クラシック徒然草《カルメンの和声の秘密》
2020 SEP 22 14:14:39 pm by 東 賢太郎
前稿で1分で終わる「NTVスポーツ行進曲」のインパクトについて書きました。しかし、それをいうならこれを書かないわけにはまいりません。カルメン前奏曲です。主部はたった2分ですが、万人をノックアウトする物凄さ。僕はこれを中学の音楽の授業できいて「クラシックはすごい!」と衝撃を受け、この道にのめりこんだのです(もりや先生ありがとうございます)。
まずは聴きましょう。
この前奏曲にはベンチャーズやビートルズしか知らない耳には奇異に聞こえる部分がありました。そのころまだピアノが弾けません。ギター(これはマスターしていた)でさらうと考えられないコードが鳴っているのです。囲いの部分です。
中学生の僕に楽譜は読めません。しかしポップスのコード進行ならいくら珍品のビートルズのIf I FellやI Am The Walrusでも、Hard Day’s Nightの始めのジャ~ンも難なく耳で書き取れたので結構上級者だったでしょう。なぜならギターを通じて「バスを聴け」の大原則を発見していたからです。これは今でも音楽鑑賞に耳コピに、絶大な威力を発揮しています。ご興味ある方はこちらのレッスンをやってみてください(音楽の訓練を受けてなくても誰でもできます)。
ところが、無敵なはずの大原則がカルメン前奏曲には通じなかった。当時の僕は「うぬぬ、おぬしやるな・・・」と固まってしまうしかすべがなかったのです。イ長調の主題がそのまま4度上のニ長調になり、たった3拍でイ長調に戻す部分なのですが、トロンボーンとバスーンでよく聞こえるバスがいけない、奇矯だ、と思うのはコンマ何秒のことで、あっと驚く間もなく E7 になって、なに驚いてんの?とあざ笑うように A (ニ長調)に復帰してブンチャカ始まっているのです。野球をしていて「手が出なかった見逃し三振」というのは最高に悔しいのですが、ここは、140キロぐらい速い上にググっと予想外の変化もして「ストライク!」と言われる感じがする。気になって眠れません。
このおかげ、悔しさのおかげで、僕は楽譜が読めるようになったのです。
そこで何が起こったかというと、「どうしてだろう?この『変だ』という感覚はどこから来てるんだろう」と即物的に解明を試みたわけです。そこで実験道具である楽譜を買います。対象部位を特定します。バスが d → g#→c#と動くことをつきとめます。『変だ』の理由を探します。わかりました。d → g#が増四度だからが解答でした。こんなのポップスには出てこない「見たことない球」だったのです。g#→c#のほうは完全4度のあったりまえのもので、急にぎゅんと曲がってあとはまっすぐという変化球です。
となると、打席で「うわっ」とびっくりして手が出なかったのは g#に乗ってる和音だ、こいつが曲者だったとロジカルに追い詰めることができるのです。
正体見たり。こいつはワーグナーやブルックナーによく出てくる “g#,h,d,f#” で E9 のバス e を取って g#に置換したもの。コード記号で簡略に書くとD⇒C#⇒E⇒Aでイ長調に帰る。Dを半音下げるのはまことに強引で、そこで間に緩衝材としてこの和音をはさんでいます。 Bm6 とも書けてしまうがそのおまけの 6 (g#)がバスに来てしまってトロンボーンとバスーンで我が物顔に鳴るから Bm6 とは別物の倍音を撒き散らしている、つまり、ビゼーはこれを「たった3拍でイ長調に戻す」舞台回しの大トリックの要諦としたと思います。その証拠は上掲のピアノ譜にありますので解説します。よ~くご覧ください。
これはビゼー自身の編曲ですが、この増四度を変だと聞いてしまう僕のような輩がいることを危惧し、イ長調が元々の設定なのだから本来は書く必要ない # をわざわざ g につけているのです。一瞬の浮気で転調しているニ長調は g に#はない。きっとアホな演奏者がいるだろうなあ、♮されかねないなあ、この#が本妻のイ長調復帰の狼煙になるんだよなあ・・。彼は初演直前になって「アタシ、カルメンよ、ちょっとぉ、こんな歌ばっかりじゃ見せどころないじゃないのよぉ」とごねるくそうるさいプリマドンナに13回も書き直しを余儀なくされ、イラディエルのハバネラ《 El Arreglito》なる作品をぱくって「ハバネラ(恋は野の鳥)」を書いてやりました(民謡と思っていたらしい)。そんなおおおらかな時代だから変位記号の見落としなんて平気にあったろうし、彼がマーラーやチャイコフスキーに並ぶ完全主義のmeticulous(超こまかい)人間であったことをうかがわせます。まあmeticulousでない大作曲家はいませんが。
後にカルメンは全曲が肌から浸みこみ、もはや血管を流れるに至っています。ぜんぶ音を諳んじているオペラはほかには魔笛とボエームしかありません。そこに至って、和声のマジックはここだけではないことがわかってきました。例えばジプシーの歌です。これは実に凄い。和声の万華鏡である。お聞きください。
余談ですがこのメッツォ、ギリシャ人のアグネス・バルツァですが、このプロダクションはメット(レヴァイン)とチューリヒ歌劇場(フリューベック・デ・ブルゴス)で観て強烈な演技と妖艶さに圧倒され、もう誰のを観ても物足りなくなってしまったのは困ったものです。
驚くのはここ、ラーラーラーラララララーです。
バスはずっとe (オスティナート)で、Eaug、A、D#、E、C#、F#m、B7となるのです。このビゼー版は C# のファ音が入ってないのが不思議ですが、僕がテキストにしている Schirmer Opera Score Edition (左)では入れてます。こういうところ、ビゼー版は一筆書きの風情で声部が薄いのでバスと短9度(または短2度)でぶつかるファは略したのか、あんまり気にせず勢いにまかせてスイスイ書いたのか。頭ではファが鳴っていたわけですね、なぜならオーケストラ・スコアでは第2ヴァイオリンがミ#を、チェロがファ♮を弾いているからです。ともあれ、この部分のコード・プログレッション、頭がくらくらします。バルツァのラーラーラーも男を酔わせて三半規管を狂わせますが、それ以前に彼の書いた尋常じゃない音符にくらくらの秘密があるのです。
例えば、出だしは並みの作曲家なら E なんです。ところがビゼーは曲の頭なのにシを半音上げてド(増三和音)にしちゃうわけです。なんという効果だろう!不条理に生きる女、カルメンの妖しい色香が匂い立ってくるではないですか。降参。このスコアはどこを弾いてもかような感じで唸るしかないのですが、前奏曲とこれはとりわけカタルシスが得られます。麻薬です。モーツァルト級の天才であったビゼーはこれを書いて36才で心臓発作であっけなく死んじまったのでなんだか一発屋みたいに見えますが、とんでもない。音楽史を俯瞰すると、ある日突然にぽこんと突然変異のように “あり得ない作品” が生まれるのですが、これはそうでしょう。まあ野球なら王、長嶋、金田、イチローみたいなもん。この人たち図抜けすぎていて「2世」といわれる存在が出てきませんが、魔笛、エロイカ、トリスタン、春の祭典もないのです。カルメンも後継がないですね、こういうオペラを作曲家なら誰だって書きたいはずだけど、やれば見え見えの猿真似になってしまうでしょうね。
ただし、ひとつだけ、アレキサンダー・ボロディンはカルメンを研究したかもしれないという仮説を書いておきます。猿真似にならんようにエキスだけ盗んだかもしれない。というのは、いろいろ発見があるんですが、例えばジプシーの歌を弾いていて、ある箇所がダッタン人の踊りの半音階和声進行に似ている(音というよりも指の動きがというのが深い)と思ったのです。オペラ「イーゴリ公」は未完で1887年の死の年まで書かれていました。カルメンのオペラコミークでの初演(1875年)は先進的すぎて成功しませんでしたが、同年のウィーン公演は当たりました。ワーグナーが称賛し、ブラームスは20回も観た(!)うえに「ビゼーを抱擁できるなら地の果てまででも行ってしまったろう」と言ったそうです(もう亡くなってたんですな。こういうところ好きだなあ、ブラームスさん)。その後数年のうちにロンドン、ニューヨーク、ザンクト・ペテルブルグなどで広く演奏され、全欧州で有名になったこのオペラをちょくちょくドイツ(イエナ大学など)に来ていたボロディンが聴かなかったと考えるのは無理があるでしょう。
ボロディンは交響曲第2番を1877年に完成しましたがその後もオーケストレーションなどを推敲しています。
この稿に、
このチャーミングなメロディーが10小節目でいきなり半音下がる!!こんな転調は聴いたこともなく、一本背負いを食らったほどすごい衝撃です。
と書きましたが、さきほど、
D⇒C#⇒E⇒Aでイ長調に帰る。Dを半音下げるのはまことに強引で・・・
と書いたわけです。そして、交響曲第2番を締めくくる一撃は、ジプシーの歌の最後のドカンそのものであるのです。お確かめください
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無観客のケンぺ指揮チャイコフスキー5番
2020 MAY 26 11:11:35 am by 東 賢太郎
この演奏は一度ブログにしてます(ケンペのチャイコフスキー5番)。同じCDを扱うのは、先日聴きなおしてさらに思うところがあったからです。
