音楽のテレワーク
2020 MAR 31 23:23:20 pm by 東 賢太郎
さっきBSプライムニュースで共産党・志位委員長の話をじっくり聞いた。普段こう言っては何だけど共産党の意見はあまり真剣にとりあってなかったが、自分の言葉でびしっと語られるのは傾聴。現在の状況分析と政策提言は正攻法で説得力があった。
ところで、番組で志位氏が紹介していた新日本フィルの「テレワーク」。興味があったので試聴してみた。
新日本フィルの皆様
ブラボー!素晴らしい!舞台では見えないひとりひとりの表情がいいですね。演奏会できなくて辛いでしょうが、われわれ聴衆も気持ちはひとつです。クラシック音楽を愛する者として来る日を心待ちにしております。
そうしたら大分に帰省されている広津留すみれさんからメールをいただいて、ご自身のyoutubeでやはり楽しいテレワークを聴かせてくれました。
すみれさん、ありがとう。暗い気持ちが一気に晴れました。音楽のパワーは無限だね。いま東京は危ないから来ない方がいいけど、落ちついたらまたお寿司いきましょう。
ドイツのモニカ・グリュッタース文化大臣のメッセージです。
文化は良い時にのみ与えられる贅沢ではありません。暫くの間、文化なしで済まさなければならない状況に置かれたとしたら、その喪失感の大きさはどれほどのものでしょうか。私は彼らを失望させません。私たちは彼らの思いを受け止め、文化とクリエイティブのセクターのために支援と財政面でのサポートを確実に実行するため力を尽くします。
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ケーゲルのモーツァルト40番のテンポ
2020 MAR 9 9:09:17 am by 東 賢太郎
ひき続きケーゲルを探してきく。もう一枚、東ドイツ革命のpilz盤があった。ジャケット裏に「16 Sept 90」と書いているからロンドンから異動になった直後に日本で買っている。前稿で「ロンドンで・・」と書いたのは訂正。ケーゲル氏が2か月後にピストル自殺することをまだ知らない。
第一印象。モーツァルト40番Mov1にホルンの派手なミスがあって、いきなりアウトだ。こんなものをスタジオ録音で出すはずがない。しかし拍手はないしライブの記載もない。ベルリンの壁のごたごたで作った粗悪品だ、騙されたと思いそれ以来CD棚でお蔵入りとなってしまった。
Mov1はどれを聞いても今一つ心に迫らないというのが、驚くべきことに、今に至る僕の40番の印象で、どれを聞いてもそうなのだからこの曲はそんなものという一抹の苦手意識すらあった。
モーツァルト好きが40番を知らんとはあるまじきことなんだろう。でも英国経験主義を信奉するとはそういうことなのだ。よって、ここに書いた通り「正直のところまだそれを乗り越えたという実感がないのです」(モーツァルト交響曲第40番ト短調 K.550)であり、そこから6年後の今も変わっていない。
それがこの不良?CDでいま気がついた。
高校当時、評論家のチョイスはそろってワルター盤であった。これ以外を推すのは異端の観すらあり、どうしても自分の耳との齟齬がぬぐいきれなかった。だからブログでは筆頭に挙げながら「トータルに見て言い切るほどの自信はありませんが」と軟弱なスタンスに終わっている。
テンポが遅すぎたのだ。この楽章は「モルト・アレグロ」である。メトロノームで測るとケーゲルはニ分音符が116ほどだ。おそらく現代の耳ではどなたにも速く聞こえるだろう。そうなのだろうか?速すぎなのだろうか?
この疑問を解く実験ができる。ジュピターのMov4にもモーツァルトは同じく「モルト・アレグロ」と書いている事実がある。彼がテンポに厳格だったのはこう書いていることで分かる。
「音楽でもっとも必要不可欠のもの、いちばんむつかしいもの、とくに大事なもの、それはテンポです」(モーツァルト、1777年10月24日の父への手紙)
ジュピターMov4と40番Mov1は、モーツァルトの頭の中では同じ速度である。前者をニ分音符116で振れば、多くの人はやや遅めと感じるのではないか(ご自分で試していただきたい)。したがって、三段論法で、ケーゲルの40番Mov1は速くないという結論が導かれる。
ちなみに、大阪モーツァルトアンサンブルの武本浩氏のブログによると、モーツァルトに2年師事したフンメルが40番を四重奏に編曲した楽譜のMov1は、ニ分音符108である。上掲稿に貼ってあるケルテス / ウィーン・フィルがちょうどそれだ。
フンメルの耳と自分の耳と、どちらを信じるかだ。いまもケルテスは諸条件を勘案してベストかもしれないと思うが、ケーゲルを聴いて、これが自分の耳ではさらに正しいと思ってしまった。116はフンメルより速いけれど、108ではジュピターは遅いことも傍証だ。
このテンポを知ってしまうと、ワルターは40番を素材に自身のモーツァルト像を世に提示したのだと見えてくる。彼のコロンビアとのステレオ録音は、いってみればどれもそうなのだが、そうすることで彼は究極の目的として「自画像」を描いて後世に残そうとしている。
僕は彼の自画像に敬意を表したいが、彼のモーツァルト像は共有しない。どちらもモーツァルトに会ったことはない。平等だ。テンポやポルタメントのせいでそう考えるのではない、そういう「現象」を包含して、すべての残された情報から包括的に作曲家をどう把握、認識するかである。
その認識が個々人で違うのは情報の問題ではなく、それを鏡面として映し出される「自画像」の違いだ。クラシック音楽は永久不変の鏡であり、自分が実はどういう人間かを有無を言わさずあぶりだす。結論は、僕という人間は、ブルーノ・ワルターよりもヘルベルト・ケーゲルに近い側面を多く持つということだ。
これがその演奏だ。ライブだろうが日付の記載がない。オーケストラの技術がいまひとつであるのは既述どおり。眼光紙背に徹する棒ながら風を切って進み、一筆書きの風情があるという名人芸を聞き取るには僕はまだまだ若かったということを知った。
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ヘルベルト・ケーゲルのCDを発掘
2020 MAR 8 1:01:45 am by 東 賢太郎
なぜかマーラー1番が目に入った。23枚ある。なぜかヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニーをとりだした。いつもこうやってふらっと地下に来て、何にするかは決めてない。CD棚を見渡してテキトーにかける。ホテルのバイキングの朝飯の感じだ。なぜケーゲル?まったくわからない、なんとなくいくか?という気になった。縁だ。そうでもなきゃ一生ここに埋もれさせたかもしれない。
「巨人」だけは好きだ。つきあいが長く思い出も深い。何百回もきいてるだろう、こうなると曲に年輪ができて若い頃のあれやこれやが浮かんでくる。これ、買ったのロンドン時代かな、一度かけてそれっきりだったんだろう、当時は装置も部屋もしょぼかったから真価がわからず、今の装置だとあれっ?となるのがけっこうある。
案の定いい音だ。めちゃくちゃいいではないか。じゃあベートーベンの交響曲全集はどうだ?これがまた最高!3、1、5、4、9番を立てつづけにいってしまう。細かいことはいいだろう、ドイツのがっちりした正統派だ。幻想交響曲はどうだ、すばらしい、鐘が見事に忌まわしい。そしてブルックナー8番を見つけた。こいつは東ドイツ革命なんてデーンと書いてあって「ベルリンの壁」直後のCDだぞ、ロンドンで買ったんだろうが記憶がない。値札があるがもうインクが滲んで読めない。僕はブルックナーはつねに大音量でいきたいが新しいの
にダメな録音もある。これはいける。というより圧倒的なエネルギー感で演奏も映える。
CDはここ数年増えてない。もうあんまり興味なくなってきた。それでも1万枚ぐらいあって、全部聴くことはないだろうが自分史という意義もあるから捨てられない。1度しか聞かなくてもいつどこで買って演奏、録音の好悪ぐらいは覚えていたものだが、最近は悲しいことにこんな塩梅で意義も薄れてきた。しかし、だんだん忘れていくといいこともあって、こうやって初物を発掘した感動を味わえる。どんどん増えて、いずれぜんぶ新品なんて結構なことではないか。
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E.T.Aホフマン「牡猫ムルの人生観」
2020 FEB 29 0:00:47 am by 東 賢太郎
序論
世の中は新型コロナで騒然としてきた。僕はウィルスのメカを医師に教わったり本やネットで調べたり、大昔からそういうことが好きであり、その結果で腑に落ちた世界観に忠実に2月から行動してきたのがコロナの一連のブログだ。世間がいまさらになって何を騒いでるかなんてことにはからっきし興味がない。唯一あるとすると、KOVID-19が特異だということだ。ウィルスはこわいし徹底して忌避しているが、それはそれとして、ぎょしゃ座エプシロンの伴星ぐらい知的好奇心を喚起されるものがある。この星に子どもの時からずっと興味があるが行ってみたいとは思わないのと一緒である。
人も物事も、齢65にもなると大事なのは興味あるかどうかだけだ。それは、僕の場合は「特異かどうか」なのだ(特異点さがしこそ僕の本質)。「特異」の意味を定義しておくが、「普通でない」ということだ。ではまず普通とは何か。ここでそれを表す日本語が少ないことに気づく(古語だと「つね」)。英語はcommon、usual、normal、average、ordinaryなど盛りだくさんだが、それらの否定語がすべて、ニュアンスの異なる「普通でない」になる。僕の言う「特異」はそのどれでもないからそもそも特異なのである。では何かというと、ある一点をもって偏差値80以上ほどのスペックが明確にあり、そのことが奇異だという、なにか秘境を見つけたようなワンダフルな特別のエモーションを喚起するものであって、英語はそれに対し、普通の否定形でない独立の形容詞を用意している。それはeccentricだ。
