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カテゴリー: ______クラシック徒然草

クラシック徒然草-クラシック入門にいいCD-

2013 APR 4 22:22:54 pm by 東 賢太郎

ブログのデータページである「Count per Day – 統計」を見ておりますと、クラシック音楽に関してSMCを検索されている方が多いようです。これからいろいろ名曲を聴いてみたいという方もご訪問されておられると思います。そこで「クラシック入門にいいCD」をご紹介しましょう。

クラシックに入門する方はまず「名曲集」のようなもので作曲家に関わらず小品に多く親しむというのが普通ですし、僕もそうでした。誰の演奏であれ、まず名曲の良さを知ることがイロハのイだと思います。例えば悲愴交響曲のような大きな曲は最初に覚える演奏にこだわっていただきたいのですが、小品の場合はそう難しいことを言わずとにかく聴いてみようでいいのです

ただし、小品だからと手を抜いたものはだめです。小品は小品の良さがあるわけですから、やはりクラシックはいいなあと思わせてくれるクオリティは絶対に必要なのです。まずここで充分に味をしめていただいてから、大曲に挑んでいただきたいのです。

51k2V6rWLXL__SL500_AA300_おすすめしたいのはカラヤン/ベルリン・フィルアーサー・フィードラー/ボストン・ポップスです。しかも値段が安い方がいいですね。僕は後者で育ちましたがi-tuneを見てみましたがいいのがありません。前者はこれがありました。さわりを全部聴きましたが、立派な演奏です。ベルリンフィルが手を抜いていません。天下の名曲が21曲も入って1200円はまあよろしいのではないでしょうか(僕はDGの回し者ではありません、念のため)。これを聴いて、気に入った曲があればその作曲家のほかの有名曲を聴いてみるというのが効率のいい覚え方です。例えばシベリウスのフィンランディアが好きなら交響曲第2番も高い確率で好きになるはずです。

クラシック徒然草-オーケストラMIDI録音は人生の悦楽です-

2013 JAN 26 15:15:08 pm by 東 賢太郎

僕は1991年にマックのパソコン(右)を買いました。米国Proteus製のシンセサイザーとYamahaのDOM30という2種類のオーケストラ音源を電子ピアノで演奏し、MIDIソフトで多重録音して好きな音楽を自分で鳴らしてみるためです。PCに触れたこともなかったからセットアップは大変でした。好きこそものの・・・とはこのことですね。

現代オーケストラから発する可能性のあるほぼすべての音(約130種類)を約50トラックは多重録音できますから、歌以外の管弦楽作品はまず何でも録音可能です。まず音色設定をフルート、オーボエ、クラリネット・・・と切り替えて個別にスコアのパート譜を電子ピアノで弾いて個別にMIDI録音します(高速のパッセージなどは録音時の速度は遅くできます)。相当大変なのですが、全楽器入れ終わったらセーノで鳴らすと立派なオーケストラになっているということです。

弦楽器の音色が今一歩ではありますが、イコライザーなどの音色合成の仕方でかなり「いい線」まではいきます。買ってから21年間に僕が「弾き終わった」曲は以下のものです(順不同)。

モーツァルト交響曲第41番「ジュピター」(全曲)、同クラリネット協奏曲(第1楽章)、同弦楽四重奏曲K.465「不協和音」(第1楽章)、同「魔笛」序曲、同「フィガロの結婚」序曲」、ハイドン交響曲第104番「ロンドン」(全曲)、チャイコフスキー交響曲第4番(全曲)、同第6番「悲愴」(全曲)、同「くるみ割り人形」(組曲)、同「白鳥の湖」(情景)、ドヴォルザーク交響曲8番(全曲)、同第9番「新世界」(第1,4楽章)、同チェロ協奏曲ロ短調(第1,3楽章)、ブラームス交響曲第1番(第1楽章)、同第4番(第1楽章)、ベートーベン交響曲第3番「英雄」(第1楽章)、同第5番「運命」(第1楽章)、シューマン交響曲第3番「ライン」(第1楽章)、ラヴェル「ボレロ」、同「ダフニスとクロエ第2組曲」、同「クープランの墓」(オケ版、プレリュード、メヌエット)、同「マ・メール・ロワ」(オケ版、終曲)、ドビッシー交響詩「海」(第1楽章)、同「牧神の午後への前奏曲」、シベリウス「カレリア組曲」(全曲)、リムスキー・コルサコフ交響組曲「シェラザード」(全曲)、バルトーク「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」(第1、2楽章)、同「管弦楽のための協奏曲」(第5楽章)、ストラヴィンスキー「火の鳥」(ホロヴォード、子守唄以降)、同「春の祭典」(第1部)、ワーグナー「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第1幕前奏曲、同「ジークフリートのラインへの旅立ち」、J.S.バッハ「フーガの技法」、同「イタリア協奏曲」(第3楽章)、ヘンデル「水上の音楽」(組曲)、ヤナーチェク「シンフォニエッタ」(第1楽章)、コダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」(歌、間奏曲)、ハチャトリアン「剣の舞」、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」(第1楽章)、ベルリオーズ幻想交響曲(第4楽章)、ビゼー「カルメン」(前奏曲)

こういうところです。これ以外に、やりかけて途中で放り出したままのも多く あります。成功作はチャイコフスキー4番、バルトーク「オケコン」、シベリウス「カレリア」、ブラームス4番、ドヴォルザークチェロ協、ドビッシー「海」、マイスタージンガーでしょうか。録音はオケ全員の仕事を一人でやるので長時間集中力のいる作業です。生半可な覚悟では取り組めません。ですから以上は僕の本当に好きな曲が正直に出てしまっているリストなのだと思います。弦の音色の限界で、好きなのですがやる気の起きない曲(特にドイツ系の)も多いのですが、総じてやっていない作曲家、マーラー、ショパン、リスト、Rシュトラウスなどは興味がない、僕にはなくても困らない作曲家だと言えます。

