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ブラームス交響曲第3番の聴き比べ(3)

2017 NOV 7 20:20:45 pm by 東 賢太郎

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー / ハレ管弦楽団

Mr.Sが当時の手兵ハレO.と録音した最初のブラームスSym全集。1987-8年にロンドンでCDとして発売された最初期のブラ全で、入手したてのCDプレーヤーで狂喜して何度も聴いた。思い出の盤なのでどうしても主観が入るが、客観的に聞きなおしてみても、なにより弦楽器セクションの絶妙な音色造りと管楽器の音程の良さがこのレベルのオケにして驚異的レベルで、内声部の管が良く聞こえるバランスが室内楽的完成度にある。一言でまとめるなら雄渾さと深いロマンの味わいが絶妙にブレンドし、3番の醍醐味を十全に描き出した名演。第1楽章、第2主題に向けてテンポを落とす、展開部終盤でホルンを強奏、意外な楽器バランス等個性があるが僕はまったく不自然と感じない。第2楽章、ホルンとクラリネットの主題の歌、弦の細やかなフレージング、第3楽章の一切べたつかない高貴な気品。終楽章、トロンボーンがこれだけ聞こえるのも珍しいが過度なヒロイズムにならず深い満足感に至って終結する(総合点:5)。

 

エヴゲニ・スヴェトラノフ / ソヴィエト文化省交響楽団

1981年録音。ロンドンで手当たり次第にブラームスSymを買っていた89年に全集で購入。Melodiyaとあるが当時のレーベルはOlympiaであった。オケに国民性によるカラーがあった時代にこういうのが出るとマニアはたまらなかったのだ。懐かしい。意外に?まっとうで拍子抜けだがホールトーンはやや人工的か。終楽章できつめのVnと金管がロシアらしくなるが、オケ(もうないが)はうまい。ソビエト社会主義共和国連邦の遺産だ(総合点:3)。

 

ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団

オケが鳴りきってバランスも良く理想的な第1楽章。やや速めの開始が第2主題で減速するに至る難しい提示が実にうまい。第2楽章は透明なアンサンブル、第3楽章は節度ある歌でじっくりブラームスのロマンをきかせる。終楽章、クリーブランドO.の威力全開だが、矛盾するようだがこれだけうまいと耳が贅沢になってどこか予定調和的に思えてしまう。上記ハレ管は手造りの完成度で耳目を捉えたが、文句のつけどころのないこちらはなぜか感銘度が落ちる。セルのブラームスはどれも高水準を満たすが、特に3番は彼に向いていたと思う(総合点:4)。

 

セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

当時「幻の」だったこの指揮者が初来日した77年、大統領でも来たような東京文化会館の熱気は忘れない。聴衆は読響からどんな音が出るか戦々恐々だった。エゴイストに思われるが、後年彼のリハーサルで目撃したのはドビッシーの求める音を微細なまでに純化して鳴らす求道者の姿だった。そこでもそうだったが、第2楽章のテンポ(というより)は陶酔感と時間感覚がタイアップした不思議な世界だ。セルのように基本の拍節感から音符、小節単位でルバートするのでなく、大きな単位での脈動に音量、フレージングの呼吸がシンクロして巨大な揺りかごにいるような心地よさだ。酔えずに冷めていると遅いと感じるのは晩年のブルックナーで顕著だったが、彼の音作り哲学はカーチス音楽院で見た83年からなんら変わっていないと思う(総合点:3.5)

 

ジョン・エリオット・ガーディナー / オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティック

確かに対抗配置のVnなどでリヴォルーショナリー(革命的)な音の聞こえる部分がある。オーセンティック楽器での音化はチャレンジングな試みだが演奏様式がこうだったかは僕には確信がもてない。ブラームス時代の奏者がここまで現代的な演奏技術があったかどうか。こう鳴らすには指揮もテクニックがいるだろうが、ブラームスがこんな切れ味良い棒を振ったとはどうしても思えないのだ。楽器音のリアライゼーション目的ならよいが、時代シミュレーションがやりたいならオケはアマチュアを使った方がそれらしくなるのではないか。しかし、いずれにしても、それを我々が知り覚えたからといって、3番のスコアからさらに深い感動が得られるようになるとは特に思わないが(総合点:1)。

ブラームス交響曲第3番の聴き比べ(4)

 

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人間ドックはワンダーランドである

2017 NOV 7 1:01:53 am by 東 賢太郎

人間ドックというのは不思議なところだ。問題はありませんという答えを待っていて、期待どおりそういわれると高い金を払って損した気分になる。今年は夏休みもなく心配なぐらい疲労感があったが、結果は「体重を落としましょう」だけだ。先生こんなこともあるんだけど、いえ全然心配ないです、で、前回は2年前ですね・・・それを何とも思ってなかったほうが問題なのか。

