Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 旅行

チューク島にて(その3) 

2014 SEP 14 11:11:38 am by 東 賢太郎

 

春島の防空壕を見に行きました。車でしばらく小高い丘を登ると、米国統治下になって米軍の上官が住んでいたという洋風の家が斜面に並んでいます。てっぺんにはチューク州知事公邸が立派な大木の前に建っていますが、空き家です。島民は市長に選ばれるとそこには住まず、自宅を公費で改修して住んでしまうのだそうです。

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そこで車を降り、さらにジャングルへ入っていきます。暑さは全く感じません。東京のデング熱騒ぎで蚊を心配していましたが、去年と同じく滞在中に一匹も蚊とハエを見ませんでした。「日本ならもう10か所は食われてるね」と笑いながら登っていきます。

 

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やがて防空壕の入り口に着きました(右)。入って20mほど進むと右に折れて丘の向こう側に出ます。百人は入れそうな巨大な人口洞窟であり、入り口と出口の位置を測量して固い岩盤を穿つという、精巧かつ気の遠くなるような土木作業が行われたことを伺えます。

 

反対側の出口には大砲が一門据えられていました。英国の軍艦に搭載されていたものだそうです。

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重さは1-2トンほどあるでしょうか、この巨大な鋼鉄のかたまりを縄で丘の頂きまで引っぱり上げてきたそうです。これまた気が遠くなるほどの作業だったでしょう。

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これが砲門の狙っている方向です。パンの木で見えなくなってしまっていますが、その先が港です(右端のほうに海が見えます)。敵軍の上陸作戦を想定していたことが分かります。

・・・・

ところが結局、兵士たちの苦労と工夫にもかかわらず、この大砲は一発も砲弾を発射することがありませんでした。終戦1年半前の昭和19年2月17日、18日、米軍機の大群が襲来し、トラック諸島の日本軍は空から一気に殲滅されてしまったからです。これがその惨状を実写した米軍のフィルムです(お気の弱い方はご覧にならないことをおすすめします)。

ここに集結した米軍機動部隊は戦艦6隻、空母9隻、駆逐艦、潜水艦を含め総数70隻からなる大艦隊で、空母から発進する爆撃機は延べ1200を超えました。環礁内に沈められた日本軍船舶は100隻近く、航空機に至ってはその実数は不明のままです。

「夏島の海岸と道路には死体が延々と並べられ、腐敗臭が鼻をついた。死体から流れ出る血のりで道路も歩けなかった」と土地の老人は語り、「遺体の焼却が間にあわず大きな穴を掘ってどんどん埋葬した」そうです。2日間の戦死傷者は1万5千にのぼりました。

言葉がないほどの残酷かつ屈辱的な光景です。この先に東京大空襲、広島、長崎が来ることを思うとやり場のない怒りを禁じ得ません。しかし敵に怒っても仕方ないのです。これが戦争ですから。フィルムの声の主が勝ちどきを上げているように、これは怨念のこもったパールハーバー(真珠湾)への復讐でもあったのです。

後世の我々はこの戦争という事実から目をそらしてはなりません。事実を直視し、冷静に分析し、いかにこの惨事を繰りかえさないか、この1万5千の方々の犠牲から何かを学び取らなくてはならないと思うのです。

相手には圧倒的な性能の武器と物量があったという事実。上陸を想定した大砲が無用な大規模空爆であった事実。奇襲を予測も通信傍受もできておらず丸腰状態だった事実・・・・。

武器、物量というハードの敗戦であったことは明らかですが、諜報、敵情分析、暗号解読、戦略、智謀というソフトの敗戦という側面を僕は強く感じます。腕力よりも、むしろ知力で負けたのだと。

戦後のインテリ層はそう認めたくない、しかし、このフィルムはそれを明明白白に示しています。こちらが防空壕を掘る間に、敵はカメラマンを乗せて実況中継できるほど楽勝の確信をもって軍備を整えていた。悔しいが、それが歴然とした事実です。諜報、敵情分析、暗号解読、戦略、智謀なくしてどうしてそれができたでしょう。物量は、そのあとについてくるものなのです。

そういう「ソフト」を重視しないのは日本人の民族特性かとすら思います。平和の世になった今になっても、一部の日本企業にはそれを感じます。モノ作りやおもてなしの力を過信し、諜報と智謀に基づいた大きな戦略がない。この大空襲を知ってしまった僕らが、あの防空壕の砲門を見る思いがしてしまうのです。

