「衣装」が民主主義による法治国家という体裁の確立であり、その急ごしらえバージョンが明治政府だった。

しかし非西洋のイスラム教国の民主主義はもっと衣装でしかなく、パレスチナ、アフガンを見るまでもなく対立軸であり続けるだろう。西洋の軍事的優位を覆す戦略の中国はいずれそれも脱ぎ捨てる日が来るかもしれない。その隣りで日本が平穏無事に生き延びる道は、蹂躙・同化されぬ尊厳を身にまとい、一定の経済力・軍事力を持つこと以外に客観的に存在しないのではなかろうか。

明治の元勲が幕末動乱の制約下で国家存続の選択をして倒幕した。お蔭で日本は国になり民族は生きながらえた。天皇ありきの王政復古なくして廃藩置県も廃刀令もなかった。徳川慶喜は幕府の存続・尊重の原理を捨て、日本という島の住民の命を守ったことにはなる。それが国家と呼ばれ結局は西洋と戦火を交えて破れはするが、それでもあそこで植民地化していれば我々の今はなかった。

いま自民党総裁選を見て古い体質だというが、あれは日本国の縮図である。投票という民主主義メソッドを借りて村の存続を図っているだけで、精神は江戸時代と違わない。彼らを選んだ国民も江戸時代と変わっていないのである。村は長老が治めて村民の命運を握り、いちいち村民に子細な説明などしない。菅さんはその意味でとても村の長老的な総理であった。

いま自民党で起きていることは村長の交代か、せいぜい若返りでしかない。内在的エネルギーによるレジーム破壊ではなく、「すぐ総選挙だ」という外圧が事を動かしているに過ぎない。コロナと五輪で国民の怒りが見えた時に、僕は戦前なら二・二六事件かなと、そういうきな臭さの発端ぐらいを嗅いだが、そのエネルギーは横浜市長選で往時の千分の一ほど垣間見えたが些細なもので終わった。

くりかえすが、日本が未来に平穏無事に生き延びる道は、蹂躙・同化されぬ尊厳を身にまとい、一定の経済力・軍事力を持つこと以外にない。①尊厳は天皇・皇室の存在・維持、そして②強靭な経済成長力と国富③相手の行動を抑止する最低限の軍事力だ。河野は②が弱い。法人減税で再分配促進は結構だがマクロの視点の経済政策が見えない所に再分配率なる言葉が出るのは違和感がある。30年株が上がってない唯一の先進国をどうやって成長させるの?ということだ。

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「45才定年制」の深い闇

2021 SEP 13 9:09:33 am by 東 賢太郎

45才定年制はサントリーホールディングスの新浪剛史社長の案だ。会社に頼らない人を育てる意味だというがネットで炎上してる。どちらの気持ちもよく分かるが、これを批判しても仕方ない、既に発表されているみずほ銀行の週休3日制も同じであって、マイルドに聞こえるが要は「もう正社員をそんなに雇えない」という意味なのだ。日本を代表する企業の収益力の衰退はもうそこまで来ており、病膏肓に入っている。定年延長議論は年金の枯渇問題を民間に押し付けようという悪いジョークにすぎない。

企業の収益力の衰退はコロナのせいではない。国を人とするなら株価は体温のような健康のバロメーターである。我が国は先進国で唯一30年も株価が横ばいで、相対的にどんどん体温が下がっている。30年前に米国人が脅威に感じるほどリッチな国になったのが泡沫の夢であったかのように、現在の我が国はというと、国民ひとりひとりの物価調整後の購買力(金持ち具合)を示している「一人当たりGDP」はすでに韓国に抜かれている。

これに対してよく出る反論は、上位を占める人口の少ない国とは事情が違うというものだ。人口5000万人以上の国で比較すれば日本は世界第6位であって、名目GDPが第3位である事実と乖離は少ないという。しかし、ご覧のとおり、もはや人口5000万人以上の国だけで比較しても韓国に負けている。いうまでもなくGDPは一定期間に国内で生み出された付加価値(中間投入物を除いた生産額)の合計でほとんどは企業活動が生んでいる。つまりこの表は日本人が依然として世界で有数の豊かな国民であることを示してはいるが、日本企業が衰退の一途にある可能性を示唆してもいる。