周囲を見ていると面白い。来ているのは例外なく、病気かもしれないがきっと病気ではないだろうと思って今日までは来ていて、そう思ってる自分を疑っている健全な猜疑心を持った人たちだ。年齢はほぼ40代以上。6割ぐらいが男性で、女性より高齢者比が多い。7割はスマホ、残りはほぼテレビを見ており、自分の本が数名、新聞はスポーツ紙を数名、2年前は取りあいだった最新の雑誌は余っている。こんなところにも世相が見える。

今回、かつてなかった妙な感じに気がついた。僕は手術も入院も経験がない。両親の看病で病院通いは多かったが、お見舞い人というのは病院にとっては来なくてもいい、長居すると迷惑なお客さんだ。それが人間ドックでひとたびガウンを着ると、とりあえずなんちゃっての主役である。担当の女性アテンダントなぞがくっついて、かいがいしく万事やってくれる。うん、ぶっ倒れて患者になっちまうのも悪くないかな、なんてあらぬ気分になってしまった。

僕は採血が大の苦手である。横を向いて体がこわばってるので、たいてい看護師さんが注射針を構えたまんま「大丈夫ですか」と心配する。大丈夫じゃないよ、見てないうちに早くやってよ!というのがお決まりだ。やれやれ、やっと終わってロビーの椅子に座ってると、きっと顔が青い。するとアテンダントがご気分悪くありませんかとくる。良くはないと答える。いままではこういうのが煩わしいと思っていたけれど、今回は妙にありがたかったりするのも不思議なものだ。

先生に問題ありませんといわれてもそれは人間にとって乗り物であるカラダのほうの話であって、のっかっているココロのほうはデータに出ない。その妙な感じというのは、ひょっとして心のSOSかもしれないぞと思った。僕の仕事は道なき道を行くので地図がない。背負ってる荷物は重たいがガイドもいない。だから日々恐怖がある。それなのに、物作りするわけでない金融屋というのは崖から落ちて死んでもきっと誰も同情しない。それでもう7年だ。

健康なんだから親に感謝すべきことではあるが、それだけで人生楽しいわけではない。いや、万一楽しくないとすれば、体が壊れるまで死ねないというのはむしろ苦痛かもしれない。ガス欠にならない頑丈な自動運転車にドライブ嫌いが閉じ込められて、永遠に走り続けるみたいなものだ。たまにはエンストかパンクぐらいして修理工場のお世話になるのもいいよと、精神のほうが妥協を求めているのかもしれない。

そういえば、車中でドライブに退屈しないことこそが「人生の極意」なんじゃないかと思うことがあった。つい先日のことだ。綱島の天然温泉に行って、東京特有の黒湯につかって2時間ほどぼ~っとしていた。周囲はヒマそうなおじさんばかりで、まったくなんということもない。ところが翌日、寝覚めがやけに良くて快調で、なにか良かったのかなどうしてかなと考えてみるがわからない。要は、ぼ~っとしていい気分の人たちに囲まれて、それをおすそ分けしてもらったのかもしれない。

これが英語でパースタイム(pastime)というものなんだろう。いい言葉だ。学校では趣味、娯楽、気晴らしと訳すことになってるが、ちょっとニュアンスが違う。ここが非常に大事である。趣味は要するに道楽のことであって、自分から積極的にはたらきかけて時間を使うこと、つまりホビーだ。娯楽は楽しくさせてくれる活動のことだからアミューズメントが近い。気晴らしはいい線いってるが、憂さを晴らすという感じがはいってくるのでやや違うと思うのだ。

ではパースタイムとは何か?「本業ではなくて、どうしてもやりたいというほどのことでもないが、別にいやでもなくていい暇つぶしだね」ぐらいのあっさりしたお味と距離感のものだ。受け身だから疲れない、ここがポイントである。僕の綱島温泉は近場でお手軽で、ドンピシャでまさにそれだったわけだ。なるほど、もしかして、そういうものこそが人生を明るく照らす宝なんじゃないかと真剣に思うようになってきた。

ところがだ。じゃあ何があるかなと考えてみると、それが意外にないことに気づく。皆さんいかがだろうか?趣味じゃない。娯楽でもない。気晴らしでもない。明日はゴルフだぞみたいに積極的なものではなくて、家内や娘に買い物に引っぱって行かれてめんどうだなと思いながら、行ってみるとけっこう楽しくて時間を忘れたというたぐいのものだ。受け身なものだけに自分から探しに行くと逃げてしまう。それで意外にないのだ。