もう少し時間ができたらシベリウス交響曲第5番、バルトーク弦楽四重奏曲第4番、ラヴェル「夜のガスパール」にチャレンジしたいです。この悦楽には抗い難く、この気持ち、子供のころプラモデルで「次は戦艦武蔵を作るぞ!」というときと全く同じ感じで、これをやっていればボケないかなあという気も致します。骨董品のアップルに感謝です。

 

(追記)

これらは全部フロッピーディスクに記録していますがハードディスクに移しかえたいと思います。やりかたがわからないので、どなたかご教示いただけるとすごく助かります。

 

 

 

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クラシック徒然草-名指揮者カルロ・マリア・ジュリーニについて-

2013 JAN 22 1:01:52 am by 東 賢太郎

マリア続きですいません。このエピソードは僕でなく友人の話なのですが。

彼がアムステルダム・コンセルトヘボウでジュリーニを聴き、終演後に近くのホテルの薄暗いバーで一人飲んでいると、そのジュリーニがふらっと入ってきたそうです。客はその二人しかいなかったそうで、おそるおそる自己紹介し、サインをもらおうと自分の名刺を出しました。ジュリーニは彼の名刺の日本語と英語の両面を何度も裏返しながら、しばらく何かじっと考えていたそうです。いったいどうしたのかと思っていると、ポツリとひとこと、

Which side do you want ?

と英語で静かに尋ねられたそうです。僕はいかにもジュリーニらしいこのエピソードが大好きです。

僕自身、ロンドンで彼のバッハ(ロ短調ミサ)やベートーベン、ロッシーニを、アムステルダムでフランク、ラヴェルなどを聴きました。もっとも「貴族的」な雰囲気を持った指揮者は?と言われれば僕はジュリーニを挙げます。むかしノムラロンドンの特別顧問にサー・ダグラス・ワスという方がおられました。元大蔵次官で、英国の貴族を絵にかいたような気品と教養とアクセントのある方で、いろんなことを教えてもらいました。第2次大戦では暗号解読部隊にいらした話まで。

ジュリーニのイメージはサー・ダグラスにダブります。クラシック音楽はもともと貴族の楽しみでした。それをそういう風に演奏するということがいかに難しいかということは、昨今そういう演奏についぞ触れることがなくなってしまったことでわかります。もちろん聴衆が多様化するのはいいことなのですが、ビジネス原理が入り過ぎて真に高貴な要素まで永遠に失ってしまうとすれば大変に残念です。

                                                                                 昨日たまたまですが、久しぶりに彼のブラームス4番を聴いてつくづくそう思いました。テンポは遅めで、興奮したりロマンに耽溺したりすることはありません。第1楽章コーダで何かが乗り移ったかのように激するフルトヴェングラーとは対極的に、音楽の骨格を崩すことは一切ありません。その遅さでこそ見える、ブラームスが書き込んだ熟達の抑制の美こそ彼が描きたいものだからです。ウイーンフィルの弦が内声部まで鳴りきり、歌いきっていて、全曲が終わって残るのは、ただ  「いい音楽を聴いた」  というずっしりした手ごたえだけです。クラシック音楽でしか味わえない最高の喜びがここにあります。1点集中型で熱い興奮を誘うアプローチのフルトヴェングラーはこの曲と1番では大成功しており、それはそれで感動的なのですが、僕はそれはポピュリズムたり得る要素ではあっても真に高貴なものとは感じません。例えば彼は3番では終楽章の主部で全開したエネルギーが空転して行き場がないまま終わってしまいますが、ジュリーニは3番も、4番と全く同じアプローチで感動的な演奏になっています。ブラームスの交響曲には、あざとくは目だたないけれども真に高貴な精神の高揚がほのかなロマン性に包まれてひっそりと提示されるようなものが内在しており、ジュリーニのアプローチが自然にそれを拾い出して次々と味あわせてくれる醍醐味は汲めども尽きぬものです。

このシューマンの第3交響曲、通称「ライン交響曲」も大河のごとき悠然としたテンポで開始します。彼がこの3番しか振らなかったどうかわかりませんが、僕はこれ以外知りません。3番は大変な傑作なのですが、演奏効果の面からか実演であまりお目にかからず、大指揮者も振ってない人が多いのです。振ってもうまくまとめるのは至難と思われ、トスカニーニやバーンスタインでさえ駄演に終わっています。ジュリーニが、なぜ彼がやらないのかむしろ不思議な1,4番ではなく、そういう難曲の3番だけをあえて取り上げたのかとても興味深いところです。本来こういう曲かと問われればやや違うアプローチなのですが、その風格、品格と音楽性で誰もを深く納得させる演奏に仕上がっています。ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団というアメリカンなイメージの強いオケから何とヨーロッパ調の音を引き出していることか。ブラームス同様、やはりこのテンポでしか見えない細部や内声部の味わいがゆるぎない堂々たる骨格の中でつぶさに吟味されている様は、クラシックがどんなに大衆化しても忘れてはならない里程標を後世の我々に残してくれているとさえ思える名演奏です。

ジュリーニの残した名盤はまだまだありますが、彼はブラームスを例外として、「全集」を作る人ではありませんでした。自分の気に入った曲しか振らない贅沢が許された、その意味でも貴族的な指揮者でした。

