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カテゴリー: _____どうして証券会社に入ったの?

どうして証券会社に入ったの?(その7)

2014 DEC 25 22:22:19 pm by 東 賢太郎

 

<やさしき女性たちの巻>

犬も歩けば棒にあたる、これはほんとうです。

U社長に自信をつけていただいたおかげでしょう、2年目になると飛び込み外交で集めた名刺の中から少しずつお客様ができだして、僕も営業第一課の一員として貢献ができるようになってきました。

その中に、当時大流行だったインベーダーゲームの機器を卸している若手社長Kさんがおられました。まだ30歳ぐらいで恰幅もきっぷもよく、会社に何度も通ううちに意気投合しました。大阪商人の気質は僕にはよく合ったようで、何回も説明してとうとう新日鉄株を100万株買っていただきました。

当時、100万株のぺロというのは証券マンの勲章であり、先輩方といえどもそうきれるわけではありません。そういう事をもわかったうえで「よっしゃ、いったるわ」となった、これは社長の男気でもあり、ファックスで全社にニュースとして流されて大いに男を上げていただきました。

ところがこれもオチがあって、「城東区の会社まで現金を取りに来い」となってはたと困ります。300万円までしか数えたことがないのにこれは1億8千万円なのです。当時は札束を数える機械なんてありません。仕方なく店頭の女子社員4~5名に同行してもらい、手分けして数えることになりました。なんとも大らかな時代でした。

役に立たない僕はお札にさわるなといわれ社内旅行のイッキの女神たちが1時間もかけずに仕事を終えました。もっと言うと、数えたら1万円多かった。これは偶然なのかK社長に試されたのか?「おっ、そうか」で終わったのでわかりませんが冷や汗です。

いま思うともっと信じられないのはこれを僕はカバンに入れて電車で支店に持ち帰ったのです。若造がタクシーに乗るという発想もなかったです。厳しくて有名だった総務次長さんもそれでなんでもなかった。危ないもんでした。電話帳7、8冊分ほどの重みでずっしりした感じはいまも手に残ってます。

株が好きで入社したぐらいですから僕は株の商売はあまり苦労しませんでした。しかし、証券会社の推奨銘柄が必ず当たるなんてことはありません。総合研究所の調査やチャート分析など情報は社内にいくらでもあるというだけで、結局は自分がいつもアンテナを高くして勉強していないとうまくいかないということが分かってきました。

ただ当時の営業というのは営業本部、支店などで決めた銘柄を「タメコミ」と称してひたすら買っていただくだけで、自分の眼でいうとそんなのもうからないだろうというのが多いのです。だからお客様のためを思えば、そういう全体の方針に従ったうえで、自分が調べて本当に良いと思う銘柄も買っておいていただくことが必要であり、株価の変動要因というものを暇をみては勉強しました。

一方で僕には決定的な弱点がありました。「中期国債ファンド」、当時の通称は中国(ちゅうこく)ファンドです。これは銀行預金金利より少し利回りが良く資金の出し入れも融通がきくということで、当時の証券会社の戦略商品でした。これが僕はぜんぜん売れないのです。なぜかというと、値段が動かないからです。動くものが好きな僕について下さったお客さんもそうでした。

株の商売では目立たないのに中国ファンドはがぜん強い先輩がいて僕はいつも羨望のまなざしで見ていました。甘いマスクで主婦に強い。「おくさーん、今月もおとりできしたー」の電話何本かでノルマはおしまい。すごい。僕は主婦層はからっきしだめでお客様は企業経営者ばかりです。「預金やろ?興味ないわ」でおしまい。毎月締切日が近づくとチュウコクと聞いただけでジンマシンが出そうでした。

ある月に500万円のノルマが最終日になって僕だけまだゼロという悲惨なことになり、「できるまで帰ってくるな!」と課長に外に追い出されました。お客さんを必死にかけずりまわって「3日でおろしていいですから」と頼み込んでなんとか200万円。真っ暗になってついに降参となりとぼとぼ店に戻りました。怒鳴られるのは目に見えています。

ところが課員全員が待ちかまえていて、「オー東、よくやったな。お前もやればできるじゃないか!」と拍手でむかえられる。なんだこれは?「すごいぞ1千万円は」「はあ?」どうも先輩方の話をそれとなく聞いていると、僕のセールスコード23番で1千万円の中国ファンドを不在中に店頭で新規キャッシュでお買い上げいただいたようなのです。