・・・・

空壕の入り口です。「さあ戻りましょう」。車のほうへ丘を下りようとしたら、夕方のスコールに見舞われて立ち往生となってしまいました。バケツをひっくり返したような豪雨。誰かがぽつりと言いました、「なんか、東京を思い出しますね」。

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とても重たいものをいただいた日でした。

 

(本稿に書きました史実は、当日に案内をして下さった末永卓幸さんの「トラック島に残された六十五年目の大和魂」から引用させていただきました。当地にお住まいになって36年の知見と博識、すばらしいガイドに心より感謝しております。)

 

大和、武蔵、五十六、慰安婦、そして戦争という愚

 

 

 

 

 

 

 

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釣り人の夢

2014 SEP 13 18:18:01 pm by 東 賢太郎

青年が湖畔で糸を垂れ、静かに釣りをしていると、後ろから老人がやってきました

老人

お若いの、舟を貸しましょう。それで沖に出れば魚は10倍釣れますよ

青年

10倍釣ってどうするのですか?

老人

市場で売るのです。金持ちになれますよ

青年

なってどうするんですか?

老人

お金があれば夢がかないます。あなたの夢は何ですか?

青年

ここで釣りをすることです

 

チュークではひと家族に平均10人の子供がいるそうです。食料は庭や海に自生しています。野菜など島にないものを買うお金があればいいそうです。

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運転手の青年もいっしょにみんなでお昼にしました。僕らにとってご馳走はやっぱりこれです。

 

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露店なら値段は50セント、このレストランだと1ドルだそうです。すすめると青年は、

No,thank you.

と笑って手をふりました。

 

がんばらない生き方

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チューク島にて(その2)  

2014 SEP 12 10:10:18 am by 東 賢太郎

南洋の島に行く異(い)なる味わいというのは一度やってみないとわかりません。ハワイやグアムに何度行っても計り知れない鮮烈な味であり、人智を超越したものです。我々の築いてきた常識や人生経験など、文明こそないが原始の強靭な精神を今も持って豊かに満足に暮らす人々の前で粉々に崩れ去ります。

そして溢れかえるような大自然の力が人間の五感を野生の本能にまで巻き戻してくれます。そこに立ってジャングルの香りのする大気を吸い込んでいるだけで何かが変わります。東京で雑事に追われていて耳鳴りがしていたのが一日でぴったりと止んでしまいました。何かが確かに体内で起きているのを感じます。 去年の6月に人生で初めて北緯7度の南洋の島、ポンペイ島に行きました。

このような強烈な洗礼を受けていましたから今回は意外なほど何があっても驚きがないのに自分で驚きます。精神的な免疫という物はたしかにあるのです。昨年は会社設立という大作業があって、ミクロネシア政府代理人である米国資本MRA(ミクロネシア・レジストレーション・エージェンシー)が水も漏らさぬテークケアをしてくれました。今回2度目、株主総会、取締役会とあってそこまではありません。

ただ、2度目とはいえ前回とは島が違います。今後の事業展開のことを考え、全部を知っておくという意味でMRAにそうお願いしたのです。ミクロネシア連邦の4つの州、ポンペイ、チューク、ヤップ、コスラエでは言葉も種族も違うと聞いていました。しかしチューク人がポンペイ人とこんなに違うとは大幅に想定外でした。前回の経験値でのかなり低めのアテンション・レベルを2段階ぐらい引き上げる必要をすぐ感じることとなりました。

chuuk1チューク空港は日本海軍の滑走路をそのまま使っています。僕らに用意された空港わきのホテルL5(レベル5、右)は島で一番高い5階建ての意味で、昨年お世話になった元駐日大使のミタさんのご経営です。まだ一部は工事中でしたが新しく清潔なホテルが一泊一万円ですからリーゾナブルでしょう。手前は廃墟と化したスタンドです。