企業は利益がなければ給料は払えない。「45才定年制」という提案は、含意をどう前向きに表現しようと、「利益に貢献はしないが給料はくれという社員は辞めてもらいたい」という、収益状況の実態に基づいた経営者の本音である。「経営者が無能だから稼げないのを従業員のせいにするな」という批判も成り立ち得るが、そういう経営者でも昭和までは稼げてきたのも事実だ。日本を取り巻く環境が平成あたりから激変しており、国も民間も過去の成功にあぐらをかいて対応を30年も放置してきたのが原因だったと考えるべきだろう。

新浪社長の意図が「会社に頼らない人を育てる」趣旨であるなら、菅総理が掲げた「自助」と重なる。賛成だ。日本はそれ抜きでは国も企業も、成長はおろか繁栄を維持すらできない局面を迎えていることは間違いない。そのことと、本当に助けなくてはいけない弱者への公助(セーフティネット)の必要性はぜんぜん別な話である。菅政権が国民の支持を失ったのは五輪のせいではなくコロナの自宅待機で救える命を救えず「なにが自助だ、公助すらないではないか」と怒りが爆発したからだが、そのことと、日本を沈没させないために「まずは自助を」が必要であることを混同はできない。

自助が何かは一概に言えない。僕は団地住まいのサラリーマン家庭で育った無産階級の子だ。学校の友達は豪邸に住む有産階級ばかりで悔しさが原動力になって勉強し、朝から晩まで働いて有産階級にはなった。別にどうということもない、会社を作っただけだが、日経平均株価が上がれば自分の資産も増える順張りポジションだから第2次安倍政権さまさまで金はできた。たまたまの結果論だが自助には成功した。だが元から金持ちなら苦労は無用で、気持ち的に僕はいまだ無産階級だ。菅総理は政治家として家柄、地盤なしの無産階級から頂点まで昇りつめた人だ。それが首相公邸に頑として入らず理由は語らず。あれがもしもレジスタントな気持ちによるなら僕は共感できる。

自助は簡単ではない。できてもできなくても実はそれでは解決しない根が深いものがあり、それが上級国民という怨嗟の言葉を生んでもいる。「45才定年制」は「ま~しょ~がねえよな~」で終わり、野党の政権交代など論外、自民党総裁選は株高路線の高市でいいんじゃない。思うに世の経営者の本音はこんなもの、運よく手に入れたものを今更変えたくない。僕だってもう充分に頑張ったし面倒だからそれで結構となりかねない。我々世代あたりの逆の意味でレジスタントな意識が根底にあって、官民ともに過去の成功にあぐらをかいて30年も対応を放置した。そして中国はおろか韓国にも抜かれてしまっているのにマスコミはおおっぴらには報道もしないのがまぎれもない日本の現状なのだ。

野球なら中盤まで楽勝だった試合が8回に逆転されて9回の攻撃を迎えてしまっている。66才の僕の実感だ。このまま負け試合にしたくない思いは同世代の皆さんにも共有されていると信じたい。

 

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ええじゃないか、ええじゃないか

2021 JUL 15 0:00:39 am by 東 賢太郎

天からたくさんの御札がひらひら降ってくる。見ろ、「安心安全」とご祈祷の文字が書いてある。これは慶事の前触れじゃ、おどれ、おどれ。

バッハ氏については5月28日の稿に書いたとおり。東洋人なんてのはみんなおんなじで、お金くれたらよいしょしとこうかって、白人はそんなもん。日本の台頭でそれは変わらなかったが中国の台頭で明らかに変わったからああなる。

厚労省医系技官感染村。PCRしたくない(保健所守る)。感応度30~50%しかない抗原検査で無症状者は野放し。その弥縫策がクラスター対策。そしてクラスター探すと必然的に「酒を出す飲食」に至る。よって、政府はそこを叩く。

また緊急事態。しかも五輪で異例に長い。飲食にオモテでご協力求めながらウラで金と酒を絞る。従っても従わなくても潰れる非業のイジメ。飲食、酒業の激怒はあまりに当然。びっくりしてカネを配るらしい。それ、誰のカネだ?