「ええ、まあ」とお茶を濁して店頭カウンターへ行ってみると事情がわかりました。店頭の女性が23番で切ってくれた、そういうことでした。前に書きましたが「やります」といって穴をあけると「空(から)ぺロ」といって重罪なのです。それを知っていて、見るに見かねて助けてくれたのでした。

そうやって弱いところを助けて支えて下さったのは女性でした。それはなにも僕だけでなく当時の支店全体がそういう雰囲気だったのです。これが大阪の女性のあったかさんなんでしょうか、初めてきいたときはびびった大阪弁で「ええかっこうしい」だった東京もんがどれだけ救われたか。

2年半梅田支店でお世話になるうちに大阪が大好きになりましたが、そういうことがあったからです。ときどき大阪へ行くといつも富国生命ビルのあたりを歩いてみます。パチンコ屋から毎日大きな音できこえていたジュディ・オングの「魅せられて」が耳によみがえり、万感の思いが胸にこみ上げてきます。Oさんほんとうにありがとう。

 

どうして証券会社に入ったの?(その8)

 

 

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どうして証券会社に入ったの?(その6)

2014 DEC 1 0:00:12 am by 東 賢太郎

 

<大問題をまきおこす・の巻>

 

「ウチの名刺で会えない人なんかいない。四季報で外交してみろ」

S先輩もまさか僕が真に受けて本当にそうするとは思ってなかったでしょう。しかし、面白い、やってみようと朝一番に北区に巨大な白亜の本社を構える某一流上場企業に電話をしてみました。もちろん「社長にお会いしたい」といってです。

「どちらの部署の東さんですか?」「はい、梅田支店です」「少々お待ちください(1分ぐらい待つ)・・・申しわけございません、御社は大阪本社の事業法人部がお見えでございまして、そちらを通していただければとのことでございます」

なるほど、そういうことになるのか。これが一回目。よくわからないので今日は大丈夫かもと同じことをしつこくくりかえしました。ぜんぜん埒があきません(あたりまえです)。「大阪本店のO副社長がいつもお見えですよ」。なるほど。しかし副社長よりS先輩のノルマである社長の名刺集めのほうが重大事ですから、そのぐらいではひるみません。

知恵がついてきて、電話帳で調べて大代表ではなくいくつかの部署にかけてみます。同じ答えでした。さらに知恵がついて、秘書室という部署にかけるうちに、社長秘書がAさんという女性であることが分かってきました。電話の声だとちょっと年上だろうなあという感じ。だんだん一言二言の会話ができるようになり、「お会いしてどうされるんですか?」ときかれます。

もうこっちが支店の新人であり大阪本社事業法人部とは何の関係もないのはお見通しです。「はい、大学の先輩でいらっしゃるのです。ぜひお名刺だけでも頂戴したいのです!」それは本音でした。社長の名刺がほしいんですから。

そうやって来る日も来る日も1本電話をかけるごとにノートに「正」の字を書いていました。A秘書から耳を疑う言葉をかけられたのは64回目のことでした。

「今日社長は7時55分から5分だけお一人です。いらっしゃいますか?」

体に電気が走りました。その日の朝会で課長の銘柄は「富士通」でした。そしてラッキーだったのはT社の公募株がありました。「それ千株預けて下さい!」そう課長にお願いして一目散に駆けていきました。1分で自己紹介、3分で富士通、1分で公募、ちょうど5分!よしそれでいくぞ。

広い社屋で迷ってしまい、息をはあはあさせながら秘書室に到着したのはもうぎりぎりの時刻です。初めてお会いしたAさんは、思った通りたいへんおやさしい方で、「早くいらっしゃい、時間がないのよ、こっちこっち」とすぐ社長室へ通してくださいました。

目もくらむような立派な部屋に社長は笑顔でいらっしゃいました。「キミのことか、えらい元気がいいな」。Aさんから聞いておられたのです。1分で自己紹介、よし。3分で富士通、よし。そこまで予定どおり来ました。そうしたらそこで社長が、

「富士通なあ、キミ、うちはNECなんだよ」・・・

えっ、どういうことだ??もうこれで頭が混乱してわけがわからなくなり、最後の1分、T社の公募は名前だけ。すると、

「で、富士通は何株買えばいいのかな?」

えっ!?名刺をいただいて帰るつもりが想定外の展開にますますわけがわからなくなり、「い、1万株お願いします」とたまたま思いついた数字を申し上げるのがやっとでした。

まてよ、1万株って300万円だよな・・・

20万円の初商いで手がふるえてお札が数えられなかった僕にとって、これは青天の霹靂の大商いでした。

支店へ走って帰り意気揚々と報告をすると、「よーやった!」の嵐です。課長が「で、どこのお客さんや?」「はい、***のU社長です!」、ひときわ大声で答えました。

 