これをFM放送できいたのは45年も前ですが、第4楽章のティンパニを強打した頑強な骨組みの音楽に魅入られ、一音も逃すまいとスピーカーににじり寄って聴いたのです。その場面を、ティンパニは右チャンネルから聴こえていたことを含めてはっきりと覚えていて、勿論、その日のその前後の記憶などまったくないのですから余程の衝撃だったのでしょう。
それまでもっぱら聴いていたオーマンディー(CBS)のレコードはいま聴いても素晴らしいもので後に同曲の実演も接したのですが、あれはアメリカの音、こっちがドイツの音と、非常にプリミティブではありましたが、僕の中に仕分けの箱ができたという意味で自分史の重大事件でした。前稿は2013~4年、会社の存続が大変な時期でそこで偶然うまくいったから今がありますが、精神史として読み返すと痛々しくもあります。
さてFMで衝撃を受けて忘れられなかったケンぺの5番ですが、放送録音らしく正規盤が見つかりませんでした。仕方なく翌年にEMIの正規録音であるBPO盤を買いましたがどうも熱量が足りず、悪くはない(1つ星を付けてる)のですがどうしてもそれが忘れられずにいました。以来ずっと海賊盤を探し続けていて、ついに2002年に石丸電気でそれと思われるCDを発見した喜びがひとしおだったのはご想像いただけるでしょうか。これです。
今回、6年前執筆時よりは僕の精神も安定しているのでしょう、感慨を新たにしました。なんてドイツドイツしてるんだろう!これをアップしたらすぐ外国の方が「(この演奏を)ソ連のオケと思ってました」とコメントをくれましたが、自分も前稿でナチスの行進もかくやと書いております。さように両端楽章で主題を威風堂々奏するところ、トランペットの鳴り具合とティンパニの迫力はそれがチャイコフスキーの書いた最も「自己肯定的」な音楽であることを知覚させます。ロマンと陶酔でムード音楽のようにあっけらかんとした快楽主義の5番が横溢する中で、ケンぺの解釈は強烈な存在感を主張します。
後に彼はこの曲に否定的な評価をして見せるようになりましたが、4番で分裂症的になり、5番で立ち直り、6番で破綻した。各々に白鳥の湖、眠れる森の美女、くるみ割り人形が呼応している様は彼の精神史そのものです。否定的だったのは「実は俺は立ち直っていない、ふりだけだ」という自己嫌悪の現れだったように思います。私見ではチャイコフスキーにはドッペルゲンガーの側面があると考えています。その段に至った彼はケンぺの演奏を嫌ったかもしれませんが、書いたスコアは雄弁にこの解釈(男性的なもの)を志向しており、だから否定的姿勢をとるしかなかった。分裂的なのです。
それをカムフラージュするロマンへの逃避(女性的なもの)は同じく精神を病んだラフマニノフが踏襲しましたが、近年の演奏家の両者の楽曲解釈はというと、大衆の口にあう後者をリッチに描きエンディングで男性性を復帰させて盛り上げるという安直なポピュリズムの横行で、そちらに寄るならポップスでよしと若者はクラシックからますます遠ざかることを危惧するしかありません。ケンぺを絶対視するわけではありませんが、かくも剛直に自己のイズムを貫徹させる指揮者は本当に絶滅危惧種になりました。後述しますが、指揮者が絶対君主たりえない時代のリーダーシップの在り方の問題と同根でありましょう。ケンぺは僕が渡欧して接した歴史的演奏家たちのぎりぎりひと世代前であり残念でした。
Mov2のホルン・ソロの、レガートのない垢ぬけなさは録音当時世界を席巻していたカラヤンを否定してかかるが如しで、ケンぺの気骨を感じます。この委細妥協せぬ圧巻のユニークさは、それを聴いていただきたくてアップしたレオポルド・ルートヴィヒのくるみ割り人形組曲(同じオケ、66年録音)に匹敵するもので、こっちのホルンもとてもチャイコフスキーとは思えません。これです。
ケンぺ盤にあらためて発見するのは音色だけではありません。オケの内部を聴くと第2楽章はテンポが曲想ごとに動くのがスリリングでさえあります。ラフマニノフがP協2番の緩徐楽章に取り入れた出だしの弦合奏は森のように暗く深く、その陰鬱が支配しているのですが木管が明滅する第2主題は水の流れのようで木霊が飛び交うよう。爆発に至るエネルギーの溜めが大きく、リタルダンドして頂点でティンパニの一撃を伴ってバーンと行く様はクラシック音楽がカタルシスを解消し人を感動させる摂理の奥儀を見せてくれます。
意外にアンサンブルが乱れるところもあります。VnよりVc、Cbが微妙に先走って低弦が自発的な衝動で速めたように聴こえ、メロディーは何事もなかったように即座に反応してそっちに揃うわけですが、棒が許容した自発性にVnがついていかなかったのか弦楽合奏の中でこういうことはあまり遭遇したことがありません。第2楽章の全体としてのテンポの流動性はケンぺの指示に相違ないでしょうが、セクションのドライブに委ねる遊びがあって、それが奏者の共感するテンポへの自発性を誘発したかもしれません。何が理由かは知る由もなしですが、この演奏の内的なパッションは稀有なものです。それを呼び覚ましたのはこういう部分かもしれないとこの楽章をヘッドホンで聴きましたが、指揮者の棒がどちらだったのか興味ある瞬間でした。
ただ、そういう乱れはスタジオ録音では修正されますからこれはライブです。しかし客席の気配がない。想像になりますがゲネプロ(本番直前のいわば「無観客試合」)ではないでしょうか。にもかかわらず「低弦の自発的な衝動」のようなものが楽員のそこかしこにみなぎっている感じが生々しく伝わってくるのはライブであれ正規録音であれ極めて稀です。フィラデルフィア管の定期が大雪でほぼ無観客でやったチャイコフスキー4番の快演はそれに近いものでしたが(クラシック徒然草-ファイラデルフィアO.のチャイコフスキー4番-)、指揮者(ムーティ)も楽員も、交通手段が途絶えるなか万難を排して会場に来てくれた少数の客をエンターテインしようという気迫と集中力が観ていてわかるほどで、天下のフィラデルフィア管弦楽団が本気で燃えた一期一会の名演を生んだわけで、人間ドラマとしての演奏行為とは実に奥が深く面白いものです。
さように演奏者の自発性というのは大事です。その有無でコンサートの印象は大きく変わります。ウィーン・フィルが地元の作品をやる場合にそれを感じることが多くありますが、しかしこのオケが常時そうかというと否で、違う姿を何度も見て幻滅もしています。プロとして恥ずかしくない演奏を常にくりひろげてはくれますが、一次元ちがう「燃えた」演奏が極めて稀にあることを知ってしまうともうそれだけでは満足できない。人生、なかなか難儀なものです。
百人の人間の集団がリーダーに心服してついてくるか否かという深遠な問いについてここでは述べませんが、僕は経験的にそれにあまり肯定的ではなく、選挙にせよアンケート調査にせよ企業経営にせよ全会一致は疑念を持たれるほど異例でありましょう。プロの楽団は指揮者への心服の有無に何ら関わらず一定水準の演奏を仕上げられる実力があるから「プロ」なのであって、心服したアマチュアの演奏会の方が感動的という経験も何度かございます。今回聴きなおしたケンぺの5番はそれがプロの高い技術で提示されたものという印象であり、20才でたまたまラジオでこれを聴けたことは幸運でした。
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クラシック徒然草《エドリアン・ボールトのエロイカ》
2019 APR 8 1:01:33 am by 東 賢太郎
録音には演奏会では得られないアトゥモスフィアがあります。atomosphereとはatmo(蒸気、大気)+sphere(球面、球体)であり、ある物を中心に球状に囲みこむ湿気を持った気体ということで、日本語訳は雰囲気とされます。「雰」は大気、気配、霧だから見事な訳と思います。
我々は常にアトゥモスフィアの球の中心点にあって、ある物である。すなわち、雰囲気とは自分というセンサーで感じ取った周囲の大気の状況です。演奏会場で五感を働かせて感知するものはそれである。ところが、スタジオで録音された演奏というものは、ホールの「ある座席」で感知した雰囲気ではなく、ミキシングによって合成された実在しない雰囲気がそこにあります。ある物が複数点となりそれを人工的といってしまえばそれまでですが、指揮者、プロデューサー、エンジニアの合作による一個のアートと考えることは可能で、演奏会がTVの生放送なら、スタジオ録音は映画に相当するでしょう。
指揮者が映画監督であって出来上がりに満足し、自分の名前をクレジットして世に問うているのだから、それが彼であり、彼がある物である。ブーレーズの春の祭典を東京とフランクフルトで2度実演で聴きましたが、始まる前から大きな期待はなく、というのはあの「複数点のアトゥモスフィア」を拾っているCBS盤以上の演奏が本人とはいえできるはずもなく、どこに座ろうが座席にあの分解能の高い音が物理的に届くはずもなく、映画のメーキングを見る関心のほうが勝っていました。そして、そこで聴いたものがレコード以上のものであるとは、どの部分をとっても思うことができなかったのです。
