クラシック徒然草-シベリウス2番のおすすめCD(その1)-
2012 DEC 24 22:22:36 pm by 東 賢太郎
シベリウス2番の演奏でこのカヤーヌスによる解釈をさけて通ることはできない。
ロベルト・カヤーヌス(Robert Kajanus、1856-1933、写真)はシベリウスが現れなけれなければフィンランドの代表的作曲家だったであろう人だ。シベリウスが大作クレルヴォ交響曲を書いたのは、1890年のベルリン留学中にこのカヤーヌスがベルリン・フィルを振った自作の交響詩アイノを聴いて触発されたからである。
しかしそのカヤーヌスは、逆に9歳年下のシベリウスがヘルシンキ音楽院を卒業した1889年に作曲した弦楽四重奏曲イ短調を聴いて、自分がもはや国の第一人者ではないことを認めていたのだ。シベリウスの才能も凄いが、音大を出たばかりの若僧に負けを認めたカヤーヌスの眼力も凄かったことは後のシベリウスの作品群が見事に証明している。
カヤーヌスはその後ヘルシンキ楽友協会(フィルハーモニー)を設立し、その指揮者としてシベリウスの音楽を国外に広めることになる。後にシベリウスは代表作の一つ「ポヒョラの娘」をこのカヤーヌスに献呈している。
さて第2交響曲だが、初演の2年前、1900年にパリ万博(写真)が開かれた。当時フィン
ランドは未だロシアの統治下にあったが、ヨーロッパに高まるナショナリズムの後押しを得て「一民族」 として万博にパビリオンを建てて参加することになった。カヤーヌスとヘルシンキ・フィルもパリに招かれて演奏の場を得ることとなり、シベリウスも指揮の機会はなかったが副指揮者としてパリに同行した。演奏されたのは交響曲1番、フィンランディア、トゥオネラの白鳥、レミンカイネンの帰郷などだが、注目してほしいのはフィンランディアが政治的影響を恐れて 「ラ・パトリー(祖国)」 という名で演奏されていることだ。
このわずか2年後の1902年に初演された第2交響曲がこのようなナショナリズムの空気と無縁だったとはとうてい考えにくいだろう。
その2番の初演から28年の歳月を経た1930年、フィンランド政府と英国のEMI-Columbia社がシベリウスの1番と2番の交響曲の録音を企画した。このときシベリウスが指揮者として推したのが、2番の作曲中も多くの手紙をやり取りしていたカヤーヌスであった。右の写真が、そうして生まれたSPレコードから転写した、カヤーヌス盤のCDだ。
いわば作曲家による免許皆伝の演奏であり、このCDが2番のあらゆる演奏のレファレンスになることは疑いないだろう。
しかし問題がある。クラシックは作曲家の意図が音で聴けるケースはまれで、楽譜だけが手掛かりというのがほとんどだ。ところがその楽譜の「読み方」も時代とともに変わる。だから曲を覚えてからあらためて自演を聴くと驚くということがあるのだ。
たとえばこれだ。イーゴル・ストラヴィンスキーがN響で自作「火の鳥」の全曲を振った貴重な映像だ。指揮がシロウトくさいのはご愛嬌だが、問題はフィナーレの7拍子の弦のキザミだ。どうしてだ?と絶句してしまう。センセイ、あのスコア、そういうおつもりだったのですか?と頭が錯綜するばかりだ。
こっちは天才ピエール・ブーレーズがニューヨーク・フィルを振ったもの。フィナーレは同じ曲とは思えない。しかしながら、全編がすばらしいニュアンスと光輝に満ちた逸品である。大変申しわけないが、センセイ、こっちの解釈の方がぜんぜんいいですと言いたいのだが・・・・。
カヤーヌスのシベリウスはどうか。彼はプロの指揮者だから技術的な問題はない。しかし楽譜とじっくり比べると、やはりうーんという部分がけっこうあるのだ。
面白いことに、楽曲解釈の問題以前にこういう事実がある。カヤーヌスが「2番には愛国的意味あいがある」と言ったところ、シベリウスは「政治的なメッセージ性はない」 とそれを真っ向から否定している。僕は前述のとおりでカヤーヌスが正しいと思うので、失礼ながらシベリウスは真実を語っていないのではと思っている。
理由はわからない。フィンランディアと同じで、かわいい息子であるこの曲が国粋主義的とレッテルを貼られて政治に巻き込まれるのを嫌ったのだろうか。晩年、アイノラ山荘で暮らしたシベリウス(写真右)は世界中でラジオ放送された自分の曲はすべて熱心に聴いていたという。自作をとりあげてくれる演奏家にも好意的で、ストラヴィンスキーはカラヤンの春の祭典を酷評したが、シベリウスは自作の解釈者としてカラヤンもオーマンディーもほめている。フィンランド人ばかりが演奏して自国でだけ聴かれるという事態を恐れたということもあるかもしれない。
しかし、ほめられたのが2番かどうかは知らないが、カラヤンもオーマンディーも2番を録音しており、お互いにぜんぜん解釈が違う上に、免許皆伝のカヤーヌスと似ても似つかないのである。困ったものだ。
この2番という曲、非常に自己主張と説得力が強い。有無を言わさず聴き手をねじ伏せる名プレゼンテーションなのだ。だから、よほど技術に難でもない限り、誰がどういう風に演奏しても一応は 「ブラボー!」 となる。無神経な演奏をすると魅力が吹っ飛んでしまう4番や7番とはわけが違うのだ。わかりやすく言えば、これは 「フィンランドの忠臣蔵」 みたいなものであって、大根役者でさえなければ、大石内蔵助を誰が演じようと必ず泣かせてくれるのだ。ちなみに僕が一番好きなのは長谷川一夫のこれだ。
クラシックの同曲異演を聴くというのは、忠臣蔵をいろいろ見比べるのとなんら変わりはない。次回、本家本元のカヤーヌス盤をベースに僕の好きな2番のCDをご紹介する。
(続きはこちら)
