世界のうまい物 -出雲編-
2014 MAR 9 17:17:32 pm by 東 賢太郎
奥出雲でいただいた食べ物シリーズです。
まずは仁多米でしょう。米食味分析鑑定コンクールで4年連続5回目の金賞受賞というブランド米で西日本の横綱とされているそうです。寡聞にして知らなかったのですが、どこでいただいてもその食感はなかなかのものでした。砂鉄を取ると土を流してしまうので土地が削れていきます。その跡地を昔から棚田(段々畑)にして米作にも充てているので、ここはコメの名産地なのです。とにかく水がいいのとミネラル分が豊富なようでおいしいです。
その仁多米で炊いた香茸(こうだけ)炊き込みご飯は絶品。黒っぽいのが香茸ですが食感も香りもよろしく、ポルチーニという感じです。パスタにしてもかなりいけるでしょう。栽培ではなく自然のものを採集するので貴重品だそうで、地元で食べてしまって他県には出回らないそうです。奥出雲町長が「ゴルフをしていて林に入ってしまった時、ボールを探したら香茸を見つけました。そっちのほうがうれしかったですね。」と冗談を言われるほど。よくわかります。
そこでいただいたお酒もとてもよろしいものでした。やはりお米と水の良さがきいていて「深山の香」なる奥出雲は簸上(ひかみ)の清酒はすっきりした口あたりで飲みやすい。このボトルもなかなかセンスがいいですね。
これはボトルからはなかなか中身が想像しにくいですね。D-269が何かと思ったら「どぶろく」でした。デザインセンスはこちらも垢抜けて格好いいと思いませんか。お味はお米の自然な風味が濃厚にあって野趣にあふれ、それでいて適度な甘みと舌触りは上品でもあります。我々が口々においしいおいしいと騒いだものですから、町長がお気遣い下さっておみやげにいただきました。恐縮です。
次に稲田姫神社にある姫のそば ゆかり庵の蕎麦御前です。出雲そばはやや太めでコシが強く、かなりアルデンテであります。それが3段重ねのわんこになっていて食べ応え十分。蕎麦の風味が大変よろしく、それと薬味との相性が絶妙でした。もう一つ堪能したのは野菜です。どれも「土の香りがする」ようで東京で食べているのは何なのだろうと考えるほどおいしかったです。おにぎりがちょっと冷えてしまったのですが、かえって仁多米のもちもち感が出て美味でした。
「皆美」ではランチをいただきました。小泉八雲をはじめ、里見弴、田山花袋、芥川龍之介、大町桂月、島崎藤村、与謝野寛・晶子夫妻、高濱虚子、志賀直哉、武者小路実篤、佐藤春夫、内田百間、尾崎士郎、川端康成などが来館とあります。部屋からの宍道湖のすばらしい景観はドイツ時代によく行ったライン川沿いのレストランを思い出してしまいました。庭園のある老舗でいただいた「鯛めし」は鯛と卵の白身黄身が団子のようになっていて独特のもので、東京で食べる鯛めしとはまったくちがいます。
ヨーロッパもそうですが、主食でないデザートにその国の食文化の奥深さが見て取れます。文化はお金持ちがいないと育ちませんが、食も舌の肥えたお客が長年かけて磨き上げるものでしょう。だから京都の和菓子、パリ、ミラノ、ウィーンのデザートはどれも洗練されておいしいのです。そういう基準に照らしても、出雲のスイーツは「そばぜんざい」「おはぎ」などどれも甘みを抑えた上品なもので、ここの文化度の高さが一流であることを確信させます。
おみやげはよくわからないのでA先生の言われるままにこれを買いました。來間屋生姜糖本舗の生姜糖です。砂糖と生姜の煮汁だけのシンプルな味ですが、どこかなつかしい。これが創業300年のワザでしょうか。この見てくれも江戸時代っぽくて好きですね。今回、出雲の産品の味だけではなくデザインセンスの良さもとても印象に残りました。東京どころか世界で通用するレベルと思います。
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奥出雲訪問記-その2-
2014 MAR 9 0:00:41 am by 東 賢太郎
羽田から1時間半、奥出雲(おくいずも)は島根県。といっても出雲大社とやまたのおろちぐらいしか知らなかったわけです。
まず溝口島根県知事との45分余のご面談にはじまりました。通常の面会は15分ということで、異例のお時間を頂戴したことに感謝です。その晩は奥出雲町長および島根県議会議員様とのディナーとなりました。そして足立美術館、奥出雲多根自然博物館、長者の湯、絲原記念館、奥出雲たたらと刀剣館、稲田姫神社、古い駅舎やダムの訪問、見学、出雲大社参拝と2日にしては相当なメニューでした。全部が館長さんや専門家の方のガイド付きでありました。
まずは足立美術館の額縁のような日本庭園から。名園と日本画の調和がこの美術館の基本方針で、アメリカの「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌で11年連続日本一に認定され、フランスのミシュラン・ガイドで三ツ星を獲得しています。日本画では質量ともに日本一の横山大観コレクションが出雲にあるのが驚きです。
創立者の足立全康氏(写真)は明治32年当地に生まれ、14歳で裸一貫で国を出て苦労を重
ねた末に大阪で繊維、不動産業で成功した人物です。立身出世物語は各地にありますが、大観に惚れこんでここまで集めてしまう執念はすごい。それに感動しました。庭園の景観の細部へのこだわりも半端ではなく全館が彼の作品という風情です。こういう気質というか、いい意味でのねちっこさは出雲の方の持ち味かもしれません。
