我々は「利食い世代」である
2016 MAY 16 22:22:43 pm by 東 賢太郎
ソナーHPにこれを書いたらけっこうな反響をいただきました。
この株を買いたいということでは、お仕事としてのプロの方もおられました。多くの方が見てくださっているというのは光栄なことです。
ICONtvはyoutubeでご覧いただけばわかると思います。これの日本版になるわけです。若い子たちの文化に国籍はないしアジアがクールという輪が世界に広がっているいま、欧米にあこがれた僕らの時代は終わっています。わが世代の常識にはなかったことがおきようとしています。
思えば両親の世代は戦争で青春時代を犠牲にし、子供世代はデフレ経済で夢が持てなくなっています。高度成長期に生きたまんなかのわが世代は恵まれてました。「利食い世代」なんです。そのなかで勝った負けたとやってきましたが、べつに負けたところで上下世代から見ればいい人生だったのではないでしょうか?
僕は還暦のトシになってみて初めて人生をふりかえり、恵まれていたのかなもう充分楽しんだのかなという気になっています。まだ先は長いぞという気もありますし元気でもあります。だったら上の世代への感謝をこめ、次の世代になにかを残してあげるのが筋だろうと思うのです。
そこでピンときたのがICONtvだったということです。僕が作ったわけじゃない、ほしい時にほしいものが光り輝いてそこにあっただけです。理屈じゃありません、でもこういう直感はけっこう当たってきています。おことわりすると、そういう趣旨ですので僕は社長を無給でやります。
もちろんご自分の生活が第一です。それあってのことです。そのうえで余力があればです、そういうことをやってみても面白いね、ご一緒にいい人生だったねとなれるんじゃないか。そういう方々はどなたでもけっこうです、お気兼ねなくどんどん仲間になってご参加いただきたく思います。
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猫は芸をしない
2016 MAY 15 0:00:29 am by 東 賢太郎
猫は芸がおぼえられないのではなく、
そんなことはばからしいと思っているのである
三島由紀夫
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遺伝子に忠実に生きると長生きする
2016 MAY 14 0:00:08 am by 東 賢太郎
ソナーHPの最初のブログがこれでした。
ソナー・ファイル No1 (10倍になる株を探す楽しみ)http://sonaradvisers.co.jp/2016/04/02/132/
ここにドイツ株と中国株の「10倍銘柄」発見のストーリーを2つ書きましたが、どうやら僕はいま3番目に出会っているぞという気がしてならないのです。
創業時の東急の五島家、西武の堤家のような位置にいる某国の財閥と話していてそういう感じが琴線にふれてくる、こういう直感は僕の長い証券マン人生でも、そこに書いた2度しかなかったものです。
それはここに、「ある国」と書いた国の株なのですが、
日本は70年前にこの会社のような事態は打ち止めになっていてもうどこを探しても絶対にない。だからそれが面白いと思うなら海外に出てくしかないのです。
僕は何ベーシスポイント(百分の一%)の利回りがどうしたという債券投資の世界などかけらの興味もなく、骨の髄までエクイティ(株式)・マンです。マイナス金利の世で利回りを追うなど砂漠でコークの自販機を探すようなもので、申し訳ないが国債しか買えないような人たちがプロだということになって大多数を占めている本邦運用業界というのは信じ難い光景でしかない。
もちろん株だからリスクはあるのは当たり前。でもそんなのは出航前のコロンブスに地球が平らで滝から落ちたらどうすんの、嵐が来たら難破して死ぬよと諭すようなものでナンセンスの極みである。そればかり40年やった僕は別に死んでない。そういうことを言ってる人は永遠に株は買わない人で、他人ごとだからどうでもいいのですが恩恵にあずかることも永遠にないのです。
今回のような情報はやっぱり海外なんですね、日本じゃない。だから僕はソナーは極力グローバルなネットワークで経営したい。えっそんな国、大丈夫なの?というところにこそ10倍、100倍というポテンシャルが見えるのです。ベーシスポイントなどクソくらえだ。東証の初代筆頭株主であった先祖の血なのかもしれませんが、それを見るともういてもたってもいられず行動するしかありません。
ある本に遺伝子に忠実に生きる、要は好きなことだけやると長生きするとありました。節制やら禁欲なんかするとかえって早死にすると。そういうことなんでしょう、僕はそれを四六時中考えているのが楽しくてしょうがないしおかげで頭も体もめちゃくちゃ元気であります。皆様もそこそこの年齢になったら遺伝子に忠実に生きる、おすすめです。
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本音で生きる
2016 MAY 13 2:02:16 am by 東 賢太郎
本屋に行く時間がなく、たまに飛び込んでは目についたのを5,6冊バサッと買う。最近は子供(もう大人だが)が読むだろうという軽いノリが、面白いので自分が読んでしまうのもあり。
ホリエモンこと堀江貴文氏の「本音で生きる」がそれ。こういうブログを書いたら、