重苦しい雰囲気の中、次長さん課長さんが集合して大阪本店からクレームの電話を受けるS支店長をぐるりと囲んでいます。大変なことをしてしまった、もうこれはクビだろう。茫然と立ちすくむ僕に「アホかおまえ、相手を考えろや」まわりの先輩たちの厳しい目がささります。

すると、支店長の激した声がかすかにきこえました。

「副社長、新人ですよ。仕方ないじゃないですか。すごいじゃないですか。新人ですよ。お願いします、ぜひやらせてやってくださいよ」

このお言葉は聞こえたそのまんまです。一言一句、一生忘れもしません。驚きでした。支店長といってもまだ部長です。この会社はほんとうに凄い会社なんだ。そこで急に手足が震えてきたことだけを最後に、後の記憶は飛んでいます。

 

U社長のお人柄は泰然自若。偉ぶることは皆無で、それからは例の朝の5分間が10分になっていつでも会ってくださいました。家にも呼んで下さり気さくな話を伺いました。大蔵省をけって入社された話もありました。

「東クン、社長になると孤独なもんでな・・・」覚えてませんが僕が何か生意気を言ったんでしょう、「そんなことを言ってくれるのはキミだけなんだよ」。ハンコを押しながらつぶやかれた社長の笑顔は忘れません。

12月の末にちょっと来てくれと電話があり、来年の相場はどうか、どんな株が上がりそうかを書いてきてくれといわれました。そこで一生懸命に書いたそのままが正月3日の日経新聞で、恒例の「日本を代表する経営者の今年の株価予想」の欄に社長の写真と一緒にのっていました。

それから2年、赴任3年目の4月にいよいよ僕がS先輩のあとのインストラクターに指名された時、喜んでくだっさたU社長が「キミの初めての部下だな。あした連れてこいよ」となり、社長室で新人3人に「いい会社に入ったね」と言葉をかけて下さいました。いい会社・・・社長もあの時のS支店長の電話の話をほめておられたのです。

僕が留学で転勤のご挨拶をすると社長の口座はすぐ閉鎖されました。その後、財界のトップになられましたがお亡くなりになるまでお会いできませんでした。しかしこのことは僕の心のど真ん中にずっしりと刻まれております。もう野球の一芸は必要なくなって、これがその後の人生のバックボーンになりました。社長、支店長、そしてAさん、本当にありがとうございます。

 

どうして証券会社に入ったの?(その7)

 

 

 

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どうして証券会社に入ったの?(その5)

2014 NOV 30 3:03:42 am by 東 賢太郎

 

<素晴らしい男たちの巻>

 

支店の人間模様は複雑で、そりゃ150人もいますから社内旅行なんか普段たまったものが爆発して大騒ぎになります。あれはたしか和歌山の温泉でした。旅館を貸切で大宴会となり、新人3人は女装させられてパンツ一丁にスダレみたいなスカートをはいて宇宙戦艦ヤマトを歌いました。

大広間の宴会場は大変なことになっていました。むこうのほうで酔漢が大声で暴れて皿が飛び、窓ガラスが砕け散って電気は笠ごとふっとんでいました。僕は先輩酒豪女性軍のイッキ攻めにあってひとたまりもなく撃沈され、気持ち悪くなって這って流しまで行って水を飲んだあたりであえなく記憶が途切れました。翌日、旅館からは出入り禁止通告がでたとの一報がありました。

いろんな先輩にお世話になりましたが、僕の中でひときわ群を抜いた存在がMさんでした。課が違うのにとりわけかわいがっていただき、北新地はもちろん場末の末にいたるまであらゆるジャンルをテリトリーに、ピンサロ、オカマバーからありとあらゆる未知の場所に連れて行かれ、おごっていただきました。まさしく人生経験の奥深い薫陶をいただいた大兄であります。

行くと必ず4-5件ハシゴして朝4時まで飲んで、カプセルインで2時間寝てそのまま出社です。カプセルがいっぱいで、仕方ないと支店に戻って国債の宣伝の看板をたおして寝たこともあります。西本町の映画館で「あしたのジョー」やヤクザ映画を徹夜で観てそこから出社もありました。酒が弱い僕は飲み歩くのが苦手な性分ですが、M先輩と飲んで遊んだのはなぜか底抜けに楽しく別格でした。