chuuk2ところが、7時に頼んだモーニングコールがなく焦りました。人生で二度目です。この島では他人を当てに出来ないことを学びます。朝食は唯一の近くのレストランが7:30オープンだとホテルではいうのですが、その時刻にはまだ人がおらず、結局開いたのは8時ごろでした。中へ入るとびっくりです(左)。窓はすべて厚めの赤いカーテンで覆われて朝っぱらからナイトクラブではないですか。女の子でも付くのかな、ウイスキーでも頼みますかと冗談を言いながらウエートレスのおばさんに開店は7時半とききましたが8時ですねと念を押すと、7時半?とんでもない、7時だと堂々の主張です。この島では1時間は誤差のうちだということを学習します。出てきたハンバーグライスは荒っぽい味ながら現地風ソースでまあまあ食べられましたが、別なご当地風名称の料理が来てみると僕のとほぼ同じ具材を高く積んだだけ。それで値段は高い。パンケーキは分厚いのを3,4枚無造作に積んだだけ。アテンション・レベルはこうして徐々に上がっていったのです。

chuuk3ホテルへ戻り会議室ですぐ懸案の仕事にかかります。午前中には万事無事に終了し、そこから車で島の南西の突端にあるブルー・ラグーンへ直行しますが、大変な事態が待ち受けていました。一本道なのですが、舗装してない道路(右)は深い穴ぼこだらけでそこに昨夜の雨が巨大な水たまりを作っています。車は右に左に、上に下に、前に後ろに、時おり斜めに、日本人の経験値などぶち切る物凄い振幅と角度で揺れまくり、プロのレーサーでも時速5km以上出すのは至難の業でしょう。これを日本語の「でこぼこ道」と形容するのには強いためらいを禁じ得ません。エボラ出血熱を風邪だとするに匹敵するでしょう。直径10mもある池みたいな水たまりを舟みたいな気分になって進みますから、もしこれで気分が悪い人が出たら車酔いでなく船酔いと診断すべきです。これは元々は舗装道路だったのが、だんだん穴が開いてこうなったそうです。それを誰も気にしないおおらかさ!これは首都パリキールのあるポンペイ島ではまず考えられないでしょう。歩いた方が速いじゃないかと思いましたが、そうもしない。島民気質が根本的に違うようです。治安もこちらの方が悪く、車に道を譲らず迫ってくる酔っ払いがまっ昼間からいましたし、ホテルの玄関前もロックして2-3人が見張っています。

舗装すれば5分で着く4-5kmの道のりを30-40分のドタバタの末、chuuk4やっと目的地に到着しました。ここまでの苦労が嘘のように静かで平和なリゾートです。ここが日本軍の沈船で世界的に有名なダイビングスポットであることは知っていましたが、このリゾートがその拠点でした。通常深くて50mのところ70mも潜らせるそうです。大勢の欧米人ダイバーがこのリゾートから朝早く沖へ出ていきます。ダイバーでない我々がいること自体が実に場違いだったわけです。午後から船で夏島と無人島を巡る予定でしたが、ガイドの方が飛び込んできて「すみません。今朝来たダイバーに船が回されてしまいました」と謝りに来ました。この島では契約という概念が成り立たないことを知った瞬間でした。

chuuk5仕方なくランチにしましたが、写真の地魚ラプラプ(ハタですね)の塩焼があまりに美味で憤慨も跡形なく引いてしまいます。醤油はポンペイ島はキッコーマンでしたがここは「ヤマサ」で、それをかけると香ばしいアツアツの白身魚としては完璧の域に達します。ライスはやや固めでワイルドですが不味くはありません。これは日本の居酒屋で通用する一品ですね。海に出られないので車で陸の案内をしていただくことで手打ちをしました。

chuuk6リゾートがどこにあるかというと、左の写真のWENO(春島)の左上の滑走路の横から海岸線に添って南下した南西の突端に位置します。その距離が4-5kmです。そのまま海を南下した三つの島の真ん中あたりに戦艦大和、武蔵が錨をおろして停泊していたのです。TONOWAS(夏島)は小さいことがわかりますが戦時中は産業まであって、沖でカツオを捕って上質の鰹節を生産していました。日本の鰹節の60%が夏島製だったそうです。戦後に日本政府がODAで鰹節製造用の冷凍庫を建造して現地に引き渡したところ、数年で廃墟と化したそうです。仕方なく新潟鐵工がもう一度造り直して現地に引き渡したところ、再び廃墟と化したそうです。

chuuk7リゾートの庭を散歩しました。どういうわけか僕をめがけて猫が寄ってきます。毎度のことです。広い敷地を歩き回るとずっとついてきます。この時点ではダイバーの聖地とも知りません。真っ昼間から歩く者も海で泳ぐ者もなく、僕らと猫しかいません。岩合さんの世界ネコ歩きみたいだなあ、妙なところだなあと思ってましたが、猫の方もきっと妙な連中だなあと思っていたんでしょう。