ロス・フィル時代にアシスタントを務め、ジュリーニを師と仰いで敬愛する韓国の巨匠チョン・ミュンフンはこう言っています、

音楽家としてマエストロは、音楽に奉仕するため、そして音楽を通して人類に奉仕するための「聖職者」のイメージに限りなく近い人物であると私はいつも思っていた。

僕は音楽をエゴの道具とする演奏家は聴きません。こちらも時間を費やし、人生をかけて聴く意味を何ら感じないからです。そういう演奏家はおそらく亡くなると忘れられます。しかしこの「聖職者」たる演奏家は、その世代の演奏家しか知りえない、その作品の演奏のエッセンスにかかわる秘技を後世に残します。だから永遠に聴き続けられます。そういうスクールに属する、今や絶滅危惧種とも思われる貴重な演奏家の一人として、このチョン・ミュンフンを僕は非常に注目しています。彼が2008年に振ったN響Aプロのブルックナー7番は忘れがたい名演で、NHKホールでこのオケの弦があれ以上美しく聞こえたことはありません。いま、曲目を問わず聴いてみたい指揮者5人に入ります。こういう素晴らしい後継者を残すのも、やはり 「聖職者」 なのだと思います。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

クラシック徒然草-永遠のマリアカラス-

2013 JAN 19 21:21:14 pm by 東 賢太郎

たまたまです。今TVで見ました。カラスと同い年だったゲイのフランコ・ゼフィレッリ。彼のメットのボエーム。カラスのカルメン。ビゼーってどんな奴だったのか。

私は、あの声の裏に隠れた人物が本当はどんな人間であったかを、あれほどの美しさを我々に与えるために彼女がどれだけの代償を払ったのかをいまの人々に知ってほしかった。彼女は天才だった。20世紀最高の歌を持っていた。でもなぜ?何が彼女を特別な存在にしたのか?私は、この映画を通して、マリア・カラスをマリア・カラスたらしめているものを探求したかったのだ
———フランコ・ゼフィレッリ(監督)

クラシック徒然草-カッコよかったレナード・バーンスタイン-

2013 JAN 18 18:18:50 pm by 東 賢太郎

バーンスタインのリハーサルに立ち会ったのも、やはり、カーチス音楽院でした。

チェリビダッケが1984年2月、バーンスタインは同じく4月。これも前回と全く同じで古沢巌さんのお手引きを得て、すべてをすっぽかして駆けつけました。もう歴史上の人物になってしまった2人の大指揮者のミュージック・メーキングの光景は、眼にも耳にもはっきりと焼きついているのですが、なにか夢か幻のようでもあります。

バーンスタインはカーチス音楽院の卒業生であり、母校の創立60周年記念コンサートを振るためにやってきました。その時のプログラムがこれです。

その日のリハーサルは最初の「チチェスター詩編」。知らない曲でした。当時ネットという便利なものがなく曲について予習も復習もできませんでした。今になってWikiで調べてみると、「英国南部の ”チチェスター大聖堂” のために書かれた曲」とありました。

ところで、さきほど上掲のプログラムを探すため物置にある昔の資料をひっくり返していると、このリハーサルの4年後のロンドン時代に行った教会のパンフレット(右)がポロっと出てきました。お客さん宅のX’masパーティーに招待されて、彼の所属する教会のクリスマスミサに参加した際の記念ですが、この厳粛なすばらしいミサは僕のロンドン駐在を通して最も忘れがたい体験の一つになっています。

ふとピンときて、よもや、まさか、と思いパンフの教会の名を見ると、やはり  “チチェスター大聖堂”  とあり鳥肌が立ちました。何かの因縁でしょうか。

 

Leonard Bernstein speaking with Curtis students in a rehearsal break in 1984, when he returned to his alma mater to conduct his Symphony No. 2 (“Age of Anxiety”)

バーンスタインは小走りに舞台に現れるとまずコンマスの女の子と長々とハグして頬にキス。 チェリビダッケとの落差にいきなりカウンターパンチを食らいます。練習が始まってもムードは明るく、ジョークも飛んで和気あいあい。チェリが「ダメだし派」とすると彼は「いいね派」で、10代の子たちをノセるのがうまかったです。写真がこの時のものです。

「コントラバスのピッチカート、もう一回。」 演奏  「いや、ちがう、もう一回」 演奏 「なんでもっとソフトにできないかなー?リーダーのキミ、そうキミだよ。キミ彼女いるでしょ?」  「はい、います」 「うん。彼女におやすみの投げキッスするだろ?」 「はい」 「やってみて」(バーンスタインに投げキッスする)(全員、おお笑い) 「それそれ、それだよ。できるじゃないか。そういう感じでもう一回」 演奏 OK

こんなことも起こりました。

速い箇所で急に両手を広げて演奏をストップ。「ティンパニ!キミ、それちがうだろ?」 「???」 「ロングノート(Wrong note)だ」 「先生、意味がよく理解できません・・・」「キミ、F#打ったでしょ?」 「はい」 「そりゃDだ」 気まずい沈黙 「先生、でも・・・」「よく楽譜を見なさい」 「F#ですが」 「キミ。この曲の作曲家の名前知ってるかい?」 「はい、あなたなんですが、でも・・・」 そこでバーンスタインは指揮台を降りてティンパニのところへつかつかと行き彼の譜面台をのぞきこむ 「いや、ゴメン!」 (I’m sorry, you are right.) (爆笑と拍手)

万事こういう感じでした。細かい指示は徹底しながらも、全く飾らないお人柄とオーラでぐいぐい人を引っ張ってしまう。心底、カッコいいなあと惚れ込んでしまいました。

先日のブログに書いたロンドンでの「キャンディード」はDVDになっていますが、1989年12月13日だったようです。この客席に僕もいました。

 

 

 

この終演後にホールのボウルルームでパーティーがあり、彼と話ができましたがあのリハーサルそのままの気さくな人でした。

「おー、カーチスのあれか、あそこにいたのね。覚えてるよ。若い子たちと音楽やるのはいいね。僕も若がえってね。」 こう言って僕が差し出したプログラムの写真をしげしげと見る。これです。