高校から直接社会に出て苦労されたのにそんなことは微塵も出さず、めっぽう明るくてあったかくて男気にあふれ、営業に苦しんでた僕を見かねて励まして下さっていたのです。一度ご自宅に呼ばれ奥様に「いつも僕のせいで・・・」と謝ったら、「いいえ。いつも、あいつはいいぞって、ご迷惑ですよね。ごめんなさいね」。もう言葉を失いました。Mさんどうされてるんでしょうか。

 

証券会社に行きたいと言ったら親父から「株屋だよ、やめときなさい。賢ちゃんには無理だよ」と大反対されました。あの世代の銀行員の常識からすればそうだし、たしかに学生の僕のままだったら圧倒的に無理だったのです。しかし、この梅田支店で先輩にお客様にさまざまな感化をうけ、僕はもう親父の知らない僕になっていました。

株というのは非情なものです。数字だからです。金融というのはきれいごとの名前で、銀行も証券も保険もみな数字を売り買いする商売のことをいうのです。数字に情はありません。中でも仕組みの商売ではない証券業務というのは生き馬の眼を抜くと言われるように弱肉強食の世界です。

そこで働く男たちというのは、入社前のイメージでは007やゴルゴ13みたいに非情でニヒルなように思ってました。しかし現実には熱くてあったかい人が多いのです。新し物好きで好奇心旺盛でフレキシブルで物事に感動できる男たち。楽しいことに目がなくて、いつも人生の明るい方(ブライターサイド)を見ている。最高じゃないですか。

それは決まりきったルールに則って数字を冷徹にあやつる他の金融とは違う人種です。みんな同じことをしているので、新人だっていい商いをすれば同じ土俵で認めてくれます。それは高校で味わったあの野球部の世界そのものでした。外へ出ていって誰と会ってもいいぞ、普通の会社ではありえないことです。

支店長に買っていただいた「新エネルギー論」。この本はいまでも大事にとっています。あの日、ウメ地下の壁新聞のあたりでばったりお会いしなかったら・・・。今となっては、テレビドラマでさえ「それはないだろ」、というぐらいのことがおきてしまう。あの日辞表を書いていたら何が起きたんだろう?きっと支店長がびりびりに破いたんだろう。でもそういう結末でなくてよかった、運命だったと思います。

そしてさらに、Mさんみたいな快男児に会い、たくさんの男らしい兄貴分、先輩に愛情をもってしごかれたこと。あれだけプライドをずたずたにされ、ぼこぼこに殴られたのは梅田とロンドンだけでしたが、これまでの人生で最高の仕事ができたのもその2つなのです。男の兄弟がない、兄としてぶん殴ってくれる存在がない。それが僕には必要でした。そのアニキがたくさんいたのが梅田支店でした。

どんなにしんどくても、もうそれからはその一員であることに誇りを覚えるようになっていました。株屋?いいじゃないか、そんなら日本一の株屋になってやろうじゃないか。

 

どうして証券会社に入ったの?(その6)

 

 

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どうして証券会社に入ったの?(その4)

2014 NOV 29 0:00:53 am by 東 賢太郎

<ついに初商いに成功するの巻>

 

「飛び込んで名刺を百枚集めろ」!

インストラクターS先輩によるこの命令は滅茶苦茶でした。同期に社内電話して、おい、お前んとこはどうだときくと、だいたいが「電話でアポ入れだ。入ったら会いに行くんだ」といいます。そりゃそうだろう。「俺んとこは田舎だからな、家に電話だよ。奥さんが結構あってくれるぜ」。そりゃそうだろう!

だんだん腹が立ってきますがS先輩はこう言い放ちます。

「お前らなあ、ここはどこだ?大阪の駅前だろ。まわりは会社しかねえだろ。だから飛び込むのが早いんだよ」

「でもSさん、会社ったってほとんど上場企業しかないですよ。」

「お前らばかか。頭つかえよ、そんなら四季報で外交すりゃ早いってことだろ。ウチの名刺を出して会えない人なんかいないんだぞ。」

うーん、すごい。なんの理屈もないが説得されてる。こういうのがトップセールスってもんなのか。これをまじめに信じて大変なことをやらかしてしまうことになりますが、それは次回にとっときましょう。

さてこの飛込み外交ですが、1、2か月やってるうちにだんだんコツがつかめてきます。楽しいとはいえませんが何ということもなくなってきます。たしかに会社名の威力がなければできないことなので、今ふりかえると良い会社に入れていただいたとつくづく思います。