 

 

チューク島にて(その3) 

 

 

 

 

 

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チューク島にて(その1) 

2014 SEP 11 21:21:56 pm by 東 賢太郎

4泊でミクロネシアへ行って来ました。去年はポンペイ島でしたが今回はチューク島です。下の地図でCHUUKとあるのがそれで、二重丸のWENOとあるのが今回上陸した島です。ご覧のようにミクロネシアにチューク島という島はありません。大雪山という山がないのと同じで、珊瑚礁に囲まれた大小百の島々をまとめてそう呼ぶのです。左上にグアム(GUAM)、サイパン(SAIPAN)がありますからだいたいの位置はお分かりいただけるでしょう。日本からはグアム経由となり、成田-グアムが約3時間、グアム-チュークが約2時間です。

micronesia

チューク島はトラック島ともいい、戦時中、呉の日本海軍の基地をそのまま前線に移転したのがここです。ですからあの連合艦隊が停泊し、山本五十六連合艦隊司令長官の邸宅があり、帝国海軍総司令本部が置かれた南洋の最重要拠点でした。環礁内ですから湖のように波がなく、大型艦が侵入できる充分な水深があり、面積は神奈川県ほどと広大です。海軍スタンダードの1200m滑走路ができる平地と兵隊の駐屯スペースが確保でき、山には猛獣、害虫がおらず疫病のリスクが低く、ヤシ、マンゴー、パンの実が自生し、雨水で毎日潤い、マグロ、カツオが捕れるので最低限の食糧は調達できそうです。司令本部を置く地勢として格好の場所であることは、行けば体感できます。

最大五万人の日本兵、承認等が居留し、中心である夏島(TOUNAS島)は小都市のように賑わったそうです。なぜ夏島というかというと、環礁内に長期居住可能な四つの大島があり、軍はそれらを貼る島、夏島、昭島、冬島と名づけたからです。その他、日月火水木・・・、子丑寅卯辰巳・・・などと命名されます。本部は中央の夏島に置かれ、山本五十六長官の邸宅は同島の丘の中腹にありました。

Map_Chuuk_Islands1(Japanese)

チューク州政府や飛行場は春島にあるので夏島へはボートで渡るしかありません。今は現地の人が数千人のんびりと暮らす何でもない緑の離島で、大日本帝国の国運を握る大連合艦隊と総司令長官、幕僚と幾万の軍人がそこにいたなど想像もつかぬ景色です。ボートが確保できなかったので仕方なく僕らは春島のでこぼこ道を登ったザビエル高等学校の高台から夏島を眺めることになりました。これがその写真です。

tonowas

この海に戦艦大和と武蔵が停泊していたのです。大和と武蔵が並んだ写真は一枚しか現存しないそうで、それが撮られたのがここです。日本軍が撤退する時、軍艦を錨に係留する浮きを爆破しましたが、その浮きだけは今も夏島との中間にある小島の脇に漂っていました。山本五十六の邸宅は朽ち果てているようで、次回来たら行ってみたいがと聞いてみたところ、「ジャングルの山道を登らないと行けません、お年寄だとちょっと厳しいですね」とのことでした。

戦争に勝っていれば邸宅は戦勝記念館となり司令長官の銅像は遠くアメリカの方向を悠揚と見やっていただろう。きっと高校生の修学旅行コースにでもなっていて、日本人の地球儀の眺め方を根底から別なものにしていたに違いない。僕のお客様で、東映の映画山本五十六の制作に関わった方が、今の高校生はひどいもんですよ、やまもとごじゅうろくって誰?なんて聞くんだよと嘆いておられました。そんな子でもマッカーサーぐらいは聞いたことがある。何なんだこの国はと。

 

(続きはこちら)

チューク島にて(その2)  

織田信長の謎(5)-京都とミクロネシアをつなぐ線-

 

 

 

 

 

 

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箱根吟遊と旧吉田茂邸にて

2014 JUL 16 14:14:31 pm by 東 賢太郎

先日は会議がこちらで行われ、箱根吟遊さんに泊まらせていただきました。ネットの評判を見ると「日本で一番予約が取りにくい名旅館」といわれたことがあるそうで、予約は1年先までとリピーター率は高そうです。清算の時に「次のご予約はいつにされますか?」と尋ねられますが、それだけの値打ちありでしょう。