人間ドックは貴重であった。気を使っていただいて安楽に感じたのはそういうことの発見だったかもしれない。採血さえなければ毎月ぐらい通いたいものだ。思えばこういう気持ちになるとトシをとったということなんだろうか。

 

時の流れを何かで埋めたい

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野球ロスという憂鬱

2017 NOV 5 17:17:21 pm by 東 賢太郎

2012年というとSMCが始まった年だ。その年の9月にブログというものを初めて書き、11月4日に投稿したのがこれだった。

アメリカには季節は2つしかない

いまの気持ちそのものだ。毎年ここで精神がダウンしてきたんだと思うと、もう風物詩とでも考えるしかない。正月、桜、梅雨、花火大会、秋晴れ、台風のようなもので、「野球なし」は俳句の季語になるばかりかこの世の終わりに近い気もする。

僕は基本的に退屈を知らないが、ここ数日は確実に退屈するだろう。他のものがなくなるわけではないが、野球の喪失感を埋めるものは無い。つまり、日々の楽しみというならば飲・食・聴・読・書などいくつかあるが、これがおきるかどうかで判断するならば、僕の人生に最も大事なのは野球であるということになる。

ソフトバンクの松坂がとうとう戦力外通告となりコーチ契約のオファーをけって退団するそうだ。「もう一度マウンドに立ちたい」ときくと、とてもシンプルに、腹の底からわかる気がする。まだいけるぞ、やれやれと。僕ごときが松坂におこがましいが、野球少年だったのはいっしょ。そうじゃなきゃ、それがわかんなきゃ、あんなことやってないし。

ときどき夢に出てきてきてはっと目が覚めるのは、マウンドの投球プレートに白球がぽんとある景色だ。それが僕のマウンドの一番の記憶ということなんだろう。高校生は最後のアウトをとった球を、そうして置いてベンチにひきあげる。礼儀みたいなもんだ。だから、守りにつく側の投手がマウンドに登ってご対面するのはきまってその景色なのだ。

上の写真はちょっとちがう。こういうことはあり得ない。実際はスパイクが掘った穴ぼこが荒々しく野蛮にぽっかりあいていて、そこに球がはまっているのである。こんなに土がきれいな状態は初回だけだが、初回に置いてあることはない。ネットで探したがそういう写真は無かった。写真家の美のイメージと、そこで闘争している者の残す生々しい痕跡は似て非なるものだ。

梶井 基次郎の代表作「檸檬(れもん)」にこういうくだりがある。

「えたいの知れない不吉な塊」が「私」の心を始終圧えつけていた。それは肺尖カタルや神経衰弱や借金のせいばかりではなく、いけないのはその不吉な塊だと「私」は考える。好きな音楽や詩にも癒されず、よく通っていた文具書店の丸善も、借金取りに追われる「私」には重苦しい場所に変化していた。友人の下宿を転々とする焦燥の日々のある朝、「私」は京都の街から街、裏通りを当てもなくさまよい歩いた。

そこで、前から気に入っていた寺町通の果物屋でレモンを一つ買って、ひととき幸福な気分になった「私」はこういうことをする。

久しぶりに丸善に立ち寄ってみた。しかし憂鬱がまた立ちこめて来て、画本の棚から本を出すのにも力が要った。次から次へと画集を見ても憂鬱な気持は晴れず、積み上げた画集をぼんやり眺めた。「私」はレモンを思い出し、そこに置いてみた。「私」にまた先ほどの軽やかな昂奮が戻ってきた。

そしてこう書くのだ。

見わたすと、そのレモンイエローはガチャガチャした本の色の階調をひっそりと紡錘形の中へ吸収してしまい、カーンと冴えかえっていた

カーンと冴えかえっていた。穴ぼこの白いボールがまさにそうだった。夢に出るのは炎天下の7回ぐらいか。打たせたくない、がんばるぞ、でもしんどい、ものすごく暑い、もう握力がない、球はすこし泥でよごれてるぞ、汗ですべらないかな、ロージンバッグだ・・・。

しかし憂鬱がまた立ちこめて来て、画本の棚から本を出すのにも力が要った。次から次へと画集を見ても憂鬱な気持は晴れず、積み上げた画集をぼんやり眺めた。

いまはそんなものだ。

 

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(PS)

現在、東のブログがトップページからは開かない状態になっております。SEさんが調べたところ「wordpressのアクセスカウンタープラグイン”Count per Day”が原因で、東さんのサイトはアクセス数が非常に多いため、高性能な分たくさんの情報を内側にストックしてしまい、それが限界を超えたという形です」との連絡がありました。修復すべく作業をお願いしております。