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クラシック徒然草-フィラデルフィア管弦楽団の思い出-
2012 DEC 24 0:00:42 am by 東 賢太郎
フィラデルフィア管弦楽団は82-84年の2年間にわたって定期公演(金曜日のマチネ)を聴いた。当時
は、ブロード・ストリートとローカスト・ストリートの交差点にある「アカデミー・オブ・ミュージック」(右の写真)が本拠地だった。このホールはアメリカの威信にかけて1857年に建設されたアメリカ最古のオペラハウスである。まだロッシーニは生きていたしプッチーニが生まれる前の年だ。ドヴォルザークの新世界やガーシュインのパリのアメリカ人が初演されたニューヨークのカーネギー・ホールが1891年建造だからその古さがわかる。チャイコフスキー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーなどがここで演奏したという歴史的建造物だ。
中はこうなっている。しかし、問題がある。スカラ座を手本としたにもかかわらず、おそろしく残響がない。1~1.2秒ぐらいだろう。「イタリアのオペラハウスみたいにドライな音だ」(フリッツ・ライナー)、「音がすぐ消えてしまう。もっと気持ちよく伸びないと」(ピエール・モントゥー)、「音が小さいからクライマックスでパワーが得られない」(ヘルベルト・フォン・カラヤン)、「ここで録音はしたくない」(ユージン・オーマンディー)という具合だ。
1912年に音楽監督となったレオポルド・ストコフスキー(写真)、1938年になったユージン・オ
ーマンディが連綿と作ってきた華麗なオーケストラの響きは「フィラデルフィア・サウンド」として有名だが、それはこのホールが本拠地だったことと妥協しながら作られたと言われている。
ちなみに、僕とワイフの座席はチェロのすぐ前だった。トータルなオケの音響としてのバランスは最悪だったが、そのかわりにオケの内部で鳴っている裸の音が手に取るようにわかるので僕には最高に面白かった。
まず弦楽器からコメントしよう。このオケの弦は並み居る欧米強豪オケの中でもチャン
ピオンクラスのパワーと瞬発力がある。管楽器のカラフルな響きが特色のように思われているが違う。弦こそあのサウンドの土台だ。例えばウイリアム・ストッキング率いるチェロセクションは12人がおのおのコンチェルトのソリストみたいに身体をゆすり、松脂を飛ばしてガンガン弾く。僕も当地で1年チェロを習ったからよくわかる。プレストやアレグロでも音圧が強く、発音(アーティキュレーション)はくっきりし、楽器が胴体まで鳴りきっていて、それでも出てくる音はまるで一人で弾いているように聴こえる。このような神業が平然と行われていて、そのシンクロぶりたるやもうスポーツ的快感だ。コンマスのノーマン・キャロル率いるバイオリンセクションも基本的にこのチェロと同系の弾き方と音色だと思う。
対して、金管セクションはフォルテの音量、エネルギー感、音圧が日本のオケとは比較にならないほど巨大で音は派手め、明るめ。金管全体がフォルテで鳴ったときにドイツやイギリスと違ってピラミッド型ではなく高音部のトランペットが目立つトップへビーなバランスになる。というより、そう鳴らさないと音の減衰率の高いアカデミー・オブ・ミュージックでは、カラヤンの言うようにクライマックスが盛り上がらないのだ。トゥッティで指揮者はものすごく強大な音を要求する傍ら、エコーがない分、入りのズレがはっきり聴衆に聴こえるので、弦と金管の客席との距離の差から生じる時間差を考慮したキューイングにも気を使うだろう。この強力な弦(特に低弦)とパワフルな高音部を持つ金管のバランスが明らかにフィラデルフィア・サウンドのベースである。
そこで木管だが、ここにちょっと問題があるように思う。弦と金管に混ざってあのホールでうまくバランスして聴こえるには音量と音のエッジがどうしても必要だ。だからだろうか、音色のあでやかさがやや足りないように思う。趣味の問題に過ぎないが、ドイツやフランスのオケにある色香を感じない。技術はすごいのだが、音響の制約からそういう
もので勝負はできなかったのではないか。オーマンディー時代のフィラデルフィアのオーボエといえばジョン・デ・ランシーだ。24歳のころ、もう大御所だったリヒャルト・シュトラウス(右)を口説いてあのオーボエ協奏曲を書かせたツワモノであり、カーチス音楽院長時代にアメリカ嫌いのチェリビダッケを口説いて呼んできたのも彼だ。逆に、あの日、飛び込みで「入れてくれ」と口説きに来た、どこの馬の骨ともわからない僕にリハーサルの入場許可をくれたのも彼だ(僕のブログ クラシック徒然草-チェリビダッケと古澤巌-ご参照ください)。
そんなランシー先生に恩をあだで返すようなコメントはしたくないが・・・。名人揃いだけにオーマンディーもソロ部分はある程度奏者におまかせだったように感じる。例えばシベリウスの2番、僕が曲を覚えた思い出の旧盤(CBS)の第2楽章だが、オーボエとクラリネットの低音ユニゾンのピッチがおかしい。こういうこともある。先生、不調だったのだろうか。しかし、録りなおせばいいのだからこれは指揮者の責任だ。作曲家がほめたといわれるオーマンディーの演奏だが、シベリウスは自作を熱心に演奏してくれる人は皆ほめる傾向があったらしい。僕が聴いたムーティ時代の2年間は先生の次の人だったが、一度もいいと思ったことがない。悲しいが、自分に嘘はつけない・・・。
アカデミー・オブ・ミュージックでのフィラデルフィア・サウンドとはどういうものか。好例と