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「あれ、こりゃだめだ。こんなジイさんをのせちゃいけないね。」 笑いながら、即、却下。そして、彼は自分でパラパラとページをめくってこっちを探しだしました。「そう、これこれ。これが僕だよ。そう思わない?やっぱり若いほうじゃなくっちゃ」 少し震える手でその写真にサインして、僕の眼を見ながら人なつっこく笑い、大きくて柔らかい手でしっかりと握手してくれました。それがこれです。

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彼はこの会話の10か月後に亡くなりました。目の前のバーンスタインは彼が嫌いだった方の写真でも若いぐらいの姿でしたが、眼の輝きは若者のようでした。彼のハートはあの「マリア」の音符を書いた頃のままだったと思います。

 

この世で最後に私たちを救うのは,おおきな夢を唱え,育み,拒み,歌い,そして叫ぶことのできる,思索家,感覚家,つまり芸術家です。芸術家だけが”かたちのないもの”を”実在”に変えることができるのです。

Leonard Bernstein  (1918 – 1990)

 

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レナード・バーンスタインのお告げとしか考えられない出来事

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

 

クラシック徒然草-ファイラデルフィアO.のチャイコフスキー4番-

2013 JAN 14 13:13:56 pm by 東 賢太郎

朝起きると、東京は昨日のゴルフ日和がなんだったのかという雪景色です。

これで思い出してさっき家内と話したのが、フィラデルフィアの春の大雪です。あれはもう半袖を着ている4月のことでした。朝起きるとなんとなく窓のカーテンが明るく、普通でありません。開けてみると外は一面の銀世界。一夜のうちに2メートルの雪がつもっていました。ペン大のキャンパス内はスキーで教室に向かう学生がいたぐらいで、もちろん交通機関は完全にマヒしていたのです。

金曜だったのでビジネススクールは休み。午後からは毎週コンサートでした。どうやってダウンタウンまで行ったのか記憶がないのですが、とにかく雪まみれになり、寒さに凍えながらなんとかアカデミー・オブ・ミュージックまでたどり着きました。定期会員はお年寄りが多かったせいか、定刻2時にリッカルド・ムーティーが指揮台に立ったとき客席はまばら。オーケストラと同じぐらいで、100人いたかどうか。

「皆さん、こんなお天気の中、来てくださってありがとうございます」

と指揮者の心のこもったあいさつがあり、何事もなかったかのようにコンサートは始まりました。前半がなんだったか忘れてしまいましたが、後半の鬼気迫る  ”壮絶な”  チャイコフスキー4番は一生忘れません。「消化試合」になるどころか、来てくれたほんのわずかの人のために天下のフィラデルフィア管弦楽団が2度とないぐらいの迫真の演奏をしてくれたのです。圧倒された客席がブラボーの嵐と足ぶみと全員のスタンディングオベーションで熱狂して応えたのは言うまでもありません。僕も声がかれました。人のぬくもり、誠意、そして本物のプロフェッショナリズム。

窓の雪景色に、人生で一番感動した演奏会のことをふと思い出してしまいました。

 

 

(こちらもどうぞ)

クラシック徒然草-フィラデルフィア管弦楽団の思い出-

 

クラシック徒然草-ワーグナー大好き(2)-

2013 JAN 11 15:15:55 pm by 東 賢太郎

歌劇「タンホイザー」より第2幕の大行進曲  「歌の殿堂をたたえよう」 です。あらゆるオペラのなかでも最も有名な合唱曲の一つですね。卒業式や運動会などで聴いたことがある方も多いのではないでしょうか。最高に元気が出ます。演奏はいろいろありますが、ワーグナーとJSバッハだけはちゃんと演奏されていれば一応納得してしまいます。音楽パワーが強いのかな?不思議ですね。

 

 

 

http://youtu.be/-YOwqjmuXVg

クラシック徒然草ーワーグナー大好き(1)-

2013 JAN 10 17:17:15 pm by 東 賢太郎

僕にとって「毒」になっているものをご紹介します。

「神々の黄昏(たそがれ)第一幕への間奏曲」の一部、「夜明けとジークフリートのラインへの旅立ち」です.

夜が明けていきます。ジークフリートは「指環」をブリュンヒルデに愛の証として預け、ブリュンヒルデに贈られた愛馬グラーネにまたがり新たな勲を求めてライン川に向けて旅立っていく場面の音楽です。ピアノスコアですが下の楽譜をご覧ください。1段目のTagesgrauen とあるところからが「夜明け」です。

青い部分、ヘ長調でクラリネットが、緑の部分、変ロ長調で弦が神のように素晴らしい動機の誕生をひっそりと告げます。もう全身が金縛りになるしかないポエティック、マジカルな瞬間です。ここからこの動機が発展していく神々しいさまは僕などの下郎はひれ伏して拝むしかございません!ワーグナー様のしもべにでも何にでもしてください!!こうして毒が回ってワグネリアンになっていくのですね。

この音楽は、恐れを知らない若者の、とてつもなく大きい希望と夢に充ちた旅立ちの気分です。それ以外の何物でもありません。苦しみから立ち直って運命に勝利したり、愛や自然を賛美したりという感動をくれる音楽はクラシックのいわばメインストリートですが、こんな音楽はほかに知りません。

突然ですが、吉永小百合と橋幸雄のデュエット「いつでも夢を」という曲が僕は大好きです。小学生のころ、よく母と買い物した幸花堂という和泉多摩川のパン屋さんで流れていたこの曲。今でも聴くと明るい陽だまりとパンを焼くいい香りまで思い出します。小さかった僕に明るい夢をくれたこれは僕の「多摩川への旅立ち」でした(スケール小さいっすね・・・・)。