私事で恐縮ですが自分の先祖も能登、伊那の片田舎から東京、横浜に出てきた事業家であり、足立氏の執念を見るとどこか体の奥底で共感を覚えます。「名作との出会いは人と同じで、縁だね。絵を蒐(あつ)めるのは金じゃない、値段じゃない。いいものが出たら目をつむって掴(つか)んでしまえということだ。まったくあの絵は惜しいことをした。いまだに夜中にぱっと目が覚めては想い出し、眠れん時があるよ。」と口角泡を飛ばして語る姿を思い出すと・・・・と説明書にあります。お金より縁を大事にして成功されたんでしょう。
松江藩の5鉄師のひとりであった「たたら吹き製鉄」の名家である絲原家については前回書きました。建坪約350坪、床面積約500坪、部屋数約40室を誇る大邸宅です。竹島が日本領と明記された最古の地図は伊能忠敬が測量する70年前の制作であるため北海道は欠いていますが、本州以南の精密さは驚くばかりでした。
絲原家のご当主は夜の会食をご一緒して下さった県会議員である徳康氏で、ここはご次男が近衞 文麿公が入ったという奥の間にご案内下さいました。なお、この絲原記念館は今月22,23日に放映されるTBSのドラマ「リーダーズ」のロケに使われたそうです。奥の間は洋間の執務室という設定で出てくるそうで、和室ではここに宮沢りえが座ったんですよなどと細かく教えていただきました。
「絲原記念館」の鐡(てつ)の字の解説もその意味で実に興味深いものです。こういう数字を見るとすぐ反応してしまうのは商人の血筋ということでしょうか。
松前藩の系図です。徳川の重臣であり、最期まで幕府方で戦ったことがわかります。ご存知かもしれませんが、県名と県庁所在地名が一致しないのは幕府方です。島根県であり松江市であるというのは、そういうことなのです。
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奥出雲訪問記
2014 MAR 7 1:01:40 am by 東 賢太郎
「ここは かめだけ うさぎはいない。ゆっくり走ってみませんか!」
えっ? 頭のほうがまず一時停止しました。今回は島根県の出雲へ1泊2日で出張しましたが、初日に車で奥出雲へ向かう途中に見た、仁多郡奥出雲町亀嵩(かめだけ)の道路わきの看板の文句です。このユーモア精神にまず心が和みます。
このあとでだんだんとわかってきたのですが、このやわらかくて優しいおもてなしの心と真理探究への妥協なきこだわり精神。一見あい反するものが同居してほどよくバランスしたものこそが出雲でお会いした多くの方々から肌で感じさせていただいた魅力ではないかという感じがしております。
松本清張の「砂の器」はこの亀嵩(かめだけ)が舞台だったことをご記憶の方も多いでしょう。すでにそこそこ有名ですし、もうすこし車が進むと清張自筆の立派な記念碑もあるのです。普通の市町村なら「清張の里!」「砂の器の舞台へようこそ!」という看板がまっさきに立って、清張まんじゅうでも売ることを考えるでしょう。そこに 「うさぎはいない」 とくるこのセンス。とてもやわらかいのですが、土地の歴史への誇りとこだわり、そして「かめだけ」という地名を瞬時に覚えさせる合理性を秘めているように思います。
今回はここを発祥の地とされる著名企業の社長様に同行させていただく栄誉にあずかりました。たったの2日間だったとは思えないほどのたくさんの体験と勉強をさせていただき、会社様のすばらしいスケジューリングには感謝あるのみです。外国ばかり知っていても日本についてはいかに無知であるか、それも出雲のような要所をというのがいかに無恥であるかを思い知りました。今回はまずその「思い」のほうを綴ることから始めたいと思います。
この写真は2日目の朝食の前です。「今日はだいぶもやがかかっていますね」というと、社長から「いや、いつもこんなものです」というお言葉。そうか、ここは雲出ずる国だったかと納得です。
まずは、2日間がそろそろ終わりに近づいたころ、同行された会計士のA先生がつぶやかれた言葉から始めましょう。
「出雲ってこれだけたくさんの魅力があるのに、なんかもったいないですね・・・」
たしかに。出雲の魅力オンパレードの2日間だったのに僕も最後の最後になって「そういえば出雲の阿国も出雲でしたね」なんて間抜けなことをやっと質問させていただいた始末です。阿国さんですらパレードの順番では前の方には出てこない。これでは清張さんがうさぎの後になってしまうのも仕方ないですね。観光資源という言葉は即物的であまり好感が持てませんが、もしそう呼ばせていただけるなら「有り余るほど豊富」というのが出雲、奥出雲だと思います。もっと多くの人が世界中からやってくる、出雲発のモノや文化やサービスが世界に発信される。そうなって不思議でないのに・・・そういう意味がA先生のことばにはこもっているのです。
どうしてそうなっているのだろうと考えました。観光資源ということでは筆頭になるのが出雲大社でしょう。昨年は遷宮行事のハイライトイヤーで多くの観光客が訪れ、今でも羽田からのフライトは満席でした。我々は社務所の奥にて第84代出雲國造で出雲大社宮司である千家尊祐氏と出雲大社権力宮司である千家隆比古氏にお目にかかって歓談の栄を賜わり、拝殿参拝までさせていただきました。良くは存じませんが、皇室公家並みの待遇かもしれません。それは社長様も初めてということで、そのような場にご一緒させていただいたのは、誠にありがたいことです。