言葉は民族の感性と思考が生む。日本人は普通に重きを置かず西洋人は置く(だから分別する語彙が豊富)が、それはそもそも人間に同じ人はいないというギリシャ的視点からは同質の集団が珍しく、名前を付けて区別する動機があったからで、逆に日本人は人間は(庶民は)同質で、いわば羊が不加算名詞であるに似て、区別する動機がなかったから語彙が少ないのだと思う。西洋はその反作用として「普通でない」ものの普通でなさを細かく認識する語彙も豊富になったという気がするのだ。日本ではそれは「変な」「妙な」「けったいな」で感情的に否定して思考停止で終わってしまい、主知的な観察は放棄してしまう。つまり、根っから異質を嫌うそういう民族だということが語彙で分かる。
eccentric(エキセントリック)を多くの日本人は否定的な形容詞と思っているだろうが、むしろとんがった所を肯定するニュアンスだってある。ところがそれをうまく表す日本語がない、だからそういうことになるのである。僕においてはクラシック音楽は、常人が書けるものではないeccentricな音楽であり、したがって、そう定義した非常にピンポイントな意味において「特異」である。そう書きながら自分で馬鹿だと思うのは、特異な曲しかクラシックとして残らないトートロジーではないかと感じるゆえだ。つまりそれは長い時を経て西洋人が、それもとんがりを「なにか秘境を見つけたようなワンダフルな特別なエモーションを喚起するもの」として愛でることのできる美的素養、教養のある人たちが愛好してきたものだけのクラスターだ。だから「クラシック音楽」というジャンルは一曲一曲、特異を生むわくわくするような秘密があるのあり、僕のような習性の人間には楽譜を解剖してそれを解き明かす無上の喜びの宝庫である。
そのことは音楽だけでなく人間にも当てはまる。クラシックにまつわるすべての人物の内でもとりわけ特異な男がいる。eccentricだがもちろんその言葉のポジティブ・サイドの極だ。作曲家はみなとんでもない男ばかりだが、格別に特異であるのが本稿の掲題ホフマンである。能力というもの泣いても笑ってもアウトプットしたものでしか他人にわかりようも認められようもがないが、この男のそれは質も量も巨大だ。量だけならワーグナーに軍配が上がるが、それは音楽いち教科のこと。ホフマンは三教科で全部80越えだから異質の異能、二刀流どころか三刀流の達人であり、僕にとってあらゆる角度から興味を引く人間の最右翼である。いま邦訳で手に入る彼の小説を片っ端から読んでいるところだ。
(1)法律を学んだ音楽家たち(才能の二面性について)
E.T.A.ホフマン(1776 -1822)は法律家の家に生まれた。彼がどういう人であったはわかりずらい。ケーニヒスベルクの陪席判事、プロイセンのワルシャワ市首席行政官、バンベルグの劇場支配人、ライプツィヒの音楽新聞の評論家、プロイセン大審院判事というところが給金を得るための公の職業であったが、後世は彼をまず幻想文学の小説家として、次にくるみ割り人形、コッペリア、ホフマン物語の原作者として、そして、作曲家ロベルト・シューマンに文学的影響を与えたマイナーな作曲家として記憶している。僕はというと、オペラ、宗教曲、交響曲、室内楽、ピアノ・ソナタが200年後にCDになっている人類史上唯一の裁判官として評価している。大酒飲みでパラノイアであり、反政府の自由主義者としてメッテルニヒに処分されそうになったが、うまく逃れてベルリンで梅毒で死んだ破天荒の男だ。
彼の「公の職業」はパンのためで、ライフワークは文学、なかんずく音楽であった。著名な音楽評論家でもあって、Allgemeine musikalische Zeitung(総合音楽新聞)の執筆陣に名を連ねている。この新聞は最古の楽譜出版社で今に至るブライトコプフ・ウント・ヘルテル社(https://mag.mysound.jp/post/491)のオーナー、ヘルテルらがドイツを中心とした音楽界の事情を発信するメディアとして立ち上げたものだ。19世紀になると作曲家は楽譜を印刷して収入を得ることで自立の道が開けた。そのため彼らは出版社と運命共同体であり、出版社は新聞に識者による評論を掲載して彼らの新作をプロモートし円滑に売ることができる。その良好な関係がワークするには執筆陣の質的な優位性はもちろんだが、同時に中立性が求められた。同紙が「御用新聞」でないことは、例えば、後に金の卵となる若きベートーベンが1799年の同紙で「モーツァルトの『魔笛』主題による変奏曲」を始めとする初期の変奏曲の変奏技術を同紙の複数の論者に酷評されていることで証明されている。
ところが同じ年のピアノ・ソナタ作品10(第5-7番)のレヴューで評が好転し、彼の作曲スタイルが初めて認知された。その後数年で、彼の初期作品の複雑さが同紙で重ねて議論されるようになり、それなら再演して確認しようという声が上がりだした。その例として1804年に同紙の発起人で主筆のヨハン・フリードリヒ・ロホリッツ(ゲーテ、シラー、E.T.Aホフマン、ウエーバー、シュポーアの友人)が交響曲第2番ニ長調(1803)の再演を求めていることが挙げられる。2番が難しいと思う人は現代にはいないだろうが、当時、初演だけでは専門家にも理解が充分でない “現代音楽” だったことが伺える。かように出版と評論が表裏一体を成して新作の理解と普及に能動的に関与していた。ロマン派に向けて準備していた時代のダイナミズムを感じられないだろうか。
その最も著名な例だが、E.T.Aホフマンは評論家として今日あるベートーベンの評価に貢献している。それは1808年(上掲写真の年)に同紙に発表した交響曲第5番、コリオラン序曲、ピアノ・トリオ作品70(第5,6番)、ミサ曲 ハ長調 作品86、エグモント序曲の論考であった。それが大きな影響力があったことはベートーベン自身が謝辞を述べたことでわかる。これぞホフマンの審美眼と文筆力のあかしだ。ちなみに本稿掲題の「牡猫ムルの人生観」に登場する楽長クライスラーのポートレートはその際に同紙に初めて登場している。ベートーベンもこの絵を眺めたのだろう。なおクライスラーという空想の人物はホフマン自身の分身、カリカチュアであることは後述する。
ホフマンの音楽はyoutubeで聴ける。廣津留すみれさんに教えていただいたクララ・シューマンのピアノ・トリオも良かったが、もっと前(1809年)に書かれたE.T.A.ホフマンのトリオもこの出来である。
お気づきと思うが、第4楽章はジュピター音型(ドレファミ)を主題としている。ペンネームのE.T.A.を使用しだしたのがやはり1809年であり、その “A” の由来を「Amadeusから」と述べている彼が音楽でモーツァルトへの敬意を示したのがこれだろう。
更に素晴らしいのは「ミゼレーレ、変ロ短調」である。
1809年の作品であるが、ここにもモーツァルトのレクイエムの和声や書法を想起させるものが聴こえる。
これだけの作曲ができる人がプロイセン大審院判事として判決文を書いていたという事実は一応の驚きではあるが、論理的な作業に人一倍すぐれた能力があるという理解でくくれないことはない。しかし、一転して、感性の領域である「砂男」などオカルト文学、幻想文学の作家でもあるという二面性の保持者となると、そのどちらもが人類史に作品が残る水準にあったという一点において非常に異例だ。ワーグナーは楽劇の台本も自分で書いたが、音楽のない指輪物語でどこまで彼の名が残ったかは疑問に思う。
ホフマンに限らず、音楽と法学をやった人は意外に多い。テレマン 、ヘンデル 、L・モーツァルト、チャイコフスキー 、ストラヴィンスキー 、シベリウス 、シャブリエ、ショーソン、ハンス・フォン・ビューロー、ハンスリック、カール・ベームなどが挙げられるが、このことをもって僕は「二面性」と言うのではない。比喩的に極めて大雑把に丸めればどちらも論理思考を要する点で理系的であり、この名簿にロベルト・シューマンも加わるわけだが、同時に、文学者、詩人というすぐれて文系的な資質も開花させる才能を併せ持つのは異例だという意味で二面的なのである。そして、以下に述べるが、名簿の内でもシューマンだけはE.T.A.ホフマンに匹敵する才能の二面性の保持者であった。それが本稿の底流に流れるもうひとつのテーマである。
シューマンがハイデルベルグ大学で法学を学んだアントン・ティボー教授も上記名簿のひとりだろう。同大学は1386年創立。ヘーゲルやマックス・ウェーバーが教授を勤め33人のノーベル賞受賞者を出したドイツで1,2を争う名門大学だ。ティボーはパレストリーナをはじめとする教会音楽の研究家でハイデルベルクを代表する楽団 “Singverein” を創設、運営していた音楽家でもあるが、ドイツの法典を「ナポレオン法典」に依拠させるか否かの「法典論争」の主役を張った法学界の大家である。ローマ法を基盤とする汎ドイツ的な民事法を「一種の法律的数学」とした主張は、キリスト教徒がルネッサンス以来懐いてきたアポロ的理性で諸侯が群立する神聖ローマ帝国に啓蒙の光を投じようという啓蒙思想的、自由主義的なものだ。中産階級市民の子であったシューマンが共鳴しそうな議論だが、しかし、教授は教え子に関しては「神は彼に法律家としての運命を与えていない」と審判を下し、シューマンは20才でライプツィヒに戻ってフリードリヒ・ヴィークに弟子入りする運命になるのである。
