クラシック徒然草-カッコよかったレナード・バーンスタイン-
2013 JAN 18 18:18:50 pm by 東 賢太郎
バーンスタインのリハーサルに立ち会ったのも、やはり、カーチス音楽院でした。
チェリビダッケが1984年2月、バーンスタインは同じく4月。これも前回と全く同じで古沢巌さんのお手引きを得て、すべてをすっぽかして駆けつけました。もう歴史上の人物になってしまった2人の大指揮者のミュージック・メーキングの光景は、眼にも耳にもはっきりと焼きついているのですが、なにか夢か幻のようでもあります。
バーンスタインはカーチス音楽院の卒業生であり、母校の創立60周年記念コンサートを振るためにやってきました。その時のプログラムがこれです。
その日のリハーサルは最初の「チチェスター詩編」。知らない曲でした。当時ネットという便利なものがなく曲について予習も復習もできませんでした。今になってWikiで調べてみると、「英国南部の ”チチェスター大聖堂” のために書かれた曲」とありました。
ところで、さきほど上掲のプログラムを探すため物置にある昔の資料をひっくり返していると、このリハーサルの4年後のロンドン時代に行った教会のパンフレット(右)がポロっと出てきました。お客さん宅のX’masパーティーに招待されて、彼の所属する教会のクリスマスミサに参加した際の記念ですが、この厳粛なすばらしいミサは僕のロンドン駐在を通して最も忘れがたい体験の一つになっています。
ふとピンときて、よもや、まさか、と思いパンフの教会の名を見ると、やはり “チチェスター大聖堂” とあり鳥肌が立ちました。何かの因縁でしょうか。
バーンスタインは小走りに舞台に現れるとまずコンマスの女の子と長々とハグして頬にキス。 チェリビダッケとの落差にいきなりカウンターパンチを食らいます。練習が始まってもムードは明るく、ジョークも飛んで和気あいあい。チェリが「ダメだし派」とすると彼は「いいね派」で、10代の子たちをノセるのがうまかったです。写真がこの時のものです。
「コントラバスのピッチカート、もう一回。」 演奏 「いや、ちがう、もう一回」 演奏 「なんでもっとソフトにできないかなー?リーダーのキミ、そうキミだよ。キミ彼女いるでしょ?」 「はい、います」 「うん。彼女におやすみの投げキッスするだろ?」 「はい」 「やってみて」(バーンスタインに投げキッスする)(全員、おお笑い) 「それそれ、それだよ。できるじゃないか。そういう感じでもう一回」 演奏 OK
こんなことも起こりました。
速い箇所で急に両手を広げて演奏をストップ。「ティンパニ!キミ、それちがうだろ?」 「???」 「ロングノート(Wrong note)だ」 「先生、意味がよく理解できません・・・」「キミ、F#打ったでしょ?」 「はい」 「そりゃDだ」 気まずい沈黙 「先生、でも・・・」「よく楽譜を見なさい」 「F#ですが」 「キミ。この曲の作曲家の名前知ってるかい?」 「はい、あなたなんですが、でも・・・」 そこでバーンスタインは指揮台を降りてティンパニのところへつかつかと行き彼の譜面台をのぞきこむ 「いや、ゴメン!」 (I’m sorry, you are right.) (爆笑と拍手)
万事こういう感じでした。細かい指示は徹底しながらも、全く飾らないお人柄とオーラでぐいぐい人を引っ張ってしまう。心底、カッコいいなあと惚れ込んでしまいました。
先日のブログに書いたロンドンでの「キャンディード」はDVDになっていますが、1989年12月13日だったようです。この客席に僕もいました。
この終演後にホールのボウルルームでパーティーがあり、彼と話ができましたがあのリハーサルそのままの気さくな人でした。
「おー、カーチスのあれか、あそこにいたのね。覚えてるよ。若い子たちと音楽やるのはいいね。僕も若がえってね。」 こう言って僕が差し出したプログラムの写真をしげしげと見る。これです。
「あれ、こりゃだめだ。こんなジイさんをのせちゃいけないね。」 笑いながら、即、却下。そして、彼は自分でパラパラとページをめくってこっちを探しだしました。「そう、これこれ。これが僕だよ。そう思わない?やっぱり若いほうじゃなくっちゃ」 少し震える手でその写真にサインして、僕の眼を見ながら人なつっこく笑い、大きくて柔らかい手でしっかりと握手してくれました。それがこれです。
彼はこの会話の10か月後に亡くなりました。目の前のバーンスタインは彼が嫌いだった方の写真でも若いぐらいの姿でしたが、眼の輝きは若者のようでした。彼のハートはあの「マリア」の音符を書いた頃のままだったと思います。
この世で最後に私たちを救うのは,おおきな夢を唱え,育み,拒み,歌い,そして叫ぶことのできる,思索家,感覚家,つまり芸術家です。芸術家だけが”かたちのないもの”を”実在”に変えることができるのです。
Leonard Bernstein (1918 – 1990)
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中島 龍之
1/19/2013 | 10:53 AM Permalink
バーンスタインのリハーサル風景は貴重ですね。以前に私のブログでドヴォルザークの「新世界」聴き比べを書いた時に、ケルテスを一番にしましたが、バーンスタインは「うまい」と書きました。多分、人の心を掴むのが「うまい」のだと、東さんのエピソードで確信しました。
東 賢太郎
1/19/2013 | 6:10 PM Permalink
バーンスタインとチェリビダッケ、タイプは違いますが共通だったのは発するものすごいオーラと人間力です。オブザーバーの僕にまで何か目に見えないパワーがビンビン伝わってきて、楽器を持っている人たちと同じ境地に立たされている感じでした。2人とも、バーンスタインも、怖かったです。明らかに、棒を持つと「普通の人」じゃないんですよ。指揮法とか口とか身振りとかそういう小手先のことじゃなくて。そうとしか言葉で表せないのがもどかしいです。人ってああまでなれるのかと目から鱗の思いでした。ビジネススクールなんかで教わるリーダーシップ論とか、そんなくだらない教科書はゴミ箱に捨てちゃえよという感じです。その後の僕の人生を変えた、強烈な体験でした。
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