ソナー・ファイル No26 (お金がないと起業はできません)
その本には起業にカネはいらんと書いてある。なになにと思ってめくるとなかなかもっともである。
基本的に僕と違う人だが、共通するところもすごく似たところもある。最大公約数の秀才なんかよりよっぽど楽しい。
・結局、言い訳して行動しない人間は「暇」なのだ
・時間は誰にも平等に有限
・うまくいく人は「やるか」「やらないか」それだけ
・本当にやりたいならリスクは考えない
・小利口が一番よくない、動けないのは自分の小さなプライドを守るため
・他人は誰もそんなに自分を見ていない
まったくそのとおり。情報は覚えるな、浴びろ。アウトプットしまくれ。量が質を作る。これも同感。
プライドを捨てると人生変わる、これはこの5年でわかった。会社はトイレの掃除まで自分でする。そういうことは人生の辞書になかったが、別になんのことはないかえって辞書が厚くなる。
つまらないプライドなど、どうせ誰も見てないそんなものを後生大事に守って死んだら実にくだらない。便所掃除ができたら怖いものはない。そうすると何げなくできることが増えてしまい、それでこんなに楽しい時間を過ごせている。
サラリーマンというのは基本給が同期より500円多い少ないで一喜一憂するよう会社に洗脳されている。会社の階段登りには大事でも人生には全くどうでもいいプライドだ。定年になって階段が外れてもそれに人生を支配される人が多い。
できないことはアウトソース、これは勉強になった。全部やりたいタイプだがもうそんな時間はない。自分の得意を磨く、といってその時間もない。だからできることだけやって、あとは人にまかす。まかすというのは実は一番難しいが。
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J.S.バッハ イタリア協奏曲 BWV 971
2016 MAY 11 1:01:49 am by 東 賢太郎
ピアノのディスクで最初にノックアウト級の衝撃を受けたはこれでしょう。ポリーニのショパンやストラヴィンスキーも記憶にありますが、大学当時まだそんなにピアノに目覚めていたわけではなく、ああうまいなあで終わってました。
ところがこの59年のグールドのLPは、それがピアノであろうがなかろうがそんなことは忘れてしまう凄まじい音の奔流で、有無を言わせず僕をねじ伏せたのです。第1楽章が鳴り始めるや、耳が立つ感じ。これはとんでもないものが始まったぞというわくわく感が一気に押し寄せます。
イタリア協奏曲は実に名曲で、もっと遅くて味わい深く聞こえるものもある。しかし、本来はそういう音楽だろうと頭では思っても、ブーレーズの春の祭典とおんなじであって、グールドのあまりの痛快さ、快感が僕の脳ミソにバーンと刻印されてしまっていて、他は何を聴いてもドーパミンが分泌されない。あっそうという感じになってしまうのです(本人の再録音すら)。
なんたって遅いところも凄い。第2楽章は4声部のうち、ソプラノ、真ん中の2つ、バスの3本のラインがまったく違う音色で弾かれていて、当時の僕のプリミティブな耳にもそのぐらいはわかってしまい、おいこれは何だか普通じゃないぞと身がまえてました(下が第2楽章から)。
そして第3楽章。この速さはなんだ?それも完璧なコントロール!超人だ。しかし余興の速弾き大会ではなく、このテンポでなきゃあウソでしょという他を圧した絶対的な納得感なのだからもうどうしようもない。これはダルビッシュか大谷の160kmが外角低めいっぱいにビシッと決まって、打者はピクリとも動けずごめんなさいという世界です。
オイストラフのヴァイオリンをきいてああヴァイオリンをやらなくてよかったと思うのですが、これ、ピアノもそうでした。いや、エロイカをきいたら作曲家もそうだったっけ。
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ベートーベン ピアノソナタ第29番変ロ長調「ハンマークラヴィール」 作品106
2016 MAY 9 2:02:43 am by 東 賢太郎
このソナタは音楽であるか否かという範疇を突き抜けて、人間の精神が造りだしたあらゆるものでも最高峰のひとつであると思います。
そのような音楽がすぐ楽しめるものではなく、僕は10年はかかりました。現代音楽が耳慣れない音でもって「難しい」のとちがって、音としては奇異でもないのに何がいいのかわからなかったのです。94年にベルリンでポリーニのを聴いたのですが、それでもさっぱりでした。
この曲の第4楽章はベートーベンの讃美者だったワーグナーすら理解できず懐疑的だったそうで、20世紀まで真価は知られなかったという説もあります。僕にとって言葉がそうでしたが、日本語はニュースのアナウンサーが何を言ってるかが突然わかるようになり、英語は留学して3か月ほどして、やはりTVのCMが急に聞き取れるようになったのですが、ハンマークラヴィールソナタはそういう風にある日に急にやってきて、理解した音楽でした。
ひとことでいうと、とてもリッチな音楽です。独奏曲で40分もかかるものは作曲当時はなく、特に長大な第3楽章(アダージョ・ソステヌート)は異例だったでしょう。人間の最高の知性のすべてが結集した様はそれだけで畏敬の念をもよおすもので驚くべき輝きと建築美を放射するのですが、かといって決して無機的ではないのです。あらゆるアミノ酸が溶けこんだスープのようなもので、その養分が聴き手の精神の深いところまで届いて究極の満足感を与えてくれる。そんな曲は世の中にそうはありません。