そこで伺った話によると、遷宮は20年に一度の伊勢、60年に一度の出雲がそれぞれの事情で年がずれ、偶然にシンクロするようになったそうです。伊勢が総建てかえ、出雲は部分建てかえなど様々な違いはあるのですが、経費予算は伊勢神宮が550億円に対しこちらは95億円というのはそれにしてもずいぶんな差です。「国を譲ったほうですから」と社長はいわれましたが、そのようなことが積もり積もってここの土地の根強いプライドといいますか、普通の土地の郷土愛とは次元の違った深くて強い思いにつながっているような気がいたします。歴史や旧跡の安易安直な宣伝はしないという精神は先生のご指摘のようにもったいないことにもなっているわけですが、それはそれでここの独特の文化、気質、個性を育んできたのかもしれません。
お金や時間というものには価値があるというアメリカ的教育を受けてくると忘れてしまう価値というものがここにはあるということが今回どこか心に残像として残りました。お金で買えないものを大切にする、文化とはそういうものであるという大事なことを教わったと言ってもいいでしょう。それは奥出雲の絲原(いとはら)記念館という、「たたら吹き製鉄」を松江藩から公認された5鉄師のひとりであった絲原家を訪問したときにも感じたものです。江戸時代からの旧家の所有する有形無形の文化遺産の重みにはただただ圧倒されるばかりで、お金というものにいったい何の価値があるのか、金融というお金相手の職業に長らく従事してきた僕の価値観に転換をさし迫るほどの強いインパクトがありました。
それは家屋の立派さ、古文書や骨董の類が豊富という物質的なものだけから受けたのではありません。もっと質的なものも含めてです。たとえば、世界最高峰の刃物である日本刀は「玉鋼」というプレミア級のはがねからしか生まれません。その玉鋼を鉄鉱石ではなく砂鉄という世界でもユニークな原料から鋳出す技術、それはまぎれもなくメード・イン・ジャパンの技術でありそれを生んだのが「たたら」なのです。
製鉄の原理や技術そのものは輸入されたものだろうと思われるでしょう。たしかに製鉄技術は紀元前1400年ごろヒッタイト(現在のトルコ)に発してタタールを経由して入り「たたら」になったそうです。しかし、ここが大事なところですが、輸入して磨きをかけて世界最高のモノを作ってしまうという日本のお家芸はコピーや真似ではありません。なぜならそれを逆にご本家は真似できないからです。それは「新たな付加価値の創造」に他ならず、我が国は「技術を進化させる才能」があるということであります。
その付加価値を生んでいるのは二流のもので満足しない目線と、そこへ至る徹底した合理主義です。それが出雲にはあると感じます。しかも、たたらの5鉄師はもともと公家でも武家でもなく農家であるという事実も意味深長であり、日本の技術力の底辺の広さを覚えます。それは学校や職人教育制度から生まれたものではなく、日本人のそれぞれが生活に根ざした原点で当たり前のようにもっている強みですから、それこそコピーと真似で食っている他国に一朝一夕に凌駕される心配はないと思いました。
また、奥出雲では鉄鉱石ではなく崩れやすい花崗岩から砂鉄を得るそうですが、その鉄分がどこから来たかということをずっと考えておりました。どうして「たたら」がここに出来たんだろうという素朴な疑問です。鉄(Fe)は地球では生成せず超新星爆発に由来する物質です。まず第一に、この疑問は「奥出雲たたらと刀剣館」で「ヒッタイトが隕石から鉄を鋳出した」というご説明を受けてすっきりしました。
第二に、「奥出雲多根自然博物館」の館長さんから「山の上に神が降りた神話があります」というお話がありました。「それは隕石だったのではないですか」と尋ねると即座に「そうかもしれません」とお答えいただき、さらにすっきりしました。僕の質問はある意味で神話を冒涜するものかもしれず、科学的にも荒唐無稽と取られて仕方ないものです。館長のお答えは東京の博物館ではあまり期待できないものでしょう。Feの由来の科学的な話の脈絡ではなかったものであるだけに、大変に実証的な精神を感じて大いに共感したのです。
その「奥出雲多根自然博物館」は恐竜や生物の化石と標本、鉱物など驚くべき点数のコレクションを観ることができる有数の場所です。日本の最古のストーリーである出雲神話からさらに時間をさかのぼって、地球の生成期、さらには137億年前の宇宙誕生までを俯瞰することができます。こんな雄大な発想も東京人からは出そうにありません。子供に大人気だそうですが、科学少年であった僕のようなオジサンでも一日いて飽きることはなさそうです。
こういう時空でものを考えれば大層スケールの大きなことができる気がいたします。出雲という地は現実にスケールも大きかったという物的証拠があります。例えば出雲大社の初期の遺構から、神殿の高さは地上48mもあったことがわかっています。古代の世界七不思議にあげられるアレクサンドリアのファロス灯台を思わせるほどの世界でも異例の木造巨大建造物であり、国作り神話がどこまで事実を反映していようがいまいが、それを出雲の人がそこに築いたということは事実のようであります。
今回の2日間の印象ですが、僕はたたら鉄の精製技術と同じように出雲には「メード・イン・ジャパンの原型」があるのではないかと考えるに至っています。どういうルーツと経緯から日本国というものが出来たかはともかく、それが国譲りで日本中に伝播して今があるのではないかというということです。もしそうなら、ジャパン・クールで日本が世界の注目を集める今、その魅力はまず出雲になんらかのルーツがあったと考えていいかもしれません。メード・イン・イズモの精神を持った企業がグローバル・スタンダードを作っても何ら不思議ではないということです。
出雲は亀だけでも大社だけもありません。時間をかけて隅々まで見なくてはもったいない。また行ってみたいと思っております。