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1階の「風雅」という部屋は内風呂と露天風呂があり、総面積はざっと100㎡はあるでしょうか。庭先は樹木で見えませんが眼下に早川を望む峡谷で、その奥は深々とした国有林です。大浴場もありますがここだけで充分でした。

 

 

 

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朝日と鳥の声で5時半に目が覚め、湯船につかるとこうです。澄んだ空気と木漏れ日と熱い湯、日ごろの憂さを忘れさせていただきました。

 

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1時間ほど仕事のメールに目を通したりなどしてすごすと、光の具合がすっかり変わります。ちなみに松本清張の推理小説「蒼い描点」に登場するケーブルカーの線路はこの写真の垣根のすぐ下です。

 

 

台風が良い塩梅にそれてくれたので、関所を経てからバスで大磯の旧吉田茂邸、旧安田善次郎邸を訪問することに。

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これが吉田邸の庭です。吉田茂はいうまでもなくサンフランシスコ講和条約、日米安保条約の締結、日本国憲法の可決をした首相で、また大平首相はここにカーター米大統領を招いて日米首脳会談を行いました。

 

邸宅は放火で焼失したのですが、『町民のみならず多くの人々に見学して頂く「博物館的機能をもった施設」が相応しいと考えます』という大磯町の再建プランを拝見しましたが、現代日本の起点を築いた要衝という歴史的意味合いを付加価値とされればさらによろしいかもしれません。このプランですと資金ファイナンスが寄付だけですから復興もその額に規定されてしまい、民間の視点ではありますが少々もったいない気も致します。例えば、海外の国賓宿泊用に復旧して、安保と現行憲法を持つに至った我が国の戦後史の理解者を増やす舞台として国に使ってもらったらどうでしょうか。敗戦の歴史は歴史として受容し、そういうポジティブな姿勢で情報発信してこそ、中韓のネガティブ・キャンペーンに世界が冷静な評価を下す素地ができると思います。そういう使い方が十分にできる史跡と思います。資金は寄付ではなくこれを法人化して民間企業に「限定的な社用迎賓館使用の特典」を条件に出資を募ればさらに充実した復興が可能でしょう。

旧安田善次郎邸は内部を見られませんでしたが、安田不動産(旧安田財閥)の所有です。調べてみると大正10年に安田はここで右翼に暗殺されています。日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地は安田の寄贈であり、同じく匿名で寄贈した東京大学の講堂は死後に安田を偲び安田講堂と呼ばれるようになったそうですが、浅学にして知りませんでした。曾孫にジョン・レノンの妻ヨーコ・オノがいるのは有名ですね。「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」は彼の言葉とされているそうです。これを肝に銘じたいものです。

(こちらへどうぞ)

箱根のおすすめカフェ(Garden Railway Cafe in Hakone!)

 

 

 

 

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はんなり、まったり京都2014(その2)

2014 APR 12 12:12:40 pm by 東 賢太郎

皆さん京都へ行ってなにを京都らしいと感じるかはさまざまだろう。僕の場合、霊気である。オカルト的な意味ではない。ここには千年にまたがる人間の「気」が蓄積している感じがある。「つわものどもが夢のあと」と歌うなら、つわものの数は何百万人だろうか。霊気というのは京都以外の寺でも感じるが、ここは寺社だけではない。木屋町通りのどこか1㎡でも掘り下げれれば源義経と坂本龍馬の足跡の化石ぐらい出てくるだろうと、そんな感覚をそこかしこで持つことができるという意味での霊気というものだ。

K10例えば、この写真は鴨川にかかる松原橋から我々の宿(左から3番目の町屋)をのぞむものだが、この橋は秀吉がそう命名するまでの名は五条橋であり、弁慶と牛若丸が戦ったあの橋である。

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それを渡るとすぐ宮川町であり、お茶屋さん街となる。去年もお世話になった「しげ森」さんはそこにある。この風情からしてもう別世界だ。

 

 

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玄関には舞妓、芸妓さんたちの名が。彼女たちは15歳からここに住み込んで1年たったらまず舞妓になる。無給だが着物も稽古もすべてお茶屋のお母さん持ちだ。20歳をこえると芸妓になり自分で客を取れるようになる、つまり独立自営業者になれる。

 

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ここで懐石をいただいて遊ぶ。最近は女性客が増えているそうで、席にあがる前にビデオルームで基礎知識を教えるVTRを見せてくれるから初めてでも大丈夫だ。写真は伝統お座敷遊び「トラトラ」のお手本を見る皆さん。