いまこの曲の譜面を前にした心境は、ローマへ行ってパンテオンや水道橋の精緻な構造を知って感嘆するに似ます。仮にそれらを造った人が目が不自由だったとしてなんのことがありましょう。ハンディに打ち勝ったからそれが優れているのではなく、誰の作であれそれは地球上の工作物として一級品である。ベートーベンにとって聴覚疾患はそういうものです。彼は頭の中で音が聴けたのであり、それでこんな曲が書けた。聞こえたらもっといい曲が書けたわけではないでしょう、なぜならこのソナタ以上のものは想像もつかないし200年近くたっても誰も書いていないからです。
耳の聞こえる僕らはただきいて楽しめばよいのですが、どうしてもそれで済ますことはできない、耳だけではわからない何かがある、だから細部までストラクチャーを研究してみたいという僕の欲求をかりたてるという点でこのソナタは数少ない特別の音楽の一つなのです。だから何年も僕は暇をみてそうしてきており、それを書き残したいのですが膨大な分量になってしまいます。
どうするか考えますが、僕にとってこの曲がかけがえのないもの、オペラなら魔笛、シンフォニーでいえばエロイカに匹敵するものであるということを残せばとりあえず目的は達します。
冒頭です。第1主題は2つの部分からなっています。
強烈な動機を2回たたきつける。第5交響曲と同じであり、ダダダダーンの直前に休符があったのをご記憶と思います。ここではその休符を、新たに手にした楽器(ハンマークラヴィール)の強靭な低音bが埋めています。この動機は第2楽章スケルツォ主題、および後述する重要な3度下降を含んでいます。
続く部分は p でレガートが支配する女性的なメロディーで第九の喜びの歌を思わせ、同様に見事なバスラインがついています。これが9小節目のフェルマータで止まってしまうのは第6交響曲の冒頭を思わせます。作曲時点で彼は交響曲は8番まで書いていました。ステートメントとしての冒頭動機のぶつけ方は5番より8番に近いです。
この動機はブラームスが自分のピアノソナタ第1番ハ長調の冒頭にそっくり引用しているのは有名で、以前のブログでも紹介しました。
しかし、ブラームスが交響曲第4番の冒頭主題をハンマークラヴィールの第3楽章Adagio sostenutoから引用したのはあまり有名ではないでしょう。誰かが指摘したかもしれませんが僕は知りません。もしなければ東説ということです。
3度下降のブラームス4番主題はソナタの第4楽章にもはっきりと現れますが、既述のように、元をただせばソナタ冒頭動機にすでに3度下降の萌芽は現れています。
ブラームス4番の終楽章はJ.S.バッハのカンタータ第150番、BWV 150, “Nach Dir, Herr, Verlanget Mich” – Meine Tage In Dem Leid の引用であることも、これまた有名です。一聴瞭然であります。
ブラームスは自身の最後の交響曲となるかもしれなかった4番を、第1楽章第1主題にベートーベン、そして終楽章のシャコンヌ主題にJ.S.バッハを引用し、敬愛する先人の延長として位置付けようとしたというのが僕の仮説です。グレン・グールドの第3楽章を聴くと彼もそう考えていたのかと思うほど4番主題を際立たせている(上の楽譜で♭3つになる部分が7分26秒から。7分40秒から4番主題が鳴る。7分55秒からは誰が聴いてもおわかりになるでしょう)。
第2楽章スケルツォは冒頭動機の子供です。コーダで変ロ長調の主音bが半音上のhになり、d-f#(二長調)が闖入し、ついにhに居座ってしまうのは驚きます。B♭→Dの3度転調は第1楽章冒頭主題にも適用されますが、モーツァルト「魔笛」断章(女の奸計に気をつけよ)に書きました通り当時は珍しい転調です。
主音が半音上がるクロージングの例はあまり記憶にありませんが、シューベルトの弦楽五重奏曲 ハ長調D.956の最後の最後でドキッとさせられるc#の闖入ですね、僕はあれを思い起こします。シューベルトがこのソナタを知っていたかどうか、ウィーンの住人でベートーベンの信奉者だった彼が1819年にアリタリアから出版されたこの曲の楽譜を見なかったという想定は困難ではないでしょうか。
第4楽章のコーダでg、a、b、c、dに長3度が乗っかって順次あがっていくなどのベートーベンのプログレッシブな部分はやはりブラームスの第4交響曲終楽章コーダの入りの部分で、またこれは空想になりますが同楽章冒頭ラルゴでのf の4オクターヴの上昇はショパンが第3ソナタの終楽章の冒頭で採用したかもしれません。ショパンはベートーベンの友人フンメルと知己であり、1830年から1年ウィーンに住んでいたのです。
第4楽章の序奏部の最後のあたりで、これについてはどこがどうということはないのですが、僕はいつもブラームスのピアノ協奏曲第1番の響きを思いだしています。彼がこのソナタ冒頭を引用するほど親しんでいたのは事実であり、しかも、クララは事実これを弾いていたのです。PC1番はクララへの愛の曲であり、交響曲第4番は締めくくりの曲だった。ピアノソナタ第1番ほど確信犯的にではなく、ほのかに、しかしクララが聴けば分かるに違いない程度にハンマークラヴィール・ソナタを縫い込んだという想像は、そう的はずれでもないような気がするのですが・・・。