西村大臣。責任は自分と総理をかばう代償に「朝から夜までコロナ対策で頭がいっぱい」と総理も西村をかばう。朝から夜まで考えて頭いっぱいになった結論がそれならば大臣の能力の問題という結論に至るんだけどこの内閣、大丈夫か。

東京都議選、世田谷選挙区で僕が投票しなかった自民党の土屋美和さん。ニューヨーク大学経営大学院修了ってMBAだよ。「学校に記録がないが」「そりゃそうですよ、留学生枠でやってないので」って、なにそれ?わけわかんねえ。こんなホラがバレないと思っちゃう頭の人はMBA無理だよ。

「東京五輪の新型コロナウイルス感染予防策として表彰式では選手自らがトレーに載せられたメダルを首に掛ける」。バッハさん、なにを気にしたんか自虐ネタなのかあれもこれもきれいに的外れだ。マスクとシールドあればそこまでしなくてもいいと思うがそんな空気の中でやるなら選手が気の毒だ。

「来日中の米国と英国籍の東京五輪スタッフ4人が麻薬取締法違反容疑で逮捕されたが、4人は逮捕前、東京・六本木のバーで飲酒していた」。まあ、捕まったしええじゃないか。でもコカインはどこにあったんだろう?

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田村正和に見た男の美学

2021 MAY 22 12:12:11 pm by 東 賢太郎

わがままに生きてきたせいか、唯我独尊というか、自分だけの美学とスタイルを持っている男に共感がある。それも野放図にそうだというのでなく、少々無理してでもそれを変えたくない、違う風に見られたくないという繊細さ、依怙地さが裏に見えるぐらいがちょうどいい。その最高峰が高倉健だったが、田村正和もそうだった。先だって見た古畑任三郎の「笑うカンガルー」は、ロケ地がオーストラリア(ポート・ダグラス)のシェラトン・ミラージュなのに驚いた。一昨年も行った我が家お気に入りのリゾートホテルだからだ。その矢先なのが悲しい。

田村は成城学園だからあの雰囲気かな、というのはとてもある気がする。僕はというとぜんぜんぎすぎすした世界に入りこんでしまったが、あの感じはいいなというのがどこか残っていて、心の故郷というかお袋の好きな世界だったというノスタルジーを感じさせてくれる大事な役者さんだった。僕自身、仕事用に作った世界があって、完全にそういう人を演じて繊細に依怙地に生きてきたが本当はそうじゃない。それを仕事の局面で見抜かれるへまをしたことはないが、女性には通用しないと思ったことが何度かあり、その方たちは例外なく今でも尊敬申し上げている。そして家では完全に丸出しである。

コロナでなくても外へ出ず外食もあまりしなかったと語っている田村だが、想像するに、それが面倒くさいから家が楽だったのではないだろうか。軽く見ているというのではない、逆だ。そしてその面倒くさいが人生までを支配してしまう境地に至る感じこそが男の究極のわがままであり、その真髄とでもいうべきものなのである。彼はおそらくサラリーマンが勤まるに最も遠い部類の人種に属していたろうが、まさにそうである僕も30年もよく耐えたものだと感嘆するばかりであって、そうさせてくれた家内のおかげというほかない。

77才は早く逝きすぎだが、お爺さん役も定年まじかの古畑任三郎も似合わない、年をとったらいけない人だった。似合っていたのは私見で最高傑作の「ラストダンス」と思うが、お人柄というか、引退宣言は柄じゃないという言葉も、最後の作品を観て自らダメ出ししてやめたのも格好いい。所作や手がきれいでキザなんだけど嫌味にならないのは本当の二枚目で誰も手が届かないし、ご自身の人生そのものが完璧な役者だったという役者さんはもう出てこないんじゃないか。静かに死にたいと、静かに去っていかれ最後まで格好よかった。美学に心酔。たくさん楽しませていただきました。ご冥福をお祈りします。

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東大生が注目する就職企業ランキングに驚く

2021 APR 3 11:11:35 am by 東 賢太郎

【東大生が注目する就職企業ランキング1位は?–2位アクセンチュア、3位ソニー】

オープンワークは3月23日、「就活生が選ぶ、就職注目企業ランキング(大学別編)」を運営する就職・転職のためのジョブマーケット・プラットフォーム「OpenWork」で発表した。

同サービス内で22卒の学生ユーザーが検索した企業を集計したもの。今回は、東京大学2,656名、京都大学1,762名、早稲田大学5,272名、慶應義塾大学4,453名、MARCH(明治大学・青山学院大学・立教大学・中央大学・法政大学)1万2,450名を対象にそれぞれランキングにした。

(以上、2021/03/23付のマイナビニュースをコピペ)