(2)フリーランスの音楽家
外科医の娘であったシューマンの母親が息子に法律を学ばせたのは、絶対王政末期から国民国家の揺籃期の当時、ガバナンスのツールである法典の専門家に権力側の需要があったからだ。法学は中産階級が確実に食える実学だったのである。かたや音楽家はミサを書いたりオルガンを弾く教会付きの職人でしかなく、宮廷に職を得てもモーツァルトですら料理人なみの待遇だった。「フリーランスの音楽家」などというものはベートーベンが出現するまで存在しなかったのである。19世紀に大学に通う子弟の家庭は地位も財力も教養もアッパーである。好んで息子を音楽家にする選択肢はなく、息子の方も教会と貴族によるアンシャンレジームに取り入る方が人生は楽だった。かような時代背景の中、神童ではなかったシューマンはピアノ演奏を覚えはしたが、20才まで作曲家になるレベルの訓練を受けていない。
日本語のシューマン本はほとんど読んだと思うが、その彼の思春期について音楽家か詩人かで迷う文学青年のごとく描くのが馬鹿馬鹿しいほどステレオタイプと化している。独語の種本のせいなのか日本人特有のセンチメンタルなパーセプションなのかは知らないがどっちでも構わない。本稿で本当にそうだろうかという反問を呈したい。僕は独語の原書が語学力不足で充分に読めないしその時間もないが、日本語になった充分な根拠があると思われるピースを推論という論理の力を借りて組み合わせるだけでもその反問は成立する。天才的作曲家であったという結果論から推論を逆行するのは学問的にナンセンスで「天才」という思考停止を強いる言葉は危険ですらある。音楽家の道を推してくれた父を16才で失い、20才で法学に挫折して国に帰ってきた青年である。本当に音楽、文学で食っていける自信があったの?というのが自然な疑問であろう。
その証拠に、なかったからピアノに人生を賭け、同い年のショパンにコンプレックスと焦りを覚え(それは評論家の仮面で巧みに隠している)、だからこそ自ら大リーグ養成ギブスばりの機械を作って星飛雄馬みたいに特訓し、ついに指を故障してその道すら断たれてしまったのである。夢見る詩人のシューマンはそんな悩みと無縁だったという類の仮定は否定する論拠はないが、現実性がないという反論を否定する論拠もない。最も身近にいた母は亭主が残したそこそこの遺産を相続したが、息子がそれを食い潰して終わる懸念を強く持ち、だから名門大学に進ませ、彼もそれにこたえるだけのギムナジウムでの優等な成績をあげていた。音楽の道と別の何かとを迷ったとすれば、それは法律家だったに違いない。彼のその道での生まれ持った能力が、その時点での意思に現実性を与えていたかどうかは別としてだが。
そう考える根拠は2つある。まず、彼が作品を愛読して強い思想的影響を受けたアイドルであるE.T.A.ホフマンが、まさにお手本のようにそれに成功した人だったからである。そしてもうひとつは、指の故障でピアニストを断念したおり「一時はチェロに転向することや音楽をあきらめて神学の道に進むことも考えた」(wikipedia)ことだ。彼はハイデルベルグ大学に進む前にまず父の母校であるライプツィヒ大学の法科に入ったが、彼が心酔したもうひとりのアイドル、ジャン・パウルは同大学神学部に在籍して1年で文壇に転身して成功した。法学の道もすでに断たれ自信も指針も喪失したシューマンが作曲でなく神学の道に向きかけたことは、彼にとって何が「現実的」だったかを雄弁に証明してくれる。
現実性がない、という主張は歴史の大局を眺めない人にはピンとこない。時はナポレオン戦争後のウィーン体制下だ。そこで再びパリで革命の狼煙が上がる。靴屋だろうと音楽家だろうと法学者だろうと、シャルル10世がギロチンで斬首かという隣国の暴動に無縁、無関心でいられた人はいない。音楽史というのは戦争、政治力学、貨幣経済によほど鈍感、無知な人が書いているのか、とてもナイーブな、宝塚のベルばらのノリの説が堂々と真面目に信じられている。ウィーン体制が全面的に崩壊するのは1848年だが、その端緒となった七月革命は遠くポーランドにまで飛び火して、蜂起した祖国がロシアに蹂躙され悲嘆したショパンは『革命のエチュード』を書く、それほどの重大事件なのだ。20才のシューマンの精神状態はそのパラダイムに規定されていたという世界的常識に基づいて思考するというインテリジェンスなくして語れないものである。
音大の学生で七月革命とは何だったか正確に知ってそれを弾いている人がどれだけいるか?知らなくても音符は弾けるが、ショパン・コンクールのような舞台で満場を唸らせる演奏をしようというなら、カール・ベームが指揮者の条件とはと問われて「音楽の常識です」と答えたその事を心したほうが良い。その年にショパンと同じ20才だったシューマンが無縁であったはずはない。彼はビーダーマイヤー期の旧態依然たる人々を「ペリシテ人」と名づけて揶揄し、それに対抗する「ダヴィッド同盟」なる彼の革命のための脳内結社を作るが、フリーランスの音楽家に挑むも指を怪我してしまった不安な彼にとって心の要塞のようなものだったろう。『ダヴィッド同盟舞曲集』はもちろんのこと、『謝肉祭』や『クライスレリアーナ』を弾こうという人がそうした常識を身に備えていないというなら、僕には少々信じ難いことである。
(3)ベートーベンの後継者
その時代においてベートーベンこそ貴族にも教会にもひれ伏さず、群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌う叩き上げのスキルの持ち主だった。難聴だったことで彼の音楽に価値を認めた音楽家はいない。それは楽譜の読めない後世の信者が神殿に奉納した「天才伝説」という聖者の冠であり、モーツァルトの借金伝説と同様のものである。音楽家はまずピアノの即興演奏と変奏の技量で、そして何より名刺代わりの交響曲の作曲で、彼を人生の目標とした。新時代にフリーランスの音楽家として食っていくためにはベートーベンの正統な後継者だというレピュテーションを得ることが出世のパスポートだったからである。20才で法律を捨てて音楽で身を立てる決意をしたシューマンは、名誉もさることながら、それを得るコミットメントを自らに課したのである。
神童でありティーンエイジャー期に職業音楽家としての特訓を受けたモーツァルト、ベートーベン、ショパン、クララ、リスト、メンデルスゾーンらに比べ、作曲家としてのシューマンの心のありようには別種の立ち位置があるように思えてならない。私事で誠に恐縮だが、都立高校出で受験技術の訓練を積んでいなかった僕は大学で出会った有名難関校出に根本的に違う資質を見たが、ああいうものが20才まで作曲素人だったシューマンにあるように感じてしまう。10代の思考訓練は一生の痕跡を残すが、20を過ぎてからのは必ずしもそうならない。彼が根っからのロマンチストであるなら若くして十分に達者であったピアノでショパンのように詩人になり、交響曲やカルテットは書かなかったろう。しかし、彼はそういう人ではなかったのだ。町名(ASCH)を音化したり、ABEGGの文字を変奏したり、クララの文字や主題をミステリー作家のようにアナグラムとして仕掛けを施す論理趣味があり、バッハの平均律への執着、ベートーベンのピアノソナタ、交響曲のテキスト研究は文学青年の作曲修行などではなく、10代の思考訓練の賜物としての内面からの欲求であろう。その精神が青年ブラームスにも伝わり、ハンス・フォン・ビューローの「バッハは旧約、ベートーベンは新約」の言葉に受け継がれていったのではないだろうか。
ここでもう一つ、背景を俯瞰しておく。興味深いことだが、神学と哲学と法学と音楽はテキスト研究、解釈の方法論の厳格さにおいて科学に比肩する。神学についてあまり知識はないが、科学と神学は中世では同義であり、聖書の厳格なテキスト研究がマルティン・ルターのプロテスタンティズムを生んだと理解してる。音楽と法学は、明白に人間の書いたものなのに、あたかも神の法である科学の如く扱うという姿勢を、少なくともドイツ語圏ではとっていた。それはア・プリオリの法則ではなく、かくあるべしという「心理的態度」に過ぎないのだが、アントン・ティボー教授の「民事法は法律的数学」という比喩に見事に表象されている。後に音楽を数学的に扱う作曲家が現れるのもこの観察に整合的だろう。
音楽先進国イタリアには左様な心理的態度が芽生えなかった。「歌」に理屈はいらないだろうが、さらに本質的な理由として、カソリックが宗教改革と無縁であり続けたことと軌を一にするように思える。それは真にドイツ的な、ドイツ語世界での現象である。シューマンがとった態度を見ると、北イタリアを旅はしたが、ロッシーニを酷評し、オペラ等の歌は器楽の下に見る地点からスタートしている根っからのドイツ人である。アリアのように感じたまま気の向くままに心をこめて音楽すればいいという姿勢は程遠い。彼は評論家としてベルリオーズの幻想交響曲を医学の検体のような眼で眺め、第1楽章の自らによる子細な分析スタンスを「解剖」という言葉で端的に述べている。
(4)シューマンのファンタジーの深淵
一方で彼には、二面性の他方である、先達にはない非常にオリジナルな側面があった。文学からのインスピレーションである。文学者を志しライプツィヒ大学に学んだ父アウグスト、詩作を嗜んだ母ヨハンナから受け継いだ資質だろうが、彼の楽曲が生き残ったのは解剖、解析による堅固で論理的な要素の貢献よりも、その資質による詩的な要素の魅力によるところが多いというのは衆目の一致する所だろう。彼自身も、名人芸を浅薄としイタリア風を否定したが、同時に、規則にがんじがらめの対位法家を糞食らえとしている。「根本的に勉強したあとでなければ規範を軽蔑しないように。これ以上危険な反則はない」と述べている(「音楽と音楽家」38ページ)のに、「わたしはナイティンゲールのように、歌がつぎつぎとあふれてくる。わたしは歌って、歌って、歌い死にしそうだ」(同248ページ)とも書いているのが二面性の裏面だ。理性と情緒。その両方がバランスを時々に変化させながら、後にも先にも類型のないシューマンの音楽というものを形作っている。