初めてリングを4日間かけてチクルス(全曲通して)で聴いたのはドイツ滞在中のこと、ヴィースバーデンのヘッセン州立歌劇場(右)です。まさにジークフリートが旅立って行ったライン川のほとりの街でのことでした。会社で初めて拠点長をまかされ、まさに意気揚々だった39歳のあの頃。今もときどきこれを聴いては気持ちだけ若返り、その勢いでジョギングしては筋肉痛で後悔しております。

 

クラシック徒然草-ワーグナー入門(The first step to make yourself a Wagnerian)-

2013 JAN 6 16:16:23 pm by 東 賢太郎

ワグネリアン(Wagnerian)という言葉があります。「ワーグナー好き」という域を超えて、ちょっと狂信的な、いわば「ワーグナーの音楽にずっぽりとはまっている人」という感じでしょうか。モーツァルト好きを「モーツァルティアン」とは言いますが、ワグネリアンはもっとあくが強く、教祖と仰ぐ感じです。こんな作曲家は後にも先にもいません。

滞独中の1994年8月にバイロイト音楽祭に行きましたが、雰囲気はまさに「聖地」でした。愛知県豊田市がトヨタ市であるようにここもワーグナー市で、そうでもなければ何でもない田舎のオペラハウ スである「バイロイト祝祭歌劇場」(下)に世界中の権力者、富豪、貴族、紳士淑女が集結するさまは壮観でもあり、一種異様な感じでもありました。

聴いたのは「タンホイザー」です。この劇場の内部(下)ですが、ごらんのとおり横に並ぶ座席の列を縦につっきる通路がありません。中央部に座ったらトイレにもたてません。しかも空調はなくて蒸し暑い。4-5時間もじっとそこで音楽を聴くこと自体、けっこう宗教がかっている気がしなくもありませんね。

しかし聴衆は伊達や酔狂で高い金を払って来ているわけではもちろんありません。ワーグナーの音楽には世界のセレブや音楽好きを引きつける一種独特の強い磁力、もっと適格な言葉と思いますが、「毒」があるのです。蜜のように甘いが毒。これを飲んだらもう離れられない「惚れ薬」「媚薬」みたいなものです。

ほんの一例ですが僕の場合、異例にネアカの「ニュルンベルグの名歌手(マイスタージンガー)」が好きで、第1幕への前奏曲などは  ”死ぬほど好き”  になってしまっています。(ピアノで弾くのはとても無理なので)もちろん例によってシンセサイザーで自分指揮バージョンをMIDI録音しています。出だしの堂々とした男性的、全音階的テーマが高潮して一旦静かになり、女性的、半音階的に動く弦が醸し出す玄妙な和声を聴くと、いつも思考がとろーっとして停止し、陶酔状態に陥ります。これが「毒」でなくて何でしょう。

音楽と政治は本来水と油のようなものですが、不幸にもあのヒットラーがワグネリアンであったことからワーグナーの音楽はナチスドイツとイメージが強く結びついてしまいました。にもかかわらずブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、ゲオルグ・ショルティ、レナード・バーンスタイン、ジョージ・セルといったユダヤ系の大指揮者がワーグナーを取り上げて名演を残しています。このことが欧州史の脈絡の中でいかに大変なことかは、イスラエル・フィルハーモニーがアンコールに初めてワーグナーを取り上げたら一部の団員が演奏を拒否して客席で殴り合いがおきたという事件が戦後も戦後、1981年に起きたことだということでお分かりいただけるでしょうか。

「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルグの名歌手」「ニーベルンゲンの指輪」(ラインの黄金、ジークフリート、ワルキューレ、神々の黄昏)、「パルジファル」

以上がワーグナーの主要作品(作曲順)です。最初の3つは「歌劇(オペラ)」、トリスタン以降は「楽劇(Musikdrama)」と呼ばれますが、最初は細かいことは気にせず全部オペラと思っていただいて結構です。全部聴くと50時間近く。このエベレストのような巨山をどう制覇したらいいのでしょうか?手っ取り早いのは序曲・前奏曲集から入ることです。CD2-3枚分ですから大したことはありません。幸いワーグナーの序曲・前奏曲はどれも大変覚えやすいので、とにかく耳におなじみにしてしまうこと。それが絶対の近道です。ただし「指輪」だけはそれができないのでハイライト盤でいい所をつまみ食いして覚えるのがベストなのですがこれについては後述します(ちなみに指輪は通の間では「リング」と呼ばれます。以下、リングでいきます)。

ハンス・クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

まず、この2枚を探して購入することを強くお薦めします。クナ氏(1888-1965)はバイロイト10回登場、真打のなかの真打といえるワーグナー指揮者で、このステレオ録音は音も悪くなく、彼の曲を知り尽くした滋味とコクにあふれる名演を堪能することができます。名歌手第1幕前奏曲はこれがベストで、こんなにたっぷりとしたテンポなのに一瞬もダレることがなく、大河のように滔々と巨大な音楽が流れる様は壮観の一言。これが書かれたヴィープリヒのライン川の流れを思い出します。トリスタンも実にすばらしい。ローエングリン第1幕への前奏曲の神秘感と高揚感もベストの一つでしょう。この2枚で上記の「リング以外」は揃います。僕はこの音源のLPレコードを持っていて弦の音はCDより格段にいいのです。録音がやや古いのでCDの場合は再生装置を選ぶかもしれず、もし肝心の弦がやせて聴こえるようなら「だるい」演奏に聴こえてしまうかもしれません。以下のもっと新しい録音でもいいと思います。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