50年もレコードを聴いて育ってきますと、曲名を見れば「ああ、あのレコードね」ということになります。僕にとってあらゆる曲はまずレコードという物体として存在しているのです。半世紀前に1枚2千円(今なら1万円ぐらい?)も払って買ったものだから重い。記録を見ると、もったいなくて5回もかけていないものが多く、それで曲を記憶したというのはよほど耳を澄ましていたということでしょうか、レコードの盤面にあったスクラッチ(傷音)まで覚えているため曲がその個所に来るとライブなのに傷音が聞こえます。ということは、当然のごとく、曲はレコードのアトゥモスフィアごと記憶しているのです。そのこと自体はどれを最初にたまたま聴いたかということで重要ではありませんが、それをベンチマークとしてきき比べているうちに自分の好みのアトゥモスフィアが形成されることは看過できません。それが積み重なってバッハはこう、ブラームスはこうという趣味が出来上がる。新しいその曲の演奏を聴けば、その趣味に照らして好悪の判断が自然に出てくるというものです。
例えば、僕はベートーベンのエロイカをトスカニーニで入門し、それがベンチマークとなりました。そのせいかタイプの全く異なるフルトヴェングラーはいいと思わなかった。それが一気に変化したのはクーベリック/ベルリンPOのレコードによってです。演奏もさることながら、サウンドの重み等まさにアトゥモスフィアがこれしかないというもの。思ったのは、このBPOの音はやはりフルトヴェングラーが造ったのだろうなということ。そこで彼のを聴きなおすとやっぱりそうかもしれない。彼の時代の録音技術では低音が十分に捉えられていないのでしょう。そうやってだんだんと視野が広がっていきました。
僕はスコアをシンセで演奏して音としてはエロイカをずいぶん知ったしピアノでもさらいましたが、音符だけでは理解できないのがアトゥモスフィアだということを知ったのはだいぶ後のことでした。独奏楽器やオーケストラの固有の音の質感(クオリア)とホールの空気感が混然一体となって醸し出すatmo(蒸気、大気)ですね。言葉には変換できません。音の質感は倍音成分の混合で変化しますからatmoは実に複雑な音響要素のアマルガム(合金)であるといえます。クラシックを聴く最大の悦楽はこのアマルガムの煌めきを愛でることだと僕は信じています。煌めきは時々刻々と質感、色を変え、それが聴く者の感情を揺さぶります。和声やテンポやフレージングや歌と呼ばれるものはアマルガムの変容を引き起こすいち要素の名称です。
そう確信するに至ったのは、ホールの空気感がどう作用するかを自分で確かめる経験をしたからです。一昨年にライヴ・イマジン祝祭管弦楽団の前座で300人のホール(豊洲シビックセンター)でピアノを弾かせていただいた時に感じたのですが、舞台でのピアノの音は客席で聴くものと違うのです。練習で空っぽのホールで弾いた時とも違う。それが演奏に影響するだろうし、録音でミキシングするには重要な規定条件となるのは確実と知りました。個人的にはそこで音を奏でるよりも録音技師として好みの音を作る方が興味あるなと思いましたが、アマルガムの変容とはそれほど魅力あるものですね。
エロイカに戻ると、それ以来「聴衆なしの舞台の音」がふさわしいなという趣味になってきていて、いま一番好きなのがこれになりました。このVanguardの録音は実に素晴らしい。ロンドン、ウォルサムストウ・タウンホールが空のムジーク・フェラインかアムステルダム・コンセルトヘボウかというアトゥモスフィアであり、見事に juicy(ジューシー)で rich(豊穣)で transparent(透明)で sexy(セクシー) で noble(高貴)だ。舞台で押したピアノのキーに導かれた楽音がふわっとホールの空気に乗って心地よく天井までぬけていくあの様が出ています。これだけの録音が1956年6月と63年も前になされていることを皆さんはどう思われるでしょうか?
この演奏、常設でないオーケストラのアンサンブルが完璧ではありませんが、エドリアン・ボールトの滋味あふれる演奏はそれを目指していません。内声は克明な弦のきざみで彫琢され、木管は清楚で金管は浮き上がらずホルンは常にものをいい、ティンパニは皮の質感まで見え、第1楽章コーダが内側から熱量を増してくるところなど外面的な効果は何も狙っていないのに強いインパクトがあります。エロイカの勇壮、快哉、悲愴を語ってくれる演奏はごまんとありますが、僕はもうそんなものに飽き飽きして疲れています。ベートーベンの本質をふさわしいアトゥモスフィアで描いてくれることが何より重要で、この作曲家が訴えたかったものは人間を根っこから震撼させ、揺さぶるのです。それを表出するのにテンポをあおったり金管を狼の遠吠えみたいにふかす必要はないんだよ、とボールトは最小限のことをしているのですが、オーケストラがこれだけの音を出しているというのはそれは彼の人としてのアトゥモスフィアなんだろう。それを録音技師が理想的な音響でとらえた、一流のアートであります。
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クラシック徒然草『アンナ・ヴィニツカヤは大器である』
2019 MAR 24 2:02:27 am by 東 賢太郎
アンナ・ヴィニツカヤは黒海沿岸の都市ノヴォロシースク出身のロシアの女流ピアニストです。N響でラフマニノフを聴いて感心したのがこちらです。
以来気になっていましたが、その後聴いたわけではありません。今回バルトークの稿を書いていてこの記事に出会ったのが驚きだったのです。
なんとバルトークの協奏曲3曲を一晩の演奏会で弾いたとあります。ただ事でなし。フランクフルトでブラームスのP協2曲を一晩でという演奏会を聴いたけどエッシェンバッハとツィモン・バルトが指揮とピアノを交代したのでした。いやブラームス2曲を一人で弾いたって充分な一大事だが、バルトーク3曲よりはまだましじゃないでしょうか。
彼女はアーティスティックな動機で敢行したのでしょうが、このレベルの企ては同時に抜き差しならない実力テストにもなっていて、「やりました」と証明されるともうどうしようもないという性質のもの、例えるならヒマラヤ登頂や100メートル9秒台のようなものです。仮に意図の10%であれ、彼女がそれを実力のデモンストレーションとしてやったと仮定したとしても、僕は黙るしかない。これはもっと感覚的に卑近な例があって、外でわかりにくいことなのですがまったく正直に吐露しますと、我々法学部生というものはハーバード、オックスフォードでもあっそうと思っているところがあって在学中の三つ子の魂なので消えない。それはThis is Japan.という暗黙知であって他学部の人も”Japan”に入学しているわけだから言えば唇寒し、そういうものだよねということで誰も何も言わない。東大はまったく一枚岩ではないのです。そして我々が世界で唯一そういうものだよねと仰ぎ見ているのが理Ⅲだと、これは理屈でないので言語になりませんが、そういうものです。
思考停止と批判されて仕方ないが僕はアンナ・ヴィニツカヤの記事を読んで仰ぎ見てしまった。良い演奏だったのか、ミスタッチはなかったのかなどの情報はありませんが、その事実を前にしてそんなものが何の意味がある。彼女の衣装が何色だったのか以上にまったく些末なことです。
「バルトーク?3つ弾けますわよ、それも一晩で、オホホ」
とやられた瞬間に絶句し神に見えてしまう強烈さであって、というのも、そもそも1,2番だって弾ける女性はあまり見ないのです。あのアルゲリッチさん、2番がとても似合うと思うが、でも3番だけ。ユジャ・ワンさんは弾いていて、ということは3番は軽い訳であって彼女は表敬すべきレベルにある、アートでも我が国は中国に置いていかれると思いますが、それでも3つ一晩でというのはトライアスロンのような別種のハードルがもう一つ聳えます。もし対抗馬がいるとすると2番の稿でご紹介したイディル・ビレットさんぐらいかな。いやいやまことに、男の達成者だって知らない偉業であって、ピアニスト事業の最高難易度と言って反論はどこからも出ないでしょう。
腕もすごいがそれだけならそこまで驚きません。それを指摘するにはまず「日本人ピアニストでバルトークの1番や2番をレパートリーにしようという人が何人いるか?」ということからおさらいしないといけないと思います。それです、日本のクラシック事業が構造不況業種まっしぐらな理由は。労多くして受けず。「3つ一晩!」を打って出ても会場は埋まらないかもしれないし、ショパンやラフマニノフの方が主催者もリスクがありません。やるなら留学して現地の聴衆のまえでやるしかない。
なぜかというと、こういうことが起きているのです。
明治時代、鹿鳴館のまんま。だから日本人好みのクラシック・レパートリーは「ハヤシライス」という洋風を装った和食に独自進化をとげ、どこへ行ってもそれが出てくる。それだけでクラシックはOKという聴衆が、供給側がそこそこ食える程度に中途半端に存在する。バルトークの1番がそれになることはたぶん百年たってもなく、だから演奏家はチャレンジしない。そうやって業界ごと「ゆでがえる」になって衰退するのです。
ハヤシライスの総代は新世界で、今年を見てもビシュコフがチェコ・フィルと来ますが見事にまいど!の新世界だ。ビシュコフは僕は高く評価している。ならもっと安い指揮者で良かったよ、どうせわかんない人しか行かないから。馬鹿じゃないのと思うしかないがワルシャワ国立フィル、ドレスデン・フィルまで新世界というゆでがえるぶりに至っては手の施しようもない。オケ団員は楽勝の観光気分で日本などなめ切ってるだろう。そんなものに何万円も払う人たちはいったい何なのだろう。
東京のコンサート・プログラムの8~9割がハヤシライスであることは音楽教育、つまり「音楽は学校で習って教育されるものである」という誤った受容の結末であって、日本人の文化レベルの問題では必ずしもありません。外タレの呼び屋という稼業が採算(コスパ)を求める、これはビジネスだから結構ですが、新世界の人気に依存する薄氷を踏むビジネスであってとても投資なんかできない。