彼は評論においても、ホフマンに負けず劣らず理性と情緒を駆使して美文調だが本質を鋭利に見抜く眼で音楽を語っている。シューマンの音楽評論はそのほとんどが、冒頭の「総合音楽新聞」(1798年創立)と同じライプツィヒでシューマン自身が発起人として1834年に創立した「新音楽時報」(Die Neue Zeitschrift für Musik)にて展開されることになる。「総合音楽新聞」の確立したベートーベン崇拝の伝統を受け継ぎ、シューベルトを発見し、ショパンの天才、ベルリオーズの新しさ、メンデルスゾーンの新古典主義を讃えるなど、ロマン派幕開け期の作曲家と作品の評価を高める貢献があったと評されているが、読んでみた僕の感想は、主情的、感覚的な人間と思われているシューマンが公平で客観的な眼を持っていることだ。ここにも二面性が現れている。
同年生まれのライバルでもあるショパンの持ち上げ方は理性を超えているように見えるが、彼の理性は科学のように客観性を内包した性質のものなのだ。シューマンにベルリオーズを称賛すべき何があるのか?「最高の力を持っているのは女王(旋律)だが、勝敗は常に王(和声)によって決まる」と述べている事実がある。そこで彼の幻想交響曲の第1楽章の子細な「解剖」を調べてみると、ブログで僕が「展開部ではさらに凄いことが起こる。練習番号16からオーボエが主導する数ページの面妖な和声はまったく驚嘆すべきものだ。」と書いた第1楽章のその部分に何の反応もコメントもしておらず期待外れだ。彼の称賛は和声も標題も形式も包含した新しい音楽(ノイエ・ムジーク)への情熱からベルリオーズをダヴィッド同盟の同志と見たものだと解するのが説得力があろう。マーラーが「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう」と評価したのと似たスタンスかもしれない。
「新音楽時報」は一時の中断を経て現在も刊行されているが、19世紀初頭から脈々と続く「ドイツ語世界」での批評家精神は畏敬に値する。批評、評論というものは主観に照らしたその物の形であるが、評者の思考プロセスに一定の普遍性、客観性が備わっていなくては説得力がない。評論にフロレスタンとオイゼビウスという ”二面性キャラ” を登場させ、知的に戯画化した文学的創作(ドビッシーが ”クロッシュ氏” によってそれを模倣しているが)がシューマンの評論を乾ききった理屈の干物にしないばかりでなく、自己の心のうちに潜む対立する2本のナイフによってその物の形をクリアに彫琢する。この手法は敬愛した文学者であるジャン・パウル、E.T.Aホフマンから継承したものであった。
バッハ、ベートーベンに習った「一定の普遍性、客観性」という入れ物のなかに、持ち前の詩情、ファンタジーの泉がこんこんと湧き出ているという様相が僕にとってのシューマンの楽曲の特性だ。
(5)「牡猫ムルの人生観」
E.T.A.ホフマンの長編小説「牡猫ムルの人生観」は学識のある猫による自伝である。ムルは上述した楽長クライスラー(ホフマン自身だ)の自伝のページをちぎって下書きやインクの吸取り紙として使用したが、製本ミスでそれが挿入されたまま両者が交互に現れる形で印刷されてしまったという誠にトリッキーで実験的な構造を持っている。当然ながら、章ごとに場面も人物もガラッと変わるが、その様はミステリーのカットバック手法かと思う程だ。何か深い意図があるか?と思ってとりあえず身構えて読むと、実は単なる印刷の失敗でしたというタネは落語的でもある(それでも捨て猫のムルが引き取られるのがクライスラー自伝の始めに来ているので時間的連続性は担保)。
シューマンは自己の精神の内奥に潜む二面性を知り、まったく同じものをE.T.A.ホフマンに見た。ホフマンはこの小説で自己を楽長クライスラーに投影し猫ムルとの裏表の二面性を描いたが、クライスラーという自分のカリカチュアは、ジャン・パウルが自作に登場させたドッペルゲンガー(Doppelgänger、自己像幻視)である。10代のころジャン・パウル(マーラーの「巨人」の作者)を精読し、その世界に浸りきっていたシューマンは自己像をひとつ提示するのでなく、アポロ的人物(フロレスタン)とディオニソス的人物(オイゼビウス)に分割した。ふたりの対話で評論は書かれるが、実は彼らはそれを記述しているシューマンに対するドッペルゲンガーであり、シューマンは文面に出ないがシャーロック・ホームズに対する記述者ワトソンとして存在している。
同書は「そもそも猫が執筆なんて」というところからホフマンの術中にハマれない頭の固い御仁はお断りでございという軽妙洒脱とハイブロウな粋(いき)がスマートで格好良く、愛猫家の必読書である(ただし岩波の日本語版は絶版だ。独語、英語は入手できる)。そこはソフトバンクのお父さん犬と同様だ、それってアリだよねと楽しんでしまう姿勢がいいねという暗黙知が世間にあるからそのキャラが成り立つのであって、見た者は死ぬと伝わるドッペルゲンガーの不気味さはないが、何せ未完だから本当はどういう構想だったかは謎だ。
シューマンはこれを読んだインスピレーションで「クライスレリアーナ」を書いた。本作は漱石の「吾輩は・・」と歴史的名作をふたつも生んだ偉大な作品ということになる。E.T.A.ホフマンは生涯の業績をマクロ的に見てもお化けのように巨大だが、こうして細部をミクロで見てもやっぱりお化けであるというフラクタル型巨人である。漱石は作中で本作に軽く言及している。知ってるけどパクリでないよというスタンスだが、どう考えてもパクリだろう。それでも上質のパロディではあるから不名誉どころかお見事と称賛したい。ただ、漱石は猫に自分の言いたいことを語らせただけであり、ドッペルゲンガーの闇はない。
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シューマンの楽譜と病気の関係
2020 FEB 18 23:23:49 pm by 東 賢太郎
シューマンの楽譜を見ていると、大学で初めて憲法や民法を読んだ時のことを思い出すことがある。法文は読み手の呼吸と合わないから意味がすんなり入ってこず、へたくそな文章だと思った。しかし慣れてくるとわかる。『書かれるべきこと』を必要最小限の文字に落とし込み、読み手が勝手に解釈する余地も最小限にするとそうなるのだ。
後に仕事で契約書に遭遇する。契約は訴訟になったらという前提だから書きかたは確立していて、回りくどくて解りにくい箇所は往々にしてその契約の個性ある守りの難所なのだ。法学部という所はいわばそういうややこしい文章の訓練所であり、拙ブログもそうだが、くどいけど念押しまでして正確に伝えることがもはや僕の抜きさし難い習性となってしまっている。そのことは「精読」して下さる読者の方だけがわかる。内容が『書かれるに値すること』だったかどうか?それは、ぜんぜん別なことだ。
シューマンの譜面に一抹のぎこちなさを感じるのは、例えば、トロイメライの旋律と拍節の見かけの不一致とか、第3交響曲の冒頭について書いたこのブログのような箇所だ(シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第1楽章))。どうしてこうなるかというと、彼は心に浮かんだ楽想を『書かれるべきこと』として「採譜」したのだと思われる。立法者が必要なコンテンツを法律にするのと同じで、そのどちらの作業も英語はコンポーズ(compose)だ。そこだけ切り出せばエンジニアの如くメカニックな作業である。
シューマンは自著「音楽と音楽家」の「音楽の座右銘」の章にこう書いている(吉田秀和訳、岩波文庫、230ページ):
作曲をするようになったら、まず頭の中ですっかり作ってしまうこと。そうして、その曲がすっかりできるまで、楽器で弾かないように。心の中から湧いてきた音楽なら、他の人がきいても、やはり同じようにうたれるだろう。もし、君が幸いにも活発な幻想力を天から恵まれていたら、さぞ君もただ一人でピアノの前に釘づけになったように何時間も座り込んで、和声の中に心の内を表現しようとするだろう。
以上は「子供のための小品集」の出版に際して子供に向けて書いた文章だが、彼の作曲法(過程)をうかがうことができる。「心の中から湧いてきた音楽」を和声まですっかり作ってからピアノで弾きなさい(つまり、譜面に書きなさい)と言っている。まさにこうして、ラインの冒頭はあの譜面になったのだろう。
シューマンの音楽はファンタスティックなものであるが、それは心の中から湧いてきた音楽という原石がそうだという話であり、それを採譜する作業にファンタジーがまぎれこむなんてことはあり得ない。そしてその作業の精度と速度は最晩年に精神の変調してをきたしてからもいささかも衰えを知らないということは、
「チェロ協奏曲は1850年10月10日から24日にかけて、交響曲第3番は1850年11月2日から12月9日にかけて、ヴァイオリンソナタ第1番は4日間、同第2番は6日間、ピアノ三重奏曲第3番が7日間と、驚くべき速筆で書かれている。『ヘルマンとドロテア』序曲はわずか数時間で作曲された」(wikipedia)
という事実で実証されている。つまり、それがロジカルに意味するところは、採譜された楽譜を深く研究しそのままを弾けば原石のファンタジーは現れるし、現れるように弾くことが良いシューマンの演奏ということになる。