 

ソフトバンク日本一おめでとうございます

2017 NOV 5 2:02:06 am by 東 賢太郎

中島さん、ソフトバンク日本一おめでとうございます。セリーグ3位に4勝2敗はパの王者としてご不満でしょうが、DeNAも雨中のCSを勝ち抜いて高校野球のチームみたいにどんどん強くなりましたし、最後の2試合は手に汗にぎる素晴らしいゲームになって全国の野球ファンを熱くしてくれました。

それにしてもこの試合、もしDeNAがあのまま3対2で勝ってたら両者とも崖っぷち。第7戦は濱口が出てきてSBはいやな展開になったかもしれません。そういう空気が漂いはじめていた9回裏、1点差で絶対の守護神・山崎が登板。デスパイネを遊ゴロに打ち取ってあとふたり。そこで同点ホームランを打ってしまう内川には見ていて鳥肌ものの衝撃をうけました。そこから3イニング投げたサファテの気迫の凄さが打線を鼓舞してのサヨナラだったでしょうか。

DeNAは8回と11回に痛いミスがあって無念の敗戦でしたが、しかし無敵の王者SBとここまで死闘を演じて互角に戦ったのはあっぱれの一言です。ラミレス監督の指揮は心から絶賛いたします。内川の一発で火がついたSB打線の風圧はすさまじいものを感じましたが、そのウルトラ強力打線に負ければ終わりの第4戦であわやノーヒットノーランを演じてしまった新人・濱口(!)。驚きました。しかも彼が7回で10奪三振なら、今日の今永は7回で11奪三振です。大谷みたいに速くはないけど、見ていて快感を覚えるストレートでした。しびれました。

プロ野球に入れる人達は全員が「天才」なので下々だった僕らは仰ぎ見るばかりなのですが、そのレベルの人達が死力を尽くして戦うシーンは壮絶であります。しかし天才の中でも、ここぞで結果を出せる人はさらに図抜けた人であり、そういう人を僕流にはスナイパーと呼ばせていただいております。本シリーズのMVPはサファテ投手になったそうですが、(場面の重み)×(出した成果)の巨大さから、SMCは「最優秀スナイパー賞」は内川選手と決定いたします。

両軍選手の皆さん、こんな素晴らしい野球はめったに見られるものではありません。最高にプロフェッショナルなプレーを有難うございました。

 

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トランプのマル秘ツイッター

2017 NOV 4 2:02:26 am by 東 賢太郎

俺と安倍の似たとこを一つだけ教えよう。株が高けりゃオッケーって所だ。奴はジョークで第2安全保障条約と呼んでる。でもな、日本株なんて米株のデリバティブみたいなもんよ、ヤツは俺の靴でも舐めるしかねえのさ。「はい、トランプさんが頑張ってくだされば万事OKです、はい、イヴァンカ観音菩薩様に5千万ドル奉納させていただきます!」てなもんさ。

あいつらは民度が低い。白人女とパンダを出しておけば「キャー、きれい!」「キャー、カワイイ!」だ。いくらでも操れるんさ。駐日大使のケネディなんてその両方だったよ。英語ならバカが有難がるから何でもいいさ、ファーストドーターとかな、わけわかんこといって煙にまいとけ、いくらでもカネせびれるさ。

そういやあとうとうFRB議長に手駒をおいてやったぜ。おう、ここだけは安倍に習ったんだ、あいつクロダというポチおいてうまくやったぜ。そうさジェローム・パウエルは俺のポチさ、ウォール街の株屋でな、俺はカネもうけしたいんだ、ボルカーやイエレンみたいな小理屈こねるボケどもはくそくらえなんさ。

さあ見てろよ、いよいよ法人税減税だ、核弾頭ミサイルぶっぱなしたるぜ。どうだ20%だ、すごいだろ、安いだろ~?これで世界のカネ吸いあげたるぜ。おう、そうだ、ミサイルっていやあ北の兄ちゃんな、いいか俺はこれから習を脅しに行くんだぜ、俺がお前殴っても手だすなよってな。

痛いのはプーチンだ、脅せねえんだ。奴は選挙のあれでキモイとこ握ってやがるんでね。わかるだろ、兄ちゃん、よく考えろ逃げ道はあるぜ。

 

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日本シリーズに見るスナイパー指数

2017 NOV 3 1:01:29 am by 東 賢太郎

野球が一日でも多く見られるのがうれしい。海の向こうではドジャースがダルビッシュの5失点で終戦を迎え、日本の方も3連敗で崖っぷちのDeNAが先発バンデンハークに手も足も出ず、ああ今年の野球もおしまいかと観念した。そうしたら筒香の一発が出て、クローザー山崎が渾身の投球で強力なSB打線をなんとか抑え、九死に一生を得た。手に汗握る好ゲームだった。