して、最近買ってこれこれと思ったCDがある。この「レスピーギ・アルバム」の1枚目にある「ローマの祭り」だ。エコーは電気的に入れたのではと思うが(絶対にこんなにない)、この弦や木管の音がまさにそれだ。なつかしい。松と噴水は2種類入っている。すごい!うまい!このローマ3部作、最高の演奏は文句なくトスカニーニだが、このオーマンディーはステレオの対抗馬だ。さらにイタリア人のムーティーも後年に同オケでこれを録れていて、それまた素晴らしいので困ってしまう。いかにこのオケのオハコかわかる。組曲「鳥」の木管の音程は完璧で名誉挽回。このアルバム、最高級の音楽が入っている。ぜひお聴きいただきたい。
(追記)
オーマンディーのレコードの録音場所はアカデミー・オブ・ミュージックではありません。AOMがどんな音かはこれをお聴きいただけばわかります。この田園交響曲は留学時に聴いたもののFM放送をカセット録音したものです。こういう曲のほうが弦の驚異的うまさがよくわかります。
(こちらもどうぞ)
クラシック徒然草-ファイラデルフィアO.のチャイコフスキー4番-
クラシック徒然草-ブラームス4番の最後の音-
2012 DEC 14 0:00:22 am by 東 賢太郎
中村勘三郎さんは歌舞伎の所作について、「先人がやってきた積み重ねだから何か意味がある。だから先人のやったとおりにやる。」と語っていた。彼の姿勢は僕が書いた「蕎麦型」の典型であり、英語のtraditionalismという言葉が近い。
人間のタイプ(そば型vsラーメン型)
このピシッと通った背筋あってこそ彼は型を破ることができたと思う。これは同じく古典芸能であるクラシック音楽にも通じるものがあるのではないか。
コンサートが終わると聴衆は拍手をする。僕は拍手の90%は常に作曲家への感謝としてしている。それがカラヤンだろうとリヒテルだろうと。カラヤンは実演を聴いて圧倒されたが、その感動のやっぱり90%ぐらいはブラームスの音楽に起因するのであり、10%はカラヤンの解釈行為というものによって音楽の秘めている魅力がより顕在化したという風に感じた。
カラヤンの才能は10年に1人ぐらいだろうがブラームスは1000年たっても出ないかもしれない。1:100なのだから10:90はフェアなんじゃないか、そう思う。そのぐらい名曲と言われるものを残した作曲家の才能は桁外れなのであり、クラシック音楽をちゃんと聴くという行為は、それを体感していくための地道なプロセスであると言いかえてもいい。
何年か前のこと、ロシアのゲンナディ・ロジェストヴェンスキーという指揮者が読売日本交響楽団を振ってストラヴィンスキーの火の鳥全曲をやった。これが名演奏で、耳の肥えた聴衆の拍手が鳴りやまず何度もカーテンコールされた。5、6回目に彼は指揮台のスコアを手にして 「私じゃないんです。このスコアを称えて下さい。」と言わんばかりにそれを高く掲げた。拍手は最高潮になった。指揮者が自分の「持ち点」である10%をひとえにスコアへの献身のために捧げたから名演奏が生まれたのだ。
ホロヴィッツのスカルラッティやラフマニノフに僕は敬意を表する。自身ヴィルチュオーゾだったラフマニノフが自分のピアノ協奏曲第3番の演奏を「あいつの方がうまい」と言って譲ったほどだ。しかし僕は彼のベートーベンやモーツァルトは聴かない。なぜなら聞こえるのはホロヴィッツであってベートーベンでもモーツァルトでもない。作品に資することのない技術や解釈を駆使した演奏というのは、安手のショーに過ぎないのである。
名前は伏せるが、ある非常に有名なマエストロにCDをいただいて後日感想を聞かせてほしいと頼まれた。次回お会いした時に「ブラームスの4番ですが、どうして最後の音を2倍に伸ばしているのですか」と質問し、お困りになったように「終結感のためですよ」と言われた(ある比喩を使われたがあまり適切な表現ではないので書かない)。
この第4楽章は4分の3拍子で、最後の音は「4分音符3つ」+「同1つ」と書いてあり、ティンパニ以外の楽器はこの「3つ」と「1つ」がタイで結ばれ、ティンパニだけは「3つ」がトレモロ、「1つ」は一発打ちである。ブラームスが曲をそれで終結させる意図だったことは、その「1つ」の後に四分休符がご丁寧に2つ書いてあることからして確実である。だからこの「3つ」を「6つ」に振るマエストロの解釈など100%あり得ないのである。
スコアを改変するので悪名高かったストコフスキーの最後のライブ録音はブラームスの4番だが、彼はエンディングをスコア通りに終わっている。ブラームスの4つの交響曲の調性、Cm-D-F-Emがモーツァルトのジュピター音型なのは有名だ。これほどの作曲家が自分の全交響曲を締めくくる大事な音をいい加減に済ますはずはないのであって、それを読み取れないような指揮者ではないということだ。彼がコンサートホールで最後に鳴らした音は彼の名誉を保全している。
せっかくサインまでしていただいたCDだったが、ショーに過ぎないマエストロのブラームスを僕が聴くことは2度とない。
クラシック徒然草-ドヴォルザーク新世界のおすすめCD-
2012 DEC 8 1:01:00 am by 東 賢太郎
僕が今好きなドヴォルザークというとチェロ協奏曲ロ短調、交響曲第7番、弦楽6重奏曲、ピアノ5重奏曲第2番、弦楽四重奏曲第10番あたりかもしれません。新世界は、実はこの稿を書くために何年ぶりかにCDを聴きました。ただ、ライブはたしか去年の秋にN響がブロムシュテットの指揮でやったのを聴きましたっけ(僕はAプロ会員)。いい演奏でしたが感動はもうなく、耳年増になってしまう悲しさを抱いて帰りました。新潟で大学生たちと会話して「知らないってうらやましいなあ」と心から思いました。これから未知のものを体験できる喜びは人生の宝です。