シューマンは子供のころから晩年に至るまで日記を書き続けている。僕もそうなので想像してしまうが、何かの目的のためというよりは日々の出来事を書き残しておきたいからだ。シューマンは性生活まで書きこんでいるが、べつに何のためでもなくそういう性格なのだ。昨今だとそれって変質狂ですよなんて平気で病気にされかねないが、そんな風潮自体が成熟社会の病気だ。僕は数を数えるくせがあって、階段は縁起が悪い4、13回のステップにならないようにしたりするが、今どきはニュメロマニア(計算狂)なんて病気にされてしまう。高所恐怖症も閉所恐怖症も心療内科に行けばきっと病気だろう。
シューマンにはいろんな普通ではない個性があって、誘因となり得る病名は学者によると躁鬱病、梅毒、統合失調症、結核性髄膜炎、脳腫瘍と多彩である。どれであれたしかに病気だ。しかし、ひとつのことに異常にこだわり執拗に気に入ったリズムをくりかえすなどは、そういう症状を生む病気があるかどうかは知らないが、常識的には「性格」であり遺伝的形質と考えるのが自然だろう。ライン川に投身するのは尋常でないが、姉のエミーリエも29歳で入水自殺しておりそれも遺伝かもしれない。彼の「心の中から湧いてきた音楽」は持って生まれたものの投影であり、遺伝的性格の産物であったという考え方は自然に成り立つと思う。
逆に、日本では狂おしい病気が往々にして彼の楽想のファンタジーに関係づけられてしまう傾向を見る。それを言う人はほとんど「心の中から湧いてきた音楽」と「採譜するメカニックな工程」の区別に気づいていない。候補とされたどの病気の罹患者もファンタジーを好む性向になるという科学的論拠は聞かないし、僕の知るドイツ人、英国人のシューマン好きでそんなことを言う人は一人もいなかった。戦前の私小説で「肺をやる(病む)」「吐血する」が一種のマゾヒスティックな美学風に取り扱われたのを思い起こさないでもない(僕はその風情がおぞましくて読まなくなった)。日本病の一環かもしれない。
また、彼の管弦楽法を未熟と見て改定するのは完璧な誤り(error perfectus)である。見た通り、シューマンの「心の中から湧いてきた音楽」を「採譜」する能力は年齢でも病気でも微塵も衰えなかった。ということは、彼のスコアは忠実にその「音楽」を書き取ったものの具現であるはずで、地味に響こうが金管の書法が20世紀の進化した楽器にとって無用にぎこちなかろうが、マーラーやシューリヒトが違う風に書き直すことにソフィスティケイトされたいかなる意義、インテリジェンスも見出すことは僕には不可能だ。同じ意味で、「シューマンの音楽はファンタスティックなものである」と、楽譜に指示のない自己流を “ファンタスティック風に” 演奏する人にも、かけらも関心を持ちようがない。なぜかは彼に代弁してもらおう。
いわゆる華麗なひき方が、達者にこなせるようになろうと心がけないように。ある曲をひく時には、作曲家の考えていた印象をよび起こすよう努めなければいけない。それ以上をねらってはいけない。作家の意図を超えたものは、漫画と同じだ。
(ロベルト・シューマン、上掲書232~3ページ)
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自分という他人( ロベルト・シューマンの場合)
2020 FEB 14 18:18:25 pm by 東 賢太郎
シューマンはクララ・ヴィークと結婚してから歌曲、交響曲、室内楽の年を迎えるが、独身時代の作品群はというとピアノ曲一色である。これを僕は奇異に思っていた。なぜなら、彼は機械による特訓があだとなって指を故障してしまい、右手が使えなくなっていたからだ。ピアニストで身を立てようとしていたシューマンは簡単に気持ちの整理がつかなかったのだろう、チェロや神学の道まで模索し、「ツヴィッカウ交響曲」を試作もしている。であるのに、クライスレリアーナや幻想曲ハ長調みたいな技巧を要する曲をどうして書いたんだろう。しかもピアノ曲ばかり」続々とまるで熱病にかかったみたいに・・・?
その疑問は、しかし、恋する若者の気持ちになってシンプルに考えると解けるように思う。彼は父親フリードリヒ・ヴィークに邪魔されてクララに会えないロメオとジュリエットの事態に直面していた。罵詈雑言を浴びせられ、ツバまで吐きかけられ、ついに名誉棄損で訴えてしまうのだから半端ではない。だが、もっと辛いのは間にいるクララだ。熱いラブレターで恋情をアピールし、ライバルを蹴落とし、自分に目を向けさせなくてはいけない。手紙は検閲される。ならばピアノだ。クララの主題や思い出のパッセージを暗号のように入れこもう、けっして他人にわからないように。そして彼女がそれを弾く。親父も娘の気持ちを察するだろう。素晴らしい曲だと言わせてやろう。見直させて結婚を許してもらおう。
そんなところではないか?その証拠といってしまえるかどうか、勝訴してクララと結婚するとピアノ曲の創作はぱったりと途絶えてしまうのである。シューマンは突発性の男だ。何かにとりつかれると寝ても覚めてもそればかりで、ある日突然、まったく別なものに夢中になっている。気まぐれというレベルではない。1839年の時点では「声楽曲は器楽曲より程度が低い。声楽曲を偉大な芸術とは認めがたい」と述べていたが翌40年には歌曲ばかり書きまくる。声楽の評価に重大な方針転換でもあったのかと思えばそうでもなく、41年は交響曲、42年は室内楽と猫の目のように関心が変転する。
シューマンのこの性格を見ると、フリードリヒ・ヴィークに同情しないでもない。僕もそんな奴とつきあうのは御免だからだ。その気持ちが生じるのはなぜだろう?自問すると意外なことに気づく。自分も突発性の人間だからだ。小学校時代、悪くてあらゆるいたずらをした(と担任にいわれた)。そういう何をしでかすかわからないAと、0.1ミリの狂いも許さない小姑みたいに冷静でうるさいBが僕の中には棲んでいる。アクセル役のAはつまんない邪魔な奴だとBを煙たがっており、ブレーキ役のBは向こう見ずでいい加減なAを軽蔑している。シューマンをつきあいたくない奴と判断しているのはBなのだ。それでわかる。計算づくで尊大でシニカルなマーラーを嫌っているのはAなのだ。
シューマンの内面のふたり、フロレスタン(F)とオイゼビウス(E)がそんなものだったか敷衍するすべはないが、多分にそうだろうと僕は考えている。古代ギリシャでは人間の気質とはフモール(Humor、体液)の産物で四大元素のブレンド具合で変わると考えた。ルネッサンス由来のそうした知識がフランス7月革命を経た自由主義思想に燃えるドイツロマン派革命文学に持ち込まれ、その泰斗ジャン・パウル、E.T.A.ホフマンからシューマンに伝播したことは否定し難い。彼自身がプラトンの対話法を用いてFとEによる音楽評論を試みたともいわれる。同じ人間が今日明日は別人ということがあり得るという考えを彼らは肯定的に許容したわけである。そして、それを上の方から眺めて許容し、両人がお互い鏡になって指摘し合えばもっといい人になれるとヘーゲル流に正当化した。
シューマンは23才のころ兄と兄嫁が亡くなって「気が狂うという固定観念にとりつかれている」と書き、激しい情動の振幅が現れ、それは動と静、激情と慰撫、衝動と耽溺、喝欲と夢想、などの二律背反する気質として音楽にまばらに出現するようになる。ベルリオーズは阿片で狂ったが、シューマンは病気だった。後にイ音の幻聴が現れ死に至るほど精神を病むのは梅毒第三期の症状といわれ、この時点の躁鬱の頻繁な交差がその前兆かは否かは文献を見ないが、立派な躁鬱病ではあろう。しかし彼の理性はしっかりその背反をFとEの役者に当てはめ弁証法的に解決してしまう。E.T.A.ホフマンの「牡猫ムルの人生観」は学識ある猫の自伝だが、クライスラーの自伝とドッペル状態で進行し、ホフマンがそれをまとめる。シューマン、F、Eの関係はその模倣だが、シューマンという人間そのものでもあった。
我が心中の二人は、A(経験、直観、革命、冒険、新奇、酔狂、気儘、陽気、短気、横暴、帰納、金色、赤色)、B(論理、合理、慎重、頑固、忍耐、集中、緻密、冷徹、陰気、演繹、銀色、黒色)が相当する。例外的にビジネスはA、学業はBが優位におこなったが、それ以外で両者は自立してお互いに対して対等に批判的であり、それは子供時分から不変で今後も変わらないだろう。A・Bの対立でもう一段すぐれた人間になったかというとそういうことはない。ヘーゲルは科学者でなく弁証法は数学的に証明できないから何となく合理性がありそうな後講釈以上のものではない(ということは共産主義しかり)。シューマンにおいてもそれはない。フロレスタン(F)とオイゼビウス(E)がクライスラーと猫ムルの如く交互に主張する独身時代のピアノ音楽にこじつけ以上の形式論理はない。
急進的文学集団である「青年ドイツ(Junges Deutschland)」はヘーゲル的発展を政治と文学に求め、その運動はシューマンの評論活動を通じて音楽に波及したが、弁証法に数学的予見性は何らないからそれは新興若手インテリ集団の熱病にすぎなかったことになる。しかし時代のパラダイムとしてはベートーベンを超える者が現れる “必然” があり、シューマンにとってそれは自分である証明をするモチベーションから交響曲第1番「春」が生まれる。そこにクライスレリアーナの終曲の主題を持ち込んだのは、同曲が結婚へ向けての苦境と呻吟の、しかし勝利を勝ち取るエネルギーを注ぎ込んだ産物であり、そして、作曲の新時代のメシアが自分であり、春を告げる交響曲がその子供として産声をあげたのだというシューマンの心象風景の象徴と思う。にもかかわらずブラームスにベートーベンの第10交響曲の地位を奪われてしまうのだが、そのことがシューマンその人やクライスレリアーナや第1交響曲の価値を些かも下げたとは理解されていない。何故なら二律背反するフロレスタン(F)とオイゼビウス(E)はベートーベンには棲んだかもしれないがブラームスにはないからである。