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箱根駅伝よかった
2014 JAN 3 15:15:27 pm by 東 賢太郎
東洋大の圧勝でした。設樂兄弟が強かったですね。1区で3位、2区で2位、あとはずっと首位。駒沢は9区の大学界エース窪田までで2分以内ならという目算でしたが東洋大上村に23秒しか詰められませんでした。この上村がまだ2年生なのだから恐るべしです。
その東洋大のモットーが「その1秒を削り出せ」だそうです。いい言葉です。大事にしろでも稼げでもない「削り出せ」。勝負へのおそろしい執念を感じます。そのぐらいでないと世界へは出れません。
世界といえば花の2区で山梨学院大のケニア人オマンバが右足を負傷して無念のリタイアでした。個人技であれば自己責任で飛ばしまくればいいです。しかし襷をつなぐにはリスクは冒せずセーブも必要だからただの競争ではないというところが駅伝です。気の毒でした。6区の山下り、亡きお母さんへの思いを抱いた明大・広瀬は区間新にあと5秒。取らせてあげたかった。
見ていてここにハーバード大学や北京大学も出せば面白いと思いました。柔道と一緒で日本発のグローバル競技にしたらいい。アジアだけでも将来箱根なみに盛り上がれば仲良くなれるのでは。でも伝統のスポーツ、100年かかるかな。個人技でなくチームで記録を作るというのは和を持って貴しとなす日本ならではかもしれませんね。
ここで走る人たちは1万メートル30分前後です。どのぐらい速いのかなと思って自分と比べてみました。高校時代、ちゃんと計った時計は1500m5分15秒でした。これは時速で約17キロ、100mが21秒です。彼らは100m18秒だから、僕は100m走って14m28cm差を開けられる。1500mだと210mおいて行かれます。当時の実感として、差がよくわかります。
僕の全盛期だし二流だけど一応は体育会で毎日皇居1周7kmを走っていて、その5分15秒はクラスで1位でした。しかも1500mと20kmとは13倍も違う。100mだけでいいなら18秒の彼らを抜けますが、そこから距離を徐々に長くしていってどれだけ速度をキープできるかというのが長距離レースです。13倍長くして100mで14mおいて行かれるペースをキープできるというのは!う~ん、やっぱり人間ばなれしていますね。
ちなみに昨年のベルリン・マラソンで世界記録を更新したウィルソン・キプサング・キプロティチのタイムは2時間3分23秒でした。1kmを2分55秒で走っています。これは1万mを29分24秒だから、箱根を走っている上位の人たちとほぼ一緒。箱根は1区間20km程度だから、その2倍の距離を同じペースで走れればマラソン世界記録が見えてきます。それがきっと至難の業なんでしょうね。
今日走った子たちは6年後に脂ののりきった25-28歳。頑張れ。東京オリンピックで金メダルを取ってください!
わが温泉考 (Splendid hot springs in Japan !)
2013 DEC 24 17:17:50 pm by 東 賢太郎
温泉について書けるほど知識はありませんが、とにかく好きです。先輩に教えてもらった秘湯ということで2006-7年ごろ岩手、秋田の藤七温泉、玉川温泉、国見温泉をめぐったのは忘れません。
藤七温泉は箱根の大涌谷のように地中から硫黄臭の白煙がたちのぼる広大な丘にあります(硫黄は本当は無臭であれは硫化水素臭なのですが、硫黄ということにしておきます)。野趣あふれる白濁湯でした。シャワーのたぐいはなし。なにかお湯というよりも粘土をお湯に溶いた濃厚なクリームスープとでもいう感じですね。病気など吹っ飛ばす大地のパワーを感じました。
玉川温泉は癌治療で有名ですが、これは強烈でした。源泉は酸性が強くてすぐは入れません。たしか30%、50%と薄めた湯から順番に入り、体を慣らしてから100%に入ったと記憶しています。足に小さい傷があったのですが、それに湯がしみて痛くてたまりません。何とか我慢しましたが、この湯が癌に効くのは酸性が強くて皮膚がやられ、白血球が増えるからだと聞きました。納得です。
国見温泉は車で舗装されていない山道をがたがたと延々と登ります。正に秘境の秘湯。こじんまりした湯治場の旅館があってそこの風呂に入れてもらいます。ここで1か月素食して湯治したら10㎏は痩せそうだ。一度是非泊まってみたい。これは鮮やかなグリーンで少々驚きますね。
ところでぜんぜん話は飛びますが、人間の血液内には鉄(Fe)があります。鉄という物質は宇宙空間に元々はなかったそうで、恒星の核融合の最終生成物である 56Feが超新星爆発で宇宙空間に飛散した物質です。あまり遠くない将来にオリオン座のベテルギウスでその超新星爆発が起こるといわれています。
宇宙空間には、こうして吹き飛ばされた星の残骸(星くず)が散らばっています。その中に鉄(Fe)が含まれていますし、宇宙の歴史の中でそこでしか鉄は生まれません。水素ガスが引力で固まる時にその星くずもまざった新たな星ができます。そうしてできたものの一つが地球です。そして我々の体は地球の物質だけでできています。だから我々の体内に鉄があり、それは我々の体が星くずでできているという証拠です。
昨日松坂屋の芦の湯温泉(右)につかりながら息子とこんな話をしました。脱衣場の壁に温泉の成分表があります。温泉は熱いので地球の様々な元素が溶け出している。そこが井戸水と違うのです。
でもそのうちの硫黄は人体に有害な化学物質である。にごり湯の腐卵臭は硫化水素ガスであり、一定量を超えて吸引すると即死に至る。
どうして毒なのに人は温泉を好きなのか?
