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ラヴェル 組曲「鏡」(Miroirs、1905)

2020 APR 4 21:21:58 pm by 東 賢太郎

週末は小池都知事の外出自粛要請にしたがって在宅。こういう時にピアノは友だ。その場にある楽譜からまずブラームス交響曲第4番のMov2。最後のE durとC durの痺れるような交差が最高。ベートーベン第九のMov3と終楽章、なんとか最後まで。次、7番のMov2を弾いてみると、どことなく月光ソナタの情景が。そこでそちらのMov1を。ああいい曲だ。なんとも外の雪景色になじむではないか。コロナで殺伐とした気分なのに、ふかくふかく心を癒してくれる(注:本稿は4月1日に書いた)。

ところが、かつて暗譜で弾けていたラヴェル、クープランの墓のフォルレーヌがいけない。指の記憶はけっこう残ると思っていたが、こういうこみいった曲は飛んでしまうようでまた譜読みだ(臨時記号だらけ)。しかしその甲斐はある、ラヴェルの和声創造の秘儀にもう一度感嘆の声をあげられる、これ、大昔に読んで犯人を忘れてしまったコリン・デクスターのミステリーの読み返しみたいだ。

ラヴェルのピアノの譜面は、まるで彼が管弦楽において各楽器の細々したフレージング、音域による音色変化や和声内での混合バランスに微細な神経を使っているように、ピアノから出てくる音のラヴェル的としか表現しようのない響きの「らしさ」に資するべく個々の音の「置き方」が最高度の人智によって巧妙に設計されている。加えて左手の協奏曲などに至ると、そうした立体的ともいえる配置の妙であたかも両手で弾いているように聴こえさせ、トリックを聴衆にかけて楽しむ。

ホフマン物語のオランピア

我々はトリックと知っているのだが、あまりに精巧にできていて、疑う自分が野暮に思えてくるというレベルのものだ。嘘なら嘘で最後まで騙してくれよとしまいにはひれ伏して懇願でもするしかない。さように人工的な音楽なのだが不思議と情緒に訴求するものがあり無機的にきこえない。しかし、だからといって感情移入するとさらっとかわされてしまい、人肌と思って触れてみると実はホフマン物語のオランピアみたいに機械仕掛けの人形でしたという感じである。この特性は組曲「鏡」においてもはや妖術の領域に達しており、譜面を読んでみると初めてオランピアの体内を造形しているネジやバネが即物的なあっけらかんとした姿を見せる。なんだこんなものだったのかと白けるが、通して聴いてみるとまたまた蠱惑の罠にはまりこみ、気がつけば人形の妖術にかかっているのである。

その感覚は後の音楽よりも現代アートに通じるものがあって面白い。まず思い出すのは昨年に瀬戸内海の直島の地中美術館で観たウォルター・デ・マリアのアート「Time/Timeless/Notime」だ。人工的だが宇宙的でもあり、どこか達観してツンとしていながら不思議と感情に訴える。巨大な球に近づき裏側にも回り、そのばかばかしくもあっけない即物性を知るのだが、写真の視点に戻ると荘厳な秘教の神殿みたいな非現実のヴィジョンに再度捕えられてしまう、3次元のだまし絵のような作品だ。

もうひとり、ジェームズ・タレルは光と造形で人の感覚を惑わし、なんとも不可思議で超自然的な調和のある光景を味わわせてくれる。誰も見たことのない景色だが、どこか数学の法則、神の摂理が心に親和性をもって語りかけるようでいて、しかし、まったくの人造物なのだ。これはアリゾナ州立大学にある作品だ。

ジェームズ・タレル「ローデン・クレーター」

ラヴェルにもそういうものがある。何回騙されても面白いミステリーであり、機械仕掛けの蠱惑的な人形である。

組曲「鏡(Miroirs)」についてラヴェルは、シェイクスピア『ジュリアス・シーザー 』の「目はそれ自体を見ることは出来ない、何か別のものに映っていなければ」を引用しており、以下の5つの曲を友人たちに献呈しながら、各曲を鏡として映る自分の姿を投影している。このメソッドは、例えばドイツの雑誌「シュピーゲル」(Der Spiegel、 鏡の意味)、イギリスの日刊タブロイド紙「デイリー・ミラー」(The Daily Mirror)でおなじみだが、我が国は世相を映し出す「大鏡」が平安時代に遡るから遥かに先進国である。

1.蛾:詩人のレオン=ポール・ファルグに献呈。
2.悲しげな鳥たち:リカルド・ビニェスに献呈。
3.海原の小舟:ポール・ソルドに献呈。
4.道化師の朝の歌:ミシェル・ディミトリー・カルヴォコレッシに献呈。
5.鐘の谷:モーリス・ドラージュに献呈。

これらをアナリティックに聴くのはあまり意味がないだろう。ベートーベンのように形式論理(あることはあるが)を見出しても、それでラヴェルに入りこめるわけでもない。そのかわり、これらの自画像には揶揄、皮肉、憧憬、孤独、欲望、畏怖がある。3,4は自身が管弦楽にして著名になったが僕はピア二スティックである1,2,5を好む。ドビッシーは和声を混合して反応させ変幻自在の化学式を探求したが、ラヴェルは同様の試みをしながらリスト伝来のピアニズムにも語法の要諦を託した。それは比較的初期の「鏡」で試行され、のちに「夜のガスパール」で開花する。

ラヴェルをどう聴こうが十人十色だが、デ・マリアやタレルの絵画がしっくりくる僕にとって彼の音楽は宇宙の真空、無音の空間にぽっかりと浮かぶ神秘の方程式であり、どんなに世俗的で怪異、グロテスク、性的に見えていようとその真実は完璧な球体の如く無機的である。しかし、そのひんやりした感触が、たまらず魅力的なのだ。彼の後継者は現れなかったが、意外に思われようが僕はジャズ、それも白人のビル・エヴァンスらのクールなタッチと和声感覚に引き継がれているように思う。

「鏡」が異界の妖術たり得るには、ピアニストは完璧な指回りの技術とタッチの質感とグラデーション、そして10種類を超える音色を要するだろう。これと夜のガスパールは、したがって素人に手の出る代物ではなく、僕の知る限りプロでも満足のいくリアライゼーションを成し遂げるのは至難である。5曲を非常に高い水準で聴けるひとつに、アブデル・ラーマン・エル・バシャの2種の録音がある。比べるなら、旧盤(右)が上だ。お聴きいただきたい。

もうひとつ、こちらも光彩陸離で動的であること出色で愛聴しているエリック・ハイミの演奏だ。鏡とガスパールだけはモノラルの古い録音はどうしてもハンディがある。不思議とクープランの墓、ソナチネはそうでもない。2系列あるのだ。ピア二スト、ハイミ(1958~)は知られていないがアメリカは時にこういう素晴らしいヴィルトゥオーゾを輩出する。このCDの「スカルボ」は僕の知るAAAの演奏のひとつで特筆したい。

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