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ルフェビュールと大坂のおばちゃん
2020 FEB 3 21:21:17 pm by 東 賢太郎
大坂のおばちゃんみたいと言ったら失礼だろうか?僕にとって大阪は仕事の故郷であり、おばちゃんにたくさん助けてもらって、親しみの気持ちでもあるんだけど・・・。
フランスのイヴォンヌ・ルフェビュール(Yvonne Lefébure, 1898 – 1986)さんのことである。大好きなピアニストだ。
まずはこのベートーベンの31番のレッスンをご覧いただきたい。
凄すぎだ。最後のアリオーソの前のところである。アルゲリッチの鬼神が乗り移った様を思い出すが、ちょっと違う。怒った猫が鍵盤をパンチでひっかいてるようで、それでいて弾きながら眼鏡を直せる。やっていることを言葉にも出せる。完全に右脳型に見えるが左脳もぴったりシンクロしているということで、実はとてもコントロールされている。
ビデオでstage fight(舞台でのケンカ)の話がある。そりゃあこれは指揮者ともめるだろう。メンゲルベルグを激怒させたらしいが、これだけの腕前のピアニストなのに、メジャーレーベル録音というとフルトヴェングラーのK466だけというのはそこに理由があるのだろうか。クレンペラーとやりあったツワモノのヘビー・スモーカー、アニー・フィッシャー女史も有名だが。
さて次はラヴェルだ。彼女はフォーレにも会ったらしいが、まだ幼少で、演奏を聴いてもらったのはラヴェルだと言っている。3分10秒からト長調協奏曲の終楽章があるが、実に面白いので実況中継してみよう。
まず4分8秒で、鞭(ムチ)が鳴らない。打楽器奏者2人はボーっと立ちすくんでおり、事故というより完全な不勉強である。これで凍ったのだろうか直後のホルンとトランペットの掛け合いはもっさりしたテンポになってしまい、彼女は4分23秒からのパッセージをお構いなしに速めに戻す。しかしまだ遅いのだ、それはオーボエがガチョウみたいな間抜けな伴奏をつける4分58秒で、次のパッセージの開始を待たずテンポアップしてしまうことで明らかになる。そこからいきなりピアノは疾走し、やばい、このテンポだとバスーンが崩壊かと手に汗握る。ぎりぎり誤魔化してほっとするが、続くトランペットが速さのせいかへたくそだ。そして、その次の変ホ調クラリネットがついにトチってしまう。その瞬間、彼女は電光石火の早業で指揮者にキッと目をやるが(5分49秒)、怒っているというより「あんた大丈夫?」という感じだ。そしていよいよクライマックスに至る直前、「さあ行くわよ!」と指揮者を鼓舞するが、6分15秒あたりからオーケストラはピアノにおいていかれ(というよりピアノが先走って)しばしアンサンブルはぐしゃぐしゃになる。振り回された指揮者(JMコシュロー)がお気の毒。おばちゃん、寄り切り勝ちだ。
東洋人(日本人?)の弟子が弾くアルボラダのエンディングのコードに一瞬の間を置けとか、ビデオはないがCDのシューマンの子供の情景で、トロイメライの最後のGm-D-Gmの和音になる2度目のレミファラをほんの少しゆっくり弾くとか(コルトーもそうしている)、そんなことは楽譜にない、自家薬籠中の味付けである。ここ、シューマンの天才的な和声感覚でF(ヘ長調)の主調にG7が現れ、この音はけっこうびっくりなので「のばしなさい」とペダル記号とフェルマータがついてる。
それが終わって1回目のレミファラでC7(+9)でぼかしながら、2度目のレミファラに付されたGm-D-Gm(ト短調)が、これ、僕には脳天の中枢におよぶほど衝撃的で、1回目のびっくり(Gのセブンス)が2回目はGのマイナーになっているだけなのだけれど、こういう音を書いた人は他に一人もいない。ここを音符どおりに素通りするなんて考えられない。シューマンはリタルダンドと書いて「だんだんゆっくりね」とは言ってるが、子供が夢の中で何かにはっとしているのがGm-D-Gmだとするなら、それを母のような愛情で慈しむなら、音価よりゆっくり弾きたいと思う。
僕はシューマンが、自然に、音楽の心としてそうなるだろうと記譜していないのだと思う。音価を変えていないのも、決めつけるのではなく、弾き手の心で敏感に感じてやってくれと。最後でまたC7(+9)で夢うつつのようにぼかしながら、オクターヴ下がってラシドのたった3つの音で主調に回帰して深い安息感をもって曲は終わるのだ、ト短調のびっくりから1小節もたたないうちに・・・。
ルフェビュールはそういう風に弾いてくれている。そういう味わい深いもの、心のひだに触れる精神の産物は楽譜に書けない。書いてあったとしても、物理的な速度の増減という無機的なものではない。妙なたとえだが、学生の頃よく行った頑固なおばちゃんがやってた渋谷のんべい横町の焼き鳥屋のタレだ。継ぎ足しで年月をかけて舌の肥えた人が熟成させてきたものが料理本のレシピで一朝一夕にできることはない。
ルフェビュールおばさんはラヴェルの水の戯れを上手に弾いた男性に「とってもいいわ。でもあなたの音はリストなの。ラヴェルが見つけた新しい音は違うの、ヴェルサイユみたいにやってよ」とコーチしている。宮殿の庭の噴水は何度か見たが僕にはわからない、この意味はパリジャンがヴェルサイユと形容した時に感じるものを含んでいる。永く住まないとという性質のもので、ラヴェルの生の音を聴いた人の証言でもある。そして、彼女が奏でる水の戯れの冒頭のパッセージは、言葉もないほどにエレガントだ。
最後に、ドビッシーの版画から雨の庭。腕を高くあげての猫パンチのひっかきが威力を発揮、そこから出る単音のメロディーが蓮の花のようにくっきり浮かび上がるのはマジックさながらだ。圧倒的な説得力。まいりました。
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我が流儀の源はストラヴィンスキー
2020 JAN 27 22:22:34 pm by 東 賢太郎
ストラヴィンスキーの門をくぐったことで我がクラシック遍歴は始まった。ベートーベンの第九交響曲より詩篇交響曲の方が歌えるという時期が長くあり、頭の中のライブラリーの分量ではモーツァルト作品に並ぶかもしれない。こういう聴き方を音楽の先生はきっと推奨しないのだろうが、これでいいのだということをストラヴィンスキーが語ったある言葉で得心した。音楽に限ったことでなく、人生全般、生き方そのものに関わる言葉としてだ。
それはこの本にある。弟子で指揮者のロバート・クラフトが師匠との日々を日記形式で綴ったドキュメントだ。
質問者「いったい現代音楽とは何でしょうか」
I・S「いわゆる現代音楽は私にはどうでもいいのです。私の様式が現代的かどうかですか。私の様式は私の様式で、ただそれだけです」
これを読んで背筋に電気が走った。何もわかってない子供だから、ストラヴィンスキーは男として格好いいとシンプルに惚れこんでしまった。
高校生あたりから漠然と「格好いい人生を送りたい」という稚気に満ちた願望があった。何になりたいでもなく、自分なりに格好いいと想像する姿、それが、
「あっしにゃあ関りのねえこって・・・」
だった。これは当時流行っていた木枯し紋次郎のニヒルな名セリフである。それとストラヴィンスキーと何の関係があるんだ?それは脳内でこうつながる。
「現代音楽?あっしにゃあ関りのねえこって・・・」
他人が何をしているかなんて俺にゃぜんぜん関係ないぜ。そうだよな、世間体を気にしたり、八方美人で人に関わってたりしたら春の祭典は書けねえ。そう思った。中村敦夫は今風なイケメンではない。泥臭い。そういう顔じゃないとあのハードボイルド、ニヒリズムは出ない。誰が見ても素敵、カッコいいを目指しちゃいけない、そういう顔つきからは格好いいものは出てこないんじゃないか。
ストラヴィンスキーは音楽の渡世人だった。作風が転々としてカメレオンなんて揶揄もされた。しかしどれも彼の様式なのだ。もし三大バレエみたいな曲を一生書いてたら、それはそれで更なる金字塔を打ち建てたには違いない。しかし渡世人は安住しないのだ。誰にも世話にならず面倒かけず、風の吹くまま気の向くまま、どうせこの世にゃ俺ひとり・・・。彼の顔もタダものじゃない。
春の祭典は聴衆を暴徒に変え、警官隊まで出動させた。音だけの力で。これが音で人の心を動かす作曲を商売とする者にどれほどの脅威か。格好いいとはこういうことなのである。それほどの革命的な創造をしながら、しかし、彼は次々と違う響きに関心を寄せていく。成功なんかポイっと捨てちまって、どんなに求められても二度とそこには戻ってこない。うわべだけのカッコよさを求めて生きてるような薄っぺらな男にそんなことは逆立ちしてもできない。書く音楽以前に、自身が勇気に満ちたプログレッシブな人間なのだ。渡世の道は花園かもしれないが無間地獄かもしれない。地獄であっても、もがいて這い出せればそれが幸福だ。何が幸いするかわからないから世の中は面白い。こんな格好いい人生があろうかと思う。僕にとって、一つの成功に安住する人はすべからく、つまらない人だ。
若い時にこうして電気が走ると一生痕跡が残る。これ以来、僕の生きる流儀はだんだんこういうものに収れんしていった。
・興味ないことはしない
・空気を読まない
・群れない
・人と同じことはしない
・つまらないことに1秒も使わない