しかし芸術家までがコスパを考えだしたら終わりなのです。安定的に需要はあるが矮小な市場で覇を競っても、定食屋が牛丼屋に格上げになる程度でレストランは無理。それでショパン・コンクールで優勝など到底あり得ないでしょう。純粋にクオリティを追求し、内在するエネルギーで進化していくアートというものとはかけ離れた存在。1.5流の(英語でmediocre、ミディオゥカというのです)のショパンを聞くのは鑑賞ではなく消費なのです。
指揮者もそうですが、野心的なレパートリー開拓がない人はもうそれだけで聞く気もしない。論文を書かない大学教授とまったく同じ。ミディオゥカは芸術の敵です。対して読響のカンブルランは凄かった。彼は70才ですよ。メシアンやシェーンベルクであれだけの手の込んだフルコースの料理を供するにはどんな専門家でも膨大な研究と努力がいるはずである。聴衆で新世界よりグレの歌に詳しい人はあまりいないと思うけど、サントリーホールは満員になるのです。これぞ真のアーティスト、芸術家であって、その他大勢の指揮者はエンターテイナーと呼ぶべきです。
アンナ・ヴィニツカヤは芸術家の序列に加わろうという人だと思っております。彼女の素晴らしさはテクニックではありません、それだけなら同格の人はいます。そうではなく、いい曲だなあと思わせてくれるハートですね。まったくメカニックなものでなくもっと柔らかなもの。なんだ、そんなの普通だろうと思われるでしょうが、彼女のテクニックと知的エネルギーがなければできないことというものがあります。音楽は心だ、情熱だ、技術優先はいかがなものか。そんな事を言うのは日本人だけであってアート(Art)は技術という意味である。ハートがあれば感動してくれるなんて甘いものじゃ全然ない、まずそこで非常に高いレベルにないと鑑賞になど値しないのです。他の人がやりたくでもできないもの。それはこういうクオリティのものです、シューマンの「子供の情景」。
これとバルトークが何の関係?わかる人はわかるわけですが、そういう演奏家が増えればわかる聴衆も増える。わからない人は音楽をやる以前にやることがあるのであって、それぬきに練習しても悲しいものがあります。100キロで走ってもベンツはベンツ。
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クラシック徒然草《名曲のパワー恐るべし》
2019 MAR 8 21:21:25 pm by 東 賢太郎
週末は久しぶりに音楽室にこもってました。体調も戻り、万事順調でストレスもなく、いよいよ3月になってプロ野球もオープン戦が始まりました。毎年心が沸き立つ時期ですね。
しかし、こもってなにしたかというと、とても暗い音楽、ブルックナーの交響曲第7番のアダージョ(第2楽章)とじっくりと付き合っておりました。この楽章はワーグナーが危篤の知らせのなかで書き進められ、ついに訃報に接しコーダにワグナーチューバの慟哭の響きを書き加えたのでした。深い魂の祈りのこもった音楽です。
音楽は楽しいものです。しかし「楽しい」イコール「明るい」ばかりではありません。性格の明るい人がいつでも楽しいわけではないですがそれと同じことです。人は誰しも喜怒哀楽、喜び、悲しみ、苦しみ、悩みを日々くり返しながら生きています。もちろん喜びに満ちていることがいつだって望ましいのですが、人生、あんまり喜ばしくない時間の方が長いのかもしれないなとも思います。
悲しみ、苦しみ、悩み、落胆、絶望にじっくりと寄り添ってくれる音楽。それは僕の知る限り、クラシックしかないでしょう。落ち込んだときに生きる力や勇気をくれる、それはあらゆるジャンルの音楽の持つ力です。しかし、いくら鼓舞されてもかえってつらいだけ、むしろ寄り添ってもらいたい、一緒に泣いたり、癒し、慰めをもらいたいという時はクラシックの出番なのです。そういうものは不要だという人もおられるでしょう、それは素晴らしいことでいつもそうありたいと思って生きていますが、どうも僕はそこまで強くはできていないようです。
私事でいえば、母は僕の大好きな音楽たちに包まれて旅立ちました。自分自身もそう望みます。悲しい曲はひとつもありません、どうしてもそうしてあげたいからそうなっただけです。僕にとってクラシックはそういうものです。それに比べれば些末なことですが、入試に落ちたとき、数日は目の前が真っ暗でしたが、そこで何回もかけたのはラフマニノフの第2交響曲のレコードでした。理由はありません、それに包まれていたかったということ、それだけです。
僕はそういう曲たちを学校とか誰かに習ったわけではなく、偶然に出会いました。そこから一生の伴侶になってくれている。人との出会いでもそうなのですが、だから大事と思う気持ちが半端ではありませんし、人生をかけてもっともっと知りたいと思う。そうやって深く知り合った音楽が100曲ぐらいでしょうか、ですから、60年もかけてそれということは、もうそれ以外は時間切れであってご縁がなかったと思うしかないでしょう。
そういう関わりあいを持ち始めると、不思議なことですが、何も悲しくないのに悲痛なアダージョが欲しくなるようなことがだんだん出てきます。寄り添ってもらって、一緒に泣いてもらって、救われる。これは喜びや快感とは同じではないのですが、生きていくのに大事な心の薬です。薬が効いてすっと痛みがひいた、その経験をくり返すと、痛みを思い出すのが苦痛でなくなり、あの苦痛がない今が幸せだと感じることができるようになります。これはこれで、喜びなのです。
インフルエンザになって、10年ぶりにウィルスの怖さを思い出しましたが、治ってしまった今はかえって健康のありがたさを実感して日々喜びを感じるという、そんなところです。そうやって、悲しい、暗い音楽は、だんだん僕の喜びへと変わってきました。それぞれの曲が、どういう時に必要でどう救ってくれたかは覚えてますので、それを今になって追体験することは苦痛を乗り越えた自分をタイムマシンに乗って眺めるようなものです。またできるなと自信になり、もっと強くなれます。
ブルックナー7番のアダージョには特別な思いがあります。僕ならではのおつきあいの方法があって、これにどっぷりつかるなら自分で弾いて同化してしまいたいという思いが強いのです。それをお勧めするわけではなく単に個人の流儀にすぎません、もちろん、聴くだけで充分です。
週末は、初めて、2時間ほど格闘して、アダージョを最後まで弾ききりました。ピアノを習ったことはなく無謀なチャレンジなのですが、音符はかなり間引いて、間違ってもつっかえても、兎にも角もにも完走するぞという素人マラソンの心持ちです。ついにワグナーチューバの慟哭がやってきて、昇天のような最後のコードを押さえたら、たぶん1分間ぐらいはじっとしたまま動けません、あまりの素晴らしい響きにほんとうに動けなくなってしまったのでした。
ちょうどそこで家内が部屋に入ってきて「食事に行くわよ」といわれなければ、1時間でもそのまま嬰ハ長調のキーを押さえていたいという、あんなことは人生初めてです。
この体験はなんだか宗教の悟りというか、何が悟りかも知らないでその言葉を使ってしまうのは不届きと分かっているのですが、しかし、ほかにうまい表現を知らないから仕方ないのです、自分を別な人間に導いてくれるようなものがこの曲にはあります。アウグスト・フォルスターの響きの色合いがワグナーチューバとホルンの合奏に聞こえて、こういう音が自分の指先から出るのも初めてです。悲しみは喜びにもなるのです。
まったくもって個人的な経験を書かせていただいてますが、音楽の喜びには最大公約数などなくて、おひとりおひとりの感じ方、フィーリング次第ですからそもそもとてもプライベートなものです。ブルックナーは嫌いという方がいていいですし、学校で一律に名曲だと教えるべき筋合いのものでもなく、むしろ食(グルメ)の楽しみに近いように思います。僕は煮物があまり得意でなく、日本人にとってそれは「名曲」なのは間違いないでしょうが、おいしいと思わないものは仕方ありませんし訓練して好きになるものでもないように思います。
だからブログに書いている曲は、単に僕が好みの料理や食材であってそれ以上でも以下でもありません。ただ、そこまで気合を入れて好きである以上はひとかどならぬ理由はあって、それを文字にしておくことでいつの日か、百年後でもいいから興味を持って聴く人がおられるかもしれない、それがその人にとっての運命の出会いになるかもしれないということです。あんまり世の中のお役に立つ人生を歩んでないですし、できるのはそのぐらいしかありません。7番のアダージョはそのひとつです、この楽章だけでいいのでじっくり付きあってみて下さい。
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クラシック徒然草《音楽家の二刀流》
2018 MAY 6 1:01:11 am by 東 賢太郎
そもそも二刀流とはなんだろう?刀は日本人の専有物だからそんな言葉は外国にない。アメリカで何と言ってるかなと調べたら大谷は “two-way star” と書かれているが、そんなのは面白くもなんともない。勝手に決めてしまおう。「二足の草鞋」「天が二物を与える」ぐらいじゃあ二刀流までは及ばない。「ふたつの分野」で「歴史に残るほどの業績をあげること」としよう。水泳や陸上で複数の金メダル?だめだ、「ふたつの分野」でない。じゃあ同じ野球の大谷はなぜだとなるが、野球ファンの身勝手である。アメリカ人だって大騒ぎしてるじゃないか。まあその程度だ、今回は僕が独断流わがまま放題で「音楽家の二刀流判定」を行ってみたい。
