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どうして証券会社に入ったの?(その7)

2014 DEC 25 22:22:19 pm by 東 賢太郎

 

<やさしき女性たちの巻>

犬も歩けば棒にあたる、これはほんとうです。

U社長に自信をつけていただいたおかげでしょう、2年目になると飛び込み外交で集めた名刺の中から少しずつお客様ができだして、僕も営業第一課の一員として貢献ができるようになってきました。

その中に、当時大流行だったインベーダーゲームの機器を卸している若手社長Kさんがおられました。まだ30歳ぐらいで恰幅もきっぷもよく、会社に何度も通ううちに意気投合しました。大阪商人の気質は僕にはよく合ったようで、何回も説明してとうとう新日鉄株を100万株買っていただきました。

当時、100万株のぺロというのは証券マンの勲章であり、先輩方といえどもそうきれるわけではありません。そういう事をもわかったうえで「よっしゃ、いったるわ」となった、これは社長の男気でもあり、ファックスで全社にニュースとして流されて大いに男を上げていただきました。

ところがこれもオチがあって、「城東区の会社まで現金を取りに来い」となってはたと困ります。300万円までしか数えたことがないのにこれは1億8千万円なのです。当時は札束を数える機械なんてありません。仕方なく店頭の女子社員4~5名に同行してもらい、手分けして数えることになりました。なんとも大らかな時代でした。

役に立たない僕はお札にさわるなといわれ社内旅行のイッキの女神たちが1時間もかけずに仕事を終えました。もっと言うと、数えたら1万円多かった。これは偶然なのかK社長に試されたのか?「おっ、そうか」で終わったのでわかりませんが冷や汗です。

いま思うともっと信じられないのはこれを僕はカバンに入れて電車で支店に持ち帰ったのです。若造がタクシーに乗るという発想もなかったです。厳しくて有名だった総務次長さんもそれでなんでもなかった。危ないもんでした。電話帳7、8冊分ほどの重みでずっしりした感じはいまも手に残ってます。

株が好きで入社したぐらいですから僕は株の商売はあまり苦労しませんでした。しかし、証券会社の推奨銘柄が必ず当たるなんてことはありません。総合研究所の調査やチャート分析など情報は社内にいくらでもあるというだけで、結局は自分がいつもアンテナを高くして勉強していないとうまくいかないということが分かってきました。

ただ当時の営業というのは営業本部、支店などで決めた銘柄を「タメコミ」と称してひたすら買っていただくだけで、自分の眼でいうとそんなのもうからないだろうというのが多いのです。だからお客様のためを思えば、そういう全体の方針に従ったうえで、自分が調べて本当に良いと思う銘柄も買っておいていただくことが必要であり、株価の変動要因というものを暇をみては勉強しました。

一方で僕には決定的な弱点がありました。「中期国債ファンド」、当時の通称は中国(ちゅうこく)ファンドです。これは銀行預金金利より少し利回りが良く資金の出し入れも融通がきくということで、当時の証券会社の戦略商品でした。これが僕はぜんぜん売れないのです。なぜかというと、値段が動かないからです。動くものが好きな僕について下さったお客さんもそうでした。

株の商売では目立たないのに中国ファンドはがぜん強い先輩がいて僕はいつも羨望のまなざしで見ていました。甘いマスクで主婦に強い。「おくさーん、今月もおとりできしたー」の電話何本かでノルマはおしまい。すごい。僕は主婦層はからっきしだめでお客様は企業経営者ばかりです。「預金やろ?興味ないわ」でおしまい。毎月締切日が近づくとチュウコクと聞いただけでジンマシンが出そうでした。

ある月に500万円のノルマが最終日になって僕だけまだゼロという悲惨なことになり、「できるまで帰ってくるな!」と課長に外に追い出されました。お客さんを必死にかけずりまわって「3日でおろしていいですから」と頼み込んでなんとか200万円。真っ暗になってついに降参となりとぼとぼ店に戻りました。怒鳴られるのは目に見えています。

ところが課員全員が待ちかまえていて、「オー東、よくやったな。お前もやればできるじゃないか!」と拍手でむかえられる。なんだこれは?「すごいぞ1千万円は」「はあ?」どうも先輩方の話をそれとなく聞いていると、僕のセールスコード23番で1千万円の中国ファンドを不在中に店頭で新規キャッシュでお買い上げいただいたようなのです。

「ええ、まあ」とお茶を濁して店頭カウンターへ行ってみると事情がわかりました。店頭の女性が23番で切ってくれた、そういうことでした。前に書きましたが「やります」といって穴をあけると「空(から)ぺロ」といって重罪なのです。それを知っていて、見るに見かねて助けてくれたのでした。

そうやって弱いところを助けて支えて下さったのは女性でした。それはなにも僕だけでなく当時の支店全体がそういう雰囲気だったのです。これが大阪の女性のあったかさんなんでしょうか、初めてきいたときはびびった大阪弁で「ええかっこうしい」だった東京もんがどれだけ救われたか。

2年半梅田支店でお世話になるうちに大阪が大好きになりましたが、そういうことがあったからです。ときどき大阪へ行くといつも富国生命ビルのあたりを歩いてみます。パチンコ屋から毎日大きな音できこえていたジュディ・オングの「魅せられて」が耳によみがえり、万感の思いが胸にこみ上げてきます。Oさんほんとうにありがとう。

 

どうして証券会社に入ったの?(その8)

 

 

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