20世紀まで誰も理解できなかったかもしれないこの巨魁なソナタ。しかし数名だけは真価をわかって自作に引用までしたかもしれない。何か不可思議な磁力があるということ、僕如きが主張するより彼らが雄弁に語ってくれていると思います。
では最後に、ハンマークラヴィール・ソナタ全曲を。スビャトスラフ・リヒテルの75年のプラハでのライブです。
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加藤旭くんの演奏会
2016 MAY 6 2:02:31 am by 東 賢太郎
今日は銀座ヤマハ・ホールにてメイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン主催のチャリティーコンサートを聴きました。ご存知の方もおられると思いますがMake-A-Wishは米国で立ちあがったこのような団体です。
「メイク・ア・ウィッシュ」とは英語で「ねがいごとをする」と言う意味のボランティア団体です。3歳から18歳未満の難病とたたかっている子どもたちの夢をかなえ、生きる力や病気と闘う勇気を持ってもらいたいと願って設立されました(HPより)。
この日のコンサートは加藤旭くん(16才)の作品をプロの演奏家の方々がきかせるものです。旭くん、きっと楽しみにしていたでしょうが会場には来ることはかないませんでした。ご本人の言葉があったのでそのままお借りします。ぜひお読みください。
~作曲者メッセージ~
僕が小さい頃に作った曲を、「CDにしたら」と計画してくれたのは妹の息吹です。中学3年冬から高校1年春にかけての、脳腫瘍放射線治療入院時でした。
頭痛やだるさを抱えながら病院で一人過ごす時間はとにかくきつく、ドアが開いて誰かが入って来てくれるのを「今か、今か」と待っていました。家族や友達、先生が会いにきてくれた時の嬉しさは格別で、「自分も人を喜ばせたい、何かの役に立ちたい」と思いました。そこで妹が「お兄ちゃんは小さい頃作曲していたから、それを生かせばいい」と考えてくれました。
僕はピアノを習い始めた3歳から、画用紙があると5本線を引き、音符をお絵描きしていたそうです。4歳になると音符を曲として書き始めます。どこかへ出かけたり、いい音を聴いたりすると自然に音楽が湧いてきて、そのメロディーを五線譜に書いていくことが楽しくてたまらなくなりました。
今は手術の後遺症で足が思うようには動かず、目がよく見えなくなっていますが、これまでの作曲作品(約480曲)と脳腫瘍の治療や入院の経験を生かしていきたいと思います。今回のCDは、ピアノの三谷温先生が僕の考えを応援してくださり、メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン他多くの方々のご協力を得て作ることができました。5歳から10歳までに書いた曲です。このCDがより多くの人の励ましとなること、また、今闘病中の方々の命が助かることを祈っています。
加藤 旭
感動しました。旭くん、会場のあんなにおおぜいの人が喜びをいただいたのです、すごいことです。ふしぎと心がやすらぐあなたの5才の曲ときたら・・・。
演奏家の方々の想いも伝わりました。会場の全員がひとつになってそれを受け取るというのはなんと幸福な演奏会だろう。旭くんに音楽のちからを教わりました。
最後の曲、合唱曲「くじらぐも」につづいて弾かれたバッハの平均律のプレリュードハ長調がすっとはいってくるのにはほんとうにびっくりしました。
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プロコフィエフ 交響曲第2番ニ短調作品40
2016 MAY 4 18:18:05 pm by 東 賢太郎
米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑銘に「Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.(自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る。)」とあるそうだ。以前ここにバレエ・リュス(ロシアバレエ団)のセルゲイ・ディアギレフについて書いた( ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」)が、実業家としては彼は天賦の才ある成功者だったが、当初志した音楽家としてはカーネギーの言葉があてはまるのではないか。
ところが、自身も音楽家(指揮者)として名を残しながら自分より賢き者を近づける術を知った者がいた。こちらもロシア人のセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951、左)である。音楽家の息子でコントラバスの名手であり、ボリショイ劇場で弾いていた。彼がラッキーだったのは2番目の奥さんが富豪(茶の貿易商)の娘だったことだ。彼女は結婚記念として「カレにオーケストラを買ってあげて」と父にせがんだ。
「逆タマ」の財力で彼は巨匠指揮者アルトゥール・二キシュの博打の負けを払ってやって指揮を教わり、なんとベルリン・フィルを雇って(!)演奏会を指揮し(ラフマニノフの第2協奏曲のソリストは作曲者だった)、祖国へ帰って出版社を創ってオーナーとなりラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ストラヴィンスキーの版権を得て楽譜を売った。