14ゲームも差をつけられた3位のチームがシリーズに出ているのはおかしいのだろうか?見ていて思った。いや、そんなことはないと。

バンデンハークの立ち上がり、ストライクゾーンのストレートを誰も打てない。これはそのままいけば完全試合になるのであり、まずいと思った。しかし4回にロペスが筒香がそれを打った。こういう打者がいるのがつよい。

打率や勝率というものは確率だ。10回打って3安打すれば3割打者である。しかし彼が11打席目に安打するかどうかは、実は誰もわからない。10回打たせてもらうわけでない、「次の1回だけの打席」においての話である。彼が打つ確率は30%でしょうでは答えにならない。今日の降水確率は30%です、では傘を持って出るかどうか微妙なのと同じだ。

シーズン勝率で上だったのは広島、阪神だ。しかし「次の1回だけの試合」で強かったのはDeNAの方だった(CS)。であれば、「次のここ一番」である日本シリーズにおいて、そういう戦いにおいて一番強いセリーグのチームに出ていただくのは全然おかしくない。下克上というが、そうではなく、スナイパー能力の高低だろう。これは僕の仕事における定義だ:

スナイパー指数=(求められる結果)×(そこで出した結果)

である。僕はこれで人を評価している。野球でいうなら、どうでもいい所でホームランを打っても、満塁で三振に終わっても、指数は低いわけだ。3割打つが指数が低い人と、2割5分だが指数が高い人なら、断然後者のほうの給料を高くしたい。勝つにはそういう人が必要だからだ。広島というチームはDeNAよりもこの指数が低かった、だから負けたのである。

昨日のゲーム、筒香、山崎は高い指数を記録したし、そういう選手が増えてきた方が勝つだろう。それをシーズン通しての確率で論じるのは無意味である。DeNAは新人の濱口が負けたら終わりの瀬戸際で、あわやノーヒットノーランの快投をやってのけた。おわかりだろうか、指数は満点である。今永もゲームはせり負けはしたが、快速球で三振奪取して打者を威圧した効果は大きく、だから7回で10奪三振は大変な高得点だ。

SBは左投手に苦労しているように見える。1日置いてヤフオク決戦だが、まず間違いなく先発は今永、勝てば濱口だろう。SBは千賀、東浜だろうか。最後の最後に、最高レベルの野球が見られそうだ。

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独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その4)

2017 NOV 1 22:22:16 pm by 東 賢太郎

ユリアン・フォン・カーロイ(pf)/ ロベルト・へーガー / バイエルン放送交響楽団

ハンガリーのピアニスト(1914-93)の滋味あふれる名演である。得意のショパンも持っているが、このシューマンはいっそう素晴らしい。自家薬籠中の表現は詩情もコクもあり最初のソロのクララ主題提示から唸らせ、随所のルバートや間は自在に取りながらも何一つ違和感を覚えさせるものがない。これぞこの協奏曲が求めているものだということであって、オケと競奏したりなにか奇矯なことをしようというピアニストとは根本から器の差を感じる。指揮もオケのフレージングもがピアノと呼吸が合い、感情レベルの高い次元で和合している。このクラスの演奏になると録音技術の進化やピアニストのスタイルの流行り廃りで古びてしまうというなどということとは無縁だ(評点・5)。

 

マウリツィオ・ポリーニ / クラウディオ・アバド / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

89年録音。ポリーニは絶頂期にあった。このイタリア人コンビのブラームス2番は聴きごたえがあるが、同じ透明感あるタッチのピアノもここではもうひとつ心に届かない。クリアなゆえにレガートが欲しい所で粒だって聞こえ曲想の転換でfになると低音が耳につくし、アバドの指揮も模範解答の域を出ずちっとも内側から燃えてこない。技術的な水準は大変高いのにあっそうで終わってしまう。美麗な博多人形を見ているよう(評点・2)。

 

リリー・クラウス / ヴィクトル・デザルツェンス / ウィーン国立歌劇場管弦楽団

指揮もオケも誠に二級だがピアノが入ると格調が増す。ゆっくりしたテンポの冒頭はユニークで、クラウスはクララ主題など歌う部分はたっぷりとレガートで弾くが、速いパッセージやカデンツァはスタッカート気味でペダルも控えf部分は男性的でさえあるから好みを分かつだろう。自分の音楽をやっているのだが聞かせてしまうのは曲想に強い共感があるからだ。彼女のソロ録音は名品が多いがコンチェルトとなるとモーツァルトでも伴奏者に恵まれない。このシューマンも何とかならなかったのか(評点・3)。