このEMI録音のタンホイザー序曲(パリ版)を初めて聴いたときは衝撃を受けました。スタジオの中のカラヤンが、いつもの綺麗ごとのイメージをかなぐり捨ててこんなになりふり構わず攻め込むのはあまり記憶がありません。カラヤンという人は録音を残すための録音が多いというイメージがあり、録音メディアが進化すると同じ作品を再録音したりしています。しかしことワーグナーに関しては商売優先ではなくガチンコ相撲を取っている観があります。意外なことにバイロイトはヴィーラント・ワーグナーと演出上の意見が合わずに2回のみの登場で、むしろ生地のザルツブルグ音楽祭に力を入れていましたが、彼の音楽性は明らかにモーツァルトよりもワーグナーに向いています。ベルリン・フィルの高性能と底知れぬパワーもワーグナーには非常に適性があります。この2枚で耳をしっかり慣らすのはお薦めです。この2枚はi-tuneでKarajan conducts Wagnerと入力すると安価で購入でき、「リング以外」は全部揃います。

 

クラウス・テンシュテット/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

これも同じオケですがこんなに音も表現も違うといういいお手本です。テンシュテットはロンドン時代にロイヤル・フェスティバル・ホールでずいぶん聴きました。特に印象に残っているのが僕の嫌いなマーラーとリヒャルト・シュトラウスなのです。それほど名演だったということで、この人のライブの燃焼度はすばらしかった。それを髣髴とさせるのがこれで、1枚目が「リングの有名曲ハイライト」です。

 

カール・ベーム/ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団  ゲオルグ・ショルティ/ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

でもやっぱりウイーンフィルが恋しい・・・。そのぐらいこのオケはワーグナーに相性がいいのです。どちらをとるかはもう趣味の問題です。僕はDG(ドイッチェ・グラモフォン)のベームの音が好きですがDeccaのショルティ、これも確かにまぎれもないウイーンフィルの音なので困ってしまいます。もうひとつ、ホルスト・シュタイン指揮の「ワーグナー・ウェーバー管弦楽曲集」(Decca)というのがあって、これはこのオケの最もいい録音の一つなので捨てるに忍びない。ワーグナーの毒にウイーンフィルの媚薬!これを前にしてあれこれ言うことなどもうナンセンスですね。クラシックとはこうやってはまっていくものだという好例をお見せしてしまいました。できれば全部聴いて下さい。

 

さて皆様をワグネリアンの道に引き入れようという試みは以上でなんとか富士山の2~3合目というところです。特にリングという最高峰は用意周到に登らないと遭難の恐れもあり、今回まずはリング以外の6つの霊峰から序曲・前奏曲でお好みのものを選び、その曲の登頂をひとつづつ目指されるのがシェルパとしてのおすすめです。頂上の景色も圧巻ですが、そこに至るまでのあれこれはもっと楽しかったですよ。

 

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クラシック徒然草-シベリウス2番のおすすめCD(その2)- 

2012 DEC 31 21:21:37 pm by 東 賢太郎

まずは、前回ご紹介したカヤーヌス盤の特徴です。

まず第1楽章が出だしから速い。第1主題のオーボエは女性が早口でおしゃべりしているようです。それを受けるホルンはぐっと減速して大自然の息吹。このようにテンポや表情のギアチェンジが大きいのが特徴で、展開部の弦の細かい動きは疾風のように荒れ狂います。この楽章は4分の6拍子ですが、後半の四分音符3つを4分割する書法が頻出します。この速めのテンポでないとそれが単なるリタルダンドに聴こえてしまい作曲の意図が曲がってしまいます。第2楽章も速い。この楽章、今の耳にはえっという場面が続出します。練習番号Dの金管、Kのかなり遅いテンポ、Mの第1バイオリンのポルタメント等々です。この楽章、スコアの様相はチャイコフスキーの悲愴を思い出させます。主情的でロマンティックな音楽なのです。第3,4楽章に第2楽章ほどの驚きはありませんがテンポは自在に変化し、相対的にやはり速めです。音楽の場面ごとに表情が淡泊になったり濃厚についたりする変化はあっても、最近の指揮者がよくやる後期ロマン派風のこってりした味つけは微塵もありません。

シベリウスの演奏はよく演奏者によって①北欧系②英米系③その他、と分類されています。②が主流の一つである理由は、非ドイツ的な語法をもつシベリウスの音楽はまず英国、次いで米国で受容されたことにあります。カヤーヌス盤のオーケストラがロンドン交響楽団であることがそれを物語っています。本場もの志向が強い音楽ファンは①を好む傾向があり特に日本はそれを感じますが、フィンランドの指揮者、オケがやれば名演になるという単純なものではありません。国籍などよりも、カヤーヌス盤が示す19世紀的ロマン主義のアプローチに添うか、現代のマーラー演奏から敷衍する後期ロマン派風のアプローチに傾斜するかが大きな分岐点になります。一例として締めくくりのニ長調の全オケのffによるトゥッティですがスコアにクレッシェンドはありません。前者はスコア通り、後者は音を漸増する傾向にあります。後者だとなにか展覧会の絵でも聴いたかのようで僕は違和感を覚えます。

 

ポール・パレ― / デトロイト交響楽団

のっけから③になりますが、パレ―はフランスの巨匠で作曲家でもあります。これはカヤーヌス盤にコンセプトが最も近い演奏の一つです。各楽章の演奏時間も非常に近いですが、部分部分の速度は同じではなくパレーの個性も刻印されています。筋肉質ではあっても熱く歌う部分は充分に熱く、パレーの歌う声も聞こえます。巷の評価はあまり聞きませんが曲の本質をとらえた名演であります。パレーのドビッシー、ラベル、イベールは絶品でありフランス物のスペシャリストのイメージがあります。それが先行してこのシベリウスの価値が広く認識されていない気がします。虚心坦懐に耳を傾けてみてほしい演奏です。

 