ロシア革命後は新政府を嫌って1920年に亡命し、パリで自身が主催する演奏会「コンセール・クーセヴィツキー」を立ち上げる。これは1929年まで続いたが、その間に初演されたれた曲がストラヴィンスキーの「管楽器のための交響曲」(1921)、ムソルグスキー「展覧会の絵」のラヴェル編曲版(1922)、オネゲル「パシフィック231」(1924)、プロコフィエフ交響曲第2番(1925)、コープランド「ピアノ協奏曲」(1927)であった。
クーセヴィツキーは1924年にボストン交響楽団(BSO)常任指揮者となる(パリには夏だけ行った)。バルトーク「管弦楽のための協奏曲」、ブリテン「ピーター・グライムズ」、コープランド交響曲第3番、メシアン「トゥーランガリラ交響曲」はクーセヴィツキー財団が委嘱して書かせ、BSOの50周年記念として委嘱したのはストラヴィンスキー詩編交響曲、オネゲル交響曲第1番、プロコフィエフ交響曲第4番、ルーセル交響曲第3番、ハンソン交響曲第2番だ。クーセヴィツキーはこれだけの名曲の「父親」である。
自分より賢き者を近づける術はカネだったのか?そうかもしれない。BSOの前任者ピエール・モントゥーも弟子のレナード・バーンスタインも、名曲の世界初演をしたり自分で名曲を書いたりはしたが他人に書かせることはなかったからだ。しかし、彼が財力にあかせて「管弦楽のための協奏曲」や「トゥーランガリラ交響曲」を書かせたといって批判する人はいない。
もう一つ、僕として聴けなければ困っていた曲が表題だ。パリにでてきたプロコフィエフ(左)だが、当時は6人組が新しいモードを創って人気であり、彼の作品は理解されなかった。よ~しそれなら見ておれよ、奴らより前衛的な「鉄と鋼でできた」交響曲を書いてやろうとリベンジ精神で書いたのが交響曲第2番だ。パリジャンを驚嘆させた「春の祭典」騒動はその10年ほど前だ、もちろん念頭にあっただろう。
芸術はパトロンが必要だが、モチベーションも命だ。天から音符が降ってきて・・・などという神話はうそだ。それで曲を書いたと吐露した作曲家などいない。バッハもヘンデルもハイドンもモーツァルトもベートーベンも、みな現世的で人間くさい「何か」のために曲を書いたのだ。お勤め、命令、売名、就職活動、生活費、女などだ、そしてそこに何らかの形而上学的、精神的付加価値があったとするなら、ことさらにお追従の必要性が高い場合においては曲がさらに輝きを増したというぐらいのことはいえそうだ。
クーセヴィツキーはカネがあったが、その使い方がうまかった。BSOの50周年なる口実で名誉という18,19世紀にはなかったエサも撒くなど、作曲家のモチベーターとして天賦の営業センスがあったといえる。そういう天才は99%のケースではカネを作ることに浪費されるが、冒頭のカーネギーは寄付をしたりカーネギー・ホールを造るなど使うことにも意を尽くした1%側の人だった。そしてクーセヴィツキーは嫁と一緒にカネも得て、それを使うだけに天才を使った稀有の人になった。
しかしその彼にとっても、刺激してやるモチベーションが「リベンジ精神」というのは稀有のケースだったのではあるまいか。プロコフィエフは速筆でピアノの達人でもあり、ピアノなしでも頭の中で交響曲が書けたという点でモーツァルトを思わせる。どちらも後世に明確な後継者が残らない、技法に依存度の高くないような個性で音楽をさらさらと書いた。しかしこの第2交響曲は力瘤が入っている。異国の地で勝負に燃えた33才。モーツァルトがフィガロにこめた力瘤のようなオーラを僕は感じる。
攻撃的な響きに満ちた2番の初演はパリの聴衆の冷たい反応しか引き起こさなかった。暴動すらなく、専門家の評判も悪く、ほめたのはプーランクだけだった。ここがディアギレフとクーセヴィツキーのモノの差だったかもしれないが、曲がそこまで不出来ということはない。力瘤の仮面の下で非常に独創的な和声、リズム、対位法が予想外の展開をくり広げる。これが当たらなかったから、あの第3交響曲という2番の美質をさらに研ぎ澄ました名曲が生まれた。しかしその萌芽のほうだって、春の木々の新芽のように強い生命力があり、不可思議な響きの宝庫だ。
プロコフィエフはロシア革命のときに27才だった。アメリカに逃げようと思った。モスクワからシベリア鉄道で大陸を横断し、海を渡って敦賀港に上陸した。日本に来た最初の大作曲家はプロコフィエフだ。サンフランシスコへ渡航する船を待つ約2か月の間、日本各地を見物して着想した楽想が交響曲の2,3番、ピアノ協奏曲の3番に使われたとされる。2番は第2楽章の静かな主題がそれだ。クラリネットと弦のゆったりした波にのってオーボエが切々と歌う。シベリウスの6番の寂寞とした世界を思い浮かべるが、これが6回変奏されて不協和音を叩きつけ、最後に回帰するのが実に美しい。
僕は3番の次に2番をよく聴く。秀才がワルになろうと暴走族のまねごとをしたみたいな部分がかえっていい答案だなあ秀才だなあと感嘆させてしまうあたりが面白い。第1楽章は全編がほぼそれだが、これでも喰らえとわざとぶつけた感じのする2度、9度の陰でぞくぞくするコード進行が耳をとらえて離さない。こんな音楽は他にない。これがたまらないのだ。小澤/ベルリンPOだと見事に浮き彫りになっている。何という格好よさ!!