「それは科学と矛盾するよ、科学的に答えはないよ」というのが理系の息子の答え。
「そうだね。毒を好きな人はいないと仮定するのが科学だろう。でもお父さんみたいに好きだという人がたくさんいる。これも事実だ。科学には何か限界があるんじゃないか?」
「じゃあその仮説は?」
「例えばだ。人間も地球も元は星くずだ。温泉は「地球のスープ」だよ。人間には星だった頃からみんなおなじみのものであって、旧友同志が磁石みたいに引きあうんじゃないか?」
「確かにお湯につかりたいなら家の風呂や銭湯でいいし。なにかそれ以上の魅力はあるけどね。ただ効いたと思い込むと病気が治るプラセボ(偽薬)効果というのもあるよ。」
「そうだね。でも、自動車の排気ガスのにおいが好きな人がいる。だからこれも毒なのに芳香族というだろう。どうしてそれがいいニオイとプログラムされてるんだろう、人間の遺伝子に?」
答えは出ませんでしたが・・・
昨日の大涌谷です。
自分が星でできていて、星だった時代の物質同士が呼びあっていて、自分もスープの中に回帰したくなる。化学だと明らかに「毒」なんですがトータルだと薬になる不思議・・・。遺伝子の記憶、ケミストリー(合う人合わない人)、親と子、男と女、僕と猫、こういうものを科学で解明したら?
1個食べると7年長生きする?温泉卵をつくっています(下の写真)。僕の場合、つい、卵よりもここに裸になってつかった方が長生きできるんじゃないかと思えてくるのです。
箱根の休日(Holidays in Hakone)
2013 DEC 23 21:21:31 pm by 東 賢太郎
箱根で休養して参りました。大の温泉好きなので軽井沢は魅力を感じません。昔から箱根ばかりです。我が家は東京も南なので空(す)いていれば車で1時間というのも最高です。連れは上の娘と息子の2人です。僕は温泉はにごり湯マニアなので強羅温泉か芦の湯温泉ということになります。今回は芦の湯の松坂屋さんでした。
まず行きがけに江戸時代からある甘酒茶屋で休憩。箱根新道を途中で畑宿の方へ下りて、つづら折りの旧街道を登ると茶屋はあります。ここまで登るともう雪がけっこうあり、午後4時でしたが気温は2-3度だったでしょうか。標高で7-800mはあると思いますから車でも急こう配で、もうこれは昔の人には登山だったでしょう。
ここの甘酒はほんとうにおいしいです。お土産に買って帰ります。みそおでんはコンニャクでこれも素朴でなかなか。おもちは3種類を注文。いや~江戸時代の旅人の気持ちが分かりました。
松坂屋さんは箱根でも有数の旅館で皇室の別邸も奥にあります。明治には西郷隆盛と木戸 孝允( 桂 小五郎)が密談した場の石碑もあります。何がいいって、ここの湯質は箱根でも最高であります。硫黄泉でやや白濁ですがアルカリ性というのが珍しく、色は日によって青、緑、エメラルドに変わります。
3名で2室の部屋をとりました。この部屋は角で、すぐ隣に薬師堂があり、江戸時代の文化サロンだった「東光庵」といって加茂真淵や松尾芭蕉が句を作って遊んだ場所があります。こういう場所で寝るなんてのもオツなものです。
右の写真の古道は東光庵に至る道ですが鎌倉時代からある重要文化財ということで、この旅館は本館から大浴場へ行く廊下をこの部分だけ階段で下げてわざわざトンネルにしています。浩宮様も泊まられるだけあって、こういうところへの気遣いが行き届いています。なお食事は旅館のレベルを超えています。おかみの挨拶もあり今回2泊しましたが飽きることはなく、体重が気になっております。
疲れ果てていたので翌日は朝食後に風呂へ入るとまた寝てしまい、昼ごろから外出しました。ミシュランで1つ星という「たけやぶ」という蕎麦屋へ。天せいろを試しに注文(右)。せいろが1000円でこれが2400円というのは意味が納得できませんね。まあお味はこんなもんかという程度でした。和食のミシュランというのはだいたいこんなもんです。
そこから仙石原をまわって、娘にひっぱられてガラスの森美術館へ行きました。これは面白かった。ヴェネチアングラスはそこそこ収集されていて目の保養になります。ヴァイオリンとアコーデオンのミニコンサートも聴きました。
ガラスの森美術館のライトアップ前です。2時ぐらいです。後ろに大涌谷が見えています。
ライトアップ後です。箱根の冬は日暮れが早いです。5時半ぐらいでこれでした。
ここのクリスマスツリーは名物で、gooランキングの「一生に一度、必ず見ておきたい日本国内クリスマスツリーTOP10」の第2位だそうです。ちなみに1位はユニバーサル・スタジオ・ジャパン、3位は佐世保ハウステンボスです。
高さ10m、幅8mとかなり巨大であり、7万5千粒のクリスタルグラスが光り輝くさまは圧巻でした。
Merry Christmas!!