なにしろ、こういう強力な効能があったからです。

①目的が数字でわかりやすい。

あと5 枚ぐらいになると夜の7 時で真っ暗でも、「くそっ、もうひと頑張り」となる。全力でやってこい、頑張ってこいのような指示より壁際のプレーまでやる気が及ぶ。力が伸びるし長丁場では大差になる。

②何か話さざるを得ない

社長が出てきてしまうと「なんや?」「なんの用でっか?」だ。そこでビビったら名刺すらもらえない。相手を見て瞬時に「つかみ」の一発をかます必要がある。話は簡潔でわかりやすく面白くないとダメ。度胸、洞察、機転、話術、説得力、その全部が勝手に磨かれる。もちろん勉強も毎日せざるをえない。

③本当に社長に会える

電話によるアプローチでは絶対に無理。大会社ほど秘書に撃退される。家にかけても奥さんが出るだけでちっぽけな商売にしかならない。本人を直撃するのが王道だ。苦労人が多いから若者が汗だくで説明すると意外に聞いてくれたりもする。

やっぱり3年でトップセールを極めた人の方法は違います。ストレートだし本質のエッセンスを突いているし、鉄は熱いうちに打て、若手を一気に育てるにはこれだと思います。これを何百回もやったら誰だってトップセールスになりますから。この効能は僕の財産になり、今だってその余禄で食ってるみたいなものです。

最近ですがときどき弊社みたいなちっぽけなオフィスでも飛び込みのセールスが来ます。証券、保険、商品、コーヒー、事務用品、人材派遣などなど。悪いなごめんと思いながら僕は会いません。会うと昔を思い出して同情して買ってしまうからです。

 

さて、初めての商売のことです。自動車修理工場の社長で、現場に油まみれだったから作業員のオッチャンと思ったら社長でした。感じが良かったので後日にN社の公募株をもってまた工場にいったら「よっしゃ、こうたるわ」でした。

新人の初商いです。すごい、俺はラッキーだ!この時の感動は忘れられるものではありません。当時の公募というのは少しだけ値引きでだいたいもうかるからサービス商品なんです。それで口座開設してもらえ、そうすればそこからは普通の取引になるからなと先輩から教わっていました。

200円ぐらいの株だったので千株で20万円ほど。このお札を数えるのですが、そんな大金は触ったこともなく手が震えてうまくいきません。ゆっくりゆっくり5回ぐらいやってなんとか確認。「たしかにいただきました!」うれしさのあまり最敬礼して帰ろうとしたら

「兄ちゃん、預かり証もらってへんで」

そうでしたね、総務の課長さんが僕を見て危ないと思ったんでしょう、しっかり者の同期たちの倍ぐらい口酸っぱく仕込まれたイロハはうれしさの余りどこかにすっとんでました。

店へ帰ると たいへんです。S さんに「東、よーやった」と大声でほめられ、周囲の先輩からも「おー、新人、凄いな」とバンバン肩をたたかれ手荒い祝福を受けました。なんかこの世界いいな、俺にむいてるなあ、とこのとき初めて思ったのです。

ところがその祝福はつかの間のことでした。このオッチャンはひよっこの証券マン食いで、それ以来いくら行っても会ってもくれず電話にも出ず、すぐ売り抜けられてそれっきりでした。有名な公募の食い逃げ常習犯だったのです。

名刺は集まれど、商売成り難し。大阪の商人道は行けども行けども果てしなく、ほろ苦いものでした。

 

どうして証券会社に入ったの?(その5)

 

 

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どうして証券会社に入ったの?(その3)

2014 NOV 28 0:00:33 am by 東 賢太郎

<落ちこぼれてどん底の日々の巻>

 

ある日のこと、S支店長が新人3人を車で大阪城へ連れて行って下さいました。支店長とお話ししたのはこの時はじめてです。天守閣から街を見下ろしてひとこと、「どうだ、天下を取った気分になったか」。そこから美々卯でうどんすきをいただいたのまで覚えてます。こんなうまいものがあるかと食い物にまで感動してました。

しかし現実はきびしい。仕事をする前から僕は浮いていました。上のかたがたは営業ひとすじの戦士ばかりで、全国の支店で実績を上げて梅田に来たつわものぞろいです。僕のようなひよっこが相手にされるはずもなく、明明白白になんの期待もされていないのが自分でわかりました。