まずは天下のアルバート・アインシュタイン博士である。音楽家じゃない?いやいや、脳が取り出されて世界の学者に研究されたほどの物理学者がヴァイオリン、ピアノを好んで弾いたのは有名だ。奥さんのエルザがこう語っている。 Music helps him when he is thinking about his theories. He goes to his study, comes back, strikes a few chords on the piano, jots something down, returns to his study.(音楽は彼が物理の理論を考える手助けをしました。彼は研究室に入って行き、戻ってきて、ピアノでいくつか和音をたたき、何かを書きつけて、また研究室へ戻って行くのです)。
アインシュタインは紙と鉛筆だけで食っていけたのだと尊敬したが間違いだった。ピアノも必要だったのだ。たたいた和音が何だったか興味があるが、ヒントになる発言を残している。彼はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを好んで公開の場で演奏し、それは「宇宙の創成期からそこに存在し巨匠によって発見されるのを待っていた音楽」であり、モーツァルトを「和声の最も宇宙的な本質の中から彼独自の音を見つけ出した音楽の物理学者である」と評している。案外ドミソだったのではないかな。腕前はどうだったんだろう?ここに彼がヴァイオリンを弾いたモーツァルトのK.378が聴ける。
アインシュタインよりうまい人はいくらもいよう、しかし僕はこのヴァイオリンを楽しめる。曲への真の愛情と敬意が感じられるからだ。というわけで、二刀流合格。
次も科学者だ。「だったん人の踊り」で猫にも杓子にも知られるアレクサンドル・ボロディン教授である。教授?作曲家じゃないのか?ちがう。彼はサンクトペテルブルク大学医学部首席でカルボン酸の銀塩に臭素を作用させ有機臭素化物を得る反応を発見し、それは彼の名をとって「ボロディン反応」と呼ばれることになる、まさに歴史に名を刻んだサイエンティストだ。趣味で作曲したらそっちも大ヒットして世界の音楽の教科書に載ってしまったのである。この辺は彼が貴族の落し胤だった気位の高さからなのかわからないが、本人は音楽は余技だとして「日曜作曲家」を自称した。そのむかしロッテのエースだったマサカリ投法の村田兆治は晩年に日曜日だけ先発して「サンデー兆治」となったが、それで11連勝したのを彷彿させるではないか。「音楽好きの科学者」はアインシュタインと双璧と言える。合格。
巨人ふたりの次にユリア・フィッシャーさんが来るのは贔屓(ひいき)もあるぞと言われそうだが違う。贔屓以外の何物でもない。オヤジと気軽にツーショットしてくれてブログ掲載もOKよ!なんていい子だったからだ。数学者の娘。どこかリケジョ感があった。美男美女は得だが音楽家は逆でカラヤンの不人気は男の嫉妬。死にかけのお爺ちゃんか怪物みたいなおっさんが盲目的に崇拝されてしまう奇怪な世界だ。女性はいいかといえば健康的でセックスアピールが過ぎると売れない観があり喪服が似合いそうなほうがいい我が国クラシック界は性的に屈折している。フィッシャーさん、この容貌でVn協奏曲のあとグリーグのピアノ協奏曲を弾いてしまう。ピアノはうまくないなどという人がいる。あったりまえじゃないか。僕はこのコンチェルトが素人には難しいのを知っている。5年まえそのビデオに度肝を抜かれて書いた下のブログはアクセス・ランキングのトップをずっと競ってきたから健全な人が多いという事で安心した。そこに書いた。゛日本ハムの大谷くんの「二刀流」はどうなるかわかりませんが “。そんなことはなかった。若い才能に脱帽。もちろん合格だが今回は音楽家と美人の二刀流だ。
ちなみに音楽家と学者の二刀流はありそうなものだがそうでもない。エルネスト・アンセルメ(ソルボンヌ大学、パリ大学・数学科)、ピエール・ブーレーズ(リヨン大学・数学科)、日本人では柴田南雄(東京大学・理学部)がボロディン、アインシュタインの系譜だが、数学者として実績は聞かないから合格とは出来ない。ただ、画家や小説家や舞踏家に数学者、科学者というイメージはわかないが音楽家、とくに作曲家はそのイメージと親和性が高いように思うし、僕は無意識に彼らの音楽を好んでいる。J.S.バッハやベートーベンのスコアを見ると勉強さえすれば数学が物凄くできたと思う。一方で親が音楽では食えないと大学の法学部に入れた例は多いが、法学はどう考えても音楽と親和性は薄く、法学者や裁判官になった二刀流はいない(クラシック徒然草《音大卒は武器になるか》参照)。
よって、何の足しにもならない法学を名門ライプツィヒ大学卒業まで無駄にやりながら音楽で名を成したハンス・フォン・ビューローは合格とする。ドイツ・デンマークの貴族の家系に生まれ、リストのピアノソナタロ短調、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を初演、リストが娘を嫁にやるほどピアノがうまかったが腕達者だけの芸人ではない。初めてオペラの指揮をしたロッシーニのセヴィリアの理髪師は暗譜だった。ベートーベンのピアノソナタ全曲チクルスを初めて断行した人でもあるがこれも暗譜だった。”Always conduct with the score in your head, not your head in the score”(スコアを頭に入れて指揮しなさいよ、頭をスコアに突っ込むんじゃなくてね)と容赦ない性格であり、ローエングリンの白鳥(Schwan)の騎士のテナーを豚(Schwein)の騎士と罵ってハノーバーの指揮者を降りた。似た性格だったグスタフ・マーラーが交響曲第2番を作曲中に第1楽章を弾いて聞かせ「これが音楽なら僕は音楽をわからないという事になる」とやられたがビューローの葬式で聴いた旋律で終楽章を完成した。聴衆を啓発しなければならないという使命感を持っており、演奏前に聴衆に向かって講義するのが常だった。ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏した際には、全曲をもう一度繰り返し、聴衆が途中で逃げ出せないように、会場の扉に鍵を掛けさせた(wikipedia)。これにはブラームスもブルーノ・ワルターも批判的だったらしいが、彼が個人主義的アナキズムの哲学者マックス・シュティルナーの信奉者だったことと併せ僕は支持する。
ちなみにビューローはその才能によってと同じほどリヒャルト・ワーグナーに妻を寝取られたことによっても有名だ。作曲家は女にもてないか、何らかの理由で結婚しなかったり失敗した人が多い。ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ショパン、ムソルグスキー、ラヴェルなどがそうで後者はハイドン、ブラームス、チャイコフスキーなどがいる。だからその逆に生涯ずっと女を追いかけたモーツァルトとワーグナーは異色であろう。モーツァルトはしかしコンスタンツェと落ち着いた(というより何か起きる前に死んでしまった)が、ミンナ(女優)、マティルデ・ヴェーゼンドンク(人妻)、コジマ(ビューローの妻)とのりかえたワーグナーの傍若無人は19世紀にそこまでやって殺されてないという点においてお見事である。よって艶福家と作曲家の二刀流で合格だ。小男だったが王様を口説き落としてパトロンにする狩猟型ビジネス能力もあった。かたや作品でも私生活でも女性による救済を求め続け、最後に書いていた論文は『人間における女性的なるものについて』であったのは幼くして母親が再婚した事の深層心理的影響があるように思う。
ボレロやダフニスの精密機械の設計図のようなスコアを見れば、ストラヴィンスキーが評した通りモーリス・ラヴェルが「スイスの時計職人」であってなんら不思議ではない。その実、彼の父親はスイス人で2シリンダー型エンジンの発明者として当時著名なエンジニアであり、自動車エンジンの原型を作った発明家として米国にも呼ばれている。僕はボレロのスコアをシンセサイザーで弾いて録音したことがあるが、その実感として、ボレロは舞台上に無人の機械仕掛けのオーケストラ装置を置いて演奏されても十分に音楽作品としてワークする驚くべき人口構造物である。まさにスイスの時計、パテック・フィリップのパーペチュアルカレンダークロノを思わせる。彼自身はエンジニアでないから合格にはできないが、親父さんとペアの二刀流である。
アメリカの保険会社の重役だったチャールズ・アイヴズは交響曲も作った。しかし彼の場合は作曲が人生の糧と思っており、それでは食えないので保険会社を起業して経営者になった。作曲家がついでにできるほど保険会社経営は簡単だと思われても保険業界はクレームしないだろうが、アイヴズがテナー歌手や指揮者でなく作曲家だったことは一抹の救いだったかもしれない。誰であれ書いた楽譜を交響曲であると主張する権利はあるが、大指揮者として名を遺したブルーノ・ワルターはそれをしてマーラー先生に「君は指揮者で行きなさい」と言われてしまう(よって不合格)。その他人に辛辣なマーラーが作品に関心を持ったらしいし、会社の重役は切手にはならない。よってアイヴズは合格。