 

「検索数多い」=「就職注目企業」かどうかは知らないが今どきの世の中だからそうと仮定するなら、野村総研の1位はともかく野村證券の東大5位というのは信じ難い。驚異だ。僕の頃、野村證券は早慶が各々3,40人の会社で東大の同期は5人しかいなかった(1人はすぐやめた)。狭き門ではない、証券はいまの言葉ならブラックのイメージがあって(現に入るとそうだったが)非常に、極めて、東大生には人気がなかったのだ。「銀行から証券への時代になる」と口では言っていたが言ってるそばから信じてなかったし、駒場時代のクラスでも金融に行くとなるとほとんどが安全第一で世間体も良い銀行にという時代である。かくいう僕も銀行員の親父にそう説かれて羽交い絞めされかかっていた。それが今や銀行は20位に入ってもいない。おそらく本筋の官僚志望にもその傾向が出ていると思料する(とするなら、政治に起因する国家の質を揺るがす問題の可能性がある)。なぜなら官僚の母体である法学部の人気に異変が起きている。2019年の入試で開闢以来初めて文Ⅰ(法学部)と文Ⅱ(経済)で合格最高点も最低点も文Ⅱが上だったと聞いて仰天したが、そんなことは当時あり得ない。この事実は東大生の方が「変質」していると解釈する余地がある証左だろう。

本ブログは東大生がかなり読んでくれているそうなので、以下先輩の親心で書いておく。大事なメッセージはというと就職は人気で決めるなよに尽きる。君ら株なんかやったことないだろうが、経済現象を理解するに株ほどいい教材はないし、そんな経験すらないのがいっぱしに経済を語ってコンサルですなんていわれてもね、僕なら5秒で坊やおとといおいでになるね。学校で教えないことが実は一番大事でしたというのが日本の悲劇の根源なのよ。騙されたと思って小遣いで好きな銘柄を買ってごらん。ランダムではなくちゃんと理由を考えてね。誰もが「いいね」「安心感あるね」「時流だね」という銘柄は見事にすっ高値だという確率が高いことをやがて悟るだろう。むしろショート(空売り)した方がいいと。就職もまったくもって、そうなわけだ。これは会社の問題ではなく、より重要な意味で、「株価」(valuationという概念での株価)の問題なのだと書いてわかるだろうか。例えば “超優良企業” が株価1000円なら「買い」でも、2000円なら「売り」になる。これが相場というものだ。その間に会社は何も変わってないのにである。相場においては会社でなくvalueを買っている。これが腑に落ちない人は民間への就職はやめておいた方が無難だよ。value、valuationとは何か?こんなのはその辺の本にいくらも書いてあるから説明は省く。

しかし普通の人は(東大生でも)そんなことすら知らない。ウブでオボコいとしかいいようもない。政府はもっと知らない。だからニーサをやれば国民の株式保有が進むと思ってる。自分が株を持ってもいない役人の考えることだ、あまりの能天気に笑うしかないが、株がこんなに上がると株保有の有無で国民のディバイドが歴然としてしまうから笑える問題ではない。簡単に書けば、みんなが良いと思えば当たり前の需給関係の結末で相場は上がるわけだ。しかし相場という概念が脳にインプットされてないからそれを見てますます確信をこめて2000円でも高い”超優良企業” 株を3000円で買う人がいる。驚くべき現象と表現するしか僕にはすべがない。我が国の就職戦線はそうやって動いている。人気があるから?そういう100%イロジカルかつ非本質的な情報で大事なことを決めるのはインテリジェンスがない人間だけだ(はっきりいえばバカ)。僕はいたるところでそう書いたり言ったりしてきた。でもね、それで気がついたんだが人間ハタチにもなっちゃうと知らず知らず自分の思考回路が確立していて、そこからはみ出した意見は理解はしても取り入れなくなる。頭がいいとかえって間違って固まるからもう始末に負えない。教えても無駄なのだ。勉強は大秀才だったのにそういう人は驚くほどたくさんいるよ、昔の超優良企業にね。