それにとどめを刺したのがレコード事件です。独身寮に送ったはずの僕のクラシックのLPレコード千枚ぐらいが運送屋のミスで段ボール十箱ぐらい支店の店頭にドドーンと積み上がってしまったのです。お客さんもびっくり、課長が箱を開けてさらにびっくり。なんじゃこりゃ?誰だこんなもん店に送ったのは!!と大騒ぎになってしまいました。

 「そんなもん聞いてるやつに株なんかむりだろ」

先輩の間で一気にそういう評判になってしまい、飲み屋ではいつも「おい、帝大!」です。「帝大は株の儲け方はどない教えるんや、おっ?」と酒の肴にこづきまわされ名前も呼んでくれません。なんとなく居場所がないなという感じです。

インストラクターは若手のエースSさん。巨大顧客の**商事を自分で開拓し入社3年目にしてトップセールスでした。「いいかお前ら、社長だぞ、社長の名刺を百枚だ。できるまで帰ってくるな。」が命令です。朝から晩まで飛び込み外交で名刺集めしてこいということです。

つまり街へ出てぜんぜん知らない会社に飛び込んで、社長にお会いしたいと無謀な申し出をして、どのようなご用件ですか?と聞かれて適当に口実を並べて、二、三十件に一回ぐらい勘違いで社長が出てきて、名刺はくれる。百枚というと二千件飛び込まないといけない。先輩これは無理ですとなって、よし社長十枚、あとは何でもいいから計百枚となりました。

 しかしそれでも大変なんです。革靴はすぐダメになり、真夏はスーツの背中が塩を吹いて白くなりました。大阪の中心部はほとんどの通りという通り、筋という筋は歩きつくし、飛び込むたびに証券会社なんか用はないと追い出されます。以前に書いた、船場の繊維問屋に飛び込みんだら「縁起が悪い、出ていけ!」と怒鳴られて塩をまかれたのはこの頃のことです。

こういうのは根っから耐えられず、僕だけなかなか名刺が集まりません。Sさんには怒鳴られ自信もなくなって、俺ってなんでこんな馬鹿なことやってるんだろと梅田地下街を歩いているうち、「ここはだめだ、辞表を書け」という声がどこかからきこえました。その瞬間に、意を決しました。ところがここが僕のA型性格なのですが、書くならきちんとした書式の辞表にしなくちゃということで、そういう本があるだろうと旭屋書店へ足を向けたのです。

そこで「おい、東!」と声がしてはっと見ると支店長でした。何を考えているか顔に書いてあったんだと思います。「いま銘柄はなにをやってるんだ?」といきなりきかれ、「はい、えーと、資源株です」とその場しのぎで答えました。そうしたら「そうか、ちょっとこい」と向かっていた本屋で「これ読んどけ」と『新エネルギー論』という本を買って下さったのです。僕が会社を辞めずにいられたのはこのおかげです。

先輩の面白半分のいびりは続きました。ところが、桃山台グラウンドで行われた社内野球大会で優勝候補を1安打完封すると、野球自慢の先輩がたの「おい帝大」は消えました。焼き鳥屋の祝勝会でちゃんと名前を呼んでくれ、ほっとしました。まだ野球だけの一芸社員でしたが。

 

どうして証券会社に入ったの?(その4)

 

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どうして証券会社に入ったの?(その2)

2014 NOV 27 12:12:13 pm by 東 賢太郎

<すさまじき証券営業の巻>

 

僕の入社した頃の証券会社というのは学生の想像をはるかに超越したすさまじき世界でした。

昭和54年、大阪は阪急デパートと曽根崎警察の間にある富国生命ビルの梅田支店に配属された新人は3名。京大の秀才M君、早稲田政経で一番だったS君と僕でした。支店長は後に社長になられるS部長、次席が後にS証券の社長になられるT次長、総勢約150名という一番の大店(おおみせ)でした。

支店には「営業場」(えいぎょうば)と呼ばれる奥まった一角があります。いわゆるセールスがかたまっている男ばかりのスペースをこう呼ぶわけで、梅田は営業課4つと証券貯蓄課でここに40人という全国一の大部隊でした。場(ば)というのがいいですね。相場、岩場、現場、賭場、狩場、馬場、仕事場、修羅場なんて、殺伐として女っ気のない言葉がならびますがそのイメージのままの場所です。

ここでは午前9時から午後3時の場中(ばちゅう)、つまり東京証券取引所が開いている時間帯には、電光掲示板をにらみながら推奨銘柄の株価の上げ下げにともなって数分おきに怒号や奇声が飛び交います。「ほーれ、いくよいくよ、おカル、ぶっ飛ぶよ、軽いよ軽いよ!」みたいな。これがすごい大音声なわけです。わけがわからない新人は何が飛んでくるんだ?と身構えます。