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南洋の釣り船に悠久の時を思う
2013 JUN 24 22:22:25 pm by 東 賢太郎
最後の日です。これでミクロネシア・レポートも最終回です。
朝5:15起き。全員で釣りに出かけました。これは6:00ごろ、出航前のボートです。潮の香りがいいですね。
夜明け前なのに気温は20度ぐらいでしょうか。このまま海に飛び込んでもいいぐらいのあたたかさです。この島では、お金は一銭もなくても凍死はしない餓死もしない。これがパラダイスでなくて何でしょう?我々は文明国に生まれて良かったと思いこんでいますが、ここの島の人は東京のような都会に住みたいとは誰も思っていないでしょう。凍死しないように大枚はたいて家を買い、餓死しないように毎日あくせく働き、欲望と見栄のために勉強したりお金を貯めたり・・・・
我々の人生、お金や地位を得る無意味な競争のために時間を空費して死ぬだけなんじゃないか? だとしたら文明なんて何の足しになるのか? ここの悠然とした大自然の大きさの前では文明人のはずの僕らなどお釈迦様の手のひらの孫悟空みたいなもんです。ベートーベンの交響曲がどうしたやらベースボールがどうしたやら株式市場がどうしたやら、そんなのはもうどうでもいいなという満腹感に似た感情といいますか、潮の満ち干みたいな大自然の摂理にこころがぴたっと共鳴しているのが自分でわかるのです。こういうことは人生で初めてです。
そんな気持ちをぼーっと一人味わっていると、皆さん、早々とボートに乗り込みました。
いよいよ出航です。MRAの紅一点日本人社員、石原嬢も釣りは今日が初めてだそうで少し緊張の面持ちです。まぐろ用と小型魚用の2つのボックス。でっかいですね。ぜったい大物を釣るぞという心意気がみなぎっております。
海はどこまでもおだやかです。船酔いの薬を飲んだ人もいましたが、いらないんじゃないかなあ。僕は酔わないので遠慮しました。ダダダダダ、エンジン音も軽快に。ぐーんとスピードが出てくると風が肌にここちいい。右側からいよいよご来光の時間が迫っています。
皆さん、とくとご覧ください。下がミクロネシアで僕が撮った最後の一枚です。
遭難者のカメラにはきっとこういうのが残るんでしょうね。何があったかって?
ここから船長は猛スピードで沖をめざして一直線に舟を進めました。やがて珊瑚の環礁から外に出たんでしょう、舟はすごい高波に木の葉のようにもまれだします。いや、甘くみていました。全員、頭のてっぺんから波をぶちまけられて、まるで泳いできたかのようにびしょびしょです。よし、このシーンを撮ってやろう。今回この旅行のために買ってきた最新式のキャノンのデジカメを取り出します。
あれっ、動かない!
押しても引いても何をやってもご機嫌をとっても、ダメでした。海水が入ったんでしょうか。こういうわけで写真はおしまいになってしまったのです。
それでもボートはどんどん進みます。来た距離は例のダイヤモンドヘッドが後ろで遠くに霞んで見えなくなるぐらいで、ひょっとしてこのままチューク島でも行くんじゃないかと冗談も出ました。船長さんたちはぜんぜんしゃべらず、どうしようとしているのか誰もわかりません。ここはサメがいるらしいし、転覆でもしたらまずいなあ、皆さんちょっと不安なのか無口に・・・・。N さんはやっぱり船酔いになってしまいました。と、そうこうするうち、船長さんは無言のままやおら船首を180度旋回して、来た方角に向けて引き返しだしました。糸を垂らしてみたわけでもなく、どういう都合かぜんぜんわからないのですが、なにか残念なようなほっとしたような・・・・。
まぐろはどうもいなかったようです。残念です。きのう子供が小舟で釣っていたのにね。すると赤銅色の肌をした老練な船長は 「マヒマヒを釣るぞ」 とけっこう上手な英語で高らかに宣言するではないですか。おお、さすがだ。臨機応変な判断だ。目だけでそれがわかるんだからすごいよね、一同より称賛の声が上がります。すると2人いる船員が、黄色いプラスチックのロールになんだか無神経な太めの糸が巻きつけてある道具を箱から2つ取り出しました。これを舟の両側から海に垂らして、舟を加速するとマヒマヒが疑似餌に食いつくのだそうです。そこでやおら登場した疑似餌!これの写真が撮れなかったのは痛恨です。七夕さまの笹にぶらさげるボンボリみたいで間抜けな顔をした、たぶんイカのつもりなんだろうがその割には足が銀色でやたらに多い、いかにも釣れそうにないマンガ的物体が堂々と針に装着されたのです。
午後1時のフライトなので、それを海に垂らす残り時間は30分。皆が交代で今か今かと糸を持ちます。マヒマヒってどんな顔つきなんだろう、たしかハワイで食べたけどおいしかったよ、疑似餌のサイズからして大きそうだから引きは強そうだね・・・・。こんな会話がなされること約15分。しかし引きはおろか、糸はピクリともせず。そうこうするうちに、皆さんだんだんあの間抜けなイカの顔が目に浮かんできたのか、でもあれに食いつくのはよっぽどバカな魚だよね、スピードでごまかさないと無理だよね・・・・皆さん会話のトーンが一気に変わってきます。
わかった。これは釣りの疑似体験つきクルーズだったんじゃない?
