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マッコイ・タイナー追悼(アフロ・ブルー)

2020 MAR 14 17:17:50 pm by 東 賢太郎

世の中を右も左も知らぬ駒場の学生のころ、ホテルの予約もなく、レンタカーの契約書1枚でロサンゼルス空港に飛んでしまった。羽田からパンナムという時代だ。「外国に行ってみたいの?」「行きたい」。おふくろはそれでいっさい言わなかった。用心深い銀行員の父は「この人に会え」とロス支店長さんの連絡先をくれた。

動機は憧れ。それだけだ。そんなもので行けてしまうのは若かったからたが、今になってみると、その1か月の放浪で僕はその後の人生、誰もナビゲーターのない未知の塊であった人生を無事生き抜く「五感」をすべてもらった。これがなかったらアメリカンな証券業界に入らなかったし、生きてもいけなかったろう。

タラップを降りる瞬間に息を吸って「日本と同じだ」と安心したのが五感の第一歩だ。笑ってしまうが、本気で空気が違ったらどうしよう、呼吸できるだろうかと心配で、月旅行並みの覚悟であった。肌の黒い人はだっこちゃんとインド人もびっくりしか知らないというひどい時代だったからアフロアメリカンを見たのは初めてだ。バーで酔っ払ってきいたバンドに圧倒され、憧れていたアメリカのいち部分は黒人の血に由来したことを知った。

のちに今度は東海岸でジャズを見た。聞いたか見たか微妙というところだ。嗅いだというのもある。ヴィレッジかブルーノートか、妙なにおいがたちこめていて「なんだ?」ときいたらダチ公、何のこともなく「ハシシ」だ。凄い所へきたとテーブルに座って、すぐ目の前でドラムたたいてるおっちゃんがやたらにうまい。誰?と目で奴にきいたらアート・ブレーキーだった。もうひとりといえば全盛期だったジャック・ディジョネットにわけわからずぶちきれた。

こうしてライブから入ったジャズは僕にとっての異界、あちらの世界だ。あんなのはとてもシラフじゃきけない。レコードで知ったビル・エヴァンスやキース・ジャレットの白人モノはこちらの世界である。一番聞きたかったのはジョン・コルトレーンとマッコイ・タイナー。別々の個性として好きなのだが、もとはいっしょだからそのルーツがストライクゾーンで、リオ・デ・ジャネイロできいたアフロ・キューバンのバンドもそっちに入る。

自分の中の二人。ひとりはきっちりしたクラシック派だが、もうひとりはアフロ派で素朴で粗暴で原始的で孤島で素っ裸で生きていたいみたいなところがある。日本国の日常ではそうもいかないので真面目にしているが、ときに全部ぶち壊して滅茶苦茶したくなる。そういうときのこころの友であり、非日常への解脱がジャズである。なぜクラシックが好きかが普通のパターンと違うのは説明したが、ジャズにおいてもそれはいえる。

西洋のそもそも粗暴な連中が桃源郷を見るのが東洋というのはよくある。マーラー、ドビッシーやジョージ・ハリスンがそうだが、そうして異界とのハイブリッドとして血縁なく生まれた大地の歌、版画、ノルウエーの森みたいな世界に近いジャズもあれば、脈々と通じる父祖の血を肉体で感じ取った原色的なものもある。日本人である僕は奴らよりは慎ましく生きてるので逆に原色の肉体派に惹かれてしまう。

クラシック界で異界と交信したぶっ飛んだ作品なら春の祭典とトゥーランガリラ交響曲をあげたいが、僕がそこから入門しモーツァルトやベートーベンからしなかったのは異界の方にも同じほど愛着があるからだ。異界ってよくわからん、何なんだそれは?と思われるだろうから、その最たる例をお示ししよう。ジョン・コルトレーンのフリー・ジャズ路線を示すこのビデオの5分45秒あたりからお聴きいただきたい。