日本人がいないのは寂しいから皇族に代表していただこう。音楽をたしなまれる方が多く、皇太子徳仁親王のヴィオラは有名だが、僕が音源を持っているのは高円宮憲仁親王(29 December 1954 – 21 November 2002)がチャイコフスキーの交響曲第5番(終楽章)を指揮したものだ。1994年7月15日にニューピアホールでオーケストラは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団である。親王は公益社団法人日本アマチュアオーケストラ連盟総裁を務め造詣が深く、指揮しては音程にとても厳しかったそうだ。お聴きのとおり、全曲聴きたかったなと思うほど立派な演奏、とても素人の指揮と思えない。僭越ながら、皇族との二刀流、合格。
米国にはインスティテューショナル・インベスターズ誌の創業者ながらマーラー2番マニアで、2番だけ振り方をショルティに習って世界中のオケを指揮しまくったギルバート・ キャプランCEO(1941 – 2016)もいる。同誌は創業51年になる世界の金融界で知らぬ者はない老舗である。彼が指揮したロンドン交響楽団との1988年の演奏(左のCD)をそのころロンドンで買った。曲はさっぱりだったがキャプランに興味があった。そういう人が多かったのか、これはマーラー作品のCDとして史上最高の売り上げを記録したらしいから凄い。ワルターよりクレンペラーよりショルティよりバーンスタインより素人が売れたというのはちょっとした事件であり、カラオケ自慢の中小企業の社長さんが日本レコード大賞を取ってしまったような、スポーツでいうなら第122回ボストンマラソンを制した公務員ランナー・川内 優輝さんにも匹敵しようかという壮挙だ。これがそれだ。
彼は私財で2番の自筆スコアを購入して新校訂「キャプラン版」まで作り、他の曲に浮気しなかった。そこまでやってしまう一途な恋は専門家の心も動かしたのだろう、後に天下のウィーン・フィル様を振ってDGから新盤まで出してしまうのである。「マーラー2番専門指揮者」なんて名刺作って「指揮者ですか?」「はい、他は振れませんが」なんてやったら乙なものだ。ちなみに彼の所有していたマーラー2番の自筆スコア(下・写真)は彼の没後2016年にロンドンで競売されたが落札価格は455万ポンド(6億4千万円)だった。財力にあかせた部分はあったろうが富豪はいくらもいる。金の使い道としては上等と思うし一途な恋はプロのオーケストラ団員をも突き動かして、上掲盤は僕が唯一聴きたいと思う2番である。合格。
かように作曲家の残したスコアは1曲で何億円だ。なんであれオンリーワンのものは強い。良かれ悪しかれその値段でも欲しい人がいるのは事実であるし、シューマン3番かブラームス4番なら僕だって。もしもマーラー全曲の自筆譜が売りに出るなら100億円はいくだろう。資本主義的に考えると、まったくの無から100億円の価値を生み出すのは起業してIPOして時価総額100億円の会社を生むのと何ら変わりない。つまり価値創造という点において作曲家は起業家なのである。
かたやその作曲家のスコアを見事に演奏した指揮者もいる。多くの人に喜びを与えチケットやCDがたくさん売れるのも価値創造、GDPに貢献するのである。ヘルベルト・フォン・カラヤンは極東の日本で「運命」のレコードだけで150万枚も売りまくったその道の歴史的指揮者である。ソニーがブランド価値を認めて厚遇しサントリーホールの広場に名前を残している。大豪邸に住み自家用ジェットも保有するほどの財を成したのだから事業家としての成功者でもあり、立派な二刀流候補者といっていいだろう。しかし没後30年のいま、生前にはショップに君臨し絶対に廉価盤に落ちなかった彼のCDは1200円で売られている。22世紀には店頭にないかもしれない。こういう存在は資本主義的に考えると起業家ではなく、人気一過性のタレントかサラリーマン社長だ。不合格。
作曲家を贔屓していると思われようがそうではない。ポップス系の人がクラシック曲を書いているが前者はポール・マッカートニー、後者は先日の光進丸火災がお気の毒だった加山雄三だ。ポールがリバプール・オラトリオをヘンデルと並ぶつもりで書いたとは思わない。加山は弾厚作という名で作ったラフマニノフ風のピアノ協奏曲があり彼の母方の高祖父は岩倉具視と公家の血も引いているんだなあとなんとなく思わせる。しかし、いずれもまともに通して聴こうという気が起きるものではない(少なくとも僕においては)。ポールのビートルズ作品は言うに及ばず、加山の「君といつまでも」
などはエヴァーグリーンの傑作と思うが、クラシックのフォーマットで曲を書くには厳格な基礎訓練がいるのだということを確信するのみ。不合格。ついでに、こういうことを知れば佐村河内というベートーベン氏がピアノも弾けないのに音が降ってきて交響曲を書いたなんてことがこの世で原理的に起こりうるはずもないことがわかるだろう。あの騒動は、記事や本を書いたマスコミの記者が交響曲が誰にどうやって書かれるか誰も知らなかったということにすぎない。
こうして俯瞰すると、音楽家の二刀流は離れ業であることがわかるが、歴史上には多彩な人物がいて面白い。ジョゼフ・サン=ジョルジュと書いてもほとんどの方はご存じないだろうが、音楽史の視点でこの人の二刀流ははずすわけにいかない。モーツァルトより11年早く生まれ8年あとに死んだフランスのヴァイオリン奏者、作曲家であり、カリブ海のグアドループ島で、プランテーションを営むフランス人の地主とウォロフ族出身の奴隷の黒人女性の間に生まれた。父は8才の彼をパリに連れて帰りフランス人として教育する。しかし人種差別の壁は厚く、やむなく13才でフェンシングの学校に入れたところメキメキ腕を上げて有名になり、17才の時にピカールという高名なフランス・チャンピオンから試合を挑まれたが彼を倒してしまう。その彼がパリの人々を驚嘆させたのはヴァイオリンと作曲でも図抜けた頭角を現したことである。日本的にいうならば、剣道の全国大会で無敵の強さで優勝したハーフの高校生が東京芸大に入ってパガニーニ・コンクールで優勝したようなものだ。こんな人が人類史のどこにいただろう。これが正真正銘の「二刀流」でなくて何であろう。宮廷に招かれ、王妃マリー・アントワネットと合奏し、貴婦人がたの人気を席巻してしまったのも当然だろう。1777年から78年にかけてモーツァルトが母と就職活動に行ったパリには彼がいたのである。だから彼が流行らせたサンフォニー・コンチェルタンテ(協奏交響曲)をモーツァルトも書いた。下の動画はBBCが制作したLe Mozart Noir(黒いモーツァルト)という番組である。ぜひご覧いただきたい。ヴァイオリン奏者が「変ホ長調K.364にサン・ジョルジュ作曲のホ長調協奏曲から引用したパッセージがある」とその部分を弾いているが、「モーツァルトに影響を与えた」というのがどれだけ凄いことか。僕は、深い関心をもって、モーツァルトの作品に本質的に影響を与えた可能性のある同時代人の音楽を、聴ける限り全部聴いた。結論として残った名前はヨゼフ・ハイドン、フランツ・クサヴァー・リヒター、そしてジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュだけである。影響を与えるとは便宜的にスタイルを真似しようという程度のことではない、その人を驚かし、負けているとおびえさせたということである。サン=ジョルジュが出自と容貌からパフォーマーとして評価され、文献が残ったのは成り行きとして当然だ。しかしそうではない、そんなことに目をとられてはいけない。驚嘆しているのは、彼の真実の能力を示す唯一の一次資料である彼の作品なのだ。僕はそれらをモーツァルトの作品と同じぐらい愛し、記憶している。これについてはいつか別稿にすることになろう。
黒い?まったく無意味な差別に過ぎない。何の取り得もない連中が肌の色や氏素性で騒ぐことによって自分が屑のような人間だと誇示する行為を差別と呼ぶ。サン=ジョルジュとモーツァルトの人生にどんな差があったというのか?彼は白人のモーツァルトがパリで奔走して命懸けで渇望して、母までなくしても得られる気配すらなかったパリ・オペラ座の支配人のポストに任命されたのだ。100人近い団員を抱える大オーケストラ、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックのコンサートマスターにも選任され、1785年から86年にかけてヨゼフ・ハイドンに作曲を依頼してその初演の指揮をとったのも彼である。それはハイドンの第82番目から第87番目の6曲のシンフォニーということになり、いま我々はそれを「パリ交響曲」と呼んで楽しんでいるのである。
ゴールデン・ウイーク・バージョンだ、長くなったが最後にこの人で楽しく本稿を締めくくることにしたい。サン=ジョルジュと同様にフランス革命が人生を変えた人だが、ジョアキーノ・ロッシーニの晩節は暗さが微塵もなくあっぱれのひとこと。オペラのヒットメーカーの名声については言うまでもない、ベートーベンが人気に嫉妬し、上掲のハンス・フォン・ビューローのオペラ指揮デビューはこの人の代表作「セヴィリアの理髪師」であったし、まだ食えなかった頃のワーグナーのあこがれの作曲家でもあった。そんな大スターの地位をあっさり捨てて転身、かねてより専心したいと願っていた料理の道に邁進し、そっちでもフランス料理に「ロッシーニ風フォアグラと牛フィレステーキとトリュフソース」の名を残してしまったスーパー二刀流である。