ネーメ・ヤルヴィ /  エーテボリ交響楽団

①の代表盤です。息子もいい指揮者ですがこれは親父のほう。再録音してるので旧盤ですが、新盤より断然いい。80年代に現れたCDというメディアの初期の録音で、音の良さが売りでした。第1楽章のテンポはカヤーヌスと近く、速めでぐいぐい進みます。3を4つに分けるリズムの意味が明瞭に振り分けられます。全曲にわたってメリハリがはっきし、こってりしたロマン派的味つけが薄い分深みは感じませんが熱くなる部分の燃焼度は決して低くありません。難があるとすると録音が無用にハイファイ的で金管の高音部が多少目立つことです。

 

パーヴォ・ベルグルンド / ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

これも①の代表盤でしょう。このテンポとコンセプトもカヤーヌス盤の系統を継いだ正統派であり、シベリウス研究家でもある指揮者ベルグルンドの眼力を感じます。ただし細部のテンポやオケのバランスは彼の個性が勝っています。ホールの残響成分が多めでやや細かい音が不明瞭ですが木管の音色がチャーミングです。初めて2番を聴こうという人のファーストチョイスということになると最有力候補でしょう。

 

 

ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団

②を代表してこれを。セルはチャイコフスキーを4,5番しか録音していません。悲愴をやらなかった人がこれを振るとこうなります。カヤーヌスの伝統にこだわりは感じませんがスコアの読みは深く、第2楽章Mはポルタメントこそありませんがそれに肉薄するロマン的な表情をつけています。オケの技術、メリハリ、集中力とも最高で、第4楽章コーダの白熱ぶりはベストの一つ。あまりの素晴らしさに拍手してしまうほどです。これは66年のライブですが入手しにくくなっているかもしれません。70年の東京ライブも同じコンセプトの名演です。

 

レイフ・セゲルスタム / デンマーク国立放送交響楽団

シベリウス セゲルスタムセゲルスタムはフィンランドの指揮者・作曲家。これは彼の旧盤にあたるので注意。①ですがカヤーヌスとはかけ離れた遅いテンポによる個性的かつ巨大な表現で、ファーストチョイスには薦めません。しかし第2楽章の意味深い表現は最高でこれをベストとして推します。場面場面の気分の変転はどこかブルックナーを聴くようですが、安直な後期ロマン派アプローチではなく、作曲家の目で全音符が吟味されたゆるぎない演奏で非常に説得力があります。第4楽章コーダの神々しさは、ライブには一歩譲りますが、CDで聴ける最も感動的なものの一つです。

 

ユーリ・テミルカノフ /   ザンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー管弦楽団 

ロシア人がシベリウスというのはどうもという方もおられるかもしれません。僕もロジェストヴェンスキー盤の下品な金管によるシベリウスは大嫌いです。しかしこのテミルカノフのメリハリの利いた表現力、オケのパンチ力は決して下品に陥らずセンス満点。ロマン派の音楽としてスコアを完璧にグリップしており、それはそれで説得されます。第4楽章のコーダはティンパニが効いて実に格好よく、ヒロイックな感じはショスタコーヴィチの5番の終結を想起させます。こういう曲かと問われればNOなのですが、不思議と脳裏に残る演奏で、この曲をすでによく知っている人にお薦めします。

 

モーリス・アブラヴァネル / ユタ交響楽団

アブラヴァネルはギリシャ系ユダヤ人で、クルト・ヴァイル、ブルーノ・ワルターの弟子という欧州の保守本流の指揮者。米国に亡命し33歳でメットと指揮者として契約しましたが、これはメットの最年少記録です。自分のオケを求めてユタに着任、以来ユタ交響楽団の音楽監督を30年超にわたって務め「ベートーベンのエロイカも満足に弾けなかった」田舎のオケを全米でもトップクラスにした人です。この全集は楽曲解釈、オケの技術ともレベルが高く、録音も良く、しかも激安です。いくらデフレとはいえあまりに本源的価値を無視した非常識な値段なので抗議の意味でここに激賞しておきます。2番もカヤーヌスの伝統からはそれますがロマン派の音楽として立派な表現になっており、スタンダードな名演としてファーストチョイスにしても後々に違和感を覚えることはないすぐれた演奏です。

 

以下、世評の高い録音についてひとくちコメントです。

ジョン・バルビローリ / ハレ管弦楽団は解釈が重く、遅いテンポも恣意的で、何よりオケがあまりにヘタです。コリン・デービス / ボストン交響楽団は楽譜の読みがルーティーン的で浅く、外形はきれいに整えていますが例えば第2楽章のチェロの重要なモノローグを無神経に通過するなどいかにも粗雑です。ヘルベルト・フォン・カラヤン / フィルハーモニア管弦楽団は表情が人工的。第2楽章Mはドヴォルザークのようで、彼がこの曲のロマン派的外形と3番以降につながる内向的側面とのバランスを扱いかねているのがわかる。2番を再録音しなかったのは賢明でした。ユージン・オーマンディー  / フィラデルフィア管弦楽団は旧録音(CBS)の方がベターですが、それでもオケが本調子でなく第3楽章の入りなどもこのオケとは思えません。一発録りだったのでしょうか。スコア通りでない部分も気になります。サイモン・ラトル / バーミンガム市交響楽団はいかにも若い。しかし第2楽章など非常に個性的で考え抜かれた自己主張は好感あり。同オケとナイジェル・ケネディとやったバイオリン協奏曲のほうは素晴らしいです。ユッカ・ペッカ・サラステ/ フィンランド放送交響楽団は1993年のライブで好演。現代的にイディオム化された2番演奏で解釈面でどうということはないが一発勝負の気迫は魅力的です。クルト・ザンデルリンク / ベルリン交響楽団はドイツ人によるドイツ的音感による見本のようなどっしりゆったりの2番。好きではないが品格は高い。 オッコー・カム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は若者が猛者を率いた痛快な演奏。練れていないが若鮎のような感性が魅力。カムはヘルシンキ放送交響楽団とのカレリア組曲がベストで、これ以上の演奏は考えつきません。レナード・バーンスタイン / ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団は晩年のレニー節がさく裂。到底シベリウスに聴こえないが、第2楽章の読みは実に深く、やはり彼は作曲家です。ウイーン・フィルのなんとも場違いな管楽器の音色が色っぽい。ロリン・マゼール/ ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団は音がやや古いがやはりオケが慣れていないところが面白い。全集ですが4番とタピオラがベストを争う名演です。