 

ウィルヘルム・バックハウス / ギュンター・ヴァント / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

出だしの「滝」からよいしょよいしょという感じでミスタッチもあり、オーボエの音程も低い。なんだこれは、これがVPOか。しかしだんだん調子が出るとさすがバックハウスという黒光りのタッチになってきてうなる。クラリネットの第2主題あたりからはオケも悪くはないが、残念ながら拍節感を守るヴァントの指揮が何とも杓子定規だ。第2楽章もロマンに酔わせてくれない。カデンツァはあまり弾き込んだ感じはなく、もつれている。バックハウスの貴重な記録だが、どうも僕の耳にはやっつけ感を否定できない(評点・2)。

 

サンソン・フランソワ / パウル・クレツキ / フランス国立放送管弦楽団

フランソワの右脳型のピアノについていける人には面白く、オーボエもクラリネットも思いっきり「おフランス」でどこか違うでしょの空気が漂う。ピアノは第2主題で没入したと思えば一気に展開部で激してみたり。この人のテンペラメントを僕はあまり得意としないが、例の楽譜の部分の弾き方など実にユニークであって、そうでなくてはいけない必然は何ら感じないがまあそれもいいねと言わせてしまうものがある不思議なピアニストである。第2楽章のオケとのずれまくりはすごい、クレツキは大変だったろう。しかし終楽章のオケは健闘しており指揮者の力量を見せつけて満足感をくれる。それにしてもだ、バックハウスはあまり練習してないのが正直に欠点となっているがフランソワはそれって味があるねという風に薬味にしてしまう。得な人だ(評点・2.5)。

 

独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その5)

 

 

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来年の事業につき決断を下す

2017 OCT 31 21:21:54 pm by 東 賢太郎

来年の事業展開につきそろそろ結論を出す時期が来た。リスクを取ってでもやる気満々でいたが、株主と何人かの識者、賢人の否定的な意見にしたがってやめることにした。100%納得できないことは、僕自身がスナイパーであるがゆえに確実にうまくいかない自信があるのである。

好調な本業に注力していくためであるが、今後数年の相場環境には必ずしも楽観的ではないという立場にたっているからだ。その前提では固定費増加は避けるべきであり、それを要件とする新規事業は何であれ断念するしかない。

現在の金融緩和状況は必ず揺り戻しが来る。それがいつかがベットの対象になっており、まだ大丈夫のほうに大勢が加担してバブルが発生して一気にはじけたのがリーマンショックだった。2020年までに1%でもその可能性があれば、そこまでに株価上昇が続かないと回収できないポジション保有は極力回避すべきというのがあまりに当然の結論である。

ゲンを担ぐほうではないが、ここ最近周囲でいいことがない。そういう中で何か思い切ったことをやって自分だけうまくいくのを祈念する気にはどうしてもなれなくなってしまったのも大きい。大きな事業の成否はモチベーションがすべてだが、収益を目的とする部分と人としてどうかという部分は峻別したい。

ストレスが半端な仕事でないが、耐性もすり減っている。思えばそもそも、もうこんなことをするトシではないのかもしれない。やり過ぎて病気にでもなれば万事おしまいである。事業が人生の集大成という人はいいが、先日書いたようにそういうわけではない気がしてきている(まだ自分を知らない)。

ただ、仮にだが、誰かにお任せして仕事から解放されてしまったら?きっと何をしていいかわからないだろうし、定年退職になってしまい考えるも暗澹たる余生だろう。僕に趣味はない。音楽は趣味で済まないからかえって体に悪いし、ゴルフと同じでやればやるほど自分の下手さ加減にストレスがたまる。

一つだけ、もうやりかけていて、考えていることがある。それが余生を完全燃焼させる物かどうか、まだ不明だが、そうなる可能性はあるようにも思える。

 

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ショパン好きはクラシックの巨人ファンである

2017 OCT 30 12:12:34 pm by 東 賢太郎

マーラーが嫌いだショパンが嫌いだヴェルディが嫌いだと、これだけお好きな方を逆なでする我儘を書いてきたのに毎日2千を超えるブログ閲覧を頂いているのは不思議だ。同感の方がそんなにおられるのかクラシックは度外視なのか、それとも趣味は趣味と併せ飲んでくださる本物の大人の方が多いのか。ともあれ本稿はまずそこから述べておく必要がある。

若いころ散々聴いたショパンから遠ざかることになったのは飽きたからでも敬意が失せたからでもない。当世のショパン演奏、鑑賞を取り巻く空気が苦手なせいだ。僕はちなみに野球でいうとアンチ巨人ではないし選手の実力は評価しているがジャイアンツは好きでなく、東京ドームは行かない。なぜかというと、「巨人ファン」が苦手なのだ。近年は困ったことに、カープ女子にまでそのきらいがあるが。