 

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ここで独占していたお二人、小ふくさん(右)とふく苗さん(左)が翌日の京おどりの舞台に立つ。これが正調の楽しみ方である。もちろん踊りだけ見てもいいし充分見応えはあるのだが、舞台にいる2、30人の別嬪さんのうちに知っている人が混じっているというのは味なものだ。

 

 

桜の京都に行ってきました

2014 桜花爛漫の京都で・・・

京都の南座で中村獅童・尾上松也を観る(改訂済)

 

はんなり、まったり京都-泉涌寺編-

2014 APR 10 18:18:23 pm by 東 賢太郎

泉涌寺(せんにゅうじ)をご存知の方はあまり多くないのではないでしょうか。僕は天皇家の氏寺が京都にあるときいたことはありましたが、名前は覚えていませんでした。

この寺を知ったのは「逆説の日本史2」(井沢元彦、小学館文庫)です。「扶桑略記」に記載された「天智天皇暗殺」説は興味深く、天皇家の菩提寺に、天武~称徳の位牌がないことをこの本で知りました。井沢氏によると唐が白村江戦勝後に朝鮮半島支配を図り(つまり新羅討伐の戦略を展開し)、それに呼応して新羅に半島を追い出された百済王族である中大兄皇子(天智天皇)が唐と連合軍を作ることを画策。それを阻止するべく親新羅の大海人皇子(天武天皇)が山科で天智を暗殺したとしています。教科書の日本史とはかけ離れた説ですが、僕は通説よりも説明力を覚えます。

17p-2-s4月5日(土)の朝、始発で京都へ向かった江崎が8:11に到着。いっぽう平等院まで同行した三田が結婚式仲人のためソウルへ戻り、我々は東山の泉涌寺に向かいました。そこで今度は中村が合流。笑顔でお迎えいただいた和尚様にご挨拶して境内へ入るとまず楊貴妃観音堂へ案内されました。なぜ楊貴妃が?鎌倉時代にこの寺の僧が中国の宋にわたり仏舎利(仏の骨)を所望したそうです。何度も断られましたがやっともらえることになり、その際に航海の安全守護のために楊貴妃観音像もついてきたそうです。仏舎利は公開されていません。和尚は見たそうですが歯の部分のようでかなり大きかったそうです。

泉涌寺
そこから参道の坂を下ると、盆地の底のような位置に仏殿があります。登るのは多いですが下るのは珍しいですね。ここには運慶作とつたわる阿弥陀、釈迦、弥勒の尊像がありそれぞれ過去、現在、未来にわたって人類の平安を祈るという構図になっています。

 

仏舎利は舎利殿の舎利塔にあります。入れていただきましたがここの名物は「鳴龍(なきりゅう)」でしょう。 天井に狩野山雪筆の龍の絵が描かれているのですが、その下で手御座所unnamedを打つとびりびりという音が聞こえるのです。ここから御座所へ移ります。ここは両陛下はじめ皇族方の御陵御参拝の際のご休憩所であり、現在も使われています。ここも中を全部見ました。右の写真はその庭園で、桜も紅葉も早いそうです。たしかに京中ではほぼ満開なのにここでは桜はもう見えませんでした。塀の向こう側の山に歴代天皇の御陵があります。

さて奥の奥に移ります。写真はありませんが霊明殿です。戦前ここは立入禁止であり現在も関係者しか入れませんが入れてもらいました(梶浦のおかげです)。ここに歴代天皇の御位牌が並んでいますが、確かに天武系の天皇はぽっかりと抜け落ちています。下の系図をご覧ください。霊明殿にお名前があるのは聖徳太子尊像-天智-光仁-桓武であり、太子以前もなければ第40代天武-第48代称徳も欠落しています。天皇家の氏寺なのに何故と思われるでしょうが、ここは天皇の氏寺ではなく「天皇であるファミリー」の氏寺です。だからファミリーが血縁でないとする場合は入っていない。和尚に聞くと、「それは私共は何とも申し上げられません。ご指示に従っているだけです」とのことでした。そうであるならばこれが天皇家の見解なわけです。非常に興味深い。

まず斉明(皇極)天皇は天智の母ではないということです。では天智(中大兄皇子)とは何者なのか?斉明の目の前で蘇我入鹿の首をはねた乙巳の変とはなんだったのか?なぜ天皇でもない聖徳太子が(だけが)天智の上にいるのか?