カレル・アンチェル / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
僕が中学時代に曲を覚えた演奏です。だから全音符がこの演奏で耳にインプットされています。ある方に新世界のブログはほとんど外で書いたと言ったら「ピアノなしでです
か?」と聞かれました。ピアノはどうせ弾けませんからいりません。その代りポケットスコアは時々持ち歩いていて、欧米出張では飛行機の中でスコアを「聴いて」いると気が紛れます。ヘタなCDを聴くよりいいです。自分で演奏できますから。でも三つ子の魂で、僕の耳で鳴るのはやっぱりこれなんです。チェコ音楽だからチェコ・フィルでというつもりはぜんぜんありませんが、チェコ語の新世界、いいですよ。アンチェルの指揮は筋肉質できりりと引き締まっていますが、このオケの木管の暖か味や弦のやや暗めでまろやかな質感も良く生かされ、何よりオケが「その気」になってます。
イシュトヴァン・ケルテス / ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
31歳の若造が天下のウイーン・フィルを自在に振り回した画期的記録でもあります。ショルティでさえもベートーベンで挑戦しましたが、楽員にあのガキ殺してやりたいと言われて討ち
死に。ほかに成功例というとシャイ―のチャイコフスキー5番しか僕は知りません(これも凄い名演です)。難攻不落のオケですが、若造でも火をつけさえすればこんな大変な演奏をしてしまう。この名門オケ、僕はヨーロッパで何度も実演を聴きましたが、ニューイヤー・コンサートのお上品な顔はヨソ行きのもので、実はもっと「肉食系オケ」なのです。ウイーンというのはドイツ語(ウイーン方言)をしゃべっていますがハプスブルグの首都ですから当然ハンガリー人、チェコ人も多い国際都市で、このオケはスラヴ、マジャール、ゲルマンの混血児です。血が騒いだときの熱さは半端でなく、弦の奏者の体を揺すった没入ぶりなど手に汗を握るばかり(あれを知ると真面目な日本のオケは「お役所交響楽団」に見えてしまいます)。その熱くなった好例がこの新世界と言えましょう。強弱緩急のメリハリが素晴らしく、Deccaの名録音もカラフルで第1楽章序奏のティンパニからしてもう耳がくぎづけ。新世界のカッコよさという側面を求める人にとって、これの右に出る演奏はありません。ケルテスは43歳でテル・アビブで海水浴中に溺死してしまいましたが、オケをやる気にさせる天才と思います。
ヴィトルド・ロヴィツキ / ロンドン交響楽団
僕が今じっくりと聴きたいのはこれ。交響曲全集(1-9番)ですがポーランドの巨匠ロヴィツキが全曲を素晴らしい録音で残してくれた幸運を感謝するのみです。最高の名演ばかりであり、耳の肥えた人は新世界だけでなくこの全集で買うことを強くお薦めします。今どき世界のどこへ行ってもこんなにコクと醍醐味のあるドヴォルザーク演奏ができる指揮者もオケもありません。
ケルテスがロマネ・コンティならこれは極上の大吟醸酒。新世界は洗練やスマートさなどかけらもありませんが、逆に本来そんな曲じゃない、土臭い音楽なんだよと古老に説き伏せられてしまう。「家路」のイングリッシュホルンも日本のオケより下手です。しかしこの演奏はそういう「うわべの綺麗さ」を求めてはいません。単に第2楽章として淡々とやっているだけ。新世界の看板メロディーだからとことさらに磨きを入れた人工甘味料みたいな味や、売上げを気にするレコード会社の顔色を見るような安物のメリハリや、日本のデパートが包装紙にこだわる「中身はともかく一見高そう」みたいなチープな姿勢がないのが実にすがすがしい。聴くべきは、ロヴィツキが作曲家の書き込んだ音楽の魂に全身で共感し、なりふり構わずそれをオケからえぐり出し、一期一会の燃焼でそれを記録しようという気概です。彼がどれだけドヴォルザークを、そして彼のスコアを敬愛していたか、言葉で聞かなくても僕はこの演奏でわかります。音楽を自分のショーマンシップのネタとしか考えない芸人のような演奏家とは人間の格が違うのです。そして、それが呼吸や間の良さやちょっとした減速、加速のもうこれしかないという味、楽譜の背後から読み取るしかない文化的、音楽的語彙、教養の豊かさで支えられ、演奏行為という形で「表現」されている。これぞ音楽の本質なのです。例えば第1楽章でブログに書いた「速度記号問題」をこれほど自然に説得力をもって解決している演奏もなく、もうこうべを垂れるしかありません。中欧の良き音楽を中欧の常識で何の衒いもなく堂々と誇り高く演奏しており、ロンドン響もどうしたことか非常に中欧的に鳴っています(フィリップス録音というのも幸運)。グローバル?なにそれ?ローカルでなんか悪いの?だってこれドヴォルザークでしょう?指揮者のそんな声が聞こえそうです。ちなみに5番、7番、8番も実にすばらしい。ほとんど聴かない1,2番まで耳を澄まして聴いてしまう。ロヴィツキさん、ありがとうございます。
追加しましょう(16年1月11日~)
アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団 (1953年2月2日)
イタリア人にスラブ音楽とはローマで中華料理を食うぐらい場違い感ありですが、人種のるつぼの米国なら何でもありなのです。記号化された音楽である(sheet music)楽譜からエッセンスのみを抽出する。ラーメンもスパゲッティも要は麺でしょということで。トスカニーニが7、8番でなくこれを振ったのは9番がmade in USAであり人気ナンバーでもあったからでしょうが、この曲の骨格が彼のアプローチに適性があったからでもあると思います。エッジの効いたリズム、決然と打ち込むティンパニによってボヘミア田舎料理風の第3楽章がベートーベン風ドイツ料理になり、軍隊の行進のように整然とパンチのきいた終楽章をきくと格好いいなあと男の血が騒ぐ。もうこの曲を真面目に聴きたいとは金輪際感じなくなってしまった還暦の僕を奮い立たせてくれる強靭な演奏であります。