ウォートンのMBA仲間はみんな言っていた、「ウォール・ストリートでひと稼ぎして40才で引退して人生好きなことして楽しみたい」。そうだ、ロッシーニは37才でそれをやったんだ。ワーグナーと違って、僕は転身後のロッシーニみたいになりたい。それが何かは言えない。もはや63だが。ただし彼のような体形にだけはならないよう注意しよう。
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クラシック徒然草《永遠のルチア・ポップ》
2017 NOV 26 11:11:47 am by 東 賢太郎
アメリカ、ヨーロッパに13年半も住んでいてあれだけいろいろ聴いたのにと悔やむ人がいる。ルチア・ポップである。1993年11月16日、ドイツにいる頃に喉の癌であまりに早く亡くなってしまい愕然としたのを思い出す。若いころは可愛く清楚であり晩年でも天使のような清純派の声であったが、中高音で伸び、テンション、輝きが高まって厳しさが出てくるのがいい。ロマン派でも感情にまかせて音程が甘くなるようなことが絶対になく節度と規律がある。ムゼッタに起用されて「わたしが街を歩くと 」をやってもパリの蓮っ葉女にならないのは困ったものだが、そこがたまらないのだ。参りましたとひれ伏す気品と威厳がある人だ。顔もどことなく好きであり、いま最も癒されるソプラノといえる。
スロヴァキア人であるポップのデビューは1963年にブラチスラヴァ歌劇場でオットー・クレンペラーの指揮による「魔笛」の夜の女王だったが、僕が彼女を知ったのもクレンペラー最晩年の、そして彼女にとってデビュー録音である夜の女王だった。これは何度聴いても震撼すべき歌だ。後にも先にもこのアリアがこれ以上正確な音程で歌われたのを聴いたことがなく、しかも決して曲芸っぽくないのが僕が言う「節度」なのだがお分かりいただけるだろうか。それが立派な音楽に貢献しているところがクレンペラー博士の厳しい目にかなったのだと長年思っていた。
ところが本稿のために46才の時のインタビューのビデオを見ていて、それが正しかったことを知った。「自分のレコードは全曲盤で90もありますが、命の危険でもない限り一切聴きません。いまならそう歌わないから満足しないのです」と断言するポップが唯一の例外としてあげているのが「クレンペラー先生との魔笛」であった。「これだけはいまでも心に触れてきます。それにこの録音が私のキャリアを開いてくれたのです。メトロポリタン歌劇場の支配人ルドルフ・ビングさんがこれを聴いて即刻メットに契約してくれたのです」と語っている。その結果がこれだが、ライブでもまったくすごいものである。
もう一つの夜の女王のアリア(クレンペラー盤)の一発決めの高音も楽勝。この録音の時、ポップは歯痛だったそうだが関係ないんだ。僕はこの録音を、やはりデビュー録音で世界をあっといわせたジャクリーヌ・デュ・プレのエルガーのコンチェルトに比肩するものと考えている。
他は聴かないとポップに言われてしまうと困るが、このスザンナ(フィガロの結婚)はモーツァルトに見せてみたい。ナンシーとどっちが好きかな?っていうことで。
もう一つフィガロから、ケルビーノの「恋とはどんなものかしら」だ。この艶やかな美声、ゴージャスの極致。これは彼女にとっては技巧で作ったものなのかもしれないと思いつつ。
コロラトゥーラ・ソプラノで売り出したポップのこれが最高の出来ばえなのはいわば当然だろう。オルフの「カルミナ・ブラーナ」だ。なんと繊細で美しい!
ロマン派に行くと、僕はこれが大好きだ。グスタフ・シャルパンティエの歌劇「ルイーズ」から名アリア「その日から」だ。彼は寡作でオペラはこれだけだが、ボエームの雰囲気のある佳曲である。このアリア、ぜひyoutubeで他の歌手ときき比べてほしい。ジャンプした高いイ音(ラ)がポップほどつややかに輝いて安定しているのはなく、夢幻の心地でうっとりだ。ききほれるしかない。
ドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」だ。何という気品!!もうひざまずいてルチア様と申し上げるしかない。
インタビューをきいて、彼女がスザンナやルイーズのような人ではないとよくわかった。暗さがあるのだ。母国語のように操っているドイツ語も、どこか心でなく頭から出ている風に見える。内省的で芯の強い人で、何かは知らないが自分の運命に反抗すべきものをもっているのだろうかと感じる。母国チェコスロヴァキアの劇団で若くして映画、舞台で知られ、共産圏から逃げて英米のマネジメントに売れっ子に仕立てられた人生。楽しんでいるとは言っているが、劇場で一人スポットライトを浴びるのは好きでないとも語っている。自分は皆で歌う中で育ったという彼女は教会音楽が似合うし、ご本人も派手なシアターよりしっくりきたのではないだろうか。僕もこれを歌ってる彼女が好きだ。モーツァルトのハ短調ミサである。
さらにいえば、彼女の心の本領はリートにあると思う。それもシューベルトの「月に寄せるさすらい人の歌 D870 」のような、ほの暗い中にも明るさを紡ぎだしてくれるあたたかい歌だ。晩年になって声のせいでリートに行く人はいるが、ポップの場合はここが故郷だったように思う。暗闇に光明を灯そうとするけなげな強さに、作られたスターダムは不要だったかもしれない。
最後に、僕が留学中に米国でFM放送を録音したテープをyoutubeにアップした。シカゴ交響楽団の1984年3月15日のライブで、指揮のジュゼッペ・シノーポリとバリトンのウォルトン・グレーンルースはこれがCSOデビュー演奏会であり、我がルチア・ポップはこれがCSO最後の出演となってしまった。ポップもシノーポリもグレーンルースも故人となってしまったいま、この演奏が広く世界の人の耳にふれることを願ってやまない。
マーラーの「子供の不思議な角笛」である。
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クラシック徒然草《ラテン感覚フルコース》
2017 OCT 29 11:11:30 am by 東 賢太郎
自分の洋モノ好きがゲルマンなのかラテンなのかは難しい所だ。地中海の文化、風物を愛するのは何度も書いた通りだ。食はラテンだしベートーベンやワーグナーもトスカニーニのラテン気質で解釈したものが良い。しかしゲルマン世界に5年も住みついて食も慣れたし人の気質にもなじんだし、ソナタ形式の音楽は言うまでもなくそっちだ。結局、どちらともつかずその時々の気分によるということだ。
お袋がいなくなってからもあまりに親しい方々が亡くなったり病気だとの知らせを伝え聞いたりするものでかなり神経が参っている。だんだん自分の過去が切り取られてなくなっていく。辛いから心が忘れようとするが、すると故人とともに子供のころの記憶にぽっかりと穴があいてしまう気がしてくる。こういう時にあまり気難しい音楽は欲しくない。何も考えずに、一切の言葉を消して頭を空っぽにして聞くにはラテンもの、フランスに限る。
洗練された美食の文化と同様、万事感覚的に美しいことに徹底して潔い。ラヴェル、ドビッシーはもちろんメシアンやブーレーズもそうだ。この感覚美とでもいうものが心の澱を流し去ってくれる。フランス人演奏家のゲルマンものでもそれは当てはまるが、最近の人はユニバーサルなアプローチとなってきてそうでもなくなった。パリ管の木管がパリ音楽院管弦楽団の音を失っていったのと軌を一にする。だから僕は昔のレコードをひっぱり出すことが多い。
フランス・ピアノ界の至宝、ロベール・カサドシュ(1899-1972)のドビッシー「映像Ⅰ&Ⅱ」は僕にとってその効果が絶大である。言葉がないほど見事だ。カサドシュの古典、ハイドンやモーツァルトは神品であり、明晰なラテン精神と素晴らしく透明でハープシコードのように軽やかなタッチで愉悦感が立ちのぼる気品は貴族的と讃えるしかない。
やはりフランスのピアニスト、マルセル・メイエ(1897 – 1958)女史によるファリャの交響的印象「スペインの庭の夜」はうれしい。ローマでのライブでラテンの香りがむんむんする。ああスペイン料理行こうかな。
レジーヌ・クレスパン(1927-2007)はフランスの名ソプラノ。2010年にパリに行った折、オペラ座で追悼の写真展をやっていたのを思い出す。アンセルメ・スイスロマンド管とのラヴェル「シェラザード」は世界遺産ものだ。
締めくくりはポール・デュカスの舞踊詩「ラ・ペリ」でいこう。ベンツィ指揮のボルドー・アキテーヌ管弦楽団。オケのローカルっぽい味がたまらない。
満腹にて終了。
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クラシック徒然草 《ルガノの名演奏家たち》
2017 JAN 10 1:01:07 am by 東 賢太郎
ルガノ(Lugano)はイタリア国境に近く、コモ湖の北、ルガノ湖のほとりに静かにたたずむスイスのイタリア語圏の中心都市である。チューリヒから車でルツェルンを経由して、長いゴッタルド・トンネルを抜けるとすぐだ。飛ばして1時間半で着いたこともある。
人口は5万かそこらしかない保養地だが、ミラノまで1時間ほどの距離だからスイスだけでなくリタイアしたイタリアの大金持ちの豪邸も建ちならび野村スイスの支店があった。本店のあるチューリヒも湖とアルプスの光景が絵のように美しいが、珠玉のようなジュネーヴ、ルガノも配下あったのだからスイスの2年半はいま思えば至福の時だった。