この道に言い訳は落ちていない。結果がすべてであって、結果を出すための工夫を死に物狂いでするしかない。こうして僕はスナイパー主義になり、結果は出さないが懸命に群れて、周囲の空気を率先して読んで、人と違うことは積極的に避け、興味ないことを忠犬みたいに黙々とする「満員電車のっちまえ族」とは決定的に袂を分かつ人生を送ることになった。
75才のストラヴィンスキーがロバート・クラフトと対談しているビデオがある。
弟子の質問に師匠が答えていく図式だが、テレビのドキュメンタリー番組だからやらせっぽさ満点だ。ロバートはド真面目なインテリ青年で質問は台本通りであるのがバレバレだが、ストラヴィンスキーは母国語でない英語で喜々として答えている。しかし本音を言わず大人の会話に終始しているのはこの録画が後世に残ると知っているからだろう。曲をスタジオ録音する際に安全運転になるのと似て、表面づらはあまり面白くない。
そこで、まことに僭越ではあるが、愚生が時にチラッと垣間見えるストラヴィンスキーの笑み、表情の変化、語彙の選び方などを手掛かりとして、大先生の本音をこっそり盗み取って注釈してみたいと思う(英語が聞き取りにくくひょっとしてヒアリング・ミスがあるかもしれない。そんなアホなという部分は切にご訂正、ご笑納をお願いしたい)。
ではご覧いただきたい。
TVカメラ用のポーズをつけ、ピアノに向かって作曲中を装う彼は精一杯の演技でカメラの脇に待機していたロバートを呼び入れる。音符を書き込む姿はエンジニアのように見える。別室は建築士の事務所みたいだ。色鉛筆まで動員して几帳面に書きこまれた彼の巨大なスコアは設計図を髣髴とさせるが、そのイメージにフィットする。
ストラヴィンスキーはこんな事を言ってる。以下、注はすべて筆者による。
8才で始めたピアノで音階練習をしていて、音階というものは誰かが発明したのだと考え、それならば自分が創ってもいいだろうとオリジナルの音階を作った。14才でピアノを習った19才の女性教師が好きになってしまった(注1)。やがて師匠、友人となるリムスキー・コルサコフの弟子に和声法、対位法を習ったが死ぬほど退屈で(注2)、師匠に君は音楽院には行かずに自習しろと言われた(注3)。
注1・old maidは俗語でセクシャルに意味深。母親にバレた。
注2・この教師は知識はあるが音楽知らずのただの馬鹿と本音はナメ切っている
注3・耐えられなかったのは和声法で、対位法は関心あったと決然と言う。彼は古典を研究し、形式論理を重んじ、論理の進化で作風を転々とした。退屈で済ますわけにはいかず、あえて繕ったコメントと感じる。
初めて会ったディアギレフはオスカー・ワイルド(注4)みたいな男で、とても優雅でシックで敷居がお高く、微笑みながらやさしく肩を叩いてキミの庇護者だよとにおわせるスタイルの人だった(注5)。ディアギレフは火の鳥の契約をする前にショパンのオーケストレーションをしてくれと頼んできた。春の祭典の初演のスキャンダルを彼は(興業としては)喜んだが、それを巻きおこしたのは私の音楽であって彼のバレエではなかったから嫉妬もしていた。
注4・アイルランド出身の作家。ここでは「ホモの性癖が過ぎて投獄され梅毒で死んだあいつ」という意味で引用されていると思われる。ディアギレフもその道で著名。
注5・ディアギレフとの縁で功成り名を遂げたものの、彼のニヤリとした表情には「あの食わせ者にはやられたよ」感が満載で、それ以上の関係を感じないでもない。ディアギレフは貴族で海千山千の起業家だ、10才下の若造をおだてて手玉に取るのはわけなかっただろう。
私が指揮台に登るのは、どの指揮者よりも聴衆をうならせることができるからだ。私の父は当代一流の、あのシャリアピンに比肩される歌手である。私は偉大な解釈者の息子であり、彼の強烈な劇的表現の才能を受け継いで指揮をしている(注6)。
注6・指揮者としての自分を血筋で正当化している。作曲者なのだから解釈の正統性をなぜ謳わないのか不思議だが、彼はスイスに亡命したため1917年の十月革命で財産を没収され、ロシアがベルン条約加盟国でなかったためにパリでのロシア・バレエ団からのギャラ支払も拒否されてディアギレフと争っていた。だから三大バレエは人気を博したものの彼にはあまり印税をもたらさず生活は困窮した。すでにアンセルメ、モントゥーら著名指揮者のレパートリーとなっており、彼はチャレンジャーだったから血筋まで持ち出す心理になったのだろう。このインタビューはコロンビア・レコードが彼の自作自演盤を市場に出し始めたころに行われたから、彼は売上に敏感だったろう。ただ、結果としてレコードは売れて彼は「生きたレジェンド」になり、米国作曲作詞出版家協会(ASCAP)が彼の印税のランクを上げたため収入が3万5千ドルから7桁に近い6桁台に急上昇して大枚をつかんだ。
私が自作を指揮をすると専門の指揮者たちが怒るが、その理由は私の音楽(の解釈)についてではない、収入が減るからだ。競争(を仕掛けられた)と思うのだ。『ショパン』の稼ぎより『ルービンシュタインのショパン』の稼ぎの方が多くなくてはいけないのだよ、わかるだろう?(注7)まあ彼は友人だから悪くは言えないがね(注8)。
注7:俺の曲にただ乗りして稼ぐ奴らは許せんという意味。三大バレエは花のパリで初演から話題を巻き起こして興業的に当たっていたのだから、若くて金のない彼に「チクショー損した」感が大きかったのは当然だ。彼は創作過程について詳しいコメントを残していないが、想像するに三大バレエの時期はロシア革命、亡命、裏切りと重なる彼のトラウマでもあるだろう。
注8:ルービンシュタインに「ペトルーシュカからの三章」を書いて献呈しているための弁解。作曲家は経済的に不毛だったペトルーシュカを金にでき、ピアニストは『ルービンシュタインのストラヴィンスキー』を手に入れられるグッド・ディールだったとにおわせる。
演奏家は、トランペットならその奏者が、私のイマジネーション(注9)のとおりの音を出さなくてはいけない。音のイマジネーションを分かり易くするためにクラフトマンシップについて説明してください(注10)。(クラフトマンは)物を作る人だ。その物は独創的(発明的)でないといけないが(注11)。
注9:ロバートに「アゴン」のスコアの変拍子をひとしきり解説して見せた後、ストラヴィンスキーが創造の核心に触れだした。ロバートには「それはどこからどのように来るのですか?」と質問してほしかった。
注10:ところがロバートは(たぶん台本を消化するため)この一見もっともらしいが実はくだらない質問にすり替えてしまった。
注11:別の場所では、演奏家は作曲家が創った鐘を鳴らす鐘突き人だ、鐘は突けばちゃんと鳴るように創られていると述べている。質問の脈絡が不明のためストラヴィンスキーは鐘はそう造られるべきと苦し紛れに答えているわけだが、誠にもったいない機会損失であった。
彼(注12)はその知識を自己流儀で獲得していたが、音楽というものを習得してなかった。とても優れた耳と記憶力を持ってはいたがね、ロバート、君のようにね、でも君は作曲家じゃないが、彼は作曲家だ(注13)。
注12:前述の初めて和声法、対位法を習ったリムスキー・コルサコフの弟子。
注13:これを言うストラヴィンスキーは、自分はパフォーマーではなく創造者だ、作曲家は演奏家より上だという強いプライドを漂わせている。2日後に「アゴン」を指揮するロバートはその言葉に反応を見せない。パフォーマーに徹したことで評価されたのだろうが、世間の評価はピエール・ブーレーズが上だった。
音楽は音を聞くだけではアブストラクト(抽象)であり、振動を感じなくてはわからない。音楽は音のリアライゼーション(具現化)であり、それは人の心の働きである(注14)。哲学者ショーペンハウエルは「音楽はそれ自体が宇宙である」と言っている(注15)。
注14:鉛筆をくわえてその先をピアノにくっつけ、ベートーベンは耳が聞こえないからこうしていたと実演しているが、言いたかったのはこれだろう。アブストラクトでないものが彼にイマジネーションとして心の働きを喚起し、音として “聞こえて” おり、それを書きとるのがリアライゼーションと筆者は理解した。別なインタビューで彼は「最高の作品とはまさに妊娠している母親のように、心と耳で感じられるものだ」と語っている。
注15:ショーペンハウエルの音楽論の部分を書きとっている。彼が全編読んでいたかは不明。8才でオリジナルの音階を創造しようとしたストラヴィンスキーの心の作用は万物の根源に向かうという意味ですぐれて哲学的、科学的であるが、前掲書によると、死生観などは呪術的でもある。
以上。
ここでストラヴィンスキーが本当にやりたかったわけではないであろうパフォーマーの仕事ぶりを見てみよう。1959年にN響を指揮した火の鳥である。選曲も管弦楽法も聞きなれぬバージョンの組曲であり、その差異により、彼が著作権を持って課金できているはずのものだ。終曲のおしまい、ロ長調になる部分のぶつ切れは彼がそりが合わなくなっていたアンセルメ(彼はフル・ノート延ばす)へのプロテストかと感じないでもない。
ストラヴィンスキー夫妻とロバートはこの年行われた皇太子ご成婚にかけて来日し、兼高かおるが同行して京都、大阪、箱根、鎌倉、日光を旅した行程が詳細にロバートの上掲書に記されているが、ストラヴィンスキーのために2回のリハーサルをつけたこと以外は5月1日のこの演奏会にはまったく言及がない。彼らの意識の中ではその程度のものだったのだろう。
上掲ビデオのNBC番組については、ロバートの上掲書に記述がある。6月12,13日で、その5日あとが巨匠の75才の誕生日だった。
最晩年のロバート・クラフト(October 20, 1923 – November 10, 2015)が1971年にヴェニスで執り行われたストラヴィンスキーの葬儀の思い出を語っている。最後の一言に衝撃を受けた、まさに感動的だ。