これを知っただけでも日本書紀は天武、持統によって歴史をねつ造した書であるという説は支持できます。以下自分の考えですが、蘇我氏は本来の天皇(日本国王)であり聖徳太子は蘇我氏の業績を象徴する架空の人物であった。蘇我氏の名前、蝦夷、馬子、入鹿は動物名の蔑称にされており、皆殺しにした人物の書いた書記のねつ造と思います。その皆殺しは扶余から亡命して来た百済人の天智による入鹿殺害(大化の改新=クーデター1)によって実現しました。そしてその天智を天武が殺しました(クーデター2)。

220px-Emperor_family_tree38-50泉涌寺の位牌の有無によれば、現在の天皇家はおそらく百済人であった天智の末裔であると認めています。彼はクーデターで王位を奪った者です。だから彼が始祖になっており神武も応仁も位牌はありません。先祖と思っていないのです。天智のひ孫である桓武の母、高野新笠も百済の武寧王の子孫であることは今上天皇が「続日本紀にその記述がある」と述べられています。そして、平家は「桓武平氏」と呼ばれますから百済系です。一方、源氏の武将に「新羅三郎義光」という人がいます。平氏が百済、源氏が新羅であり、日本で代理戦争となったのが源平の合戦であると僕は思っています。

それから明治天皇の墓所はここにありません。伏見桃山陵にずっと大きな墓があります。強硬な攘夷論者だった孝明天皇を伊藤博文らが暗殺し(クーデター3)替え玉に立てた大室寅之助という南朝系の長州人が明治天皇という説があります。そう思います。言うことをきく傀儡天皇をたてて薩長が好き放題やるのが新政府の青写真であり、その結果日清日露戦争で好き放題が嵩じて第2次大戦に至ったとみることもできましょう。「坂の上の雲」は好きな小説ですが、クーデター3が日本国の末路を大きく変転させたかもしれず司馬遼太郎の史観だけで近代史は語れないと思います。

国家の首長を殺して政権を奪うクーデターは世界ではいくつもありますが、万世一系とされるわが国でも最低3度は起きている可能性があります。天智以前はもっとあったかもしれません。泉涌寺ではそうした様々なことが頭をよぎり、特に御位牌が所狭しと安置された霊明殿には圧倒され、その感じはその後も一日中残ったほどです。日本最大のパワースポットといって過言ではなく、一度は訪問する価値ありと思います。一般には奥まで入れないようですが、ご興味がある方はSMCを通してお願いすることができるでしょう。

 

(こちらへどうぞ)

はんなり、まったり京都2014(その2)

百済旅行記(1)-奈良はナラである-

伊藤博文と太平洋戦争

『気』の不思議(位牌とジャズの関係)

京都の不思議

2014 APR 8 1:01:36 am by 東 賢太郎

京都というのは不思議な場所です。去年と同じ木屋町の宿に足をふみ入れてみて記憶が不意に蘇ったのですが、そういうえばまさにここに着いたその日は昨年一年間で最も重要な仕事となった案件のクロージング(締め)の真っ最中だったのです。やきもきしているとスマホのメールで良い知らせが来て狂喜したことをまじまじと思い出しました。そして今年も、ある新しい仕事の構想を、それもひょっとすると自分の人生で最も大仕事になるかもしれないものの決断を目前に控えて、やはり木屋町の宿で深く思いをめぐらせておったのです。

不思議というのは奇しくもそんなことが二度目だということばかりではありません。京都という土地柄が、そういうことになんともふさわしいものだということです。そこに身を置くと、そういうことを考えていること自体がいとも自然であり、梶浦がセットしてくれた会食もお茶屋さんもそういう心境に置かれた男に自分自身がなってみて、昔からこういうものだったのだろうということを味わえたかもしれないと思っています。去年と同じく京おどりも観せてもらいましたが、そうしてやっぱり、あまりに美しい芸妓さん舞妓さんたちの舞いに感動し見とれたのですが、満開の桜とおんなじで、こういう心持ちだから求めるいとおしい美というものがそこにはひっそりと忍んでいるような気がします。