おカルというのは日本軽金属工業株式会社の株式(一般に「銘柄」と称する)のことで「いくよいくよ」はそろそろ株価が動き出す端緒にきていると思われる、「ぶっ飛ぶ」は急速に株価が上昇する、「軽い」というのは値動きが短時間に軽快で大きめであるという意味です。懸命に電話でお客さんに「おカル」の買付を薦めている営業マンたちはこの怒号が飛ぶと「社長!いよいよ来そうです、ここで1万株買わせてください!」なんてひときわ声のテンションが上がるのです。

今はこのスペースは静かなもんですが、当時は魚市場さながらです。証券外務員試験を通る5月あたりまで新人は別室で勉強でしたが、総務課のあたりは一般職の女性が多く普通の会社なみに静かなのですが営業場は戦場のようで近寄るのもこわかったです。6月にいよいよその営業場の第1課のはじっこに3人の席ができます。座るとたばこの煙がモウモウとたちこめて炭鉱さながらでした。殺気だった先輩たちが懸命に電話でお客さんに何かすすめています。

電話の姿勢は立ったり座ったりですが、中にはうずくまって受話器を持ったまま机の下にもぐっている先輩もいる。お尻だけ出ていて背中のワイシャツがめくれあがっていて、この人はいったい何をしてるのかと思いきや、突然むくっと穴から出てきて「おカル10万!」なんて課長に怒鳴る。すると「おーら、Y、10万出たよ!早く買わんと株なくなるぞー!」と課長が怒鳴る。「おー」と周囲からどよめきが上がります。Y先輩はこの日軽金株式10万株お買い上げという大商いのかかったお客さんとの電話で、最後のつめに集中しようと穴にもぐっていたのでした。

営業マンというのは売買手数料で競争しています。すさまじい競争社会です。出来がいいと賞与が多くて昇進も速いわけですが、出来が悪いときわめて悲惨です。課ごとの競争もあり4人の課長席はそれに体を張っていますから稼ぐ人はいいですが、だめだとアウトです。毎日、朝7時半と引け後と課の会議がありますが、新人の眼でも誰ができて誰が苦しいか一日でわかります。課長によってはダメ組は罵倒して思いっきり机をたたいて怒鳴りあげますから全員が凍りつきます。パワハラも何もあったもんじゃない。

こういう日々が続くと肩で風を切る先輩、下を向いて歩こうの先輩、今後の人生ずっとああいう人になってしまうのだろうなと恐ろしくなります。こんな風景が証券界から消えて今は久しいのですが、当時は離職率の高さで群を抜きそのほとんどの人は支店に配属された数年で辞めていったという時代です。同期もあっという間に半分になりました。修羅場をくぐり抜けるとはまさにこのこと。同じ証券マンといってもこの「営業場経験」のあるないは天と地ぐらい違い、すぐにおいでわかります。

営業場の鉄則というのは「やると言ったら必ずやる」なのです。注文伝票を「ぺロ」と呼び、お客様から注文をいただくと伝票を切りますから、商売することを一般に「ぺロをきる」といいました。ぺロをきれない者はのっけから論外で営業課配属でいられる時間は長くありませんが、今日はいくらやるんだ?と課長にいわれて10万株ですと申告しておいて未達に終わるのを「空(から)ぺロをきる」といい、これはその日の課長の支店長に対する申告数字を未達にするものですから万死に値する罪なのです。3回もやると確実に飛ばされる(格下の店に左遷)というイメージでした。

出来る人といってもお客さん次第ですから、大手客をなくすとただの人です。今日できたって明日できないと容赦なく罵倒です。半年ぐらいたって大学のクラス会がありました。銀行に行った連中がやっぱり支店に出されていて「札束が数えられなくて大変だ、店頭で女の子にばかにされた。いやー営業は大変だ」なんていっている。「あのな、お前な、そんなのは営業っていわないんだよ」というとみんなきょとんとする。そりゃそうです。僕も銀行へ入ってたら一生きょとん組だったでしょう。

こういう証券営業マンという世界に営業ウーマンがいなかったのはいうまでもありません。想定どころか想像もできません。兄弟船という演歌は「男の仕事場さ~」と歌いますが(これを歌う先輩が多かった)、女性総合職が入ってきたのはこの10年ほど後のことで、それも本社勤務でした。一般職の女性はみな制服姿ですから、彼女たちを見た我々の第一声は「私服の女がいる!」だったのです。当時、社内で私服の女性というとヤクルトおばさんだけだったからです。