ヨゼフ・カイルベルト / バンベルグ交響楽団
どうせなら思いっきりドイツ田舎料理にしてしちゃおう。見事なもんです。トスカニーニにはバドワイザーライト、これにはミュンヘンの地ビールです。このオケの母体はチェコでそれを南ドイツ人が振っている。第2楽章のなつかしさは我々日本人のハートをつかむ土くささがあります。スケルツォのダンスの田園風景。これはもう発酵食品ですね、実にいい味だしてます。アンサンブルも縦線に神経が行かないので疲れません。トスカニーニが北端なら最南端に位置するアンチテーゼといってもいいですね。昔は北端派だった僕も最近はこっちのほうがほっこりします。
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ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調 「新世界より」 作品95 (その1)
クラシック徒然草-ユージン・オーマンディーの右手-
2012 OCT 20 0:00:33 am by 東 賢太郎
「チャイコフスキーの交響曲第5番、バルトークの管弦楽のための協奏曲、ガーシュインのパリのアメリカ人とラプソディー・イン・ブルー、コダーイのハーリヤーノシュ、シベリウスの交響曲第2番、サンサーンスの交響曲第3番、メンデルスゾーン・チャイコフスキーのバイオリン協奏曲」
以上の名曲を僕はオーマンディー/フィラデルフィア管弦楽団のレコードによって初めて聴き、耳に刻み込みました。高校時代のことです。10年のちにそのフィラデルフィアに留学し、2年間この名門オケを定期会員として聴くということになり、不思議なご縁を感じざるをえません。そのオケに42年君臨したのが、ユージン・オーマンディーさんです。
はじめは名前も知らず、誰のユージンだ?ぐらいに思っていました。あとになって、友人だったかどうかはともかく、シベリウス、ラフマニノフ、ショスタコーヴィチ、バルトークなど大作曲家との交流があったことを知りました。また、「ファンタジア」や「オーケストラの少女」で有名な大指揮者ストコフスキーの後任であり、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ゼルキン、アラウ、ロストロポーヴィチ、スターン、オイストラフなど音楽史を飾るソリストと競演した、20世紀を代表する大指揮者のひとりです (写真はSony Classical Originalsより、左・オーマンディー、右・ショスタコーヴィチ)。
僕がフィラデルフィア管弦楽団の定期会員だった1982-84年はリッカルド・ムーティーに常任指揮者のポストを譲ったあとで、すでにご高齢だったオーマンディーさんは定期に数度しか現れませんでした。もう一回指揮予定があったのですが、たしかベートーベンの田園とシベリウスの5番だったか、ドタキャンになりました。残念でなりませんでした。しかし、その理由は、その1回だけ実現した演奏会の終演後に知ることとなりました。
その演奏会、プログラムは前半がチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、後半が交響曲第5番。あいだにインターミッション(休憩)が入ります。前半も後半もオケが鳴りきった立派な演奏で、このコンビがチャイコフスキーを長年オハコにしてきた様子がよくわかりました。ただ、休憩が終わっても後半がなかなか始まらず、30分以上遅れてしまったことがどこか気になっていました。
証券マンの図々しさで、僕はいろいろな演奏会で終演後の楽屋に侵入しています。この時ももちろんです。係員の女性に止められましたが、
「どうしてもマエストロに会いたいのです。日本で彼のレコードで5番を覚えたので。」
などと随分身勝手なことをいうと、そこはアメリカ人の懐の深さで 「そうですか、それはいい機会ですね。ではどうぞ (OK,come in ! ) 」 となりました。このとき、歩きながら彼女が開演が遅れた理由をこっそり教えてくれました。
「でも先生も困ったもんですわ。今日はコンチェルトが終わると、それで終わりと勘違いして家に帰っちゃうんですもの」
なるほどそうだったんですか。でも先生、後半の5番の指揮は完ぺきでしたね。すべてのフレージングやポルタメントが、そうこれこれ、とうなずくほど僕の耳にこびりついている、まさにあなたのものでした。チェロの前の最前列から見させていただいたかくしゃくとした指揮姿、忘れることはありません。
おそらくこれが最後からン回目ぐらいの指揮だったでしょう。先生が亡くなったのはその2年後の1985年でした。

楽屋で先生は奥さんとご一緒で、突然の闖入者も意に介さず上機嫌。オー、よく来たなという感じでした。「僕は日本が大好きなんだよ。みんな優しいし、ごはんもおいしいしね。」 とお茶目で元気いっぱい。僕と握手した時間の5倍は僕の家内の手をしっかり握っていました。そのかたわらから僕は「先生のレコードで・・・・」、 これはあまり聞こえておられなかったようです。サインをもらって満足してしまいました。ああ、もっと話を聞いておけばよかった・・・・。
先生の右手はコロッとしていて肉厚で、西洋人としては小さめでした。今でも感触をはっきりと覚えています。
この写真を見ると、すごい、俺はシベリウスやラフマニノフと握手したんだ!