これを何度聴いたことか、これはラテン的音楽ではないがこの小澤さんの演奏のクリアネスは凄い純度である。そのたびに僕は本質的にロマン派のテンペラメントではない、恋に恋するみたいな人間とは180°かけ離れていて、100km先まで透視できるヴィジョンを愛するラテン気質に親和性があるのかなと思う。小澤さんはロマン派もとてもうまいが、この2番の合い方は半端でなくラテン親和性をお持ちでないかと察する。
小澤征爾 / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
この全集は小澤さんがBPOを振って打ち立てた金字塔である。上述に加えて第2楽章の透明感と細部のしなやかな生命力も素晴らしく、2番の挑戦的な暴力性がここまで整理され純化されていいのかというのが唯一ありえる批判と思う。それは若かりし頃にシカゴSOを振った春の祭典に同じことが言えるが、僕はあれが好きであり、したがってこれも好きだ。BPOの機能性あってのことだが、このピッチの良さ、見通しの良さ、バランス感は指揮者の耳と才能なくしてあり得ない。日本人で他の誰がこんなことができるだろう。
ジャン・マルティノン / フランス国立管弦楽団
これぞラテン感覚の2番である。マルティノンはラヴェルもドビッシーもロシア音楽も明晰だ。不協和音も濁らない。印象派というと、春はあけぼの、やうやう白くなり行く・・・の世界と思いがちだがぜんぜん違うということがこの2番のアプローチでわかる。第2楽章テーマはその感性だからこその蠱惑的なポエジーがたまらない。管楽器は機能的に磨かれフランス色はあまり強くないが、弦も含めて音程と軽やかなフレージングが見事で、きわめてハイレベルな演奏が良い音で聴ける。
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー / モスクワ放送交響楽団
ごりごりした低弦と派手な金管、打楽器が鳴り響くロシア軍の行軍みたいな第1楽章はまことに威圧的で、2番の趣旨にはかなっている。そういうのは好みでないが、救いはロジェストヴェンスキーの縦線重視の譜読みだ。和音を叩きつけまるでストラヴィンスキーだがこの強靭なタッチはフランス系では絶対に出ない味である。第2楽章のデリカシーはいまひとつだが変奏の激烈さがあってこそテーマの回帰の静けさは心にしみる。
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ドビッシー フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ (1915)
2016 MAY 3 12:12:27 pm by 東 賢太郎
春の雨の日に聴きたい曲がこれである。ドビッシーが書いたソナタとして僕はこれが最高傑作と思うし、耳にするたびにフランスで見たいろんな情景やら、それを前にしたときの気分のようなものが次々と、どこかぼんやりした輪郭をもって浮かんでは消える。
フルート、ヴイオラ、ハープ。なんという独創的な組み合わせだろう。ヴァイオリンでなく、ピアノでもなく!たった3つの楽器の中音域の絡みからオーケストラのような多様な音色の綾とグラデーションが生まれるのであって、どうしてそれまで誰もやらなかったのかというぐらいあまりに自然な混合だ。
ドビッシーは最晩年に「様々な楽器のための6つのソナタ」 (six sonates pour divers instruments)を計画した。この6つ(half dozen)という数はネオ・クラシカルの合奏協奏曲を思わせる。たとえばJ.S.バッハの死後に「ブランデンブルグ協奏曲」という通名で記憶されることになった曲集も数が6曲であり、しかもバッハがつけたオリジナルの曲名は「様々な楽器のための協奏曲集」(Concerts avec plusieurs instruments)だった。
ドビッシーがバッハを意識したかどうかは不明だが作品には前奏曲集第1巻、2巻、練習曲の各12、忘れられたアリエッタ、子供の領分、古代墓碑銘の6など構成する曲数に6の倍数が多い。表題曲を書いた1915年に同じく完成した12の練習曲には「ショパンの追憶に À la mémoire de Chopin 」と書かれているのであり、こちらはバッハが念頭にあってもおかしくはない。
だが僕が音からストレートに感知し、憶測する彼の意図はそうした形式や数へのこだわりよりも自由な楽器の組合せが生む新しい色彩だ。
彼は6曲を完成せずに世を去りこの曲と各々ヴァイオリン、チェロとピアノのソナタの3曲だけが生み落とされたが、生まれなかった子供がまことに興味深い。「オーボエ、ホルン、クラヴサンのソナタ」、「トランペット、クラリネット、バスーンとピアノのソナタ」、「コントラバスと各種楽器のためのコンセール形式のソナタ」の3つだ。
バッハの弦楽伴奏を鍵盤楽器にかえ、それも独奏パートとして音色の一要素にしている(ホルン、トランペットの選択が合奏協奏曲を想起させる、この2曲は聴いてみたかった!)とも考えられるが、オーケストラを凝縮した音色の小宇宙の創造を意図したようにも思う。「海」の情景変化をリズム細胞の変容が暗示する時間で微分したドビッシーがここでは音色の移ろいでそれを試みたと僕は考えている。
彼は「映像」を書くときに和声の発明を「化学」と比喩したが、リズムと和声と演奏技巧という要素の終結点を12の練習曲に集大成し、最後に残った音色合成という新たな化学の実験に入ろうとしていたのだ。その精神の深奥には興味が尽きない。畢竟、作曲家という人種はリアリストであり、音を素材とするサイエンティストである。例外はない。
この表題曲の創造の精神は、バッハよりもむしろモーツァルトが「ピアノ、クラリネットとヴィオラのための三重奏曲」変ホ長調K.498を書いたのに近いかもしれない。ベルリオーズやR・コルサコフやラヴェルが「管弦楽法の大家」と讃えられるが、僕はそんな表面的なものよりも、クラリネットを入れたかったモーツァルトがヴァイオリンでなくヴィオラを選び取ったそのセンスの方に管弦楽という合成音色へのホンモノの洞察力を感じる。