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独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その8)
2020 JAN 24 13:13:23 pm by 東 賢太郎
ヤン・パネンカ / カレル・アンチェル / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
パネンカ(1922 – 1999)はヨゼフ・スークやスメタナ四重奏団との合わせ物のイメージが強いがソリストとしても一家言あるピアニストであり、僕は彼のベートーベンを時おり聴く。大向こうをうならせるヴィルトゥオーゾのタイプではなく、スリムで形式感覚のきっちりした演奏に特色があり、野球ならクリーンアップでなく俊足攻守の1、2番の人だ。このシューマンも不足ない技巧で闊達に弾かれており、同系統の音楽資質のアンチェルと相まって筋肉質、質実剛健の演奏である。Mov2などさすがにポエムの不足を感じてしまうが、現代の演奏解釈は過剰にロマン的かもしれず、このテンポがシューマンの意図に近い可能性はある(評点・3)。
スビャトスラフ・リヒテル / ヴィトルド・ロヴィツキ / ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団
リヒテル(1915 – 1997)の技巧の凄さについて僕は証言することができる。ロンドンで聴いた彼のプロコフィエフのソナタ以上の驚くべきピアノ演奏を僕は体験していない。ppで弾かれたプレストの複雑なパッセージは衝撃的で、他の誰からも聴くことはもうないだろうと断言できる。このシューマンはそのリヒテルによって恐らく人類の成し遂げた最もレベルの高いピアノ技巧でこのコンチェルトが弾かれた記録であり、ほかのピアニストの指のもつれた演奏によって難所と知る部分に破綻はおろか苦労の痕跡さえ感じさせないものだ。さらに貴重なのはロヴィツキの指揮するWPOが完全にリヒテルに共感、同化し、個性的音色、彫琢されたフレージングで単なる伴奏以上の自発的感興に満ちた音楽を展開していることだ。そのアプローチで必然的に失っている抒情的な部分での詩情というものはあるが、その欠点を割り引いても一聴に値する(評点・4.5)。
ウラディミール・アシュケナージ / ウリ・セガル / ロンドン交響楽団
1977年6月, キングズウェイホール(ロンドン)におけるアシュケナージのこの曲唯一の録音である。リヒテルに対抗できるメカニックがありながら剛速球派の彼とは違い剛柔織り交ぜたといえるが、ぶれない芯の強さがあって決して軟投派ではない。アシュケナージのピアノはブラームス2番、モーツァルト20番を聴いたことがあるが、鋼の剛直さと珠のような美音を併せ持ち、決して尖ったエッジはないが終わってみると美味なフルコースを食した満足感にひたれるという体であった。この40才で成し遂げた演奏においてもセガルの伴奏も含め水準が高く、ゆえに再録音しなかったのだろうと想像する。やや健康優良児に過ぎると思わぬでもないが、曲にまだ馴染みのない方が聞き覚えるには不足のない模範的演奏だと思う(評点・4.5)。
アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ / ダニエル・バレンボイム / パリ管弦楽団
ミケランジェリ(1920 – 1995)は一度だけ、ロンドンでドビッシーとショパンを聴いた。独特な透明感と色彩感覚のピアノであった。このシューマン、まず冒頭のピアノの「入り」が強すぎ、何が起きたんだ?とデリカシーのなさにびっくりする。84年のこれだけかと思ったら昔のシェルヘン、チェリビダッケとの演奏もそうだ。その後も聞きなれぬ意味不明のダイナミクスに戸惑う場面があって集中できず、バレンボイムの伴奏も無機的で再現部前の浮遊する和声感(こういう箇所がシューマンの狂った所なのだが)が何やら無用に現代音楽風にすら聞こえたりする。カデンツァのアクセントも妙である。比較的普通でほっとするMov2を経て、Mov3はもっさりした野暮ったいリズムで開始する。ピアノは妙なところでルバートと共に鎮静し、すぐ元気になる。コーダでは速めのパッセージにまでルバートがかかる。スコアにない予断を許さぬ驚きの連続だが、何のためなのか僕にはさっぱり意味不明だ。そして曲はついにバレンボイムのあおるティンパニの下品なロールで豪壮に幕を閉じ、無垢な聴衆の大喝采をもらうのであった。あの奇跡的な「夜のガスパール」のピアニストからは思いもよらぬ異星人のシューマンである(評点・1)。
ブルーノ・レオナルド・ゲルバー / ヨゼフ・カイルベルト / ケルン放送交響楽団
これもyoutubeで発見のライブ。Mov1、ゲルバーの主題提示はデリカシー満点。第2主題移行部のテンポの緩急や絶妙のルバートも楽想の呼吸にぴったりだ。ゲルバーはロマン派の感情の起伏を大きめにとるが決して尖ったことをせず聴き手を包み込むように納得させる名手だが、シューマンにうまく活きている。カイルベルトの指揮もその脈動に歩調を合わせてあり、展開部でのフォルテではティンパニを強打し、ロマンティックな木管の陰影の明滅も耳をとらえ、大変に「濃い」。Mov3は表情もリズムも大変に雄弁でピアノと競奏的な興奮をもたらす。両者のテンションの起伏が見事にはまっているので、つりこまれた聴衆が静寂部で息をひそめているのが分かる。Mov3の主題提示が録音商品化するには技術的に物足りないが、それを割り引いてもいい。スーパーテクや妙なとんがりで個性を出そうとする若手の努力が完璧にアホらしく聴こえる真打の名演(評点・5)。
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すみれさんへのメール
2020 JAN 23 0:00:23 am by 東 賢太郎
すみれさん
ありがとうございます。
Janine Jansenのバージョン、濃いですね。folkのルーツにつながる感じがとても良いと思います。Yo-Yo MaとSilk Road Ensembleのセンスはお送りしたバルトークのシナゴーグ版などにもおなじDNA があるように聞こえますね、これから聴いてみます。東洋人と西洋人が同じノリで楽しめるというのはシルクロードでDNAが連鎖してるからと理解しております。ちなみに僕がクラシックにはまったきっかけはボロディンの「中央アジアの草原にて」だったので、このテーマはいろんな角度から我が事として深く考えてます。
音楽にはそういう人間の奥深いものを抉り出すパワーがありますね。他の芸術と違います。先日友人の医者と話していたら、六感のうち嗅覚だけが脳に直接届くそうです。他はいったん脊髄に届いてから脳に信号が来るので、ワンクッションのない嗅覚は一番本能的にインパクトがあるそうです。猫、犬の嗅覚は人間の数万倍だそうで実感として想像もつきませんが、空気中に浮遊する分子を直接に捕らえる体感認知の方が音波(耳)や光波(目)によって間接的に捕らえる推定認知より生存するために信頼度が高かったのです。だから我々にも神経回路にその痕跡が残っています。人間の認識力は視覚が圧倒的に優位になるように進化したので気づいてませんが。
ここからは僕の空想になりますが、胎内で聞いていたもの、リズムは母の心拍、歌は母の声と意識の奥深い所でリンクしていて、 音楽は物理的には確かに聴覚で認識はするのですが実はボディにルーツがあって六感における嗅覚に近い(ワンクッションのない)処理がされているのではないでしょうか。だから音楽を聴くと体が動くし、それがダンスとなったのでは?言語は左脳、音楽は右脳が処理という説は証明されてませんが、メカニズムはともかく、音楽は本来「右脳的」なインパクトが強いと思います。
バルトークは東西民族の入り混じったマジャール人でおそらく自分の血を体感して民謡を採譜・研究したのではないでしょうか。しかし信号を受け取って処理した彼の高度に進化した脳がそれをそのまま出すことを許容せず、満足できるところまでいわゆる西洋音楽的な抽象化を施してあの6曲のカルテットを書いたと思うのです。Sz.56は生身の彼に近い音楽で貴重ですね。
ここにもそう言う事を書きました。
でもピアノよりgeigeがいいね、より直接に右脳的に訴える気がします。音楽を平均律に封じ込める過程でデジタル化、抽象化して左脳的になってしまうのでしょう、バルトークの楽器はピアノだったから。ピアノがなぜ両手で10本の指で弾かれるか?片手で単音でやってもつまらないからです。弦楽器、管楽器は自然音階で純正調に微調整してリッチな音楽が弾けるからバッハがそれ1本であれだけの曲を書けました。第九の第3楽章の音階を吹くホルンソロ、あれはスコアは変ハ長調だけどピアノ版だとロ長調になってなんか変ですね。それが、すみれさんご指摘の「例のラ#を高く期待する聴感」なんでしょう。
和声というのは本来は教会の残響の調和で発見された自然倍音の累積ですが、平均律という転調に好都合の非自然的音律が便利さの代償として大事なものをそぎ落としてしまったので、そのまた代償として鍵盤上で進化したお化粧です。しかし面白いもので、それが「お化粧術」として独自に高度に知的に進化して和声学になった。ところがこれはこれで、僕の場合ですが、実に右脳的に効くものですから、以上書いたことと矛盾してしまうのです。音楽は謎です。一生探求しても理解できない神秘です。
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