いや、AKB握手会になってしまいました。
(こちらをどうぞ)
クラシック徒然草-チェリビダッケと古澤巌-
2012 OCT 4 15:15:09 pm by 東 賢太郎
アメリカの2大音楽学校にジュリアードとカーチスがあります。
僕がウォートンでフィラデルフィアにいたころ、今は大御所であられるバイオリニストの古澤巌さんがそのカーチス音楽院に文部省国費留学生として学ばれていました。僕は27歳、彼は20歳ぐらい。こっちは音楽がメシより好き、彼は日本メシが食べたい(たぶん?)で拙宅に名誉家族待遇でご自由に出入りされてました。よくバイオリンも弾いてもらいました。リクエストしてモーツァルトの3番とかイザイのソナタとか。
ある日の朝、彼から電話。「東さん、今日チェリビダッケが来ます。来れますか?」「何!」 行かないわけありません。講義は急きょ全部すっぽかし。彼の手引きで校長(元フィラデルフィア管弦楽団のオーボイスト)のデ・ランシ-先生にご挨拶。お許しを得てカーチス音楽院に出席となりました。チェリ先生の講義を一日聴講しました。これが本当に講義だけで楽器なし。音楽というより哲学。ピアノをポーンと1音鳴らしてWhat is the differnce between tone and music? なんて聞く。10代の学生たちはぽかーんとしています。やばい、俺があてられたらどうしようと身構えてしまうほど緊張感がただよいました。
翌日は楽器あり。オケは舞台にスタンバイ。僕は誰もいないホールの特等席で世界のチェリビダッケを独り占め。夢見心地とはこのことです。ところが、現れた先生とあろうことかばっちり目が合ってしまった。「なんやお前は、出ていかんかい!」一喝されそうな空気。心臓がばくばくになりました。しかしスコアを持っていたのが幸いしたのか関係者かなにかと勘違いされたのか、何事もなく先生は指揮台へ。よかった。
ドビッシーのイベリアでした。学生たちはピリピリ。こわもてオヤジ
の圧倒的な威圧感で笑顔もジョークも一切なし。ちょっと流してすぐ止まる。トロンボーン三重奏が気に食わなくて何度も何度も繰り返し。まだ駄目。3人立って吹け!まだ駄目。どうしてできないんだ(怒り)!3人楽器を置いて口で歌え!OK、できるじゃないか。それを楽器でやるんだ。こういう練習風景でした(その時の写真、ウイキペディア)。
実演はカーネギーホール。これは聴けませんでしたが、幻の大指揮者チェリ先生のこの公演は全米で有名になり、そのときの様子はウイキペディアにも載っています。古澤さん、ありがとう。
(以下、「チェリビダッケ」より引用)
「アメリカには、1984年に、フィラデルフィアのカーティス音楽学校の校長だったジョン・デ・ランシーの要請で、当校で指揮を教えた。そして、当校学生オーケストラを連れてカーネギーホールで開いたコンサートは、あまりにも素晴らしく、ニューヨークの音楽界に衝撃を与えた。ニューヨーク著名の音楽評論家ジョン・ロックウェルは「いままで25年間ニューヨークで聴いたコンサートで最高のものだった。しかも、それが学生オーケストラによる演奏会だったとは!」とのコラムを掲載した[2]。」
(こちらもどうぞ)
クラシック徒然草-タンホイザー(東版)-
2012 SEP 27 14:14:59 pm by 東 賢太郎
作曲:リヒャルト・ワーグナー (パリ版)
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク
演奏:メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
出演:タンホイザー…リチャード・キャシリー(テノール)
エリーザベト…エヴァ・マルトン(ソプラノ)
ヴェーヌス…タティアーナ・トロヤノス(メゾ・ソプラノ)
ヴォルフラム…ベルント・ヴァイクル(バリトン)
ヘルマン…ジョン・マカーディ(バス)
収録場所:メトロポリタン歌劇場《1982年収録》 収録時間:約3時間9分(2枚組)
写真はディアゴスティーニから出ているDVDオペラ・コレクションで、1990円と非常に安価です。まだ市販されているかどうか知りませんが、見つけたら迷わずご購入をお奨めします。
このDVDになっている公演が僕の人生初オペラです。留学中の1983年、妻とこのメトロポリタン歌劇場でした。当時オペラなどというものに縁がなく、ニューヨークの先輩の家に遊びに行ったおりに何気なく買ったチケットでした。度肝を抜かれました。これをごらんになればわかっていただけると思います。
ワーグナーの歌劇ではナイフで刺されたりもしないのに人が平気で死んでしまいます。歌合戦(今ならカラオケの得点?)で娘の婿を選ぶ親というのも常軌を逸している。サラリーマンのくせに愛欲の日々を過ごしていたタンホイザーがクビにもならずにその歌合戦に堂々と出場してしまうところなど、まじめに取り合うと発狂しかねないストーリー満載です。
にもかかわらずこれをお奨めするのは、いい音楽、いい演出だからです。初めから終わりまで文句なしの大名曲。第2幕の大行進曲の合唱など一度覚えたら一生病みつきになることうけ合い。第3幕の巡礼の場面は今でも覚えているぐらいの衝撃シーンでした。第1幕、シルエットだけのビーナスのエロチックな踊りも見たら忘れませんよ。
ワーグナーのオペラ(彼は楽劇と呼べと言ってますが)で誰が聞いてもわかりやすく、覚えやすいのはタンホイザーで決まりです。これを聴いてどこかひとつでも「いいね」と思った方は、全部で16時間かかるニーベルンゲンの指輪という魔界の森にいずれお入りになることでしょう。
クラシック徒然草-紀尾井シンフォニエッタ-
2012 SEP 22 22:22:38 pm by 東 賢太郎