そしてその洞察力はドビッシーにおいて「牧神」「ペレアス」「海」、そして本稿表題作という傑作群において証明されるのだ。生まれなかった3つの子どもに思いを巡らしつつ、我々は幸運にもこの音楽という至宝を手にしたのだから、作曲者へのいっそうの感謝をこめて味わうこととしたい。
ハープの幽玄不可思議な和声(左)で始まるパストラーレと名づけられた第1楽章、ここに続く提示部の、とても機能和声的に響くが調性がつかみづらい模糊とした音楽。混合された音色が時々刻々と移ろうのは交響詩「海」の第2楽章さながらに蠱惑的である。ドビッシーの音色の化学実験の末には、メシアン、ブーレーズ、そして武満徹までつらなる系譜の芽が見える。
この音楽はアナリティカルに聴こうという耳の試みを断念させ、しまいには麻痺させてしまう。色とりどりの花が咲きほこる春雨のモネの庭。ほんわり霞がたちこめて、太鼓橋がうっすらとかすむ。心地よい湿った春風がはこぶ若草の匂い・・・。
若いころ、そんな日にパリ郊外のバルビゾンを歩いてすっかり虜になった。今どこに住んでもいいよとなったら、あそこに小さなメゾンでも買ってなどということを考えてしまいそうだ。居間に流す音楽は、迷うことなくこのソナタになる。
僕の愛聴盤は世評の高いランパル、ラスキーヌ盤ではなくこれだ。
フィリップ・ベルナール(fl)/ブルーノ・パスキエ(va)/フレデリック・カンブルラン(hp)
これをかけるとフランスの香りがたちこめる。なんという素敵な音楽だろう。僕はフランスに住んだことはないので語る資格はないが、イギリスやドイツからドーバーやラインを超えてこの国に入ると必ず感じた「光」というものが在る。それは物理的な光線ということではなく、どこかふんわりと明るくエーテルのように麦畑を豊穣に見せ、生命が育まれている肥沃な地に来たという安寧の気持ちを喚起する。英独軍がここを攻めたくなったのはこのせいかとすら思ってしまった。これを聴きながらあの光がみえてくる。このADDAというレーベルはもう見当たらず、i-tunesに別な装いで出ているようだ。ヴァイオリン、チェロと最晩年の3つのソナタが入っており演奏の水準は高く録音も非常に音楽性が感じられるというのだから申し分がない。スタジオで丹念に作られた録音はそれ自身にアートとしての価値があると前回書いたがそれを地で行くようなディスクであり、異国の人間でもフランスの息吹を愛でられるこういうものが廃盤になってしまうという寂しい事態はフランス文化省も恥と銘ずべきだろう。
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クラシック徒然草-スタジオ録音をじっくり聴きましょう-
2016 MAY 2 17:17:25 pm by 東 賢太郎
前回の続きになりますが、音楽というのは「音を楽しむ」ものですから、どなたもなるべく良い音で聴きたいですね。良い音というのはもちろん人それぞれの好みがありますから絶対というものではありません。ただ、いわゆる「良い音」というのは19世紀からの積み重ねであって、誰にとっても心地よいものはある程度完成されていると思います。
たとえばお料理の世界でも、いま我々が毎日食べている食材というのはほとんど19世紀までに発見されたものだそうです。西洋料理でいうならローマ時代までに多くが見つかっていて、そこから続々と新しいものが加わって行きましたが、20世紀までくると新たに加わったものがあまりないという意味です。日本料理もたぶん江戸時代まででしょう。
では「心地よい音」はどうかというと、ハープシコードが進化してできたピアノの音も管弦楽の楽器の美音というのもみな「おいしい食材」ですし、それらをまとめて調理して聴かせるオーケストラもそうです。それはヨーロッパの音の世界の「美食家」たちの耳を通じて選別された集大成の音であるといって良いかと思います。
作曲家はそのピアノやオケという「媒体」(メディア)の能力をフルに引き出して、自分の発想する音楽の魅力を伝えようとします。たとえばテレビという媒体で自分をアピールしようと思えば出演者はTV映えのする化粧もするしTV映りの良い表情も作るわけです。ですから、それを味わう側とすれば、それを制作した人たちが想定していたTVというメディアで味わうことが鑑賞の方法としてはベストでしょう。
すなわち、クラシック音楽というものを自宅で楽しむならば、周到に作りこまれた演奏を美音マシーンであるオーディオ装置で再生する、そこに真価が見て取れるということです。僕はオーディオメーカーの回し者ではないし、コストがかからないパソコンやyoutubeを僕自身も利用しているのですが、それは名店のお料理や行列のできるラーメンをレトルトやカップヌードルで食べるようなものという意識を持って接することです。
きのうC・デイヴィスとボストン響のイタリア交響曲を耳にして、そんなことを考えました。レコードにして残すのための音源だけが「正規録音」と呼ばれた時代がありましたが、あれは正しかったと。そのぐらい70年代までの蘭フィリップスや独グラモフォンや英デッカの録音は筋金がはいっていたし、レッゲやカルーショウというその道の達人もいた。スタジオ録音とは男が人生をかけ、ライバルとしのぎを削って作る作品だったのです。
ところがCDという原価が激安の媒体が出てきて売値が市場原理でどんどん下がり、そのやり方ではコストが回収できなくなった。そこでライブ音源が増えてきたわけです。もちろんそれに命をかけるプロデューサーがおられるでしょう。しかし演奏者側からすると一発勝負のそれが自分のベートーベンとして永遠に残ることを良しとするかどうかは出来次第というところでしょう。ダメだったらごめんねというものを命がけで撮る仕事も大変になってきます。