ファンの方には申し訳ないが、とにかく理屈はなくてオロナミンCのCMと同じぐらい苦手である。そして、重ね重ね大変申し訳ないが、世間一般の意味におけるショパン好きというのは、どうもそれと似たにおいを感じるのだ。その一員になるのが無理でコンサート、リサイタルは腰が引けてしまい、結果として曲まで敬遠することになったのだからマーラー、ヴェルディのケースとは異なっているように思う。

ハンガリーのピアニスト、ユリアン・フォン・カーロイ(1914-93)のショパンをyoutubeで楽しんだ。upするのはやってみるとけっこう面倒くさい、された方に深謝だ。カーロイはバルトークの薫陶を受けドホナーニに師事、パリではコルトーに師事した人でショパン、リストが有名だ。ショパン嫌いに戻ると、カーロイのピアノでこの第2ピアノ協奏曲を聴くなりそれは間違いだと、わかっていることなのだが、改悛を強いられるほど思い知ってしまった。

このベルリン・フィルとの録音は1956年だから61年前、指揮者のヴィルヘルム・シュヒター(1911-74)は1959~62年のN響の常任指揮者として有名だが筋肉質に引き締まったオケの緊張感がただごとでない空気を漂わす。そしてそれに包まれたカーロイ、何という純度の高い高貴なピアノだろう。そして、その前に、何という良い曲なのだろう。

僕が巨人の菅野は日本球界一の投手と信じ、カープが完封されたってその投球に賛辞を贈るのは、どこのチームのファンかという以前に野球ファンだからだが、それと同じ思いをクラシック音楽ファンとしてまったく自然にこのカーロイの2番には重ねることができる。ショパンの音楽は、あたりまえだが、天才による一級の芸術品なのだ。

少し話題を変える。音楽の感動というものはけっして音の側からやってくるのではなく、聞き手の心の作用から生まれるものだ。高音質のSACDはおろか実演の生の音でさえも感動がそれだけで保証されたり増幅されたりなどということは些かもないのであって、こういう古い録音が音質ゆえに忘れられるとしたらおかしな話だ。

クラシック音楽というのは作品が価値ある文化財だというニュアンスの用語だが、エジソンの蓄音機発明より百余年をかけて蓄積された演奏録音も文化財として価値があるという認識はyoutubeの登場で後退しているように思う。作品と違って録音は商品だ。その宿命は20世紀までは新しい演奏家が音質の進化によって先輩演奏家を凌駕する幇助になってきたが、今や1世紀分も蓄積した大家の録音ストックがネットで無料でばらまかれ、現代の演奏家はそれを広く知っている聴衆を感動させるという難題に立ち向かわざるを得なくなっている。

演奏家の良心がそれで曲がるとは思わないが録音の供給者である音楽産業は資本の論理で動き、ミーハーなビジュアルや解釈の派手なデフォルメを施す演奏家が売れるならそれでいい。しかし聴衆の心が真に良いものに開かれず、その方向に行ってしまうと音楽文化は徐々に衰退するだろう。僕が赴任した1992年のドイツ(フランクフルト)のイタリアンレストランは実に不味かったが、だんだん進化して今は遜色がない。ドイツの金融界が国際化して各国の舌の肥えた金融マンが流入してきたせいだが、客は料理屋を退化も進化もさせる。音楽界も同じで、聴衆が退化すれば供給側である演奏の質もそれに忠実に落ちていくだろう。

僕はコンクールにも懐疑的で、権威者がお墨をつけなくとも聴衆が良い耳と教養を持っていれば演奏家は自然と淘汰されていくはずだ。権威を信じるということは自分の心を閉ざすことで、心が開かれなければ感動もないから聴衆は遠ざかるし退化もする。それを防ぐためにyoutubeは役立つし、市場にない古い録音が聴けるのは有難いことなのだ。古いということは曲が生まれた時代に近いということであって、それによって伝統的解釈を知ることができるのはむしろメリットである。多くの聴衆がコンクール審査員に頼らずとも自分の耳で良品を聴き分けられる素地ができつつあるからだ。

カーロイのショパンに戻ろう。24の前奏曲(下)の3番ト長調、ここから立ちのぼる春の大地のエーテルのような香気、それを呼吸し生きている喜びはまさにショパンが封じ込めたものが解き放たれたようにすら感じる。明るい曲でこんなにこちらの精神がうきうきと沸き立つ演奏は他に知らない。そういうものは作曲家といえど楽譜という記号に書きとれるものではないし、限られたピアニストが読み取って真にすぐれた演奏技術をもって再現してくれないとそこに在ることすら知らないで終わってしまう。