今日は14時より紀尾井ホール。ピノック指揮でモーツァルトのリンツ、クラリネット協奏曲(Cl協)、交響曲39番を聴きました。
全部好きな曲です。このホールもオケも指揮者も初でした。僕は古楽器演奏が大嫌いでバイオリンがノンビブラートでキイキイいうと鳥肌が立ちます。リンツはそれに近い音。弦は8-6-6-4-2なので管がやけに目立つ。ベートーベンの第1交響曲の初演評で「ブラバンみたいだ」とあったらしいが、この編成だとわかります。
ピノックは古楽の第一人者で有名人です。僕もCDをもっています。リンツの最後のアッチェレランド。こういう安手の演出はいらない。曲がよくできているので。CL協の独奏はメッシーナという人。楽器の調子が悪い。第2楽章でテーマの2回目をピアニッシモで吹く新機軸。アレグロはどうもリズムが先走ってしまう。ソロが休んでもオケにその癖が残ってどうもフレージングが落ち着かない。なんていい曲だろう。それだけ。
39番。僕の最愛曲のひとつ。1階席後方でアメかなにかをむくパリパリシャリシャリの音。いやに長い。苦戦しているらしい。いや、音もでかい。2階席にこれだけ聞えるとは。大判の手焼き煎餅でも取り出そうとしているのだろうか。やれやれ、音楽はどうということなく終わった。真っ先にホールを出る。このチケットがあったので同じく14時開始の横浜スタジアムへ行かなくてすんだ。深謝。
僕はモーツァルトが好きです。魔笛とレクイエムの自筆楽譜のコピーが欲しくなって、それを買うだけのために1人でウイーンへ行ったほどです。そのとき、僕はそういうことをまったく信じないのですが、心霊現象(と言うしかない)ことがあり、やっぱりモーツァルトは大事にしようと決めています。ウイーンはたぶん10回ぐらい行っていて、そのたびにモーツァルトが死んだ場所に行きます。墓がないので仕方ありません。
クラシック徒然草-カラヤンとプレヴィン-
2012 SEP 16 19:19:49 pm by 東 賢太郎
きのうN響のAプロでアンドレ・プレヴィンさんのマーラー9番を聴きました。マーラーは僕の守備範囲ではないので演奏コメントは控えます。
1984-1990年のロンドンでいろいろな演奏家を聴きました。大陸から空路入ってすぐロイヤル・フェスティバル・ホールで演奏会というケースがままあり、交通事情で開演が遅れることがあります。カラヤンとプレヴィンがそうでした。
カラヤンは1時間ぐらい。じっと待たされました。プログラムはシェーンベルグの浄夜とブラームスの交響曲第1番。これはCDとなって市販されていて、そのジャケットには若き日の僕と家内がカラヤンの後ろの客席に写っています。
一言のお詫びも挨拶もなくそれは始まり、圧倒的な迫力で終わりました。
さてプレヴィンです。オケはウイーンフィルで曲はハイドンの交響曲など。30分ぐらい遅れて団員が出てくると、なんと、みんな私服ではないですか。ジーパンのバイオリニストもいます。もちろん指揮者のプレヴィンも。
Ladies and gentlemen!後ろを向いた指揮者の声に、会場がしーんとします。
「お待たせしました。飛行機が欠航になり、船で急いで来ました。しかしあいにくスペースがなくて一部の荷物は次の船になってしまいました。そっちの船に燕尾服を乗せるか楽器を乗せるかで我々は喧々諤々の議論をし、皆様には不幸なことに、燕尾服を乗せるという結論になってしまいました。」
会場、爆笑と大拍手。いいハイドンでした。
クラシック徒然草-僕の音楽史-
2012 SEP 14 14:14:33 pm by 東 賢太郎
僕の一番古い記憶は、親父のSPレコードを庭石に落として割ってしまったことです。2歳だったようです。中から新聞紙 ? が出てきたのを覚えています。ぐるぐる回るレコードが大好きでした。溝の中に小さな人がはいっていて音を出していると思っていました。
これが昂じたのか、僕はクラシック音楽にハマった人生を歩むこととなりました。作曲や演奏の才がないことは後で悟りましたから聴くだけです。就職した証券会社では、大阪の社員寮に送ったはずの1000枚以上のLPレコードが誤って支店に配送されてしまい、入社早々大騒ぎになったこともありました。
転勤族だったので国内外で24回も引っ越しをしました。そのたびにLP、テープと5000枚以上あるCD、オーディオ、ピアノ、チェロ、楽譜がいつも我が家の荷物の半分以上でした。この分量はクラシックが僕の57年の人生に占めてきた重みの分量も示しているようです。
僕がお世話になった証券業界では僕は変り種でしょう。この業界は オペラのスポンサーはしても社員オーケストラをもつような風土とはもっとも遠い世界の一つです。それでも僕が楽しくやってこれたのはひとえに海外族だったからです。アメリカ、イギリス、ドイツ、スイスに駐在した13年半に、僕はもう2度と考えられないほどの濃くて深い音楽体験をさせてもらいました。
そういうとやれ「カラヤンを聴いた」「バイロイトへ行った」という手の話に思われそうですが、そうではありません。僕はそういうことにあまり関心がなく、書かれた音符のほうに関心がある人間です。たとえば、同じ夜空の月を見て「美しい」とめでるタイプの人と「あれは物体だ」と見るタイプの人がいます。僕は完全に後者のほうです。文学でなく数学のほうが好き。文系なのに古文漢文チンプンカンプンというタイプでした。
高校時代はストラビンスキーの春の祭典、バルトークの弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽(通称、弦チェレ)みたいなものにはまっていました。特に春の祭典は高2のころ1万円の大枚をはたいてスコア(オーケストラ総譜)を買い、穴のあくほど眺めました。この曲は実に不思議な呪術的な音響に満ちていて、それがどういう和音なのか楽器の重ね方なのかリズムなのか、全部を自分で解析しないと気がすまなかったのです。