株を買うとは株主になることだ。就職するとは社員になることだ。株主になっていい事がない会社に人生預けるか?株は損切りできるが人生はできないよ。つまり、10年後には株価が10倍ぐらいになってるだろうと思う会社に入りなさいということだ。10年前のGAFA、Teslaがまさにそうだ、実感としてわかるでしょ。もっと言えば、その会社の成長の原動力を学んで盗んで、自分で会社作って儲けなさい。そのぐらいの気概じゃないと中国人にいい所をぜんぶ持っていかれるぞ。中国の学生トップレベルの受験戦争は日本の比じゃない。北京大、清華大に入れないセカンドランクの高校生がハーバード、スタンフォードに行ってる(日本と逆だ)。米中対立でアメリカ留学できなくなったからそれがどんどん日本に来てる。親はみんな富裕層で、カネを持ったら次は教育であり、マンションをぽんと買ってやる。高田馬場に10ぐらいVIP中国人用の受験予備校があって大盛況だ。昼は数学やって夜は日本語をやる(我々の英語に相当、ハンディじゃない)。猛勉強してすでに東大に何人も合格してる。院や留学生じゃないよ、我々とおんなじ入試で正面突破だよ、中国語で受けられるからな、ちょろいと思ってるんじゃないか。

君たちが30ぐらいになるころ、断言するが、日本国内ですら最強のライバルは中国人エリートになる。当然だ。あと7,8年で中国はGDPでアメリカを抜く。その世の中でそうならない理由などあるはずがない。そこで彼らは英語、日本語、中国語の完璧なトリリンガルなのである。需要がないはずがない。アジアで日本人だけが優秀なんて思ったら大間違いである、英語、中国語はおろか日本語の読み書きもまともにできない日本人なんて需要はまったくない。だから僕はこれから日本在住の30代の中国人たちと戦略的業務提携をすることに決めた。そしてもっと若い中国人エリートをどんどん高給でスカウトする。つまり、すでに彼らは君たちのライバルなのだ。株価の予測なんて習ってないしできない?ジョークだろ、それはとてもまずい。僕の周囲にいる中国の若者にそんな子は一人もいない。株式に対する興味は凄まじく、日本の難関大学卒で日本語は敬語を完璧に使いこなすレベルであり、ビジネスは僕の門下にいる。ゼミみたいなもんだが題材は実際に金が動く投資であり億円単位の企業買収である。「君は僕が30の時より優秀だ」と言っているY君は親御さんがスコットランドにお城を持ってるが、彼はそんなのなんとも思ってない(ここが日本の金持ちのボンと決定的に違うのよ)。40のころ彼の資産は1000億円にはなってるだろう。

そもそも君らはハタチにもなって失敗を知らないうえに世間でとーだいせーってちやほやされて、ものすごくそういうことにオボコいのだ。だからそのノリで就職して世間に出て社内の手練れのワル(どこでもいっぱいいる自分だけかわいい狼みたいな奴らだ)にひっかかるといいように手足にこき使われてしまう。受験で鍛えてるから仕事早いし正確だし徹夜する耐久力もあるし、なによりド真面目だ。学力の著しく劣る国会議員のアンチョコ書かされて貴重な時間を空費する官僚の諸君など本当に気の毒でならない。そこまでしても人間は可愛くなければ往々にして使い捨てにされて終わる運命にあるのは昨今の某省の事例でお気づきだろう。東大卒はプライド高いし一般にあんまり可愛くない。下手すると他大卒からいじめにもあう。だから賢い者は戦略的忖度という策に走る。それは方便として間違っていない。ところがそれが諸刃の剣で、バカが上に来て下手に迎合でもすると想定外である便利屋の評価が固まってしまう。そうするとそのまんまトシとってスーパー総務課長代理みたいになって人生を終わるなんてこれまた気の毒な運命になる。企業は東大生を一応は幹部候補生として採るわけだが、うまく育たずハズレになっても構わない。仕事はリライアブルでステイブルで給料は安い中間管理職の存在はありがたいからである(役員が楽できるからだ)。それも見込んで一定数は必ず採用する構図が出来上がっている。別に頭がいいからではない。つまり実はそうなっちゃう人が多いということの裏返しでもあり、出れば安泰なんて時代は僕の頃ですらとっくに終わっていた。