渡辺暁雄 / 日本フィルハーモニー交響楽団は一本芯の通った主張があり金管やティンパニの強奏などに込めた指揮者の意志は強い。第4楽章の速めのテンポがいい。しかし、いかんせんオケが今ならアマチュアレベルで技術も音程も悪い。本当に惜しいです。

ヘルベルト・ブロムシュテット / サンフランシスコ交響楽団は群を抜いて楷書風の演奏。メカニックな正確度はすばらしく、強弱、音程が緻密にコントロールされた透明感はベスト。解析力が勝った左脳型の秀演で評価が分かれるでしょう。タウノ・ハンニカイネン / シンフォニア・オブ・ロンドンは歴史的演奏の部類ですがオケが弱い。併録の5番なども指揮のコンセプトはいいのに、どうしてこんなヘタなオーボエ奏者を使ったのか不思議です。セルジュ・チェリビダッケ / ルツェルン音楽祭管弦楽団はAUDIORというレーベルのライブ。彼にしてはあまりオケの統率がとれていない。第2楽章でカヤーヌスばりのポルタメントが入ります。

さて最後にアルトゥーロ/トスカニーニ/ NBC交響楽団のライブ録音を忘れるわけにはいきません。これはカヤーヌス盤に最も近い演奏で、録音が10年後の1940年ということからも作曲家直伝の演奏情報を伝える貴重な録音です。第1楽章はそっくりです。第2楽章の演奏時間がカヤーヌスより短いのはこれと上記のベルグルンド盤、パレー盤ぐらいで、Dの金管、Mのポルタメント(控え目ですが)に至るまでほぼ同じ解釈と言っていいでしょう。第3楽章はオケの性能がこっちのほうが圧倒的に上で、ライブでこの弦のアンサンブルの切れ味はすごい。第4楽章ですが、カヤーヌスより速く、恐らく最速演奏でしょう。非常に明晰なテクスチュアに明るめで強靭な金管が乗ったラテン的感覚になっていて、これはもうシベリウスを超えてトスカニーニの世界です。オーマンディーがフィラデルフィアで目指したのはこういう音だったのではと思います。コーダは堂々たるインテンポでつまらない小細工になど目もくれず決然と終わる。歌舞伎の千両役者というか横綱相撲というか、有無を言わせぬ貫録で、トスカニーニを尊敬したオーマンディーもカラヤンも真似できなかったのはここなのです。人間、もって生まれたカリスマ、後光みたいなものは努力や訓練ではどうしようもなく、指揮者という人を動かす商売はこうやってそれが明確に結果に出てしまう怖いものです。ちなみにこのコーダの風格も含め、トスカーニーニのDNAを受け継いだのはジョージ・セル盤なのです。この曲はロマンティックであると同時に乾いた鮮烈さを秘めているのですが、指揮者とオケの実力が如実に出てしまうこのタイプの演奏は90年代以降めっきり減りました。テミルカノフ盤はその少ない一例です。そうではなく、響きの豊かなホールで繊細な味つけをしながら後期ロマン風にたっぷりと鳴らすグランド・スタイルがいつの間にかスタンダードになりつつあり、マーラー、ブルックナーに耳の慣れた一般聴衆にはそのほうが受けがよいのでしょう。それは2番演奏の本流ではなく、このシンフォニーが「ポップス化」している兆候のように感じます。全部聴いていないので書きませんでしたが、故ベルグルンドがヨーロッパ室内管弦楽団で録音した3度目の全集は2度目のヘルシンキ盤より人気がないように見えます。5番など驚くべき緻密なアンサンブルの名演ですが、グランド・スタイルに背を向けると孤高の路線になるのだとしたらシベリウスも悲しんでいることでしょう。

最後に、このトスカニーニのCD、2番だけでなく「ポヒョラの娘」、「レミンカイネンの帰郷」のオケのものすごいアンサンブルをぜひ聴いてください。このレベルのオーケストラが世界に今いくつあるでしょう?オケの技術は進化しているとよく言われますが、名曲化、ポップス化した曲の楽譜に慣れただけなのではないでしょうか?1940年当時、まだ現代音楽だったシベリウスの難しい楽譜をここまで手中に収め、今もって古臭さをまったく感じない水準で演奏したNBC交響楽団のレベルに比べると僕は逆に技術が後退しているのではないかと思います。

それはトスカニーニ、セル、ライナー、チェリビダッケのような独裁型、人事権行使型、恐怖政治型マエストロが完全消滅して、生徒会長型、調整型、みんな仲間だ型ばかりになった結果と思います。組合が強くなって指揮者の政治力も削がれました。JALが潰れたのは組合が強くなって客の満足より従業員待遇の満足を求める、すなわち役所化したことが主因です。今のオケ演奏は本当につまらない。サラリーマン、小役人化したオケなど金を払って聴く価値は皆無です。ルーティーンのきれいごとで終わる演奏ばかりで、そんなものにブラボーを飛ばしてしまう聴衆もまた聴衆で、文化はこうして衰退していくという見本のようなものです。「パワハラ」で楽員から訴訟されるような指揮者の出現を願ってやみません。

(こちらへどうぞ)

シベリウス 交響曲第4番イ短調作品63(マゼール追悼)

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