カーロイの手にかかると技術的な難度は聞き手の視界に入ってもこず、ちょっとしたルバートや強弱がすべて自然に流れ、ショパンが描きとろうとした音だけではなく詩心がすっと心に入ってくる。これはピアノが上手い、超絶技巧である云々の即物的なこととして語られるべきではない。天衣が無縫であるがごとく、我々は美しい天女の衣しか目に入らない至福の時を約束されるのだから。

若いピアニストがこういう至芸を耳にせずショパンを弾いているならショパンの音楽にもショパン好きにも不幸なことだ。僕はこれを知ってしまっており、このブログで初めて聴かれた方も知ってしまっている。これを前にして当たり前の24の前奏曲を聴かされて、ナイヤガラ瀑布を見てきた者がその辺の田舎の滝を見た以上の何のことがあろう。クラシックを知る喜びはその差が自分の心で見分けられるようになって、音楽というもののすばらしさに心が開いた状態になることなのだ。審査員や識者の意見に頼ってではなく自分の経験として。

簡単なことだ。百余年をかけて蓄積された演奏録音も文化財として価値があるという認識に立って、カーロイのような「ナイアガラ瀑布」を自分の耳で探すことである。僕らの世代は食費を削って小遣いをため、2千円のレコードを買ってそれをしていた。貧乏学生にとって千円札は今なら優に1万円札以上の重みだ。youtubeでタダで楽しみながらそれができてしまうなんて羨ましい限りで、いい時代になったものだが、高価な物だから奉るように大事にして何度も真剣に耳を澄ませ、音楽に心が開いていったのも事実だ。タダでそれがおきるかどうかは保証の限りではないが。

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クラシック徒然草《ラテン感覚フルコース》

2017 OCT 29 11:11:30 am by 東 賢太郎

自分の洋モノ好きがゲルマンなのかラテンなのかは難しい所だ。地中海の文化、風物を愛するのは何度も書いた通りだ。食はラテンだしベートーベンやワーグナーもトスカニーニのラテン気質で解釈したものが良い。しかしゲルマン世界に5年も住みついて食も慣れたし人の気質にもなじんだし、ソナタ形式の音楽は言うまでもなくそっちだ。結局、どちらともつかずその時々の気分によるということだ。

お袋がいなくなってからもあまりに親しい方々が亡くなったり病気だとの知らせを伝え聞いたりするものでかなり神経が参っている。だんだん自分の過去が切り取られてなくなっていく。辛いから心が忘れようとするが、すると故人とともに子供のころの記憶にぽっかりと穴があいてしまう気がしてくる。こういう時にあまり気難しい音楽は欲しくない。何も考えずに、一切の言葉を消して頭を空っぽにして聞くにはラテンもの、フランスに限る。

洗練された美食の文化と同様、万事感覚的に美しいことに徹底して潔い。ラヴェル、ドビッシーはもちろんメシアンやブーレーズもそうだ。この感覚美とでもいうものが心の澱を流し去ってくれる。フランス人演奏家のゲルマンものでもそれは当てはまるが、最近の人はユニバーサルなアプローチとなってきてそうでもなくなった。パリ管の木管がパリ音楽院管弦楽団の音を失っていったのと軌を一にする。だから僕は昔のレコードをひっぱり出すことが多い。

フランス・ピアノ界の至宝、ロベール・カサドシュ(1899-1972)のドビッシー「映像Ⅰ&Ⅱ」は僕にとってその効果が絶大である。言葉がないほど見事だ。カサドシュの古典、ハイドンやモーツァルトは神品であり、明晰なラテン精神と素晴らしく透明でハープシコードのように軽やかなタッチで愉悦感が立ちのぼる気品は貴族的と讃えるしかない。

やはりフランスのピアニスト、マルセル・メイエ(1897 – 1958)女史によるファリャの交響的印象「スペインの庭の夜」はうれしい。ローマでのライブでラテンの香りがむんむんする。ああスペイン料理行こうかな。

レジーヌ・クレスパン(1927-2007)はフランスの名ソプラノ。2010年にパリに行った折、オペラ座で追悼の写真展をやっていたのを思い出す。アンセルメ・スイスロマンド管とのラヴェル「シェラザード」は世界遺産ものだ。

締めくくりはポール・デュカスの舞踊詩「ラ・ペリ」でいこう。ベンツィ指揮のボルドー・アキテーヌ管弦楽団。オケのローカルっぽい味がたまらない。

満腹にて終了。

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