東大卒の肩書は爺ちゃん婆ちゃんが鼻が高いと喜んでくれる程度のもんで何の足しにもならん。世の中は甘くないと心得ろ。ハズレになりたくなかったら三国志を熟読することをお薦めする。古今東西共通、人類永遠普遍の「修羅場の原理」が書いてあるよ。君たちのアンチテーゼの元東大生による本ブログは人生をかけて書いてきて2500タイトルぐらいにはなった。東西の証券ビジネス最前線で40年戦ってきた思考のエッセンスだ、くだらない本に2000円も払うよりはましと思うよ。ところで、検索数5位の野村證券だが、ニューヨークでヤクザな韓国人が運用してるファミリーオフィスでマージンコールがひっかかって2200億円の損失計上するらしい。ゴールドマンら米系はうまく逃げた。記事の情報しか知らないが、アルケゴス・キャピタル・マネジメントのこいつは昔タイガー・マネジメントにいて大博打を貼るので有名な手練れの男だ。所詮は証券業はヤクザな商売なんだ、アホなヤクザはケツの毛までむしられるだけだよ(こういう手合いは手数料はくれるが危ないから僕は絶対に商売しない)。しかしまあ野村ともあろうものがプライムブローカーなんてフェイクで安直な金融業もどきでこんな奴のクレジットとるとはなあ、いい会社というかずいぶんオボコい普通の会社になったもんだのう。勘違いの東大卒だらけになって沈没しないといいが。

 

情報と諜報の区別を知らない日本人

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飲み会を絶対に断る男

2021 MAR 3 1:01:46 am by 東 賢太郎

証券会社から銀行に移籍してなるほどこれは違うと思ったものがある。母体が銀行といってもやってる業務は証券だ、ここでそれということは本丸では相当な差があろうかというもの。飲み会だ。

銀行員と証券マンは違う。「東くん、君らはファンファーレから入るけどね、僕らはお葬式から入るんだ」と教えてくれた役員さんは、証券マンほどお葬式の翌日から入る人種はないことをご存じなく証券業に入られたという意味でとても銀行員だった。各所で飲み会をしていただいて有難かったが、商売や人生の基本原理がまるで別物だから犬の集会に猫が一匹まじったみたいなものである。

「いいネクタイですね」。猫は毛の色まで珍しい。お酌をくれながら「野村だと毎日でしょ?」「いや、僕は年3回ぐらいですかね」。シーンとなる。大学で全優だったんだろうなという感じの女性からおそるおそる「あのう、ニバンゾコって何ですか」とあさっての質問が飛んでくる。「チャートで二番目の底です。僕もよく知らないんですよ、何の意味あるのか」。禅問答が10秒で終わる。まあこんな塩梅であんまり酔いが回らない。それなりの酒宴の在り方は面白くはあったがネクタイはちまきの宴会部長は1年待っても出てこないだろう。

驚いたのはそれだけでないが、もっと驚いたのは、「そんなものはいいんだ、ここは証券会社だ、そのために来てもらったんだから君の好きなようにやってくれ」といわれたことだ。後に社長になられる横尾常務(当時)だ。これを男冥利といわずしてなんだろう。31年サラリーマンをやって一番高揚感を覚えたのはこの時だ。自分をほめてもいけないが、モチベーションが上がると猫が豹に変って気がつくと自分でも信じ難い結果が出てしまっていることが幾度かあった。この時もそれだ。

そういわれたからといって証券流飲み会を決行したわけではない。なぜなら興味がない。若いころ盛大にしていたのは仲間と群れる時間が潤滑油として必要だったからだが、麻雀がわりのカジノと土日のゴルフの方がずっと多かった。それをここでやるわけにもいかず、結局120名の部下とは仕事現場でのつきあいだけで潤滑油はなし、しかしそれでうまく歯車が回ってしまうのだから銀行の組織力は大したものだと感嘆した。野村の組織力も強いが、人的つながりに依存するのでどうしてもプライベートで腹を割っておく必要があった。

サービス業でなく研究者のような就職をしていたら良かったと時々考えることがある。理系だったら本性のまんま「飲み会を絶対に断る男」で通して楽だった気もする。しかしそっちの世界はもっとヨイショが必要だよという声もあるので上司の不興を買って討ち死にしてた可能性も高かろう。たまたま入ってしまった証券界で生き延びたということは本性をかなぐり捨てて妥協してきたからである。そして、ということは「飲み会を絶対に断らない女」とあんまり変わらないのではないかという結論に至ってしまうのである。