弦チェレの方は、第3楽章です。ちょっとお化けでも出そうなムードですね。フリッツ・ライナーの指揮するレコードで、チェレスタが入ってくる部分。この世のものとは思えない玄妙かつ宇宙的な音響。なぜかこの演奏だけなんですが。敬愛するピエール・ブーレーズも含めてほかのは全部だめです。これもスコアの解析対象となります。
時が流れて、僕はフランクフルトに住みました。その家はメンデルスゾーンのお姉さん(ファニー)の家の隣り村にありました。そう知っていたわけではなく、たまたま住んだらそうだったのですが。彼はそこでホ短調のバイオリン協奏曲を書きました。あの丘陵地の空気、特に彼がそれを書いた夏の空気をすって生きていると、どうしてああいう第2楽章ができたのかわかる感じがします。あそこを避暑地に選んだ彼と、その場所が何となく気に入った僕の魂が深いところで交感して体にジーンと沁みてくるような感覚。うまく言えませんが、かつてそんなことを味わったことはなかったのです。
こういう感覚は、大好きで毎週末行っていたヴイ―スバーデンという町でもありました。ブラームスの交響曲第3番です。もういいおっさんだった彼はここに住んでいた若い女性歌手に恋してしまい、ここでこの曲を書きました。彼としては異例に甘めの第3楽章はその賜物でしょうが、むしろそれ以外の部分でもこの町の雰囲気と曲調が不思議と同じ霊感を感じさせるのです。この交響曲はこのヴイ―スバーデンとマインツの間を流れるライン川にも深く関係しています。
シューマンの交響曲第3番とワーグナーのニュルンベルグの名歌手第1幕への前奏曲。この2曲はそのライン川そのものです。すみません。どういう意味かというのは行って見て感じてもらうしかありません。このシューマンの名作は後世にライン交響曲と呼ばれるようになりました。シンフォニーのあだ名ピッタリ賞コンテストがあったらダントツ1位がこれです。
名歌手は全部ライン川で書かれたわけではありません。でもあのハ長調の輝かしい前奏曲はヴイ―スバーデン・ビープリヒというライン川べりで書かれたのです。ワーグナーの家は水面にちかく、滔々と悠々と流れるラインが自分の庭になったような錯覚すらあります。太陽がまぶしい秋の朝、目覚めて窓を開けると眼前に滔々と流れるライン川、そこにバスの効いたあの曲が流れる。僕の理想の光景です。
こういう経験をして、僕はだんだんとお月様を見て「美しい」と思う感性も身についてきました。物体だ、という感性が消えたわけではなく、少しはバランスのとれた大人のリスナーに成長できたということでしょうか。基本的にはロマンチストなので、ボエームやカルメンを涙なしに聴き終えたことはないし、ラフマニノフの第2交響曲を甘ったるい駄作だなどとは全く思いません。
しかしメンデルスゾーンのジーンとした感じは、涙が出るとか甘いとかそういう次元の話ではありません。泣くというのは作曲家が仕掛けた作戦にまんまとはまっているということです。そうではなく、作曲家がそういう作戦を練る前の舞台裏で、一緒に昼飯を食ったというイメージなのです。どうも話が霊媒師みたいになってきました。
ところで今、心を奪われているのがラヴェルです。音楽を書く手管、仕掛けのうまさという意味でこの人は最右翼です。もちろん、どの作曲家も聴き手を感動させようと苦労し、手練手管を尽くしています。そうでないように思われているモーツァルトの手管はパリ交響曲について書いた彼の手紙に残っています。しかしラヴェルはその中でも別格。うまいというより、彼は手管だけでできたみたいなボレロという曲も書いています。もうマジシャンですね。ドビッシーと比べて、そういう側面を低く見る人もいます。
僕も、そうかもしれないと思いながら、聴くたびに手管にはまっているわけです。ダフニスとクロエ。このバレエ音楽の一番有名な「夜明け」を聴いて下さい。僕は2度ほどギリシャを旅行してます。あのコバルトブルーの海に日が昇るような情景をこれほど見事に喚起する例はありません。音楽による情景描写というのはよくあります。しかしこれを聴いてしまうと他の作品は風呂屋のペンキ絵みたいに思えてしまいます。そのぐらいすごい。手管だろうがペテンだろうが、この域に達すると文句のつけようもないのです。
僕のラヴェル好きは高校時代にはじまります。春の祭典と同じ感覚で。両手の方のコンチェルトの第2楽章、ピアノのモノローグを弾くのは今でも人生の最大の喜びの一つです。もう和音が最高。ダフニスと同じコード連結が出てくる夜のガスパール第1曲も(これは弾けません)。バルビゾンの小路に似合う弦楽四重奏の第1楽章。僕にとって、ヨーロッパの最高度の洗練とはラヴェルの音楽なのです。
あれもいいこれもいい。 50年も聴いてくるとこうなってしまうのです。しかし50年たっても良さがわからない有名曲もたくさんあります。最後は好みです。もう今さらですから、ご縁がなかったとあきらめることにします。好きな曲は何曲あるか知りませんが100はないと思います。50-60ぐらいでしょうか。
これから、時間はかかりますが、1曲1曲、愛情をこめて、なぜ好きか、どこが好きかを書いていきます。これは僕という人間のIDであり、作曲家たちへの心からの尊敬と感謝のしるしです。読んで聴いて、その曲を好きになる方が1人でもいれば、僕は宣教師の役目を果たしたことになります。聴かずして死んだらもったいないよという曲ばかりです。必ずみなさんの人生豊かにしてみせます。ぜひお読みください!








