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アメリカには季節は2つしかない

2012 NOV 4 20:20:20 pm by 東 賢太郎

昔、アメリカ人の野球ファンに聞いた話です。

 

日本には季節が4つある。春、夏、秋、冬。

シンガポールには3つ。Hot、Hotter、Hottest

アメリカは2つしかない。野球があるとき、ないとき。

 

ついに日本に「ないとき」が来てしまった。今日が一年で一番つまらない。人生で大切なものをとりあげられたような気分です。野球に関する限り僕はアメリカ人なみ(以上?)にアメリカンで、じいちゃんも慶応でやっていてDNAとしか説明がつきません。長いことヨーロッパで「ないとき」だった反動かもしれませんが・・・。

現SMCメンバーにそういうキチガイはおられないようですが、ふつうの野球ファンと何が違うか一言で申し上げると「見るなら野球だけ」ということです。「やる」のは別です。ゴルフは下手ではありません。でも見ません。01年全英オープンや89年ウインブルドンのファイナルを特等席で見せてもらいましたが退屈で早く終わらんかなと思っていました。まさしく豚に真珠でしたが見るだけなら僕は多摩川の河原で草野球見た方が楽しいのです。こういう人間は孤独です。

日本の野球場に来ている観衆が野球キチガイかというと99%はちがうでしょう。オリンピックで日の丸をふって応援する人と同じです。競技の細かいことは何でもいいし勝てばいい。僕もカープ戦のときはちょっとそれかもしれません。廣瀬にホームランが出て前の席のユニフォーム着た男の子がハイタッチしてくれると嬉しかったし。でも彼らの輪に入ってメガホンふって立ったり座ったりはしません。やはり見ているのは野球なので。

津坂さんがシネマ・ベスト3にあげられている「Field of dreams」は僕のような人間があの国にはたくさんいる、孤独じゃないんだと勇気づけられる映画でした。

その後しばらく何も起きなかったが、ある日の晩、娘が夕闇に動く人影を球場にみつける。そこにいたのは“ブラックソックス事件”で球界を永久追放され、失意のうちに生涯を終えた“シューレス”ジョー・ジャクソンだった。  

この映画を作った人たちの野球というスポーツへの深い愛情、理解、敬意。それを共有した選手たちへの愛情、理解、敬意。それと同じものがメジャーにいる日本人選手にも注がれているのを見るにつけ、アメリカ人のフェアネス精神に敬意を表します。それが誰か、男か女か、何国人かなどに関わらず、いいものはいい、悪いものは悪いとジャッジする。「空気読む」ではなく、「長いものにまかれる」でもなく、友達が、親が、先生が、マスコミがどう言ったかでもなく、自分の頭で判断する。そして思うだけでなくそれを堂々と意思表示する。反対意見も許容する。フェアネス精神というのはそういう土壌があってこそ生まれる「文明」です。動物界には存在しない人間の英知です。子供にそういう頭をつくってやることこそ教育なのではないでしょうか。

アメリカも長年の黒人差別というダーティな歴史を経てついに肌が白くない大統領を持つ国になりました。そのアメリカだって政治や実業がフェアに行われているとは思いませんし、そのはずもありません。みなそれがわかっているからこそ、スポーツというある意味で純粋培養の世界を作って自分たちの「心の美しい部分」を確認し合っている。スポーツマンシップというのはその素材であり基軸です。そういう大人のバランス感覚がスポーツを支えているのだと思います。

僕は16年かけて40か国ほど訪問しました。日本を入れて6か国に住みました。誤解を恐れずズバリ言います。フェアネス精神という文明を感じた国は2つしかありません。アメリカとイギリスだけです。日本はもちろんドイツ、スイス、香港に素晴らしい方々はたくさんおられ、素晴らしい出会いをたくさんいただきました。しかし社会という広範なレベルで言えば僕はどうしてもそういう結論になります。民主主義と呼ばれるものに結実するイデオロギーはフランスに発しましたがこの2つの国で発展しました。それはフェアネス精神という文明を生む土壌があったことと無縁とは思いません。

たかがスポーツと思われるでしょうか。素行の問題はあったとはいえ歴史に残る大横綱でもあった朝青龍をああいう形ですげなく追い出してしまった日本相撲協会。同じく清原を追い出した巨人軍。スポーツが大事なのか組織が大事なのか?型破りの天才児を管理できない無能力のほうが社会的にはるかに問題、損失だと思うのですが。相撲、野球というスポーツへの愛情、理解、敬意においては横綱審議会や読売の社主なんかより朝青龍、清原のほうがはるかに上でしょう。反対に組織のために貢献すればスポーツマンとして万死に値する「死球なりすまし事件」を起こしても不問に付してしまう。それをフェアネス精神という眼から問題だと判断し糾弾しない社会に僕はいささかの「文明」も感じません。

まったく同じ意味で、明治維新があり敗戦を経たから日本が民主主義国家だなどと一概に言えるとも思いません。毛沢東が統治の道具として持ち出した共産主義と大して変わりはないように思う場面があまりに多いからです。日本は民主主義に関しては発展途上国です。民主党に託してみたらだめだったという人が増えていますが問題の所在はそこではないと思います。同じようなレベルの政治家の間で首のすげ替えを何度やっても学習にならないばかりか、学習しているうちに国がなくなるかもしれないということを、まず有権者こそが学ばねばならないと思います。

日本で野球キチガイであることは本当に孤独です。

Categories:______自分とは, 映画, 自分について

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