ライブの方がスリリングだ、ベームはライヴで燃える人でスタジオ録音はつまらないというようなリスナーの声もその傾向をサポートしています。しかし、僕はどうも、それは結婚式や卒業式での記念写真を撮って残そうとするときに専門家によるスタジオ撮影ではなくスマホの自撮りで済ませましょうというもののような気がします。生き生きした表情や面白味はスタジオでは得難いものがあるでしょうが、額に入れて飾る記念写真とは違うものです。
ベートーベンの交響曲第7番のような曲にはライヴの熱狂が似合うとは思いますし、そもそも昔はライヴしかないのだから作曲者もそれを求めたかもしれません。しかし7番という曲はそうではない多様な表現を許容もするのであって、まして、彼の弦楽四重奏曲第15番にライヴの熱狂を求めてもあまり意味があるとは思えません。
自宅で数多くの同曲異演を楽しむのは(僕も好きですが)、相当オタクな嗜好であって、大まかにいうなら世界でも英国人と日本人ぐらいかなと思います。英国にグラモフォンという月刊誌があって、**’s account of 7th is more XX. なんて書いてある。これは「**の7番の演奏の方がもっとXXである」と言っているのであって同曲異演を比較しているのです。
しかしグラモフォンを読むような英国のリスナーの守備範囲は広いのです。オペラから宗教曲、現代曲までカバーする中での7番の議論であって、日本のように20-30曲の「名曲」ばかり何種類もの演奏で知っているというわけではありません。カバーが狭い中で深く入るから、何かユニークで面白い「とんがった」ものがないと凡庸、退屈と切り捨てる風潮になりがちです。
僕は英国やドイツに住んで、先祖代々のクラシック好きと深くつきあってきましたが、音楽というものはいわば教会の讃美歌の末裔のように自然な存在であって、演奏がユニークでないといけないというものではありません。それはチケットやCDを売らんかなという資本家が押し付けているニセモノの価値観であって、車やパソコンはモデルチェンジしないと売れないという商業主義の産物のように思います。
皆さんが知る音楽の真実というのは「楽譜」にあるのです。本物のリスナーはそれを知っていますし、だから音楽は演奏するに越したことはなく、「自分でやるもの」なのです(その意味ではカラオケは音楽の本道を行ったものです)。一方、同曲異演のお楽しみというのはそれとは別種のもので、ユニクロで色違いの同じシャツを全部買おうみたいな趣味です。シャツのモードやデザインではなく、むしろ色に価値観がある。
そうなると「変わった色」に興味が行くのは自然でしょう。そういう人がベートーベンの7番は「爆演じゃなきゃ」となっていく。カレー好きがだんだん「超激辛」に走るのと同じです。そしてベームのスタジオはつまらない、フルトヴェングラーの++年盤がすごい、などとなっていく。これは一種の日本人的なサブカル(サブカルチャー)です。そういう楽しみ方は僕も好きだし否定するものでもありませんが、酔い覚ましのラーメン一杯と本格グルメとを一緒にはされないほうがよろしいでしょう。
困ったことにフルトヴェングラーみたいな人はコンクールのステレオタイプ選抜戦からは出てこない。だから21世紀は新曲も出なければ爆演型演奏家も出ない、つまり商業としてのクラシックはもうほぼ死滅してしまったのです。だからクラシックの高級ブランドであったデッカもEMIもドイツ・グラモフォンも蘭フィリップスも、ことごとくユニバーサル・ミュージックというエンタメなんでもありのアミューズメント会社に買収されてしまった。
これは英国王室御用達のクルマであるジャガー社がランドローバーと一緒にインドのタタ・グループに買われてしまったようなものです。まさか植民地のクルマになってしまうとはエリザベス女王様もびっくりの事件だったでしょう。ジャガーが愛車である僕でさえ文化は経済の波に無縁ではいられないのかと複雑な気分になるのです。いつぞやのブログに資本主義者である僕が、文化だけは共産主義が望ましいと書いたのは本音です。
話がそれましたが、そうやってアミューズメント屋がクラシック音楽を「コンテンツ」として買ってしまう。悪貨が良貨を駆逐することになって、良貨は本物の音楽を分かる人だけが「退蔵」してしまい、世の中は悪貨がはびこるということになりかねないのです。美女イケメンの演奏家がもてはやされ、とんがった演奏がはびこり、メイン・カルチャーであるべきクラシック音楽がどんどん「サブカル化」する、そういう危機感を持っています。
日本のクラシックファンは人口のたった1%だそうです。百万人です。それが増えるのは文化として望ましいし、その百万人もこのままだとサブカル・クラシックしか聴けなくなるかもしれないから他人事でありません。演奏会はともかく録音音源の世界ではかなりそうなりつつあるのです。拙ブログも気がついたらそろそろ五十万の訪問数になりますが、もしその百万に入らない方がおられるならば本望です。
これからクラシックを聞こうという方、最後にお願いしたいのは、とにかくレトルトやカップ麺ではなく演奏会場に足を運び、家ではちゃんとしたスタジオ録音をしっかりオーディオ装置で聴いていただきたいのです。ライブは面白いが、ミスもあるし演奏家が真の姿を撮った記念写真として出すというより、スナップ写真でも出ないよりましだ、気にいったら演奏会に来てねという販促ツールになっていくでしょう。ポップスはそうなって久しいのですし。
カール・ベームがウィーン・フィルと作った田園交響曲はそのディスク自体が完成度の高い見事な「作品」です。演奏そのものが西欧の文化から発した高雅な芸術であって、ネット屋さんにAKBと並べてコンテンツ呼ばわりされる程度のものでは断じてありません。そういうレベルの演奏で田園を聞けば名曲と思うだろうし、販促コンテンツのレベルで聴けば退屈と思って「激辛演奏」を求めるようになってしまうかもしれません。音楽の素晴らしさのエッセンスは楽譜にあるのであって、その食材の良さを引き出して自然に味わわせてくれる人が名料理人、つまり名演奏家なのです。
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