そうか!あのでかいボックスにおみやげのまぐろが2匹ぐらい入ってるんだよ。
もう皆さんやけくそです。誰からともなく、おなかすきましたねということで石原嬢お手製のおにぎりをいただきましたが、それのおいしかったこと!釣糸のことはもう皆わすれておにぎりに集中。それをするどく見ぬいてかどうか、「今日はおしまい!」、船長の毅然とした号令一下、舟はダダダダダとエンジン音も軽快に港に午前9時の予定通りに帰還したのでありました。予定通りだったのはそれだけですね。おみやげのまぐろは出ませんでした。下船したあと、温厚で大人物であられる T 社長より、
ちょっとコミュニケーションが不足しておりましたな
と締めのご講評。まさに言いえて妙でした。ホテルへ帰ると迅速かつ的確に定価通りの125ドルの請求書が我々を出迎えてくれたのです。この3日半、初めての南洋でのすばらしい体験の連続でした。まあ人生、万事うまくいくことはありませんしね。最後にちゃんと帳尻があってご愛嬌で終わるのもまた次回の楽しみが残ったと考えることにいたしました。また来たい、いや必ず来るつもりです。
長々とお読みいただきましてありがとうございました。僕だけはここからグアムに3泊しましたが、写真の都合で順番が分かりにくくなってしまったことをお詫び申し上げます。
世の雑事が頭から完全に消えた日
2013 JUN 24 18:18:43 pm by 東 賢太郎
ナンマドールとケプロイの滝を見た後は胡椒(こしょう)農家を訪問しました。東インド会社のころ、アジアからヨーロッパへもちこむとダイヤモンドと交換できたという胡椒ですが、どんな植物でどういう風に栽培されているのか見たこともありませんでした。これがその農園です。 
立てられた杭にツルのように巻きついていて、ブドウの房のように実がついているのです。
実を噛んでみると、ラズベリーか固めのサクランボみたいな歯ざわりなのですが、出てくるジュースはまぎれもない胡椒の味なのです。乾燥してああいう辛い味になると思っていましたが元々だったんですね。2~3個で舌がしびれてきます。
ところで下の写真の右上にある濃い緑の葉っぱの木が何かご存知でしょうか?
これです。
これ、マンゴーの木なんです。高さは20メートルぐらいの堂々たる巨木です。バナナの木みたいなのを想像してましたが・・・。マンゴー様が偉大に思えてきました。
だいたいどこの農家も豚を飼っているようです。子豚の色分けが面白いですね。
死んでるのかと思いました。究極のリラクセーションですね。見ているだけで肩こりが治りそうです。
これがウワサのマンゴーです。もぎたてです。あの木から獲れたのでしょうか。ワイルドに皮をむいてかぶりつきます。こんな甘くてジューシーなのは食べたことがありません。止まらなくなって3つもいただきました。
農園のご主人から胡椒をおみやげにいただきました。けっこうたくさんあります。ステーキにかけたり野菜炒めに入れたりは定石ですが、通の食べ方として醤油、みりん、砂糖で煮て佃煮にすると絶品と教わりました。世が世ならダイヤモンドです。深謝です。
コロニアに戻ると6時過ぎ。そろそろディナーです。最初に行った海辺のアメリカンレストラン「マリーナ・クラブ」に行ってみることになりました。そこからしばらくのんびりと海を見ていると、ボートからまぐろを釣った子供が降りてきました。明日は釣り船に乗るので期待が高まります。あんなボートで子供でも釣れるんですね、などと話していました。
これがここのメニューです。これも悪くないでしょう? お味もヴォリュームもgoodです。SASHIMIもあります。
ココナッツ・ジュースを注文しました。するとウエーターがOKといって店のわきの椰子の木にするすると登るではありませんか! これに穴をあけてストローを入れて、お待たせしました! となるんです。冷蔵庫に牛が入っている牛乳のCMがありました。あのノリですね。東京だったらいくらとられるだろう? 贅沢です。
食事がサーブされるとどこからともなく、またあいつが現れました。たくさん人がいるのに、迷うことなくまっすぐに僕の横に来て見上げます。どうしてわかるんでしょうか? 