総務省No2まで昇りつめた山田真貴子氏は「断らない女」を妥協というより功利で積極的に演じたのではないか。それはそれで生き抜くための立派な戦術だ。サラリーマン道では僕より一枚も二枚もうわてな人なのだろう、何事であれ達人には敬意を払うポリシーだから悪いという含意はないつもりだが、しかし、自分の人生もそれだったとなると全く認め難いものがある。妥協していたのは認めるが、野村から出たのはそれをもう一切しないという決断であり、そんなことをせずとも力だけで評価してくれたみずほ証券には心よりの感謝しかなく、もちろんその力を涵養してくれた野村は棺桶に入るまで「我が母校」である。

おかげ様でいまや「飲み会を絶対に断る男」にすっきりさっぱりと回帰し、達人の仕事をしてくれる部下、仲間たちと楽しくやっている。敵味方なくファインプレーが出れば達人だねえと愛でる、仕事でも趣味でも完全にそういう人間に生まれついていたのだということが自分でよく分かってきた。達人だなあと思う中身は年齢とともに変わっていくことはあるが、あの誰も抑えられなかった王貞治選手をワンポイントで三振にとる大羽進投手は凄いと小2でカープファンになった素地はそのまま三つ子の魂である。

だから、これからのビジネスもそうなのだと考えている。長年白人と仕事し、白人社会で生活してきた。でもそれが三つ子の魂ではない。そのことはスイスから異動になって香港チェクラップコク国際空港に家族と降り立った時、不意の衝撃として天啓の如く悟ることとなった。空港の雑踏でもみくちゃにされて周囲を見渡すと、みな髪の毛が黒いということだ。当たり前ではないかと笑われようが、まるで別な惑星で異星人の集団に取り囲まれたような気分に陥っていた。しかも、鏡を覗けば何のことないそこに写る自分はその異星人なのだ。不思議の国のアリスが目が覚めたとき、きっとこんな気分だったにちがいない。

そんなばかな、大袈裟なと思うかたには、少なくともまず欧米のお好きな国で14年の歳月を過ごしていただき、ある日突然の電話で「次は香港に2年半住みなさい」と有無を言わさず命令されていただく必要があるだろう。ノムラ・インターナショナル・香港のでっかい社長室に次々と押しかけてくる人達にそんな気分を微塵も悟られぬよう注意を払いつつ、何日かはアリス状態から頭が切りかわらない。さらにもう幾日かを経て、恥ずかしながら初めて悟ったことといえば、いかに自分から日本人目線が抜け落ちてしまっていたかということ、そして、日本人が東洋人の一部だという意識のかけらもなくボ~っと生きてきたのかということだった。

三つ子の魂は日本にあるに決まっている。しかし自分は東洋人だから香港です~っと吸い取り紙にインクが浸みこむみたいに受け入れてもらい、500人の部下とパイチュウで倒れるまでカンペーカンペーの飲み会をする必要もなく長年そこにいたかのように仕事ができた。中国や韓国やベトナムのビジネス慣行はとんでもなく違っていて失敗もしたが、東洋人という最大公約数から糸をたぐっていくうち何がなぜどう違っているかが分かってきた。日本人だって、東京人の僕に大阪の文化は驚天動地だったじゃないか。この発見は非常におおきい。なぜなら証券ビジネスという心理の機微や綾が非常に重要な要素を占めるものにおいて、飲み会や大宴会よりそっちの理解の方が実は部下やお客さんには本音で望まれていたことのように思うからだ。

不思議なもので、コロナで禁止されると飲み会やりたいなあと思ってる自分がいる。なんてあまのじゃくにできてるんだろう。「断る人は二度と誘われません。幸運にめぐり合う機会も減っていきます。多くのものに出会うチャンスを、愚直に広げていってほしい」(山田真貴子広報官)。いいこと言うなあ、やった人しか言えない、ビジネスを志す人は耳の穴かっぽじって聞きなさい、まさしくその通りなのである。男だ女だなんか関係ない、そのぐらいの覚悟と犠牲がないとNo2まで昇るのは到底むりだ。7万円が高いか安いかは接待する側がおもんぱかるもので、出てしまった饗応を断るすべはない。もったいなかったね、行ってしまったのがまずかったですな。

ところで、若い人にそう言いつつ、僕はもうそういう幸運やチャンスはいらない。ときに何の話題がなくても一緒に酔っ払ってくれる人は大事だったんだなあと思う今日この頃だ。

 

飲み会を絶対に断らない女

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