浅学の身があれこれ歴史を書きたてるまでもないことですが、京都には千年にわたってそういう男たちがひしめいていたわけです。権力の頂点が在る故に権謀術数が渦巻き、成功して有頂天になった者もおれば戦死者、刑死者も数知れず出ました。勝った者が建てた寺社は国家や家の鎮護と同時に死者の怨霊封じの場でもありました。ですからあの都はそういう「気」に満ちているに違いなく、そのようなものが溶け合ってあの文化ができていると思われます。去年はまだ若くてそれには気づかず表面の美だけに感じ入って帰ってきたのですが、今年にいたるまでに色々のことをさらに経験したせいでしょうか、ただ綺麗なだけの美ではない、いわば負の側面も背負った凄味のある美だという風に感じられてきました。

平等院の藤原氏、六波羅蜜寺の平氏、金戒光明寺の会津藩などがそういう男たちだったでしょうし、武家に治政を執られていた時代の天皇家もまたそうだったのでしょうか皇室の菩提寺である泉涌寺では歴代天皇の位牌のあるお堂で自分としてはかつて経験がないほどの強い気を感じました。これは悪い感じのものではありませんが後の寺社が軽く思えるほど腹に重たいものであり、その日はお茶屋に遊んでもどこかそれが残っていて何かを頂いて帰ってきたのかなという気分も致します。

中村がここはお前の専門分野だろうと言うので、泉涌寺については稿を改めて書くことにします。

 

はんなり、まったり、京都 (その2)

 

 

はんなり、まったり京都2014

2014 APR 6 22:22:38 pm by 東 賢太郎

今日京都より帰って参りました。前回と同じく、大学のクラスメートである畏友梶浦の会社「庵(いおり)」が経営する町屋のうち最大で一番人気の「美濃屋町」に2泊させてもらいました。お客の6割がフランス、アメリカ、イギリス人で、京都好きのリピーター家族などで1週間単位の一棟お借上げが多いそうです。SMCはそうはいかず週末だけなので旬のいいとこ取りの土、日だけ頂いてしまって申し訳なく、感謝あるのみです。

今回つくづく思いましたがこういう宿は通常の旅館、ホテルではありえない「我が家感」が大変気楽です。窓を開けると目の前にどかんと鴨川が広がり、花見客でごった返す京都にぽっかりと静かな自分の空間が、それもかなり贅沢に広い空間があるということ。川を眺めながら風呂に入れ、食事も頼めば立派なものを持ってきてもらえるので完全に内輪だけのリラックスした雰囲気でくつろげるという大きなバリューを感じます。地の利も京都の真ん中付近ですから抜群であり今回も清水寺からは歩いて帰りました。お世辞抜きで読者の皆さんに強力にお薦めいたします。

それから何がいいかというと、今回は宇治の平等院鳳凰堂(写真下、10円玉でおなじみですね)、泉涌寺、清水寺、黄檗禅宗閑臥庵で京都でビジネスをし平等院unnamedて10余年になる梶浦社長の顔ききで信じがたい特別待遇の見学をさせていただきました。「今日は裏口入学のオンパレードだね」と皆が冗談を言うほどスイスイ見られて長蛇の列の一般のかたに申しわけなかったのですが、しかも普通は入れない奥の奥まunnamed宮城氏で入れていただき非常にわかりやすい、しかも興味深い解説をきかせていただきました。例えば平等院では梶浦のご友人である代表役員兼住職、要は当院の総責任者、CEOであられる宮城俊作氏(写真右、氏と紫式部像の前で)が代々住職というお家柄から興味深い裏話をまじえて鳳凰堂と博物館に同行して解説をして下さりランチもご一緒いただきました。心より感謝いたします。氏はちょうど僕と同じ頃に米国に留学してハーバード大学で建築を学び、住職をされながら奈良女子大学の教授をつとめ、設計会社「PLACEMEDIA」を経営もされるというスーパーマンです。梶浦を通じて素晴らしい人とお知り合いになれました。

ここからの詳しいレポートは土曜から我々に合流したメンバー、江崎、中村、阿曾各氏のブログにおまかせ致します。

 

はんなり、まったり京都-泉涌寺編-

 

京都にて

2014 APR 5 7:07:10 am by 東 賢太郎

昨年に引き続いてSMC京都トリップに来ておりましす。メンバーのよしみで梶浦社長に無理をお願いし、今年も通常ではないアレンジになったようです。桜はややピークを越しましたが十分間に合いました。六波羅蜜寺から平清盛にまつわる寺社などをまわり名所で花見をしてから梶浦おすすめのフレンチへ。京都は居るだけで気分が変わり、気宇壮大な気持ちになります。詳報は追っていたします。

 

 

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