さんざんおいしい料理とワインをいただき大満足。帰りはホテルまで腹ごなしに歩き。屋台をひやかしながら帰りました。これは鰹でしょうか。明日は朝5:45に集合で釣りに出ます。なんとなく皆さん頭はそっちの方に。
いや、ものすごく濃い一日でした。
ケプロイの滝
2013 JUN 24 16:16:25 pm by 東 賢太郎
降雨量世界第2位のポンペイは滝が多いようですが、ここにご紹介するのは「ケプロイの滝」といいます。ナンマドールのあと、お昼ごろに茂田さんにご案内していただきました。まず、こういう川沿いのけもの道のような小路をどんどん上流に向かって歩きます。 
ゆるい傾斜のある道ですが、2~30分ほど行けば水しぶきの音がだんだん大きくなってきます。
着きました! 気温もやや涼しくなってくると、熱帯にいることを忘れてしまい、いつのまにか日本にいるような錯覚に陥ってくるのが不思議です。
高さ、幅とも2~30メートルぐらいでしょうか。轟音で声はほとんど聞こえません。ここで皆さんじっと黙ったまま滝のパワーを感じつつ、茂田夫人お手製のお弁当とおにぎりをおいしくいただきました。デザートはバナナです。これは甘いうえに少し酸味がかっていて最高においしく、初めての味でした。そして仕上げは椰子の実のジュース。もちろん実ごと丸ごとです。重たいのを運んでいただいてありがとうございます。
企業秘密ゆえ皆さんのお顔入りの写真を公開できないのが残念ですが、全員が満面の笑顔なのをご想像ください。男性5人、女性1人でしたがこの日は遺跡に滝と、島のパワースポットを訪ねるまるで大人の遠足でした。僕だけ初対面でしたが、この3日半は「数奇な」体験の連続で、こういうものを共有させていただいたのは何かのご縁と思います。
日本人は企業も若者もミクロネシアに進出すべし
2013 JUN 24 13:13:34 pm by 東 賢太郎
ポンペイ島の2日目。ミクロネシア連邦法務省登記官のサマリ・スタさんとです。
ここがMRAの本社で我がレイゾン・キャピタル株式会社もこのビルの一室に入りました。後ろの壁には両国の国旗しかないのにご注目ください。MRAは日本企業だけにサービスする目的で設立されたミクロネシア連邦専属のエージェントなのです。中国や韓国の誘致はいっさい視野にありません。米国信託統治領から独立した現在もまだ米国から教育、医療などの財政補助を受けていますがそれは2023年に期限が切れます。ですから当然のこととして海外企業の誘致が10年後を見据えた国家戦略なのですが、その相手に日本を選んでくださったということなのです。嬉しいではありませんか!ちなみに後ろの写真、中央がモリ大統領、左が「亀井さん」似の副大統領です。
下はポンペイ島北部に位置する連邦首都パリキールにある国会です。屋根もソーラーパネルはODAで日本が作ったものです。連邦裁判所もこの隣ですが、殺人など凶悪犯はまったくないそうで、あってもコソ泥ぐらい。いったい何を裁くんだろうと皆の話題になったほど治安はよろしいようです。ちなみにダンナの浮気で奥さんが逃げたというのが新聞ネタになるそうです。平和ですね。
だれがこの光景を見て一国の永田町、霞が関と思うでしょう。金額では米国の援助の次に日本国のODAが大きく、島の火力発電所は三井物産が、道路舗装は前田建設が受け持ちました。ここの敷地の風力発電機も日本製です。一位の米国がお金を出さなくなるわけですから日本が頼られるのも道理です。それには政府よりもむしろ民間が応えてあげることで両国の関係はより緊密になるはずです。
僕がここに会社を作ろうと思ったのは節税などのしみったれた話ではなく、小さくてもいいので国家を相手とした事業をやってみたいという昔からの強い願望があったからです。坂本龍馬はそれが英国だったし、僕の先祖も開港直後の横浜に信州伊奈から出てきて英米相手に生糸貿易と金銀両替商をやっていました(後者は銀座の田中貴金属として残っています)。血が騒ぐとはこういうことだとつくづく感じています。
この日のディナーはMRAのホストで、日系人のご夫婦が経営する海辺のレストランでミタ元駐日大使とスタ登記官にごちそうになりました(下)。右はスタさんです。外でいただく予定でしたが突然というか想定どおりというかバケツをひっくり返したような集中豪雨に見舞われまして屋内のテーブルになりました。
お店の棚にあるご主人のトロフィー。ゴルフ場はないので何かなと思いきや釣りのトーナメントの優勝カップでした。まぐろの刺身がうまいわけですね。
メニューは日本語が書いてあります。通貨は米ドルですよ。
さしみ定食1100円、やきそば、ラーメンが900円、日本そば800円、海老フライ定食2300円、親子丼900円、そうめんといなり寿司1000円、ステーキライス2000円・・・・
いかがですか?ぜんぜん問題ないでしょう。味ですか? 断言しますが香港の妙ちくりんな「日式」などとは比べ物にもなりません。あんなものを日本料理だといって、知らない中国の人が勘違いするのも困る。香港に住んだ2年半、あれは一度でこりて2度と食べませんでしたが、ポンペイの日本食は毎日でもOKですね。ということで皆さん、安心してポンペイ、ミクロネシアへお出かけください!












