自分で言ってしまうのもあさましいがもう嫉妬されようが何だろうがどうでもいいので事実を書こう、当時の野村スイスの社長ポストは垂涎の的だった。日系ダントツの銀行であり1兆円近かったスイスフラン建て起債市場での王者野村の引受母店でありスイスでの販売力も他社とは比較にもならない。日本物シンジケートに入れて欲しいUBS、SBC、クレディスイスをアウエイのスイスで上から目線で見ている唯一の日本企業であった。なにより、大音楽家がこぞってスイスに来たほどの風景の中の一軒家に住めて、金持ちしかいない国だから治安、教育、文化、食、インフラはすべて一級品なうえに、観光立国だから生活は英語でOKで外人にフレンドリーときている。
唯一の短所は夜の遊び場がカラオケぐらいしかないことだが、ルガノはさすがで対岸イタリア側に立派なカジノはあるは崖の上にはパラディソという高級ナイトクラブもあってイタリア、ロシア系のきれいな女性がたくさんいた。妙な場所ではない。客が客だからばかはおらずそれなりに賢いわけで、ここは珍しく会話になるから行った。私ウクライナよ、いいとこよ行ったことある?とたどたどしい英語でいうので、ないよ、キエフの大門しか知らん、ポルタマジョーレとかいい加減なイタリア語?でピアノの仕草をしたら、彼女はなんと弾いたことあるわよとあれを歌ったのだ。
こういう人がいて面白いのだが、でもどうして君みたいな若い美人でムソルグスキー弾ける人がここにいるのなんて驚いてはいけない。人生いろいろある。本でみたんだぐらいでお茶を濁した。男はこういう所でしたたかな女にシビアに値踏みされているのである。彼女の存在は不思議でも何でもない。007のシーンを思い出してもらえばいい、カネがあるところ万物の一級品が集まるのは人間の悲しいさがの故なのだ。世界のいつでもどこでも働く一般原理なのだと思えばいい。社会主義者が何をほざこうが彼女たちには関係ない、原理の前には無力ということなのである。
名前は失念したがルガノ湖畔に支店長行きつけのパスタ屋があってペンネアラビアータが絶品であった。店主がシシリーのいいおやじでそれとワインの好みを覚えていつも勝手にそれがでてきた。初めてのときだったか、タバスコはないかというと旦那あれは人の食うもんじゃねえと辛めのオーリオ・ピカンテがどかんときた。あとで知ったがもっと許せないのはケチャップだそうであれはイタリア人にとって神聖なトマトの冒涜であるうえにパスタを甘くするなど犯罪だそうだ。そうだよなアメリカに食文化ねえよなと意気投合しながら、好物であるナポリタンは味も命名も二重の犯罪と知って笑えなくなった。香港に転勤が決まって最後に行ったら、店を閉めるんだこれもってけよとあのアラビアータソースをでっかい瓶ごと持たせてくれたのにはほろっときた。
上記のカジノのなかにテアトロ・アポロがあり、1935年の風景はこうであった。1804年に作られテアトロ・クアザールと呼ばれた。ドイツ語のKurは自然や温泉によって体調を整えることである。ケーニヒシュタインの我が家の隣だったクアバートはクレンペラーが湯治していたし、フルトヴェングラーやシューリヒトが愛したヴィースバーデンのそれは巨大、ブラームスで有名なバーデンバーデンは街ごとKurhausみたいなものだ。バーデンは温泉の意味だが、金持ちの保養地として娯楽も大事であって、カジノと歌劇場はほぼあるといってよい。カジノはパチンコの同類に思われているが実はオペラハウスとワンセットなんで、東京は世界一流の文化都市だ、歌舞伎とオペラがあるのにおかしいだろうと自民党はいえばいいのだ。
ルガノのクアであるアポロ劇場での録音で最も有名なのはイヴォンヌ・ルフェビュールがフルトヴェングラー/ベルリンフィルと1954年5月15日に行ったモーツァルトの K.466 だろう( モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466)。彼のモーツァルトはあまり好まないがこれとドン・ジョバンニ(ザルツブルグ音楽祭の53年盤でほぼ同じ時期だ)だけは別格で、暗く重いものを引き出すことに傾注していて、何が彼をそこまで駆り立てたのかと思う。聴覚の変調かもしれないと思うと悲痛だ。彼はこの年11月30日に亡くなったがそれはバーデンバーデンだった。
もうひとつ面白いCDが、チェリビダッケが1963年6月14日にここでスイスイタリア放送響を振ったシューベルト未完成とチャイコフスキーのくるみ割り組曲だ。オケは弱いがピアニッシモの発する磁力が凄く、彼一流の濃い未完成である。くるみ割りも一発勝負の客演と思えぬ精気と活力が漲り、ホールトーンに包まれるコクのある音も臨場感があり、この手のCDに珍しくまた聴こうと思う。彼はイタリアの放送オケを渡り歩いて悲愴とシェラザードの稿に書いたように非常にユニークなライブ演奏を残しており全部聴いてみたいと思わせる何かがある。そういうオーラの人だった。
最後にミラノ出張のおりにスカラ座前のリコルディで買ったCDで、この録音はほとんど出回っておらず入手困難のようだからメーカーは復刻してほしい。バックハウスがシューリヒト/スイスイタリア放送響と1958年5月23日にやったブラームスの第2協奏曲で、これが大層な名演なのである。僕はどっちのベーム盤より、VPOのシューリヒト盤よりもピアノだけは74才のこっちをとる。ミスなどものともせぬ絶対王者の風格は圧倒的で、こういう千両役者の芸がはまる様を知ってしまうとほかのは小姓の芸だ。大家は生きてるうちに聴いておかないと一生後悔するのだが、はて今は誰なんだっけとさびしい。ついでだが、ルガノと関係ないがシューリヒトの正規盤がないウィーンフィルとのブルックナー5番もこれを買った昔から気にいっている。テンポは変幻自在でついていけない人もいようが、この融通無碍こそシューリヒトの醸し出す味のエッセンスである。
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クラシック徒然草《ギドン・クレーメルの箴言》
2016 DEC 8 0:00:27 am by 東 賢太郎
新宿末廣亭で「噺家ったって最近の若いやつは学士様で落研だ。古典なんざどいつも一緒でね。なんたってみんなおんなじ真打のCD何回も聞いてオウムみたいにまねてんだから」という古参の愚痴が落語のネタになっていた。
そうしたら、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したヴァイオリニストのギドン・クレーメルがTVで同じ趣旨のことを語っているではないか。「若い演奏家はみなテクニックがあって難しい箇所を無難に速く弾いたりできるけれど、音だけ聴くと誰かわからないケースが多いのです」と。以下、大意である。
「ベートーベンのパトロンたちは彼に『ロッシーニみたいになるな』と戒めたのです。ロッシーニは当時、時代の寵児だったのに。ところが現代では人気がある大家をまねて弾け、そうすれば君もすぐ人気が出るぞと言われる。これは大きな間違いです」
「だから限られた人気作ばかり弾く傾向があります。聴衆はお馴染みの曲を聞いて鼻歌で気持ちよく帰れるでしょう。しかし演奏家は癒しを与える存在では断じてありません。私は演奏中に気持ちよく眠っていただきたいなどと思ったことはありません。音楽を聴かせることは『何かを経験させること』なのです。良かろうが悪かろうが聴衆の記憶に永く残り、何かを考えさせ、時には感情をぐらぐらにかき乱すことこそが演奏の目的です」
「ラトヴィアから出てきてオイストラフのクラスに入ったら(右)『すべて私の言う通りやれ』といわれ戸惑いました。私は他人のやり方に服従するのは嫌だったのです。しかし8年彼に学んで様々なことを教わり、ある時に『私なら君のようには絶対に弾かないが、君はそれでいきなさい』と認められた。それが自信になり、自分だけのシグナチャーができました。大家は厳しいが個性には寛容でもあるのです」
「感じた通りを弾くことで演奏は自分だけのシグナチャーとなります。バッハやベートーベンも現代の作品においても同ことです。バッハが古いといってもピラミッドほどではないでしょう?みんな現代の音楽なのです。でも聴衆の感じ方は変わってくる。自分の心で感じた解釈がどんなものであれ、それが聴衆の心を動かすのであればベートーベンはきっと許してくれるはずです」
「音楽は心を開いて聞くものです。頭で聞くものではありません。恐れても構えてもいけません。演奏家は作品から心が感じ取ったものを音にする、それは創造であり、それが音楽に奉仕するということです。テクニックや速弾きが個性なのではなく、自分のシグナチャーをもって聴衆の心に訴えかけ何かを経験して感じ取ってもらうこと、それが作品に奉仕するということです。私はそれ以外の目的で演奏することはありません」
「高松宮殿下記念世界文化賞を頂いて光栄であるとともに、私のような考えの音楽家でも信念を貫いてやっていれば認めていただけることを示せたということを嬉しく思っています」
クレーメルの言葉をきいて、母国語でない英語で訥々と、しかし見事に知的に的確な言葉を丁寧に選んで語りかける姿に、まるで彼のヴァイオリンの演奏を聴いたかのような感動を覚えた。
音楽を愛し、聞き、演奏することの本質をこれほどずばりと言い当てた表現は初めて接したかもしれない。自分のシグナチャーを尊重する。まったく同感であり、僕はそういう演奏や演奏家を心から欲している。
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