馬でも絞め殺してるかというサックス。これがジャズかという人もおり、現にマッコイ・タイナー(pf)とエルヴィン・ジョーンズ(ds)はこのシアトル・ライブのあとグループを去る。しかしハルサイ、トゥーランガリラ好きにとってこれは子孫のようなものであって、先祖の方も異界だけどまだかわいいもんだったと思わせてくれる。

このアフロ・ブルー(”Afro-Blue “)は自作でないがコルトレーンの看板ナンバーだった。冒頭のシンプルなメロディーを縷々インプロヴァイズしていくだけだが、マッコイのピアノがエルヴィンのドラムスとパーカッシヴな灼熱の興奮を盛り立て、和声のヴォイシングの変幻自在のぶりはそこで音楽が生まれるようだ。モーツァルトやベートーベンの即興演奏もこうだったろう。どんな音楽だったかは重要でなく、音楽したいぜという貪欲なスピリットこそ聴き手の心に響くからだ。これをクラシック音楽と区分けする理由は僕には見当たらない。

こういうものを前にすると、日本人の作品はジャンルがなんであれ「ぶちこわし」がない。先人の話題作を巧みにきれいにマネしただけ。マネがうまいだけではだめで、マネなんだけどいかにマネっぽく見せないかの非創造的でくだらない技を競ったりする単なるつまらない秀才。天才は滅多にいないが秀才なんて毎年何千人といるよ。クラシックしてます、ゲンダイオンガクやってます、ジャズってます。そんなものは物マネ芸人大賞しか取れない。マネできないほど置いてかれてしまうと、こんどは巣ごもり、ひきこもりになる。

枠を破壊して先人を凌駕してやろうというギラギラした凶暴さなどかけらもない。和を以て貴しとなしてますね、お上手お上手パチパチ・・・なんてものはどぶに捨てなさい。そんなもの世界で競争に勝てないよ、時間の無駄で気色悪いだけ、糞くらえだ。黒人は凄い、白人にあれだけいじめられても、奴らの音楽なんか気にもしてない。東洋人?中国人も白人など屁とも思ってない。お・も・て・な・しだけお得意の下僕みたいな日本人、なさけない。

アフロ・ブルーは複数バージョンあって、この1963年11月2日のベルリンライブはまだアバンギャルドがかってない原形に近いものだ。ピアノの和音のモードが良く分かる。

こちらは1965年5月7日のニューヨーク「ハーフ・ノート」でのライブ。マッコイのソロが凄い。凶暴に叩きつける左手、目にもとまらぬ右手パッセージ。最後ほうで無調になるところのピアノの和声の浮遊、「世の終わりのための四重奏曲」みたいだ。メシアンもびっくりだ。マッコイ・タイナー、かっこいいばかりじゃない、白人が崇め奉る最高級の音楽までぶち飛ばしてる。この火を吹くような演奏がラジオ放送でフェードアウトとはもったいない。

最後にマッコイ・タイナー・カルテットのバージョンである。2007年のリリース。コルトレーンの狂気はかけらもなく、フライ・ウイズ・ザ・ウインドのタッチになっている。この路線ならフリージャズのコルトレーンとおさらばしたのは道理だろう。

13才からピアノを始めてここまで行ったという人は知らない。奇跡のようだ。コルトレーンと組んだことは幸運だったが、サックス奏者なのに和声に興味があってセロニアス・モンクから楽理を学んだ彼との音楽のマッチングは最高だったと思う。

しかし天才同士は最後は天才であるがゆえに地金の違いを修復できないのだ。マッコイの路線で最高傑作は僕はフライ・ウイズ・ザ・ウインドと思う。そしてコルトレーンの一番琴線に触れるのは、別れる直前の1965年の数本のライブ録音だ。天才二人の最後のスパークは、ビートルズの最後の2枚を思わせる。マッコイ・タイナー、2020年3月6日没、享年82才。ご冥福をお祈りします。

 

マッコイ・タイナー「Fly With the Wind」

 

メシアン 「世の終わりのための四重奏曲」

 

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Categories:Jazz

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