 

どうして証券会社に入ったの?(その3)

 

 

 

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どうして証券会社に入ったの?(その1)

2014 NOV 20 0:00:05 am by 東 賢太郎

<入社のいきさつの巻>

 

それは的を得た質問です。どうして証券会社に入ったか?娘に聞かれてこまりました。実のところ別にどうしてというほどのものはなかったのです。勤め人になるのがいやだったし、役所や銀行は向いてないし、できれば好き勝手出来る自営業がいいなというぐらいで何の切迫感もない学生でした。最後の夏休みはアメリカで1か月遊び回っていて業界や企業の研究やら情報収集など皆無。いきあたりばったりでご縁があれば程度の感覚でした。

でも親父も勤め人だし、資産もないし2年も遊んでるし仕方ないな。そういうことで10月からいくつか会社を回って、なんとなく波長が合うと思ったのが船会社と証券会社の2つでした。そうして、誰に習ったわけでもないのに株に興味があった僕はその証券会社で話を聞いているうちにむくむくとこれだ!と思ったのです。それがなければ真摯にお誘い下さったもう一つの名門会社のほうに入っていたでしょう。しかし、僕はその時、こう固く決意したのです。

 

証券会社に入社すれば世界の最先端情報があるらしい。よし、株を買うぞ!

 

それは雨の日でした。「東くん、証券マンは株は買えませんよ」。人事部の課長さんがあっさり言ったのは入社を決めたあとでした。買えないどころか、「それが商品ですから情報管理は厳しいですよ。家族にもしゃべれません」。ええっ、そうだったんですか?・・・これぞあとの祭りでございました。何の事前勉強もしてなかったですからね、入った理由?役員面接でしゃべった志望動機は何だったか忘れました。

ほかの学生さんはどうかな。耳学問のすごい人がたくさんいました。でも経験はないわけだから上っ面のセールストークだろと思ってきいてました。実は貴社の受付の子があまりに好みのタイプなんでとはいえないしですしね。ただ、僕はほんとうに株が買えると思いこんでましたから、周りの学生よりは目が輝いていたんです、たぶん。ここにまた男の子のカン違いの効用が出るんです。内定はすぐいただきました。

しかしそこからが大変でした。いかん、単位が危ない。26の専門科目をパスする必要があります。設問はすべて司法試験レベルの論述。付け焼き刃でどうこうなるものではありません。夏まで遊んだツケ(夏も遊びましたが)は覚悟していましたが、期末の過密な試験日程を見た瞬間に血の気が引きました。これじゃあ一夜漬けができないじゃないか!一夜漬けは自称名人級でありノートを貸してくれたやつより点が良かったりするので、まあなんとかなるさと悠然と構えていたのですがこれは想定外でした。

「二日連続徹夜」という人体の限界への挑戦をしたのは後にも先にもこのときだけです。非常に現実的に、死にそうでした。朝は目覚ましが止まるまで鳴っても気づかず友達が起こしてくれて九死に一生という日もあり、買ってあったスビャトスラフ・リヒテルのリサイタルは這うようにして行くには行ったのですが始めから終わりまで爆睡で記憶なし。後ろの人のブラボーで目が覚めて拍手だけして帰ってきました。

この試験のことは今でも夢に見ます。ストーリーは変わっていてもっと悲惨で、落第して退学処分になってもういちど入試を受けなおすのですが、それがまた落ちるんです。日本史なんてもう忘れちゃったよまいったな、世の中にはもう5年ぐらい遅れてるし俺ってなにやってんだっけ?で目が覚めます。ああ夢でよかった、ほんとにそうなって不思議でなかったと冷や汗がでます。

ついに首の皮一枚で単位はなんとかなりました。中身はすぐ忘れましたがここで磨きぬいた一夜漬けの技は後に米国留学で活きました。毎日500ページもペーパーを読まされると全員が常に一夜漬け状態ですからね、こっちは強いのです。ともあれこのときはやれやれ卒業できたと嬉しくて、八方尾根にスキーに行って飛ばしすぎ、転んでろっ骨を折りました。会社に言ったらまずいだろうと黙っていたら、タイトルは何でしたかNHKのTV番組に「新人クン」として出されました。アナウンサーに質問されても胸が痛く、やっとこさ小声が出ましたが幸い骨折はバレませんでした。

こうして4月、いよいよ大阪の地で証券マン生活に突入となったのです。

 

どうして証券会社に入ったの?(その2)

 

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